小田急線高架化訴訟二審判決を前に
「騒音防止と列車スピードアップを実現するには、大胆な発想の転換が必要だ」
サンデー毎日 2003.11.2
作家 三田誠広



わたしは世田谷区に住んでいる。最寄りの駅は東急田園都市線なのだが、少し歩いて小田急の下北沢駅に行くこともある。下北沢から町田方面に向かうと、成城学園前までの区間の高架化工事が半ば以上進んでいて、複雑な気持ちになる。

この高架化工事に際して、当然のことだが、沿線住民は反対を続けてきた。単なる高架ではない。地下化が検討されている下北沢から、もともと半地下の構造になっている成城学園前までの区間は、現在の複線から、高架の複々線になる。特急や急行のための、ノンストップの線路が増設されるのだ。

東京になじみのない読者のために説明しておくと、小田急はその名のとおり新宿と小田原を結ぶ私鉄で、小田原の先の箱根湯本まで特急が走っている。途中で分岐して片瀬江ノ島に向かう特急もある。指定席券の必要な特急で、もっぱら観光用に利用される。これに加えて、通勤用の急行がラッシュでない昼間の時間帯でも一時間に四本走る。

特急も急行もノンストップで走るから、地域住民にとっては、何のメリットもない。この高速の電車が早朝から深夜まで走り続けることを考えれば、住民が反対するのは当然である。

一方、遠距離通勤の利用者からすれば、急行の高速化や増発は、歓迎される事態だし、現在の複線のままでは、朝晩のラッシュ時の混雑は限界に達しているから、複々線の実現を望む声も強かった。

遠距離通勤の利用者と、沿線住民の対立、という図式を立てると、多少の騒音被害があっても、利用者の利便性を優先することも仕方がない、という考え方もありうる。マスコミの中にも、そういう視点をとるところが少なくない。

しかし話はそう簡単ではないのだ。何よりも、沿線住民が起こした高架化差し止めの訴訟の一審で、住民勝訴の判決が出た。二年前の十月のことである。ここでは工事の認可そのものが違法だとされ、認可が取り消された。このことの意味
を、十分に検証しなければならない。


"トンネル化"は不可能と鉄道側


一審で工事の認可が取り消されたにもかかわらず、高架化の工事は、いまも続いている。すでに線路二本ぶんの高架化は完成し、残りの二本ぶんめ工事が進められている。一審の判決では、工事の認可を違法と認めながらも、すでに完成した高架の撤去までは命じなかった。認可が取り消された工事が、判決後も継続されているのは、二審では勝てるという思惑による見切り発車である。

控訴や上告を重ねているうちに、工事が完成してしまえぼ、もはや撤去は不可能になると、鉄道側は考えているのだろうか。

高架化工事は小田急だけの問題ではない。高架の側道や交差する道路の拡張、さらに駅前再開発までが絡んだ総合工事なので、国、都、区が一体となった都市計画事業である。こうした事業に公共性がある。しかし、公共性があるからといって、何をしてもいいということではない。周辺住民の精神的な苦痛や、実質的な損害を最小限にとどめるための対策が講じられなければならないし、そのために住民説明会や環境アセスメントで十分な検討がなされなければならない。一
審の判決では、この住民説明会などにおける国や都を含めた鉄道側の説明が、事実を隠蔽した違法なものであり、民主的な手続きがとられなかったと判断して、認可の取り消しという、異例の判決が下されたのだ。

小田急の急行は、本数が多いのに、いつも混雑している。普通列車を追い越すポイントが少ないので、急行のスピードが遅く、急行としての意味をなしていない。これが複々線になってスピードアップされれば、遠距離通勤者には朗報だろう。しかし特急や急行がスピードアップすれば、騒音の被害は耐えがたいものになる。

実はこの間題を解決する、理想的な方法がある。地下にトンネルを掘ればいいのだ。そして、現在の鉄道用地を線道にすれば、沿線住民にも大きなメリットをもたらす。

だが、鉄道側は高架にこだわった。高架に比べて、地下トンネルの建設は、費用がかかる。工事費用が増大すれば、運賃が上がり、鉄道利用者の負担となる。ここではまた、遠距離の利用者と沿線住民の対立、という図式が出てくることに
なる。

住民への説明会で、鉄道側はトンネル化のプランも提出し、費用を試算した上で、これは不可能であると結論を下した。一方、高架化でも、騒音の被害は最小限にとどまることを説明して、住民の同意を求めた。一審の判決では、この二つ
の説明に大きな誤りというか、意図的な過誤があったと指摘している。


変更考えないお役所仕事的発想


 トンネルを掘る技術は、急速に進歩している。シールド工法で横穴を掘り進んでいく方式だと、高架化と比べても、費用にそれほどの違いはない。しかも複々線のトンネルの場合は、上下に二本ずつ線路を通す方式にすれば、トンネルの断
面積を最小にすることができるし、現在の線路の真下を掘ればいいので、鉄道の運行の妨げにもならない。新たな土地を取得する必要もない。

一方、複々線の高架化を実現するためには、新たに線路二本ぶんの土地の取得が必要になるだけでなく、高架の両側に側道を用意しなければならない。実際に鉄道側は、地価の高い世田谷区の土地を購入し、商店や事務所の移転費用に多額の資金を投入しなければならなかった。その費用を計算すれば、トンネルの方が安いという結論も出る。ところが、鉄道側は高架にこだわったのである。

高架の実現は、鉄道側に副次的なメリットをもたらす。まずは高架下の利用である。都市部の高架下スペースは利用価値が高い。高架上に設置される駅の下部やその前後の部分は、商業スペースとして利用できる。とくに途中の経堂駅では、都と区が高層ビルを中心とした駅前再開発の計画を立てていた。こめ計画には、すでに小田急の高架化が組み込まれていた。

さらに、高架の起点となる下北沢駅の前後区間も、細長い商業ビルの屋上に複々線を敷設するという、いかにもバブル的なプランが準備されていた。こちらの方はバブル経済が崩壊してしまったために、プランそのものが消滅して、下北沢駅は地下化されることがすでに決まっているのだが、鉄道側が高架案を推進していた時期には、下北沢も高架でなければならないと考えられていたので、高架案にこだわらざるをえなかったのだ。

シールド工法によるトンネル工事は、トンネルが長ければ長いはど、効率がよくなる。いったん地下に潜れば、モグラのように横穴を掘っていけばいいのだが、出たり入ったりの傾斜をつくると、割高になる。下北沢が最初から地下駅だということになれば、トンネルの工費はもっと安くなっていたはずである。

ところが鉄道側が提出したトンネル工事費用の試算は、下北沢が地表駅であることを前提としている上に、複々線を真横に並べた大きなトンネルを想定していたため、高架式よりもはるかに割高なものになっていた。さらに騒音の予測についても、現在の複線によるのろのろ運転の急行の速度をそのまま用いて計算している。複々線によるスピードアップをまったく考慮しない、非現実的な試算になっていたのだ。

ここからはわたしの推察だが、この小田急の高架化の計画は、実際に工事が推進されるよりもずっと以前に計画されていたもので、その当時には、シールド工法といった技術もなく、地下化などといったことは、考慮の対象にもなっていなかったのだろう。高架化を前提として、道路の計画が立てられ、さらに駅前再開発のプランが練られた。そこから先はお役所仕事的な発想で、いったん決まった計画はメンツにかけても変更できないということになり、実際には地下化した方が安上がりになっているにもかかわらず、わざと地下化の費用を高く試算して、説明会を乗り切ろうとしたのではないか。

日本は民主主義国家だといわれている。鉄道、道路、空港、ダム、コンビナートの建設などで、多くの人々が住環境を侵害されてきた。公共性を優先するために、個人が犠牲になってきた。それでも、説明会や環境アセスメントによって、その事業が最善の方法であることが示され、多数の幸福のために、一部の人々が犠牲になることは、やむをえないことだと考えられてきた。


ヤラセ説明会なら民主主義崩壊


その説明会における試算に、意図的なごまかしがあったというのが、一審の判断であり、そのため認可の取り消しという、住民側の全面勝訴になった。説明会における説明にごまかしがあるというのであれば、説明会などというものに意味はない。

ダムを造るとか、鉄道を敷設するとかいった結論が先にあり、ぞの結論を導くために、不利な対案が用意されて、表面上は民主的に説明と討議があり、予定通りに対案は退けられて、最初から決まっている結論が改めて正式決定される。これではヤラセの説明会というしかないし、こういう説明会だけで公共事業が推進されるのであれば、民主主義は崩壊する。

これは小田急高架化だけの問題ではない。全国で推進されるすべての公共事業にかかわる問題であるし、この国が本物の民主主義国家なのかという、根底的な問題につながっているのだ。目前に迫った二審の判決によって、この問題が新たな展開を迎えることは間違いないが、一審の判決が出てからの二年間、工事が継続されてきたという事実は万里の長城のような構築物として、わたしたちの目の前に具体的にそびえている。

二審でも住民側の勝訴となった場合、すでに出来上がっている高架部分をどうするかというのは、この二年間、つねに議論されてきたことだ。一審の判決でも、高架の撤去までは命じなかった。この鉄筋コンクリートの構造物を撤去するためには、さらに多大な費用がかかることは間違いない。住民側は、この高架部分を、民主主義が守られたことのモニュメントとしてそのまま残し、見晴らしのいい緑道公園とするというプランを提出している。

もちろん、二審で国側が勝訴する可能性もあるが、いずれにしても、すでに出来上がってしまったものは仕方がないといった結論が出ることを、わたしは懸念している。住民側が正しいことは認めるが、しかし工事ははぼ完成しているので、これを利用しないとすべてが無駄になってしまうということで、結果として、高架の複々線を急行が走るようになれば、住民の訴えはまったくむなしかったことになる。

例えば、すでに出来上がった高架の上に、成城学園を終点とするゴムタイヤの普通列車を走らせ、急行用の複線のトンネルを新たに掘るといった妥協案も、検討されるべきではないかとわたしは考えている。

騒音の防止と、急行のスピードアップを実現するには、大胆な発想の転換が必要であるし、最終的に複々線の高架が完成して、そこを特急、急行が高速で走ることになれば、万里の長城のような高架路線は、民主主義の敗北のモニュメントになってしまう。 その意味でも、わたしたちは二審の判決と、それ以後の展開を、注意深く見守る必要があるのではないだろうか。