ワイルドでいこう

新春カルタ取り大会で、和服姿の若い女性がカルタを電光石火はたきだすシ-ンはワイルドすぎる
いどみかかるような中腰で目をサラにしてカルタを探し出しだす。そして突然手を伸ばす姿は、両生類が外見では想像さえ出来ないナガイ舌を突然に伸ばして一瞬で餌を奪い去るシ-ンを思い起こす。
あれなら「元気のない歌のお兄さん」の方がまだ許せる。
瞬間高速カメラの世界では、女流カルタ名人の顔はどれほどに憤怒の形相をしていることか、彼女なんぞをお嫁さんにするのはどんなオトコか、彼女らにひっぱたかれたらどうタチウチできるのか、逆にソレッテイイと感じられるオトコなのか、などとイラヌ想像までしてしまう。
もうちょっと「マイルドで行こう」

1969年に全米第2位のヒットを記録し、ヘビメタ・ロックとしては異例の大ヒットとなった「ワイルドで行こう」を歌ったのはカナダのロックバンド・ステッペンウルフだった。ステッペンウルフは、ヘルマン・ヘッセの代表的小説「荒野のオオカミ」からグループ名をつけた。
原題の「Born to be wild」は、自然に生きようと訳した方がいいかもしれない。世の中のしがらみや体裁、うさんくさい中産階級のモラルやプライドから抜けだし、ヘッセの終生のテーマ「私は自分の中から出よう」を生きてみようとしてつくった曲だ。
「ワイルドで行こう」は、アメリカ映画「イ-ジ-ライダ-」の映画音楽としてつかわれた。前ハンドルが異常に屈曲したバイクにふんぞりかえって乗っかったピ-タ-・フォンダにあやかり、当時中学生であった私も自宅周辺以外ではふんぞり返って自転車に乗っかって走った。
それから10年後に実際に中型オ-トバイ免許をとり「初心者マ-ク」を車体に貼りつけ走り回ったあの勇気と勢いは、いまはイズコへ
オ-トバイ野郎といえば、最近映画化されて注目されているチェゲ・バラも、旧いところででは「アラビアのロレンス」のト-マス・ロレンス大佐もそうだ。
彼らは「いいとこ育ちのオ-トバイ野郎」という共通点をもちゲバラにせよロレンスにせよ、何ゆえ荒野を目指したのか
第一次世界大戦が始まる前アラブ地方はオスマントルコに支配されていた。大戦が始まると、オスマントルコはドイツ側につき、英仏と戦う。この時イギリスは、トルコ支配下のアラブ人を味方につけるために、戦後東アラブ地方にアラブの独立国家をつくるという約束を与えた。
1916年これを信じたアラブ側によって独立が宣言され、トルコに対するアラブの反乱がおきる。
この時、アラブの反乱軍に加わってイギリスとの連絡にあたったのが、ト-マス・ロレンス大佐。ロレンスは考古学者でイギリス軍の情報将校でもあった。
映画の中での会話で、「ロレンス大佐、あなたを砂漠にひきつけているのは何です?」「清潔だからだ」
このセリフから、どのようなアラビアのロレンス像が感じられるだろうか。
砂漠をこよなく愛し、自らのアイデンティティを砂漠に求めたロレンス大佐はいつしかアラブ人から「砂漠の英雄」と謳われるようになるが、自分が軍上層部に利用されている事を知り、またアラブ民族も部族間の対立からロレンスの思いは裏切られていく事となる。
チェ・ゲバラは、アルゼンチンの経済的に裕福な家庭で育った。ただ未熟児で喘息を患っていたため、両親は人一倍、ゲバラの健康には気をつかったが、ゲバラはその中で克己心を養ったといえる。
ブエノスアイレス大学で医学を学び、在学中に年上の友人とともにオートバイで南アメリカをまわる放浪旅行を経験し、南米各地の状況を見聞するうちにマルクス主義に共感を示すようになった。
大学卒業後には、友人ともに再び南米放浪の旅に出て、革命の進むボリビアを旅した後、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルを旅行しグアテマラに行き着いた。
グアテマラで医師を続ける最中、祖国ペルーを追われ亡命していた女性活動家のイルダ・ガデアと出会い共鳴し、社会主義にのめりこんでいき、ガデアと結婚する。
しかし、ゲバラが「ラテンアメリカで最も自由で民主的な国」と評したグアテマラの革命政権はアメリカCIAに後押しされた反抗勢力によって瓦解した。
1955年7月失意と怒りを抱いて妻ガデアとともにメキシコに移ったが、この地で亡命中の反体制派キューバ人のリーダーであるフィデル・カストロと出会う
キューバの独裁政権打倒を目指すカストロに共感したゲバラは、このとき、一夜にして反バティスタ武装ゲリラ闘争に身を投じることを決意した。

ロレンス大佐もチェ・ゲバラも戦乱や革命という荒野を目指したのであるが、文明を汚染と感じとり文字通り自然としての荒野を目ざした人も多い。
森のでの生活と思索を綴ったウォ-ルデン・ソロ-の「森の生活」はこの路線の古典的名著である。また「自然に帰れ」のルソ-や、農耕生活に回帰しようとしたトルストイなどが思い浮かぶ。
私は昨年、「イン トゥ ザ ワイルド」(荒野へ)と題された映画を見た。
1992年の夏、アラスカの荒野でクリスという若者の死体が発見された。クリスは、宇宙衛星システムを開発する技術者の家庭で裕福に育った。
成績優秀、スポ-ツ万能の好青年で将来を嘱望されたが、大学卒業後なぜか、荒野での生活を夢見て旅に出る。途中で壊れた中古車も捨て残った紙幣も燃やした。サウスダコタの小麦畑、コロラド川の激流、グランドキャニオン。真の自由を求める旅の最終目的地はアラスカだった。
だがそこで彼は、大自然の過酷な洗礼を受ける。クリスは何ゆえ荒野を目指し何ゆえ死んだのか
「イン トゥ ザ ワイルド」は、ジョン・クラカウワ-という記者が自身の体験と重ねつつ、クリスの妹や放浪の過程で出会った人々の証言、書き残したメモを追跡するという形で、彼の道程とその心の謎に迫ったノンフィクションである。
さらにマドンナの元夫ショ-ン・ペンが監督して、同じタイトルで映画化された。
そこに描かれたのは、裕福だけど形だけの家族、エリ-トである父親の横暴、放浪のなかで出会う奇妙なアウトサイダー達との絆、そしてアラスカでの孤独な生活、そして植物の食べ間違いから病となり死亡するに至る過程である。
かように自然の掟は容赦ないが、それを遠ざけてしまえば本来の人間性は失われる。この映画は荒野の中を素手で生きることにこそ、生きる意味を確認できる「何か」があると訴えているようだ。
そういえば「アラビアのロレンス」のデビット・リ-ン監督は、「アラビアのロレンス」でうねる砂漠、「ライアンの娘」では荒れる海、「ドクトルジバゴ」では果てしない雪と、自然の猛威の中にある人間ドラマを描いている

「イン トゥ ザ ワイルド」(荒野へ)は、文明に背をむけ自然に立ち向かうことで自分らさを生きんとした一人の青年の生き様を描いたものだろう。
映画の中で「イ-ジ-ライダ-」の青年達は射殺され、ロレンス大佐は交通事故死、ゲバラも革命闘争の中銃撃され死亡している。
既存の文明社会からの離脱をはかり、自然の猛威や社会の壁と戦って自分自身を素手で掴み取るには、ほどよくワイルドであらねば、ということですね。