God bless you

サンフランシスコのとある街角にて、電話ボックスから突然コイン貸して、とブロンド美女が顔を出した。あわってて財布から10セントだしたら、相手は"God Bless You" のひとこと。
もちろんそんなハシタ金で見返りなんて期待はしないが、そんだけ~っという気持ちはチョットはした。
"God Bless You"が型どおりの挨拶言葉だと知っていても、その言葉の余韻にルンルン気分でアパ-トに戻ったら、待ち人から葉書が届いたり、探し物がみつかったりした。
その時私は、神様も「粋なはからい」をしてくれるもんだとマジ思った。

しかし"God Bless You"は常に型どおりの挨拶とは限らない。魂の奥底から発せられる場合もある。
インドの「死をまつ人々の家」で、マザ-・テレサやボランテアの人々に対して、何もお返しができない「死をまつ人々」が、感謝をこめて"God Bless You"という。
ボランティアの人達にとってみれば「死を待つ人々」によって自分達が必要とされることを知り、自分の価値を教えてくれたそうした人々に対して、むしろこちらの側こそ感謝の言葉を返したいと思うのかもしれない。
受けるより与える方が幸いということである。
"God Bless You"という言葉について思いをめぐらせると、人生とは結構味わい深いもんなんだと、突然自分が笠智衆になったような気分に浸った。
日本でお礼の気持ちをこめて、「あなたに良きことがありますように」で済ましたらどうだろう。そんな粋なことが通用するとは思えない、単に悪い冗談としか受け取られない可能性もある。
「良きことがありますように」という感謝の気持ちは、何もお返しができない状況にあるからこそ相手が受け入れてくれるが、相手方から「気にしなくていいよ」と言われる前からそんなこと言ったらアマッタレルナといわれそうです。
どんな小さなことでもお返しはきっちりしないといけない。そういう点でアメリカより日本のほうがシビアなのかもしれない。お金チョウダイに関して言えば土居健郎の「甘えの構造」は間違っている。外人は甘える、甘える、甘えるのが権利であるかのごとくに甘える。(この場合の甘えるは、土居氏のいう「甘える」とはちがうかもしれませんが)
ところで私が如きが、人生はオツなものなどと宇野重吉(寺尾聰の父)風に枯れたことをいうのは十年早いような気もする。
しかし私の母が雑誌などに投稿するために書き散らした文章を今頃になって読んでみると、やっぱり人生面白いことってあるもんだと感心した。
私の母親は在職中の夏休み、金沢兼六園に俳句作りを兼ねて旅行した。そして、この金沢城の庭園に水をひき結局は自害した築城悲話の人物・板屋兵四郎に興味を抱き、その話に基づく俳句なんかをつくっていた。
退職して、若き日に恋した大刀洗基地の特攻隊兵士を探そうと思い立ち、なんとか彼の居場所をつきとめたらその人は金沢の人だった。
その人は金沢近郊で織物業を営んでいて、二人の手紙のやりとりの中で驚くべきことがわかった。彼が板屋兵四郎の子孫であったことが判明したのである。
私は彼氏が母親に書いた手紙の内容まで読んでしまって、彼氏は母とのこうしためぐり合わせは「神様のはからい」であり、板屋兵四郎の墓前に報告するとあった。
それを読んだ私は、このことは絶対に父親には報告できない、読まなかったことにしよう、彼のことは秘密にしておこうと思った。(あとでバレました)

現代の流行作家二人あげよと言われたら、村上龍と村上春樹の両村上をあげる人は多いだろう。この二人の出会いなんかにはとぼけた味がある。
村上龍が「限りなき透明に近いブル-」で芥川賞をとり、その直後に編集者に連れられて東京国分寺のピ-タ-・キャットというジャズ喫茶に行った。そのマスタ-とも多少顔見知りになったのだが、龍氏がある文学賞授賞式に出席したら、なぜかその喫茶店のマスタ-がいる。
会場にコ-ヒ-でもとどけたのかと思ってなんでここにいるんかと聞いたら、そのマスタ-こそ、その年「風の歌を聴け」で新人賞を受賞した村上春樹だったという。
二人の共通点はMURAKAMIであること、ジャズ好きなこと、そして親が高校教師だったことである。龍氏の父親は長崎の美術の教師。確かにカメラのアングルを廻していくような風景描写には、そうした美術家の資質を感じる。
春樹氏の両親はともに兵庫県の国語の教師で、食卓での話題が「万葉集」だったという。春樹氏のどうでもいいことにこだわる性格は国語教師の資質か、などとは思いません。
例えばサンドウイッチについてこんな文章がある、
「新鮮なパンを使い、よく切れる清潔な包丁でカットされたサンドウイッチウイッチでなければ認めたくない」
イウヨネ~~! 私が家で食べているのはサンドウィッチではないということですね。
「ソファ-選びには選ぶ人間の品位があらわれる。ソファ-は犯すことのできない確固としたひとつの世界だ」
品がなくて、わるぅ~ございました!

社会派推理作家といえば松本清張と森村誠一を思いおこす。二人の出会いにはしょっぱい味がする。
森村氏が東京紀尾井町のニュ-オ-タニでホテルマンとして働き、当時の流行作家・梶山季之の部屋を合いカギを使ってあけて、創作現場がどんな具合かを仔細まで確認したという話は結構有名である。
森村氏とホテルで知り合った北九州の医者が、森村氏が小説を書いていることを知り、知り合いの松本清張に会わせてやろうという。森村氏は医者と一緒に松本清張宅にあがったが、清張は医者とばかりと話してほとんど森村氏には目線をやらなかったという。
ホテルマン森村が、清張のある作品のホテル描写に誤りがあることを指摘すると、清張は目をギラリとさせ二時間ばかり森村氏のレクチャ-をうけたという。
その時森村氏は清張の知識に対する貪欲さとその集中力に、一流作家のスゴミを感じたという。
森村氏はまもなく「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞するが、その時の選考委員の一人が松本清張であった。

以上書きながら、粋なはからいをして人生を楽しませてくれる神様を思った。
そういえば何十年かぶりに出会った友人に自分のホ-ムペ-ジ・アドレスを教えたことがある。友人が早速私のホ-ムペ-ジを開いたら、その時のアクセスカウンタ-が「777」であったという。
そんなことを振り返ると何だか嬉しくなって、ドゥビィ ドゥバァ~~と、左卜全的気分に浸った。