不可視のインフラ

「インフラストラクチャー」とは、主に道路、鉄道、港湾、水道、ガスなど生活・産業発展に必要な基盤的なものを指すものである。
日本は近代化の過程で、産業面インフラの充実は早い段階からやってきたが、生活面でのインフラのたちおくれはしばしば指摘されてきた。
歴史的にみて、インフラ整備で最も古くて有名な国としてローマが挙げられる
しかしそのローマ帝国も、帝国末期にはそうした大規模インフラの維持コストが高まりのため、財政危機と軍事力衰退をまねき、帝国滅亡の引き金の一つとなったとされている。
また水道管として使われた鉛管から、水中へ溶け出した鉛イオンが、市民たちの体内に長年蓄積した結果、市民の健康被害が広まり帝国衰退の原因となったといわれている。
こういうハ-ドとしてのインフラは、その貧困さも充実度も、体験的にも視覚的に知ることができるため、その整備も時間をかけていけば、なんとかなるものだ。
しかし最近思うことは、人間にとって「不可視のインフラ」とでもいうべきものがあり、この「不可視のインフラ」が貧弱であったり痩せ衰えていったりすることは、国の存亡にかかわることではないかということである

人間はその存在を堀りさげていった時に、他者との共通の「基盤」みたいなものがあって、その「共有」する部分が 人との交流の中で感情のやりとりや言外の言葉の意味を探ったりする、豊かな情動の部分を形成しているのだと思う。
1951年、ベネチア映画祭で金獅子賞金賞を受賞した黒澤明監督の映画「羅生門」は、芥川龍之介の小説「羅生門」ではなく「藪の中」を素材にして製作されたものである。バックミュ-ジックがボレロであったのが予想外に効果的だった。
平安時代、京の郊外で起こった一つの殺人事件をめぐって、盗賊、殺された侍の霊を代弁する巫女、侍の妻、目撃者の樵(きこり)のそれぞれが証言するが、同じ一つの事件について四つの物語を都合よく語るのが、シンプルかつ面白かった
この映画は、何か国家間の歴史観の相違による対立を連想させるものがある。
こうした各自ユニークな「物語」は、人間が自らを正当化したり価値あらしめるために多かれ少なかれ誰しもがやっていることではある。
最近、自分のアイデンティティを誰かと共有できるような物語を生みだす「不可視のインフラ」とでもいうべきものが貧弱になりつつあるのではないか、という気がしている。
国民単位で考える時に、人々がその国の成り立ちである「神話」は、「不可視のインフラ」の最も典型的なものである。日本の場合、「古事記」や「日本書記」というと、戦前の軍国主義教育を思い浮かべるために、あまりよい印象をもつことができなくなったが、実はもっと素朴な形で記紀神話の神々は、軍国主義の時代以前から各地の鎮守の森の祭神としていきずいていたのである。
ちなみにローマ人は、その建国の起源をオオカミとしていたのに対し、日本の場合は天照大神としていたのである。「オオカミ」と「オオミカミ」ではえらい違いである。
「不可視のインフラ」つまり目には見えない心のインフラストラクチャーにどれ程の価値あるのかは、目に見えるハ-ドのインフラの価値と比べて、測りがたいのは当然で、ましてその経済価値なんかを問題にしてはいけない。

「不可視のインフラ」が姿を表すのは、受難の時である
私のごときものが軽々しく「水俣」を語ることはできないが、不知火海の漁民の受難にあって「不可視のインフラ」が強固にその姿をあらわしたことが人々に癒しを与えた。
前上智大学教授・宗像巌氏は、水俣について次のような報告を書いている。
不知火海を中心とする漁民の世界に継承されてきた見えない宗教世界の中から、この受難史を貫いて表出される人間精神の昂揚とそのすぐれた成果を読み取ることである
悲劇の渦中に置かれたにも関わらず、水俣漁村の人々の日常生活には、生きる生命の充実感が満ち溢れている。家族の中の被害者を中心とする助け合いの生活に接すると、この人々の深い悲しみ にもかかわらず、ときおり意外なまでの明るさをそこに見出すのである。
家族や漁村共同体の多くの人々をつつみ込んだ悲しみの共同体験は、人々の間に一時的な不安と緊張を起こしたにもかかわらず、やがて人々の心の奥に流れる生命の連続環を媒介にして、純度の高い愛の共同体験として展開されている。」
これが、石無礼道子女史が「苦海浄土」と奇しくも言い表したような状況なのかもしれない。水俣病多発地帯には、浄土真宗の源光寺や西念寺の門徒が多くいたことを付言したい。
水俣の住民の戦いは、有機水銀という近代の異物を放出した企業体は、水俣の受難体験を経てきた人々の苦しみと悲しみをすべて法律問題に還元し、もっといえば金銭の問題として解決しようとするきわめて冷酷な人間味に欠けた集団を相手にする戦いであった。
そして人々は深刻な病には侵されたが、その精神までもが蝕みつくされなかったのはこの地域に根付いていた「不可視のインフラ」ではなかったか、と思うのである。
受難で思い浮かべるのがユダヤ人であるが、ユダヤ人はヒットラーの「ホロコースト」以前から様々な苦難をなめている。紀元前にはアッシリアやバビロニアに捕囚としてつれ行かれた。
ペルシア王クロスによって解放され、再び祖国の土を踏みその荒廃を目の前にした時にはほとんど茫然自失であったかもしれないが、ユダヤ人は苦難のたびに心の裡なる「不可氏のインフラ」を強化しているように思えるのである
トーラーなどが作られユダヤ人が結束を固めたのも、バビロンから帰還した後に神殿を再建する過程においてであった。 その「不可視のインフラ」がどれほどに強固なものであったかは、紀元1世記に国を失い完全な離散後にもかかわらず、二千年にもわたって今日もなお、そのアイデンティティを失うことのなかった程の強固さであった。

歴史は勝者によって作られるといわれる。それが本当だったら、敗者がどんなに正当性をもとうと、その存在の正当性は表面化されず、すべての正当性は勝者に帰せられる、ということだろう。敗者は、文字通り抹殺される運命にあるのかもしれない。
敗者や犠牲者といえども、「不可視のインフラ」力により滅び去らなかった例を水俣やユダヤの受難に見るのであるが、それは勝者がどんなに都合よく消そうとしても消し去ることのできない力でもあり、死してなお物語る「魂の力」といえるかもしれない
「正史」とよばれるものは、勝者によって書かれるものである。我々が学ぶ教科書もこうした「正史」を基にして書かれているといって過言ではない。
その正史の典型が「日本書記」にはじまる「六国史」で、勝者によってそれ書かれる一例としては、大海人皇子と大友皇子が戦った壬申の乱をあげることができる。
井沢元彦氏は、「逆説の日本史」のなかで大海人皇子が天武天皇になったのだが、実はこの大友皇子は弘文天皇という「天皇」であったという。
大友皇子が弘文天皇ならば、大海人皇子は天皇を倒して自ら天皇となった「大逆罪」を犯したわけだから、自らの罪を隠すために、「弘文天皇」の存在を消し去り、大友皇子は皇子のまま滅んたということにしたという。
大海人皇子つまり天武天皇が歴史編纂に熱心であった理由もうなづける気がする。
仮にこの説が正しいとすれば、歴代天皇の在位代数は、一代分ずれていることになる。井沢氏は、日本の史学の問題点として「正史」に偏りすぎていることをあげている
今年の春、韓国の「光州事件」を描いた映画を見たが、この事件の背後にあったといわれた金大中が逮捕され、この事件を制圧した軍人の全斗換が大統領となり実権を握った。
1973年には、日本を訪れた金大中氏が白昼堂々と連れ去られ、韓国の自宅近くで発見されるという、露骨な日本国の主権侵害および金大中氏の人権侵害がおこったが、その韓国でも1990年代半ば頃よりようやく民主化がなされ、1980年光州事件における軍の「犯罪行為」の全貌が明らかになった
金大中は全羅南道の出身で、光州では人気があり、彼の逮捕が事件発生の大きな原因となっている。 韓国でも差別的な地域といわれる全羅道にある光州市では学生を中心に反政府的活動が行われていたが、突然軍がこの街を包囲し、徒手空拳の者達を憚ることなく銃殺したという信じがたい事件であったことを、ようやく知ることが出来た。
こうして全斗煥は、1980年9月に大統領に就任、87年まで軍事独裁を続けた。全斗煥らは軍事裁判で、事件を「金大中氏を中心とする内乱陰謀事件」とし、同氏に死刑を宣告、多数の民主化運動家を投獄した。
しかし、金大中氏の救命を求める国際的非難に直面し同氏を「刑執行停止」で釈放した。
1987年、ソウル大学生を警察が拷問死させた事件が発覚するなかで、ついに与党代表だった盧泰愚は「民主化宣言」を発表、憲法改正(大統領直接選挙など)を受け入れ、軍事政権は崩壊した。
全斗換またはその類型のものが政権に在る限り、606人にもおよぶ事件の犠牲者達は歴史に完全に埋もれたことだろうと思うと、背筋が凍る思いがする。

歴史は実体があるのか否かという難しいことはわからない。ただ言える事は、歴史はそれぞれの視点で語られるものである、ということだ。
歴史が語られるというのは、もちろん架空の物語が語られるということではなく、最低限、客観的な史料に抵触せず(事実と齟齬することなく)、または論理として整合性を保たないかぎりは、誰もそれを受け入れない、つまり共有されないということだ。
歴史がそれぞれの視点で語られる物語であるにせよ、「不可視のインフラ」に組み込まれる最低条件とは、そういうことであると思う。
柳田国男は、人間の物語る行為について、「人間が物語る動物であるということは、それが無慈悲な時間の流れを物語ることによってせき止め、記憶と歴史(=共同体の記憶)の厚みの中で自己確認を行いつつ生きている 動物であることを意味している」といっている。
物語ることは「不可視のインフラ」つくりの一環ともいえるが、今の日本人が「共有できるほどの物語」は存在するのだろうか、存在するとしたらそれは一体どんなものだろう。
「不可視のインフラ」力はどれくらいあるのだろう?
こういう問題は日本人が「受難の時」に、どう振る舞うことが出来るかという展望にも繋がる。