被認知飢餓社会

最近でた「悼む人」という本の題名にひかれた。肉親でもない第三者が、あえて見ず知らずの死者のために「悼もう」とすることに現代的な意味合いを感じたからだ。
主人公は、凶悪事件や大事故に巻き込まれ亡くなった人を「悼む」のだそうだ。ムダとも偽善ともとれる行為を主人公はなぜ「意思」するのか。
昔から「泣き女」という仕事がある。「泣き女」は中国・朝鮮半島をはじめ世界各地で散見される伝統的な職業で、葬儀の時に、家族や親族の代わりに「悲しさ」「辛さ」を表現する為に大げさに泣きじゃくる事を生業と人々である。放浪の民ジプシ-(ロマ人)にはこの仕事に従事する者が多かったという。
「泣き女」は亡くなった人に対する生前への思いを増幅する盛り立て役で、「実は悼んでいない」ということが特徴である。泣く事は「悪鬼」を退けるなどの、呪術的な意味合いもあったらしい。
インドやアフリカでは餓えたまま打ち捨てられるように死ぬ人々が大勢いる。「悼む人」のいない死は、飽食日本とてけして無縁ではない。「悼む人」の悼みが亡くなった人の「偶然性」であり「無名性」に対して向けられたのだとすれば、日本には「悼む人」が登場する必然性がおおいにある。
マザ-テレサの「死を待つ人の家」で働く修道女達は、街角に捨て置かれた人々を介抱ししっかりと手を握り彼岸へとおくる。看取る人が現場にいて死を用意することにより、亡くなる人の死はカケガエノナイモノとなる。
誰が死んでもよかったような死を何も準備されずに強いられ、そのうえ死者数百何十人の一人としてしか扱われないような死を、確かに悼ましいと思う
一般に、小説の主人公のようにたとえどんなに悼ましく思っても実際に遺族を訪ねてまで「悼もう」とは思わないが、死の「無名性」が生そのものの「無名性」の裏返しであり、「悼む人」がそういう無名性に自分自身を投影しそこに強いシンパシィ-やらシンクロシティ-を感じとるのならば、どうしてもそうした「悼まれぬ死」を悼まねばならぬと思う人が居て、それほど不思議ではないだろう。
それは自分を含む各人の生がユニ-クであり、その生死をイトーシム思いから自然に湧き出た気持ちではないだろうか。

現代日本ほど周囲からの認知の欲求つまり「被認知欲求」が高まっている時代はないように思う。
1960年代ぐらいまで、肉親・親族に囲まれ○○んちの○○君として幼少より近所に知られ、会社で長く勤めさえれば一応ヒトカドの人物であるという認知のされ方をしてきた。
しかし現在、核家族、地域崩壊、職場の不安定などからアノミ-化が進行し、そういう確固たる認知のされ方はもはや期待できなくなりつつある。
つまり俺/私がココに居る被認知の確実性が失われて、いついかようにも取替えができる存在でしかないという哀しみがつきまとう。ある人にとってはよほど偉大なことか逆によほど悪いことをしなければ、周りが自分の存在に気づいてはくれないという事態に陥っている。こういう状態が進行している社会を「被認知飢餓社会」とよびたい
「自分の存在に気づいてくれない」とは、誰も自分をかけがえのないユニ-クな存在としては受けとめてくれないという意味である。
しかし、見知らぬ者達であっても仄かな親和感があればまだ被認知飢餓に陥らなくてもすむ。人は周りとの親しげな接触でもって充分幸せなのだ。テレビ中継が始まった時代に、テレビのある家がすっかり「公の場」となって近所の人達があつまって画面を見つめた時代のことをいつも羨ましくおもう。
家族がちゃぶ台を囲んで食事をしたとか、兄弟が蚊帳の中で川の字で寝たとか、そんなものにノスタルジ-を強く感じるのは、そういう親和感が喪失している裏返しかもしれない。
ラフカデイオハ-ンが、日本の何処に魅かれたかというと、一言で言えば社会を穏やかに覆っているそうした「親和感」のようなものではなかったか。親和感とは人々の会話や日常の何気ない挨拶や温かい眼差しなどにみるこまかな情の交わりを通して感じられるものである。お互いに寄り添い安心のなかで身を任せあう関係がそこにはあった。
ハ-ンは、巨大な箱庭のような山陰・松江の町で、見知らぬ人でも逢えば挨拶したり、隣に座れば話しかけたり、安心しきったように居眠りする人々の関係を見て、生活の一コマま一コマが、アメリカですっかり傷ついて日本にやってきたハ-ンの心を癒したのではないだろうか。
ひと昔前の日本では、人と関わりあうのを恐れた。それはトラブルがおこるからでなく、むしろ「情が移る」のがこわいからだったというのを読んだことがある。こういう空気の中では、たとえ見知らぬ人々の中に合っても、自分は誰からも必要とされないなどと思うこともなく、わざわざ自分の死を「悼んで」欲しいとは思わないにちがいない。
小説「悼む人」は誰かに悼んで欲しいと思っている人の話でなく、誰かのために悼まねばならないと意思している人の話である。主人公は災難に出会い亡くなった故人のことを知るために、故人の遺族にこう聞く。
「故人は誰に愛されたか、誰を愛したか、誰かに感謝されて生きたか」という問いだが、これはある程度の年輪を重ねた人間が心密かに行う自分自身への恐ろしい問いかけなのだ。
この問いかけをみるかぎり主人公は亡くなった人達と自分自身を同一化しているようである。だから主人公は第三者の為に「悼む」を意思するのだ。
どんなに偉くなろうと、以上の三つの問いにしっかりと答えられない人生は幸福とはいえないものなのだ。主人公が「悼む人」になったのは、結局自分自身への三つの問いかけのようにも思える。
現在の数多くのNPOの存立を支えている気持ちもそういう気持ちは、人の為に何かをしてあげたい、こんな自分でも何かができるという形での自己認知を求めているといえる。
その「悼む人」も結局はしっかりとした自己認知をしたいという側面もある。身を削ってまでのことはできないとしても、自分の存在がチベットの学校の建設や地雷で傷ついた人の為に役立っている。無名戦士の墓に花を供えることなら自分でもできる。そうした自己認知の願いも、被認知飢餓社会のの一つの側面なのだと思う。

私は1970年代の半ば東京にはじめて出て行った時上野駅で降り、道行く人に「忍之池に行きたいんですけど」と道を尋ねたら、「行けばア~」という返事が返ってきて、何かに突き落とされた気分になった。つまりそんなことを言うヤツは地元福岡では考えられなかった。その後、道すがらブル-スリ-の「アチャ~~」「アチォ~~」という雄叫びを何度も何度も繰りかえした。
先日NHKの番組で、あるフランス文学者が「なぜパリで芸術が栄えたのか」という点で興味深いことを言っていた。それは来るものに対する無関心さなのだという。つまりパリジャンは異邦人には無関心であり、そのため芸術を志すものが胃の腑を冷たい手で絞られるような孤独を味合うのだという。
つまりパリにはハ-ンが松江の町で体験したような「親和感」はないのだ。
しかし芸術家はそうした孤独の中ではじめて自己を問いアイデンティティを問い、自分を見出したものが真の芸術を掴むとのだそうだ。
ただパリという街は、すべてのものが完全な形でブレンドしているという。王侯のモノと民衆のモノ、保守的なものと前衛的なもの、国内的なものと、国際的なものなどである。
モンマルトルの丘には洗濯船とか蜂の巣という名のついたアトリエ長屋が今も残っており、ピカソ、シャガ-ル、モジリア-ニ、マネなども青の時代をここで過ごしている。
そして芸術家達はパリの街角を実によく歩いている。街を歩くなかで自己のアイデンティティを触発するものとの出会いがある。もともと彫刻を目指したモジリア-ニはパリでみつけたアフリカのお面から、あの面長・首長の瞳のない人物画像にたどりつき、その表現形式を自己のものとして獲得した。

東京の街もパリと同じく人々に「孤独」な場を提供してくれるが、東京の雑踏を歩くことが自分の発見に繋がるようには思えない。見つけるのは芸術の香りよりもムキダシの商業主義だったりするから、やっぱりバ-チャル世界にでも身を潜めておいた方がまだ落ち着けるかもしれない、なとと思う。
テレビである作家が、昨年おきた秋葉原の無差別殺傷事件につい語っていた。人々の具体的関係が薄くなった仮想世界ではリアリティ-の飢えがこの国に充満していると。だからこの事件は「バ-チャルな世界」が臨界点に達しつつあることを示しているのだという。
最近バ-チャル世界が現実を侵食していると思える面に気がつく。秋葉原に密集する「メイド喫茶」はその代表だが、その点で秋葉原の無差別殺傷事件はシンボリックな事件であった。
最近テレビによくでる「パフュ-ム」のアイドル3人組の振りつけなんか見ているとバ-ツチャルな感じがして、その方が「生身の人間」を隠してくれて安心感があるのかもしれないなどと思った。映画「バイオハザ-ド3」の登場人物なんて、生身の人間をむしろゲ-ムソフトの画像世界に近似させるような描き方をしている。
1960年代に永山則夫という連続殺人犯は北海道網走から東京に出てきた極貧育ちの青年であった。自分に向けられる「過剰なまでの眼差し」に苦しんだことを供述の中で述べているが、秋葉原連続殺傷事件では、自分に対する「希薄な眼差し」に怒りを覚えたということか。
最近の若者に多いリストカットなどもリアリティ-への飢えであるといった説もあるがバ-チャルな世界と現実世界の関係をそう簡単に結びつけることはできない。自分の手首の血をみて、一体誰がリアリテ-なんて感じられるだろう。
若者のリストカットなどは、自分の存在を周りに訴えているものとしたら、バ-チャル云々よりも「被認知飢餓」こそが最大の原因ではなかろうか。
近年の凶悪事件は、自分という人間を絶対にユニ-クなものとして受け止めてはくれず取替え可能なトーリイッペンの人間としか見ない社会への無意識の憤りなのかもしれない。
個々の犯人が犯行に至る過程は多様ではかりしれないものがあるにせよ、そういう人の中には相当な被認知飢餓に陥った者が多いのではないだろうか。