実験的野心

1960年代終わりごろロッテオリオンズに飯島秀雄という選手がいた。彼は100メ-トルを10秒2で走る日本記録保持者であった。そのスタ-トはロケット・スタ-トといわれ50メ-トルなら世界一であった
当時観客が集まらなかったロッテ球団関係者は、飯島の走力に期待してドラフト9位で指名した。ベ-ス間の距離、投手が捕手に投げる時間、捕手が2塁ベ-スに投げる時間を合計して、飯島選手が盗塁を成功させる確率は100パ-セントだった。かくして野球の経験がほとんどなかった飯島選手はドリ-ム・ランナ-として野球のユニフォ-ムを着ることになった
アナウンスがピンチランナ-飯島の名前を告げるや相手バッテリ-のみならず球場全体が飯島盗塁を待つ。それは異様な雰囲気だったかもしれない。
しかし人々が、盗塁成功率と世界一の走力にそれほど大きな相関がないことを思い知るのにそれほど時間はかからなかった。代走専門選手として飯島選手は他球団の徹底したマークにあい、3年間での盗塁成功はわずか23、盗塁死も17という結果に終わった。
飯島選手入団についてよい印象がないのは、球団の商業主義が陸上アマチュア精神を汚したように思えること、そして総合力を要求されるスポ-ツに「走力」だけを析出しして入団させた球団の「非人間性」だ
バッタ-ボックスに入ることも守備にもつく可能性さえない選手を野球選手としたということは、ある意味ではプロ野球精神も毒したようにも思える。実は飯島選手は二軍で1度だけ打席に立ったが三球三振という結果に終わった。飯島氏はその後波乱の人生を歩む。1983年自動車事故のため懲役1年2ヶ月の実刑判決を受け服役した。その後陸上競技のスターターとして復帰している。
1991年の世界陸上選手権の男子100m決勝で、カール・ルイスが9秒86の世界記録を樹立し優勝した際のスターターでもある。

ヘッジファンドというのは、世界の投資家からお金を集めて巨額の資金で運用する集団投資の一つである。
このヘッジファンドが駆使する「金融工学」に、ベトナム戦争の背後で人間の殺傷コストを計算していた最高の頭脳-(ベスト アンド ブライテスト)の「非人間性」と同類のものを感じとったと書いたことがあるが、それは的はずれではなかった。
実は東西冷戦が終わり軍事予算が削られたアメリカでは、本来ならば国防省や軍事産業企業に就職するはずの優秀な新卒者達が金融界に活路を見出したのである
かれらはロケットを開発するだけの能力をもっており「ロケット・サイエンティスト」とよばれた。彼らはウォ-ル・ストリ-トで複雑な数式を駆使した「金融商品」をあみ出し、「格付機関」もたいした根拠もないのに彼らの生み出した商品にトリプルAの太鼓判を押した。(というより、「格付け機関」も理解できない商品だった)
ヘッジファンドというのは危険を回避(ヘッジ)する資金のことだから、経済が上向きの時にも下向きの時にもそれなりの利益をあげ、よほどのことがないかぎり損は出さない仕組みである。
最近、シンプソン裁判における弁護士チ-ムなどドリ-ムチ-ムという言葉をよく聞くが、ヘッジファンドの世界でもLTCM(ロングタ-ム・キャピタル・マネ-ジメント)というドリ-ムチ-ムがあった
二人のノ-ベル経済学賞受賞者と元FRB副議長も参加し、経済のプロ中のプロ集団ということで人気をよび多くの資金が集まった。実際に40%といういう驚くべき利益率をあげたが、1997年以降のアジア経済危機やロシアのデフォルト(債務不履行)で実質的に破綻した。
結局、LMTCがどんなに確率の公式に相場をあてはめようとしても、公式の中の不確定因子は式からのぞくわけにはいかず、「ロケット・サイエンティスト」というような優秀な頭脳をもってしても相場にまとわる不確定因子にうち勝つことはできなかった。

近代的自我の目覚めはデカルトの「我思う故に我あり」からといわれている。
デカルトは神の存在を否定しなかったが、物事の基点を神ではなく人間の理性をおいた。つまりデカルトは理性を通じてすべてを懐疑し、疑い得ないところから出発するという実験的「精神」の持ち主だったわけだ
飯島入団をはかった球団とヘッジファンドLTCMの共通点は、100パ-セントの成果をハジキだそうとした実験的「野心」ということではないだろうか。たとえ不確定因子があったにせよ、それを凌駕できるほどの能力(仕掛け)があると思えたが、実際は不確定因子の方がはるかに強力だった。
まずは飯島選手の場合、走者と投手・捕手との駆け引きという不確定因子は過小評価されたようである。
反面、飯島選手が登場する試合ではロッテのチ-ム打率がとてもよいというプラス因子が働いた。つまり盗塁阻止のために相手投手の集中力をそぐという意味で飯島選手の存在は勝利に貢献したのだ。
「実験的野心」ということならば、1949年に日本でおきた光クラブ事件を思い出す。
光クラブは東大生山崎晃嗣によって設立された。山崎は、学業面では「全優」を自らに課した。山崎は学業そのものに関心をもっているのではなく、誰も成し得なかったことをするというのが主要な目的であった。
山崎は基本的に人生を退屈だと思う一方、一日の行動を30分刻で区分して重要なものから優先順位をつけ日記風に記していた。
勉強を「有益時間」とよび、恋人を遊ぶ時間を「女色時間」、空想などを「無益時間」として、あらゆる面で徹底的に合理主義を貫いた。しかし闇金融(物価統制令違反)が発覚し警察で取り調べを受けたことがきっかけで客が離れ、光クラブはわずか1年余りで破綻した。
「望みつつ心安けし散るもみじ理知の命のしるしありけり」という遺書を残し、青酸カリで自殺した。
山崎の短い生涯に、「狂人とは理性以外のものを失った者のことである」という言葉を思い出す。

それまで神の意思をいつも慮りながら生きてきた人間がデカルト以降、理性だけをたよりにしても結構うまくやれることを知った(「第二失楽園」とでもいうべきか)。否、神不在の方が自由に何でもできる、自然を自由にコントロ-ルし、社会を思うように管理し、人間の運命までをも支配できると錯覚した。
つまり近代以降人間は自然・社会・運命などでコントロ-ルできない因子をできるだけゼロに近づけようとしてきた。そのことが皮肉なことにさらに大きな不確定因子を育ててきたと気づかないまま
自然も経済も社会も巨大な不確定因子にさらされ、コントロ-ル困難になりつつある。