「クマを通じてみえること」
 広島大学付属小学校、学校教育研究会の会誌、「学校教育 3月号」への寄稿文。
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2005/11/24

以下転載
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クマを通じてみえること
                            環境カウンセラー第1997208008 藤田昌弘     

はじめに
 ツキノワグマとは、どのような生き物を想像するでしょうか。ぬいぐるみのような
かわいらしい動物でしょうか、それとも人をも襲う恐ろしい野生動物でしょうか。
 広島県をはじめ島根県、山口県にまたがる西中国山地地域に生息するツキノワグマ
は本州中央部と分離した個体群として、環境省のレッドデータブックの絶滅危惧種に
指定されています。また、これら3県では平成6年から狩猟禁止処置などの保護対策
が執られてきました。
 しかしその生息域は、人間の集落や農林業など人間生活と深くかかわった環境と隣
接しており、そのような場所では、保護対象種としてではなくむしろ有害生物と認識
されています。

ツキノワグマ、恐怖の野生動物?
 ツキノワグマの場合、それが引き起こす”被害”には農作物への被害以外に、人身
事故という問題があります。これがツキノワグマに対する恐怖感や憎しみといった感
情的かつ深刻な問題を引き起こしています。
 特に中山間部、山間部の過疎化や老齢化は著しいもので、それら土地を守ろうとす
る人の力と意欲の低下は無視できない状況にあります。これらの土地に住み、生まれ
育った人たちにとっては、このような中山間部、山間部の抱える社会問題を無視した
保護論のみの展開は、反発を生むだけで決して現実的なことではありません。
 昨年、平成16年は北陸をはじめ本州の日本海側でツキノワグマの異常出没が問題
となりました。中国地方の各県もその例外ではありませんでした。中国地方特に広島
県、島根県、山口県ではあわせて290頭あまりのツキノワグマが有害鳥獣駆除やイ
ノシシ罠への錯誤捕獲という名目で駆除されました〈平成16年11月末現在)。
 昨年の駆除個体、それらの大部分は9月から10月にかけての僅かな期間に集中して
いたことが特徴的でした。出没地点も通常考えられる生息範囲を大きく逸脱した例も
ありました。
 さらに、マスコミなどの報道も相当に加熱気味で、農山村におけるクマに対する住
民感情はさらに悪化してしまいました。

クマの行動は本当に変化してしまったのか
 さて、昨年は通常の生息域を越えて出没してきた原因は何だったのでしょう。一説
には、ミズナラなどのドングリ類凶作によるの餌不足や台風の影響などといわれてい
ます。それも現象の一面を説明したに過ぎません。また、根本的にツキノワグマその
ものが性質を変えてしまったのではないかという意見も聞かれます。
 ツキノワグマを取り巻く環境とは何でしょうか。本来、ツキノワグマが生息地とし
ているのは夏緑樹林帯、主に落葉広葉樹の森で、ドングリのなるナラ類などもそのよ
うな植生帯に見られる樹木です。中国地方に限れば、潜在的にこのような植生は標高
で約600m以上の地域に分布しています。ツキノワグマはこの環境に適応した生物
でした。
 山間部の環境の変化やツキノワグマの出没数、駆除数の増加が劇的に顕在化したの
は1960年代頃からでした。そのころに符合する事象として、拡大造林による高標
高地の落葉広葉樹林の減少により、ツキノワグマに供給されてきた餌資源を支える環
境が無くなってきたことが挙げられます。
 さらに薪炭から石油燃料への転換、化学肥料中心への農業形態の変化があります。
これは人間の生活そのものが集落を取り巻く山林環境である里山に、生活に不可欠な
燃料や肥料となる落ち葉などに頼っていたからです。その結果、里山の森林は森林の
形態を保ちながらも、よく管理された人工林的な環境、定期的な伐採を繰り返す決し
て成熟しない森林環境が形作られてきました。
 生活の大部分を石油製品に転換したころから、里山の利用価値が低下し、手を加え
られなくなった森林は40年という期間を通じて、未曾有の成熟した森林地帯を集落
周辺に形成するに至りました。さらに離村や過疎化といった要因も加わり、人の気配
の無い森林環境が形作られていきました。そのような環境がツキノワグマをはじめ多
くの野生動物を呼びこみ、現在の鳥獣害問題を誘導する結果になったものと考えられ
ています。
 ただし、これらもあまたある要因の一部であり、どれが主要因かという実証はあり
ません。しかしツキノワグマを取り巻く直接的な環境に変化があったという点は明確
です。このことから、ツキノワグマ自身の習性の変化といわれていることは、人間社
会の変化に伴って無意識的に与えつづけてきた環境変化への素直な適応にすぎないと
も考えられます。
 多くの公害問題と同様、鳥獣害問題も人間社会そのものが作り出してきた、という
側面に目を背けてはならないのです。

本当に失ったもの
 山間部に住む人達は、山林を何の理由も無く切ってきたわけではありません。かつ
て山間部で暮らす人々にとって山林は生活の糧となる重要な資源であり大事に利用し
てきたものだったからです。
 大雑把に言えば、国を挙げての工業化、交通網の充実のための資材、建材としての
要求があったからで、誤解を恐れなければ、すべては都市部の要求にこたえる為に切
られたものだったとはいえないでしょうか。
 そしてその跡には、有用木材生産のためスギ、ヒノキの一斉植栽、拡大造林が勧め
られてきたという一面がありました。しかし、それに従事した全ての人がそれに賛同
していたわけではなかったようでした。山で生まれ育ったとある古老の話として、こ
んなところまで植林すべきではないと思いつつもお上のいうことであれば仕方がない
ので植え続けなければならなかった、と聞きました。
 山間部で暮す人々がそれで大きな恩恵を受けたというのであれば、現在見られるよ
うな過疎化や老齢化という問題はいったい何処からきたのでしょう。
 また、そうやって拡大した植林地、すべてが健全に育ったわけではありません。さ
らに国産材の材価は経営的に成り立たないほど低迷し、需要に応えられないままでい
ます。疑問を持ちながらも将来を期待して植林を続けた先人達の汗と努力に応えるも
のとは何で、どうあるべきだったのでしょうか。
 失われたのはツキノワグマの生息環境だけではなかったように思われます。

これからのこと
 野生動物による被害を無くし、壊された環境を再生したり再配置したりすること、
そして、野生動物達の生存も保障し共存して行くこと、現状では非常に困難な問題で
す。このような野生動物の保護管理に携わって感じたことは圧倒的にわからないこと
が多すぎること。複雑な要因が多すぎることです。
 人が暮す環境と野生動物たちが暮す環境はそれぞれ別なものではなく、関係ないよ
うでも互いに干渉しあいながら形作られているものです。ツキノワグマを見ていたつ
もりでも、その向こうに人の姿や生活の一端が見えます。自然環境と定義されるもの
自体、その土地における人による何らかの利用の歴史があり、経済活動があり様々な
形の影響を受けてきています。
 野生動物の保護管理の問題は、動物生態学の研究だけで解決することではありませ
ん。土地利用の歴史が関係するならば人文地理学的アプローチも必要だろうし、農林
業の生産活動が関わるならば経済学や農政問題を掘り下げなければなりません。一つ
一つの課題を解きほぐしてゆく過程で、野生動物の向こうに人の生活そのものが見え
ているはずであることを無視してはいけません。
 西中国3県は平成12年から、3県共通の特定鳥獣保護管理計画に基づいたツキノ
ワグマの保護と管理を実行しています。ツキノワグマ自体が県境とは関係なく主要な
生息地である西中国山地を共有するという点、各県の持つ特有な問題を考慮しつつも、
共通の保護管理計画を持つことにしたのです。画期的なことというよりは、むしろ自
然な保護管理政策のありかたと評価できます。
 このように保護管理に関する考え方のフレームはありますが、実際の現場では常に
難しい判断を迫られます。殺処分を選択すれば保護論者からは生殺与奪の権利がある
のかと批判を受け、放獣を選択すれば被害者達からは疎まれます。何時も身にしみて
感じるのは、このような批判や葛藤を正面から受け入れる覚悟ができているのかとい
うことです。
 しかし、どうかごく一部の問題だとか、他人事とは思わないでください。野生動物
の保護管理とはどうあるべきか、共存とはどういうことか皆が関心を持って育て上げ
て行くという視点も忘れないでほしいと思っているからです。これは我々の社会、生
活そのものだからです。
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