憲法的世界観の一新

戦後、日本国憲法は天皇制にかわる穏やかな価値を国民に示してきたように思う。
民主主義の実現と世界平和への夢は、敗戦以後の日本人の「世界観」形成に寄与してきた。
憲法には、真の民主主義こそは武器のない平和な社会とつながり、世界唯一の被爆国たる日本が先進的な役割を果たすという含意もあったと思う。
憲法前文の「崇高な理想」「普遍の原理」の由来が必ずしも定かではないが、天皇制の基盤たる神道が明文化された経典を持たなかったのに対して、憲法前文をもって相当数の日本人のが「明文化された理想」を共有したのではないか、と思っている
1992年代以降、その日本が「世界平和」への貢献の為に自衛隊(戦力)を外国に派遣するなどしたことは、憲法9条を中核とする憲法的世界観を否定することにつながった。
何しろ、戦力と国際貢献が結びついたのだから、憲法的世界観は相当ヨジレたと思う。
それに反対し憲法9条を初期の形で擁護しようとした人々は、時代の空気にそぐわないとされても、憲法前文が示す世界観を死守したかったに違いない。
1994年の自社連立政権で社会党が「自衛隊を合憲」としたことは、そうした世界観を支えてきた中心勢力自らがその世界観を葬ったことを意味する。
現世においては、武力行使なくして平和はない、生き残る為には武力をもって戦わなければならないという形で、憲法的世界観を放棄したのだ。
この転換の良し悪しは歴史が審判するとしても、このことが日本社会に対して「防衛問題」にとどまらない甚大なネジレを生んだように思う。
あるいは社会意識のネジがひとつ外れたといった方が良いかもしれない。

基本的人権はヨーロッパ中世の自然法思想から発達したものである。
生命も自由も財産も神より平等に与えられたものという意識の下、権利の行使も主張も「人間の尊厳」という原質にそむかないで行うという意識が働いていた。
欧米で公私の区別がしっかりしているのもそれを物語っているのではないだろうか。
一方、先述の「転換」により憲法的世界観の「崇高な理想」の一端である「武力の無い平和」が命を失ったということは、日本人が現実を超えた理想をもちえなくなった、ひいては個人生活の保持以上の世界像を描けなくなった事と繋がったのではないかと思う
つまり民主主義も基本的人権も世界平和も渾然一体として「崇高な理想」「普遍の原理」としてうたいあげたのが、憲法前文なのである。
その後おきた様々な経済事件に見られる「モラルハザード」とも関係があろう。
また市場社会にあって消費者主権意識があまねく横溢したことも相乗効果があったと思う。
一方で管理社会のストレスを背景に、他方では肥大化した権利意識をもって、スキあらばクレームをつける社会風潮を生みだしたのではないだろうか。
ところで、明治憲法にも幾多の人権保障がなされたが、条文に「法律ノ範囲内ニ於テ」が頭にくっついていたので、法により人権制限ができた。
そのため治安維持法、国家総動員法、価格統制令などにより人権の制限がなされた。
現在の日本国憲法では基本的人権保障はこの前置き(留保)が存在しない。
だから基本的人権は法によって制限される性格のものではなく最大限尊重されるべきこととなっている。
「公共の福祉」によってのみ制約を受ける。
人権は、人権同志の衝突が起きた場合など「均衡の観点」から制約をうけるものにすぎないということだ。
明治時代に「天賦人権」として輸入された権利は戦後基本的人権となり、日本国憲法前文で「人類普遍の価値」「崇高な理想」として位置づけられてた。
それはキリスト教の中で意識された「人間の尊厳」がベ-スとなっている。
しかし、その憲法の理念が綻びだした以上、各々の基本的人権を他者と調和させるべき「公共の福祉」も「人に迷惑をかけない限り何でもOK」という風潮を生み、自ら「人間の尊厳」を傷つける逆説を生む結果になったように思う。
そこで、人権の主張も行使もヨーロッパの自然法思想に対応した、日本人の価値や伝統をベ-スに世界観を再構築しなければ、日本は単なるクレーマー社会に成り果ててしまう気がする。
ただ多少とも希望がもてることは、日本人にはもともと「道理」に従って事態を解決できる「理」と他者と調和しようという「奥ゆかしさ」を兼ね備えた民であったということである

日本の近代の始まりを鎌倉時代としたとしたら、一笑にふされるかもしれない
しかし民主主義の源流を古代アテネにみるのなら、日本の鎌倉期に近代の萌芽をみることはそれほどおかしいことだとは思わない。
なぜなら鎌倉時代の「近代性」は、武士の間で見られる権利意識の拡がりと、それによって生じる紛争を解決すべき「道理」が確立したということである。
当時、「一所懸命」の武家社会で所領争いが頻発していた。
そこで問注所が訴訟を受けつけ、双方の言い分を聞き、引付会議による判決の原案を評定会議(評定衆)に提出する。事実上の判決を下すのが引付衆であったが重要問題は、評定会議で最終的に決定した。
その時の裁きの基準としては律令制はすでに制度疲労をおこしていたため、新たな武家法の必要性が痛感せられた。
そして当時の武家社会で行われていた訴訟審理の慣習、将軍頼朝以来の裁定の「先例」を整理して関東御成敗式目を制定したのである。
こうした裁判の基準となったのが「道理」なのだが、「道理」は先験的にえられたものではなく、先人達が自らの経験を通じて把握し、戦いとった叡知が時代を貫いて伝承されていったものである
ところで、「御成敗式目」は純国産の武家法なのだが、そこに北条泰時が書いた「起請文」というものがある。
「起請」というのは、いわば日本国憲法の前文にあたるが、神仏に誓うという形をとって権威付けられた。
北条泰時は起請文に「政の道において私は道理を順守します」とマニフェストしている

日本人は武家法をもって相互の権利主張による紛争解決のための「理」を自前で生み出したことになるが、こういう日本人の理性的な部分を発見しローマに報告したのが、フランシスコ・ザビエルである。
ザビエルらの考える理性というのは、造物主デウスから人間に賦与されたはずの能力であるが、日本人には造物主というものの観念はないはずだ。
そにもかかわらず日本人に理性の光が輝いていたことにザビエルは驚いたが、そういう日本人なら造物主をうけいれる可能性があるという報告をしているのである。
つまるところ純日本国産の武家法において、西欧のキリスト教に対応した「起請」の要素と、自然法に対応した「道理」の要素を生み出していたのだ。
ちなみに「神仏に誓う」という日本人の精神姿勢に関して、大正末期の駐日フランス大使のポール・クローデルは、「およそ宗教の目的は永遠なるものとの対比の下に精神を謙遜と沈黙の態度の中に置くことであり、日本人の魂の特質は国土の自然の美しさの前に敬虔に頭をたれる「慎み」深さにある。
また日本人は自然の事物、例えば大きな樹木を見ていると、それがそのまま道徳の教えと映る、人が悪に走ることの拒絶の身ぶりにみえる。
さらには、木や石や花の語る言葉に永遠の知恵を語る感覚をもっており、それが彼らの宗教的な啓示となっている」と書いている。

憲法前文の示す「崇高なの理想」や「普遍の原理」は、今読むと現実世界がもたらした重さによっても色あせた感がある。
また世界は未来に向かって段々良くなるといった「進歩主義」的世界観は、地球温暖化の進行から想像される未来像からも崩壊に瀕している、と思う。
そうした憲法的世界観を失った「王権のごとき権利の主張」が昨今の殺伐の空気を生んでいるようにも思える。

昨今、最も本質的なことは、憲法条文の字句云々ではなく、憲法的世界観が命を失っているということではないでしょうか。
日本人には「国家」とは結びつかない素朴で奥深い敬虔な宗教心があることは柳田国男らの民族学が明らかにしてきたことだ。
日本と同じく多神教のインドネシアでは、ウエイトレスが皿を扱うのにも神様に聞きづらい音を聞かせないようにと配慮しながら皿をあつかっているという話を聞いたことがある。
別にそんな信仰心を憲法理念に明示的に入れるべきとは思わないが、少なくとも、伝統が培った「道理」や「自然への畏敬の念」などをベ-スにした、日本人の内奥に響く憲法的世界観の一新が必要なのではないでしょうか。
人類普遍の原理や崇高な理想などを掲げる前に、日本人が今後自らの価値を汲みとれるような憲法であって欲しいと思います。