第一審原告(住民側)最終準備書面その2−2


第一 被告最終準備書面の特徴

1.側道の奇弁、詭弁

 原告は、最終準備書面その1において、本件控訴審は事実を見るものと、これに殊更目をつぶり、ためにする虚構を捏造しようとするものとの闘いであったと述べたが、被告の最終準備書面は、これをまさに象徴するものである。

 原告適格等の本案前、本案それぞれの論点に係わる事実について、常識では考えられない虚構を作出して議論し、論理のレベルにおいても、原告の主張の反論とは到底なり得ないものとなっている。

 都市計画の特定等大切なところは既にその1で充分述べたので、側道にかかる被告の奇弁、詭弁を指摘しておこう。

 被告は、側道は「高架化に伴う必然的措置ではなく」(5頁3行目以下、傍点部筆者)とか、「@都市計画事業として新たに側道を設置することは必ずしも求められていない。A側道の設置は騒音対策としても位置付けられていない。また‥‥圧迫感を理由に離隔距離を採るべきともされていない」などと述べ、しかも、その論拠として、被告ら作成の「連続立体交差事業の手引き」(甲第194号証)76頁、81頁等を挙げている。しかし、従前充分指摘したところであるが、同書の76頁以下は、被告のひくところとは全く反対に、日照、騒音等の環境対策のために環境空間としての側道の必要性について指摘した部分なのである。これは

「§8 側道の取扱い

1 側道の必要性

 (1) 環境整備としての空間の確保

  鉄道高架化に伴い、良好な住居環境を保全すべき地域に対して、環境上必要な 空間を確保する。

  イ 日照問題からの必要性

  ロ 騒音問題からの必要性」(81頁)

と明記されているのである。

 これを全く反対の趣旨に援用することは沙汰の限りであり、議論の初歩を弁えぬものといわざるを得ない。それとも、高架鉄道を造る上で、良好な居住環境を保全する必要のない住居地域があると考えているのであろうか。これまた沙汰の限りという他はない。

2.別の藤山判決等の評価について

 一事が万事ではあるが、以下具体的に若干指摘する。

 被告は、原判決裁判所が言い渡した平成14年判決は、「面積の拡張だけでなく、区域の削減を含んでいるから、‥‥『軽易な変更』に該当しない、という(13頁)。しかし、被告が引いている法施行規則13条7号ロの定めは次の通り、「面積の拡張又はこれに伴う位置、区域の変更」となっている。変更に削減が含まれることはいうまでもない。不条理といえばそれまでであるが、よしんばそうだとしても、同判決はこの変更決定の性格について、以下の通り明確に述べている。

「変更部分が独立性を有し、変更前の都市計画全体を取消して、新たに都市計画とするまでのものとは認め難い」(36頁)。

 すなわち、変更決定が新たな都市計画とするまでのものもある、ということを自明の前提として述べている。

 本件変更決定は、まさに「新たな都市計画」であると原判決は判断したのである。これは全く正しい。原判決と同判決の論理は充分整合しており、微塵の揺るぎもない。

 被告の主張の牽強付会は、誠に見苦しい。

 また、被告のひく別件第三セクター鬼頭判決は、本件連立事業の事実を知らず、また知ろうともしない、傲慢かつ粗暴極まる判決であり、別件第1審の判決のレベルをもはるかに下回る行政法に対する無知をさらけ出したものであり、裁判所が今こそ克服すべき悪しきものの典型である。塩崎判決も同様であるが、これは民事の差止めの本来の法理をわきまえず、「受忍限度論」の立場で、被害の証明がないともするものであり、本件と何の関わりもないものである。被告の無知と無恥を改めて示しているに過ぎない。

 

第二 本案前の論点の補論

1.原告適格に関する主張の補充

(1) 総論・・原告の基本的主張

 都市計画事業認可処分を争う原告適格の要件については、当該事業地の地権者のみならず、事業地の周辺に居住することにより生活上、環境上、健康上重大な影響を受ける者は、その要件を充たすとするのが原告の基本的主張である。

 被告はこれに対して最高裁平成11年11月25日判決(以下「平成11年判決」という)を援用して、「事業地内の不動産につき権利を有しない者は、認可の取り消しを求める原告適格を有しない」と主張しているが平成11年判決が先例としての意義ないし価値を認められるべきでない所以は、当審最終準備書面(その1)の3〜12頁に述べたとおりである。

 原告の基本的主張の要点をもう一度整理すれば、次のとおりである。

 ア)最高裁判所は、すでに平成元年2月17日判決(新潟空港訴訟)において、運輸大臣の航空会社に対する定期航空運送事業免許処分の取消しを求める訴えの原告適格を、空港の周辺に居住する住民に対して認めた。

 その7年前に、最高裁は、同様の航空機騒音、排気ガス等の被害の差止めなどを求める大阪空港訴訟に対する判決(昭和56年12月16日)において、「行政訴訟の方法により何らかの請求をすることができるかどうかはともかく」と述べつつも、周辺住民が民事訴訟の手続きで空港の供用の差止めを求めることは不適法である、との判断を下していた。

 しかし、伊藤正巳裁判官の補足意見は、「このような訴訟は、本件空港の設置等につき運輸大臣がした前記のような個々の行政処分の取消訴訟によるか、あるいは争訟手続き上は本件空港の供用行為そのものを全体として公権力の行使に当たる行為として把握し、それに対する不服を内容とする抗告訴訟によるべきものと解するのが相当である」として、行政訴訟の可能性を示唆していた。新潟空港訴訟の平成元年判決は、大阪空港訴訟昭和56年判決における伊藤意見が法廷意見に採用されたものと実質的には見ることができる(甲248号証・小早川意見書5頁)。

 イ)最高裁判所は、つづいて平成4年9月22日のもんじゅ原発訴訟判決において、原子炉の周辺に居住する住民に対し、原子炉設置許可処分の無効確認を求めるにつき原告適格を認めた。更に、都市計画法上の開発許可処分に関し、開発区域外の住民に対しても、当該開発行為により、がけ崩れ等、生命・身体の安全等を侵害されるおそれがある場合には当該許可処分の取消しを求める原告適格を認めた(平成9年1月28日判決)。

 ウ)最近においては、建築基準法59条の2に基づく総合設計許可処分の取消しを求めるにつき、当該建築物の周辺に居住、または建物を所有する者が許可対象建物の倒壊等による被害や日照被害のおそれを根拠として、その原告適格を認めた判例(平成14年1月22日第三小法廷、平成14年3月28日第一小法廷の各判決)がある。

 エ)このような判例の趨勢の中にあって、平成11年判決のみは極めて異質なものである。

「平成11年判決は、原告適格の有無につき、‥‥不動産につき権利を有しているか否かのみをもって判断基準としたものであり、このことは、大阪空港判決から新潟空港判決、さらには平成9年判決へという流れの中で定着してきていた最高裁の考え方に反するものと評することができる」(甲248号証・小早川意見書7頁)

「この1999年の最判は、新潟空港最判が創出した柔軟な解釈を逆戻りさせるもので、不適当であって先例とするに値しない」(甲216号証・阿部意見書9頁)

「本件紛争の本当の当事者は地域住民であるから、これに原告適格を認めなければ、紛争の解決をすることにならない。平成11年の判決は、それまでの最高裁判決の流れに棹さすものといわざるを得ず、本件に適用されるリーディングケースたりえない」(甲211号証の2・原田意見書14頁)

「私は、多くの評釈者たちと同じように、原審判決が依拠する平成11年判決は正当な法とは言えないと考え、したがってこれに拠る原審判決もまた正当性を欠いていると思う。平成11年判決は(1989年の新潟空港判決)によって先鞭が打たれた、処分取消訴訟における原告適格に新しい『法展開』の主調からすると、明らかに不協和音を奏でるものであった」(甲260号証・奥平意見書3頁)

との評価が下される所以である。

 オ)奥平意見書(15〜16頁)が紹介するアメリカ合衆国の判例の中に、既に1966年の段階で、連邦通信委員会のテレビ会社に対する免許延長処分の取消を求める訴訟の原告適格を、当該サービス区域に居住する市民に対して認めたものがある。

 この判決を下したバーガー判事(のちの合衆国最高裁長官)の次の判示は、わが国においても傾聴されるべきものであろう。

「行政法における原告適格をめぐる諸概念が徐々に拡張と進化を遂げてきた実績からみれば、手掛りとして受けとめられてきたのは、論理とかゆるぎなき規則ではなくて、むしろ経験だということがわかる」「経験の示すところ、視聴者(消費者)こそが公共的利益の最良の擁護者なのである。」

 カ)本件訴訟の本案上の中心的争点は、本件連続立体交差事業の推進にあたって、沿線住民が蒙る騒音等の被害の防止策が適切に考慮されたか、また事業の方式選択をするに際し、その経済性が適切に検討されたか、という点にある。これらの事項は沿線住民の私的利益であると言うのにとどまらず、公共的利益でもあるが、この公共的利益を住民が代弁することによってはじめて、司法による本件事業の適法性審査が可能になるのであるから、裁判所は、原告適格をことさらに狭めることにより司法に託された責任を回避すべきでない。

(2) 各論・・地権者の原告適格の考え方

@ (1)に述べたとおり、事業認可の取消を求める訴えにおける原告適格を、事業地の地権者に限るべきでないとする原告の主張が容れられず、地権者のみが原告適格を有すると仮定しても、「事業」の単位は、(行政側が恣意的に細分化することがあっても、司法審査の場面においては)前提となる都市計画上の都市施設の単位より細分化されるものではありえない。

A そのように考えるべき根拠は、事業認可の際に(前提となる都市計画同様に)環境への影響を処分権者が考慮することが、客観的に要請されていると解すべきであり、すくなくとも、高架部分と一体となって計画される付属街路用地の範囲においては、高架部分の事業により関係者の環境上重大な利益を害されると見るべきであるからである。

B 原判決が認定しているとおり、「付属街路は、高架施設の存在を前提として都市環境の保全に資する目的で設計されるものであり、高架施設を前提としない道路としての付属街路自体で都市計画施設たる『道路』としての独立した存在意義を有するものとして設計されるものではないから、付属街路を設置する事業だけでは独立した都市計画事業としての意味をもたないものであるということができ‥‥両者が相俟って初めて一つの事業を形成するという実質を捉え、一体のとしてものとして評価するのが相当である。」

 被告は、「都市計画法上、高架鉄道事業を行う場合に必ず付属街路事業を行うべきことを義務付けた規定はない」という理由で事業の一体的評価に反対する。しかし「高架施設と関連側道とを一体のものとして設計しなければならない」という要請は、連続立体交差施設という都市施設に内在する要請であり、現に本件事業はこの要請に基づいて一体的設計のもとに推進されているという事実がある。この要請が都市計画法それ自体の規定に由来するものであるか、道路特定財源を充当することを正当化するための別個の要請であるかは、この際問題ではない。

 街路事業と高架事業は一体のものであり、「高架事業が違法であれば、街路事業はもともと必要性、公益性を欠き、法的に正当化できない」という関係にある。「したがって、街路事業の認可取消訴訟において、その前提となる高架事業認可の違法性を主張できることになる。さもないと、高架事業が違法であるにもかかわらず、争う者がいないため、高架事業は有効に存続し、それを前提として判断すると、街路事業も必要であるということになって、違法な事業により収用できることになりかねない」のである(甲216号証の1・阿部意見書13〜14頁、同旨甲211号証の2・原田意見書16頁)。

2.都市計画の特定

(1) 都市計画に対する法的要請

@ 都市計画事業の認可制度は、当該事業とその前提となる都市計画との整合性を審査する制度である、と言うことができる。

 本件事業の認可にあたり、基準とされるべき都市計画決定は、平成5年決定であると原告が主張し、原判決がこれを容れたのに対し、被告は昭和39年決定を基準とすべきであると主張している。連続立体交差という複合都市施設が昭和39年決定の段階では都市施設のカテゴリーとして存在していなかったという事実の指摘は(3)で後述することとし、都市計画に対する法的要請に照して、被告の主張が不合理である所以を述べる。

A 「都市計画のような行政計画は、具体的な状況に応じ最適な政策を実現するために策定されるのであるから、社会的経済的状況の変化、地域の発展状況、人々の価値観の変化などがあれば、これを踏まえて適宜見直され、現時点にもっともふさわしい内容のものに改めるべきものである。‥‥都市計画法8第6条、第13条、第21条)にはこの旨の明文の定めがある」(甲211号証の2・原田意見書12頁、甲248号証・小早川意見書7頁)。

B 都市計画法6条により「おおむね5年ごと」に実施される基礎調査を経て、同法21条に基づく都市計画変更決定がなされるべきときに、これがなされないという場合でも、当初の都市計画決定が当然に失効するものではない、ということを被告は強調する。

 しかし、そのことと、現に変更決定がなされた場合、変更部分と当初決定が維持された部分とを峻別し、後者については、当初決定段階で法的に確定したものとして取りあつかってよいか、ということは別の問題である。

C 都市計画法1条、4条により都市計画法自体の目的および都市計画策定の目的は「都市の健全な発展と秩序ある整備を図る」ことにある。更に、都市計画基準を定めた同法13条の、柱書きは、「都市計画は‥‥当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るために必要なものを、一体的かつ総合的に定めなければならない。」と規定している。

 都市計画自体がその内容において二元的、三元的構成のまま整合性を持たないようでは「都市の秩序ある整備」は期すべくもないし、「一体的かつ総合的」な計画は確保できない。およそ都市計画変更決定は、従前の計画決定を全面的に取消す場合以外には従前の計画を維持する部分とこれを変更(削除あるいは追加)する部分とに形式上二分することができるが、それは旧計画と新計画が併存していると解すべきではなく、特段の事情がない限り、計画全体を見直した上で、現時点(変更決定時点)においても従前どおりの計画を維持すべき部分があることを確認したことを意味し、変更しなかった部分を含めて、全体を一箇のあらたな決定と把えるのが都市計画の本旨になっている。

(2) 被告の援用する判例の射程

@ 被告は、都市計画変更決定が行なわれると、都市計画は当初決定部分と変更部分に二元化すると主張し、問題をそのようにとらえるべき根拠として、前出の最高裁平成11年判決と、東京地裁平成14年8月27日判決を援用する。

A 最高裁平成11年判決が、都市計画の一般的な変更ではなく、都市計画法21条2項カッコ書きにいう「軽易な変更」の事案である(従って同法17条に基づく都市計画案の縦覧や住民に対する意見書提出機会の保障を要しない)ということは被告も認めている(当審最終準備書面13頁)。

 前述のとおり、同判決はそもそも近隣住民の原告適格を否定した判決であって、本案上の判断そのものが傍論に過ぎない上に、事案も軽易な変更にかかる特殊なものである。この事案では、変更決定それ自体は都市計画法上最も重要な、縦覧・意見提出という手続きを欠くのであるから、この場合には、変更決定が(変更部分だけでなく)基本決定全部に代わる新たな決定であると把握することは、都市計画の本旨に反することになる。従ってこのような特殊な事案を本件の先例とすることは適切ではない。

B また、被告は、東京地方裁判所平成14年8月27日判決が都市計画の「軽易な変更」に該当する事案でないと強弁し、その根拠として都市計画法施行規則13条7号ロは「面積の拡張のみ」が行われる場合の定めであって、上記判決の事案は「区域の削減」を含んでいるのでこの限りではない、などと主張する。

 しかし、都市計画法施行規則13条7号は、(当初計画の20%未満の範囲で)面積を「拡張」する場合(同号ロ)だけでなく、拡張・削減が相殺され「面積の変更を伴わない位置又は区域の変更」がある場合(同号イ)および(増減いずれにしても当初計画の10%未満範囲における)「区域の境界の修正をするために行う位置、区域又は面積の変更」(同号ハ)をも、軽易な変更の類型に含めて規定している。面積の「拡張」は軽易な変更であり得るのにその「削減」は軽易な変更ではありえないなどという被告の主張は誰が考えても笑止千万な命題であるが、これが法的根拠を欠くものであることは明白である。いずれにしても平成14年8月27日東京地裁判決(乙第74号証)の眼目は、「本件民有地は、昭和32年決定により都市計画区域に含められたものであり、昭和62年決定の効力は、主要部分を変更しないまま若干の区域の変更をしたものにすぎない。」という事実認定(しかも区域変更は「本件民有地以外の区域について」なされたことが認定されている)を前提として、「したがって本件認可の前提となる都市計画決定は、本件民有地に関する部分については、昭和32年決定であると解するのが相当である」と判断したところにある。

 計画変更が「主要部分」についてなされたものであるかそうでないか、によって事実認可の適否の判断基準となる都市計画は違ってくる、という点で上記判決と本件原判決とは一貫性を有しており、互いに齟齬するところはない。

(3) 昭和39年決定と平成5年決定との本質的な違い

@ 連続立体交差という複合的都市施設が、昭和39年決定当時には社会的に存在せず、平成5年変更決定によってはじめて本件都市計画の内容として取りこまれたものであること、それは鉄道事業とは異質のもので、道路事業、再開発事業との一体性を本質的内容としており、むしろその主たる側面は道路事業と理解されていて、さればこそ事業費の90%を道路特定財源から調達する、という関係にあることなどはさきの最終準備書面(その1)の18頁以下に述べたとおりである。

A 上記の事実関係を前提にすれば、本件事業認可の適否を判断する上で基準とされるべき都市計画決定は平成5年決定にほかならない。すなわち、「(昭和39年)決定はあくまで単なる鉄道事業にかかるものであり、鉄道と道路を連続的に立体化して都市の再開発を図り、財源の基本を道路特定財源とする、いわば鉄道と道路の複合都市施設(制度)である連続立体交差事業にかかわるものではない。この施設(制度)が生まれたのは昭和44年9月、道路法等による建設省と運輸省との協定(いわゆる建運協定)が締結されたときであり、この制度が昭和39年にはそもそも存在しなかったことに十分留意しなければならない」(甲211号証の2・原田意見書11頁)

 「日本国有鉄道法等(現在の鉄道事業法等)の鉄道関係規範のみで内容が定まる都市計画が、鉄道のみならず道路関係法規範等と複合して定まる都市計画と違うことはいうまでもない‥‥昭和39年決定と平成5年決定とは質的に異なるものと言わざるを得ない。これを無視して論ずることには大きな無理がある」(同12頁)。

 「行政計画の全面見直しが行われた場合には、一般論としてみても、変更されなかった部分も含め、その全体が新たな国家意思に基づいて刷新され、新たな計画となったと見るのが妥当な法解釈である。」(同13頁)

 「本事例についてみると、とりわけ平成5年の決定に際しては、‥‥連続立体交差という新しい都市施設に求められる連立事業調査、環境アセスメント等が実施され、現代的視点が加味されて、既存計画の全体について調査・見直しが行われた。‥‥その結果、変更すべき部分と変更を要しない部分とが、改めて識別・判断されたものと解される。したがって、その調査・判断過程に不合理・不適切なところがあれば、変更されなかった部分も含め計画決定全体が違法となるとみるべきは当然である」(同13頁)。

B 要するに、原判決(128〜129頁)が、

「これらの事実からすれば、平成5年決定は、同決定により9号線都市計画を変更した部分に限らず、9号線都市計画全体を対象とした都市計画決定であるというべきであり、本件各認可の前提となる都市計画は平成5年決定にかかる都市計画決定であると解すべきである」としたのは、きわめて正当な結論であった。

 

第三 本件連立事業の本体(法的意義)の補論・・被告等の自認する事業の本体

1.道路を基軸とした、鉄道、都市再開発の三位一体、甲第274号証について

 原告は、本件連立事業の本体は、道路おを基軸とした鉄道、都市再開発を三位一体とする、法的には道路法、鉄道事業法、環境実定法等に基づき制定された建運協定による、従前の鉄道事業とは全く異なる新しい複合都市施設を建設する都市計画事業であり、これに係る計画(連立事業調査による都市計画案の策定と都市計画決定)も、新しいものであると、事実に充分基づいて主張してきた。甲第274号証は、これを充分裏付けるものである。証拠は既に充分であると考えるので、ごく簡単にポイントを指摘する。

 これは建設省(現国土交通省)が監修し、連続立体交差事業促進期成会が発行した連立事業に係るパンフレットである。

「連立事業は魅力あるまちづくりの主役です」

というタイトルから始まり、

「多くの踏切が一挙になくなり、新しい都市が出来‥‥車の流れがスムーズになります。鉄道が地上にあると道路との交差が制限されますが、連立事業によって鉄道を気にせずに望ましい道路網が計画できます。連立事業は〈まちづくり〉そのものであるといえます。この意味から道路や公園をつくるのと同じように〈都市計画事業〉として施行されます。この事業は重要度の高いことと、規模の大きなことから、都道府県または政令指定都市が計画し、実施することになっています。‥‥連立事業は、道路をつくるのと同じ効果があることから都市計画事業のなかでも〈道路事業〉として位置付けられています。‥‥道路整備特別会計〉から多くの補助金が出されています。鉄道事業も、この事業によっていく分かの利益を受けることになります。高架下‥‥踏切がなくなるこによる経費の節減‥‥その主なものです。‥‥その受益分相当分を鉄道事業者が負担してもらうことになっています」

 連立事業の本体について言い得て余りない程のものである。

2.高架鉄道と側道の都市計画の主体を振り分ける不合理

 1のパンフレットからだけでも明らかであるが、連立事業は建運協定の定めによる限り、都道府県または政令指定都市が計画し、施行するものである。市町村や特別区が計画するものではない。法は、都市計画はその本来の性格により、住民自治が実現しやすい基本単位である市町村(特別区は権限が一部制限されているものの、基本において変わりはない)が定めることとされているものの、広域的な視点、重大性の視点から、これを超えて都道府県等が計画すべき都市計画が存在することを認めている。都道府県の都市計画道路、都市高速鉄道等がこれにあたる。従って、連立事業の巨大な規模、都市計画における重要性等からみれば、計画・施行主体を都道府県等に限定した建運協定の定めは充分合理性がある。

 にもかかわらず、本件連立事業のように連立事業の一部に過ぎない高架鉄道を、さらに高架鉄道「本体」と、まさに高架であるが故に必要となる環境空間としての側道(文字通り高架の附属施設)を振り分け、前者については東京都、後者については世田谷区と、都市計画決定の主体を振り分けるべき法および関係法令は存在しない。しかも計画の基礎である本件調査要綱に基づく連立事業調査は東京都が行い、この点については同要綱に従って高架鉄道と側道を「一体として設計」しているのであるから、この振り分けは建運協定に反するだけではなく、合理的根拠は到底見い出せない。

 地方分権、住民自治の原則によるとするならば、側道のみならず連立施設である高架鉄道(連立事業における高架鉄道は「穴あけ」等を含め、単なる鉄道施設ではないことは、1のパンフレットだけからでも充分明らかである)の計画のみならず、連立事業は「まちづくり」そのものなのであるから、連立事業全部の計画に市町村等を関与させるべきであることはいうまでもない。また、世田谷区等の地元自治体は、連立事業費の少なくとも10%以上を建運協定、地方財政法の定めに従って負担しなければならないだけに、なおさらである。

 設計の実質は東京都が行い、かつ側道を取得し(乙第67号証等、原告佐々木一輔、乙第79号証等、佐藤正和等、側道の地権者の用地買収関連証拠により明白である)、かつ収用権を有するのも東京都であること等を考えれば、世田谷区による「側道」の都市計画決定なるものは、まさに東京都の計画を追認するひとつの儀式に過ぎない。「側道」だけ考えても、これを高架鉄道と一体として設計している連立事業調査報告書すら世田谷区は受領しておらず、或いはそう公言し(甲第275号証の1、同号証の3)、本年3月まで7期にわたり区長の職にあった大場啓二は、去る9月30日、東京地方裁判所民事第2部の別件(平成8年(行ウ)第249号損害賠償請求事件)の法廷で、世田谷区と連立事業との係わりを以下の通り証言している(甲第275号証の2)。

 

「(大場代理人)

10.‥‥小田急線の立体交差化‥‥については、世田谷区は何の権限もないと

 いうことで、東京都知事とか、建設大臣に要請したという記録がありますけ

 れども、これは間違いないですね。

  (大場)間違いございません。

(原告側代理人)

87.当時、都の連立事業調査がなされているということは知っていたんですか。

  (大場)それは、聞いております。

89.そうなると、これは例えばどんな規定に基づいて、そういう調査をなされ

 ているか、あなた自身は御存じでしたか。

  (大場)‥‥東京都がやったやつですか。私は‥‥存じておりませんけれ

     ども。

91.都がやるといっても、実際に工事なり調査がなされるところは、‥‥世田

 谷区じゃないですか。

  (大場)そうじゃないですね。東京都と小田急の関係ですから。

92.主体は都で‥‥あるとしても、それがじかに影響を受ける‥‥のは、‥‥

 世田谷区じゃないですか。

  (大場)いえ、そうじゃないですね。関係ないと思いますけど。

95.‥‥調査の結果であるとか‥‥知ろうとしなかったんですか。

  (大場)それは、別に考えておりませんでしたね。

96.知らなくともよいと考えていたということですか。

  (大場)‥‥そういうことを何も考える必要はないと思ってました。」

 

 小田急線の地下化を公約に、昭和50年区長となった人物とはとても思えぬ「見識」ではあるが、これが国、東京都と世田谷区の関係の実態なのである。

 高架式となった場合、環境空間である側道は重要かつ不可欠な構成要素であるが、世田谷区はこれすら実質的な検討を行っていない。まちづくり、すなわち都市再開発もまさに同様なのである。

 繰り返す。世田谷区の「側道」に係る都市計画決定の内容は、東京都等が決定したのであり、世田谷区はただ名前を貸しているに過ぎないのである。

 被告、参加人は住民自治等露ほども考えず、自己の便宜のために都市計画決定を振り分け、連立事業として本来ひとつである筈の事業認可を複数に振り分け、今もこれを利用して「側道の地権者」には高架鉄道の認可を争えないなどと言い募っているのである。

 かかる不条理な無恥を許してはならない。

3.事業地のパラドックス

 連立事業は以上の通り、道路と鉄道の連立という都市施設を建設する事業であるから、建設事業を行うところ、すなわちこれを施行するところが事業地であることは、いうまでもないところである。

 ところが被告は、これを今なお争い、「都市計画事業認可の告示により生ずる法的効果が及ぶ土地の範囲を画する概念として規定しているものであって、施行方法と事業地の範囲とは何の関係もない」というのである。施行を「施行方法」と言い直していることは滑稽極まる。

 我々は、施行される土地を問題にしてきたのであり、「施行方法」で事業地が決まるとは全く言っていない。施行方法が明確になれば、施行する場所が明らかになると言ってきたのである。その結果、被告も否定することが出来ないように、被告が「線増部分」だとして、本件連立事業用地に入れなかったその部分において、「在来線」の立体化工事が施行されることを充分証明し、従ってこの部分はまさしく連立事業用地であると言っているのである。

 被告は「事業認可の告示による法的効果が及ぶ土地」と言うが、肝心の「法的効果」が何であるか曖昧にしている。事業認可の法的効果として、土地収用法の収用(使用)権が生ずることはいうまでもないが、単にそれだけにとどまるものではなく、広い意味での「許可」、そしてこれと連動する巨額の補助金の交付という法的効果も生ずるのである。収用権だけに限定されるというならば、そう明確に言えばよいのである。そしてこの場合の我々の回答、これはすなわち法の回答でもあるが、都市施設が施行される土地に対して収用権が生ずるのは、その限りで当然のことであるから、被告が殊更に区別している「線増用地」はここで事業が、しかも本体工事が施行される以上、この土地に対して収用権が生ずることは当然なのである(被告のテキストともいうべき甲第220号証の1「道路実務講座2 街路の計画と設計」等には、仮線を施行する用地も事業地であることを、当然ながら明記していることは、従前述べた通りである)。

 鉄道事業者、実際には日本鉄道建設公団であるが、ここが地権者の土地を買収する事実があったとしても、あるいは地権者の所有権が、連立事業の施行者である東京都か同公団のいずれに移転するかにかかわらず、この理に何の変わりもない。

 分かりやすく言おう。収用権のなかには、事業地を使用する権限がある(いうまでもないことだが、土地収用法第1条、第2条、第3条等から極めて明白である)。同公団もしくは鉄道事業者が買収した用地については、線増連立事業の施行主体である東京都等はこれを「使用」する強制的権限が、都市計画事業認可により付与されるのである。すなわち、「線増部分」とされる土地に対し、それが仮に鉄道事業者の所有地であったとしても、土地収用法上、効力を及ぼすことが出来るのである。この部分に、連立事業の施行主体は、都市計画事業認可によって間違いなく「法的効力」を及ぼすのであるから、被告の理屈からしても、これを事業地から外すことは絶対に出来ない。まさにこのような「効果」があるから、甲第7号証、同20号証の2等の連続立体交差事業の手引きや、甲第219号証「連続立体交差事業の事業効果と意義」が強調する通り、建運協定により連立事業という新しい制度が確立したことになるのではないのか。

 具体的な例を挙げよう。甲第181号証の2・弁論再開の申立書添付別紙1、都市計画事業認可申請書(本件第三セクターより東京都知事に対し平成7年8月になされた前述の所謂「座布団」、補助128号線に係るもの)は「事業地」を世田谷区宮坂2丁目地内として、補助128号線道路のうち本件鉄道と交差する部分(幅員20メートル、延長24メートル。まさに座布団としかいいようがない)とし、別図二葉を付して特定した上、「申請の理由」として、本件連立事業における鉄道と「交差する道路」であることを明確に認めている。これを「独自の道路事業」であるかのように言い抜けようとしているが、前記の座布団の位置を特定する図面と高架鉄道建設部分を特定する図面を付して、道路の「付帯工事」として、道路の東西それぞれ約300メートル、計600メートルにわたる部分について、約120億円の高架橋建設を行う(同申請書「4.資金計画書 ・費目別事業費年度割表」)旨、明記されている。ちなみに、本件線増連立事業の工事費は、6つの駅、成城学園前の掘割部分を含めて950億円であるから、120億円の高架橋建設における比重は大きい。なお、「道路部分」の建設費は、わずか3360万円に過ぎない。この無恥は、第四の目蒲線のところで詳述する。

 ここにおける問題はそこにはない。一つは、本件連立事業区間における鉄道と交差する部分は紛れもなく連立事業地であり、中島浩等の被告側証人が本件で明確に証言している。この文書も、これを前提にしていることである。交差道路に「線増部分」と「在来線部分」の区別はないし、この文書もそうしていない。もしこれが区別できるとすれば、道路の長さ24メートルをさらに細切れにしなければならなくなり、肝心な目的であるNTT資金を悪用する高架橋建設が出来なくなることになる。この道理は、甲第255号証、同256号証等が明確に示す所謂「穴あけ」と変わるところはない。

 さらにこれも当然のことではあるが、同申請書がいうところの「付帯工事」を施行する場所は、先の二葉の添付図面が明示する通り「線増部分」(事業地南側)と「在来線部分」の区別を何らしていない。「線増部分」で明確に、かつ、両者に跨がって連立事業たる高架橋建設を道路の「付帯工事」名の下に行うとし、現に実行したのである。しかも「事業地である座布団」について、これは土地収用法のいう「使用」の対象であることが明記されている(同申請書「3.事業計画 イ、事業地」)。

 まさか被告は同じ都市計画事業である道路事業の認可と連続立体交差事業の認可は土地収用法との関係において異なるとはいえまい。

 反論するに値しないことではあるが、控訴理由書から執拗に言い続けているので、あえて論じた。

 

第四 連立の都市計画決定と都市計画事業との関係・・目蒲線の連立事業と「座布団」による建運協定からの脱法、乙第109乃至113号証、甲第276号証等について

 被告が直近(弁論終結直前)に提出した乙第109乃至113号証は、甲第276号証の東急線連続立体交差事業調査報告書等と対比すればよく分かるが、東急目蒲線(目黒〜洗足間)の連続立体交差事業(以下「目蒲線連立事業」という)に関するものであることは明白である。

 乙第109号証は目蒲線連立事業に係る都市計画決定告示(平成6年10月25日付)、同110号証が同計画書、同111号証が同計画図である。

 これに対し乙第113号証は、東京都市計画道路補助第26号線に係る平成7年8月16日付東京都知事青島幸男より建設大臣森喜朗に対する道路事業認可申請書及び「法定」の添付書類であり、逆順となっている。乙第112号証が同年8月29日付同大臣の認可書である。

 まず、両者は区別して考える必要がある。

 目蒲線連立事業は、甲第276号証の連立事業調査報告書から明らかな通り、昭和50年代から計画され、本件調査要綱による連立事業調査は昭和60年度末(昭和61年3月)には完成していた。この調査の意義はなお後述するが、低地の不動前までの間数百メートルの地上部分を残し、残りの2.85キロメートルを武蔵小山等の駅を含め複線の地下方式とするのが最適とし、その事業費は総額約430億円、用地費約31億円、鉄道工事費約403億円(つまり用地費は5%位でごく僅かである)とするものであった。

 その後間もなく都市計画決定をする予定であったが、既に本件第三セクターに関連する証拠によっても明らかであるが、バブル景気の抜けやらぬ昭和63年頃、NTT資金を使って第三セクター方式での連立事業施行の動きが出てくるにつれ、東急もこれに乗り、目蒲線連立事業に利用しようと考え、1億円を出資する等したため、都市計画決定は本件決定同様予定より大幅に遅れ、乙第109号証が示す平成6年10月となった。この間若干の補充調査が行われ、不動前付近に若干高架方式が導入されたものの、事業費はほとんど変わらず、乙第113号証の補助26号線に係わる事業認可申請書添付資料、資金計画書に約425億円とされている通り、ほとんど変わらなかった。

 上記乙第109乃至111号証に示されているものは、この連立事業に係るものであることは、位置、区域、構造形式等がほとんど一致していること、乙第110号証の決定書の「計画変更」の理由には「目黒駅付近〜洗足駅付近間において、在来線の立体交差化事業を行うため、‥‥駅を決定し、もって踏切渋滞の解消、一体的な街づくりの推進を図るもの」と明記されていること、ならびに乙第111号証の計画図などから、極めて明白である。

 連立とは言わず「立体交差化」と表現しているのは、後述の事情があるからであって、実質はまぎれもない連立都市計画決定であり、被告も否定は到底できまい。従って、「単独立体交差」の都市計画決定であると言い抜けることはもとより出来ない。実態がそうであるばかりではなく、同調査報告書は、本件要綱に基づき単独立体交差との比較を「3.鉄道、側道等の検討」において行っており、単独立体交差とすれば、8本の道路との交差だけで地下案の約435億円を上回る約450億円を要し、本件事業区間における18本の道路と交差するには巨額の資金を要するとして、経済性、都市整備、環境等、いずれの点においても連続立体交差化が望ましい(同35頁等)と明確にしていることを念のため付言しておく。

 そこで大事な問題は、この目蒲線の連立事業が乙第112乃至113号証で示されているように、補助26号線の道路事業として「認可申請され」て認可され、施行されていることである。

 鉄道は連立施設の重要な一部であることは論をまたない。我々は、道路とつながる鉄道と言ってきたのであり、それゆえにこそ新しい複合都市施設と主張してきたのである。道路の付帯施設に過ぎないとは一言も言っていないし、それで良い筈がないことは、建運協定、本件要綱の明記するところである。

 ところが、被告らおよび東急は、こともあろうに補助26号線の、しかもこのごく一部、幅20メートル・長さ30メートルの目蒲線と交差する部分、我々が甲第38乃至44、147乃至149、182、特に181号証の弁論再開の申立書およびその別紙で指摘してきた、いわゆる「座布団」である。しかもこの座布団は、東急の土地を使用するだけ(しかも連立事業用地であることは我々は繰り返し主張し、これを所謂線増部分において認可の対象から除外していることは、都市計画との適合、建運協定等との関わりにおいて全く違法であるとしてきたのである)であるから、用地費はかからない。建設費といっても、総事業費425億のうち、わずか5000万円に過ぎない。残りのほとんどは目蒲線の地下鉄建設に、それが道路の「付帯工事費」にあてられるのである。このようなことが許されるとすれば、財政法はもとより、予算法律主義等全く要らない。少しでも道路とつながれば、鉄道であれ、公園であれ、港であれ、何でも「付帯工事」として道路としてつくれると言いたいのであろう。それならば、本件高架鉄道も全て道路の付帯工事、すなわち道路事業であると言えばよいのである。

 法廷ではしきりに鉄道と道路は違うといいながら、他方では、被告自らが主導して制定した建運協定を踏みにじる、かかる無法の挙に出ている。呆れ返るという外はない。

 しかしここで少しつめておかなければならない問題がある。そもそも、補助26号線の事業認可の前提となる都市計画決定が、乙第109号証の都市高速鉄道の都市計画決定であったのか、ということである。

 被告が証拠をその順序に出しているが、最終準備書面においても明確に述べていない。ただ、あたかもそうであるかのように順序を揃えているから、知らない人はそう思う。しかし被告の現在の主張は今述べた通り、都市高速鉄道事業と道路事業は違う、都市計画決定は別々に定める、と言っているのではないか。そうだとすれば、いうまでもなく補助26号線の都市計画決定は、昭和の比較的早い時期に決定されている。道路の都市計画事業は、アセスメント法等の今日の法秩序からいえば、それ自体問題なのであるが、都市計画決定の部分部分を細切れに事業化している。従って、この座布団のような極小部分の認可が出来るといえそうである。しかしこの場合、その前提となる都市計画決定は上記の道路に係る都市計画決定であり、目蒲線の都市計画決定ではない。被告の理屈ではむしろそうなるのである。

 そうであれば、法の求める事業認可の要件、都市計画との適合におけるそれは、その道路計画ということになる。分かりやすく言えば、その道路計画決定と座布団とが「適合」すればよいのであり、「付帯工事」との適合の検証は、それが「付帯工事」といえるかどうかという問題に過ぎなくなる。

 認可はいとも簡単であり、連立に係る都市計画決定との適合というそれよりは、はるかに難しい問題を回避出来る。

 この点にも着目して、本件第三セクターが行ったのがこの方式である。詳しくは先述した甲第181号証の2の弁論再開の申立書の通りである。

 従って、この目蒲線の認可もこの可能性は充分あり、これは建運協定はもとより現行法秩序の到底許さざる暴挙である。しかもこの疑いは極めて強い。東急は本件第三セクターに目蒲線の連立事業を全部委託しようとしていた(甲第286号証等)。乙第113号証の参加人の事業認可申請がなされた平成7年8月頃は、既にNTT資金がほとんどなくなったことに加え、第三セクターに対する法的疑義が裁判所の内外で争われ、かつバブル経済が完全に崩壊し、頭初考えていた不動産開発等の巨大収益が期待出来なくなり、第三セクターの利用価値はほとんどなくなり、解散すら検討されていた。そして平成12年4月、第三セクターは正式に解散するに至っている。従って、被告らがとるべき最も安易なやり方、第三セクターの座布団方式の主体を東京都に切り換えて進めることであった。東急にしてみれば、連立事業においては建運協定等によりいくらか負担しなければならないので、元来官が国民の税金で行う道路事業の「付帯工事」として地下鉄をつくってくれるのであれば、これ程いい話はなかったであろう。

 そしてもう一つ、仮に被告が乙第109号証の都市高速鉄道に係る都市計画を前提として認可したとしても、その都市計画との適合は、補助26号線の交差部分を検証するに過ぎなくなる。事業認可申請には、事業地の表示および設計の概要を表示する図面は法は要求しているが、付帯工事の設計図や計画図までは求められていないし、乙第113号証にも「付帯工事」とは何かを示す文書も図面も付けられていない。

 目蒲線の連立事業のなかで、事業費の上では本体ともいうべき地下鉄については何も検証されずに認可がなされている。かかることは都市計画事業として特定の地域において、特定の時期にひとつのものとして、すなわち細切れにせずに実施しなければならない連立事業において、到底許されないことは、建運協定はもとより、関係法令のみならず条理、社会通念からしても明々白々といわなければならない。被告はこれをして連立に係る都市計画決定から「独立」して「自由」に「都市計画事業」を設定出来るといいたいのであろう。居直りも度を過ぎてはいるが、被告のこの弁論および上記書証は、反面において文字通りの自白であるから、全面的に援用する。

 

第五 比較設計の不正の補論・・甲第277号証等について

1.目蒲線との関係

 本件における比較設計(地下、高架)について、被告らは本件要綱が環境、経済性等5つの比較基準を具体的に定めているにもかかわらず、これに全く反し、実務上の経験によってつくられた地形的、計画的、事業的という3つの基準で比較したと本件において今なお主張し、説明会等において、関係住民に説明してきた。

 しかし、これはためにする比較基準であることは原判決も充分指摘し、控訴審においても充分証明されてきた。しかし、先述の目蒲線の連立事業に係わる「証拠」を被告がならべて出してきたことを機会に、改めて吟味したところ、甲第276号証(同線連立事業調査報告書)等の新たな資料により、さらに明確になったので、若干指摘する。

 第一に比較基準である。

 参加人の作成した同報告書35頁の連続立体交差方式の比較基準であるが、被告らが実務上の経験からつくったという3条件は全く採用されていない。本件要綱の定めに従う5条件によって比較し、総合評価したうえ、地下案を選択している。若干紹介しよう。

 

「第1案(高架案)

 経済性

  事業費 総額503億円

  ほぼ全線にわたり、関連側道用地の買収が必要となる。

  事業費は‥‥最も高価である。

 都市整備(土地利用)

  側道を利用して、地域内に緑を創出する。

 環境

  不動前駅付近の高架橋は、道路面から約13mと高くなる。

 第2案(地下案)

 経済性

  事業費 総額435億円

  用地買収が大幅に軽減できる。

 都市整備

  鉄道跡地の有効利用により、‥‥インパクトが大きい。

  (同地を)利用して地域内に緑を創出し、安全でうるおいのある街づくり

  への展開が期待できる。

 環境

  鉄道施設が地上へ出現しないため、環境上は特に問題はない。(環境への

  負荷が少ないということ・・筆者注)」

 

 経済性において、高架案が側道等の用地買収のため地下案よりも約15%、68億円高くなる。本件において、住民側が頭初から主張してきたが、これは改めて述べる。むしろ問題は都市整備と環境の比較である。土地利用、環境において、誰の点から見ても地下方式に格段の優位があることを確言している。高架下、側道がつくり出す緑地と、自然な地表がつくる緑地との間に、格段の違いがあることはいうまでもないことであり、社会通念でもある。

 次に地下の事業費の問題をさらに具体的に進めよう。

 先述した通り、事業内容はほとんど変わらないのに、平成7年8月の座布団の事業認可申請の際の事業費は約425億円で、435億円より10億円安くなっていることに注目すべきである。これは、バブル崩壊後の地下の下落のせいではない。用地費は同調査の時点において事業費の約5%に過ぎず、無視してよい値だからである。地下式の利点はここにある。

 そうだとすれば、少なくとも地下鉄の工事費は、目蒲線の場合、平成7年8月において調査時とほぼ等価であり、上がってはいなかったことが分かる。この点、被告から直近に提出された乙第107号証と関連するので、また述べる。ここの問題は、同調査のなされた昭和60年度は、本件調査(昭和62年度、同63年度)と極めて近接していることである。経済情勢で変わったことといえば、バブル経済により地価の上昇が激しくなったものの、工事費はそれほど上がってはいなかったことは常識である。用地費の比重が極めて高い、本件区間で強行された線増高架が高くなったのである。本件調査に基づいたとして、参加人が説明会で明らかにした事業費は、高架1900億円(工事費950億円、用地費950億円)、地下については、内訳も示さず3000億乃至3600億円(甲第3号証等)というものであったことを、今こそ改めて想起すべきである。上記目蒲線の調査によれば、事業費は約3キロで435億円、小田急複々線の約12キロに換算すれば、約1740億円である。被告らの虚偽の凄まじさを思い知る。

2.西武新宿線との関係および地下事業費高騰の虚構

 しかし、目蒲線のこの事業費を裏付けるほぼ同時期の明確な資料が甲第277号証の1・中野区が作成した西武新宿線踏切渋滞対策・西武新宿線複々線化計画と題する文書である。

「西武新宿駅付近から上石神井駅付近までの在来線の直下の地下鉄を建設し、在来線と合わせて複々線化を行うとするものです。‥‥平成5年4月には東京都市計画決定の告示を受けて事業実施に向けた準備を進めていました。‥‥

 〈計画概要〉

  延長      約12.8km

  主要施設    西武新宿駅 高田馬場駅

  施行予定期間  平成5年〜平成9年

  総事業費    約1600億円」

 12.8kmで約1600億円だから、小田急線の距離とほぼ一致する。金額については12キロ換算でほぼ一致する。

 都市計画決定の時期は同じ年、2月と4月の違いがあるに過ぎない。西武新宿線の場合、1層の急行であり、駅が2つしかない(本件事業区間の経堂、成城学園前の2駅を除いて、複線とはいえターミナル駅であるから、小田急の駅とは訳が違うし、金もかかる)とはいいながら、一方が1600億円で、他方が3000乃至3600億円になることはあり得ない。都市計画手続がほぼ同時期であり、西武の事業費のことも報じられていたから、小田急の沿線住民が東京都の説明を納得できなかったのは誠に当然なことである。この疑問の正しさは既に充分証明されているのであるが、さらに上記の被告が、地下鉄建設費が平成になって高騰していることを示そうとして提出した乙第107号証・日経ビジネスの1996(平成8)年2月13日付西武鉄道社長仁杉巌の談話が改めて証明する。

 仁杉は、1938年東京大学工学部を卒業し、鉄建公団総裁、国鉄総裁を歴任した、有数の運輸官僚である。

「高架による複々線化では用地費が高額となりますが、この方式では用地費はわずかで済みます。また、地下にトンネルをつくる工事はシールド工法が最近非常に進歩しているので、技術的には問題なく」という。

 ここまでは全く正しい。ここから先が怪しくなる。

「工事費は頭初約1600億円くらいの見通しでした」

 頭初とは何時なのか。西武は昭和62年に本件の争点のひとつとされていた西武新宿線地下複々線化を前提に特々法の認定を受け、運賃値上げをその当時から先取りしていた。仁杉はぼかしているものの、この昭和62年を「頭初」と言いたいようである。

 しかし、事実が全く違うことは、上記中野区が作成した文書から明らかである。1600億円というのは何時出てきたか定かではないが、平成5年4月、都市計画決定された時点まで生きていた数字なのである。このことは、平成7年の目蒲線の事業費が、先述した通り昭和60年度と比較してほとんど変わっていないのであるから、仮に「頭初」が昭和62年頃であったとしても、平成5年の都市計画決定においてもその数字が変わらないのはむしろ当然である。

 仁杉は、重要な二つの嘘をここでついている。ひとつは、今述べたところであり、これと関連するもうひとつは以下のことである。

 西武が平成7年1月19日、都市計画決定から2年も経たないうちに、東京都知事に対し事業延期の申入れをした。その理由のひとつに、事業費が2900億円に高騰したことを挙げた(この仁杉の話では、さらに値上がりして3000億円となっている)。何時判明したのか知らないが、わずか1年余りで1600億円が倍近い3000億円になる筈がないことは、目蒲線の例で充分である。

 だが、被告が同趣旨で出した乙第108号証・社団法人地下鉄協会の棒グラフが明確に示している。全国の地下鉄建設費の平均値を示すとするこの棒グラフは、昭和61年度から平成2年度までは237億6000万円、平成3年度から平成7年度までが241億7000万円(いずれも1kmあたり単価)としている。それぞれの絶対値の正しさは、何をどのように算定したか、その根拠が何も記されていないから、検証のしようがない。

 だが、ただ上記のような客観的証拠と対比して、ひとつだけ言えることがある。それは、昭和61年度から平成7年度までは、地下鉄の事業費にほとんど変動がないということである。仁杉のいうように、1600億円が昭和62年の特々法の認定時のものであるとしても、それが平成6年度(西武が東京都知事に延期の申入れをしたのは平成7年1月19日だから、平成6年度ということになる)において大きく変動することはあり得ないということである。この方が、決定的に仁杉の嘘を暴くものとなっている。

 大事なことは、本件連立事業の連立事業調査において、公正な比較がなされたかどうかなのである。そしてこの点において、乙第107乃至108号証の「地下鉄事業の高騰」を示そうとする書証は、以上の通り明確かつ客観的な資料による吟味を受けることにより、被告の期待とは全く反対の事実を証明することになったのである。もとより全部利益に援用する。

 

第六 騒音等に対する考慮の欠落と虚偽

1.被告最終準備書面第6章2の(1)環境への影響について

(1) アに関して

 目の前に巨大な建造物があると圧迫感を受けるが、色彩・形状への配慮、植樹等の計画により圧迫感が緩和されるのは事実である。しかし、圧迫感緩和効果は建造物との隔離距離がある程度存在してこそ顕れるのであって、その距離が無いあるいは無に近いと言うことでは緩和効果が顕れようが無い。

 被告のひく本件アセスメントの該当部分もそんなことは言っていない。そのためにわざわざメルテンスの法則を援用している位である。

 第一で指摘した被告の不条理の典型のひとつである。

(2) イに関して

 ホームページ上の記事は朝のラッシュ時間帯におけるものであるから、昼間の時間帯については当てはまらないと指摘する。朝のラッシュ時間帯の鉄道事業輸送力の増強計画が存在しているのであるなら、昼間の時間帯についてもそれらが存在していることは当然ながら明らかであろう。従って、これを公開して反論すべきである。

 生活妨害が生じる屋外における列車騒音(等価騒音レベルLAeq)は昼間で77デシベル、夜間65デシベルとなると指摘するが、忘れてならないのは、この議論の過程では住民の家屋の窓を密閉した状態を想定していることである。住民の日常生活において、窓を密閉して生活している時間がどのくらいあるのであろうか。全部ではあり得ない。あってはならないことは明らかである。とすれば「生活妨害が生じる屋外における列車騒音は昼間で70デシベル、夜間65デシベルとなる」と断じることは、生活妨害を生じさせないためには住民を部屋に閉じ込め空調設備を頼りした日常生活を強いることを意味する。あるいはそれができなければ、昼間で70デシベル以上、夜間65デシベル以上となる騒音でも我慢しろと言うことである。これらのことを無視した議論は、まさに暴論の限りというべきである。

 東京都環境影響評価審議会(会長舟後正道)が、その限りで正当に指摘している通り、高架構造物の騒音影響はその高さの上で、具体的には6.5メートルを超える地点において最も明確に現れる。騒音を評価する地点を高さ1.2メートルと限定するのは、本件アセスメントに基づく周辺での騒音分布の実情を反映させないための虚構に過ぎない。

(3) ウに関して

 「経堂地区の線路から100メートル以内に住む住民65名中18名の者が、LAeqで62.5デシベル、LAmaxで77.5デシベルの鉄道騒音に曝されていたと指摘する。」と述べているが、正しくは「‥‥LAeqで62.5デシベル以上、LAmaxで77.5デシベル以上の鉄道騒音に曝されていた。」である。

 昭和58年の鉄道沿線周辺住民意識調査報告書図3.5.7において、線路中心から10メートルと12.5メートルでのLAeq(等価騒音レベル)が公害等調整委員会の責任裁定における受忍限度70デシベルを下回るとし、それのみをもって同地区の世帯全てで受忍限度を下回っていると断じている。これは同報告書をあえて歪曲している。報告書では線路からの距離に応じていくつかの測定点を設定し、そこでの測定値から距離減衰曲線図と騒音コンターを作成し、個々の世帯が暴露される騒音を推定している。こうして表4.1.3の回答者の騒音レベル区分別分布が作成されている。これによれば線路から100メートル以内の65世帯中、LAeqで62.5デシベル以上67.4デシベル以下が15世帯、67.5デシベル以上72.4デシベル以下が3世帯となっており、公害等調整委員会の責任裁定における受忍限度70デシベルを上回る世帯の存在があるのである。

 また、騒音の距離減衰図と騒音コンターは、線路から少し離れて線路が丸見えとなる路地や空地に面した地域を除外し、前方に住戸がある地域を対象とし、アンケート対象住戸も線路が丸見えとなる路地や空地に面した住戸は敢えて除外している。ただし、線路に直面した地域と住戸は含めている。これは、同報告書は騒音の大きさと住民反応の関係を導くことを主目的としているためである。従って現実には上記で述べている以上の騒音に曝されている世帯が多いことは疑いない。

 ところで、同報告書は、「最後に、鉄道騒音をかなりうるさいと答える人が30%に達するレベルはLeq24で57dBA、ピークレベルでは70dB(LAmax)となり、従来からのデータと一致した。」と述べていることは、公害等調整委員会の責任裁定における受忍限度70デシベル(Leq24)の正当性に重大な疑問を投げかけている。

 国道43号線の最高裁判決を考慮すれば、受忍限度がこのレベルではあり得ないのである。弁論終結を目前とする今頃、かかる主張をすることは、原判決が指摘している考慮要素の欠落を自ら認め、何が悪いかと居直るに等しい。

 いずれにしても、被告の主張はためにする虚構と、報告書等の知見の著しい歪曲によるものであり、論外である。

2.狛江地区の事後アセスメントの虚構

 乙第105号証は、狛江地区の事後調査で騒音が予測を下回っていたことを示す。だからといって、同地区のアセスメントの違法性がなくなる訳でもないし、下北沢を含めた複々線完成後の調査ではないから、事後アセスとは到底いえないものである。

 

第七 下北沢地区地下化都市計画決定は何を意味するか

1.第2次調査報告書と比較設計の不正

 東京都は本年2月、所謂下北沢地区を、我々が要求していた通り2線2層の地下方式で線増連立を行うことを都市計画決定した。

 この決定をするにあたって、本件調査の段階では、肝心のシールド工法を全く検討せず、あえて1層4線のオープンカットと高架方式の比較(それでも地下方式が優れているといわざるを得なかったことは、従前充分指摘した)をしていたため、本件訴訟の内外において、厳しく指弾されたばかりでなく、地下鉄工事技術の状況からしても、シールド方式を検討せざるを得なくなり、第2次の連立事業調査を行い、これは平成12年10月完成した。この結果が、都市計画案となり、上記都市計画決定に至ったのである。

 都市計画手順が順調に進んだのは後述するところであるが、何よりも住民側がかねてから求めていたシールド方式を取り入れた地下にしたためである。

 しかし、この都市計画決定の基となった調査報告書の正確な内容は、各説明会においてほとんど説明されず、地元世田谷区に対しては、第三の2で述べた通り、同調査報告書を渡していないことにして、肝心の事業費、地表の土地利用等の情報を、区議会においても明確にしようとしなかった。

 しかし、直近になされた住民の東京都に対する情報公開請求により、止むなくこれを公表した。これが、甲第279号証の1である。

 比較設計、事業費はもとより、全体として本件調査と帳尻を合わせるため、「事業化が完了もしくは実施中の区間の基本的構造は変更しない」等の、ためにする「基本条件」を設定し、その上で地形的・事業的・計画的という既に充分述べた恣意的基準で比較設計がされている。

 それにもかかわらず、シールド方式を取り入れた案が約1400億円、高架方式が約1380億円と、事業費がほぼ「同じ」である等として、上記地下式を最適案として選択した(4−29 比較設計表)としているのである。

 このことは、本件調査において、下北沢地区も調査し、この区間については地下式が最適としながら、本件事業区間から分離した正当な理由は全くないことを示すものである。このために、複々線工事が10年遅れたことの責任は誠に重い。

2.緑のコリドーの追認

 しかし何はともあれ、下北沢地区を地下化したこと自体はいいことである。いうまでもなく、地下にすれば地表を利用することが出来る。

 被告らは「地下にしても地表は小田急の土地だから利用できない」「地表をどう利用するか考えたこともない」と住民に説明したばかりでなく、本件においても主張してきた。

 地下にして地表の利用を考えない都市計画がある筈がない。上記調査はさすがにこれを考えざるを得なかった。これを端的に示すものが、同報告書の図絵5−39である(甲第279号証の2)。この図絵だけを抽出して独立の証拠とした由縁は、これこそ住民および住民側専門家が代替案として提起してきた、「地下にして地表を緑道とし、これを契機に都市の生態系を改善し、ひいては東京の環境を再生すること」につながるものがあるからである。また、原判決が注目した高架構造物をも利用して緑道が出来るとする「緑のコリドー」の提言(甲第158号証の1)ともつながるのである。下北沢地区を2線2層のシールド方式で地下化することが出来るならば、本件事業区間も併せて地下化し、出来ている高架構造物は緑道の一部として利用できるからである。

 緑のコリドーを提言した小田急市民専門家会議は、下北沢地区のこの新しい事態を機会に、更に深い検討を加え、下北沢の地下化とあわせて本件事業区間を地下化し、神宮の杜から多摩川に至る緑のコリドーをつくり、地域住民を騒音等の被害から解放し、潤いのある空間を創り出すだけではなく、これを東京の緑の再生の出発点とすべきであり、また、これは充分出来ることを、本年10月28日、公式に提言した(甲第281号証)。詳細は、この提言書に譲ることとする。

 

第八 結び

 本件控訴審の冒頭において、近代都市計画は「都市悪」を克服し、都市としての「山紫水明」の実現を目指すものであることを、森鴎外、石川栄耀をひいて論じた。

 西欧に留学し、近代都市の「都市悪」を目の当たりにし、かつ、これを生き生きと表現した同時代人がいる。学者であり、かつ作家である。いうまでもなく夏目漱石である。鴎外が主としてドイツを見、漱石はイギリスを見た。いずれも西欧を代表する国である。イギリスは先進帝国主義を代表し、ドイツは後進帝国主義を代表していたことは人のよく知るところであるが、20世紀の初頭には大都市は大体同じ水準となっていた。ベルリンとロンドンを見れば、これすなわち近代都市の典型を見たことになる。

 鴎外は「都市悪」を医学から都市計画学に至る学問の世界で主に追求したが漱石は芸術、なによりも文芸の世界で追求したところに違いがある。

 19世紀のロンドンは、まさにディケンズとウィリアム・ブレイクの世界であった。ロンドンの惨状を漱石はここで捉え、文学として対象化した。「ロンドン塔」は初期の代表的なものではあるが、漱石も鴎外と同じく、まさに近代都市を形成しつつあった我が国の都市と文明を直視し、小説を中心とする彼の文学を構築していった。

 近代都市とは、単なる消費世界、生活空間ではない。何よりも工業や鉱業によって成立する工業都市であり、これを支えたのが労働者であり鉱夫であったことは過言するまでもない。漱石が東京帝国大学教授を辞め、本格的な作家活動に入ってから目を向けたものは、何よりも日本の近代国家社会における人間の意識と状況であった。とかく漱石は「自我の確立」等、高等遊民の内奥を探求する作家として理解される。しかし彼が探求したものは、このような狭い世界ではなく、人間の本質や条件を規定する社会という広いものであった。いうまでもなく社会的関心は極めて高く、あらゆる階級、階層に目を向けていた。工業都市と、これを支える労働者や鉱夫も、大きな要素として対象化されていたのである。

 あまり読まれていない代表作に「坑夫」がある。代表作たる由縁はこれから述べるが、この作品が彼の新聞小説(これが中軸であったことは文学史において異論のないところであろう。)の第2作であることからも明らかである。

 1908年1月から朝日新聞に連載された。そのあらすじは、2人の女性との葛藤のうちに苦悩し、日光の華厳の滝で自殺しようと決意した19歳の青年がその途中ポン引きに誘われて気が変わり、「坑夫」を体験するというものであるが、その場所が足尾なのである。足尾には、もとより巨大な銅山があるが、製錬工場等があるばかりでなく、銀行、郵便局、ホテル等の都市施設がある我が国の代表的な工業都市であったのである。19世紀末から20世紀の初頭、足尾銅山には1万人以上の労働者(坑夫等)が存在し、足尾は人口約5万人を擁する我が国最大、最新の工業都市であった。公害としての足尾鉱毒事件(田中正造)の資料は沢山あるが、この鉱山と工業都市の本格的、客観的資料は極めて乏しく、鉱山の職業病の研究すら本格的なものは何もない。ところが漱石は、まさにこの当時足尾に強い関心を抱き、工業都市、鉱山労働者の状況をリアルに描出している。これを超えるものは今でもない。

 

「‥‥只一寸眼に附いたのは、雨の間から微かに見える山の色であつた。其色が今迄のとは打つて變つてゐる。何時の間にか木が抜けて、空坊主になつたり、ところ斑の禿頭と化けちまつたんで、丹砂の様に赤く見える。‥‥此の赤い山が不図眼に入るや否や、自分ははつと雲から醒めた気分になつた。‥‥自分は愈銅山に近づいたなと思つた。‥‥實は此山の色を見て、すぐ銅を連想したんだらう。‥‥『やつと、着いた』と自分が言ひたい様な事を云つた。それから十五分程したら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦つて視覚を慥めたい位驚いた。‥‥新しい銀行があつたり、新しい郵便局があつたり、新しい料理屋があつたり、凡てが苔の生えない、新しづくめの上に、白粉をつけた新しい女迄ゐるんだから、全く夢の様な気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまつた。すると橋へ出た。長藏さんは橋の上へ立つて、一寸水の色を見たが、『是れが入口だよ。愈着いたんだから、其の積でゐなくつちや、不可ない』と注意を與へた。‥‥橋を渡つて行くと、右手に見える家には中々立派なのがある。其の中で一番いかめしい奴を指して、あれが所長の家だと‥‥『此方がシキだよ、御前さん、好いかね』‥‥そのうち左へ折れて愈シキの方へ這入る事になつた。鐵軌に付いて段々上つて行くと、‥‥今度は石崖の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。さうして、其の長屋が澤山ある。‥‥大きさも長さも似たもんで、‥‥山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅澤は言つてゐられない。やつとの思ひで、ならした地面へ否應なしに、方角のお構いなく建てて仕舞つたんだから不規則なものだ。‥‥其の上此の細長い家から顔が出てゐる。家から出てゐるのが珍らしい事もないんだが、其の顔がただの顔ぢやない。どれも、これも、出来てゐない上に、色が悪い。その悪さ加減が又、尋常でない。青くつて、黒くつて、しかも茶色で、到底都会に居ては想像のつかない色だから困る。病院の患者抔とは丸で比較にならない。自分が山路を登りながら、始めて此の顔を見た時は、シキと云ふ意味をよく了解しない癖に、成程シキだなと感じた。然しいくらシキでも、かう云ふ顔は澤山あるまいと思つて、登つて行くと、長屋を通るたんびに顔が出て居て、其顔がみんな同じである。‥‥何故飯場と云ふんだか分らない。焚き出しをするから、さう云ふ名を附けたものかも知れない。自分は其の後飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒め、飯場たあ飯場でぇ、何を云つてるんでえ、とひどく劒突を食つた事がある。凡て此の社会に通用する術語は、シキでも飯場でもジヤンボーでも‥‥滅多に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑もなし、答へる閑もなし、調べるのは大馬鹿となつてるんだから至極簡単で且つ全く實際的なものである。さう云う訳で飯場の意味は今以て分らないが、兎に角崖の下に散在してゐる長屋を指すものと思へばいい。‥‥人だか土塊だか分らない坑掘になり下る目的の逃亡とは、何不足なく生育つた自分の頭には影さへ射さなかつたらう。‥‥自分はどうあつても坑夫になるべき運命、否天職を帯びてる様な気がし出した。‥‥

 『其の代り苦しいですよ‥‥坑夫と云ふと、訳もない仕事の様に思はれませうが、中々外で聞いてる様な生容易い業ぢやないんで。‥‥銅山にはね、一萬人も這入つててね。それが掘子に、シチウに、山市に、坑夫と、かう四つに分れてるんでさあ。掘子つてえな、‥‥夫から山市だが、こいつは、ただ石塊をこつこつ缺いてる丈で、重に子供・・さつきも一人来たでせう。‥‥掘子は日當で年が年中三十五銭で辛抱しなければならない。しかも其のうち五分は親方が取つちまつて、病気でもしやうもんなら手當が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団の損料が一枚三銭・・寒いときは是非二枚要るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜は別ですよ。‥‥まあシキへ這入つて御覧なさるがいい。何しろ一萬人も居て‥‥一日に二三人は屹度逃げますよ。さうかと云つて、大人しくしてゐるかと思ふと、病気になつて、死んぢまう奴が出て来て‥‥葬ひ許りでも日に五六組無い事あ、滅多にないからね。‥‥』‥‥階子段を出ると、等しく、此塊の各部分が、申し合わせた様に、此方を向いた。其の顔が‥‥ただの顔ぢやない。ただの人間の顔ぢやない。純然たる坑夫の顔であつた。‥‥頬骨が段々高く聳えてくる。顎が競り出す。同時に左右に突つ張る。眼が壺の様に引ツ込んで、眼球を遠慮なく、奥の方へ吸ひ附けちまふ。小鼻が落ちる。・・要するに肉と云ふ肉がみんな退却して、骨と云ふ骨が悉く吶喊展開するとでも評したら好からう。‥‥丸味とか、温味とか、優味とか云ふものは藥にしたくつても、探し出せない。‥‥飯場へ上つて見ると、自分の様な人間は仲間にしてやらないと云はん許りの取扱ひである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立つて、立派に板挟みとなつた。‥‥無教育は始めから知れてゐる。‥‥人間と受取れない意味の畜生奴である。‥‥此悪意に充ちた笑が漸く下火になると、『御前は何處だ』‥‥『僕は東京です』‥‥『僕だなんて・・書生ツ坊だな。大方女郎買でもして仕損つたんだらう。太え奴だ。全體此頃の書生ツ坊の風儀が悪くつて不可ねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く歸れ。そんな瘠つこけた腕で出来る稼業ぢやねえ』‥‥『居る気なら置いてやるが、此處にや、夫々掟があるから呑み込んで置かなくつちや迷惑だぜ』‥‥『どんな掟ですか』‥‥『馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分もあるぢやねえか』‥‥『親分たどんなもんですか』‥‥『仕様のねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫にならうなんて料簡違えだ。早く歸れ』『親分も兄弟分も居るから、だから、儲けやうたつて、さう旨かあ行かねえ。歸れ』‥‥剥げた御膳の上に縁の缺けた茶碗が伏せてある。小さい飯櫃も乗ってゐる。箸は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆が半分程落ちて木地が全く出てゐる。御菜には糸蒟蒻が一皿附いてゐた。自分は伏目になつて此御膳の光景を見渡した時、大いに食ひたくなつた。實は今朝から水一滴も口へ入れてゐない。胃は全く空である。もし空でなければ、昨日食つた揚饅頭と薩摩芋がある許りである。飯の気を離れる事約二晝夜になる‥‥食慾は猛然として咽喉元迄詰め寄せて来た。‥‥いきなり、お櫃からしやくつて茶碗へ一杯盛り上げた。‥‥茶碗から飯をすくひ出さうとする段になつて・・おやと驚いた。些ともすくへない。‥‥飯はつるつると箸の先から落ちて、決して茶碗の縁を離れ様としない。‥‥見てゐた坑夫共は又ぞろ、どつと笑ひ出した。自分は此の聲を聞くや否や、いきなり茶碗を口へ附けた。さうして光澤のない飯を一口掻き込んだ。すると笑い聲よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上丈へ魂が宿つたと思ふ位に變な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。此の壁土が唾液に和けて、口一杯に廣がつた時の心持は云ふに云はれなかつた。‥‥『南京米の味も知らねえで、坑夫にならうなんて、頭つから料簡違だ』‥自分は嘲弄のうちに、術なく此の南京米を呑み下した。一口で已め様と思つたが、折角盛り込んだものを、食つて仕舞はないと、又冷やかされるから、熊の膽を呑む気になつて、茶碗に盛つた丈は奇麗に腹の中へ入れた。全く食慾の爲ではない。

 ‥‥ひつそりと静まり返る山の空気に、ぢやぢやん、ぢやららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄ひ囃して何物か近づいて来た。

 『ジヤンボーだ』

と一人が膝頭を打たない許に、大きな聲を出すと、

 『ジヤンボーだ、ジヤンボーだ』

と大勢口々に云ひながら、黒い塊がばらばらになつて、窓の方へ立つて行つた。

‥‥自分もジヤンボーを見度いと云ふ餘裕が出来て、餘裕につれて元気も出来た。‥‥自分も立つた。さうして矢つ張り窓の方へ歩いて行つた。黒い頭で下は塞がつてゐる上から脊伸をして見下すと、斜に曲つてる向の石垣の角から、紺の筒袖を着た男が二人出た。あとから又二人出た。是れはいづれも金盥を壓しつぶして薄つ片にした様のようなものを両手に一枚宛持つて居る。ははあ、あれを叩くんだと思ふ拍子に、二人は両手をぢやぢやんと打ち合はした。其の不調和な音が切つ立つた石垣に突き當つて、後の禿山に響いて、まだ已まないうちに、ぢやららんと又一組が後から鳴らし立てゝ現れた。たと思ふと又現れる。今度は金盥を持つてゐない。其の代り木唄‥‥彼等の揚げた聲は、と云はんよりは寧ろ浪花節で咄喊する様な稀代な調子であつた。

 『おい金公は居ねえか』

‥‥『うん金公に見せて遣れ』とすぐ應じた者がある。此の言葉が終るか、終らない間に、五つ六つの黒い頭がずらりと此方を向いた。‥‥寝てゐる。薄い布団をかけて一人寝てゐる。‥‥『おい金しう起きろやい』と怒鳴つける様に呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人許窓を離れてとうとう迎に出掛けた。被つてる布団を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。‥‥

 『起きろつてば、起きろやい。好いものを見せてやるから』‥‥

横になつてた男が、二人の肩に支へられて立ち上つた。さうして此方を向いた。其の時、其の刹那、其の顔を一目見た許りで自分は思はず慄とした。是れは只保養に寝てゐた人ではない。全くの病人である。しかも自分丈で起居の出来ない様な重體の病人である。年は五十に近い。‥‥如何な獰猛も、かう憔悴ると憐れになる。‥‥病人は二人に支へられながら、釣られる様に、利かない足を運ばして、窓の方へ近寄つてくる。此の有様を見てゐた、窓際の多人数は、さも面白さうに囃し立てる。

 『よう、金しう早く来いよ。今ジヤンボーが通る所だ。早く来て見ろよ』

 『己あジヤンボーなんか見たかねえよ』

と病人は、無體に引き摺られながら、気のない聲で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありやしない。忽ち窓の障子の角迄壓し附けられて仕舞つた。

 ぢやぢやん、ぢやららんとジヤンボーは知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ盡きないのかと、又脊延びをして見下した時、自分は再び慄とした。金盥と金盥の間に、四角な早桶が挟まつて、山道を宙に釣られて行く。上はで包んで、細い杉丸太を通した両端を、水でも頼まれた様に、容赦なく擔いてゐる。其の擔いでゐるもの迄も、此方から見ると、例の唄を陽気にうたつている様に思はれる。・・自分は此の時始めてジヤンボーの意味を理解した。生涯如何なる事があつても、決して忘れられない程痛切に理解した。ジヤンボーは葬式である。坑夫、シチウ、掘子、山市に限つて執行される、又執行されなければならない一種の葬式である。御經の文句を浪花節に唄つて、金盥の潰れる程に音樂を入れて、一荷の水と同じ様に棺桶をぶらつかせて・・最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否と云ふのを抑へ附ける許りにして迄見せてやる葬式である。‥‥

 『金しう、どうだ、見えたか、面白いだらう』‥‥

 『うん、見えたから、床ん所迄連れてつて、寝かして呉れよ。後生だから』

と頼んでゐる。さつきの二人は再び病人を中へ挟んで、『よつしよいよつしよい』と云ひながら、刻み足に、布団の敷いてある所迄連れて行つた。

 此の時曇つた空が、粉になつて落ちた来たかと思はれる様な雨が降り出した。ジヤンボーは此の雨の中を敲き立てて町の方へ下つて行く。‥‥」

 本件控訴審の特徴は、事実に基づいて論ずるものと、これから目をそらし、あるものをないものとして為にして論ずるものとの闘いであったことは、最終準備書面(その1)第一「はじめに」で述べた通りである。この為にする議論はまさしく三百代言の理であることを、我々は再三にわたって指摘し、被告の反省を求めてきた。

 本件控訴審は期せずして行政官僚のみならず、検察官、裁判官、弁護士のあり方を問うものともなっている。

 ここにおいても、漱石は明晰な分析と批評を残している。卓見である。それは「我輩は猫である」という、名前だけは子供でも知っている代表作の一論として存在する。

 漱石は「探偵」と言っているから、「探偵論」というのがよいであろう。探偵とはいかなるものであるかを指摘しながら、議論は本質的な文明論、文化論へ進んでいく。

 まず探偵とは何か。

「‥‥『不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬまに雨戸をはずして人の所有品をぬすむのが泥棒で、知らぬまに口をすべらして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやにならべて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵というやつは、スリ、泥棒、強盗の一族で、とうてい人の風上におけるものではない。そんなやつのいうことを聞くと癖になる。けっして負けるな。』‥‥」

 この探偵は単純な探偵ではないことを、次の文脈でさらに明確にしながら、議論は、20世紀の世の中のあり方に及んでくる。

「‥‥『探偵といえば、二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どういうわけだろう』‥‥

『‥‥当世人の探偵的傾向は、まったく個人の自覚心の強すぎるのが原因になっている。‥‥』‥‥

『探偵でないから、正直でいいというのだよ。けんかはおやめ、おやめ。さあ。その大議論のあとを拝聴しよう。』

『今の人の自覚心というのは、自己と他人のあいだに截然たる利害の鴻溝があるということを知りすぎているということだ。‥‥この点において今代の人は探偵的である。泥棒的である。探偵は人の目をかすめて自分だけうまいことをしようという商売だから、いきおい自覚心が強くならなくてはできん。泥棒も、つかまるか、見つかるかという心配が念頭をはなれることがないから、いきおい自覚心が強くならざるをえない。今の人は、どうしたらおのれの利になるか、損になるかと寝てもさめても考えつづけだから、いきおい探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるをえない。二六時中キョトキョト、コソコソして、墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒詛だ。ばかばかしい。』‥‥

『‥‥文明が進むにしたがって殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通いうが、大まちがいさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見ると、ごくしずかで無事なようだが、おたがいのあいだは非常に苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真ん中で四つに組んで動かないようなものだろう。はたから見ると平穏至極だが、当人の腹は波を打っているじゃないか。』

『けんかも、むかしのけんかは暴力で圧迫するのだからかえって罪はなかったが、近ごろじゃなかなか巧妙になっているから、なおなお自覚心が増してくるんだね』と、番が迷亭先生の頭の上にまわってくる。『ベーコンのことばに、自然の力に従ってはじめて自然に勝つとあるが、今のけんかはまさにベーコンの格言どおりにできあがってるから、ふしぎだ。ちょうど柔術のようなものさ。敵の力を利用して敵をたおすことを考える‥‥』‥‥

『だから貧時には貧に縛せられ、富時には富に縛せられ、憂時には憂に縛せられ、喜時には喜に縛せられるのさ。才人は才にたおれ、智者は智に敗れ‥‥』‥‥」

 興信所の私立探偵だけではない。警察官や検察官はもとより、弁護士、裁判官まで、法律を操ることを業とする全ての人々のことであることに充分留意して、ここは理解しなければならない。

 監視装置を付けて、人の出入りを一々チェックしているマンションが異状に増えている。防犯といっていたものが、今や治安というに至っている(甲第284号証の1乃至2)。元日本弁護士連合会会長は、15億円にのぼる詐欺の容疑で、バッジを外すに至った。裁判所の病理現象についてのドキュメントも専門誌において報じられている(甲第285号証、判例時報)。検察官、警察官にもいろいろ問題があるのはいうに及ばずである。

 今の世の中は、まさに「探偵的」になっているのではないだろうか。法律実務家には「探偵」がさらに増えているのではなかろうか。

 しかし、探偵の本業はそのようなものではあるまい。19世紀中葉の探偵小説の元祖、エドガー・アラン・ポーのデュパンや、ドレフュス事件のエミール・ゾラ、松川事件の広津和郎などを見れば、よく分かることである。

 本来の「探偵」は、明晰な頭脳だけではなく、強い正義感と人間に対する真の愛情がある。

 本件は1枚の地図の絵解きから始まり、いまその絵解きが終わろうとしている。裁判所も我々も、本来の探偵でありたいものである。

以 上