ホームページへ▲   


1999年2月開設以降の巻頭言の記録です。

過去の巻頭言



2005年10月30日巻頭言

出来てしまったからで終わりにするな!
都市構造の大転換が私たちの代替案

最高裁大法廷弁論が終わりました。4月に改正行政訴訟手続法が施行されたことから、原告適格枠の拡大へのリーディングケースとなると注目されています。
法改正の趣旨から言えば、側道地権者の原告適格も認めなかった二審・高裁判決は論外でしょう。必ずや二審の不当判決は破棄されることになるものと確信します。
問題の核心は、既成事実を重ねた事業に最高裁がどのような采配を振るうかです。
一審・東京地裁が認定したこの事業の過ちは、日本の公共事業や都市計画の過ちそのものです。

大法廷開催に当たって、特別上申書として提出した「意見書 我々のオルタナティブ」( HTML版<75KB> PDF版<20頁;2.7MB>)は、過ちを良き未来に転換することを具体的に提示しました。このサイトにこられた全ての皆さんに申し上げます。是非、お読みください。
問うているのは日本の政治・経済構造の転換です。私たちの痛みは公の痛みです。

官の過ちが、ジャスティス(正義)の鎚に打ち砕かれたとき、土建国家日本は環境共生国家への転換の道を見出し、民主主義は深化することになるでしょう。(2005年10月30日)



2003年 3月 4日付け巻頭言(原告団声明と同じ)

いよいよ、「大法廷」に向かって

3月2日、私たちが最高裁判所に上告していた小田急高架事業認可取消事件についで、最高裁判所は受理を認め、そのうち、原告適格に関する部分についでは大法廷に回付するという連絡を私たちは受けました。
いよいよ、大法廷を含む最高裁というステージの幕は開かれたのです。

私たちは15年前、東京都の素案の説明会時代から「小田急線の複々線化は地下方式が良い」と主張してきました。それは高架方式に比べて早く、安く、環境にやさしいからです。各地で行われた説明会では超満員の圧倒的多数の市民が地下賛成でした。約十万余の署名も集めました。また、私たちは「高架が良いか、地下が良いか」を決める為の「調査報告書」を情報公開訴訟に勝って手に人れました。見て驚きました。地下との比較がデタラメで、高架に決めるための欺瞞に満ちた調査文書でした。

市民の声を全く無視したうえ都は、私たちとの協議も一方的に打ち切り94年6月に高架方式で事業認可を取りました。そこで私たちは事業認可取消の訴訟を起こしました。
初めの工期6年に延長5年を加えそれでも出来ず、本年2月18日東京都は二度目の延長申請をしました。こんな調子では14年間経つても本事業は、違法のままに放置されることになります。何故、こんなに長引いたのでしよう?

それは本質的に東京都の線増連続立体交差事業の基本姿勢が間違っているからではないでしょうか? 都市計画とは、都市の環境を良くするためのものではないでしようか? 騒音を撒き散らし光を奪い万里の長城をつくる高架事業を、大都市のなかで決して認めるわけにはいきません。

間違った都市計画事業に反対し指弾するために「国民の裁判を受ける権利」が、事業計画地の地権者だけにしかない、鉄道公害被害者等には原告適格がない、という論理では、これからの都市は荒廃の一途を進むでしよう。

私たちは、「官に対する国民の裁判を受ける権利」が実質的に保証される新しい判例を期待しています。 行政官僚とりわけ建設官僚の専横によるミスリードとその責任を、司法が新しい時代の風を受けて裁く時がやってきました。

私たちは、この15年聞、いろいろなドラマを必死に演じてきたようです。第一審で勝ち第二審で負けました。一転又-転、一喜一憂。
でも、いよいよ、ラストステージの幕が、勝利に向けて開かれたのです。 (2005年3月4日、「原告団」と「見直す会」の声明)



2003年12月18日付け巻頭言

私たちは、国民の裁判権を奪う不当判決を許しません!

  2003年12月18日の小田急線高架事業の認可取消し訴訟の東京高裁での控訴審判決は、住民勝訴をもたらした2001年10月3日の東京地裁の歴史的藤山判決とは打って変わって、住民原告を全面敗訴とする判決を下しました。

 高裁矢崎判決は本来一体的である連続立体交差化の鉄道の高架事業と側道事業を、無理やり別のものとし、側道地権者には側道の事業への原告適格は認めるが、鉄道の事業を争うことは出来ないとしました。いわば入り口で国民の裁判権を封じ込めた判決です。

 連続立体事業においては、そもそも鉄道の事業用地は、旧来から鉄道会社に貸しているのでもなければ鉄道会社のものであり、住民が持っているはずがありません。そうであればこそ、この判決は、連続立体交差事業は住民がその認可の是非を争うことの出来ない事業だという事になってしまいます。

 また、一審判決が違法認定した騒音問題について、1992年の都市計画決定の際に在来線の騒音基準がなかったことを理由にこれを避けています。これは、この事業について実施が義務付けられた環境アセスメントは無意味であるということを言っているに等しいといわなければなりません。この判決の特徴は、初めに行政を勝たせる目的ありきの判決というほかはなく、正に論外の判決であります。

 国民の裁判権を無視し、環境問題そのものを無視するかかる判決を断じて容認するわけには行きません。
 私たちは、最高裁への上告で徹底的に闘うことをここに明らかにしておきます。(2003年12月18日)




2002年2月4日付け巻頭言

巻頭言

2001年10月3日、東京地裁は小田急線の高架事業の国の認可を取り消しました。

原告住民側の歴史的勝利です。

藤山雅行裁判長は、半ば進んでいる公共事業に関しては、例え違法と認定しても訴えを棄却してよいとする、いわゆる事情判決(行政事件訴訟法31条の1)を適用しませんでした。あえて事業認可の取消し命令を下したその背景には、被告が違法騒音を無視し、故意に地下式を考慮の外に置いた違法都市計画を看過したなどの深刻な違法事由に加えて、原告側が2000年10月に提起した代替案(オルタナティブ)の存在があります。

この代替案は現在の工事区間が本来の複々線化事業の一部に過ぎないことをふまえ、新宿から成城学園までの全線を2線2層のシールド工法で一挙に地下鉄化を行い、工事中は既に立ち上がった高架橋を仮線とし、新宿・成城間の全線地下化完成後は在来線跡地とこの高架橋遺物を生態系を回復する2層の「緑のコリドー」として転用することを提起したものです。

こうすれば、騒音をばら撒く違法事業を都市再生の環境共生型事業に変え、現行計画よりも速やかに地下方式による複々線事業が完成することになります。

裁判所はこれを評価し、住民側代替案を基に話し合ってみたらどうかと和解勧告を行いました。この和解勧告を被告国が蹴ったことで、認可違法の判決は下され、判決では違法事業を推進した官僚等の刑事責任さえ示唆されました。

環境の世紀の幕開けにふさわしい2001年10月3日の裁判勝利は、市民側の緑のオルタナティブの勝利の一歩なのです。

官僚専横の砦にあけられた大きな風穴を前に、国は法治をかなぐり捨てて、違法工事を止めようとせず、東京都は違法事業の予算さえ計上しています。

私たちは新たな「監査請求」を皮切りに、今後も法的なあらゆる対抗手段を駆使し闘っていきますが、同時に、市民側代替案としての「緑のコリドー」を具体化していく運動を地域の市民のみならず、ネットを通じ全国の市民と連帯して進めていく決意です。

環境の世紀にふさわしい21世紀の公共投資や都市計画を市民側から提示していくことこそ、経済的にも文化的にも危機にある日本を変えていく第一歩だと意気込んでいます。

どうか、お力をお貸しください。
ご意見などもお寄せいただければ幸いです。(2002年2月4日)


1999年8月1日付け巻頭言

巻頭言

 私たちは、小田急線の高架化に反対し、代替案としての地下化推進を求め、高架化とセットになった超高層ビル計画と道路新設拡幅を伴う大規模再開発に反対する運動を続けています。

 この運動は、在来鉄道の違法騒音を政府に認定させ、全国の在来鉄道騒音問題解決に向けての先鞭をつけるとともに、成城学園駅附近の地下化と下北沢を含む梅丘以東新宿までの東京都の地下化方針を勝ち取り、同種事業の地下化へのシフトを現実のものとしたという意味で、既に大きな成果を収めてきました。

 残された課題は、喜多見から梅丘間の6・4キロ間の高架工事に着手した地域の工事をストップさせ、地下方式に改めさせ、超高層ビル計画や区間内8本もの都市計画道路計画を改めさせることができるかどうかというところに来ています。

 高架計画が環境的にも都市資源の活用や費用面からも間違いであることは、裁判所も認めるところとなっており、私たちは論理的には勝利しています。現に進んでいる高架工事をストップさせ、間違いを改めることができるかどうかは、為政者の政治決断と、これを可能にする世論の力にかかっています。

 在来線を高架複々線化するとともに、都心近郊の住宅地に道路を縦横に走らせ、超高層化を伴う大規模再開発を行い、東京の土地の高度利用を一挙的に実現する。これこそ、臨海部再開発と並ぶ中曽根政権が提唱したアーバンルネッサンスの大きな柱でした。バブルの引き金となった、無謀な土地の高度利用計画の象徴でもある小田急高架問題に最終決着をつけるためどうかお力をお貸し下さい。

 今だ未解明な部分もありますが、裁判闘争等を通じて得た知識をネット上でより詳しくお伝えしたいと考えています。また、情報を寄せていただき、さらには、行動をともにしていただくことで、都市計画を官僚の占有物から開放し、私たち市民の手で私たちの「まち」、ひいては私たちの「くに」をつくるきっかけを手にいれようではありませんか。

 ご意見などもお寄せいただければ幸いです。
 

1999年8月1日


  ページの先頭へ▲  ホームページへ▲