ダニエルの預言

米ソ冷戦の時代にさえ人間の未来についての予測にはまだ楽観論が多かったように思う。
それは人間の理性(良識)への信頼があったからというよりも、危機そのものの内容がシンプルなものであったからだ。
シンプルというのは解決が容易という意味ではなく、「核の危機」という人類が戦うべき課題が判然としていたという意味でのシンプルさである
今日のの危機は、金融危機から地球温暖化まで複合的な危機であり、従来になく社会の「不確定因子」が増大している。
ところで、「不確定因子」を初めて社会科学に「陽表的に」導入したはJM・ケインズではなかったかと思う。
ケインズは若い頃は数学(確率論)の勉強をしていた。つまり不確定性における人間の合理的な行動に関心を寄せ研究していた。もっとも官吏試験で数学の成績が悪く、希望の大蔵省に勤務できずインド省勤務となったのは、彼の人生の「不確定性」をあらわしているが。
ケインズはインド省勤務で一国を経済的に安定させる課題に取り組み、現実的な経済施策を模索したが、アダムスミス以来の古典派経済学がもはや現実の経済と合わないと感じ経済理論の見直しの必要にかられた。
古典派経済学が確実性の世界を想定したのに対し、ケインズは不確実性の世界における経済学を追求したといってよい
不確実な世界では、貨幣が単なる「ベ-ル」ではなく、経済変動の大きな要因となることを明らかにしたのはケインズの大きな功績である。そしてケインズは不確実性の世界ではアダム・スミスのいう「予定調和」は期待できず、「自由放任」よりある程度政策的に経済をコントロ-ルする必要性を唱えたのだ。
ケインズは、イギリス代表として数多くの国際会議にも出席し現実の問題を各国首脳と論じた人物で、現実に合わないものには一切興味を示さないリアリストであった
そのケインズは奥深い人物で、意外なことに「ニュ-トン文書」のコレクションでも有名である。
アイザック・ニュ-トンは聖書の預言的世界を現実と照合して深く探求していた科学者である。ケインズは、ニュ-トンのそうした研究に深く関心を寄せ、ケンブリッジ大学内の保管資料からその研究の跡追いをしていたのである。
言い換えると、ケインズにとって聖書の預言研究は極めてリアルな課題であったのだ

そこで、今日のリアルな問題として旧約聖書の「ダニエル書」9章24節~26節の預言をとりあげたい。
この預言には具体的な数字が出てくるので、聖書の預言の信憑性を問う好個の材料であると同時に、聖書の預言全体の骨格を示しているからである
その前に「ダニエル書」成立の背景についていうと、ユダヤ人は年に新バビロニアに攻められその住人の多くがバビロニアへ捕囚として連れ去られる。
ところがその新バビロニアがBC538年意アケメネス朝ペルシアに滅ぼされると、ペルシア王キュロスはなぜかユダヤ人に寛容な政策をうちだし、自分の国に帰って崩れ落ち崩壊した神殿を建てなおせと命じる。
しかもその帰還には国費より資金を出すというのである。この寛容さには不思議な感じさえするが、エジプト王国に対する緩衝地としてユダヤ王国の復興を図ったのかもしれない。
ちょうど中国・ソ連という共産主義勃興に対して、アメリカが日本に対して再軍備をを命じたのに近い。
紀元前6世紀、王宮の宴会中、空中に突然手があらわれ壁に文字を書く。王はの文字の意味を知りたくて思い悩む。だれかこの絵の意味を説き明かすものはいないか。一人の青年がよびだされた。名前はダニエルという。
ダニエルはユダヤ人の青年でありながらバビロン捕囚の際に、特別な才能の光を与えられバビロン王室で重用された青年で、ユダヤ王国のみならず、人類の未来の預言までをも行ったのである。
ダニエル青年については、教会の日曜学校なので紙芝居をつかって語られる人物で、ライオンのいる穴倉に投げ込まれライオンに喰われなかった青年としてよく知られている。またシェイクスピアの「ヴェニスの商人」では、名裁判官の例としてダニエルが引き合いに出されている。
さてそのダニエルが人類の未来に関わる預言をしているのであるが、その内容は以下の通りである。

あなたの民と、あなたの聖なる町については70週が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なるものに油をそそぐためです。
それゆえ 、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、7週と62週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
その62週の後にメシヤは断たれるでしょう。


まずこの預言に登場するメシアであるが、当然イエス・キリストのことである。次にパレスチナに帰り「エルサレムを建てなおせ」という命令は紀元前538年に最初にキュロス王により出たが、そこからメシア(キリスト生誕・磔刑)まで7週と62週すなわち69週があるとしている。
計算すると7日×69週=483日となる。紀元前538年から483日後の紀元前536年にキリストの誕生などはありえないとなるが、「聖書読み」にはいくつかの鉄則がある。
その一つは、「聖書のことは聖書に聞け」、つまり聖書の言葉は聖書の言葉で解けということだ。
「主のもとでは一日は千年のようで、千年は一日のようです」(Ⅱペトロ3・8)という言葉があるとおり、聖書解釈において日数は年数と数えてよい、ということである。科学的知識がないのであまりよく分からないが、一日を千年とすれば地球進化の科学的な成果とある程度合致するのではないだろうか。
つまり神は第1日に昼と夜をつくり、第2日に大空と天を創ったとあり、第6日に天地創造を完成し、第7日に休まれたとあるが、その1日を千年と解釈するのである
さてダニエルの預言に出てくる7週と62週を示す483日を483年に読み替え、紀元前538年からプラスすると 紀元前55年にあたり、キリスト生誕・磔刑の時期とは随分異なっているようである。
ただパレスチナに帰ったユダヤ人は生活苦と原住民の妨害でエルサレム神殿再興は具体的に実施されず、「エルサレムを建てなおせ」という命令は王の代が変わるたびに更新された。
日本史でいうと「荘園整理令」が何度も出されたのと似ている。
ところでエルサレム再建はアルタクセルクセズ1世に仕えたユダヤ人ネヘミヤの地方長官としての帰還をもって具体的に実施されるのである。ネヘミアは自らの申し出により地方の長官として任命され、城壁再建を許可する書簡を携えて、紀元前445年ごろにペルシアのスサを立っている
この紀元前445年を「エルサレムを建て直せという命令」の年として483年をプラスすると紀元38年にあたる。これはキリスト磔刑の時期と重なっている。つまりダニエルの預言「62週の後にメシヤは断たれるでしょう」に合致するのだ。
ちなみに69週を7週と62週にわざわざ区切ってあるのは、7週はエルサレム神殿復興にかかった具体的な期間(49年)を示すものである。後にイエスが自分の復活をさして「この神殿を3日で建て直す」といったのに対して、パリサイ人は途中3年間の停滞を除き「神殿の復興に46年かかった」と答えた場面がある。(ヨハネ2章20節)

ところで、聖書読みのもう一つの鉄則は、人間の歴史には「ユダヤ人の時」と「異邦人の時」があるということである。これはユダヤ人との契約を示した「旧約」と異邦人の救いを示した「新約」と対応している
そして「ダニエルの預言」によると、ユダヤ人の時は「70週」つまりBC445年にエルサレムを建てなおせという命令がでて70週つまり490年があるとなっているが、キリスト磔刑までに69週つまり483年がすでに消化されているので、残り「ユダヤ人の時」は7年間ということになる。
この宙に浮いた「ユダヤ人の時」7年間は非常な謎とされるが、謎が起きたら「聖書のことは聖書に聞け」の鉄則に戻る。
結論をいえば「ロ-マ人への手紙」11章にあるように、異邦人の(救いの)数が満ちた後に「ユダヤ人の(救いの)時」が来るということを示している。 パウロは異邦人伝道の使命をもって地中海世界に福音を伝えるが、ロ-マ帝国でキリスト教が国教化されることにより 世界中に広まっていく。
すなわちパウロ以後現代に至るまでは「異邦人の時」なのである
ロ-マ人への手紙11章はその「異邦人の時」のあとに再び「ユダヤ人の救い」が起こることを預言している。この「ユダヤ人の救いの時」こそ、先述の宙に浮いた7年間なのだ。

兄弟よ、われ汝らが自己をさとしとすることなからんために、この奥義を知らざるを欲せず、即ち幾ばくのイスラエルの鈍くなれるは、異邦人の入り来たりて数満るに及ぶ時までなり。かくしてイスラエルはことごとく救はれん。(文語訳聖書ロマ書11章25節)

ところで紀元前6世紀に書かれた「ダニエル書」9章と紀元1世紀に書かれた「ヨハネ黙示録」11章とが内容的に重なっていることが知られている。
聖書最後の「ヨハネ黙示録」こそ、ユダヤ人に残された最後の7年間の「ユダヤ人の時」(つまりユダヤ人の救いの時代)を表したのものである。とはいっても人類全体としては大変厳しい時代となる。
ヨハネ黙示録では、11章2節の「42カ月」(=3年半)と同じく12章14節の「1年、2年、また半年の間」(=3年半)とを加えると、ぴたりと7年間になる
ヨハネ黙示録は、この7年間を「生みの苦しみ」と表現し、その後「千年王国」そして「新天新地」の到来をも予言している。
かくして全く別の時代に別の人物が書いた人類の未来に関する三つの文書(「ダニエル書」、「ロ-マ人への手紙」、「ヨハネ黙示録」)はかなりの整合性があり、それだけ内容の蓋然性も高いといえる。