第二のセカンドライフ

最近、松本清張の生誕百年特別番組「駅路」をみて「存在の自由度」のようなものを考えた。
自由というものは人間の「意思」または「行為」との結びつけて考えられるが、人間の「存在」そのものとの関連づけて考えたらどうだろう。人間には行為について「選択の自由」があるとしても、人間は通常、「己が存在」そのものを自由に選びとることはできないのだ
死を選びとることは別として、ある人物が突然「蒸発」したり「別人」として生きたりすることは余程のことが無い限りありえない。
フィクションの世界では「レ・ミゼラブル」のジャン・バル・ジャンを思い浮かべる。ジャン・バル・ジャンはひとりの神父の出会いを通じて更正し、過去の犯罪歴を隠しつつ慈善家として町の有力者にまでなる。 現実の世界では、元ナチスの戦犯が過去を隠して全く別人として生きたが、イスラエルの情報機関モサドによってついに発見され裁判にかけられて処刑されたケースもある。
日本史に探すと、蛮社の獄で官憲に追われた医者・高野長英は、薬品で顔を焼いて別人に成りすましたが、幕吏に発見され捕縛される直前に自刃した。
東経大教授・色川大吉が秩父地方の地主の土蔵調査を行い、草莽の自由民権運動家の存在や彼らが作った憲法私案の存在を明らかにしたが、彼らの中には政府の追及を逃れ北海道に渡り、まったくの別人として生きた人々の存在にも光があてられた
秩父困民党の会計係・井上伝蔵は警察部隊と激戦を交えて死刑判決をうけるが、脱走をはかり口の中に綿を含んで顔を変え奥羽山脈を伝わって北海道に渡り、苫小牧から札幌の方に逃げたといわれている。
井上伝蔵は北海道で伊藤房次郎という偽名を使って、新しい妻をむかえ4人の子供をもうけそれを立派に育てあげた。豪放磊落である反面、教養も人情味もあり人々の人望もあった。
井上の俳句をみて色川氏は、「どこか空の一部を突き抜けたような精神を持った人、なにか過去をのりこえて明朗な境地に到達した人でないと歌えない歌である」といっている。
家族に対しても職場においても責任を果たしている人間が綺麗サッパリとそれを放棄して蒸発するほどのことはなかなかないので現実における「存在の自由度」は極めて低いと言わざるを得ない。
海外旅行を敢行し異なる環境に身を置き日常の価値基準やら行動規範から離れてみて、あたかも自分が異なる存在になったかのような暫定的な「存在の自由度」を味わうことはできるかもしれない。しかし早晩ル-ティ-ンの繰り返しに舞い戻らなければならないのである。
寺山修司という人は青森に生まれた。少年時代に父が戦死し米軍キャンプで働く母親が九州の基地で働くことになり、十歳の頃より一人自炊生活をした。その後叔父夫婦が経営する映画館の屋根裏部屋に寄寓生活をしたが、詩人としても劇団の主宰者としても、「存在の自由度」を高めようと生きた人のように思えるのだ。
歌の題名「時には母のない子のように」にとか、「歴史なんか信じない」とか「つくりかえのきかない過去なんて存在しない」といった言動がそうした彼の志向性を明らかにしているように思える
ある人物が寺山修司が亡くなって一カ月後に寺山から出された手紙を受け取った。その手紙は一旦破られたものをわざわざ赤い糸で縫い付けて修復するといった寺山らしい趣向が加えられていた。
もちろん死人の寺山が出るはずもなく郵便局の配送の遅れにすぎないが、手紙にほどこされた細工といい、それが死後に届いたとうメッセ-ジ性といい、寺山修司という存在の最も本質的なものを感じたという話を思い出した。
これは時空を越えるほどに「存在の自由」を求めた寺山氏が死後に行った悪戯なのではと、思ったそうだ。

「セカンドライフ」という言葉は従来は「老後の生活」を意味するが、最近ではそれは同時進行のもうひとつの人生をさし、従来とは違うニュアンスで語られつつある
株仲買人という仕事を捨ててタヒチに移り住んで絵を描いたゴーギャンとか、55歳から17年間日本中を測量し日本地図をつくった伊能忠敬は、古典的な意味でのセカンドライフをとても有意義に送った人々であった。
現実の生活に対置される形で「もうひとつのセカンドライフ」に、バーチャルライフがある。ネット上のバ-チャルな世界で、カウボーイでもジゴロでも何でもなれる自由の高みを味わうことができる。
この世界で家族あり経営ありあり旅行あり恋愛ありで、現実世界では全くさえないショボイ人間でもこの世界に入り込むためのハンドル名を一旦名乗れば「帝王」と恐れられたりするのかもしれない
ハリーポッターが現実の世界では惨めなイジメられっ子であっても、魔法の世界では泣く子も黙る超有名人として人々に畏敬されたりするのに似ている。
バーチャルの世界とはいっても全く現実と隔離されているものと思ってはいけない。バーチャルの世界で成功者になれば、バ-チャル世界で流通する特殊なお金を蓄積し、現実にネット上で物が買える購買力を得ることができる。ネットの中で豪邸を築くことができるし、なんやら現実と虚構が交錯しているのである。
完全に現実の世界で、「もうひとつのセカンドライフ」を考えると、ひとりの人間が二つの顔をもって世に知られて活躍するケ-ス、いわゆる「二足のわらじ」を履いた人々ということになろう。
「二足のわらじ」を履いた人々が魅力的に思えるのは生活上困らないなどの問題ではなく、自分の身についたコロモを時々切り替えられる自由度への憧れであろうと思う。一人の人物が二つの自分を往来して生きられるのは、同時進行の「セカンドライフ」を享受しているといえる。
セゾンオ-ナ-の堤清二は辻井喬という作家であるし、都知事の石原慎太郎氏は芥川川賞作家である。フランス人の数学者ピ-タ-・フランケルという人は大道芸人でもある。秋間哲夫(三東哲夫)という地震学者は1940年走り高飛びの日本記録保持者であったりもした。

ところで、映画監督やプロデューサーなどから見て魅力的な素材(役者・歌手)というのは、何でもやれる「自由度」の高さをもった人だろうが、そういう素材は一般的に「器用貧乏」でそれほど大成しないらしい。つまり個性がないから何でもやれるということでもある。しかし例外もある。
私が、福岡天神のセンタ-シネマ(今のソラリア)にあった映画館で外国の映画を見始めた頃、映画「卒業」のダスティン・ホフマンと「真夜中のカーボーイ」でネズミと呼ばれた男を演じたダスティン・ホフマンが同じ人物とは思えず、こういうことができる人たちのことを「役者」というんだと当たり前のことに感心した覚えがある。
作詞家の阿木燿子によると、山口百恵は作詞家の想像力をいたく刺激する存在だったそうだ。つまり、山口百恵は100パ-セントの「対自的存在」、何にでもなれる天才だったという
一方、阿木の詞の特徴は歌の詩にしてはかなり物語性の強いものだった
「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ」や、「さあさあ さあさあ」と三角関係の清算をせまる「絶体絶命」の物語性に見られる。つまり歌詞の中に一篇のショートストリーが織り込まれているので、歌い手は「役者的要素」が要求される。そうした詩の中に山口百恵がぴったりとハマッタということだろう。
ところで私の保有する「日本史重要人物事典」(教育社)には執筆者が余程ファンなのか、源頼朝なみのスペースを使って山口百恵の項目がある。
それによれば、頂点の時の結婚引退は彼女の物語性(伝説性)に一役かったということだ。
通常「金の打ち出の小槌」である全盛期の歌手や俳優が突然私的な理由で辞めるなどということは、余程しっかりした意思がない限りできることではない。
莫大なビジネスチャンスが消滅するわけだから誰もが引退を引き留めようとする。
阿木氏も当然「辞めないで」と思ったらしいが、山口百恵が結婚を決意したのは阿木・宇崎カップルがうまくいっているのに憧れたからだという
寿引退を思い通りにやったところが、山口百恵の生き方(存在)の「自由度の高さ」を物語っているのかもしれない。

役所広司主演の「駅路」は、一人の男が人生の終点に近い駅路に到着した時、耐え忍んだ人生からこの辺で解放してもらいたいと願い、停年後の人生を愛人と過ごそうとして失踪し事件に巻き込まれていく姿を哀切に描いたものであった。
でも愛人など望むべくもない普通のオジサン達は、通勤電車からみえるスポ-ツジムの窓の奥にもしかして草刈民代によく似たインストラクターがいて「Sall we エクササイズ」とよびかけでもしてくれたら 「そりゃあもうメタボ改善でも何でもやりまんがな」とぼやきつつ、哀切きわまりない「駅路」を急ぐのです。