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クラ-スヌイ・ヤール村 →ルーチェゴルスク
→(シベリア鉄道にて) ハバロスフク
ホテル泊 早朝:村に別れをつげて専用車でルーチェゴルスクへ。 5時間半のシベリア鉄道の旅。 ハバロスク着後、フリー。 |
死の町・ルーチェゴルスク もういい加減時間が経ちすぎて記憶がかなり曖昧になってきているこのシベリア旅行。 この旅行がワールドトレードセンタービルのあの事件の直後だったことを考えると、 すでに2年が経とうとしています(汗)(2003・7) ただ、なんと言っても、この旅行で印象的だったこの日のことを一言でも書き残さないわけにはいきません。 なぜならルーチェゴルスクが「死の町」だったから。 私たち一行はロシアに来たんだから、シベリア鉄道くらい乗りたいよね、的なノリで、わざわざ、遠回りしてバスでルーチェゴルスク駅へ向かったわけですが。 駅に着く1時間くらい前から細い黒い煙が進行方向から棚引いているのに私は気が付きました。 なにせ、360度地平線という見晴らしの中を、走っているバスは自分たちだけと言う状態で、空に一条の煙が細く長く棚引いていることが、異様に思えたのです。 そしてその煙は私たちの乗っているバスを通り越し、更に彼方遠くに向かって流れていく。 くっきりと真っ黒に、細く長く。 「あれは一体何?」 と尋ねても、もちろん誰にも分からなかったのですが。 やがて、ルーチェゴルスクに入ってすぐその正体が分かりました。 ルーチェゴルスクに入ってすぐ、とんでもない硫黄の匂いが鼻を刺し、窓を開けていられない状態になりました。 そして、あの黒い煙が石油工場の煙突から出ているもので、この強烈な匂いを伴っていることが分かったのです。 バスで1時間以上走ったところまで届いていく黒い煙。 私は只呆然とその石油工場の横を通り過ぎるだけでした。 聞けば、ルーチェゴルスクは居住禁止地域とのこと。 そりゃそうだ。 こんなところに人は住めまい。 まさしく死の町だと思いました。 バスが駅に到着する頃になっても匂いは消えておらず、ずっと鼻を押さえていなければいられない状態。 しかし、駅を利用しているロシアの人々は慣れているのか、何ともなさそうな顔。 昨日まであんなに綺麗な大地がこの地球に残されていることが嬉しかったのに。 そう言えば、ビギン川の白鮭はもう上ってこないのだ、とニコライが言っていたような。 下流の川が汚染されて、と言っていたけれど、目の前の綺麗なビギン川を見ているときには、正直ピンと来なかった。 あの川の下流にもこんな工場が建っているのだろうか。 鮭が帰ってこないわけだ。 半端な環境破壊じゃない。 日本じゃもうこんな石油工場はないでしょう。 でも、原子力関係の工場があったりはするんでしょうか。 原子力は、おそらく硫黄の匂いも真っ黒な煙もないだろうけれど、人間の五感では感じることの出来ない汚染が進んでいそうで怖いですね。 |
駅のホームから見たシベリア鉄道 ↓只の小屋にしか見えませんが、これが駅 ↑↑左端が「WILD NAVI」の宮田氏 真ん中、背中が「Sound bum」主催の西村氏 |
↑ホームからの風景、反対側。 |
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←とか何とか言っておきながら、1時間も経つと匂いにも慣れてしまってこのように平気で歯を磨いたりする余裕もあったりするわけで、人間って環境に順応して生きてしまっているのねと、また感慨深く。 たびたび登場の林君で(笑) |
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↓これが時刻表だったのかな? | |
乗っていたバスと駅。→ 今見返すと、よく生きてここまで辿り着いたな、と。 |
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← ←乗り込む一同。 荷物が重いと乗り込むだけで一苦労。 ホームと言ったって、高さはなし。 まあ、ホームから落ちる心配もありませんが。 いろいろ難しいことを考えていてもやっぱり楽しい列車の旅です。 車内販売のパン(ピロシキ?) 紅茶を頼んだら、紙コップは別売りで、ちょっとビックリ。 でも、自前のカップを持っていたら、ティーバックだけでいいのでお得。 お湯は列車に一カ所只でもらえる場所があった(と思う)↓ ↓ |
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← ←やがてハバロフスクに到着。 その間、上にも書いた車内販売の他、途中停車の駅でも列車の周りに物売りが集まってきます。 おそらく列車の時間に合わせてわらわらと集まってきて、列車がいってしまうと家に帰っていくのでしょう。 驚いたのは、売っている物。 なんと、イクラや塩漬けの鮭を売ってました。 試しに買ってみた人から味見させてもらったら、しょっぺー、しょっぺー(笑) ウォッカがすすんでしまいそうなので、私は止めておきました。 |
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