国際英文法会議

アメリカ建国史というものを知る面白さのひとつは、原始の社会からいっきに近代国家が 出来上がるとはどういうことなのか、を知ることである。
ヨーロッパ史でずしりと重きをなす古代帝国や中世社会をきれいにスキップした上でSutate(州)というものが作りあげられ、それらをさらに上位で結びつける形で合衆国ができるのだから、「社会契約思想」のサンプルとしても興味深い。
加えて、今日のアメリカの行動の原点がアメリカ建国のプロセズの中に隠されている、のではないかと思えるからだ。戦後アメリカが日本を占領して短期間に憲法案を作ったのも州政府づくりのエクステンション(延長)と見ると分かりやすくなる面もあるのではないか。
アメリカ建国史を学ぶもうひとつ面白さは、英(米)単語の由来を興味深く知ることができる点である。特に固有名詞や人物名に関わるものが面白い。
バージニアがエリザス女王を由来とするなど地名の由来も面白いし、日本人が最初に太平洋を横断した「ポーハタン号」の名前とか、日本の音楽グループ「レベッカ」の名前は、インデイアンの族長やインディアンの娘の名前からきていることを知ることができた。
ところでアメリカの初期の大統領の中には正規の教育もうけずに丸太小屋から大統領になった者もいた。
その一人がアンドルー・ジャクソンであるが、大統領になってから書類に許可を与える時に、All Correctと書くべきところを間違ってOll Korrectと書いたため、許可を与えることをOKというようになった
またアメリカの婦人運動黎明期のアメリア=ジュンクス=ブルマーは独特の婦人用のズポンを考案したが、これが日本の体育の時間に、女子に身に着ける衣服の原型となったものである。
また普通の言葉でもアメリカを開拓した人々の意識を反映したものであり、そのことを充分に知らなければ、他国との関係で摩擦を引き起こす可能性があることを知った。
例えば「公正」などアメリカの建国のプロセスで意味や価値を付与された言葉であり、それが等価で日本語に翻訳され、交渉の場に持ち出されるとどういうことが起きるのか、ということである。
米語でフェア(公正)という言葉は、公平に機会が与えられるという「機会均等」を意味する
そこで思い出すのは、日本が戦時中満州に進出した頃、同じく満州の権益を狙うアメリカが掲げた要求は「門戸開放」「領土保全」「機会均等」だった。これは遅れて中国に進出したアメリカが、自分にも他の列強(日本)と等しく権益を得る機会に与りたい、という要求である。
日本が満州で南満州鉄道を建設して鉱山などで利益を得ているのと同じように、アメリカは長春・大連間の鉄道を日本政府から買収して共同経営を計画(ハリマン計画)したり、アメリカ資本によって満鉄並行線案などを提案したことによく表れている。
西部開拓の時代は「早い者勝ち」のいわば”動物的世界”なのだが、それをある程度抑制しようとする「機会均等」が、むしろ公正な立場として養われていったのだ。そして今日のグロ-ゼ-ションというのは結局、アメリカが世界的なビジネスを展開する上での「機会均等」を要求しているということだ。
1980年代の日米貿易摩擦において、日本側は関税を十分下げたし、輸出も充分自主規制したと主張したが、それはアメリカ的公正である「機会均等」の観点から見れば不十分なのだ。
なにしろアメリカ人は日本という国で日本人と同じようにビジネスがしたいのだ。
ということは公共事業の指名入札や系列関係などの様々な慣行がそれを妨げているのならば、それらをすべ撤去しなければアメリカ的観点からは公正とはいえずに、日本は依然「アンフェア」ということになる
それが日本への経済面での要求「構造改革」要求として表れ、それに応じたのが「前川レポート」だった。

以上アメリカの「公正」(fairness)という言葉がもたらすコミュニケーション・ギャップについて述べたが、反対に日本語が違った意味で訳されて伝わり大きな問題となった事例について紹介したい。
もしたった一語のの日本語を英訳する仕方が違っていたら、広島と長崎に原爆が 投下されることはなかったかもしれない、とは「ベルリッツの世界言葉百科」にで てくる言葉だそうだ。
これは随分と穏やかならぬ説だが、その経緯は以下の通りである。 1945年7月27日、日本は無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受電したが、加えて 日本がこれを受諾しない場合には「迅速かつ完全な壊滅あるのみ」と予告していた
鈴木貫太郎首相は、「政府はこれを黙殺し、あくまで戦争完遂に邁進する」と声明した。
鈴木首相の「黙殺」は強い言葉ではあるが、その真意は和平を仲介していたソ連の出方などを鑑み 「静観したい」という気持ちのことを、公に弱気に見られないような強い言葉で表現したにすぎなかった という。
つまり「ノーコメント」ということだが、連合国側にはこの「黙殺」を"ignore"つまり「無視する」という言葉で伝わった。 さらに海外向け電報では"ignore"が"reject"つまり「拒絶する」という訳で発信されたのである。
この事態は翻訳のミスを責めるよりも、こういう大問題に首相が「黙殺」などという強い言葉を発した事自体が責められるべきである。
鈴木首相が、日本が置かれているデリケートな立場を十分を認識していたならば、こうした言葉を使うべきではなかったのだ。
結局、日本側はポツダム宣言を受け入れる余地は全くないと理解され、その10日後に広島に原子爆弾が落とされる。
さらにニクソン大統領の時代に、日本は2つの大きなショックを体験した。その背景には、日本と米国のコミュニケーション・ギャップの定番「善処します」に関わる問題があったといわれている。
アメリカが日本に何にも知らせずに(頭越しに)米中国交回復をはかったことと、対米貿易黒字を蓄積している日本を実質的にターゲットにした「金とドルの交換停止」の発表つまりニクソン・ショックである。
二つのショックは日米関係の冷却を思わせるが、その背景には日米繊維交渉の行き違いがあったという説がある。
日本はアメリカへの繊維輸出が伸び、アメリカ国内の業者を代弁すべくアメリカ政府 は交渉に臨んだ。
その中でアメリカは日本の繊維輸出の自主規制を求めたが、日本はそれに対して 「善処します」という言葉で応じた。
翻訳者の鉄則は直訳ではなく意をくみことなのだが、日米いずれの通訳かは知らないが、この「善処します」を「Do My Best」と訳したのである。その後アメリカ側は待てど暮らせど日本の 繊維輸出量が減少しないので、「裏切られた」と思い日米関係は一気に冷却する。
その次に起こった重大事が、日本頭越しのアメリカの日中国交回復や日本に急速な円高をもたらすニクソン・ショックである。一文の誤訳だけがこうした事態の直接的原因とは思わないが、日米関係に大きく水を差したことも事実である。
ところで、国際会議というものは実際に英文法の学習会の様相を呈するらしい
ある文書にある単語を盛り込むか、不定冠詞にするか定冠詞にするかで、出席者は国益を担って英文法論議をする。微妙な言葉の選択でその意味するところは全く異なってくるからである。
例えば、紛争における占領地域からの撤退について、「地域」を"territories"とするか"the territories"にするかで その意味するところが全然違ってくる。"the"が挿入されればあらゆる占領地からの完全撤退を意味するし、"the"が入らなければ選択的に撤兵を行いうることになるからだ。
また、"will"を"would"にすべきだ、とか"shall"を"should"にすべきか「助動詞」の選択も重大な問題を引き起こす可能性もある
また関係代名詞の先行詞は一体どの単語を指すのか喧々諤々の議論が行われる。共同宣言や共同声明では役人達の火花散る事前交渉が行われのだが、数年前訳語を一語間違ったがゆえに超エリート官僚が命を断つということもあったことを思い出す。

聖書によれば、神に届くような塔を建てようと企てた人間に対して、神様が「人間が思い企ることはよくない」と怒り、人間の言葉を乱したとある。
このエピソ-ドで面白いと思うのは、怒った神が人間に対して尻を叩くでも災害をおこすでもなく、「言葉を乱した」(言語が分岐した)という対処の仕方である
この「バベルの塔」の物語で教えられることは、人間同士がすみやかに意思が通じ合える世界とは、(場合によっては)人間が神と最も敵対する世界なのかもしれない、ということである。
言葉の壁を越えようと悪戦苦闘しているのがちょうどよいのかもしれない。