非市場社会の勃興

「市場原理」による経済社会の賦活ということがいわれて久しい。
経済は競争にさらしてこそ賦活されるものであるから保護や規制は最小限にとどめようという潮流なのだ。
市場原理の行き過ぎが「勝ち組」「負け組み」の分化をひきおこし、小泉内閣以降は「格差社会」とまでいわれるようになった。
しかし人々の生きんとする力は「準市場」「非市場」もっといえば「アンチ市場」を育てつつある、という流れはあまり多くは語られていない
それはダイナミックな動きではなく注目されないが、新しい社会を生み出す確実な「潮流」を生み出しているように思う。そういう社会を名づければ「非市場社会」そしてその実態は「相互扶助社会」ということになろうか。
東京・高円寺のリサイクルショップ「素人の乱」周辺の若者達は、お金をかけずに生活を楽しむ、自律した別の経済の仕組みを自ら作ろうとしている。
そして若者たちの間では、自然回帰や帰農運動といったサバイバルを旨とした新しいライフスタイルの模索はじまっている。
あまり適切な比喩ではないが、墜落せんとする飛行機なり沈没せんとする船の中で、たまたま一緒になった乗客が声をかけあいそれぞれの資源(職業的な知識など)活用しながら助けあうようなもので、無事に目的地についてしまえばそういう暫定的な絆(関係)は解消されるものである。
昭和初期に無政府主義者等が「相互扶助」「協働社会」を理想としてかかげていたと記憶しているが、平成の「相互扶助社会」は「地縁」ではなく「知縁」によって結ばれる。そしてその縁は、袖すり合わずとも何重にも形成され、恒常的であるよりも暫定的なものであるという特質をもつ。
昔の共同体は空間的にも時間的にも恒常的に生活のすべてが一つに繋がっていたが、今日の共同体は問題や関心によっていくつもの重層するネットワ-クの環の一つとして成立し、課題が解消すればそこからいつでも離脱できるという側面をもっている。
カ-ル・ポランニ-は「市場の勃興」を近代社会に見られる特異な現象であって、経済というものは本来は社会に「埋めこまれて」いたという。つまり貨幣を媒介とした価値だけで結びつく抽象的な経済ではなく、知ったもの同士、顔を知らなくとも通婚圏でとか、葬式があったら集まる人々の仲間とかいった社会的に色づけられた圏域に応じて経済的な関係をも取り結ばれ、そこには人間と人間との永続的な関係を前提とした「取引」や「交換」が行われていたのだ。
つまり社会的関係が経済行為より優位にあり「互酬」が原動力となり、市場原理が働いたとしてもそれは社会に「埋め込まれた」限定された機能でしかないのだ
日本には伝統的に外国にはない「共同体の智恵」というものがあり、江戸時代まで、農村共同体では「ユイ」という労働交換、「モヤイ」という共同作業、そして「講」(金融講)という相互銀行に発展する機能などが存在していた。
家を建てるために隣の人の労働力を借りた人が、次の年に家を建てた人に労働力を貸すといったものが「ユイ」であり、「モヤイ」というのは、川の堤防つくりや木の伐採など村人達が、協力して行う作業である。
こうした共同体社会でのふるまいは金銭(市場)を媒介にするのではなく「互酬」が中心で、共同体を統合する力は「村八分などのサンクションの背後にある、「運命共同体」的な意識ではないかと思う。
筑豊の生活を描き続けた山本作兵衛は、炭鉱に働く人々のそういう意識や互いに思いあり労わりあう気持を、近代化の中にあっても残り続けた日本人の「原風景」を絵の形で残した

今日、病気やリストラなどで自ら労働市場から締め出された人達が自ら生きんとするために、互いに協力の環を作り上げていく。最近では、ネットワ-クによって互いの情報なども交換できるので、そういう人々が繋がりあい協力して新しい共同体(または会社)を立ち上げ、相互扶助によって生活したり、あわよくば「市場復帰」をはかるケ-スもある。
私は以前、ヨ-ロッパにある音楽家達だけのマンションを紹介したテレビ番組をみたことがある。彼らは才能が及ばずして職業としての音楽家にまではなれなかったのであるが、互いに生活において支えあい今なお夢を奏でている。
現代では、税金を広い範囲から集めて行う政府主体の画一的な公共サ-ビスでは、痛いところに手が届かない、個別的なニ-ズに応えられないなどといった問題意識からNPO法人が立ち上げられるようになった。
NPOは、ボランティア活動に支えられている部分も多く営利を目的としていない組織ではあるが、その活動は市場とは決して無縁ではないという意味で「準市場」領域と言ってよいのではないだろうか
以前よりあった生活共同組合に近似している部分も多い。
こういうNPOが力を発揮するのは、それに参加する人々に「運命共同体」的な意識まではいかないとしても、すくなくとも「明日は我が身か」というような気持ちでの繋がりがあるからではないだろうか。犯罪被害者や不登校児をもつ親なりがネットワ-クにより結びつき支えあうばかりではなく「反貧困ネットワ-ク」や「フリ-タ-全般労働組合」などは政治的な提言を行ったりしている。
危機感は人々は結びつけつつそこから市場を媒介としない「相互扶助社会」がうまれつつあるのだ。

私は最近、横浜の日雇い労働者の町で300円でおいしい定食をだしている食堂を紹介している番組をみた。コンビニエンスの店では、賞味期限切れ3時間までにオニギリなどを回収廃棄することになるらしいのだが、かろうじて賞味期限内という約束のもとでそうした食材をその町の食堂に急いで届けるわけである。
こういう食材をとどける役割を果たしているNPO法人によるボランティアなのだ。
面白かったのは、その食堂の料理長をみんながシェフとよんでいることだ。シェフはもともと一流ホテルの料理人をめざす専門学校で学んだが周りとの競争に違和感をおぼえたという。シェフはこの食堂でホテルの実際に残った食材も調理している。
シェフは客と話すことはないが、一人一人の客のことをよく知っており、老齢の人には細かく切って出すなど出来うる限りの気持ちを料理の中にこめる。300円という制約のもとで、あくまでも最高の料理をめざす。
超安値という特別の計らいの元で生活に困っている人に提供しているという点でも「準市場的」であるし、その前提としてコンビニエンスストアとボランティアという「非市場領域」との連携に支えらているわけだ
アメリカでは、使い古しのものを持ち寄ったりするフリ-マ-ケットというものがあたりまえのように各地でおこなわれている。使った人の魂がモノにやどるというアニミズムの意識がつよい、または世間的に見栄はりたがりの日本社会では、こういうフリ-マ-ケットはあまり育たないと思っていたが、最近では都心でこういうフリ-マ-ケット(中古市場)が開かれているのを見かけるようになった。
アメリカでは、お金持ちが自宅の庭に中古品や骨董品を置いてを売っているのを見かけたが、日本ではこういう「準市場的」な動きは今のところ一般化してはいない。
ヘルプを必要としている人々と、(職業的知識など)自分の保有する資源をもってヘルプを提供できる人々がインタ-ネットにより結びつく「相互扶助社会」の進展という新たな潮流がおきているのだが、実は日本経済成長の最も本質的なことは、市場が封建的な共同体を破壊せずに発展したということだ
近代社会の進展とともに藩も村もイエなど共同体的なものは破壊され尽くしたのは事実であるが、そのムラ的気分や精神は企業や行政、政治のなかにも「ムラ社会」としてしっかりと息づいてきたのは周知のことだ。
日本に転職市場は存在しないというのも、ひとつの場所つまり一つの村で一生いきていけよ、という「一所懸命」のムラ社会だからだ。
よそのムラで生きてこれなくなった人間は、「同じムラの原理」で動く他のムラで生きることは困難と推定され、転職はむずかしい。転職できずに市場から退散せざるをえなかった人々が「非市場」において新たな活躍の場をみいだすこともありうる。
日雇い労働者の町に流れてきた男性が、ささくれ立った気持ちを慰めるために「紙芝居」をはじめたら遠く県外の老人施設からも声がかかるようになったという話を聞いた。

ボランティア元年は阪神大震災と聞く。阪急三田線での電車脱線事故で人々の救助にあたったのはJR職員でもなければ地方政府でもなく、線路周辺に住むフツ-の人々であった。
市場もダメ、公(政府)もダメ、ということにならば、「負け組み」あるいは「負けそう組」を主力として、アンチ市場としての「非市場社会」が勃興しているように思うのですが、いかがでしょう
資本主義は多くの貧困を生み革命を引き起こすといったマルクスになぞらえるならば、過度の競争社会は多くの「負け組」または「負けそう組」を生み出し、アンチ市場社会の勃興という静かなる革命をもたらしている。
そして非市場社会とは、暗き中にあっても「金で買えないモノ」に気づいていく、または「金では買えないもの」を多く手にいれる可能性がある社会でもある