アラブとイスラエル

アラブとユダヤの戦いが続く。歴史に意味があるならこの事態の本当の意味を知りたいところだ。
ユダヤとアラブは同じ神を信仰し、一方はヤ-ウェとよび他方はアラ-とよんでいる
ガブリエルという大天使がマホメットに語ったことをまとめたのがコ-ランだが、この大天使ガブリエルはキリスト教ではマリアへの受胎告知の有名な場面で登場する。
エルサレムはユダヤ教では聖なる都、ユダヤ教を母体とするキリスト教ではイエスの十字架の死と復活の聖地、イスラム教ではモハメッドが幻となってユダヤの神殿の上に現れ昇天したという聖地、となっている。
パレスチナは、ユダヤとアラブそれぞれが神に与えられた土地と主張する。長年離散しユダヤ人が留守にした土地に第二次世界大戦後イスラエル国家ができユダヤ人がアラブ人を押しのける形で住み着き、パレスチナ難民が生まれた。確かに3000年以上も前の証文(聖書)をだしてきてオレの土地だと主張し建国を正当化するイスラエル側および支援国もかなり横暴な気がする。
結局パレスチナは国連介在でユダヤ人居住区とガザ地区などパレスチナ人(アラブ人)居住区と分けたが、地図を見るとまるで市松模様のように入り組んでいて、この居心地の悪さでは戦争とテロがおきても仕方がない。
そして今日先鋭化しているアメリカとイスラム原理主義の戦いは、パレスチナに帰趨しパレスチナが磁場となっているということだ。さらに、サラとハガルという女の戦いに淵源する。
聖書はハガルが生んだ子イシマエルの子孫すなわちアラブ人に対して次のように預言している。
「彼は野ろばのような人となり、手はそべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵してすむでしょう」(創世記16章12節)
この預言は一族と袂を分かって洞窟に住み世界に弓をひくオサマ・ビン・ラディンその人に、なんとピッタリなのでしょうか。

アブラハムには子がなく、妻サラ同意の下で奴隷ハガルに子を産ませた。それがイシマエルであるが、サラはいい気になったハガルに苦しめられる。しかし自分の子が欲しいというサラの切なる訴えは神に聞き届けられ、生まれたのがイサクである。
「イサク」とは、笑っちゃうほど高齢で生まれたので「笑う」という意味の名前である
そして今度はサラによってハガルとイシマエル母子はカナンの地から追い出されメッカに流れ住む。
イサク・ヤコブと続く系統がユダヤ人で、イシマエルの子孫がアラブ人となる
要するに今日のアラブとイスラエルの戦いはル-ツをさぐれば、腹違いの兄弟という「骨肉の戦い」というところに行き着く。
しかしサラに嫌われ家を出され荒野をさまようハガルの子・イシマエルを神は見捨てない。
「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう。」(創世記21:17,18)
ところで国際テロ組織アルカイダの首領オサマ・ビン・ラディンとは何者か
オサマはサウジアラビアでモスク建設など一手にひき受ける建設会社を経営する大富豪の下に育ち、52人の子供の中で11番目の妻による17番目の子として生まれた。
若い頃は他の富豪の息子達と同様に、ベイル-トなどのバ-やナイト・クラブにかよい湯水のように金をつかって西欧文化の自由と享楽を味わった。しかし親譲りの建設事業でモスクの修復事業に関わるうちに魂の更新を経験した。
アラ-を身近に感じ敬虔な生活をしようと思うなか、イスラム原理主義者との交流が増えた。 サウジアラビア国王がアメリカで教育をうけ発狂した甥に殺害されるにおよび、多くの若者が西欧の腐敗から逃れる道はイスラム原理主義に立ち返る他はないと思うようになっていった。
1979年イランでホメイニが親米のパ-レビ政権を打倒したのは原理主義者を勇気付け、ホメイニ革命の浸透を恐れたアフガニスタンにソ連が侵攻するにおよび、オサマ・ビン・ラディンは完全な過激派へと変貌したのである
そして父親が飛行機事故で亡くなるとオサマは莫大な財産を相続したが、アフガニスタンにむかうことで一族の事業とは完全に袂をわかつことになる
アフガニスタンにはソ連と戦おうというイスラム戦士が多く集まった。(スペインでフランコ独裁政権と戦った義勇兵による人民戦線に似ていますね) 無神論国家と戦うそれはジハ-ド(聖戦)という言葉にぴったりであった。その中でも最前線で勇敢に戦うオサマの姿は多くのイスラム戦士の尊敬を集めるようになる。
タリバン政権に充分にその存在を受け入れられカリスマとなったオサマは、豊富な資金力と組織作りの力量を活かし、多数の戦闘的原理主義者をアフガニスタンに集めた。
ソ連との戦いでアメリカの支援はうけたものの作戦の主導権は渡すことはなかった。そしてアフガニスタンの原理主義者は単にソ連を追い返すだけではなく、純粋な意味でのイスラム国家建設を目指すことになった。
そして皮肉なことはソ連撤退後はアメリカがそうしたイスラム原理主義の最大の敵となったのである

アフガンで現在作られているイスラム原理主義国家の実態はおおよそ次のようなものである。
カブ-ルにあった映画館は閉鎖され、国外で出版された本、新聞、雑誌も禁止された。そのほか禁止項目には、玩具、ゲ-ム、トランプ、カメラ、タバコ、アルコ-ルなどである。
芸術面でも宗教歌以外のあらゆる種類の音楽が禁止となった。バ-ミヤンの大仏なども破壊され、仏教関係者を嘆かせた。しかしタリバンの影響力が全土に及んでいるわけではないので、民族と結びついた音楽や踊りまでが消滅したわけではない。
女性はブルガと呼ばれる頭から足先までも覆う布を身につけるようにされ、親族の付き添いがない限りは、家から出ることは許されない。女子のための学校は閉鎖され、女性が家の外で働くことも禁止された。また化粧やマニュキュア、ハイヒ-ルなどで身を飾ることはすべて禁止されている。
自動火器で武装した10代の少年達で構成される「宗教警察」がひっきりなしにパトロ-ルし、テレビやビデオは社会腐敗の根源であるとして家庭に踏み込んでたたきこわした。
こういう戒律の厳しい社会にあっては、アメリカの産業主義が生んだ文化を「堕落」としか映らないのも頷ける。
ところでユダヤ教を母体としたキリスト教の中でも「清教徒」という一派がアメリカをつくったのである。
キリスト教はパレスチナで生まれたがヨ-ロッパで在地の異教と習合し、カトリックという独特の信仰や教会制度が生まれた。キリスト教はユダヤ教的戒律からは自由となったものの、カトリック教会が主宰する儀礼的なものが人々の日常を拘束していった。(カトリックがいかに異教との習合宗教であるかは「ダヴィンチ・コ-ド」が明らかにしています)
宗教改革はある意味では異教的な部分を払拭して、不完全ながらも初代教会の原点にもどろうとしたものであった。在来のカソリックが強い基盤の上ではその実現は難しく、新大陸に信仰の原点を求めた人々によってアメリカが作られた。その意味でアメリカ移民は部分的にはパレスティナ回帰だったといえる。
さらにアメリカでは自らの意思で政府を作り上げる過程で民主主義、自由にもとづく資本主義経済を生み出したがその上層部をユダヤ人が占めた。その結果当然、イスラエル支援国家となり、アラブとは水とアブラの関係になったのだ。
アメリカは、社会主義国家とのイデオロギ-対決の過程で、多くの移民を自由や民主主義などアメリカ的価値観のもとで統合して勝利し、今や「グロ-バリゼ-ション」の名の下にアメリカ的価値を世界に広げようとしている。この動きを強く後押ししているのはユダヤの財力(ネオコン)が今日の特徴である
アメリカ的価値である産業主義・商業主義などを拒否しようとしているのがイスラム原理主義だが、そうした産業主義を根底で支えているのはロックフェラ-などのユダヤ人であることを考えると、アメリカ的価値観とイスラム原理主義の戦いは、結局パレスチナ紛争の壮大な別バ-ジョンまたは変奏曲として捉えることができる。

今日の世界情勢を一言でいうと、アメリカ的価値を広めようとする動きと、その価値観を根本的に拒絶しようとする動きつまりイスラム原理主義がせめぎあっている状態、ということがいえる。
アフガニスタンが両者の波打ち際のような様相を呈しているのは、タリバン政権がオサマ・ビン・ラディンをうけいれたことによる。
タリバン政権はソ連のアフガニスタン侵攻の際に、パキスタン北部に逃れた難民となった若者達がキャンプ周辺のイスラム教原理主義の神学校に通い育った集団である。彼らはアメリカの武器をうけてソ連と戦ったのだが、ソ連撤退後はむしろアメリカに歯向かう手強い存在となったのである。
タリバンは「神学生達」という意味で、アラ-のためには命を惜しまないジハ-ジスト(聖戦主義者)の集まりなのだ。
今、天然ガスや石油の埋蔵地域である中央アジアにパイプラインを建設したいアメリカは、何とかこの地域に勢力を扶植したいのだが、それに強固に抵抗する牙城を自らの手でつくてしまった。
その意味でアフガニスタンは、文明および野蛮の衝突する場所である
溯ればアフガニスタンはガンダ-ラ文化を生んだ地域だ。つまりギリシア文化とインド文化の衝突がおこった場所である。そしてギリシア彫刻の影響で初めて仏像が作られるようになった。
この出会いがなければ日本の仏教文化は全く異なる様相を呈したにちがいない。またそこでで暮らした人々の多くが彼らの気質が日本人に近いことを指摘する。

平和主義やヒュ-マニズム(人間中心主義)には反するが、私的見解をいえば、アラブとユダヤの戦いは神によって仕組まれている ように思えて仕方がない。
聖書によれば、瀕死に近い状態で彷徨う女奴隷ハガルの子イシマエルを荒野の中から導き出し、「大いなる国民」(アラブ人)としたのは神の意思であったことがわかるし、そこには両者の対立も織り込み済みなのだ。
ということは中東に今日に繋がる火種をセットしたのは神自身ということになる。
神が如何なる計画の下に火種を「仕組んだ」かは不分明だが、絶えず悩みと苦しみを置き人を「潔める」のも神の業なのだ。
憎しみの拡大がなんで「潔め」なのかという反論が出そうですが、そうした憎しみの帰結たる廃墟の中でこそようやく、人は人たることを思い知る、ということもある。

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタイ10:34)