日本人の衛生観念

江戸時代に日本にやってきた外国人の多くが、江戸の町がきわめて衛生的であったことを証言している。
ヨーロッパでは14世紀にペスト(黒死病)が大流行し、全ヨーロッパ人口の3分の1が亡くなった。 ヨーロッパではペスト流行の強烈な記憶のためか、大航海時代になると大商人達は肉類の防腐または薬用のために海外に胡椒を求めた
胡椒は南インドのモルッカ諸島が原産であるが、セイロン島の肉桂も重要な交易品であった。
日本の歴史上にも疫病の流行は少なからず起きたが、黒死病の流行にみるような大量死を見出すことはできない。日本の都市での衛生状態のよさの背景として最初に推測できることは、日本古来の「浄・不浄」の観念の存在である
例えば日本人は客に粗末といってもよいかもしれない割り箸をだす。割り箸は竹製のものもあるが、多くは木の切れ端でつくられている。
韓国ではその家で最も価値のある箸を出すのが礼儀とされるので、韓国から来た客にその割り箸を出すと馬鹿にされたと思われる可能性が高い。
韓国の最高級の箸とは銀や銅でできているものが多く、特に銀の箸が重宝される。銀の箸だと毒がもってあった場合にすぐに変色するので、すぐにそれとわかる為である
では日本人はなぜ粗末な割り箸で満足できるかというと、それは木でできたものだからこそ特別な価値があるからである。それは、今までに誰も使っていない箸という価値である
日本社会では、喪中葉書など「ケガレ」の意識が今尚様々なところに見出され、そうした意識が日常生活を規制している。
外国で生活した日本人人の共通の戸惑いのひとつは、外国社会における浴室の閉鎖性に対して厠(便所)の開放性である
日本社会では共同浴場で体を洗うことは「ケガレ」ではないが、排泄行為を見せるのは人をケガスので必ず扉をしめきる。(というよりもそれを恥ずかしい行為という意識が強い。)
日本人はなぜ人前で裸体を晒すことに平気なのに、排泄行為を人に見られる事を極端に恥じるのだろう。外国人の多くは排泄行為にはかなりおおらかでで、仕切る扉さえなく隣の人と話しながら排泄を行ったりしている。
ところで日本人の場合は汚物を町中に流すのはとんでもないという意識が働くが、ヨーロッパで都市が発達し始めた頃には、街路に汚物が投げ落とされたりする者も多く、女性が道を歩く時はむしろ道路側を歩いていたという。
ヨーロッパでは家畜の多くは秋になると各家庭で越冬の飼料と見合せて屠殺され、燻製あるいは塩漬け肉とされた。狭い市内で皆がブタをかっていたので悪臭と騒ぎが甚だしい状態だったという
ヨ-ロッパでは人々は便器の内容を朝になると道路にぶちまけ、それを放し飼いのブタが食べるというリサイクルができていた。中世の都市は樹木などの自然も少ない石づくりの町で、道路の中央に掘られた溝が下水の役割を果たしていたにすぎない。
江戸の町では汚物が垂れ流し状態にならないよう農村と一体化した巧みな「循環システム」が確立していた。肥料といえば江戸均衡の農家が市中の下肥を買い、それを畑の肥料にして、江戸の人たちの食糧をつくったことも広い意味でのリサイクルがあった。

世界中でインフルエンザが流行すると、衛生施設などのハ-ド面ばかりではなく、人々の世界観の問題ともつながる重要な問題であるように思えてくる。
十世紀以上も前から、ヨーロッパはキリスト教世界であるが、実はそれは表面上のことである。
ヨーロッパでキリスト教信仰が頭角を現したのは、それがケルトやゲルマン、イベリヤやヴァンダルの神々に普遍的な聖人の扮装をさせて異教の宗教を取り込むことができたからにすぎない
例えばルネサンスは、多くの聖徒の支配する世界である。聖徒は本来は教会史のなかで偉大な信者で、教会から聖徒と認められた人達なのだが実際は、教会伝説と一般の民衆伝承による土地神や、祖先神との自然的人工的結合によるものも多い。
聖徒はまず地域の守護神である。病気をなおしたり、健康のためにもそれぞれ特別な聖徒がいる。小さな町にも村にも守護聖徒がおり、村の教会はその聖徒をまつる。
有名な守護聖徒は眼病のサンタ=ルチア、安産のサンタ=アンナなどがある。
つまりヨーロッパは宗教改革がおこるまでは多神教の世界だと考えた方が無難である
12世紀ごろまで「聖と俗」が未分化であり、もともと森で育った神々が都市でも扮装して人々の意識や生活を規制していたということができる。
ヨーロッパの映画に、結婚式から帰ってきた新婚カップルが家に入る時に夫が妻を抱え上げるシーンがあるが、あれを愛情表現と思ったら大間違いで敷居の下にいる神をよそ者にふませないために抱き上げるのである。死刑執行をするときに、魔女を大地から高くつりあげて大地に触れさせてはならないのと全く同じ意識の作用に基づくものなのだ。

人間は科学によって自然を支配できるという観念が確立する以前には様々な神々への恐れを抱きながら生きていたが、人間がコントロールできる家を中に周辺に拡がる菜園、野菜畑などを含んだ比較的身近な世界(小コスモス)と、森をシンボルとして自分のコントルールできない悪霊や疾病などの原因となる未知の世界(大コスモス)との相関関係の中に生きていたといってもよい
中世の人々はそうした大・小のコスモスの境界にあって神々の働きに関わる人々に対して畏怖を抱き「聖なるもの」として認識していたのである。外科医、理髪師、死刑執行人、清掃人なども意外なことに「聖なる」存在であった。
人々の日常の生活はこうした「聖なる」存在と切り離すことはできず、「聖俗未分化」の状態であったといえる。
ところがそうした「聖なる]存在を片隅に追いやったのがキリスト教である。
カトリックの告解(懺悔)部屋で信者が自分の罪をあらいざらい聖職者の告白するのであるが、このことによって人間がはじめて自分自身の内面を奥深く見つめるようになった。
宗教改革の一つの側面は、異教の神々と分かちがたく結びついたヨーロッパ人の信仰を「唯一神」信仰へと切り離したと言い換えてもよいかもしれない。有名なノートルダム大聖堂は、まずケルトの祭壇がつくられ、やがてローマ期にジュピターやビーナスなどローマ諸神を祭った後にようやくキリスト教の教会が建ったのである。
宗教改革でルターに「万人祭司説」が唱えられるようになると、「聖なるも」のは各人に分与され、かつて大・小のコスモスの境界にいる人々への畏怖心は形をかえるようになる
日本社会に「世間」概念を導入して斬新な分析をした阿部謹也氏は、次のように言っている。
「小宇宙と大宇宙の狭間に生きている人々に対する恐怖、恐れが屈折した時に、キリスト教会によってその恐れが押さえ込まれ、恐れがそれとして表現できなくなくなった時に、内面的に屈折した形で恐れが賤視へと変化したと考えられる」とある。
ヨーロッパにおいて神々はどうにか退場し、ようやく唯一神としての神が聖なる場所(教会)に不十分ながらおさまったのである。都市の日常はこうして「聖と俗」に分化するのだが、都市の衛生状態は、そうしたことと無関係ではない。
日本の都市の場合にはその生活が聖と俗が未分化のままで、かまどの神や便所の神やらど場に応じて神々が生きており、伝統的な「浄・不浄」意識を背景に、それらの場を清潔に保つことこそが、「大コスモス」から投げかけられる「小コスモス」を安寧に保つ秘訣であったのだ。
江戸は火事が多く、火をつかさどる「かまどの神様」が非常に重きをなしたことは想像できる。
現代日本に今も続く代表的な祭りである京都の祇園会や博多の山笠は、もともと疫病防止や退散を旨とする祈祷から出発したものなのだ。
日本の場合、病に対する態度も個人の不摂生によると考えないで、その個人が属している「世間」の場に問題があり、その個人が接したモノに問題があると考える傾向がある。
したがって日本人は自分の属する「世間」にかかわる場やモノを、誰に命じられるまでもなく清潔に保とうとするのである
ヨーロッパでは人はせいぜい自分の家の前の道とかを清潔にするが、公の場をきれいにするには「当番制」にしなければならないことが多い。逆にこれが市民的公共心の由来にもなる。
今から2000年以上も前、日本国内に疫病が流行して多くの人が死んだ。そこで、天照大神が永遠に鎮座する土地を探すことになり伊勢の国で神託の声があって以来、天照大神は伊勢の神宮に祀られている。
近世になると、世界の都市でも上下水道はつくられてきたが、日本のように玉川上水・神田上水などあれほど大規模に整備されたのは世界的にも珍しく、日本社会において水の循環性が都市の「きよめ」に大きな役割を果たしたことはいうまでもない

ところで最近の「新型インフルエンザ」に抗する水際での戦いも、日本という「小コスモス」への強い思い入れの反映なのかもと思ったりするのです。
そこで「小コスモス」を日本人の意識下のどこかにある「神州日本」と読み替えることは、的外れでしょうか。