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[20012.2.15]
中国における鉄器の歴史
日本の鉄の歴史は紀元4〜5世紀のたたら製鉄にはじまる。しかし、日本に鉄が渡来したのは紀元1世紀頃である。九州ではこの頃の遺跡から鉄が発掘されていることからも推測できる。
中国では三国志の時代には鉄はかなり普及し、秦の始皇帝は馬車で山東省の沿岸まで何度も訪れ、東海に不老不死の妙薬を求めようとした。前漢の武帝の時代には塩鉄制度が定められ、鉄の使用が制限された。さらに春秋・戦国時代に遡れば、鉄製の武器や農具・工具は存在していたことが史記に記され、攻城戦には鉄板なども使われたようである。しかし、どこでどのように鉄が造られたかは明らかになっていない。
中国では銅やブロンズの製造は紀元前2,000年に遡るが、中東や西洋から伝わってきたのではなく、中国独自に青銅の溶解技術(smelting)はあったものと考えられている。鉄の融点は銅よりかなり高い(1,150〜1,500℃)こともあって鉄の製造は、ブロンズよりかなり時代が下ると考えられる。しかし、紀元前1,000年頃、鉄の鍛造技術は西洋から中国に伝わってきたとする推定がある。炭素を2%程度含む鉄(鋳鉄)は融点が1,150℃程度に低下するから、比較的低温で溶ける鉄を型に鋳込むことは中国独自の技術として行われてきた。早くからブロンズを製造していた彼らにとって、鋳造の技術は比較的容易に行われていたと考えられる。BC512年頃までにはかなり大型の鉄製品を鋳込むことができるようになっている。またBC100年までには水車を利用して‘ふいご’のような装置で炉に風を連続して送れるようになり、したがって高温が得られるようになった。西洋ではAC500年頃になるまでは、送風技術は開発されなかった(HP: The Age of Iron )。日本の’たたら’は時代がかなり下るものの、足踏みによる’ふいご’や水車を利用した連続送風が行われているので、日本の製鉄技術は中国から入ってきたものとも推定される。
中国で盛んに製造された鋳物は硬くて脆く、短剣などの武器には適していなかったが、その後、C量の多い鋳物でも大気下800〜900℃で加熱するとCはCO2やCOとして低下させることができ、適当な柔軟性が得られることがわかり、かなり大量生産ができた。ヨーロッパでは鍛造した鉄の上に鋼の被覆を施すことが行われたが、脱炭法よりも生産性が悪い。
一方、2004年、東京国立博物館(平成館)で開かれた中国国宝展には西周時代(紀元前9世紀〜紀元前8世紀)とされる「玉柄鉄剣」が展示された。玉でできた柄の先に刃渡り20cmくらいの鉄剣がつないである。鉄部は厚さが1cmにもなるような厚い錆層が覆っており、先端部には鉄の原型が見える。この玉柄鉄剣は2001年、河南省山門峡市虎国墓地2001号墓から出土した。展示品の説明には「・・・中国最古の鉄器として精錬して造られた。当時は銀色に輝いていて、注目されたに違いない」と記されている。
最近になって愛媛大学東アジア古代鉄文化センターでは、中国四川省成都平原で中国の成都考古学研究所と共同で古代製鉄遺跡の共同発掘調査が行われている(2007)。その調査によれば、成都平原で紀元1世紀、漢代頃の巨大な製鉄炉が出土しており、付近には長さが約1.5mにも及ぶ大鉄塊が見つかっているという。史記129巻貨殖列伝には成都平原に大規模な製鉄が行われ、2,000人にも及ぶ人たちが働いていたという記述があり、大富豪として「卓」氏・「程」氏が記されているという。漢書(28巻上)には四川に鉄官・塩官が置かれことが記述されているという(愛媛大学東アジア古代鉄文化センターHPによる)。確かに前漢・武帝の時代に塩官制度が設けられたことはよく知られている。このように紀元1世紀頃には四川成都に大がかりな鉄文化が花開いていたことは、最近になって明らかになったことである。さらに愛媛大学東アジア古代鉄文化センターのシンポジウム資料によれば、甘粛省・陝西省など中国西部に偏在して金柄や青銅柄に装着された鉄剣が見つかっている(前述の玉柄鉄剣と同じ?)。これらはヒッタイトの鉄剣と形が類似しており西部から伝わってきたことを色濃く示している。この事実はアナトリア高原を起源とする錬鉄が早い時代に中国に伝わってきていたことを示唆するものである。
インドでは釈迦(ゴータマ・シッタルタ:BC306年)の在世中に鉄のさびの喩えを残していることから、少なくとも紀元前4世紀より以前に鉄(錬鉄)はインドに伝わってきており、いずれのルートにしても早い時期に中国まで伝わり、さらに出雲の‘たたら‘にも影響を与えたことは十分考えられる。しかし、たたらが中国から伝来したという具体的な証拠はなく空白になっているのが現状のように思える。
[2011.9.4]
銅および黄銅の局部腐食の制御
MP 2011-Augustにはヴァージニア工科大学のMarc EdwardsとE.Sarverの標記の論文が掲載されている。以前よりEdwards氏の銅管の孔食に関する研究に注目している。10年前に起こったワシントンDC近郊の住宅地において発生した給水銅管の孔食事故は、Edwards氏が中心になって解決にあたった経緯がある。銅管に発生する孔食および黄銅の脱亜鉛腐食や鉛溶出の問題は欧米においてもいまだ明確な対策が見つかっていない。
Edwards氏によれば、給水配管系における銅管の孔食に対して腐食性の水とは、遊離残留塩素、高pH 、及び低アルカリ度、流速が高い場合にピットの成長を促すとしている。それに対して天然有機物質(NOM)、あるいはインヒビターの注入はピットの成長を抑制するとしている。日本では流速が遅い方が感受性は高い。またNOMについては明らかになっていない。ここでいうインヒビターはオルトリン酸であり、日本ではポリリン酸塩が使われる点で事情が異なる。
一方、高Zn黄銅(二相黄銅)の脱亜鉛腐食は合金の特性と腐食性の水の相互作用で起こるとしている。黄銅の腐食問題はいくつかの要因によって支配され、高塩化物イオン濃度と低アルカリ度の場合に脱亜鉛腐食を促進すると言われているが、有効なインヒビターは知られていない。最近、耐脱亜鉛黄銅(DZR)が開発されており、脱亜鉛腐食の防止に有効であるが、鉛リッチな結晶粒界の粒界腐食やDZRの腐食を促進するという。
米国における法規制に関して、最近、カリフォルニア州ではプラスチック配管において使われるすべての黄銅はDZRに認定されたものを必要とする。また、2011年1月、連邦政府は鉛フリー黄銅の鉛含有量の下限値を0.25wt%に低下させることになった。
耐脱亜鉛腐食性の評価は、欧米ではISO 6509が適用されている。しかし、DZRの評価法との関係で試験法の改定が行われているという。英国ではISO 6509の試験で断面方向では100μmを超えないこと、縦方向に対しては200μmとなっている。しかし、スエーデンはそれぞれ、200μmと400μmと閾値がことなっている。日本は日本伸銅協会によるアノード溶解法を採用している。米国では銅管の孔食や黄銅の脱亜鉛腐食、鉛溶出問題に対して、水道当局、メーカー、施工者が応分の責任を分かち合うべきだという。とりわけ水道事業者の責任は大きいという。腐食性の水を供給する水道事業者は腐食性水質であればそれを改善すべきだという。この点、日本は大口の水道事業であり、小回りがきかない点で事情が異なる。しかし、東京都や大阪市では高度浄水化が行われ、pHの上昇などの改善が行われているが、配管材料の腐食対策までには至っていない。
[2011.8.29]
山本洋一博士の業績と金属の歴史
山本洋一博士は金属腐食に関して研究者であり、ご存命中は腐食や金属表面処理に関する学会でも研究者と積極的な議論をされていたのを記憶する。先生の腐食に対する理論はプランク定数hをもとに展開されたので、一般の多くの研究者は議論について行けず意見がかみ合わない(次元が違う?)、しらけたムードが漂った記憶がある。理論はどうであれ、実務的な問題解決には多く貢献され、山本博士の薫陶を得た弟子の方々も多い。日本大学教授門井守夫氏、技術士・田尻勝紀氏、五木田功氏も門下生で今日でも山本博士のことを伺うことがある。筆者は当時、若年で山本博士と直接、議論をする機会はなかったが、先生は大変な勉強家であり、短髪の風貌で何か仏教徒の雰囲気を持っておられ信仰をお持ちだったかもしれない。インターネットで検索すると、「科学の時代の中の仏教」あるいは科学主義工業(第8巻第2号)に随筆「土金の伝と銹」の著作が出てくるほか、随筆など多数ある。先生にとって仏教は信仰の対象ではなく、人間世界の成り立ちの根本原理なのである
山本洋一博士(1904〜2002)は東京大学理学部卒業後、理化学研究所に入られ、昭和16年には陸軍技術研究所に移られ、そこで原爆製造のプロジェクトに参画されたという(保阪正康著:『昭和の空白を読み解く』)。理化学研究所在籍中には我が恩師でもあった伊藤伍郎博士も在籍されており、ともにさびの研究に従事されていたようだ。そのような経緯からか、終戦後、設立された科学技術庁金属材料技術研究所において伊藤伍郎博士は原子力発電にかかわる腐食問題の研究に携わられた。前記研究所で筆者が指導を受けた伊藤伍郎博士はぶっきらぼうなところもあったが非常に頭の切れる人で、何でも山本洋一博士は陸軍の位では伊藤伍郎博士の下だったとか。
後年、筆者の直接の上司であった小林豊治氏とともに腐食速度の電気化学測定法について研究していたとき、分極抵抗法とRGY法(山本洋一博士の開発された手法)と比較的よく合うことを学会で発表し、当時、小林氏も山本洋一博士とはよくご存知の間柄であったから、大いに喜んでおられた記憶がよみがえる。このように見てくると、筆者自身も山本洋一博士とつながりがあることを知る。
最近になって、山本博士が表された次の著書を改めて読み直し、新たな感銘を覚えた。
「日本と世界における防錆防食の歴史」(第一巻) 金属の生産と使用を含めて ---- 日本大学教授・技術士・工学博士 山本洋一著
この著書には、有史前から金属の腐食と防食の歴史的発展を年代順に記述されており、単に金属の歴史ばかりではなく、文明史も触れられているので一般の人が読んでもわかりやすく、面白い。
司馬遼太郎は金属の歴史、なかんずく鉄の歴史にはとくに関心が強いのはよく知られており、鉄の出現が歴史を変えてきたことからも当然のことかもしれない。「街道をゆく」の中でも、「砂鉄のみち」、「国友鉄砲」、「アームストロング砲」など、それに古代中国の鉄、ヒッタイト帝国のことなどに様々な想像を巡らせている。
山本先生の金属の歴史は鉄のみならず、青銅やその他の金属まで広範に及ぶ。その中でも第一巻の中からいくつかの印象に残ったことを抜き出してみたい。
・B.C.800年頃にはフランス(当時はゴール)ではじめて鉄器が使われている。中国では漢代にはじめて鉄器が使われた。
・B.C.750年にはギリシャのスパルタで鉄銭が貨幣として使われたという。
・B.C.712頃にはニネヴェのサルゴン王の宮殿跡から3.6〜20kgの鉄の塊が出土し、全体で160トンにも及ぶという。詳しい出典はないが写真は紹介されている。
・B.C.700年頃インドでは、滅んだヒッタイト帝国から逃れ、移動してきたヒッタイト人から製鉄を学んだという。
・漆喰(シックイ)とはかねて日本語ではないと思っていたが、石灰の唐音(漢語)だそうだ。確かに石灰のピンインはshi huiだ。
・B.C.600年頃、春秋時代には鉄器の使用が盛んになっている。
・B.C.400年頃にはギリシャで羊の毛を刈るために鉄の鋏が発明された。
・ B.C.306年にはインドの釈迦が入滅しているが、シッタルタ=ゴータマ(釈迦)が表した法句経のなかに“錆は鉄より生じて、その鉄をいためるが、それと同じく、人のなした悪がその人をますます悪くする。”(法句経240番、悪生於心、還自壊形、如鉄生垢、反食其身)。それが日本で身から出た錆につながると山本先生は述べられている。はたして釈迦が在世中に鉄が普及していたとは考えにくいが、もともとヒッタイト民族は鉄を見つけて大きな勢力を張ったことはよく知られており、ヒッタイト族はヨーロッパ方面や、東へ東へと勢力を伸ばしていき、当時すでに鉄文明はインド(BC700年)にまで届いていて、貴重な兵器として知られていたことは十分考えられる。今日の鉄とは異なり、強力な武器としてさびては困る存在になっていたことは十分考えられる。
・江戸時代(1680年頃)にできた犬棒いろはがるたの中にある「身から出た錆び」は井原西鶴が使い出したとされる。「いろはカルタ」の身は「刀身」を指しており、刀を抜いたときに錆もこぼれてきたことから、武士の日頃の手入れの悪いことを意味し、自業自得だという意味に使われている。明治・大正の頃には、巡査に引かれる罪人の絵が画がかれているという
・法句経の239に「たくみ(工巧者)の 銀(しろがね)のさびを 除(のぞ)くがごとく かしこき人は徐(おもむ)ろに 一つ一つ 刹那 刹那に おのれのけがれを のぞくべし」(友松圓諦)とある。銀は放置しておくと黒く変色するので銀製の装飾品は磨いてときどき手入れが必要である。鉄の錆とは異なって銀は徐々に黒変するので、ときどき手入れが必要なことを表していると解釈する。BC300年には喩えに引き合いにだされるほど鉄や銀は普及していたと思われる。
[2011.3.29]
東日本大地震と東電福島第一原発の崩壊
2011.3.11、午後2時46分に発生した地震と大津波によって、福島第一原発は未曾有の危機に瀕している。震度7の地震発生によって、稼働中の原子炉は緊急停止した(制御棒が入る)。その後予想を超える大津波(10m以上)によって、冷却システムのすべてが失われ原子炉をクールダウンすることができなくなった。
懸命の努力に係わらず、大量の放射性物質が漏洩しつつあり、一刻も早い対応が必要になっている。今や東京電力一社の問題ではなく、わが国の衆知を結集して対応しなければならない状況だ。
今回の福島第一原子炉の事故は、想定外の大津波の襲来がすべての始まりである。原子炉の安全性は津波に対して過去の津波事故を踏まえて、安全基準が定められたはずである。しかし、今回、想定外の大津波が来襲した、自然の驚異は人智を超えたものだったといえる。そのような意味で天罰だとも言えるかもしれない。かつて原子力安全の一端を担ったものとして、悲しみに耐えない気持ちだ。
[2010.8.26]
船舶の腐食防止とIMO規制
5月25日付け日刊工業新聞によれば、三井造船はIMOの規制強化に対応して千葉事業所内に総額25億円を投じて塗装専門工場を建設することが報じられた。国際連合の専門機関である国際海事機関(IMO)は、沿岸や海洋における水質汚染や環境問題が船舶の廃棄物や船底塗料に毒物が使われていることに対する批判に対して様々な規制を設けて対処してきた。今回の措置はバラストタンクの腐食防止対策に関する新基準を満たすためにとられた対策である。IMOの規制の精神は耐久性が優れた塗装を施すことにより、塗装の塗り替え期間を大幅に延長でき、それによって環境に与える悪影響も著しく低減できるとの思想に基づいている。もちろん塗装過程で環境に悪影響を与えてはならないし、貝類や藻類の付着防止に有効だからといって毒物を塗料に混ぜることは許されない。IMOは「バラストタンク等塗装性能基準(PSPC)」を定め、500総トン以上の船舶のバラストタンクやバラ積み運搬船(バルクキャリア)の二重船側部に適用される。
塗装にあたって錆落としは、塵埃が発生するため屋外ではむずかしく、地球温暖化の原因とされる揮発性の有機溶剤は使用してはならないなど規制が厳しく、また塗装にあたって規制にしたがって塗装されるかどうかを検査するコーティングインスペクター(CIP)の立会が義務づけられている。CIPの資格は一定の講習会と試験に合格することが必要である。現在はNACEおよびFROSIOが資格認定の講習会を実施している。
造船各社はIMO規制に準拠した塗装工場の新設が行われている。ここにきて多少の回復は見られるもの、船舶建造の受注が減少傾向の中にあって、多額の投資が必要になっている。
[2010.1.1, 2.24]
兵馬俑と銅馬車
年末の12月28日、仲間と4人で寒さ厳しい西安を訪れた。西安の街は北京や上海と同じように、晴れているはずなのにいつも霞がかかったよう。最高でも2〜3℃、上下ともユニクロのヒートテックの下着を着ていたが、それにもう一枚下着を重ねなければ耐えられない。日本と違って年末という雰囲気は感じられない。東京と西安との間には直行便は現在、運行されていないので中国東方航空で、上海経由で6時間はかかる。
物好きにも、この寒いさなかに西安を訪れるのはめずらしいと、西安交通大学教授で、日本文学の研究者でもある金中博士にも言われたが、いろんな場所を訪れても、見物者で混雑することはなかった。
兵馬俑はあまりに有名で、改めて紹介するまでもないが、実際に目にする陶製の兵士の姿形はとても、いまから2200年も前の秦の始皇帝時代にできたとは思えない。陶製の兵俑には色彩が施されており、発掘時には鎧に鮮やかな赤色の縁取りがされていたことが、当時撮られた写真でわかる。しかし、大気に曝されると変色してしまうことがわかり、しばらく中断して防食処理が施されるようになった。その研究は中国と英国との共同で行われたことが、NACEの雑誌MPに紹介されていることは、この欄でも紹介した。同様なことは、唐三彩として知られる乾帝陵の壁画にも起こり、本物は今ではどこかの博物館に保存されているという。どうしてこのような事態が起こるのか不思議にも思える。まさしく乾帝陵の壁画は高松塚古墳のことを思い出させる。
しかし、金属を専門とする観点から興味がそそられるのは、実物の二分の一に作られた銅製馬車である。 つまりブロンズ製で実に精巧に作られていて、傘や車輪の細かな細工には驚かされる。銅あるいは青銅は少なくとも2000年は土中で大した腐食することもなく保存されることを物語っている。馬の表面は白っぽい付着物が見られ、固着しているように見えるので青銅の腐食生成物かもしれない。
中国、前漢の時代は青銅が広くつかわれていたが、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の中で鏃(やじり)に青銅から真鍮(黄銅)に換わって殺傷力を高めたといった記述がある。
秦の始皇帝は六国(りく)を滅ぼしたが、再び武装することのないように、天下の兵器を咸陽に集めて鋳つぶした。それが劉邦との戦に幸いしたという。矢の先端に付ける鏃(やじり)は、当時すでに銅のような柔らかな材料ではなく、真鍮のような硬い合金で、民間で簡単にできるようなかったと書かれている。はたして紀元前200年前に真鍮の製造は可能であっただろうか。真鍮は銅と亜鉛の合金で亜鉛30〜40%を含むが亜鉛の融点は銅に比べて遙かに低いので合金を製造するのは近代にならないとむずかしいと考えられている。しかし、銅と亜鉛の鉱石を焼いて偶然に、亜鉛を含む合金ができたことは、十分考えられ、起源前200年頃には中東地域では作られた可能性が指摘されている。その場合は亜鉛の含有量は多くなかったはずだる。しかし、純銅に少しでも亜鉛が合金化されれば、結晶格子を歪ませ、銅は硬くなるであろう。青銅は紀元前2000年以上も前の殷周の時代から大量に用いられている。黄銅は青銅に比べて強度的にも強いとは言えず、鉄(錬鉄?)ではないかと思われる。司馬遼太郎は鉄の歴史には詳しいから、鉄と区別できないわけではない。そう考えると現在の真鍮ではなくても亜鉛を少し合金化した銅合金が用いられた可能性は考えられる。ヒッタイトの鉄や中国での鉄の始まり古いが、黄銅はどうであろうか。
[2009/11/04]
錆びない超高純度鉄
鉄の歴史展覧会「鉄137億年の宇宙誌」が2009.7.24〜11.3、東大総合研究博物館(本郷)において開催された。様々な観点から鉄を見つめる企画で、多くの参観者の関心を集めたようだ。錆びない鉄が展示されているとのことで、最終日の11月3日見学に訪れた。
世界最高純度の99.9999%の超高純度鉄(不純物1ppm)は、東北大学金属材料研究室の安彦研究室で作られた。テレビにもしばしば登場しているが、デシケータ中に直径15cm高さ10cmくらいの大きさで、明るい金属光沢を放つ鉄の塊が展示されていた。これだけ高純度となると、特有のいろいろな特性が表れるらしい。超高純度の 鉄クロム合金もきれいな樹枝状組織を示すものが展示されていた。テレビで放映された、塩酸に浸漬された普通の鉄と超高純度鉄の腐食テストでは、両者の腐食の様子が異なり、普通の鉄は盛んにガスを発生して腐食の進んでいることを示したのに対して、超高純度の鉄はガスの発生は著しく少なかった。ガスは水素ガスであり、当量の鉄が溶解していることになる。どうして高超純度鉄は腐食しにくいのか、不働態皮膜のような酸化膜は存在しないであろうから、カソード反応としての水素発生過電圧が著しく大になったのだろうか、鉄のイオン化を阻止しているのか、知りたいところである。
鉄はいつ頃から作られるようになったかは、鉄の歴史としてしばしば話題になる。人類が利用し始めた鉄(鉄+ニッケル)は、隕石からのものが最初であろうが、本展覧会では、イラン北西部デーラマン地方で見つかった紀元前1000〜1500年頃の鉄剣(長さ49.7cm)や、やはり中東で見つかった青銅と鉄を組み合わせたバイメタル製の槍先が展示されていた。後者の外見は青銅のようで、もちろん錆はなく、内部は鉄だとのことである。鉄剣のはじまりは、紀元1500〜2000年頃のヒッタイト帝国に始まるとされる。青銅に換わって鉄を手にしたヒッタイト帝国は強大な勢力を誇ったことは十分想像される。鉄は融点が高く、製錬には高温を必要とするので、青銅に比べれば遙かに時代を下らないと難しいと見られていたが、中東地域に古くから使われていたことになる。
日本の鉄に関しては、古墳時代(六世紀後半、1300年前)のもので、群馬県藤原町で発掘された衝角付冑(かぶと)が展示されていた。鉄の板を組み合わせ鋲で鉄留めされている。土と錆で覆われているが鉄は十分原型をなしている。
この展示会では、様々な鉄の応用品が展示されていたが。従来の銅系の高温超伝導物質と異なり、困難だとされた鉄系超伝導物質が新たに発見され、世界的に関心が持たれている東京工業大学細野研究室で開発された鉄系超伝導物質(LaFeASO1-xFx)が展示されていた。このような材料も外見的には何ら変哲のないものにしか見えない。このほかTRIP(トリップ鋼:Thermo Mechanical Process)や鋼材き裂伝播停止機能を有する鋼材などが展示されていた。鉄材料はもはや開発し尽くされたと見える時もあったが、ここに来て大きなブレイクスルーがあったように見える展示会だった。
(2009.11.6修正)
[2009/04/07,6/29修正]
酸性河川の中和
草津温泉は豊富な湯量にも恵まれた国内有数の硫黄泉として知られている。しかし、泉質は強い酸性であるために、そのまま下流に流れると鉄やコンクリートを著しく腐食させる。草津温泉の中心にある湯畑は硫黄が析出して湯ノ花が採取されている。付近は硫黄の強い臭いが漂っている。このあたりが本来の泉源で白畑源泉あるいは湯畑源泉と呼ばれ、一ノ井ホテル、草津旅館はじめ古い旅館やホテルはこの泉源から引き湯している。白畑源泉のpHは2.0〜2.2と強い酸性を示している。もう一つの大きな泉源は万代鉱で、もともと硫黄を採掘していて吹き出したものとされ、比較的新しい泉源である。殺生河原から温泉街向かって降りてくると、突然白い湯煙がもうもうと吹き上げている景色にぶつかる。この泉源は湯量が豊富で旅館やホテルに引き湯されている。比較的透明であるが酸性は強く、pH1.5にもなる。白畑泉源に比べて多少ぴりぴりするが、酸性が強い、あるいは塩酸成分を含むためだともされている。
草津温泉の向こう側、白根山の麓には、万座温泉がある。この温泉は草津温泉と泉質は似ている。草津温泉が近年見直されたのは、酸性が高いためレジオネラ属菌による感染症の心配がないことである。中性・弱アルカリ泉はレジオネラ属菌の増殖を懸念して塩素消毒剤が注入されることになっている。大抵の温泉は塩素臭がする。塩素臭がすれば安心して温泉につかることができる。このように従来の温泉とは趣が異なってきた。草津温泉は昔と変わらず掛け流しの温泉として体を癒すことができる。
pH2とはどの位の腐食性か、品木ダム水質管理所に展示されているテスト結果を見ると、5寸釘(径約6mm)が10日で径2〜3mmくらいにまで細るという激しいものだ。
強い酸性の水や温泉が温泉街を通る湯川に注ぎ込み、下って吾妻川に合流する。このような強い酸性の水が下流に流れれば、魚類は棲まず、鋼構造物やコンクリートの施設は腐食する。そこで、昭和39年に石灰によりこれを中和する事業が開始され、現在は国土交通省によって中和事業が続けられている。草津温泉街のはずれ、「大滝の湯」の近くに中和工場があり、石灰乳が湯川に流し込まれている。石灰は近くの鉱山から粉末(75ミクロン)にしたものを、タンクローリーによって運ばれサイロに蓄えられて、湯川の水で石灰乳にして落とし込まれる。中和反応は次式によると書かれている。
CaCO3 + H2SO4 → CaSO4 + H2CO3
反応生成物である石膏(CaSO4)は、下流の品木ダムに沈積し、ダム底は次第に上昇するため、浚渫して別の場所に埋設処分されている。
このような事業が行われているために、吾妻川には魚が棲み、下流の利根川の水は水道水の源水されている。
[2008.12.31]
ビジネスとしての腐食防食技術コンサルティング
「材料と環境」vol.57,547(2008)より転載
経営コンサルタント、ITコンサルティング、webコンサルティングなどをはじめとして様々な分野で、顧客の要望に基づいて特定の課題に対して相談にのり、問題解決を図るのがコンサルティング業務である。コンサルティング業務が成熟した米国では、物品を販売しないコンサルティング専門の会社も多い。腐食・防食分野では、カソード防食、コーティング、ライニング、パイプラインのコンサルティングを始め、損傷解析、試験・研究、教育・訓練に至るまで幅広い。NACE Buyers Guide (2007)に掲載されている腐食・防食関連のコンサルタントは150件(米国以外も含む)以上にものぼる。日本では、コンサルタント自体も少なく、依頼者側にしても具体的な製品をもたない知財の売買は不慣れで、いくら請求されるか不安もあり、気軽に相談できないのが日本の実情ではないかと思われる。
ITコンサルティングのように、技術の専門性が高く、進歩が著しい技術分野では、企業規模やビジネス分野に応じたシステムを導入する場合、社内に専門家を配置することはむずかしく、社外の専門家に相談するほうが効率的な場合がある。腐食・防食技術の専門家を擁しない一般の企業においては、遭遇した腐食の問題を解決するには相談する相手を探すことから始まる。今日、インターネットを通してコンサルタントを検索することが以前より遙かに容易になった。インターネットが普及する前は、人づてに適切な人を紹介してもらい、技術分野によってはさらに別の人に紹介を依頼することもあった。また、関連する本を求めて著者や発行元に紹介してもらうこともあった。筆者はささやかながらホームページを開設していたため、それを通しての問い合わせが多い。インターネットが普及するまでは、広告手段を持たない零細企業では、企業の存在自体を知らしめる方法はなかったので、インターネットはコンサルティング業務には有力な手段となっている。
顧客からの問い合わせに始まり、コンサルタントは顧客から問題の概要を聞いて、解決への手順と対価の見積を提示した上で、契約を取り交わし、業務に着手する。 コンサルティングは依頼者の事情や問題点を聞かなければならない立場にあり、機密に触れることもあり得るので守秘義務は当然、依頼者の信頼を得ることが重要である。腐食の問題はしばしば工事や施工、管理の不備、何らかの不始末の結果招来したもので社外には知られたくないことが多い。そのような意味でも顧客の信頼を得ることが大切である。
コンサルティングは基本的にサービス業の範疇である。顧客の立場からコンサルタントの品質を判断する手がかりは資格である。当協会の腐食防食専門士、技術士、NACEの資格制度などの資格は技術的バックボーンを知り、信頼を得る上で助けとなる。顧客からの依頼に対して適切な報告書を作成できるかどうかも重要である。腐食トラブルはしばしば利害が対立し、係争関係にある場合、ソリューションの内容を依頼者がよく理解し、論理的に納得できることが必要である。腐食のメカニズムからして、ある程度の腐食に関する知識の素地がないと、報告書の趣旨をよく理解し、相手を説得することはできない。コンサルタントは論理的で説得力のあるソリューションを顧客に提示しなければならない。腐食トラブルは関係する要因も多く、いつも明確な回答が出るとは限らない。腐食原因としてこのようなことも、あのようなことも考えられると言って、顧客の選択にまかせるような回答では、対価が得られるものではない。決断が迫られることも多い。
コンサルティングは具体的な物品の取引と異なり知財の価値であり、それを具体的な金銭として請求しなければならない難しさがある。腐食トラブルはしばしば直接的ないし二次的損害を生じるので、その金銭的補償を伴うことが多い。責任の所在がどちらにあるかを明らかにするための係争となり、裁判(紛争解決センターのような民間の裁定機関も含め)に裁定を求めることになる。その場合、原告・被告側はそれぞれの側で専門家を立て、弁論を通して双方が主張をぶつけ合い、どちらの論理が説得力あるかによって勝敗が決することになる。双方は専門家のコンサルタントを頼んで互いに主張を述べ合うが、正当性を主張するため最新の論文を引用して議論を戦かわせることもある。
筆者が扱った業務は、腐食トラブルの原因究明と対策調査、腐食・防食関連のセミナー講師、企業における教育、試験研究受託などである。取り扱った最近10年間のコンサルティング件数47件のうち、材料別では銅及び銅合金(黄銅)が38%、炭素鋼(亜鉛めっき鋼管、鍛造品、鋳物を含む)が36%、ステンレス鋼17%、その他9%となっている。銅及び銅合金関係では、銅管の孔食や潰食、黄銅の脱亜鉛、時期割れなどの問題が多かった。炭素鋼では亜鉛めっき鋼管の赤水、極性逆転による局部腐食、ステンレス鋼はほとんどがSCCによるトラブルである。用途はビル設備が多く、筆者の得意分野であることによる。その他では電子部品、装置の冷却システムおけるトラブルなどである。
まとめ:「腐食したら修理し、あるいは取り替えればいいではないか」ということでは済まされない。どうして?何故?を解明して納得しないと当事者の気持ちが収まらないし、決着しない。腐食原因の究明にあたって依頼者の状況をよく聞きだし、質問することは重要である。事例を扱った実務経験が助けになる。腐食を専門にしていない人に具体的でわかりやすい回答を行えることはコンサルタントの責務であり、新しい研究成果にも絶えず関心をもつことが重要である。
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[2008.9.30]
グリーンインヒビター
Polyaspartic Coating(アスパラギン酸塩?)・・・新しいコーティング技術の出現か? Bayer社のPolyaspartic Coating Technologyは低VOCの環境にやさしいコーティング技術として注目されているようだ.
環境問題の高まりとともに、腐食防止にもグリーン・インヒビターが求められようになってきた.インヒビターは毒性や人体の保健衛生上の悪影響や、富栄養化の回避、環境負荷を高めないなど様々な要求に応えなければならない.過去の歴史を振り返ると、そのときどきの社会的要請に応えて変遷してきたのが伺える.この傾向は止むことなく、今日も続いている.グリーン・ケミストリーやグリーン・インヒビターという用語もいまや新鮮味を感じないほど使い古されたことばである.しかし、この用語にふさわしいインヒビターが開発されたかと言えば、必ずしもそうとは言えない.化学的方法がだめなら、物理的方法があるのではということで、磁気処理なども試みられてきたが、実現されたとは言えない.
MP最近号(2008,Sept)には、循環冷却水系における低アルカリ度の軟水用グリーンインヒビター(Baiqing Zhouら)というテーマで論文の紹介がある.このインヒビターにはPolyaspstic acidが使われ、容易に分解し、環境にやさしいという.タングステン酸ナトリウムは古くから知られた酸化性インヒビターで、モリブデン酸塩に似ている.しかし、高価であるためタングステン酸塩単独は使いにくいがPoyasparticと混ぜて中性溶液環境で使えば、その相乗作用で優れた防食効果を示すということである.Baiqing Zhouら中国人研究者が揚子江および黄河の人工水を用いて試験したところ、グルコン酸塩、タングステン酸ナトリウム、Polyasparticを合わせて120mg/Lとした条件で、炭素鋼の防食率は99%にも達したという.亜鉛の排出規制に配慮して中国の排出基準が<5mg/Lであるところから、この試験ではZn++を2mg/Lに設定したという.このインヒビターは全体として腐食電位を上昇させる傾向が見られたことから、アノーディック・インヒビターであるとしている.
[2008.7.30]
「カソード防食入門講座」の経過
2008.7.23〜24の二日間にわたって、NACE 東京セクション主催で標記のセミナーが神奈川県浦賀で開催された.カソード防食は日本では電気防食と呼ばれ一般化している.しかし、Electric Protectionという用語は聞かない.電気を用いた防食という意味とアノード防食もあるという意味で、日本では電気防食という用語が広く行き渡っているのかもしれない.日本では電気防食業界は大手二社の寡占状態にあるが、米国では数多くの電気防食関連の企業が競っている.これは日本と米国の産業構造の違いによるところが大きい.米国では石油開発関連の企業が多く、1943年のNACEの設立経緯はカソード防食の普及を目指したことにも由来している.それに対して日本では、国内の石油開発やパイプラインに多くは見込めず、船舶も中国や韓国に遅れをとっているのが実情であろう.
このような経緯から、米国の防食産業においてはカソード防食が大きな割合を示し、NACEの年会でもCPに関する各種のRPの制定や各種の委員会が設けられ、アップデートな議論が行われている.また、教育システムも充実しており、理解度に応じた認定や資格制度が用意され、テキストの更新や実習システム設けられている.最近、ヒューストンのNACE本部には新たにカソード防食の実習施設が設けられたという.アジアでは中国や韓国でもNACEのCIPおよびCPの教育システムを受け入れてセミナーが開催されており、マレーシアやインドネシアでもこれを実施する意向があるようだ.
今回のセミナーは受講者15名が参加し、NACE CP1-Tutorialに基づいて、カソード防食入門講座として開催された.この講座ではオリジナルのテキスト、翻訳された和文のテキストとpptを用いて、オームの法則から始まり、カソード防食の原理、フィールドにおけるカソード防食の設置や干渉問題まで講義され、実験も取り入れられた.このようにNACEの圧倒的なカソード防食に関するリソースを利用することができ、受講者の理解度を高め、CPの現状、国際的なアップデートの進歩を実感できたと思う.
[2008.5.27]
東アジアの腐食ビジネス事情
2008年5月12〜14日、マレーシアのクアラルンプールにおいてNACE East Asia Pacific Conference & Expositionが開催された.ローカルな会議であるが、85名が登録した.近年、NACEはゴローバルな展開を行っており、各地に支部が設置されている.日本では2006年7月に東京セクションが設立されている.マレーシア・セクションは古いが、インド、最近になってインドネシア(ジャカルタ)・セクションが設置されたほか、パキスタン、シンガポールにも設立の動きがある.各国はそれぞれ腐食学会がすでに設立されており、NACE支部との軋轢もあるようだ.アカデミックサイドではNACEの進出を好まないが、ビジネスサイドでは歓迎されている.そのきっ掛けとなっているのが、IMO(国際海事協会)がコーティング・インスペクター(CIP)の資格を要求していることによる.NACEはCIPの資格をとるための教育システムを有していることが大きい.講習会や実習を通して腐食・防食の知識を習得するためのシステムを有している機関は多くはない.NACEの会員は19,800人に達し、今年中に2万人を超えるのは確実視されている.日本ではCIPの資格者は670人に達している.腐食を分かりやすく教え、理解できるための知的資源を有し、常に更新できるような組織は容易には確立できるものではない.このような観点からNACEは今や覇権を握ろうとしているのも宜なるかなの思いがある.
今回の会議は各セクションの活動報告のほか一般講演では石油開発に関する実務的な研究、電気防食・コーティング・モニタリングに関する報告が多い印象を受けた.この背景には東アジアにおけるめざましい石油開発が行われている事情がある.タイ、マレーシア、インドネシアにかけて油井、ガス井が分布しており、パキスタン、バングラデシュ、ミヤンマーでも石油が出る.もちろん中国も.多くは海底油田であるが、パイプラインが国境を越えて海中に敷設されており、東アジアの国々で協調が必要になっているという.
このような発展著しい石油分野に携わる関係者にとって大きな問題である、腐食とは何かという初歩的な知識に欠ける技術者・管理者が多く、腐食・防食に関する基礎知識を教える制度の確立や実行が求められている.東アジア地域において石油開発にかかわる技術者に対して防食技術の教育に対する要望が高まっていると言える.石油資源に恵まれない日本はこの点で蚊帳の外の感は免れないように見える.
[2008.4.18]
ケーブルの腐食と防止対策
MP4月号には、吊り橋ケーブルの腐食と対策についてのKathy Riggs Larsen氏による紹介記事が掲載されている.この吊り大橋はエジンバラ北西16kmにあり、竣工後44年経過しているForth Road Bridgeで、水面上150mの高さがあり、2.5kmの長さの大きな橋で、1年に2400万台の車が通るヘビーな橋である.ここは北海に近い川で風が強く、霧の多いところであるため腐食性の環境である.2004年10月運輸当局によってはじめて橋のメインケーブル2本の内部の検査が行われた.メインケーブルの直径は610mmの太さで、11,613本の直径5mmの高炭素鋼線を含んでいる.外部からの定期的なメンテナンスや塗装の塗り替えが行われ、外見的には健全に見えた.検査の結果は予想以上に腐食が進行していることが明らかになった.断面の腐食程度をマッピングした図から、グレード3(グレード4が最大)程度となっている.中には割れを生じて切断しているものも見られた.当初の設計寿命は120年であったが、もし何ら腐食対策をとらなければ、2014年には大型車両の通行禁止、2019年には全面的に閉鎖せざるを得なくなると推定された.
腐食進行状況についてより詳しい情報を得るため、メインケーブルにアコースチック・エミッション(AE)のシステムが取り付けられた.このシステムによりワイヤー切断の進行がとらえられた.これにより17個のワイヤ切断が記録された.
一方、対策としてはケーブル内に乾燥空気を送り込む方法がとられた.この方法は日本とスエーデンで新設の橋で使用されているが、老朽化した施設に適用されるのは今回が初めてという.
このような構造物内面や裏面は高い湿度になり、温度も高くなる場合があるため意外に腐食性が厳しいのが実情である.送電線の管状の鉄塔でも類似の腐食が起こっている.
おなじくMP3月号には同じ著者がカナダ中部のManitoba州のビル屋上に建つGolden Boy彫像の内部の腐食についてレポートしている.この像は青銅製で内部に鋼製の支柱で支えられている.1919年に建立され、2001年まで82年間建っていたことになる.この像は中央に径125mmの鋼製の骨組みがつくられた.彫像の足の部分は著しく腐食しているのがみつかった.ゴールデンボーイの足の下部分と黄銅プラグの部分では10〜15mmの腐食による断面減少が生じていた.この像が強い風の振動で強度が耐えうるか、1/20 のモデルを用いて風洞実験を行ったところ、余命は20〜30年と短いことが明らかになった.このように腐食が著しいのは、下からの暖かな空気が、塔の上方で冷たい空気と接して像内部で結露することによるものと推定された.結局、鋼製支柱は17-4 析出硬化型ステンレス鋼の支柱に取り替えられた.
[2007.12.31]
空調銅管のMIC
MP200711月号にはAlbert Olszewskiによる銅管チラーMICに関する記事が掲載されている。この論文の著者は冷却水の水源が劣化して、悪い水質のものを使わざるをえなくなったためとしている。微生物やそれらの副生成物が銅管の電気化学腐食に影響を及ぼしているという。保護性の皮膜やバイオフィルムが生成すると、バイオフィルムの被覆が不連続になる。バイオフィルム内の有機物の分解が起こりやすくなる。つまりバイオフィルムの厚みが増すと、酸素の内部への透過が減少し、バイオフィルムの下は嫌気性になってアノードとなる。それ以外の露出部はカソードとなって電気化学的ミクロセルを生成するというものである。
このチラーは稼働後、6年でリークを経験した。過去4年間は皿洗い機、洗濯機などに使ったリサイクルしたgraywaterを使用した。銅のインヒビターとしてTTAを1〜2ppm、バクテリア制御のために遊離塩素0.2〜0.5ppm添加し、防食用にオルトリン酸塩10〜20ppm添加された。銅管は内外に旋条痕が施されている。
銅管の内面には緑色をした析出物やスケールが生成しており、その下に局部腐食がみられる。一つは貫通している。密でない緑色の生成物とその下に密着性のいい皮膜が孔食の上にできているのが見られ、緑色の析出物にはカルシウム、りんが多く見られ、ピットの中には塩化物が多かったという。りんがリッチな析出物はバクテリアの活動を示す証拠であるとしている、処理されたクーリングタワー水とgray waterの水質分析も行われており、前者は後者に比べて。導電率は3,840Ω-1、塩化物は622ppm、硫酸イオン530ppm,P30ppmと高くなっている。遊離塩素は0.1〜0.3ppmの範囲で使われるべきであるが、0.5ppmを超えているときもあったと考えられる。バクテリアの増殖を防止するために遊離塩素が添加されたが、銅アゾールと結合して効果が減じた。また遊離塩素がバイオフィルム中に透過するのは困難で、結局バイオフィルム内のバクテリアを制御できなかったと考えられるとしている。
この論文ではMICであるという直接的な証拠が見いだされていないように思われる。遊離塩素がかなり含まれており、それがバクテリアを抑制するためとしているが直接的に銅管に傷害を与えていないだろうか。もっとも冷温水では遊離塩素がなくても孔食が起こる場合があり、そのとき電位の上昇や早い時期に孔食が発生する事例もあり、微生物が何らかの酸化性の副生物を排出するとする説のほうが説得力があるように思える。
[2007.12.11/30]
MPM2007 in Cairo
2007.11.19〜22、エジプトのカイロでMetals Processing and Manufacturing Conference (MPM2007)が開催された。この会議はエジプト中央金属研究所(Central Metallurgy Research and Development Institute, CMRDI)が主催して開かれた国際会議。腐食・表面処理・溶接を含めて金属製造、加工技術含めたさまざまな分野の研究発表が行われた。参加者はフランス、インド、リビア、ドイツ、日本(4)、カナダ、イラク、スペイン、ブラジル、アルジェリア、サウジアラビア、スエーデンを含め約90名であった。エジプトからの参加者の多くはCMRDIからであり、中でも溶接関係はほとんどが日本に留学経験を有する人たちで、日本語を話せる人が多く、しかも高い位置に着いている人が多いのに驚いた。発表は英語で行われたが、聞き取りやすい英語で議論も活発に行われた。宗主国だった英国の影響だろうか。この会議では第一日目に高温水中の電気化学測定法について講演した。ムバラク大統領が原子力発電所建設に踏み切ることを発表したばかりだったが、あまり関心はないようだった。
二日目は会場をCMRDIに移して行われた。7:00Al Nabilaホテルをバスで出発、ナイル川沿いをラッシュで混雑する道を南上(ナイル川は南から北の地中海に向かって流れている)、工業地帯を通って2時間ほどの道のり、広大な敷地に研究分野別の建物が点在している。機械試験室、溶接、鋳造など実務的な設備が並び多くの作業者が忙しく働いている。日本で言えば、筆者が勤務したことがある初期の金属材料技術研究所のような雰囲気を感じた。ここにはJICAから派遣された加藤さんが滞在され、1年半経つとのことだった。日本製の設備や機械が多く見られ、日本ビルディングと呼ばれている建物もあった。
CMRDIは1970年代に国立研究所の冶金部門として発足し、1980年代になって工業地帯の現在の場所に種々の研究部門が集約された。鉱業、金属、高度材料、鋳造の4部門に分かれ、それぞれ4研究室に分かれている。研究スタッフが164名、技師・分析29名、技能者65名、管理部門269名、合計527名で、研究スタッフの20%が女性。研究成果は企業に技術移転することが基本的な考え方である。レーザーの応用、めっき、溶射、表面硬化、精密鋳造、粉末冶金、熱処理、工業R&Dプロジェクト、ナノテク、新しい鋳造、石炭・イルメナイトノの有効利用、小規模鋳物工場移転に関する協力、排水・廃棄物処理、電気炉ダスト処理、損傷解析・トラブルシューティング、非破壊検査、溶接技術者の養成、キャドカムに関する訓練など広範に渡っている。
初めて訪れたエジプトだが、カイロまで14時間半もかかる。それにアルコール類はないせいもあって長い旅であった。隣には日系ブラジル人が乗っていて、エタノール燃料の話を聞くことができた。欧米ではET10が一般的だが、日本はようやく3%が認めらえようとしている。
今がエジプトの観光シーズンでエジプト航空のカイロ直行便は満員、女性客が圧倒的に多い。ほぼ予定通り、夜10:00にカイロ空港に着陸できたが、夜中の0時にもう一人イラク人がシリア経由で到着するのを待つことになった。確かに飛行機は到着したのを確認できたが、待てど暮らせど現れない。入国ゲート入口に彼らしい人影が見えるという。深夜2時半まで待ったが、現れないので運転手ら3人で市内のエルナビラ・ホテルに向かい、早暁やっとベッドについた。後で聞いた話だが、我々が立ち去った10分後に出てこられたとのこと、イラクの置かれた立場の難しさを感じた。彼A.L. Najar氏の研究所は現在最もホットなところとなっているBaghdad近くのBaqubaに位置しているとのこと。そこで、二相ステンレス鋼の研究を行っているという。
今回、中東へ来たことによってアルジェリアの研究者とも話すことができたが、首都アルジェの近くに30名足らずの研究員を擁する研究所が数年ばかり前にできたばかりとのこと、やはり二相ステンレス鋼の溶接と非破壊検査の研究を行っているという。アルジェリアは何となく危険な国という印象があるが、現在では政情は安定しており危険はないということである。やはり英語よりもフランス語が話しやすいようだ。アラブ人は国が違っても同じアラブ語を話すのでコミュニケーションはとれる。しかし、アラブの国が集まって腐食についての会議をしたことはないという。
カイロは毎日が晴天で10間の滞在で雨は降らず、ほこりっぽい感じである。昼間は25℃にもなるが、夕方になるとセーターが必要なほど寒く感じる。昼間でも日陰にいると寒いくらい。広い道路は車でいっぱい、様々な種類の車、がたぴしのタクシーが走っている。こういう感じは乾燥した地域の特徴らしい。カイロの中心街は信号機は少ないから、道を横断していく場合は、車の間を泳いで行く感じ、現地のエジプト人の脇につきしたがって渡る。ホーチミンと同じだ。食事は羊肉の串焼きのシシカバーブが有名、大抵、ライスとパン(ナンのような丸い)、キュウリ、トマトなどのサラダが定番。ビールはStellaがおいしいが、レストランによって用意していないところが多い。
エジプトは観光で食べている国と言われる。夜のナイトクルーズは静かな川面に客船が行き来し、両岸には大きな外資系のホテルが立ち並ぶ。船の中ではディナーを食べながらベリーダンスが踊られる。女性はチャドルをかぶり、肌が露出しないことでは徹底しているが、ベリーダンスの踊り手はお腹を出して妖しく揺するのをみると別世界を感じる。黒のチャドルを着たムスリムは目だけしか見えない。会議場でもそんな女性の科学者がいたが、どうして人を見分けられるか?不思議なくらい。若いカップルはちゃんと手を握っている。自分の彼女と見分けられるかと思えるほど。聞いたところによると、女性の家に行って頼んでベールをあげてもらうそうだ 。イスラムの人は一日5回の礼拝を欠かせないが、案内してくれた研究所の男性も、博物館中で、布を借りて教えられた方向にお祈りを行っているのを見かけた。女性は外でお祈りしているのを見かけない。ガイドの若い女性に夕食でもと誘ったが、家族と一緒に家でお祈りしなければと断られた。
何と言ってもピラミッド、ルクソール、アスワンなどエジプトは見所が多いし、エジプト文明は人のわざとは思えないような巨大な遺跡にあふれている。ピラミッドは全部ナイル川西岸にあって、日が西に沈む頃は空があかね色にそまり、現世と死語の世界をわける象徴的な景色だ。カイロ博物館はミイラ、ツタンカーメンの黄金のマスクは圧巻だが、その脇には黄金の鞘と、取っ手にはさまれて、金属光沢を放つ刀身はステンレスという!溶接の専門家もステンレスと言った。ここを案内してくれたのは、Prof. Dr. Adel Kamal Ismail氏でCMRDIの前副所長、湿式冶金の専門家なのだが....?(2007.12.30加筆)
[2007.9.17]
Prudhoe Bayの石油パイプラインの腐食事故
2006年3月、アラスカの北極海に面したPrudhoe Bay石油掘削地域のパイプラインにおいて、配管の腐食が原因で原油漏洩により付近一帯の環境汚染を引き起こした。MP2007,8月号にはこの事件の詳しいレポートが掲載されている。この地域の石油開発はBPと、Exsson, Conoco社が加わり1977年から生産がはじまり、トランスアラスカ・パイプラインで太平洋側に輸送されている。
このパイプラインは日常的に専門の検査員が巡回し、監視しているが、原油の漏洩が見つかった2006年3月はじめは、北極海に面したこの地域は酷寒のただ中にあり、雪が積もっていたこともあって発見が遅れ、およそ800トンの漏洩があったもようだ。腐食孔は6×12mm程度の大きさであったという。さらに他の部位についてもUT検査を行った結果、数カ所で肉厚の70〜80%にも達する腐食孔が進行しているのが発見され、数ヶ月で修理が終わるものと予想されたが、バイパスラインを設けるなど手間取った。また、当時たまたまスマートピグを通すことができなかったことも修復に時間を要した。酷寒の中で厳重な防寒服や手袋をし、ときどき暖をとりながらの作業は過酷なものだったらしい。作業員は2週間交代制で輸送機によってフェアバンクスの町から搬送されるが、物資の移動は冬の凍結を待っておこなわれる。ホッキョクグマは食肉獣で人を襲うため、通路は厳重な鉄条網で護られている。夏は涼しくて過ごしやすいかと思いきや、日は沈むことなく、ツンドラは湿地帯となり蚊やブヨが繁殖する。米国の最大の生産地と言われ、このプラントの操業が止まると8%の減産になるとされる。
さて、炭素鋼製パイプラインの腐食は内面底部に生じており、腐食の原因はMICまたはデポジットアタックの説があるが、結論は出ていないようだ。原油に水がまざり、水とともに持ち込まれたバクテリアが栄養を得て繁殖し、腐食性物質を排出したことが考えられる。しかし、このパイプラインは炭素鋼製であり、インヒビターによって防食されているが、ほぼ30年経過しており、経年劣化も考えられるのではないか。
このパイプラインではこの事故が起きる前にも外面腐食による漏洩を生じており、外面は断熱材で保温されているが、外気と通気し結露水を生じたことが原因であった。そこでテープ巻きとして完全断熱を行い、永久対策としたつもりであった。しかし、今回は内面からの腐食であり、UT検査を行うためにテープをきれいに剥がさねばならず、皮肉にもこれが検査を行う上で障害となった。
パイプラインが停止すると付帯設備の運転も困難になり、原油を輸送するための適切な流速を必要とする。パイプラインの口径は予測値で設計されるので、予測値を下回ると適切な流速が得られなくなる。パイプラインの小さな腐食孔が大きな障害につながる現在の技術システムの宿命であるといえる。(2007.9.17)
[2007.8.21]
金属混合酸化物電極(MMO)の性能
電気防食(カソード防食)における外部電源法では、アノードは不溶性でなければならない。白金(Pt)は古くから知られ不溶性の電極である。しかし、高価であるために、チタンのような他の基板金属に白金を薄膜状またはめっきして使用しなければならない。しかも白金単独では合金めっきを行う際の対極のように、アノード電流が流れると、かなりイオンとして溶解/損耗する場合がある。最近になって(10年以上にもなるが)、金属混合酸化物電極(MMO)が急速に普及した。チタンのようなバルブメタル上にルテニウムやパラジウムの塩化物溶液を塗布して、加熱して熱分解により貴金属酸化物とチタン酸化物と混合酸化物層を形成させたものである。この電極は古くは隔膜式ソーダ電解の電極としてイタリアで開発されたもので、DSA(寸法安定化アノード)と呼ばれたが、とくに塩素発生触媒能に優れていた。当時のものはソーダ電解用アノードとしては、高電流密度で電流を流しても溶解しにくく、耐久性があった。しかし、電気防食用の不溶性電極としては、塩素発生の触媒能に優れていなくても大電流が流せて損耗が少なければよい。その後開発が進み、大型の不溶性アノードとして実用化されるようになった。貴金属酸化物がアノード電流を流しても、溶解しにくく、しかも大きな電流を流すことができる不溶性の電極を開発できたことは画期的なことと思う。
May2007 MPおよび June2007 MPにはMMOコーティング・チタニウムアノードを用いたカソード防食システムの実施例が報告されている。一つは石油井用円筒型深埋アノードで、塩素発生を伴うことを考慮してイリジウム酸化物、タンタル酸化物およびルテニウム酸化物からなる組成を有し、25-50Aで期待寿命は68年となっている。このタイプの電極は軽量で低抵抗、アノード接続部も抵抗が小さく、湿分の侵入が少なく取り扱いも容易、高電流密度の操業が可能などの特徴がある。このほかMMOアノードを用いたタンク底板、MMOリボンメッシュを用いたコンクリート鉄筋杭の防食事例が報告されている。
[2007.8.1]
SRBによる炭素鋼の腐食
硫酸塩還元菌やサワー環境など硫化物環境における炭素鋼の腐食は、様々な分野で起こっている。しかし、腐食のメカニズムは明確ではない。近年、 MICに関してはステンレス鋼の局部腐食の事例報告や腐食試験などにより、その実態が明らかになりつつある。MICは好気性菌によるもので、電位を高めて孔食や隙間腐食などを引き起こすことが知られている。SRBは嫌気性環境ないし通気性環境で増殖し、基本的に水素発生型(硫化水素)の腐食である。
MP6月号にはTony Y. Rizkによる「炭素鋼の腐食に及ぼす微生物起源硫化物の影響」が掲載されている。硫酸塩還元菌による炭素鋼の腐食に関しては古くから研究され、また実用環境では微生物腐食による腐食損傷を生じている。しかし、これを実験室試験で再現することは非常に難しく、温度、pH、栄養素などを適切に維持し、微生物を制御することや、電気化学的に腐食速度をモニターすることは簡単ではない。
この論文ではサワー環境を模擬したテストセル内で溶解性の硫化物濃度と LPRによる炭素鋼の腐食速度の関係をもとめている。その結果、二つの同じような硫化物環境であっても、著しい腐食を生じる場合と、腐食速度が低い場合があり、また炭素鋼の腐食が必ずしも硫化物濃度に依存しないことが示されている。これは硫化物によって生成した腐食生成物の硫化鉄がかえって腐食を抑制することによるものとされる。炭素鋼は硫化物を含む水溶液中では、腐食が進行するが硫化物(FeSなど)が表面を覆うと腐食が著しく低下する。また、何らかの原因で硫化鉄の被覆が崩落したり、局部的に破壊されると再び腐食は著しくなる。硫化物が破壊されると炭素鋼素地との間にガルバニック作用により、かえって腐食が増大するとも考えられている。いずれにしても同じようなSRB環境であっても再現性が悪く、腐食が著しい場合と腐食速度が著しく低い場合があるようだ。
硫酸塩還元菌に関しては、佐々木英次氏らがずっと以前に綿密な研究を行い(防食技術26、77(1977)、次のよう結論している。有機栄養がはいった人工海水中に硫酸塩還元菌を培養し、軟鋼の腐食挙動を電位および分極抵抗から追跡した。その結果、硫化水素発生とともに硫化水素による腐食がおこるが、ある濃度以上になると、軟鋼表面は硫化物皮膜で覆われて低い腐食速度になる。硫化水素の発生が止まり、濃度が極端に薄くなると皮膜がこわれ、硫化物と地金のガルバニック腐食が起こる。
腐食生成物の硫化鉄には様々な種類の非化学量論的な組成のものを生成するが必ずしも硫化鉄の組成と耐食性には関係がないようだ。
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