アメリカ原理主義

アメリカはペリ-提督率いる四隻の黒船来航によって日本を開国させた。
反対に日本もアメリカをある意味でカイコクさせた。新大陸にのみ心を傾けていたアメリカの心をようやく外に向けさせた。パ-ルハ-バ-によってアメリカにモンロ-主義(孤立主義)をすてさせたのだ。
最近ではF・ル-ズベルトがパ-ルハ-バ-襲撃を事前に知っていたことが定説になっているが、それは事務的行き違いもあって事前通告が遅れた結果「奇襲」となってしまい、国民を戦いへと起ちあがらせるというF・ル-ズベルトが描いたシナリオは予想以上に進展していった。
F・ル-ズベルトもあまりにうまく行きすぎてかえって緩んだベルト(ル-ズ・ベルト)を締め直したに違いない。真珠湾は壊滅状態でもあったし。
マイケル・ム-ア監督の映画「華氏911」で伝えられたように、9・11の直後ブッシュが石油の利権で親交の深いオサマ・ビン・ラディンの一族を早々と海外に脱出させた話は、充分に我々を白けた気分にさせる。
大統領の行為は疑惑を招きかねない。実際に私はこの話を最初に聞いた時一瞬、9・11はブッシュのシナリオかと思った。
アメリカはそれまで本土が外国によって襲撃されたことはなかったから、世界貿易センタ-というニュ-ヨ-クのシンボルを襲った9・11は、相当なショッキングなものであったのにちがいない。
それはヨ-ロッパがかつてオスマン・トルコによって襲撃(ウイ-ン包囲)されたことにも匹敵するくらいショッキングな事件であった。その時ヨ-ロッパの人々はそのトラウマを打ち消すようにトルコを喰っちゃえとトルコの国旗の三日月になぞらえたパンすなわちクロワッサンを作って喰い始めた。
アフガニスタンの国旗を模したパンをつくるには相当な技術が必要だが、9・11は確かにアメリカの「深層部にあるもの」を目覚めさせた。
アメリカの深層部の心理とは何か、それは「自分達が人にやったとことを、人にやられる」という不安のことなのだ。 それは、自分達が(モンゴル系)先住民を殺害をして国づくりをしたという「逆トラウマ」みたいなもの。
それも清教徒といわれる人々が、聖書にある「千年王国」の如き理想を目指して、まるで清新な世界から不純物を排除するかのようにして住み着いたということである。移民初期にはボストン近郊で魔女狩りなども行われた。
今からすればアメリカのような磐石な国家にどうしてそんな不安が生まれるのかという疑問もおきようが、アメリカの建国の父祖達はその不安と戦いながら大陸を開拓していった。
この伝統感情ぬきにアメリカを語ることはできない
自分達が開拓し住み着いた所に別の新たな集団がやってきて、その土地を明け渡さなければならなくなるという不安は常につきまとい、それは現代にも受け継がれている。

ところで、セオドア・ル-ズベルトは太平洋の価値に最初に目覚めた大統領で、1897年12月早くも次のようなことを書いている。

ハワイの方がキュ-バより、もっと切実で直接的な重要性をもっています。もし我々がハワイをとらないならば、ハワイはある強国(日本のこと)の掌中に帰していまい、我々がそれをとる機会は永久に失われるでしょう。しかし、キュ-バは、今とれなくても、弱小にして退嬰的な国(スペインのこと)の手にある限り、いつでもとる機会があります。しかし、今ハワイをとらないと、遺憾ながらそれをとる好機は永遠に消えてしまうでしょう。

アメリカの伝統感情のひとつに「黄禍論」があるが、それをもってパ-ルハ-バ-がいかにアメリカ人の「負の心の琴線」にふれたかということがわかる。
日本の高度経済成長の時代にアメリカで映画「猿の惑星」が作られ、またメイドインジャパンの家電製品がアメリカで氾濫し始めた頃、「グレムリン」がつくられた。彼らの襲撃や悪戯が、アジアにある一国のおぼろげな影をまったく意識してはいないとは言い切れない。
なぜなら戦時中から日本人は「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リトル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などと呼ばれていたからだ。
パ-ルハ-バ-のもう一つの側面は、この出来事によってようやくアメリカは一つになった。つまりアメリカは本来の意味で「ユナイテッド・ステ-ト」になったということだ
それにアジを占めたわけではないがその後アメリカは、自らの価値に対抗する如き敵を絶えず探し創出することによって国を固め国力を増大させてきた。それがソ連でありイラクであった。
ソ連が崩壊後、アメリカ的価値捻出の焦点がぼけ始めると、「エイリアン」「ET」「未知との遭遇」など敵を地球人ではなく異星人にした映画が作られた。
そしてこの頃から、アメリカははじめて「異星人」との親善・友好を描き始めた。それは長年、緊張関係にあったソ連崩壊から引き続いた社会主義圏の崩壊に対する余裕ないし世界平和をそこに仮託したということもあるかもしれない。
嘘のようで本当の話なのだが、1939年オ-ソンウエルズの語りで「ニュ-ヨ-クが異星人に襲撃されている」という臨時ニュ-スで始まるドラマの放送を流した時、ニュ-ヨ-ク市民はすさまじいパニックに陥ったそうだ。アメリカが異星人に襲われる、言い換えるとアメリカが異文化の人間に蹂躙されるというのは、あの大国にして自らの「原罪」ゆえか宿痾のように付きまとっている不安なのである。
アメリカが鬼征伐(テロ倒滅)の為にイラクまで出向いたのはそうした不安に根ざしたとも解釈できるが、そこまで出向くには「不安」だけなく、もっと積極的な理由がありそうだ。
イラク派兵は新保守主義(ネオコン)の後押しが強かったという点から見ると、もうひとつの伝統感情(信仰)に根ざしたものがあるのだ。その伝統感情こそ「アメリカ原理主義」ともいうべきもである。
イスラムが原理主義ならば、アメリカだって充分「原理主義」めいていている。
かつてソビエトを「悪の帝国」ときめつけて対決姿勢を強めたのはレ-ガン大統領だった。ブッシュ大統領がフセインのイラクを「悪魔」ときめつけたことと、まったくパラレルである。
ちなみにカリフォルニア州知事出身のレ-ガンは太平洋を重視したという点では、セオドア・ル-ズベルトと共通している。
私が記憶するレ-ガンは、よきアメリカの伝統にもどろう、家族重視、信仰保持、愛国心、など極めて日常的な価値観への復帰を唱えていたように思う。それは原点に戻って一つになろうという内面重視の素朴さや質朴さがあったように思う。ただこれでけではアメリカの「原理主義」というほどのものではない。
「原理主義」というのは何かが大きく揺れ動く時に原点に戻るという発想である。つまり共通の原点(起点)にもどれば分裂した人々はその原点で固く結び合えるという意識であり態度なのだが、固く結び合う核心に何かがなければ「原理主義」とまではいえない。それは「マニフェスト・デステニ-」(明白なる天命)と関わるものだ。
マニフェスト・デステニ-とは、アメリカが太平洋岸まで発展することは神から当たえられた当然の宿命なのだということである。
それはもともとアメリカ西部開拓について言われたものできわめてロ-カルなものだった。
西部開拓を行く幌馬車隊は、平均200名程度で、出発時に規約をつくり、各部隊から代表者を出して、徹底した合議制のもとで旅を続けた。荒野の只中に彼らが作り上げたフロンティア社会においても、合意に基づく政治が基本原則だった。見知らぬ個人同士が、共通の目的のために対等な立場で協力しアメリカ的デモクラシ-の伝統は、こうした厳しい歴史的体験から生まれた。
では今日アメリカは全世界に対してアメリカの価値観を「宣教」するそれほどの「明白な天命」をもつ世界秩序の形成者なのだという意識が一体どこから生じたのか。
結論をいえば、聖書のヨハネ黙示録(20章4節~7節))の「千年王国」の信仰である。アメリカはこの信仰を新大陸に実現しようとしたのであり、この建国の意思にそった行動こそ、アメリカ「原理主義」なのだ
それは新大陸ばかりではなく人類の歴史の最終段階に「千年の至福の時代」がおとずれるという信仰である。
ユダヤ人カ-ル・マルクスにあっては、共産主義の実現を「千年王国」とみたのである。
「千年王国」への信仰という点で、アメリカ原理主義はマルクスの共産主義と重なり合っている。
ただし、聖書の「千年王国」はアメリカ原理主義や共産主義のように、人間の側の営為や努力の結果達成されるものではない。そこに人類最大の勘違い(思いあがり)があったのだ。
アメリカで最近台頭した新保守主義すなわちネオコンの実態は極言すれば、軍事産業と結びついたユダヤ・ロビ-なのだという。ユダヤ人こそユダヤ王国復興を伴なう「千年王国」の信奉者なのだ。

ネオコンに後押しされたブッシュ大統領の正義の誇示は必ずしもアメリカ国内を一つにするという方向にはむかっていかなかったように思う。
映画「華氏911」で描かれた、貧しい者達がイラクの最前線に送り込まれ、なぜ戦わねばならのかと疑問を抱く兵士の姿や、息子を戦場で失ってホワイト・ハウスの前で一日中泣き続ける母親の姿などが、イラク派兵への疑問を投げかけていた。
そして何よりもこの映画が国民に広く受け入れられたことが、そうした「疑問」を物語っている。
ブッシュが敷いた路線はお国の経済事情のため頓挫すると見るのは安易すぎる。むしろ軍事に経済情勢打開を求めるというのは歴史が教えるところだ
「華氏911」で、仕事もなく行き場もなくぶらぶらしている青年達をリクル-トする意気軒昂たる海軍士官の姿が、それをシンボリックに伝えていた。