須田大春陳述書

2003年7月8日に裁判所に提出された陳述書関連3文書(1、陳述書 2、陳述補充書 3、別紙 経歴書)を一括掲載します。
便宜のため、以下の目次のクリックから各文書、及び各章に飛べるようにしてあります。

一、陳述書

第1章 はじめに
第2章 この事業をめぐる社会通念はどう変わったか
第3章 建運協定の落とし穴
第4章 認可そのものの問題(事業地と工期)
第5章 騒音の問題
第6章 本件調査での比較検討の方法と経緯
第7章 地下と高架の事業費比較
第8章 地上の利用法
第9章 地下鉄技術の問題点
第10章 おわりに

二、陳述の補充書〜京都地下鉄の平成5年設計変更について〜

三、別紙 経歴書



平成13年(行コ)第234号 小田急線連続立体交差事業認可取消請求事件

 第1審原告  ○ ○ 治 子 外

 第1審被告  関東地方整備局

 参 加 人  東 京 都 知 事

 

陳   述   書

 

東京高等裁判所第4民事部 御中

 

2003年7月8日

 

横浜市青葉区あざみ野○−○○−○

小田急市民専門家会議事務局長・法政大学兼任講師

                            須 田 大 春

 

 

第1章 はじめに

 

1.私の経歴

  別紙経歴書の通りである。

 

2.小田急市民専門家会議の設立の経緯と構成

小田急市民専門家会議は、1993年4月、力石定一(当時法政大学工学部教授)が雑誌「経済評論」に本件事業について高架方式ではなく地下2線2層シールド方式の代替案を提言(甲50号証の3)し、一方、本件アセスメントが代替案の検討の欠如、予測項目の欠落、細切れ予測等、重大な欠陥を有するとして、長田泰公氏(前国立公衆衛生院院長)ら各界の専門家がこれをやり直すことを求める意見書(甲17、20号証)を提出したこと等を契機に、1993年これらの専門家、研究者を中心として結成された(座長力石教授)。その構成は大略甲50号証の2の通りである。土木工学、都市計画、公衆衛生学、環境政策学等に顕著な実績のある方々を中心とする、学際的な研究組織である。私は結成頭初から参加していたが、当時は民間企業の役員をしていたため、匿名であった。2000年10月事務局長に就任すると同時に氏名を公表することにした。

同会議は頭初小田急線連続立体交差事業専門家委員会と称していたが、その後、事件が裁判のみならず関係分野で大きな問題となるに及び、小田急市民専門家会議と改名し、現在に至っている。

小田急問題の節目節目に提言や意見を公表してきたことは後記の通りである。

 

3.小田急連立事業認可についての東京地裁藤山判決は、公共事業の官僚専横に対する頂門の一針であり、画期的なものである。内容についても「原告適格」をめぐって地権者でない大多数の原告の権利を否認する形になっていることは不満であるが,結果的に判決内容によってこれらの原告の環境に対する権利も含めて守られることを高く評価する。判決書は全文145ページの分厚いものであるが、趣旨はわかりやすく、文化の香りがするとさえいえる。

 

4.私は、これまでに

(1)今回争われている「認可」の計画案の段階で住民組織の要請にこたえて

高架案の騒音被害は違法な水準にあることを警告した長田・田村意見書や

「2線2層の地下方式」(判決で言う力石教授案)の提言をサポートし

(2)ついで五十嵐建設大臣の仲介と情報公開裁判の和解をきっかけとする東京都

との協議を山森意見書などとともに技術面で支え、

(3)さらに判決1年前には、下北沢地区の地下化の機運をも盛り込んだ形で

「神宮の杜と多摩川を結ぶ緑のコリドー」提言を執筆した。 

藤山判決の考え方にこれらの提言が生かされていることについて誇りに思う。また、これら提言を理解され、採用された藤山裁判長に感謝したい。同時にここまで運動を進められた住民団体・原告団と弁護団にも感謝したい。

 

5.この判決を含む一連の行政訴訟の下級審判決は「これまでの行政訴訟のあり方」を改革したいという司法の意思表示と受け取られた。そして、数多くの行政法学者から判決支持の意見が寄せられた。同時に、この判決を「行政と癒着して社会通念からかけ離れた土木技術者」に対する厳しい批判と受け止めた土木専門家がいる。土木学会計画学研究会の「交通社会資本と土地利用のコンフリクト」研究チームからは本件訴訟に関する土木技術者としての多面的な検討が加えられて、いくつかの注目すべきレポートが準備されており、部分的に発表された。私もこの活動に協力し、議論の材料を提供できたことは「学際協力」の新しい可能性を切り開いたものである。

 

6.ところで、驚くべきことに、被告である国側は藤山判決を拒否し、高裁に控訴するという暴挙に出た。さらに驚いたことに、これだけの年月をかけて心血を注いだ判決書に対してページ数で上回った控訴理由書全151ページをたった2ヶ月で作り上げた。その熱意には頭が下がり、公務員の鑑と持ちあげたくなるが、内容は読むに耐えないお粗末なものである。殆どが、絶大な行政裁量権を振り回し「司法の出る幕ではない」として、批判されている行政専横を露骨にそのまま主張したに過ぎない。しかし、控訴審の審理の対象である以上無視するわけにはいかないので、この機会に反論を試みる。

 

7.控訴理由書は序章・結論を除いて実質7章からなる。章の立て方にそもそも無理があり、全体として筋が通ったものとは言いがたいので順序は無視して,ここでは、

1.原告適格の問題

2.連立事業と側道事業の一体性の問題

3.昭和39年決定か平成5年決定かの問題

4.行政の裁量権と司法審査の問題

5.建運協定などに行政がどこまで縛られるかの問題

のようないわゆる「法律論議」については触れずに、いわゆる「技術的」な問題として

1.認可そのものの問題(事業地と工期)

2.高架の騒音の問題

3.地下と高架の比較

の3点について藤山判決についての意見を述べ、控訴理由書に反論したい。

そのまえに、この事業「線増連立」とそれを支える「建運協定」をめぐる「社会通念」をどうとらえるかについて明らかにしたい。

 

第2章 この事業をめぐる社会通念はどう変わったか

 

1.1960年代の高度成長と車社会の成立を背景に生まれた田中角栄政権成立の前年の1969年には建設省と運輸省の間で「建運協定」「細目協定」が結ばれた。その目標とするところは、ガソリン税などによる道路特定財源を使って、これまで運輸省の専管であった鉄道の高架事業に建設省が介入・主導し、連続立体交差事業という鉄道、道路新設、再開発の三位一体の新制度をつくりあげることにあった。「道路を沢山作り、都市を再開発する」ことに役立てるためである。ただし連続立体化(以下連立という)と線増が同時に行われる時は、「計画」は線増と連立をあわせて建設省の認可で自治体が行うが、「事業」のうち線増に関するものは運輸省の認可で鉄道業者が行うという形で運輸省の権益が残された。各所に見られる「縦割り行政の弊害」の一つの典型である。

 

2.全国的には、田中プランは実現され「土建国家日本」ができあがり、建設業従事者の数は農業従事者を超え、都市内の交通手段としても自動車の覇権が確立した。「土建国家」は同時に「自動車優先国家」でもあった。東京中の路面電車が殆ど駆逐され、運河や中小河川の川面は地下に追いやられた。お江戸日本橋は高速道路の谷間の標識に過ぎないものとなった。しかし、甲州街道・環状7号・国道246・環状8号に囲まれた世田谷の中央部では違う時間が流れたようである。よそもののタクシー運転手には入れない「自動車文明を拒否する空間」が残された。北沢川・烏山川は暗渠化されたが、自動車道路にはならず緑道化された。路面電車の生き残りとしての「東急世田谷線」も残っている。羽根木近辺には、「徒歩10分以内に鉄道駅が10個あるので免許は取らない、自家用車はもたない」というエリアがある。

 

3.世田谷の中央部を東西に貫いているのが、この事業の小田急小田原線成城学園〜梅ヶ丘間の6駅6.4キロである。1987年6月の世田谷区による「小田急街沿線街づくり研究会報告書」は、研究会のリーダーであった川上秀光東大教授の「超高密化時代の線増立体化について」という題の文章で始まっている(甲50号証の14)。ブルドーザが全国を席捲してすでに25年たっても、いっこうに動こうとしない世田谷区民に対する川上教授のアジテーションは最後には「沿線住民としても、複々線化を受け入れ,その便宜を享受する以上、高架,地下の構造を問わず、乗降客と出入り車両の激増と沿線地区の土地の高度利用が進み、高層建築の出現による建物利用の変化は避けられないことを十分に認める必要がある。このような、いわば地区環境の大いなる変化は、複々線化,連立事業という都市構造の強化・拡充がもたらす法則的に避けられない結果である。」というお説教になる。このときすでにバブルの頂点が見える人には見えていたのに。世田谷区の人口は1975年にすでに頭打ちになってから12年たっていたのである。

 

4.「遅れてきた開発派」に対して「21世紀を先取りした環境派」が旗揚げした。「自動車文明に乗り遅れた」環境を逆手にとって、21世紀のモデル環境として保全しようとする人々が本件原告・住民団体、弁護団、市民専門家会議のトライアングルを構成している。田中―川上路線では周回遅れのランナーであったこの地区が、世紀の変わり目をとらえて逆向きに走り出し「こちらがトップだ」と言い出したわけである。原告住民の考え方は、公共交通機関としての鉄道整備には賛成しても、川上教授の主張する「連立事業が法則的に生み出す」街の「高層化」、「自動車化」には賛成できないので、弁護団を中心として協定の条文を研究していくうちに、実際の工事が建運協定の諸規定と矛盾することを発見した。我々の立場は、市民や司法はともかく、行政は自ら定立した建運協定に縛られるというものである。市民は都市計画法には縛られる。建運協定が連立事業を都市計画としておこなうのはこのためである。したがって建運協定の調査要綱に違反する調査・計画手順があっても、それだけでは裁判は難しいが、それに基づいて都市計画が決定され、都市計画事業として認可されれば,その時点で明確に市民の権利が侵害されるのであるから行政訴訟を起こすことができる。これが本件訴訟の発端である。

 

第3章 建運協定の落とし穴

 

1.建運協定には、線増を伴う線増連立と伴わない単純連立についての規定がある。最初に単純連立がどんな手順で行われるかを見よう。連立には高架(嵩上)と地下(掘割)があるがここでは(地下については事情が異なるので)高架について検討する。営業を継続しながら鉄道を高架化するには、違う場所に線路を移す「別線」、仮に違う場所に線路を移して、完成後戻す「仮線」、特殊な工法で直上に工事する「直上高架」がある。直上高架は技術的な困難さがあるので別にすると、別線は

 (1)別線用土地取得

 (2)別線用地に高架線建設

 (3)在来地表線撤去

 (4)在来線土地売却

の4拍子で済むのに、仮線は

 (1)仮線用土地取得

 (2)仮線用地に地表線建設

 (3)在来地表線撤去

 (4)在来用地に高架線建設

 (5)仮地表線撤去

 (6)仮線土地売却

の6拍子になるという差がある。結果として出来上がる高架線を在来線の場所に残すためのコストが仮線の建設と撤去の2段階である。

 

2.連立を線増と同時に行うと、取得した線増部の土地が別線の用地に使えるので、連立を線増とあわせて計画する「線増連立」のメリットは大きい。小田急線の場合甲部分北側が在来線部分、乙部分南側が線増線部分である。線増連立では、仮線は取り付け部以外には不要である。

 (1)乙部土地取得

 (2)乙部に高架線建設(連立完成)

 (3)甲部地表線撤去

 (4)甲部に高架線建設(複々線完成)

となる。この時、線増で取得した土地乙部で連立が完成するので別線となる。別線は連立先行である。線増地に連立、在来地に線増という地権が動くコペルニクス的転回であるから、これを「線増連立の地動説」と名づける。

 

3.しかし被告側は、線増の工事は運輸省=鉄道業者・連立の工事は建設省=自治体と縦割りで縛られるから、線増連立を架空の仮線で「解釈」する天動説である。

 (1)乙部土地取得(運)

 (2)乙部に高架線建設(運)

    これが仮線を兼ねる()

 (3)甲部地表線撤去()

 (4)甲部に高架線建設(建)(連立完成)

    同時に乙部高架線を線増線として運用(運)(複々線完成)

ということになる。工事の実態は全く変わらないのに(運)と(建)をつけるだけで、手順が2つ増えたように見える。これが仮線解釈であり、仮線では線増先行となる。完全に線増が先行すれば「線増連立」の定義から外れる。(3行抹消)

 

4.小田急の場合、問題はさらに複雑である。完成後は南から順に乙部に緩行下り、急行下り、甲部に急行上り、緩行上りが配置されるので、緩行を在来線と考えれば、緩行下りは違う位置に移るので別線、緩行上りは急行下り線を一時利用して元の位置に戻るので仮線とも呼べる。しかしあとで撤去しなければならない仮線ではないから、むしろ「借線」といった方がふさわしいように思われる。

 

5.問題は、別線といおうと仮線といおうと工事内容は全く同じだということである。線増連立の正しい解釈は、より説明しやすい別線=連立先行の説をとることである。丙43号証「都市計画案の作成 付属資料」59頁でも、工期5年のうち、3.5年で在来線完成(踏み切り除去)、5年で複々線完成と書いてある。現実の工期と違いすぎるが、紛れもなく連立先行である。東京都・世田谷区・小田急の連名による「沿線の皆様へ」(1994年12月13日付)でもステップ6で在来線高架完成、ステップ7で複々線完成となっている。われわれの「コリドー提案」(甲158の1)でも「工事は高架線線増部で先行しています‥‥この工事は線増〔複々線〕のための工事に見えますが、完成して、在来線を撤去すればまた複線に戻り、在来線立体化のための工事だったことがわかります」と在来線立体化先行を指摘している。「在来線立体化先行は現実である」というべきである。

 

6.ところが被告側はこのように一体不可分の高架工事と線増工事を無理矢理切り分ける。切り分けるだけでなく線増先行の色をつけようとする。実は、建運協定の目的が、一体不可分の工事の補助金を建設省から出す高架工事費と運輸省から出す線増工事とに切り分ける縦割り行政のためのルールだと考えた方が分かりいい。この不自然な切り分けの結果、都市計画とそれに基づく都市計画事業で、守備範囲が異なることになった。建運協定によれば、線増連立は一つの都市計画であるが、事業については「連立は自治体が主体で建設省が認可」・「線増は鉄道業者が主体で運輸省が認可」と別れることになっている。各駅に大きく表示している看板の2行の標題もこれを裏付ける。今回の事業認可訴訟は連立=建設省が被告で、線増=運輸省は無関係である。大皿でみんなで食べた料理を、必ずしも均一でなく誰がどのくらい払うのかを決めることはできる。誰もが合意する大食漢はいるものである。しかし、架空の境目をつけて「おまえは、ここまで食っていい」といったって、食うはじから崩れてしまう.一体不可分のものを両者で分担するお金の話は建運協定、細目協定でそれなりにきめてもいいが、工期と事業地についてはきちんと決めないと市民の権利を侵害する都市計画法による事業認可はできない。ここに大変な矛盾が現れた。

 

 

 

第4章 認可そのものの問題(事業地と工期)

 

1.藤山判決は、建設大臣による認可を違法であると断じた。理由は認可手続きの違法と、認可の対象になった都市計画決定の違法に分けられる.ここでは前者すなわち認可そのものの違法性をとりあげる。裁判所による要約では

 (1)本件鉄道事業認可自体については、その基礎となる都市計画決定の経緯を理解せず[120頁、127頁〜128頁]、確たる根拠に基づかずに事業施行期間の適否を判断するなど、十分な検討に基づいて行われたか否かすら疑わしい[120頁、105頁〜106頁]、

(2)事業認可申請書中の事業地の表示が本件鉄道事業の事業を行う土地の範囲を

正確に表示せず都市計画決定とも一致していないにもかかわらず、これを看過したことは法61条に適合しない[116頁〜119頁]、

(3)事業施行期間についての判断にも不合理な点があることは法61条に適合し

ない[119頁〜122頁]

となっている。

 

2.最初の項目は建設省に対する「不信感」の表明ともいえるものでこの判決の結論が導かれた経過をよく表明している。藤山判決127頁〜128頁には(就任わずか21日目の)「建設大臣が本件各認可に当たって、その基礎となるべき都市計画の経緯すら正しく理解していなかったことを示すものであって、本件各認可が十分な検討に基づいていないのではないかとの疑念すら生じさせるものである。その上、被告は、原告が既に訴状において都市計画決定の違法を主張していたにもかかわらず、本件訴えの提起以来7年にわたる審理の間、昭和39年決定から平成2年変更に至る都市計画の変遷と個々の変更決定の内容を示す証拠を提出しなかったのであり、これらの資料は、参加人から口頭弁論終結間際になってようやく提出されたものである。このような被告の訴訟活動は、本件事案の解明を遅延させるものであり、その行政庁としての地位に照らすと、遺憾というほかない」との判決文中とも思えない嘆き節がその内容である。一審被告が、公判の場で裁判を闘うのではなく、税金を使った原告切り崩しに血道を上げ、公判のたびに首狩りの印としての登記簿謄本を証拠に提出するのみで、原告からの求釈明にも、裁判所からの求釈明にもまともに答えなかったのを目の当たりにしている傍聴席からはこの「嘆き」は共感できる。

 

3.具体的な違法の指摘は「事業地の表示」と「事業施行期間についての判断」という極めて単純な、一見間違えるわけがないように見える項目である。ところが、本件事業認可はこの2項目がそろうと「どちらに転んでも違法」になるのである。

「ベニスの商人」のポーシャ姫の判決は「契約によって肉は切りとってもいいが血は一滴も流してはならない」というものであったが、日本のポーシャ姫の判決は、「用地買収は進んでおり、認可後速やかに高架橋本体工事に着手できる」という被告の見解は、「連立事業が甲乙部両側で行われる」ことを認めなければならず、「さらに建設大臣は、当時、本件鉄道事業(連立のこと、筆者)と本件線増事業の事業地は截然と区分しうるとの前提に立っており、そのように考える以上、(在来線の仮線が線増線の工事を兼ねることはできないから、筆者挿入)本件線増事業による高架橋が幾分かでも完成し在来線の仮線を確保しなければ本件鉄道事業には着手できない関係にあるし、本件線増事業による高架橋が全部完成して初めて本件鉄道事業全体に着手しうる関係にあったことになる」(判決120頁)としている。

 

4.判決は、矛盾を避ける道は、認可申請を線増部の完成後にするしかないと親切に助言した上で、そうしても連立事業は小田急の敷地でやるのだから、計画上不都合は起こらないが、そのときにはその時点まで建設省の金が使えなくなるという指摘も忘れていない。もし、本当に線増先行を主張するならば、現実の経過からすれば、高架の工事開始は2003年年頭、「事業認可後速やかに高架橋本体工事に着手することが可能」という前提から逆算すれば、この場合高架橋は連立事業地内のものであり、2002年末に認可という話になってしまう。とすれば、ここまでの工事は運輸省のお金だけで鉄建公団でやることになって、建設省のお金=道路特定財源は使えないことになり、費用の分担比率と工期の比率が著しくアンバランスになる。

 

5.一方、控訴理由書は、事業施工期間については、「さほど厳密なものではなく、将来、必要に応じ法63条の適用により弾力的な取り扱いをすべきことが当然予定されている」(控訴理由書35頁)として、裁判官の「極めて不合理なもの」とする判断を攻撃する。しかし、乙部のみを事業地とする極めて不合理な線増先行での連立事業の期間というのは、実際に行われた工事からすれば2002年12月から2007年3月(上下仮線ができてから完成まで)または2002年3月から2007年3月(下り仮線ができてから完成まで)となってしまい、認可された1994年6月から2000年3月までの6年弱とは全く重なっていない。これを、「さほど厳密ではないがそこそこの数字だ」とするのは相当に浮世離れした悠然たる時間感覚の持ち主に違いない。これが「行政の裁量権を超えた著しい社会通念からの逸脱」でないとすれば、社会通念は「民草は百年河清を待つ」を文字通りに解釈することになりかねない。被告の手口2は「行政裁量権を無限に拡大し社会通念の上に置く」やりかたである。

 

6.一審判決後に我々が住民団体と共に小田急広報部に「工事は70%完了」の根拠を尋ねたとき、工事の責任者は「連立と線増の区分は工事上全く存在しない」と語った。控訴理由書39頁にも「線増事業についても、本件鉄道事業(連立のこと)と同時に工事を行うことにより、平成11年度末(2000年3月)までに完成する見通し」とある。どこをみても線増が先行ですでに完了しており、「認可後速やかに連立が開始できる」という状況になかったのは明らかである。中島証言(乙21号証)でも「在来線を存置したまま高架線を建設するための用地の買収が相当程度進んでおり、事業認可後速やかに高架橋本体工事に着手することが可能である」と述べている(判決31頁)。この高架橋本体が、駅間部では緩行線下りと暫定的に緩行線上りに使われる将来の急行線下りの2線にあたり、別線=高架先行(現実)の連立事業の開始になるわけだ。そうすれば連立事業は乙部分南側から始まることになる。もしも暫定使用の仮線は事業地に含めないと主張しても、緩行下り線を仮線とはとてもいえない。そこでシャイロックとしては、これらの工事を先行する線増工事であると言わざるを得ない。仮線=線増先行の虚構に落ち込む。するとポーシャ姫は「事業施行期間」の方は適切ですかと柔らかく問いかけシャイロックは進退窮まる。

 

7.ただし、被告には奥の手がある。「認可後速やかに」というのをたとえば「50年以内に」と解釈する権利が行政庁に存在するという主張である。一審判決43頁に紹介されているところによれば、被告は、都市計画法21条1項に定める都市計画の変更の権限と責務について、「都市計画を変更する必要が生じた時は、遅滞なく、当該都市計画を変更しなければならない」の「必要が生じた時は、遅滞なく」は法律的に有効な規定ではなく「変更する必要が生じた時」と「変更しなければならない」は同義反復であるから責務は存在しないという驚くべき暴言を吐いている。学説も社会通念もおおむね5年ごとに見直すべき義務規定と解釈するのに対して、「チン」が必要と認めたとき「チン」が変更するのであるから遅滞などありようもないということである。これは断じて許されないことである。

 

第5章 騒音の問題

 

1.判決の言い分は,いわばもともと違法な騒音を出していたのが問題・利便性を優先して違法な工事を進めるのは問題外ということである。これを指摘されて控訴するのは「問題外の外」であろうか。これに対し,反論は都市計画では「騒音解消を第一に」「環境面を唯一の考慮要素に」しろという明文規定が全く存在しないない(控訴理由書107頁)という。これについては存在しないことに同意する。「騒音解消が第一であるから振動は我慢してくれ」とかいった騒音第一規定があるはずはない。しかし、都市計画が人間生活の環境の計画である以上環境面を第一の要素にすべきことはいうをまたない。唯一ではないということだ。第一と唯一を巧妙に使い分けたつもりかもしれないが、技術的に意味のある「控訴理由」は皆無で、ただただ、手口1「お上のすることに口を出すな」のくりかえしである。手口2も併用され「環境面を唯一」はさらにエスカレートして「都市計画法上、環境への配慮を唯一絶対の判断要素とすべきであることを定めた規定は全く存在せず」(控訴理由125頁)となる。こうなるともう判決に対する批判ではなく、「行政権万能論者」対「幻の環境原理主義者」の戦いであり、こちらは観戦するしかない。

 

2.「諸要素をどのように調整すべきかについて一律の基準を設定することは不可能」(控訴理由書104頁)というが、藤山判決の言う「利便性を優先して違法な工事を進めるのは問題外」との判断に対してはあまりにも無力である。法に一律の基準がないとすればこの場合にはどんな基準をとったのかが全く説明されていない。「一律の基準を設定することは不可能」であるから「どんな結論が出ても文句をいうな」というのは行政の「説明責任」の公然たる放棄手口2である。

 

3.控訴理由書105頁は「行政庁の広範な裁量にゆだねられるべきであるから、行政庁の広範な裁量にゆだねられるべきである」(手口2)としか読めない。これが「控訴の理由」だとしたら、それこそ控訴権の乱用ではないだろうか。司法の判断として「行政庁の裁量できる範囲を超えた誤った・違法な判断」として判決されたものに対しあまりにも不遜というしかない。「行政庁の評価が明白に合理性を欠き、社会通念に照らして著しく妥当性を欠く」ことがあるから、違法だというのが藤山判決である。それに対し、「行政庁の評価が明白に合理性を欠き、社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことはないから」違法ではないといっている。脱税した経営者が税務調査でいくらボロが出てもマスコミに対しては蛙の面に小便で「見解の相違です」といっているのと似ているように見えるが、彼等脱税者の多くは、そういいながら実は税金は払っているのだ。控訴しておいて、控訴理由に「見解の相違です」(「単なる個人的価値観」(控訴理由書108頁)「きわめて特異な見解」(控訴理由書109頁)では困るというものである。

4.「都市計画決定が社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかである等の事情が認められない限り、環境への影響を理由として、当該都市計画決定が違法とされることはない」(控訴理由書106頁)ということについて争いはない。「判決は著しい考慮事項の欠落」と具体的に指摘して違法だといっている。ここでもまた社会通念がなにかは「チン」がきめる、著しいかどうかは「チン」がきめるというのだろうか。「事実を誤認したことはなく、明白に合理性を欠くことも全くない」(控訴理由書107頁)といいながら(手口2)藤山判決に対する事実としての反論は皆無で、「騒音を第一」「環境面を唯一」に対する架空の揚げ足とり(手口1)だけである。

 

5.では藤山判決はどこで「騒音を第一」といっているのだろうか。判決によれば「騒音について違法状態の疑いがあるから、この問題は当・不当の問題ではなく‥‥利便性に優先して、‥‥騒音を第一に」(判決130頁)と続く。「振動ではなく騒音を」という法律はないが、「騒音基準」という明文の規範があるのだから、「利便性と比べて法を守ることが第一だ」という趣旨である。後半だけ取り出して、「騒音第一は裁判長の趣味の問題」とするにいたってはペテンである(手口1)。

 

6.また藤山判決はどこで「環境を唯一」といっているのだろうか。発見できない。かろうじて近いのが判決132頁であろうか。計画・地形・事業の三条件と環境への影響を論じ、3条件で構造形式を選んだあとで環境でフィルタリングするという手法では、地下のように環境に対して圧倒的優位の計画が経済性で締め出される危険がありうることを説いており、しかもそうした配慮を欠くと「要綱」に反するといっており、「趣味に合わない」とはいっていない。相手の言わなかったことを言ったといって攻撃するのは手口1である。法と社会通念に照らして行政をチェックしようとする判断を、根拠もなく「単なる個人的価値観」(控訴理由書108頁)「きわめて特異な見解」(控訴理由書109頁)と退けるのでは全く無礼というほかない。

 

7.踏み切り混雑解消・輸送力の限界の解消が社会通念であり、地下化は社会通念でないとする見解(控訴理由書109頁)は、まったくの見当はずれである。地下か高架かと議論しているところへどうして踏み切りが出てくるのだろうか。まるで地下にしたのでは踏み切りが解消出来ない・輸送力の限界の解消出来ないかのような議論である。この議論は、「地下は高い、地下は工期がかかる」、という俗説を証明なしで前提にする。これこそ存在しない仮想敵への論難である。建設省に「地下は高い、地下は工期がかかる」という俗念、連立は「高架が原則」という俗念でまやかそうとする「省念」が今でも存在する事を示す以外の何者でもない。建運協定でも立体化という言葉には地下を含めるものの、詳細の規定は殆ど高架に関するものであるのは30年以上前のものであるからに過ぎないのに、あえてこれを無視し、現在でもそうであるかのような虚構を作出しようという訳である。「社会通念」と「省内通念」が乖離した時、これを匡すのは市民・司法・立法の機能であろう。これが行政改革である。

 

8.ようやく、具体的「控訴理由」にお目にかかれるのは控訴理由書114頁である。藤山判決が「受忍限度をこえる騒音を発生させているのではないかとの強い疑い」の根拠の一つとしてあげる公害等調整委員会の責任裁定について、裁定は認可後の平成10年(1998年)であって、「申請したことのみ」(1992年)をもって理由にしてはならないと主張する。裁定や裁判に時間がかかりすぎるのは問題であるが、もし認可時(1994年)に裁定が出ていたら「強い疑い」どころではすまない。ある特定の個人が「騒音は耐えがたい」と申請しただけなら「強い疑い」にはならないかもしれない。しかし、地下化を推進しようとしている被害住民が多数申請しており、データもそろっているので、申請当時、行政担当者が裁定が出るのではないかという「強い危惧」を抱く状態にあったことはまったく「疑いない」。

先に引用した1987年の川上秀光教授の住民へのお説教の前段は「線増が与える沿線地区の環境騒音を考えれば、「技術的に可能である限り」環境騒音と振動の低下にとって必要な手立ては全て追求すべきである。「他地区へも波及する」ことを恐れて沿線住民からの要求を拒否しつづけることは、将来、当地区だけでなく、他地区において連立事業は不可能といった事態をもたらす。積極的に分別のある、合理的な双方受け入れ可能な解決策を見出す努力が必要である」という行政への警告である。(甲50号証の14、ii頁)「技術的に可能である限り」の手立てと「分別のある、合理的な双方受け入れ可能な」解決策がどうつながるのか不明であるが、ここにも最高度に「強い危惧」が表明されていることは間違いない。これが事業認可申請の5年前である。この研究会は結論として、シールドの用地費が高架より高くなるという、多少ものを考える人が見たらすぐ分かるとんでもないウソをついて、高架を推したのであるから、「環境騒音と振動の低下にとって必要な全ての手立てのなかで」、川上先生の「技術水準」のお里が知れるというものである。

したがって「申請したことのみ」をもって理由としたのではなく、申請したという事実の背景に騒音被害の存在を見て理由としたのである。しかもその申請が虚偽のものでないことはそのあとの裁定和解(1998年)によって裏付けられているのであるから判決時点の判断として「欠落があった」「過誤があった」とすることは全く正当である。

 

9.「在来鉄道である小田急線について、公的な騒音基準は全く存在していなかった」(控訴理由書115頁)ことを盾にとって、長田証言をつまみ食いして(手口1)新幹線騒音基準は「全く使えない」と主張する。しかし、飛行場・新幹線・道路・近隣など騒音に関する基準は1970年代からはっきりと存在しており、在来線だけが野放しと考えていい訳がない。新幹線が問題になったのは、@在来線よりうるさい、A住民にとって利便性・近親感がない、B後からできた、の3つの理由が考えられる。ここからすれば、小田急高架の基準に新幹線を持ってくるのは「甘すぎるのでは」ということはあっても、これより緩めるということはとても考えられない。@から考えれば新幹線より厳しくすべきだし、Aでは、住民の利便性をかえって妨げる箱根特急の「ピーポー」という警笛が怨嗟の的になったのが思い出される、Bでは特に南側の住民にとっては「とんでもないものが隣に引っ越してきた」ということになる。たしかに騒音は人間の感覚に関するものだけに、騒音レベルの測定法自体に「あいまいさ」があったことは長田証言のとおりであろうが長田氏が法廷で述べたことは、そうしたあいまいさにかかわらず、「受忍限度」を超えているとする切々たる訴えであった。それが藤山裁判長を動かしたのだ。国立公衆衛生院の院長としての経歴を持ち、いわば、日本の騒音公害に関する「社会通念」そのものであるような氏の証言がこのような使われ方をすることに怒りを覚える。氏が専門家会議の顧問だからいっているのではない。

 

10.騒音問題に関し、ここに論ぜられていないもっと大きな問題が存在する。それは下北沢地区の地下化が完成し、代々木上原から登戸までの複々線が完成したときの騒音についての予測である。いわゆる「こまぎれアセス」の問題である。現在のままで梅丘ー成城学園だけ複々線にしたときと、その先千代田線・新宿までが複々線になった時とでは列車の本数も速度も当然ちがってくる。80キロで走る電車と120キロで走る電車では速度は1.5倍であるが、エネルギーは2.25倍であり、騒音に大差のあることは新幹線騒音訴訟などでよく知られている。そうなれば、騒音レベルもさらに悪化する恐れがある。「この区間だけ高架複々線にしてもそんなにご迷惑にはなりませんよ」といって、まず狛江区間を高架にし、続いて同じ手口で今回の区間を高架にし、郊外からから順にこまぎれにアセスをしながら高架工事を進めていけば、地下にするのは最小限の下北沢区間だけですむという作戦は、当然のこととして境界地域に大きな摩擦を生むことになる。120キロで走れるようになった時、いつかの名古屋付近の新幹線のように「梅ヶ丘〜祖師ヶ谷大蔵の住宅密集地では80キロに落とします」とでもいうつもりなのだろうか。その時、ボトルネックが輸送力の限界を決定することになる。

 

第6章 本件調査での比較検討の方法と経緯

 

1.控訴理由書94頁「第一 はじめに」の2項によれば、「東京都は平成5年変更にあたり、2線2層を含む4つの構造形式を想定した上で計画・地形・事業の三条件から高架が優れていると判断し、さらに高架が環境からも特段の問題がないことを確認したのであるから原判決は誤りである」としている。藤山判決はまさにそこに問題があると指摘しているのであるから、この文章は全体として何の意味もない。判決の誤りを指摘するには具体的であることが不可欠だ。控訴理由書96頁に「都市高速鉄道の構造形式の比較検討については、明文で定めたものはない」とし、「従来からの都市計画に関する実務経験に照らし」比較検討したとしているが、これは藤山判決が「建運協定」「細目協定」とその「調査要綱」にもとづいて法理論を展開していることに対するあからさまな挑戦である。しかし挑戦の方法が誤っている。あるものをないといって議論ができるわけがない。「明文の規定はないが複数の代替案を比較した」とするのは明らかな虚偽である。要綱にはいくつかの案について比較すべきこと、ならびに不可欠の比較基準として環境が存在することを明記しているのである。要綱が明文規定であることはいうまでもない。丙1号証によれば、平成5年決定に先立ち昭和62〜63年(1987〜88年)に東京都は本件区間+下北沢区間について連立要綱による調査をおこなった。藤山裁判長が苦労して2000年秋に東京都から取ったこの調査報告書を、われわれは情報公開訴訟の和解の成果という形で1994年3月に見ることができた。しかしそのときは下北沢の部分は真っ黒に塗られていた。このときの比較には、前提として環七・環八を高架のままにする、4線並列とするという「基本条件」という名のフィルタがかかっていた。本件区間について検討したのは1)高架+成城地平、2)高架+成城掘割、3)梅丘まで地下+高架+成城掘割、4)豪徳寺まで地下+高架+成城掘割、5)経堂まで地下+高架+成城掘割であった。また「実務経験に照らした比較検討」とする「計画的・地形的・事業的」条件は、要綱の上記基準に明確に反する作為的なものでしかない。

 

2.建運協定の調査要綱では、「比較案を数案作成し」「比較案の評価に当たっては、1経済性、2施工の難易度、3関連事業との整合性、4事業効果、5環境への影響等について比較し、総合的に評価して順位をつける」となっている。この方法が採用されていれば、議論ははるかに単純だったはずである。それぞれの項目の具体的内容としてどんな項目を立てたか、そしてどんな評価をしたか、それらをどんな重みで集計したかがすべてである。項目の立て方・評価の判断・重みの付け方によって、さまざまな数字が出てくる。たとえ誰かが最終数字から順位を変えるために評価や重みを変更したり、特定の項目を追加したり削除したりしたとしても、結果としての項目・評価・重みさえ残っていれば、判断基準は明瞭に説明できる。たとえば、「環境への影響についての重みがゼロになっているのは社会通念に反する」とか「地下にしたときの地上の利用価値は金額では測れない」とか。複数の比較案・複数の比較項目・項目ごとの評価・重み付けした集計は判断過程を明らかにし、価値観を明らかにし結果についての説得力を増す。「従来からの都市計画に関する行政実務経験に照らし」てできたという「計画的・地形的・事業的」というお経の問題点は、環境への影響が抜けていること、総合的に評価して順位をつける方法が示されていないこと等である。「計画・地形・事業の三条件」と環境の関係について原判決は「選択した結果についてあとから環境評価する」ことに疑念を発している。それに対して被告側はフィルタで落とせば、はじめからやり直しになるのだから大丈夫と主張する。原判決はそのようなやり方では、たとえば地下式の環境面でのメリットがはるかに大きいのに,工事費がわずかに安いからといって高架式を採用する危険があるといっているのに対して全く答えていない。理由も示さず「判断は合理的である」をくりかえすだけである。判断が合理的であることを示すためには、対象となった代替案、検討した項目、それらの評価、重み付けを示すのが最も「合理的である」。代替案の検討にポストフィルタは禁物である.1987〜88年調査の問題は藤山判決の指摘する通り、代替案作成の前提条件とされた「下北沢は地表式」「環7環8の高架温存」に全く合理性がないことである。判決が78頁「線路設計の基本条件」としてあげる4条件、79頁「基本設計の基本条件」としてあげる6条件について、どうしてこれらが基本条件になったのかを説明しないことにはそのあとの代替案比較を正当化することができない。こうした「基本条件」についても2施工の難易度や3関連事業との整合性などで評価すればいいのであって、「代替案の初めからの絞込み」=プレフィルタはどんなときでも「一見突飛に見える格段に優れた案」を排除する役割しか果たさない不毛なステップである。世の中には、「どんなよさそうに見える提案に対してもそれができない理由をたちどころに30個挙げる能力を持った人」の方が、「どんなにできそうもない難問に対しても、解決の糸口の候補をたちどころに30個挙げる能力を持った人」よりはるかに多い。できない理由の中からもっともらしいものを4つとか6つとか挙げておけば、検討したくない代替案は予めフィルタリングできることになる。

 

3.1991年8月都市計画素案説明会があり、翌92年4月高架案だけに対するポストフィルタとしての環境アセスの公聴会があった。素案説明会は悪名高い「株主総会」方式で、小田急やゼネコンの社員が住民に化けて前列を占め一方的に進行しようとしたが、「偽住民」の動員指令書を会場内に落とすといったハプニングもあって、実質的に流れた。アセス公聴会は27名中26名が高架案に反対した。8月アセスの決定された内容が説明されると、ただちに長田・田村両教授連名による「こまぎれアセス」による騒音評価の誤りについての意見書が出され、11月には力石教授による「2線2層のシールドの代替案」が提案された。その他政治学者・弁護士など数々のグループから環境影響評価案に対する意見書が集中して非難したにもかかわらず、あけて93年2月東京都は平成5年決定と呼ばれることになる都市計画の変更を決定した。

 

4.しかし8月細川内閣が成立し、「公共事業の見直し」は政治の中心スローガンになり、そのままの形での建設省への申請は思いもよらない事態になった。11月五十嵐建設大臣との会見、12月鹿谷副知事を窓口とする東京都との協議開始、あけて93年1月ニューヨークタイムス紙のトップをかざった「情報公開訴訟の和解」があり、それまで雲をつかむようだった東京都の計画検討内容が見えてきたかと思われたが続かなかった。4月細川首相が辞意表明すると、待っていたかのように東京都は協議を一方的に打ち切り、事業認可を申請した。5月、就任21日目の羽田内閣森本建設大臣によって本件の認可が行われ、6月に認可取り消しが提訴された(本件である)。92年1月に住民に説明された都市計画案の付属資料が丙43号証として92年3月の日付であとからまとめられている。

なお同証は、前記調査において「比較設計」は完了しており、その後の「検討・調査」なるものは、世論対策のアリバイづくりにすぎない。この点については2002年12月10日付第1審原告準備書面兼証拠説明書「第三 丙43号証の本質」という論述は、私の分析と一致している。

 

第7章 地下と高架の事業費比較

 

1.力石教授案として我々が1992年に提案したのは(甲21号証の1)

 

              合計     土地取得    工事費

 1) 高架(成城地下)  3406億  2456億    950億

 2) 22層シールド   1952億   340億   1612億

 

というもので、東京都の住民に対する説明の高架1900億円、地下3000ないし3600億円とはほぼ金額が逆転している。これは4線並列の高架にしたとき騒音・振動と景観・威圧感から南北に環境側道を必要とするという環境実定法秩序がベースになっている。南北に各13mの側道を取る事を前提としている。情報公開前の数字であるから信頼感に乏しいとの見方もあるが、狛江地区では存在したのにいつのまにか消えていた南側側道を回復した提案は卓見である。「都市施設の品位」という観点から見ても、騒音の違法性という観点から見ても南側に側道は13mは多少値切れるとしても、どうしても必要である。民家の間隔と同じ、境界から50cmでいいわけがない。われわれは、このあと地下をどうやって実現させるかについて努力を集中してきたため、地上に立ち上がった醜悪な構造物を見ると、「負けた場合」のことについての配慮が足りなかったことを反省する。中層のビルを掠める高架線の景色はなんとも異様なものである。

 

2.このあと五十嵐建設大臣の仲介による東京都との数字のすりあわせがおこなわれた。このときに東京都が難色を示した南側側道をとりあえず主張からはずし、ホームが狭いなどの指摘をいれ、そのかわりにというわけでもないが、1988年以前に取得した分の土地代(同じ地価で評価すれば高架500億円、地価200億円)を算入し、不動産鑑定士山森大七郎氏提案の「立体交換」による受益分をとりいれた数字が(甲50号証の7)

 

             合計    土地取得   工事費   受益分

 1) 高架(成城地下) 2038億 1450億             950億  −362億

 2) 22層シールド  1337億  600億            2600億 −1823億

 

である。このときの地価の基準は東京都の主張により1987年とされた。既取得分の土地の価格や受益分の想定などいわば「会計思想の現代化」である。控訴理由書136頁「売る売らないじゃなく、あくまでもストックとしての価値で」という山森証言を鬼も首でも取ったように掲げているが、ストックとフローの関係、損益計算書と貸借対照表の違いを理解しない大福帳センスを自白しているだけのことである。官庁の単年度予算主義に染まった目から見ては分からなかったかもしれない。どういうわけか1987年は不動産価格のピークの年であり、計画決定時より高値である。しかしトンネル工事は日進月歩であるから計画決定時まで判断条件を繰り下げると2線2層シールドに有利なことも多い。

 

3.その後下北沢は地下が当然に想定されるべきこと、駅部もシールドで工事できることなどを加味して、判決前の最終的な数字としては(甲50号証の1、甲62号証

 

            合計    土地取得   工事費   受益分

 1) 高架(成城地下) 2038億 1450億             950億  −362億

 2) 22層シールド  605億  256億            2172億 −1823億

 

 となっている。ここまでくると、受益分を入れなくてもほぼ同じ、地表の利用価値 だけまるまるプラスということになる。

 

4.その後の経過は

 1)バブルが崩壊して1987年地価基準での受益分は現実味を失った

 2)駅部や高架下で受益分を現実化するはずであった3セクが解散した

 3)阪神淡路の大震災で防災基準が見直され高架工事費が上乗せされた

 4)シールド工法が普及し、価格も下落した

 5)大深度地下法が成立し、無補償で地下鉄が掘れるようになった

 などめまぐるしいものがある。

1審判決後の現在の目で見直すと南側に側道なしで高架ができると考えたことの違法性が際立ってくる。違法なものの価格を見積もるわけには行かないので力石案の初心に帰って、南北側道に戻すしかないと考えるが、いずれにしても高架の方が安いという結論はどうやっても出てこない。

 

5.最低限の主張として

1.そのころ、きちんと計算すれば地下と高架の受益分を除いた事業費はほぼ同等

であった。

2.高架については、南側にも相当の環境空間が必要なことは自明である。

3.地下については、鉄道用地でなくなる地表の利用価値が残る。

 3項目あわせれば、いわゆる事業費比較でも地下の優位は動かない。

 

 

第8章 地上の利用法

 

1.控訴理由書101頁に「鉄道敷地の空間利用の比較検討は,抽象的、概括的に行うにとどめるべきである」としている。いま議論になっているのは他でもない「都市計画」なのだ。抽象的・概括的な都市計画によって、高架を押し付けられたのではかなわない。私は、東京の未来を考える視点から、「緑のコリドーにすべきだ」という具体的な提言をおこない、さらに建運協定第10条を示して,都市計画によって不要になった鉄道用地の利用法について地方公共団体が発言権を持っていることを示唆したのだ。いつもは専横を指摘される国側・都側がここではなんと慎み深いことだろう。

 

2.控訴理由書101、128頁「高架下部分と地上部分は利用上等価値である」については反論の必要を認めない暴論である。もしこれが正しければ、地下鉄というものはこの世に存在しなかっただろう。

 

第9章 地下鉄技術の問題点

 

1.藤山判決は、事業認可の手続きの違法性だけでなく、認可対象となった平成5年都市計画決定の適法性についても判断しており、「考慮要素の欠落」、「判断内容の過誤欠落」が著しいとして違法とした。

 そのうちの地下鉄技術の関するものを拾えば

 (1)恣意的な比較前提で区間全体の地下化がまともに検討されなかった。

 (2)「連立は原則高架である」という(古い)基本姿勢が伺われる。

 (3)構造形式選択の要素に「環境影響」が脱落している。

 (4)仙川・烏山川の下部を深く通過することは技術的には可能。

 (5)地下水脈問題に触れていないのは、地下についての検討不足。

 (6)下北沢が地表という誤った前提を置いた。

 (7)駅間シールドは本件調査時点で相当程度普及していた。

 (8)駅部についても大阪の3連シールドなどすでに実績が認められる。

 (9)急行・緩行の乗り換えについても京都東西線の例がある。

 など列記している。

これに対して、控訴理由書では、建運協定、細目協定、調査要綱などの規定は行政庁内部でのみ意味を持ち、外部に対しては縛られないとし、行政の裁量権を司法が犯したという大上段の反論から、考慮要素・判断内容にいくら欠落があっても違法になるわけがないとしながらも、原判決の「地下優位の可能性もあった」との判断に対して、133ページ以降でいくつかの反論を試みている。これらは、「連立は原則高架である」という古い基本姿勢から一歩も抜け出せない議論が殆どであるが、看過できないものもあるので反論する。順序は控訴理由書から外れるが、この事業区間の地質についての議論を先にするため、ねじれシールドの可能性から検討する。

 

2.控訴理由書144頁は京都市営地下鉄の「ねじれシールド」について「この工法を採用した場合には、地上部分への影響が避けれず、京都市営地下鉄東西線の場合には、N値30以上の良質な地盤であるが、最終的に、最大10mmの地表面沈下が観測されている。最大10mmという地表面沈下は、本事業区間のような柔らかい地盤ではそれ以上の沈下が予想され、小田急線のような営業線の直下で施工する方法としては、安全性の面で問題が大きく、これを採用することは現実的に考えられないものである。」としている。これは、本件事業区間についてのシールドトンネル工事の技術検討を本気でやったことがないことの自白であってまったく根拠のない議論である。

 

3.まず、「本事業区間のような柔らかい地盤」について検討する。京都の柱状図(甲第61の4号証土木学会誌論文)と丙第60号証のNo.54の当事業区間の柱状図を比較する。京都はシールド通過区間の地質の主体は、N値30以上の洪積層でよく締まった粘土性土を含むレキ質土からなっている。しかし、シールド掘進による地表面沈下に最も影響のあるシールド機天端から上の地層は、N値10以下となっている。これに対し、本件事業区間は、シールドの深さを仮に2線2層で想定していたシールド直径10.8mと同じにとった場合、シールド通過区間の上半分は、N値3〜5、下半分はN値50以上の地層である。通過部分の地層が京都より柔らかいといえば言えるが、シールド機天端より上には、(事業区間の殆どを通して)厚さ3m〜4mの武蔵野礫層(N値最大50)があり、地表面沈下への影響の面では、京都より施工に有利である。また、泥水シールドの性能は、通過部分の柔らかいほうがむしろ掘進しやすく有利なのである。「現実的に考えられない」という結論が調べもせずに出てくる方が「考えられない」。

 

4.次に沈下量について検討する。「京都では最大10mmの地表面沈下だが、本事業区間ではそれ以上の沈下が予想される。」と主張しているが、京都の最大沈下量10mmというのは菱形に配置された、@東西線東行、A京津線東行、B東西線西行をシールド掘進し、最後にC京津線西行のシールドを土被り6m強で掘進した最終合計沈下量である。一方、本事業の場合、少なくとも土被り11mの深さで、その上、2.1で検討したように地表近くにN値最大50の地層が3m〜4mの厚さであり、地層的にも京都の場合より沈下に対しては施工有利と言える。「それ以上の沈下が予想される」という主張はまったく不合理である。

 

5.以上のように、地層の面から見ても、沈下量検討の面から見ても、ねじれ式シールド工法の適用可能性を非とする主張にはまったく根拠がなく合理性のないものである。

 

6.控訴理由書133頁には「仙川と烏山川の下部を通過することとなって、その分深度が深くなり、地下式の中でも22層シールド工法を採用した場合の急行線についてはさらに深度が深くなり、その深度は約50mにも達する。」とある。深度が深いことの問題点について判決では被告の検討した約50mを「可能な範囲」とみなし、地形的条件の問題ではなく事業的条件で反映させればいい(原判決137頁)としており、そのこと自体は正しいが、50mを無批判に受け入れることはできない。最近の地下技術の進歩は深度の深いことの不利をいかに克服するかに向けられており,一般論として50mでは深すぎるとの議論は通用しないが、本当に50mになるのか当時の技術(丙43号証による)を基準に検討する。

 

7.まずシールド・トンネルの土被りについては、丙43号証76頁にある「トンネル標準示方書(シールド編)(土木学会昭和61年)」には、「第11条トンネルの土被り トンネルの土被りは地表や地下構造物の状況、地山の条件、掘削断面の大きさ、施工方法等を考慮して決定しなければならない」とあり、解説として「必要な最小土被りは一般に1.0D〜1.5D(掘削断面の大きさ)といわれているが、これより小さい土被りで成功した例や、これより深くても陥没や噴発などの例があるので、実施にあたっては上記のことに留意し、必要に応じて様々な補助工法を勘案のうえ、慎重に決めなければならない。河海底を通過する場合は、漏気、噴発やトンネルの浮上がりに対する検討を行うことが特に必要である。」とある。ここでDはトンネルの直径を示す。さて、ここで、特に検討を要求されている事項のうち、陥没、噴発の事故は泥水式シールド工法の技術等で殆ど解決されている。また、土被り1.0D〜1.5Dについては例えば、先にあげた京都の高速鉄道東西線建設工事御陵東地区(1991年施工開始)では、

シールド外径    5.84m

駅部最小土被り   4.3m

併用軌道下最小土被り6.8m

 で施工がされており、各々

4.3m÷5,840mm≒0.8D、

6.8m÷5,840mm≒1.2D

であり、適切な補助工法によりこの施工がなされている。

また、シールド技術協会の施行実績から抜き出して作成した表(甲228号証の2)に見るように土被り1.0D以下の工事実績も10数年前から多数ある。

 

8.次にトンネルの併設については、同示方書では、第37条併設トンネルの影響「トンネルを近接して併設する場合には、土質条件、トンネル相互の位置関係、トンネルの径等を検討し、荷重に相互干渉の影響を受けることが予測されるとき、これを考慮するものとする」とあり、解説として、「‥‥複数トンネル相互干渉による緩み範囲の変化、あるいは施工時荷重による影響を検討し、必要に応じて対策を講じるものとする。‥‥位置関係では,水平、上下いずれの関係においてもその離れが後続するトンネルの外径(1.0D)以内の場合は十分な検討が必要である。‥‥」とある。すでに約20年前において相互間隔1.0D以内の後続が可能とされているのである。上記京都の工事においては、接近距離0.7m(上下近接0.7m÷5,840mm≒0.1D)で施工されている。

 

9.上のように、シールド掘進においては、最小土被り1.0D〜1.5D併設トンネルの位置関係(離れ)・・・1.0D以内可能がである。これを基準として、本事業区間における22層シールドの深さについて検討する。本事業区間の地層条件は、ねじれ式シールド工法適用の検討項目のところで記述してあるとおりであり、これにより深さ設定を次のように考える。

 条件1.最深部2層目(施工は先行)シールドは全断面N値50以上の地層を通過し、1層目シールドの下部にいたるまで続いているので、施工管理技術(地盤挙動、トンネル挙動の各種計測による施工チェック)により、1層目シールドへの影響は殆ど抑えられる。

 条件2.現在営業線への沈下影響については、地下2mから5mにかけ厚さ3mから4mで武蔵野礫層と呼ばれるN値20〜50の強固な支持層があるので1層目シールド後行の施工管理及び営業線路盤の沈下測定等の実施により制御し安全を確保する。

 条件3.仙川,烏山川の川底事故防止のため、それぞれ川幅の前後数メートルを含めて、シールド機の上層に補助工法を施工する。川底は地下9m前後であるからシールド機に上に厚さ2〜3m以上の補助工法が可能である。以上の考えから、

 

  ・土被り1.2D=1.2×10.8=12.96m→13.0m

  ・緩行線シールド(後行)               10.8m

  ・緩行線シールドと急行線シールドとの間隔

    0.4D=0.4×10.8=4.32m →        4.5m

  ・急行線シールド(先行)                  10.8m

  ・合計                        39.1m

 

 とすることができる。

即ち、最深部の深度はシールドで39m余り,立杭の分を考えても、

「深度は50mに達し」ないと考える。同じ技術基準を使っての結論であるから「50mに達する」とするのは「為にするもの」であることが疑われる。40mも50mも同じというのは荒っぽすぎる。

 

10.控訴理由書129頁「地下化を採用した場合には、高架式では考慮の必要のないような環境への影響が生じる場合がある」として、いくつかの項目をあげている。

控訴理由書130頁「シールド工事の掘削に伴う地下 水位の低下による地盤沈下が生じる恐れがある」一審被告らが提出した証拠丙43号証81ページには「泥水シールド機」で掘削するならば、

    1)地下水対策の必要性     特に必要なし

    2)工法の信頼性、確実性    施工実績多数あり

    3)推進管理の難易、施工速度  中央制御により容易確実

    4)補助工法の必要性      基本的に必要なし

    5)地盤沈下          地山の乱れが少ない

 とあり、この主張は自らの検討結果を無視するものではないのか。

 

11.控訴理由書130頁は「又、地下構造物により、地下水の水位および流れに影響を及ぼす可能性がある」と指摘する。これを原審判決が「考慮せず、地下式であれば全く問題が生じないかのような誤った理解に立っている」というのは、まったくのいいがかりであり事実に反する。本章1項(5)に示したとおり、地下水脈に関する何らの検討もなされていないのは、被告側が本気で地下化を考えていなかったことのしるしとして指摘しているのである(原判決137頁)。司法官に対する公然たる侮辱が意図したものであれば仕方がないが、もし見落としで筆が滑ったのであれば、この項目は即刻撤回することをおすすめする。

 

12.控訴理由書130頁にいう「工事用車両の走行に伴う騒音・振動・排気ガスによる環境への影響」、これもまったくのいいがかりである。高架工事は全日程を通して地表面での作業があり、丙43号証60ページには

 1)開削工法   地表面での施工であるため、施工時に周辺に与える騒音振動

          の影響は大きい。高架式も同じである。

 2)シールド工法 地中における施工であるため周辺への影響は少ないが、

          立坑付近では長期間周辺に影響を及ぼす

とある。高架式では工事期間中ほとんど全線にわたって、この状態が続き、また完成後も騒音・振動が続くのに比較してシールド工法の影響が立坑のみであり、少ないことは言うまでもない。しかし、それは対策不要を意味するものではない。

丙43号証73−75頁のセグメント組み立て能力の数字(複線シールドの場合で110m/月から138m/月平均して124m/月)を発進立坑1箇所、シールド機2機とすると6400m/124m=52月となるが、急行線、緩行線に別々のシールド機をそれぞれ2機づつ使用することによって2年半でできることになり、工事車両による影響を大幅に短縮することができるのがシールド工法である。どこをつかまえて「高架式では考慮の必要のないような環境への影響」といっているのであろうか。これも撤回をおすすめする。もしやこの項目は、地下化の結果として発生する「残土処理の困難さ」を書くつもりであったのか。現在時点から見直せば、我々の地下化の提案に欠落していたのは、地下水脈や残土のような環境問題への言及である。

 

13.控訴理由書134頁「深度が深くなると火災、地震、水害などの災害が生じた場合に問題が大きく、地下鉄道では、過去に火災の事例も多く、とくに十分な対策を講じる必要がある。」「高架の地形的優位はあきらかである」という主張も別の文脈にある。十分な対策の必要があることは明らかであり、「究極対策が不可能であるから地下鉄はノー」というのは街の評論家の言としてはありうるが、責任ある立場の被告を代理しての文言としてはまったく不適切というしかない。やはり撤回削除されるべきであろう。藤山判決128頁を借りれば「その行政庁としての地位に照らすと遺憾というほかない」。

 

14.参加人は、もともと高架での4線並列をそのまま開削で地下にも持ち込むことを前提にしていたようである。2線2層を比較しなかったことのいいわけには急行と緩行の乗り換えがしにくいことを持ってくる。およそどんな形式でも利点があればデメリットもある。「デメリットがあるから比較しなかった」では議論にならない。

 

15.京都のねじれシールドも大阪の三連シールドによる駅の工事も具体的な設計例であって、そのままどこにでも適用できるものではない。2線2層もそうである。現在の時点から過去に何ができたかできなかったかを論ずることは不毛であるが、地下工事がシールドに向かい、シールドが小さくなり、近接してきたという技術動向は疑いない。住民の「地下にしたい」という願いをなぜ共有できなかったのかの責任が問われているのであって、個々の技術の個々の駅への適用の可否ではない。ただし、控訴理由書143頁「原判決の上記判示は京都市営地下鉄東西線のねじれシールド工法が成功した後の後知恵にすぎない」には反論する。大阪や京都は技術革新の先頭を走るが東京はだめだということもない。東京でも、地下鉄南北線や都営大江戸線には随所に新しい試みがちりばめられている(甲227,228,229,230)。たしかに大阪・京都で土木学会賞を取ったのは96年のことである。しかし、どうしても同じホームで乗り換えるようにしたいという意思表示は、1988年にすでに京都では最初の申請として表現されている。大阪も最初のアイデアはほぼ同じ頃であろう。要するに地下化はやる気がなかった、やらない理由だけ探していたというだけのことではないのか。

 

第10章 おわりに

 

1.藤山判決はいわゆる「事情判決」(行政事件訴訟法31条1項)を適用しないと明示した。原状回復の義務が発生しないこと、認可取り消しによって「公の利益に著しい障害が発生しない」ことがその内容である。原状が違法状態であることを前提とすれば、これを回復することが公の利益にならないことは明らかであり、同時に違法な高架工事をとりやめても公の利益を損なうことにはならないのである。

判決を報じたマスコミ各社はこの部分を誤読して、「原状回復」でないから「工事は継続」としたが、判決文の表現の論理的な対偶は「原状回復の義務があると公の利益に著しい障害になる」に帰結するのである。「違法状態の解消」にかける藤山裁判長の意欲が最も強く感じられる部分である。

 

2.そうした意欲が、ごく少数の地権者原告の存在によって日の目を見た。もし、これが小田急の土地の上だけでできる工事だったら、周辺住民には何の発言権もないというのはいかにもおかしいことではないか。最初に書いたとおりこの事件について言えば多数の周辺住民原告も敗訴とはいえ同じ利益を共有できるからいいように見えるが、これは見えるだけのことで本当はおかしいのではないか。拡大されてきた原告適格の枠が最高裁平成11年判例で一気に逆流した。地権者だけに、不動産を持っているものだけに環境への発言権を認めるような異常な事態は早急に解消されるべきである。

以 上

 

 

 


 

陳述書の補充書

〜京都地下鉄の平成5年設計変更について〜

 

1.2001年10月の小田急高架工事認可をめぐる裁判で、東京地裁の藤山裁判長は「騒音をそのままにして高架を認可したのは違法」と判決し、その理由の一つに京都地下鉄の御陵東工区での「4線ねじれシールド」のような技術もあったのだからシールド工法による地下化についてもっと検討すべきであったと述べた。これに対し控訴審で国交省側から「4線ねじれシールドは最先端の技術であり採用する義務は無い」「ねじれシールドは平成5年の設計変更で採用されたものであり、小田急で採用できるはずも無い。あと知恵にすぎない」との反論が出された。弁護団が京都市交通局から入手した設計図を詳しく検討して、いわゆる「あと知恵」ではないことがはっきりしたので報告する。

 

2.たしかに土木学会賞を受賞した世界最先端技術の「4線ねじれシールド」が形になったのは平成5年の設計変更での採用によることは明らかである。これを仮に「あと知恵」というとすれば、先に「ニーズ」があり、あとからこれを解決する「知恵」がついてくるという意味で「ニーズが先・知恵はあと」という意味の「あと知恵」の新解釈になる。普通の意味の「あと知恵」は「あのときこうしていればよかったのに」という終わった後から出る知恵の意味である。

 

3.ねじれシールド

 4線ねじれシールドは京都市営地下鉄東西線御陵駅(地下)に地上を走っていた京阪電鉄京津線が乗り入れるために考えられた。京阪は東西線開通後、三条京阪までの区間の地上線を廃止した。鉄道は普通左側通行であるから東から見ると左に西行き右に東行きの線路がある。京津線の西行きをKW、東行きをKEとし、東西線の西行きをTW、東行きをTEとする。京津線は地上から乗り入れてくるので上にある。

 

            地上            KW KE

            地下            TW TE

 

から出発するが、このまま地下2階、3階で駅に入ったのでは乗換えがしにくい。そこで同一方向は同一ホームでという赤坂見附でおなじみの「ねじれ」(開削では1920年代から計画された)を行う。45度ねじったところで菱形になり、

 

            地下1階  KW

            地下2階 TW KE

            地下3階  TE

 

 となる。さらに45度ねじると

 

            地下2階 TW KW

            地下3階 TE KE

 

となる。東京の人はKを丸の内線、Tを銀座線と読めばいい。銀座線と丸の内線はそのあと離れていくが、京津線と東西線は合流する。京都では、地下1階は歩行者フロアとなるため、電車は赤坂見附より深い地下2階と地下3階にある。

 

4.最初の設計

 できてみれば4本のパイプを相対位置を保ちながら90度ねじるだけの簡単なことと思われるが、昭和63年の最初の設計ではそうなっていない。昭和63年の設計では、

 

 

            地上            KW,KE                     間隔4m

            地下            TW, TE      間隔9m

 

 から出発して、まず地下の2線2層にする。(5.7km地点付近)

 

            地下2階 KW,KE    間隔4m

            地下3階 TW, TE         間隔9m

 

 次にKETWTEの間に割り込ませる。(5.9km地点付近)

 

            地下2階 KW                    

            地下3階 TW,KE,TE      間隔4m

 

 次にKWを右に(北に)移動する。(6.0km地点付近)

 

            地下2階    KW

            地下3階 TW,KE,TE

 

 次にTWを上に移動する。(6.1km地点付近)

 

            地下2階 TW  KW

            地下3階  KE,TE

 

 次にKEを左に(南に)移動する。(6.2km地点付近)

 

 

            地下2階 TW,  KW

            地下3階 KE,  TE

 

これで、同一方向同一ホームが実現できる。実際に工事されたねじれ工法と比較すると地下3階のホームが南北逆であり、KとTの位置のねじれが残っている。

 

5.なぜ最初の設計ではねじれなかったのか

 変更前の設計では上下の移動と左右の移動は完全に分離されている。曲がりながら上下する複合立体曲線は、設計技術にコンピュータを導入しなければ実現できなかったのだろう。コンピュータでも2次元CADでは不可能で、3次元CADの世界である。縦横に折れ角のとれるシールド・マシンであれば工事には何の問題も無い。切れ刃そのものは複合折れ角を取るわけではなく折れ方向と折れ角を選択できるだけである。しかし鉄道技術にとって縦の曲げと横の曲げを同列に扱うわけには行かないのは連結器を見れば分かる。今回の設計変更後の資料でも横には200Rで曲がるが縦には3000R・4000Rでしか曲げられない。鉄道技術としてのねじれパイプは発想そのものが新しいということになる。京都の技術者にもこの新しい発想を使う「義務」は無いのは控訴理由書の言うとおりである。

 

6.なぜねじれに変わったのか

 ではなぜ最初の設計のままで工事しなかったのだろうか。3線並列の中心間隔は4mそこそこである。外径5.7mのシールドだと完全にぶつかってしまう。もっと小さいシールドを選択するのか、もっと大きな(たとえば14mの)1本のシールドの中に4線を入れるのかこの図面からでは判定しがたい。縦断面からは5.7m程度のシールドが各線路の上下に見えるが丸いかどうかはわからない。平面図にもTE、TWにはある位置までやはり5.7m程度の隔壁としてのシールドがあるように見える。しかし、KE、KWにはそれがない。図面が東西線のためのもので京津線のものでないからかもしれない。設計変更前の「御陵東特型」というシールドはどんなものを想定したらいいのだろうか。このまま工事したとしても、小さいシールドにしても、大きいシールドにしても、世界新記録級の大変な工事になったと思われる。

 

7.なぜこんな困難な計画がされたか

 そこで、「ニーズが先・知恵があと」である。京都の場合には、同一方向同一ホームのりかえというニーズが最初の設計(昭和63年)から存在した。より簡単に実現する方法として、ほぼ7m間隔の4本のパイプを90度ねじればいいという「知恵」が現れて設計変更になったものと思われる。1辺9mの正方形をそのままで90度ねじると、途中で高さも幅も13m近くになってしまう。これは耐えられないので最小間隔は7m程度まで抑えられ世界最小の近接距離になったようである。変更後の設計にはいくらでもドキュメントがある。

 

8.確かに小田急のケースでも同一方向同一ホームのりかえというニーズは存在した。しかし、それは地下の所要敷地幅を広げ、高架と同じ(87〜88年調査)か高架以上(川上報告書)にすることで、事業費比較を高架に有利にするための道具立てでしかなかった。東京都との協議に使われたと思われる丙第43号証の比較では、2線2層が対象になっており「同一方向同一ホーム」は絶対条件とされなかったことがわかる。

 

9.京都では、これが絶対条件だったのである。乗客が乗りかえるだけでなく、電車が乗り入れるのだから同一平面は必須である。電車がレールの上に乗っているという基本構造を変えない限り、同一平面は追求される。電車に階段やエスカレータを使わせるわけには行かない。必要は発明の母という言葉を地でいったような話である。技術が完成した後はこれを「乗換えがしやすい」という言葉で宣伝した。これはうそではないが、後続がない理由の一つであろう。

 

10.小田急の下北沢区間の計画が発表され、我々の主張した2線2層シールドがようやく日の目を見た。地下と高架はほぼ同じ費用だという。なぜ4線並列でないのか、なぜねじれシールドでないのか、当時と今がどこが違うのか東京都は十分に説明する義務がある。その説明は控訴審の審理にも影響せずにはおかないはずである。

 

 

(付録)曲線についての基礎知識

 これまで、鉄道は直線と円弧をベースに設計が行われてきた。円弧を直線につなぐ緩和曲線には2次式,3次式が使われた。いわゆるスプラインである。

 一方自動車は、鉄道より厳しく曲がる要求から、ドイツで1930年代にクロソイドが使われるようになった。クロソイドは、シールドマシンの中折れ角を進行距離に比例して増減した時に自動的に現れる曲線であり,スプラインが描き易い曲線だとすれば、クロソイドは、生成しやすい曲線である。クロソイドが実用として広く使われたのは、高速自動車道路であったが、いまではジェットコースターや、ロボットの軌道計画に拡がっている。

 4線ねじれシールドの曲線は直線でも円弧でもなくつる巻き線である。つる巻き線と直線の間をつなぐ緩和曲線としては,3次元クロソイドがふさわしい。シールドマシンの中折れ角だけでなく、中折れ方向も進行距離に比例して増減した時に自動的に3次元クロソイドが現れる。3次元クロソイドの研究者として日本で知られているのは、年齢順に牧野洋(牧野オートメーション研究所)・須田大春(サスティナブル・デベロップメント研究所)・木村文彦(東京大学)である。

以 上

 

 


 

別 紙

須田大春経歴書

 

1939年10月 東京中野区に生まれる

1951年5月  東京都世田谷区に転居

1962年3月  東京大学工学部精密工学科卒業。

卒業論文は「電解型彫りの研究」

1962年4月  日産自動車入社

1962年6月  設計部シャシー設計課所属

                                    セドリックのブレーキを設計

サニー、プレジデントのステアリングを設計

1967年7月  車軸工場工務部技術課所属

                                    ブルーバードの後車軸部品加工担当

                                    塑性加工の騒音対策(発生源・防音)を研究

1970年2月  本社生産管理部生産技術課所属

                                    全社の加工技術、ユニット組立技術を担当

                                    精密工学会自動組立専門委員会に参加

(生産自動化専門委員会と改称、現在、運営委員)

1971年    社内「ポスト自動車システム研究会」の一員となる。

1973年4月        早稲田大学生産研究所ロボット工学講座

「ユーザーからみたロボット」講義

1974年2月  「汎用制御装置と故障検知」で第20回大河内賞

(社内で社長賞)

1974年7月  工機工場工務部工機設計課に所属

産業用ロボットを多用した車体生産のコンピュータコントロールを推進

イギリスのサッチャー首相、中国のケ小平総書記等見学

1975年5月   世田谷区から母を残して転居

 

1979年1月  日産自動車退社

 

1979年2月  ナイス株式会社取締役技術部長

山梨大学牧野教授と日本発の組立ロボットスカラ開発

(国内13社コンソーシアム組織)

                                    自動化推進協会に参加(現在常任理事財務委員長)

1981年7月  ユニーシステム株式会社取締役技術部長、常務、専務

                                    (現社名株式会社ユーエスシー)

                                    マイクロプロセッサ応用製品を受託開発

(明電舎、アンリツなど)

1987年11月 株式会社ユニーデータ社長

                                    マイクロプロセッサ応用製品ソフトウエア受託開発

(アマダなど)

                            数値制御装置・三次元測定機・CDプレーヤなど

1989年−1991年 東京都の助成金で「輸血管理システム」自主開発

1994年6月  株式会社ユーエスシー社外監査役に就任

1995年3月  株式会社ユニーデータの営業権と社員を

株式会社ユーエスシーに譲渡。社長退任

1995年4月  オーイーエム株式会社(大阪市)非常勤取締役(現任)

1996年3月  株式会社SDL

サスティナブル・デベロップメント研究所 設立。

社長兼所長(現任) 機械・電子・制御・情報のインタ−・

ディシプリナリな技術を指向。21世紀のキーワード

「サスティナブル・デベロップメント」を社名とする。

1996年10月 毎日新聞エコノミストに「ゴミ問題」論文掲載

1997年2月  世田谷区梅丘にて母死亡

         (小田急線北側50mの沿線至近住民であった)

1999年12月 オーイーエム株式会社が大阪市の

ベンチャービジネスコンペ99で制御技術賞

2000年10月 小田急市民専門家会議事務局長に就任

「神宮の杜から多摩川を結ぶ緑のコリドーを」執筆

2001年4月  法政大学工学部兼任講師(現任) 技術社会論を講義

(力石教授の社会工学の後継講座)

2002年5月−9月 THK株式会社MRCセンターで制御工学を講義

2003年6月  株式会社ユーエスシー社外監査役を退任

以上