「逃げない裁判所」増える
讀賣新聞 論点 2003年(平成15年)10月28日(火曜日)
大川隆司 弁護士




最高裁判所が先月、画期的な新判例を示した。談合事件で摘発された企業を相手方とする住民訴訟の原告は「利害関係人」であり、公正取引委員会で審判中の事件記録を閲覧・謄写する権利を持つ、とするもので、東京高裁の判断を逆転する結論だった。

公取委の処分が確定すると長期にわたる指名停止にあうため、それを恐れて、談合企業が審判に持ち込み、問題を先送りにする例が多くなっている。それだけに、談合の実態を解朋する資料へのアクセス権を裁判所が認めたことは住民訴訟にとって強力な追い風になる。

この判決だけでなく、最高裁は昨年七月以来、住民訴訟の門戸を広く開く判決を下している。それまで各地の下級審はほとんどが、談合を追及する住民監査請求が契約発注から一年以内になされなかったことを理由に、訴えを門前払いしてきた。それがすべて最高裁で逆転した。

これは、住民訴訟にとっての朗報というにとどまらない。談合が発覚すると、住民訴訟を待つまでもなく、本来の被害者である地方自治体が、自ら損害賠償請求をする例が増えている。裁判所の判断が行政に襟をたださせているわけだ。これまで、わが国の行政訴訟は、本論に入る前に打ち切られる傾向が極めて強いと言われてきたが、最高裁はこの流れを変える姿勢を示しているように見える。

行政と国民との紛争調整の分野で司法の役割が大きくなっている今日、「事件から逃げない」という裁判所の姿勢は重要だ。先輩弁護士からは、紛争の八割は法ではなく、暴力と泣き寝入り、行政指導と政治決着によって処理されているとしばしば聞く。

行政による事前の手取り足取りが廃止され、規制緩和と自己責任をキーワードにする時代は、行政指導や政治決着ではなく、司法が紛争処理の場になる。それなのに事件から逃げる理屈を探すことに熱心な裁判官ばかりでは、裁判所は到底世の役には立たない。一連の最高裁判決には、そんなメッセージが含まれているのではないか。

そういう目で見ると、東京地裁民事第三部(藤山雅行裁判長)の最近の判決は、むしろ時代の要請に即した真っ当な判決ではないだろうか。

例えば、圏央道の土地収用の執行停止を命じた十月三日の決定では、裁判所の判断のポイントは、収用裁決の前提になる事業認定の違法性について、被告の都側が主張立証していない点にあった。被告側としては、収用裁決固有の違法性の有無だけを議論すればいい、という主張に固執したのだろうが、裁判所は姑息な逃げ方をして問題正面から受けとめない行政側に追随することを潔しとしなかったわけである。

二〇〇一年十月三日に同じ裁判所が、小田急線の連続立体交差化に関する事業認可を取り消した判決も、先例に乏しいだけに特異視する向きがあった。しかしこれも、同じパターン問題額ではないか。原告側は、当該事業認可に先立つ都市計画決定が、騒音問題解決への考慮を欠くなどの点で違法だと主張した。ところが、被告側は、そうした論点を設定すること自体を拒むという基本姿勢を取った。これに対し、藤山法廷は、問題を正面からとらえて判断を下したと言える。

当事者が実質的な争点を巡る主張立証を尽くし、裁判所はこれに正面から取り組む。これこそが、国民が望む司法本来の姿だろう。

小田急判決も圏央道執行停止決定も、被告の控訴・抗告で、東京高裁の判断に委ねられることになった。最高裁も東京地裁も、「逃げない裁判所」を追求していると見られる中で、東京高裁も他の裁判所も、この時代の流れを正しく把握してほしいものである。


全国市民オンブズマン連絡会議代表幹事。63歳。