「ないこと」の充実

「千の風になって」の歌詞は日本人的な信仰の本質をコンパクトに語っているように思う。

私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません、眠ってなんかいません
千の風になって 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています


この歌詞どおり、日本人には根強いアニミズム信仰があり「死者はお墓の中にいる」と思う人々が多いこと、「千の風になって」とはいっても死者の霊が天にではなく「空を吹きわたる」くらいの範囲で見守っていると思っている、ということだ。
ただ、 遺族が死を悲しんでいるのに死者の方で「泣かないでください」というのは少々冷静すぎませんか。
それとも死者の霊は、死の痛恨や慟哭といった感情を肉体と共に脱ぎ捨てるのでしょうか
そこで思いうかべたのは次の三つの話である。
ある人が死体の解剖を目撃したとところ、事前の想像とちがってまったく恐怖を感じなかったという。 なぜなら死体は完全なモノと化しており、亡くなった人がそこにいるとはとうてい思えなかったそうだ。
ところがその亡くなった人が残した寝具を見た時にゾッとしたそうだ。亡くなった人が正にそこにいることを感じたからだ。
また臨死体験をした人が語る共通なことの一つは、やや上の方から自分の死体の周りで家族が泣くのが見えるが、なぜかこちら側からはとても冷静平穏に家族の悲しみをを見つめていることである。
民族学者・柳田国男は、日本人の民間信仰は亡くなった人の霊は天ではなくそれほど遠くないところ(例えば山)にとどまっている、それも垂直な方向ではなく水平の方向にいる、と信じていると指摘した。
つまりは「千の風になってふきわたる」範囲で見守っているということだ。

数年前、伊勢の神域にいって強烈に感じた事は、「何もないこと」の神秘と存在感だった
古神道では、神像とか神殿は本来存在すべからざるものだ。神道では本来人間の住む住居と同じ形態の建物に神々を住まわせることは、神の神聖さを汚すものとして禁忌とされていた。
いつしか神を本来の住居である自然から招いて祀るため仮の住居を必要とするようになりこれを斎宮(いつきのみや)と言い、聖なる山に生えた榊が依り代としてそこに立てられただけの簡素なものであった。
しかし仏教に対抗して常設の神社が建てられるようになったが、伊勢神宮は、中世に仏教建築の影響を受けて付加された一部の装飾物を除いて、よけいなものはいっさいなく簡素明快で、建築のエッセンスだけを凝縮したような高雅な印象をうける。
徹頭徹尾余計ないものをそぎ落として本質だけに極限化しようとする志向性がみられる。そしてその極限は「何もないこと」なのだが、逆にそれが「何かがあること」の横溢に繋がるのだから不思議な感覚である
日本人は騒々しく「あること」は、神々の「宿り」の場として相応しくないことを感じたのか、虚飾を抑え人為さえ排そうとした「平易さ」や「単純さ」こそが神々の「宿り」の場としてふさわしいと感じたのか、いずれにせよ日本人が高い精神性をもった民族であると感じ取ることができた。
古来の神道を、人間の側がしりぞいて(無になって)神々(本質)に顕れ出だすくべく形成されたと解するのはどうだろう
室町時代に完成した能の文化、茶の文化、立花の文化は「禅」に影響された洗練性はあるものの、日本人は古来より禅の「無」とは別の形で、「ないことの」の充溢を捉えていたのではないのだろうか。
原始の神道ではぐくまれた「平明化」「単純化」の文化を素地として、鎌倉期に伝わった外来の「禅の文化」が「ないことの」の充実を洗練した「美」へと重層的に高めたのだ
西洋の庭が整然たる人工の苑を作り上げようとしているのに対して、東洋の庭はできるだけ自然のままに、その縮景を作ろうとする性向を示している。 正倉院には「仮山」と呼ばれる石組のさまを象った朽木の模型があり、古代の苑池にすでに石組を組むことがおこなわれていたことを示唆している。
平安末期の「作庭記」という造園の秘伝書に「自然石にじかに接し、その石の望むところに従う」ことを説いている。 そして「石組」ということが禅以前から行われていた。
「枯山水」という白砂と岩で海を表現したような庭は、自然の縮景をさらに凝縮して、その精髄である岩石にすべてを集約している
また立花(生け花)は、わずかな花をいかして自然を象徴する芸術である。「一即多」で簡潔さが求められる一方で吟味に吟味をかさねなければならないもので、禅の道に通じる。
千利休は秀吉自慢の大量の朝顔を切り取り、たった一輪だけ茶室に生けその美意識を挑発的に明らかにした。
さらに日本は世界有数の面の国で、縄文時代から土面をつくっていたが、古来の神社に残るいくつかの女面はすでに能面への近似をしめしている。
能面はその凍りついたかにも見える表情に無量の感情をこめている。シンプルな能面が役者の所作一つ一つと統合されたときに多様な表情を見せるのだ。
能楽の「間」も「ないことの」充実と洗練を表している。そして簡素さと単純さへの感情の凝縮こそが神々への「ささげもの」として純化されているように思えるのだ。

贅を削り落とし凝縮する文化は現代日本の産業技術に見られる「縮み」志向やコンパクト化につながっているように思う。トランジスタ・ラジオやワォークマンなど電化製品、小まわりのきく車など小さくするのも、伝統的な「簡素化」や「平明化」の延長にある。
また日本人は「万葉集」以来の俳句や短歌の短い詞の中に感情を込めることにした。何しろ詞の中にもたましいが宿り、そのたましいのふるえを作者の心を通じて顕れ出だすのが本来の俳句や短歌の本質ではないのかと思う。
自然(神がみの御霊)の勢威に表れ出でてもらうことこそ主題であり、むしろそのために極限にまで気持ちを凝縮させるところに日本の芸術の本質があるのではないのか
万葉集には農民、兵士、貴族、天皇などの歌がかなり平等に含まれており、それは神霊の作用をもたらす点では誰がつくろうと「同じ」と見なされたからだ。
信仰面や精神面でも鎌倉仏教では難しい究理ではなく、単純平明な祈りや行を中心としたものに変わっていった。(「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」など)
単純な祈りの言葉の中にもっともよく神の御霊が宿るという神仏習合意識が働いたのではないだろうか。
コトダマは漢字で言霊と書くが「事霊」ともかく。言霊が言葉によって喚起される霊的作用であるのに対し、「事霊」は 言葉だけではなく行為や動作や、あるいは言葉によって表現されるところの物体によって喚起される霊的作用である。
めでたい時に不吉なものたとえば人を殺傷する道具とかをしりぞけたりもする。また椿の花は不吉な花として武家の家かは遠ざけられる。花が実ってポトンと落ちる姿が何やら人間の首が落ちる姿を想起させるものだるからだそうだ。
ということはモノは単純な物ではなくモノの奥に潜んでいるものを表溢させようという意識があり、日本の職人が、素材を生き物として「感じ」とろうとしとして、世界でどの民族も真似ができない感覚を身につけたのもそういう意識とは無縁ではない。
日本人は西欧人のように問答法によって真理(本質)に辿り着こうとしない。 ダイアローグが究理の場であったとしても、日本人は言葉そのものを発するモノローグの方をさらに重視する。
日本人が縄文より養ってきた感覚は、本質を論理で突き詰めるでなく神がみの「揺らめき」を直接感じ取るものであるにちがいない。
天変地異も自然現象ではなく邪悪な「揺らめき」の仕業であるから、なだめるのが大切で、祈ることが一番である。そのために歌を詠むのである。
とすると、「歌を詠むこと」は古代政治の一側面なのだ。