銅鏡と日本資本主義

人の心に質量などはなかろうが、どの民族の精神にも或る種「重石」のようなものがある。
それが精神や文化に深みを与え、それへの対応こそが民族の道筋(歴史)を多く規定している、といえる。
そうした「重石」こそが民族を一つに結びつけており、ある場合にはそれは「共犯意識」でさえあるかもしれない。
欧米人にとって「エデンの園」の出来事とそこからの追放がどれほど大きな「重石」としてあるか、ということは欧米の芸術が、その出来事を事実ではなく神話かもしれないにもかかわらず、「はなはだしくそれを指向している事実」からもわかる。
神は、エデンの園において人間が神の言葉にそむく様をつぶさに見据えておられるのであるが、日本人には昔から「お天道さまが見ている」という言葉があるように、「エデンの園」追放のごとき「重石」はないにせよ、そのやることなすことを「天からすべからく見られている」という意識はかなりあるように思う。
それが「重石」といえば「重石」であり、この重石こそが偽りなきまっすぐな心つまりは「正直な心」を尊ぶ文化を生んだと思う
日本の古墳群から多く発掘されるのが銅鏡である。日本人はこうした鏡をどのように使用したのだろうか。日本人の精神のヒダを解く一つのカギはそこにあるようにも思う。
古代、鏡は神と人の心をつなぐ役割を果たしたのではないだろうか。鏡は人の姿を映し、心の中を奥深くあからしめるようほどの光を集めることもできる。
曇りなき鏡がもっとも光を集めるように、もっとも玲明な心こそが神をもっとも映しだすことができるというような類推は、果たして働かなかっただろうか。
銅鏡の裏側を鏡背というが、そこに二つの紐がつき、模様が隙間なく刻まれている。紐が二つあるということは、鏡を木の枝に紐で結んで下げていた習慣を推定させる。
それは古事記や日本書紀の、榊の枝に鏡を掛けて天皇を迎えたという説話と合致する。
錫の含有量の多い白銅鏡は研磨することによって鏡となり、特に凹面鏡は光線を一点に集めることが可能である。
巫女が神の声を聞いて、吉凶の審判や予言を口に表すのがシャ-マニズムであるが、その際重要な祭具としての役割をするのが鏡であった。木の枝や棒の先に掛けた鏡が凹面鏡だとすると、平面鏡よりも光を強く反射しするから、これを見るものが目が眩む。
そこから発せられる言葉は、神の言葉として降りてきた印象を与えることになる。

ところでマックス・ウエーバーが明らかにした重要なことがらの一つは、欧米において資本主義の発達以前に「資本主義的な精神」が形成されていたという事実である
それはマルクスいうところの下部構造が上部構造を決定する、つまり生産力および経済関係が人間の精神構造を決定づけるという考え方とは明白に反するものである。
もちろん、この「資本主義の精神」はそれまであった伝統的な利殖の心得とは根本的に異なるものである。
「資本主義の精神」を要約すると、経済的な営みの結果生まれた「利潤」は、神の召命の証明であり、「救いの立証」ということである。これぞプロテスタントがカソリックに「反抗」して生みだした新たな理念である。
聖書は一面では「地上に宝をつむな」と教えるが、「宝のあるところに心がある」という言葉からすれば、己の栄誉、もしくは享楽や貪欲を戒めた言葉であり、この場合神の救いの立証たる「富」とは区別されるべきである。
また聖書には「タラント」のたとえ話がある。5タラント、10タラントを預かった農夫はそれぞれ、それを倍にして返したが、1のタラントを授かった農夫が1タラントのまま神にかえしたら、神は怒ってそれをなぜ銀行に預けなかったかと責める話である。
これは与えられた才能(タラント)を充分に生かして、経済的利得として増やさなければならないというようにも解釈することもできる。
新たな社会を切り開いていく「資本主義の精神」が、利潤=救いの立証であるならば、神の栄光をますためには合理的経営システムの追及ということにもなろう。
資本主義という世俗のシズテムは、極めて宗教的なインセンテイヴをもって動き始めたといえる
ところでこういう資本主義の精神は、アメリカではベンジャミン・フランクリンの生き方と思想に典型的に現れ、彼が自らに課した「十三戒」は、きわめて禁欲的であると同時に功利的である。
彼自身は、印刷工場を経営し新聞の発行なども行っているから、ビジネスのあり方と結びついた哲学が明らかにされている。
その中で一番印象的なのは、「正直の哲学」である。
それも「道徳的な正直」ではなく、正直であることが結局は利益に繋がるという功利主義的な「正直」である
ちなみに、英語の「正直」は「Honest」であるが、「Honor」すなわち「栄誉」という言葉にも近い。

日本人の場合にも、資本主義が発達した背景にはこの「正直」や「質素」・「勤勉」の精神が、経済的な精神基盤として広範に広まっていた点を見逃すことはできない。
1637年島原の乱の時、天草では唐津の大名である松倉氏や寺沢氏の飛び地であったがその苛政に対して農民達が反乱をおこした。この乱に幕府は、知恵伊豆と称された松平信綱までも引っ張りださざるをえないほどその鎮圧に苦慮した。
その松平信綱に従ってきたのが鈴木重成で、そのまま天草の初代の代官となる。
重成が天草再建のためにしたことは、九州諸藩からの移民政策、行政組織の再編、そして民心の安定のために禅僧の弟・鈴木正三を呼んだ。
正三この時64歳で、天草に滞在した三年間で何十という寺社を創建・再興した。
もともとは鈴木氏は徳川譜代の家臣で三河武士、関が原や大阪の陣でも戦っている。そして正三が大阪に勤番中に「四民日用」という書を書き、これが説いた内容がプロテスタンティズムの精神と重なるものが多く見られるのである
鈴木正三の哲学を審らかにみると、人それぞれに「天より授かり給わる」役割があり、その天職に他念なく専念することが自らの救済になるばかりではなく、社会にも有益であることを示している。
正三の言葉をあげると、「他念なく農業をなさんには、田畑も清浄の地となり、五穀も清浄食と成て、食する人、煩悩を消滅するの薬なるべし、天道此人を守護したまわざらんや
「浮世の旅成ることを観じて、一切執着を捨、欲をはなれ」ることの重要さをといて、これまたプロテスタントの禁欲と重なっている。正直に商売をしていれば、自然に利潤がうまれるとして、利潤を肯定している。
「正直の人には、諸点の恵み深く、仏陀神明の加護ありて、災難を除き、自然に福を増し、衆人愛敬」
また、「仏法と渡世の術は同じで、各々の職分の中に仏法を見出せ」と説き、「一鍬一鍬に、南無阿弥陀仏を唱えて耕作すれば、必ず仏果に至る」といっている。
禅宗というのは、寺という道場で勤労を重んじる風があるのも、鈴木の思想形成に大きな影響があったのかもしれない。
欧米の資本主義を源流にまで遡ると、旧約聖書の「ヤコブの産業」に思い至るのであるが、日本の資本主義の源流に遡っていった時に、私はその極限点に「古代の銅鏡」があるように思う
もともと、日本人は太陽崇拝であり、「天照大神」を崇拝していたのであるが、鏡に光を反射させながら、太陽の光が鏡に反射し自分にも向けられた時に、己の心や行為のすべて明らかにされたような畏れを感じたと思うのである。
そして、江戸時代初期の鈴木正三は民衆の日常に目を向け、毎日自分に与えられたそれぞれの仕事に精一杯打ち込んで働いていけば、それが人間として完成していくことになると説き、宗教、禅、念仏にとらわれずに世俗的な職業に励むこと自体が、仏教修行であると説いたのである。
ウエーバーによれば、まず禁欲的プロテスタントは、神の栄光を増すために、神から与えらた自らの天職に専念し、そのために修道院の禁欲生活ではなく、「世俗内的禁欲生活」を送った。
鈴木正三は、職業倫理を日本で初めて説いた禅僧とも言われているが、正三も「世俗内的修道」としての職業を説いている。そしてこの考えを広く民衆に広めるため、各地の寺の整備にも努めたのである。

日本の多くの企業が世界ブランドになりえた要因の一つは、不良品や欠陥商品が出なかったことにあった。
モノ作りの現場で、ひとりひとりの労働者のボルトの締め方から ハンダのつけかたまでウソやゴマカシがなかったからだと思う。
つまり「正直」と「勤勉」のエートスが「重石」のようにあったからこそ、欠陥品や不良品を生むことが比較的に少なかったのではないかと思う。
こういう精神的態度が一朝一夕に築かれるものではないことは明らかである。
最近の「派遣切り」の問題は、そういう精神態度を根底から崩しているように思えて仕方がない
「契約」だからといって切ってしまえば契約社員が路頭に迷う事は目にみえている。
正直というのは嘘をつかないなどといった消極的な態度ではなく、危機にあっては痛みを全体で分担する道とか、皆が生き残れる道を探るといった積極的な態度をさすものだと思う。
今、仮に景気回復がなったとして、一度切られた人々が新たに働く場を与えられた時に、はたして前と同じ気持ちで「正直」に働けるだろうか、企業がやすやすと「切った」人々によって「切られる」ということにはならないだろうか
またウエーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、合理的な経営システムが確立してしまうと、「禁欲のエートス」が失われていく事を指摘している。
それどころが、強欲によって資本主義は自らの足元を喰い尽くしている感がある。
「国有化」という集中治療室が満室にならないことを願うのみである。