バス停の君

中国の新聞に「日本女生最想嫁的男性名人、排名第一的是影」と紹介された人物がいた。その人物とは、シンガ-ソングライタ-の福山雅治のことです。
私は福山氏の容姿には全く親近感を持てませんが、福山氏の歌には意外にも共感がもてます。
そこで、こちらで勝手に親しみをこめて福山君とよばせて頂きます。(静粛に!福山君が私がごときに「クン」とよばれることを許せない人は「キミ」と読んでください。)
福山君の歌の中でも特に「明日のShow」や「虹」などがとてもいいです。何がいいかというと、福山君の歌は人生の応援歌、それが言い過ぎならば「元気回復ソング」、つまりは「心のリポビタンD」なのです。
私のような年代の者にとって「人生の応援歌」といえば1960年代に一世を風靡した水前寺清子がいます。
清子の歌は、つまるところ「オラサ東京さでて一旗あげるっぺ」、または「人のやれないことをやれ~」といった青雲の志を抱いたヤル気ムンムン男子への応援歌なのでした。
彼女の「いっぽんどっこの歌」に代表される、「ボロは着てても心は錦」といったヤボったさも時代を反映していましたが、福山君のそれは「錦は着てても心はボロボロ」的な現代人、特に管理社会で「禿げ増した」人々への「励ましソング」になっていると思います。
福山君には尾崎豊ほどの激烈さと同居する脆弱さはないのですが、歌詞の中には弱さや挫折感がふっとおりこまれていて、それが迷える子羊のような現代人への心へすっと沁み込む浸透力があるように思います
歌詞を少し紹介すると、
明日のShow」では「♪憧れ描いた夢は、ちょっと違うけれど この場所で戦うよ 敗れたって何度でも 立ち上がれ 明日のShow♪」や「」では「♪ただ雨にうたれ 虹を待っていたんだ 疑いもせずに ただ地図を広げて ただ風を待っていたんだ こたえもなく♪」などと共感がもてる歌詞がちりばめられています。
最近のヒット曲「化身」は、岩崎宏美の名曲「聖母たちのララバイ」を思い浮かべます。
岩崎宏美の歌は現代社会という戦場の真っ只中で傷ついた男性をいやし元気づける聖母のような女性がイメ-ジされています。
ただ、「聖母たちのララバイ」が戦士の如く働く企業マンへの子守歌といった感じなのに対して、福山君の「化身」は戦いの埒外にハジキ出されそうな人々の苛立ちをも表現しているようにも聞こえます。
「♪消せぬ後悔も 癒えぬ傷跡も たしかにあるから せめて今だけは忘れさせてくれ キエタイ ニゲタイ アイタイ いま聖女になって抱いてくれ ふるえる心眠らせて 遊女のように抱かせてよ 汚れた世界を壊して 君は愛の化身♪」福山君にしてはかなり激しい歌詞ですね

さてかような歌つくりを行う福山君とは一体何者なのか知りたくなったのですが、福山君のベースには「旅」があるようです。ヒット曲「旅人」や「幸福論」の語りかけるような歌にそれをみることができます。
福山君は旅についてこんなことを書いています。
「旅行に行くと悪いことばかり考えるんですよ。ツア-なんか行ってホテルの部屋で一人、なんていう時には、決まっていやな思い出とか、そんことばかり浮かんでは消え、浮かんでは消え、ってパタ-ンなんです。旅っていうのは、そもそも自分のイメ-ジを変えるものだったりするじゃないですか。過去を忘れるためとか何とか。まあそういう願望があって旅に出るんだと思うんだけれど、過去を忘れるというより、より強調するための旅になったりするんです、今までの場合。あ~ぁ、おれはダメなヤツなんだなぁ」てな具合に。
福山君にはよほど厭な過去でもあったのでしょうか、よくわかりませんが、福山君は家計があまり裕福ではなかったようです。
小学校の五、六年生の頃から新聞配達のアルバイトをしていて、将来は音楽の先生になりたかったようですが、家庭の事情で進学をあきらめました。
福山君は、長崎の工業高校時代に兄とバンドを組んで音楽活動をはじめいつしかミュ-ジシャンに憧れるようになります。福山君はギター、兄はドラムを敲いていたそうです。
そんな福山君は、意外なことに茶道部に所属していたそうですが、その理由はお菓子が食べられるからだそうです。 私の知り合いの女子にそいう人がいましたが、男子でお菓子を食いたくて茶道部に入った人など聞いた事がありません。
福山君はバスで学校に通っていたそうですが、近くの女子高生のファンクラブができて「バス停の君」といわれていたそうです。私はいつも「バス亭の隅」にいました。
福山君の兄は自衛隊に就職し、福山君は高校卒業後地元で電機会社で数か月間働いたようですが、あまり仕事には身が入らなかったようえす。
ところで福山君にはなぜか米軍基地の影があります。ミュージシャンをめざし上京しはじめて東京で生活をした町が昭島市の福生です。
福生といえば横田基地の町で、村上龍の芥川賞受賞作「限りなく透明に近いブル-」の舞台となった町です
ところで、米軍基地が芸術性や創造性をかきたてた芸術家やアーチストは結構います。青森・三沢基地の寺山修司、長崎佐世保の村上龍がその代表ですが、基地というものが福山君の精神性に何がしかの影響を与えているのかと想像しています。
つい最近のラジオ放送で、福山君は自ら被爆者2世であることを告白しています
2009年8月11日「長崎原爆の日」FMのレギュラー番組に出演した福山君は、「父親はもろに被爆しました。母親 も厳密に言うと被爆してることになる。だから僕は被爆2世ということになる」といっています。
年譜を見ると、高校卒業後、父親が他界しており、兄も自衛隊に入隊していたため、母親をひとり残して東京に行くことができず、地元の電気会社に就職することになったようです。
上京する時は、さすがにミュ-ジシャンになるとはいえず古着屋になると言って出て来たそうです、

私は福山君がなぜ長崎の町を出たのかは知りませんが、福山君がデビュー時のオーデションで歌った歌が泉谷しげるの「春夏秋冬」だったそうです。あの歌の歌詞に「♪季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち 夢のない家をでて 愛のない人に会う♪」といったフレーズがありますが当時の福山君の心情を物語っているようにも想像しています。
また泉谷氏の歌にも、福山君の本質的な「旅人」性と共通部分があるようにも思います。
福山君はある面接で、特技を聞かれた際に「材木担ぎ」と答えたそうです。福生で生活していた時にピザ屋の配達、日雇いの運送屋のアルバイトそして材木屋でアルバイトをしていたようです。
ライブ活動をしながら1988年にあるオーディションに合格し、俳優デビューしています。1993年 フジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下で」で人気に火がつき、歌手としてもブレイクしたようです。
昨年、福山君主演の「容疑者Xの献身」を見に行きましたが一皮むけた演技がとても良かったと思います。

実は最近、福山君に会ったことがあります。東京に行った時、一人有楽町で食べましょうと歩いていた時、ちょうど日本放送の前を通りかかったら20~30名ほどの女性の集団からワッと嬌声があがったのです。
何事かと振り返ったら、なんと福山君がタクシーに乗り込もうとしているではありませんか。
私も少し近づいてみたかったのですが、さすがに30から40代女性達の固い垣根をかき分けるほどの勇気はありませんでした。そんなことをしたら私はマンホ-ルの蓋になっていたことでしょう。
福山君の放送を聞いたことはありませんが、ラジオでの福山君の話は下ネタずきの単なるアンちゃんといった感じだそうです。
本人の弁によると、学生時代に深夜ラジオで「オールナイトニッポン」で笑福亭鶴光の下ネタの影響が大きくラジオ=下ネタという恒等式が彼の中で確立してしまっているそうです。

ところで福山君の最大のヒット曲「桜坂」の地は、東急多摩川線の沼部駅からほど近い大田区田園調布本町に実在しています
普段は閑静な住宅街のなんでもない坂道が、桜の季節のほんの2週間程だけ、 桜のトンネルのようなみごとな景観を創り出して、そこを通る人の目を楽しませてくれます。
昔から桜の素晴らしさは有名でしたが、 福山君の「桜坂」のヒットでその名が全国に知れわたってからは、 この坂を目的にここを訪れるカップルが絶えないそうです。