平成15年(行サ)第238号 小田急線連続立体交差事業認可
               取消請求上告事件
 上告人  高品 斉  外39名
 被上告人  関東地方整備局長
 
 
 
上告理由書
 
 
 
最高裁判所 御中
 
 
2004年3月17日
 
 
上告人ら訴訟代理人
弁護士 斉藤 驍 外
別紙代理人目録の通り
 
 
 
 
 
上告理由書 〜原判決の憲法違反および理由不備、齟齬〜
目 次
序 はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5
第一 総論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
1.現在の危機と最高裁判所の役割 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
2.行政処分におけるデュープロセス ・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
3.原告適格における司法審査 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
 (1) 行政訴訟改革の現段階における原告適格論 ・・・・・・・・・・・ 8
 (2) 都市計画事業認可の効力 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
4.裁量統制と行政訴訟改革 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14
5.公私二元論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18
6.建運協定、本件要綱および連立事業の法的意義 ・・・・・・・・・・ 21
 (1) 連続立体交差事業の法的単一性 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
 (2) 建運協定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
 (3) 本件要綱 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
 (4) 連立事業の存在とその意義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40
 (5) 都市計画法11条の趣旨と複合都市施設 ・・・・・・・・・・・・ 51
 (6) 連立事業(施設)の都市計画決定の特長 ・・・・・・・・・・・・ 51
 (7) 結び ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53
7.公正な裁判と証拠法則 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 54
8.甚だしい審理不尽(審理放棄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 57
9.判例違反と平成11年判決 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 58
10.環境の意義と憲法における存在 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 59
11.都市計画及び都市計画法の憲法上の位置 ・・・・・・・・・・・・・ 63
12.結び ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 65
第二 各論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 67
1.環境(公害防止計画との適合、法13条1項柱書等)についての法の
 解釈の違憲性及び平成11年判決の違憲性 ・・・・・・・・・・・・・ 67
2.建運協定、本件要綱の法的意義と原告適格の解釈に係る作為と違憲性・ 71
3.事業認可申請と信義則違反に対する判断の違憲性 ・・・・・・・・・ 77
4.事業認可に至る適正手続に対する判断の違憲性 ・・・・・・・・・・ 80
5.とりわけ鉄道と側道を細切れにする作為と殊更な虚構の違憲性 ・・・ 83
6の1.「裁量統制」の著しい欺瞞の違憲性 ・・・・・・・・・・・・・ 85
6の2.側道の評価の重大な誤りとと殊更な虚構の違憲性 ・・・・・・・ 88
7.平成5年決定を判断対象とした作為の違憲性 ・・・・・・・・・・・ 90
8.本件調査、環境影響評価等の手続と都市計画決定の手続の適法性に
 対する判断の違憲性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 92
9.法18条1項の都市計画審議会における審議の欠如に係る判断、解釈
 の違憲性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97
10.説明会等についての法16条の解釈の違憲性と著しい証拠法則
 (経験則等)違反 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 100
11.都市計画の実体的基準としての法13条の解釈の違憲性 ・・・・・・ 102
12の1.判断過程統制の解釈の違憲性 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 105
12の2.比較設計等のためにする正当化の違憲性 ・・・・・・・・・・・ 108
13.環境影響評価と騒音問題に対する判断の違憲性 ・・・・・・・・・・ 130
 (1) 環境影響評価の違法とその意義 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 137
 (2) 騒音に対する考慮の全面的欠落 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 141
 (3) 小括 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 145
14.他事考慮についての著しい審理不尽 ・・・・・・・・・・・・・・・ 146
15.「線増」事業の違憲性と平成5年決定との関係 ・・・・・・・・・・ 147
16.本件鉄道事業認可の違憲性と事業地、施行期間と都市計画 ・・・・・ 149
別紙1 意見書(東京大学名誉教授奥平康弘作成)・・・・・・・・ 1〜45頁
別紙2 意見書(横浜国立大学大学院工学研究院教授田村明弘作成)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1〜5頁(添付資料13枚)
別紙3 単独立体交差と連続立体交差 図解 ・・・・・・・・・・・・ 1枚
別紙4 別線腹付け工事 図解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1枚
別紙5 都市整備 図例 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1枚
別紙6 連立事業手続フローチャート ・・・・・・・・・・・・・・・ 1枚
上告人ら代理人目録 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1〜3頁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
序  はじめに
 原判決の憲法違反については、その主たるものを第一に総論として述べ、第二において原判決の目次に従い、該当部分計16項目について各論として具体的に論ずることとする。
 原判決には民事訴訟法第312条2項6号の所謂理由不備、その齟齬があるが、これは上記第二の各論において、具体的に指摘する。
 
注 本書面における基本的な記述について
1.当事者の表示は上告人兼上告受理申立人を「上告人ら」、被上告人兼相手方を 「被上告人ら」とする。
2.引用する準備書面等の弁論は控訴審におけるもの、第1審におけるものを、その名称のいかんにかかわらずその書面の番号、これのない時は作成日付で特定し、控訴審準備書面等、第1審準備書面等とする。なお書証は第1審、控訴審において通し番号となっているので、これをそのまま引用する。
3.なお、本書において頻出する用語については、「連立事業」を除き、基本的に 原判決において使用されている呼称による。
 @都市計画法‥‥「法」(特に指摘なければ1969年制定の新法を指す)
 A連続立体交差事業‥‥連立事業
 B旧建設省と旧運輸省間の「都市における道路と鉄道との連続立体交差化に関す  る協定」‥‥建運協定
 C建運協定に基づく連続立体交差事業調査要綱‥‥本件要綱
 D上記要綱に基づく調査‥‥本件調査
 E最高裁平成11年11月25日第一小法廷判決・判例時報1698号66頁
‥‥平成11年判決
 
 
第一 憲法上の論点
 
1.現在の危機と最高裁判所の役割
 人類の文明が生み出した地球温暖化という環境の激変が人類の存亡に係わる危機であることはすでに1972年の国連WHOストックホルム会議とローマクラブが警告していたが、ヒートアイランド現象、アルプスの氷河の溶解、気候の変動等々により今では誰の目にも明らかになっていると言えよう。まさに文明は、危機に瀕している。のみならず、当然のことではあるが国家社会文化の危機が同時に生じている。ここまでは何人も異議ははさまないであろう。問題はこのような危機にいかに対応するかである。そのためにはこの危機が生じた原因を冷静かつ科学的に検討し、これを克服する対策を練り上げるべきことはいうまでもないが、このためには人類、国民の英知を結集する国際的国内的社会システムが存在しなければならない。それは近代市民社会の成立以来、人類が第一次第二次世界大戦、核戦争と冷戦等大きな挫折を伴いながら作り上げてきた真の平和と民主主義、これを基礎とした法の支配であるだろう。ここに望みを託す人々だけが危機を克服する道を見い出すことが出来るのである。危機に情緒的に対応し絶望し、実利主義と裏腹の虚無主義に走ってはならない。このような絶望と虚無の果てには歴史的破綻を十分に証明された戦争と名称のいかんを問わぬ全体主義しかあり得ない。
 これは我が国の内外に多くの兆しが生じている。テロ、イラク戦争に対するアメリカや日本政府の対応等はまさにそれではないだろうか。そして我が国のような先進国家において特に懸念されるのは「民主主義」の衣を着た形式的全体主義であり、それを支える思想的文化的基盤は絶望から生ずる相対主義、実利主義としての価値ニヒリズムである。すなわち形式さえ整っていれば何をしてもよいという発想である。最高裁判所に今期待されているのは危機に対し、深い理性的洞察に裏付けされたこのような形式的全体主義を断固として退け、理性の希望の灯をともすことである。これこそ今まさに求められている法の支配であり、今日の憲法原理ではなかろうか。
 このような観点から原判決を見れば、ここにはまさに形式的全体主義、価値ニヒリズムが明確に存在することに気がつくであろう。我々はこれから原判決がまさに違憲であることを論証するため、憲法上、行政法上の論点を論ずることとするが、その基本的観点は以上のようなものであることを充分留意されたい。
 なお、この観点からする原判決に対する評価は別添の奥平康弘東京大学名誉教授の意見書(以下「奥平意見書」という。)と同一であり、これを全面的に援用することを付言する。
 
2.行政処分におけるデュープロセス
 刑事手続のみならず、行政手続においても、デュープロセスが求められることは、その範囲や対象となる権利の性格等に一定の限界はあるものの、判例も認めているところから、原判決も一応認めているかのように見える。
 しかし、実際はそうではない。本件都市計画事業認可処分の原告適格や判断過程に対する具体的判示に、それは全く見られない。これは、行政処分あるいは行政に対するデュープロセスの基本的意義を理解していない、あるいは理解しようとしていないところにある。この点については、奥平意見書の指摘する通りであり、憲法第31条に反するのみならず、国民主権(第1条)、三権分立の原則および法治行政、法の支配(第1条、15条、41条、65条、76条)、参政権としての訴権(第32条、21条)、地方自治の本旨(第92条)、侵害される人格権(第13条、25条)等にいずれも違反するものである。
 デュープロセスは、今行政に求められている広義の法の支配、その基本的条理というべきである。これについての古典的所説として、「近代法治国家においては、行政は全て法律に従って行わなければならぬ。すなわち法の支配の原理である。現行憲法の下においては、基本的人権保障の見地からこの原理の徹底を期し、行政の根拠、または基準となるべき法律の定めを一般に詳密化するとともに、行政における事前手続を整備し、事後救済を完全にする」という指摘(田中二郎『杉村章三郎古希記念 公法研究 下』142頁)を想起することも必要である。これを具体的に示すものは、第二の1.乃至16.の全てである。
 
3.原告適格における司法審査
(1) 行政訴訟改革の現段階における原告適格論
 ア 原判決は最高裁平成11年11月25日第一小法廷判決が「直ちに従来の判例の流れに逆行するものとは評価できない」(59頁)という立場に立ち、都市計画事業認可処分取消訴訟の原告適格を事業地の地権者に限るとする判断の論拠として、上記平成11年判決を用いている。
   しかし、このような判断は全くの時代錯誤である。
 イ 近年、司法制度改革審議会の意見書の中で,「司法の行政に対するチェック機能の強化」という項目が掲げられ、これを受けて平成14年1月には司法制度改革推進本部の中に,行政訴訟検討会(座長塩野宏東亜大学教授、東京大学名誉教授)が発足した。
   行政訴訟検討会は、平成16年1月6日付で「行政訴訟制度の見直しのための考え方」を公表し、その中で「第1.基本的な見直しの考え方」および「第2.具体的な見直しの考え方」を明らかにした。後者においては、「1、救済範囲の拡大」の問題の一環として「(1)取消訴訟の原告適格の拡大」の問題に言及している。
 ウ 「(1)取消訴訟の原告適格の拡大」の項は、以下のとおり書かれている。
 「(見直しの考え方)
   国民の利益調整が複雑多様化している現代行政にふさわしい考え方として、法律の形式・規定ぶりや行政実務の運用等にとらわれずに法律の趣旨・目的や処分において考慮されるべき利益の内容・性質等を考慮するなど、原告適格が実質的に広く認められるために必要な考慮事項を規定する。
 (見直しの概要)
   取消訴訟の原告適格を判断する際の考慮事項として、次のような内容を基本とする規定を設ける。
  @処分の根拠となる法令の趣旨及び目的
  A処分において考慮されるべき利益の内容及び性質
  B処分の根拠となる法令と目的を共通にする関係法令の趣旨及び目的
  C処分が違法にされた場合に害されるおそれのある利益の内容及び性質並びに   これが害される態様及び程度」
 エ 検討の過程においては、行政事件訴訟法10条1項の「法律上の利益」という文言そのものを改正すべきであるとの意見もあったが、結局同条項の文言自体は維持しつつ、その適用に際しての「考慮事項」を上記@ないしCのような内容で、別途規定すべきであるとするのが検討会の多数意見となったわけである。
 オ この多数意見に対しては、「掲示されている考慮事項は従来の最高裁判所判例を踏襲したものである」とする不満を表明している少数意見があるとおり、少なくとも@ABの各命題は、最高裁平成4年9月22日判決(もんじゅ原発訴訟)、同平成元年2月17日判決(新潟空港訴訟)が明文で示した基準と同一であり、実質的にはCも考慮事項とされていることは、少なくとも学者研究家、法曹関係者の常識である。原告適格を事業地の地権者に限って認めるというような解釈は、検討会が踏襲すべきであるとする判例の水準にも達していない、ということが明らかになった。
 カ しかも、@ないしCのすべての命題が、現行行政訴訟法10条1項にいう「法律上の利益」という規定と矛盾するものではなく、その解釈の幅の中にあるとするのが検討会の共通意見であった。
   上記考慮事項Cにいう「処分が違法にされた場合に害されるおそれのある利益」という概念を本件にあてはめるならば、既に述べたように、本件の司法審査の対象は事業認可処分とあわせて、その前提問題である都市計画決定に及ぶものであり、また処分の適法性は事業それ自体を推進するための大前提であるから、「違法処分によって害される利益」とは、本件連続立体交差事業そのものによって害される近隣住民の健康、生活環境という人格権の根幹となる生活利益そのものに他ならない。
   従って、検討会の「考え方」に示される、極めて慎重な「原告適格拡大論」を基準にしても、本件原告全体の原告適格を正面から認めることがいわば判例の趨勢というべきものであることは、明らかである。
   この観点からすれば、原判決が法第1条、2条、3条、11条、13条等及び道路法等の関係法令、公害対策基本法等の環境実定法、ならびに行政事件訴訟法第9条等に著しく反するばかりでなく、少なくとも本稿第一の2乃至5、8乃至10で詳論する憲法の諸規定、ここに示されている憲法原理、条理に背反するものであることは明らかである。以上のことは第二の1、2に典型的に示されているが、その余のところにも充分示されているのである。
(2) 都市計画事業認可の効力
 ア 原判決は、都市計画事業認可処分の取消を求める原告適格の範囲を、当該事業地の地権者に限る理由を、「事業認可処分の法的効果」に求め、次のように判示した。
都市計画事業認可について、事業地内の不動産に権利を有する者に原告適格が
認められるのも、前示のとおり、都市計画事業の認可が告示されると、土地収
用の対象となり得るなど、種々の法的効果が及び、同人の不動産上の権利が侵
害され、又は必然的に侵害されるおそれが生ずるからであるところ、上記法的
効果は、当該認可に係る都市計画事業の事業地の範囲にのみ及ぶものであり、
そうであるとすれば、違法な都市計画事業認可による権利侵害又は侵害のおそ
れを排除するためには、当該認可の限度でその取消しを認めれば必要にして十
分であって、取消訴訟目的に照らし、不動産上の権利を有する事業地以外の事
業地に係る事業認可を取り消す必要までは認められない。(60頁)
 
 イ しかし、このような見解は、第1に事業認可の前提となる都市計画決定の適法性に関する司法審査が、事業認可処分の適法性を巡る紛争の中でしかなされえない、という実情を無視している。
  a. 周知のとおり、都市施設に関する都市計画決定の取消を求める訴えは、争訟の成熟性ないし具体的事件性を欠く、という理由で不適法とされている(最高裁第3小法廷昭和62年9月22日判決、集民151号695頁、および同判決が援用する最高裁大法廷 昭和35年12月7日判決、民集14巻13号2964頁)。
    すなわち、わが国の法廷においては、都市計画それ自体が、法の目的(第1条)、基本理念(第2条)、住民参加の原則(第3条)、都市計画基準(第13条)等の規範に照らして齟齬がないかどうか、という点に関する司法審査が、都市計画決定それ自体に対して直接なされる、ということはないのである。
  b. 都市計画決定を直接司法審査の対象にしない代りに、いわばその代償措置として、都市計画事業認可処分が争われたときに、「先決問題」として都市計画決定が審査されることになる。
    都市計画法61条1号の認可基準が「事業の内容が都市計画に適合」することを求めているので、文理上は、申請にかかる事業の内容が都市計画決定と整合的であるか否かということだけが認可処分の適法用件とされているわけであるが、実際には、先決問題である都市計画決定それ自体の適法性がこの段階ではじめて司法のチェックを受けるのである。
    ある行政処分の適法性が争われる際に、先行する行政行為の適法性に論議が及ぶということは、一般的にもないことではないが、都市計画決定と都市計画事業認可の関係は、一般的に見られるような偶然的なものではなく、判例法に基づく、いわば制度的な関連性を有しているのである。
  c. 都市計画決定の適法性の吟味は、多面的な検討を要する。都市計画基準(法13条)の柱書の規定だけを見ても、「当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なもの」であるかどうか、「公害防止計画に適合したもの」であるかどうかという包括的な審査基準が設定されている。当事者主義の原則に立つ民事司法の場において、事業地の地権者の利益保護という立場のみに立脚して、この司法審査に必要な事実を解明することは到底期待しえない。たとえば土地を手放して事業地から遠くへ転出する地権者の立場は、公害防止の利益とは関連性を有しない。
  d. 仮に、都市計画決定の適法性が司法審査を経て、所与の前提として確立されたものであるならば、事業認可段階では、認可処分固有の問題点(都市計画決定との整合性など)だけを司法審査の対象として限定することが可能であろうし、この事業認可が適法であることが確認された場合には、残された主要な問題は、土地に対する権利の収用が、適正な手続と対価を伴なってなされるかどうか、という問題に絞られる、ということもあるかも知れない。
    しかし、上述のように、このような前提を採用することは不可能であるから、原判決のような理解は、都市計画決定の適法性に対する司法審査の責任を放棄するものと言わなければならない。
 ウ 原判決の上記判示の第2の誤りは、事業認可処分の適法性が単に事業地に対する収用権を基礎づけるものであると矮小化している点である。事業認可処分の適法性は事業それ自体の適法性を基礎づけるものであり、従ってこれを欠いた場合には、以下に述べるとおり、事業それ自体を遂行することが不可能になる。従って地権者に限らず、事業の中止それ自体によって、法的利益を受ける者が一般的に、事業認可処分の取消を求める原告適格を有すると解すべきは当然である。
  a. 連続立体交差事業は、後述のとおり「道路整備5箇年計画」なる閣議決定に含まれることによって、いわゆる道路特定財源による経費支弁の対象となるが、国と事業者との関係において、この経費支弁関係は、道路法56条に基づく補助金制度を通じて具体化される。
  b. 国の補助金を規制する「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」(昭和30年法律179号)においては、補助金の交付の対象となる事業(補助事業)が、法令に違反することがあってはならない旨を厳格に規定しており、法令違反は(当の補助金適正化法違反に限らず、一般的に)交付決定の取消事由とされている(同法第3条、11条、17条参照)。
  c. 連続立体交差事業が、国の補助金なしには実現しえない事業であることは公知の事実である。従って事業認可処分の適法性(前述のように、そのことは前提となる都市計画決定の適法性をも担保する)は土地収用に限らず事業そのものを推進する上で必要不可欠な大前提なのであり、同処分の効力に許可としての法的性格があることはいうまでもないことである。
    従って、土地収用権との関係でのみ、事業認可処分の適法性審査を行なえば足りるという原判決の理解はこの意味でも甚だしい誤りである。
  原判決には(1)で述べたとおりの著しい法令違反及び憲法違反、すなわち、少なくとも1乃至5、8乃至10で詳論する憲法の各規定、ここに示されている憲法原理、憲法条理に明らかに背反している。のみならず、本件連立事業と道路特定財源との関係を、下記6.においても指摘していることであるが、全く無視しようとしている点、言い換えれば、国民の税金によって賄われる都市計画事業等の公共事業の規範を全く無視していることにおいて、憲法の財政民主主義の原則(憲法第7章83条以下)および財政法、地方財政法の趣旨に甚だしく背反しているのである。以上のことは第二の1、2に典型的に示されているが、その余のところにも充分示されているのである。
 
4.裁量統制と行政訴訟改革
 今年は国会において憲法と行政訴訟の改革が本格的に論議される年である。「憲法改正」が行政訴訟改革と同時に論議されることは、行政に対する司法審査のあり方の憲法上の論点を考える場合象徴的である。現在、国民の眼前に展開されている現実は、官(行政)の頽廃による我が国の自然と社会の崩壊の危機である。その基本的責任は行政のみならず立法機関であり国権の最高機関と憲法上されている国会を支配している政権党、これの支柱となっている財界、とみにこれに接近しつつある学者、専門家にあるというべきである。また、投票率等で明白に示される国民のアパシーと、私的なものにしか関心を持たない多くの国民にも問題があることは言うまでもない。しかし裁判所及び我々法律実務家もこの責任の一端を負っていることを充分自覚すべきであろう。ところで、問題は何故このようになってしまったのかということである。
 モンテスキュー以来、近代法あるいは現代法においてはさらに強く求められていた政・官と裁判所との緊張関係が失われてから久しいものがある。裁判官を行政官僚と区別できない国民が激増したことも無理はないのである。こういうことでは大変困るから、最高裁判所も司法改革、行政訴訟改革に取り組まざるをえなかったのであるが、そうであればなおさら司法の行政ひいては立法に対する統制が現在いかになされるべきかを考えることが、ある意味でもっとも大切なことと言わなければなるまい。
 そのためにはジョン=ロック、モンテスキュー以来の近代市民法の権力の分立の意義を改めて考え直す必要があるであろう。もとよりこの原理が今そのままあてはまるものではないことを充分承知した上での話である。
 近代法の権力分立の原則は国民に天賦人権(自然権的基本権)が存在し、国家は社会契約によって生まれたものではあるものの、それが権力である限り、国民の基本的人権を不当に侵害する恐れがあるため、これを一元化することは危険であるとして、これを権力の機能に着目しながら三権に分立したものであることは良く知られている事実である。いわば権力からの自由を保障する消極的原理にすぎなかった。しかし一方において三権は国民に由来し、国民により国民のために存在するものであるべきだという認識が明確にあったことを忘れるべきではない。
 それでは、権力を分立する基準となったその機能とはどのようなものであったであろうか。この問題は単純には答えられないが、少なくとも今想起すべきことは以下のことである。
 立法は議会の議決もしくは国民投票によってその意思を決定する。すなわち多数決原理が支配する。しかし司法(裁判所)はそうではない。もとより司法に帰属するのは、近代以前から確立されていた具体的争訟の場における法の解釈、運用を媒介とする支配に限られるけれども、その場においては「良心に従い、独立して職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法第76条)特別の職責と権限を有する裁判官が決定する。ここでは明らかに多数決原理とは異質なものがある。これは少数意見のほうが法と正義に適うとすれば、それを裁判官は採用して結論が出せるところにある。
 また議会ではそのような意見が出なかったとしても、一般国民が裁判において主張する場合でも同様である。民主主義社会がこのように裁判と裁判官という特別の場と身分を権力の一つにおいたのは、もとよりギリシア、ローマ以来の歴史の検証によるものであるが、ここでは立ち入らない。
 今大切なことは、少数意見であっても法と正義に適うものであれば、それが裁判という特別の手続(対審、公開等) の場において主張された場合には一人の人間(合議では多少増えるけれどもその数はこの際問題ではない)がこれを是とし、「権力の意思」とすることが出来ることである。今日の政治腐敗が選挙と多数決原理及びこれを基盤とした行政の頽廃にあることを否定する人は少ないであろう。多数決原理では解決できない「法の支配」があり、これを裁判と裁判所によって実現することが近代市民法の原点の一つであったことを今改めて充分留意しなければならない。多数決原理に限界があることは、近代市民法の原点であったばかりでなく、憲法そのものがこれを明確に認めているところである。特別裁判所を廃止し、さらには違憲法令審査権を裁判所に委ねるという所謂司法国家ともいうべき権能を裁判所に与えていることがその第一ではあるが、それだけではなく、国権の最高機関たる国会を二院制としていることである。これは立法府の中においても数が支配するのではなく「理」が支配すべき参議院を置いたことにある。参議院の存在意義はもとよりいくつかあるが(東京帝国大学憲法研究会報告書『第三 国会および内閣について(b)参議院にはある場合において参議院の優越を認めることが適当である。なんとなれば、両院制の趣旨に鑑み、「数」の支配する衆議院に対して、可及的に「理」の支配する参議院を設ける趣旨で、憲法において参議院の組織及び権能の大綱を決定するを適当とする。‥‥たとえば‥‥弾劾裁判所は専ら参議院の議員を以て組織すべきものとし、最高裁判所の裁判官の任命は参議院の同意を要するものとする』、以上憲法問題研究会編「憲法と私たち 知られざる憲法討議」我妻栄、岩波新書62頁より)、この点については異論のないところであろう。しかしこの憲法の理念は、政党政治のたどった政治過程により全く実現していないこと、分かりやすくいえば、参議院もまた多数決原理による第二衆議院にすぎなくなっているのである。このような紛れもない現実を直視すれば、以上のことはいま極めて大切なことなのである。
 奥平意見書のいう通り、憲法32条をひくまでもなく、訴権はその個別性を媒介として、公共の利益を実現する参政権であり、ここにこそ今注意を払う必要があるのである。ジェローム・フランクのいう“private Attorney Generals”がキーワードとなる由縁である。これは、原告適格や裁量統制という司法の今日的意義を示して余すところがない。
 現代は近代市民社会を継承しているものの、これとは異質な要素がいうまでもなく明らかに存在する。ワイマール憲法とニューディール等に象徴される福祉国家(社会国家)として我が国の憲法原理は存在する。そして事実、我が国は社会国家としてまさに再建され、高度成長を遂げ、先進国をキャッチアップしたのである。この時期において行政が著しく肥大したことは過言を要しないが、特に注目すべきは経済的分野におけるそれである。公共事業やその前提となる都市計画等はその好個の例である。行政が現憲法下においては法の許す限度で一定の裁量が与えられていることは言うまでもない。従って行政の肥大は当然裁量の肥大化ということになり、しかもその分野が自由国家(夜警国家)とは異なり、経済、社会、文化の隅々にまで及んでいる。従ってこの膨大な裁量に対して司法の統制の必要性は飛躍的に増大した。しかも1960年代より、別の稿5(公益、私益二元論の誤り)で論ずる公害、環境問題が噴出し、人類の存亡がかかる事態となりこれを防止し、被害者を救済する等の新しい公害対策基本法を始めとする環境実定法秩序が形成され、社会国家はここにおいてその社会性を格段と強めたことは知られてはいるが、現在なおこの状況は厳しくなっているので改めて充分認識する必要がある。
 この社会国家から環境国家ともいうべき現代の行政は、単なる肥大というものではなく、爆発的膨張と言うべきであろう。行政はこのように変貌したが、司法はそれに対応し得たであろうか。「大きい行政、小さな司法」と言われているように司法の地位が不当に低く評価され、予算の歴史が歴然とこれを示しているからやむを得ないところもあったがこの新しい憲法状況とこの要請に充分答えてきたとはいいがたい。最高裁判所自ら司法消極主義をこの30年以上採りつづけ、少なくとも結果として行政を野放しにしたとしか考えられない状況をつくり出していたからである。これを最も端的に示すのが行政訴訟である。行政がこれだけ膨張すれば政府と行政が我国を自由に操るわけだからそのしわ寄せが一般国民に及ぶことは当然である。行政に対する不満も行政訴訟として顕在化してくる。しかし裁判所は、この判決のように、別述の公益私益二元論等をふりまわして、原告適格等訴えの利益に係る要件を盾に取り、行政訴訟の門戸を閉じるに等しい、司法が憲法原理上果たす役割からは到底理解できない手法をとり、裁量統制を事実上放棄し、あまつさえ多数の裁判官を国の代理人たる訟務検事にしたり等して、司法と行政の緊張どころか、その癒着さえ疑われる状況が続いたのである。行政の膨張に対して司法は小さいままであったのだから、行政統制が事実上困難になったことはよく分かる。しかしそれだからといって、行政との緊張がこれだけ無くなれば裁判所そのものが国民の信頼を失う。危機はそこまで迫っているのである。
 行政法学会等がこの状況を憂い、裁量の判断過程を統制すべきこと、主観訴訟と客観訴訟を切り離さず、主観訴訟を客観訴訟化すること等を警告したのは30年以上前の話である。当時は、白石健三裁判長が日光太郎杉事件で行ったように、違憲判断に至る積極的司法統制を行った裁判所もあり、これ等がどれだけ我が国の歴史の発展に貢献したかを考えただけでも、最高裁判所の司法政策の誤りは今では明白である。この原判決は全く正反対であるが、下級審の裁判所のなかには大きな危機感を抱いて真摯に行政統制に取り組み、国民世論が新しい期待を裁判所に抱きはじめたのは大変喜ばしいことである。本件第一審判決はまさにこの流れの嚆矢と言うべきであり、学者はもとより世論から広く高く支持されたことは、一般報道はもとよりであるが、本件控訴審の記録を読めば実によく分かるであろう。
 憲法原理による実効的裁量統制は、原告適格と並んで行政訴訟における司法審査の核心なのである。そして本件の実効的裁量統制においては別稿2(行政処分におけるデュープロセス)で論じたとおり、憲法第31条のデュープロセスの原理が適用されるべきことはもちろん、国民主権(同第1条)、三権分立の原則及び法治行政、法の支配の原理(同第1条、15条、41条、65条、76条)、知る権利に裏付けられた、参政権としての訴権(同第32条、21条)、地方自治の本旨(同第92条) 、侵害される人格権(同第13条、25条) 等憲法上からも広義の法の支配として包括的になされなければならない。原判決にはかかる視点は全くないので、その違憲性、違法性は際立っている。
 第二の1から16全てにわたって、これは明確かつ具体的に示されている。
 
5.公私二元論
 原判決は、公益と私益(個別的利益)を全く機械的に切り離して考えている。しかし、このように考えて法等の法令を解釈することは、基本的かつ極めて重大な誤りである。
 公益とはいうまでもなく公共の利益であり、公共の福祉と同義である。民主制社会における公共の福祉は、私益(個別的利益、すなわち個々の国民の基本的人権)に内在するものであり、旧憲法下の日本や全体主義国家におけるそれのように、外在するものとは全く異なる。これは、かつて宮沢俊義氏ら極めて著名な学者がつとに指摘したところであり、最高裁判所も全逓中郵事件大法廷判決(昭和41年10月26日)で明確にこれを認め、その後、確立した判例となっている。従って、民主制社会における公益とは、私益に内在するものであるから、両者はまさに有機的な繋がりを持つものとして把握しなければならず、機械的に切り離すことは許されないのである。公益と私益の区別は、あくまでもこれを基本として、その繋がりを大切にしなければならないのである。この点については、上告人ら第1審準備書面(17)において詳述しているので、是非吟味されたい。
 今回は別の観点から論ずることとする。それは、本件において実質的には最大の争点となっている環境(公害)からのアプローチである。
 公害という法概念は、旧憲法下においても存在(大阪府令21号製造所取締規制)したものの成熟せず、その本格的展開は現行憲法制定後、日本経済が高度成長を遂げる中で、水俣病等の被害が白日の下にさらされるようになった1960年代以降のことである。1967年公害対策基本法が制定され、時をおかず大気汚染防止法、公害健康被害補償法等が制定され、公害・環境実定法秩序が確立したことをまず想起しなければならない。
 水俣病を例にとろう。これは水俣という特定の地域の特定の時期に、特定の人や生物が、チッソという特定の企業により、水俣病と総称される悲惨な被害を受けたものである。そこで侵害された生命や健康は、もとより個別的なものであり、加害者は一私企業である。それにもかかわらず、専門家や世論はこれを「私害」と言わず公害といい、法もまたこれを「私害」ではなく公害としたのである。これは何故であろうか。被害者が多数に及ぼうと加害者は一私企業であるから、その被害はそれぞれは個別的なものということも出来そうであるから「私害」に見える。しかし、それにもかかわらずあえてためらわず「公害」とされたのは、被害がそれぞれ個別的なものであっても、被害者が多数に及び、程度が深刻であったからであろうか。むろんそれもあるであろう。それだけならば、巨大な規模の人命、身体被害が思わぬ原因で発生する事故にも同じことが言える。何よりも「私害」といわず公害といわれる由縁は、産業社会が恒常的に生み出す危険があり、現実にそうなってきた歴史の現実から、水俣病の被害は到底単なる「個別的」被害とすることは出来ず、社会を左右することはもとより、今では子供でも承知している人類の崩壊(1972年のローマクラブの警告は象徴的である。)すらもたらしかねない、社会にとって極めて重大な被害であったからである。被害者個人の「個別的」被害にとどまらず、社会的な被害すなわち公共の被害であったからである。
 公害被害のほとんど異論がないと思われる社会性、公共性は、公益私益の関係を考えるにあたってのキーワードではなかろうか。「個別的」被害であるばかりでなく「社会的被害」でもあるものは、もとより公害被害に限られない。だが、今では何人も否定することの出来ない事実は、被害が公害であることを示したのは「個別的存在」であり「個別的被害」を受けた特定の人々が、一私企業であるチッソに対して損害賠償請求訴訟を提起したそのことである。水俣病の患者達は、まさに「個別的」存在であるとともに「公共的」存在であったのである。ここを考えただけでも、公害・環境法の趣旨、目的が、公害、環境破壊による「個別的」被害を防止することによって「公益」を実現することにあることは明々白々であって、1970年代には市民の常識となっていたことを充分想起しなければならない。
 公害対策基本法による公害防止計画が公益だけを保護することを目的とするものではないことは過言を要しない。一方、現在人類の存立に係わる環境破壊が地球全体に及んでいる時に、かかる認識は到底許されないのである。
 また、歴史的にも環境保全が都市計画において重視され、都市計画の本質的要素であることは、控訴審における上告人ら準備書面(1)の序論において石川栄耀、森鴎外をひいて充分論じているので、くり返さない。
 そして、本件の審査対象となっている平成5年決定(同年2月)に係る時期は、同じ年の11月に環境基本法が制定、平成9年9月にはアセスメント法が制定されたことからもよく分かる通り、環境問題が人類の死活を左右するものとして、先述した1960年代の認識より更に深い認識が、一般の国民にも生じていた状況であったのであるから、環境は都市計画の不可欠の要素であることはもとより、第一の要素だといっても過言ではないのである。
 公害防止計画との適合は、新法(現行法)が制定されて以来、都市計画基準として法13条1項柱書に定められていたのは当然のことである。これのみならず、全体として環境を今述べたような立場で法を解釈すべきところ、原判決が公害防止計画との適合の規定は、あくまでも「公益」保護のものに過ぎない(58頁以下)と強弁するのは、先述した通り「公益」を「私益」と殊更に切り離す原判決の重大な誤りが露呈しているのである。原判決は、憲法第12条、13条等にいう「公共の福祉」の解釈を、その根底において誤るものである。「公益」「私益」二元論の憲法上、行政法上の誤りのその余の点は奥平意見書の通りである。原判決が、環境法はもとより、騒音等の公害が当然予想される、道路と鉄道の連続立体交差という複合都市施設を建設する都市計画決定の適否等を、かかる間違った考えから解釈していることは到底看過出来ない。この点において、原判決は上記2.及び3.と同様、明確に憲法に違反しており、これは第二の1乃至16の全てにわたり示されている。
 
6.建運協定、本件要綱および連立事業の法的意義
 原判決は、第1審判決と全く反対に、建運協定、本件要綱は「法律により委任されているものではない」という、ただそれだけの形式的論拠で、これらは法規範性を持たないと断定し、さらには、後述するとおり、厳然と存在する連続立体交差事業(施設)という現実から目をそむけ、これを「法的単一性」をもたないものとして、これを構成している有機的要素である道路と鉄道(高架式鉄道の場合は付属街路と称する道路とはいえない環境空間を含む)を切り離している。建運協定、調査要綱の法的意義については、本件控訴審までに詳細に論じているところであるから核心しか述べないこととするが、これらは直接には道路法31条および後述する道路整備緊急措置法(現道路整備費の財源等の特例に関する法律)第2条第3項に基づく建設省と運輸省の協議を前提とする協定、通達、要綱の形式で存在するものであり、少なくとも上記2つの法律を補充する法規範としての性質を明確に有するのである。ここでそれが内部規範であるのか外部規範であるのか、概念的形式的に区分することは大きな誤りである。なぜならば、建運協定、本件要綱は、たんなる道路でもなく鉄道でもない、連続立体化という複合都市施設を施行する連立事業を、道路法、鉄道事業法等、関係事業法令及び環境法令等と相まって特定するものであり、かつ、その進め方の指導基準(本件関連第三セクター事件・東京地裁平成2年(行ウ)第232号等第1審判決は明確にこれを認めている)として、関係地方公共団体を拘束するのみならず、民間の鉄道事業者をも拘束する一方、上記道路整備緊急措置法による道路特定財源の補助金交付の要件となることによって、事業財源を特定し、都市計画決定の段階においては、関係地権者の建築制限等に及び、さらに都市計画事業認可の段階に至れば、関係地権者のみならず、関係地域住民の権利に重大な影響を及ぼすことになるからである。
 この動態を考えずに建運協定、本件要綱の正しく合憲的な法的位置付けは不可能であり、そのためには、建運協定、本件要綱が具体的にいかなるものであり、かつそれに基づきいかなるもの展開されているかという事実を何よりも先に正視しなければならないのである。
 以下、これを具体的に述べたいと思うが、その前に、原判決が「財源は都市計画事業の法的特定に関係がない」としていることにまず注目する必要がある。都市計画事業であれ何であれ、およそ公共事業についてその法的性格を論ずるときに「財源」が何の意味ももたないかのようにいう原判決の非常識を示して余りない。公共事業を法的に評価するときに、財源がなんであり、その法律上の根拠について考えることが基本のひとつであることは、いまさらいうまでもないことである。
 そこで、財源との関係でまさに連立事業が、原判決がいうところの「法的単一性」を有していることを論述する。
(1) 連続立体交差事業の法的単一性
 ア 本件鉄道事業と本件各付属街路事業とは別々の事業ではなく、連続立体交差事業という法的に単一の事業の各一部分を構成するものである、との上告人らの主張に対し、原判決はもっぱら、
  「建運協定及び本件要綱に法規範性があるか否か」
  という点についてのみ検討を施しただけで、これを消極に解した。
   また、道路特定財源に係る公的資金が本件鉄道事業に充てられているという事実は、連続立体交差事業の法的単一性とは無関係であるとし、これを関連づけるのは「独自の見解」であると言い放った。(61〜63頁)
   しかし、原判決が「独自の見解」と排斥した道路特定財源との関連性は、連続立体事業の単一性を法的に根拠づける基本のひとつであり、建運協定以下の規範の法的根拠は、ここにも求めることができるのである。
   この関係を説明すれば、以下のとおりである。
 イa. いわゆる「道路特定財源」とは、道路整備緊急措置法(昭和33年法律34号)第3条所定の収入、すなわち揮発油税の全額と石油ガス税の2分の1の合算額を指すものである。
   同条によれば、この特定財源は、「道路整備5箇年計画の実施に要する国が支弁する経費の財源に充てなければならない」ものとされている。
  b. 道路整備5箇年計画とは、「高速自動車国道及び一般国道並びに政令で定める都道府県道その他の道路の新設、改築、維持及び修繕(以下、「道路の整備」という)に関する計画」であって、閣議により決定されるものである(同法2条)。
  c. 道路整備緊急措置法制定前の第1次5箇年計画(昭和29年決定)は別として、法に基づく5箇年計画は第2次(昭和33年決定)から第12次(平成10年決定)まで逐次改定されつつ実施され、今日においては「社会資本整備重点計画」(平成15年10月10日閣議決定)に吸収された。
  d. この道路整備5箇年計画という閣議決定の中に「連続立体交差事業」が位置づけられ、具体的な「整備目標」が設定される。
    たとえば、平成10年5月29日閣議決定にかかる「新道路整備5箇年計画」(第12次)においては,
    「活力ある地域づくり・都市づくりの支援のための道路整備の推進」という項目の一環として、
    「都市圏の安全かつ円滑な交通を確保するため、バイパス・環状道路の整備、連続立体交差事業、共同溝の整備、(中略)等による渋滞対策を推進する」旨が明記され、
    「新道路整備5箇年計画の整備目標及び整備水準」の一環として平成10年度から14年度までの5箇年計画に、
    「連続立体交差事業による都心部踏切道の除却数 240箇所」、
    「連続立体交差事業整備延長 89km」
   を達成するという目標が設定されている。
  e. 道路整備5箇年計画の案は建設大臣によって作成される(緊急措置法2条1項)が、建設大臣は、計画案の作成にあたって運輸大臣等との協議を経なければならない(同条3項)。
 ウ 要するに連続立体交差という事業は、道路整備緊急措置法に基づく道路整備5箇年計画(閣議決定)上の事業なのである。
   この事業は、道路と鉄道の双方に当然関係するものであるから、5箇年計画上の整備目標・整備水準の決定という事業の総量だけでなく、連続立体事業の標準的な仕様に至るまで、道路行政サイドと鉄道行政サイドとの緊急な協議が客観的に必要であることは言うまでもない。事業の具体的内容抜きには定量的計画の策定は不可能である。
 エ 建運協定は、道路整備緊急措置法2条3項にもとづく5箇年計画案に関する協議の前提条件として、道路行政、鉄道行政双方の関係者が連続立体交差事業の具体的内容を協議決定したものである。
   従って建運協定は通達という法形式を取ってはいるが、実質的には道路整備緊急措置法を補充する意味をもち、それ自体法規範としての性質を有していると解すべきである。
 オ そして、連続立体交差事業は、鉄道事業という側面を有するにもかかわらず、道路整備緊急措置法に基づく閣議決定の中に位置づけられることによって道路整備事業の一種として評価され、そのことに基づいて道路特定財源による事業が推進される、という性質を有しているのである。
   従ってこれを立体交差する道路と鉄道を切り離し、さらに鉄道事業と付属街路事業の2つに分解して把握するというような観念的、恣意的な操作は到底許されるものではない。
(2) 建運協定
  建運協定は、以下に引用する本協定と、これに基づく細目協定がある。

都市における道路と鉄道との連続立体交差化に関する協定

第1条(目的)
 この協定は、都市における道路と鉄道との連続立体交差化に関し、事業の施
行方法、費用負担方法その他必要な事項を定めることにより連続立体交差化を
促進し、もって都市交通の安全化と円滑化を図り、都市の健全な発展に寄与す
ることを目的とする。

第2条(定義)
 この協定において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定
めるところによる。
 一 道路 道路法(昭和27年法律第180号)による道路及び都市計画
  法(昭和43年法律第100号)により都市計画決定された道路をいう。
 二 鉄道 日本国有鉄道の鉄道(新幹線鉄道を除く。)、地方鉄道法(大正
  8年法律第52号)第1条第1項又は第2項の規定による地方鉄道及び軌
  道法(大正10年法律第76号)第1条第1項の規定による軌道であって
  この協定の締結の時において地方鉄道運転規則(昭和25年運輸省令第9
  9号)を準用しているものをいう。
 三 連続立体交差化 鉄道と幹線道路(道路法による一般国道及び都道府県
  道並びに都市計画法により都市計画決定された道路をいう。)とが二か所
  以上において交差し、かつ、その交差する両端の幹線道路の中心間距離が
  350メートル以上ある鉄道区間について、鉄道と道路とを同時に三か所
  以上において立体交差させ、かつ、二か所以上の踏切道を除却することを
  目的として、施工基面を沿線の地表面から隔離して既設線に相応する鉄道
  を建設することをいい、既設線の連続立体交差化と同時に鉄道線路を増設
  することを含むものとする。
 四 単純連続立体交差化 鉄道線路の増設(以下「線増」という。)を同時
  に行わない連続立体交差化をいう。
 五 線増連続立体交差化 線増を同時に行う連続立体交差化をいう。
 六 都市計画事業施行者 連続立体交差化に関する事業を都市計画事業とし
  て施行する都道府県又は地方自治法(昭和22年法律第67号)第252
  条の19第1項の指定都市をいう。
 七 鉄道事業者 連続立体交差化に係る区間の鉄道を管理する者をいう。

第3条(都市計画)
 建設大臣又は都道府県知事は、都市計画法の定めるところにより、連続立体
差化に関する都市計画を定めるものとする。
2 建設大臣は、前項の都市計画を定め、又は認可しようとする場合において
は、法令の規定により必要なときは、あらかじめ運輸大臣等に協議するものし
その他のときはあらかじめ運輸大臣に通知するものとする。
3 第1項の都市計画には、線増連続立体交差化の場合における鉄道施設の増
強部分(既設線の鉄道施設の面積が増大する部分及び線増線の部分をいう。以
下同じ。)を含めるものとする。ただし、鉄道事業者が自己の負担で、既設線
の連続立体交差化に先行して線増工事に着手する必要がある場合においては線
増線の部分を含めないことができる。

第4条(都市計画事業の施行)
 前条の規定により都市計画決定された連続立体交差化に関する事業(以下「
連続立体交差化事業」という。)のうち、単純連続立体交差化の場合における
全ての事業及び線増連続立体交差化の場合における鉄道施設の増強部分以外の
部分に係る事業は、都市計画事業として都市計画事業施行者が施行する。

第5条(構造基準)
 連続立体交差化に関する構造は、道路構造令(昭和33年政令第244号)
日本国有鉄道建設規程(昭和4年鉄道省令第2号)、地方鉄道建設規程(大正
8年閣令第11号)、軌道建設規程(大正12年内務・鉄道省令)及びこれら
に準ずる諸基準によるものとする。この場合において、連続立体交差化後の鉄
道又は交差道路の取付勾配及び曲線は、当該鉄道又は交差道路の従前の機能を
阻害しない範囲のものとする。

第6条(連続立体交差化事業費)
 連続立体交差化事業費は、連続立体交差化のため直接必要な本工事費、附帯
工事費、測量及び試験費、用地費(土地に関する補償費を含む。以下同じ。)
補償費(土地に関する補償費を除く。以下同じ。)、機械器具費、営繕費及び
事務費とし、工事及び用地取得に直接従事する職員の人件費及び旅費並びに調
査、設計及び監督に直接従事する職員の旅費を含むものとする。
2 連続立体交差化事業費を区分して、高架施設費、貨物設備等の移転費及び
増加費用とし、その範囲は、それぞれ次のとおりとする。
 一 高架施設費 連続立体交差化事業費のうち貨物設備等の移転費及び増加
  費用を除いた費用
 二 貨物設備等の移転費 貨物の取扱いに必要な設備、操車場、車両基地そ
  の他現業機関の施設の移転に要する費用
 三 増加費用 次に掲げる場合の連続立体交差化事業費の増加分
  イ 交差道路を新設し、又は拡幅するため、支間25メートル以上の鉄道
   橋が必要となる場合
  ロ 連続立体交差化により掘下げ、嵩上げ又は付替えが必要となる交差道
   路を連続立体交差化と同時に新設し、又は拡幅する場合
  ハ 都市計画事業施行者又は鉄道事業者の要請により、鉄道の平面線形等
   を著しく改良する場合
  ニ 鉄道事業者が連続立体交差化と同時に軌道、架線、信号設備又は連動
   装置の著しい改良を行う場合

第7条(費用負担)
 連続立体交差事業費のうち、高架施設費及び貨物設備等の移転費は、都市計
画事業施行者と鉄道事業者とが次に掲げるところにより負担するものとする。

 (1) 単純連続立体交差化の場合
 











 

 

鉄道事業者

都市計画事業施行者











 


高架施設費
 

鉄道既設分

鉄道受益相当額

残 額

鉄道増強分

全 額
 
     


貨物設備等
の移転費

 

鉄道既設分
 

移転先用地の取得に要する額

施設の移転に要する額
 

鉄道増強分
 

全 額
 
 
     
 

 (2) 線増連続立体交差化の場合
 











 

 

鉄道事業者

都市計画事業施行者











 



高架施設費


 


鉄道既設分

 

用地費の額及び
鉄道受益相当額

残 額
 

全 額
 
     

鉄道増強分

全 額
 
     

貨物設備等の移転費
 

全 額
 
 
     
 
 (3)(略)
2 前項の鉄道既設分及び鉄道増強分の範囲は、それぞれ次のとおりとする。
 一 鉄道既設分 鉄道施設の増強部分に係る費用以外の費用
 二 鉄道増強分 鉄道施設の増強分に係る費用

第8条(土地及び施設の帰属)
 連続立体交差化によって生じた土地及び施設のうち、道路施設及び都市計画
事業施行者が取得した道路予定地並びに都市計画事業施行者が取得した鉄道用
地に対応して生じた残存土地は都市計画事業施行者に、その他のものは鉄道事
業者にそれぞれ帰属するものとする。

第9条(土地の優先譲渡)
 都市計画事業施行者は、前条の規定により都市計画事業施行者に帰属した土
地を、鉄道事業者が必要とする場合においては、自ら又は関係地方公共団体が
必要とするときを除き、当該鉄道事業者に優先的に有償で譲渡するものとする。

第10条(高架下の利用)
 都市計画事業施行者は、連続立体交差化によって生じた高架下に、国又は地
方公共団体が自ら運営する(料金徴収等一部の業務を委託することを含む。)
公共の用に供する施設で利益を伴わないものを設置しようとするときは、高架
下の利用につきあらかじめ鉄道事業者に協議するものとし、鉄道事業者は、そ
の業務の運営に支障のない限り協議に応ずるものとする。

第11条(実施のための指導)
 運輸省及び建設省は、この協定により連続立体交差化事業が円滑に実施され
るよう、鉄道事業者及び都市計画事業施行者その他の地方公共団体をそれぞれ
指導するものとする。

第12条(略)
第13条(略)

 
 建運協定第1条(目的)は、第2条によって後述する通り定義される、「連続立体交差化に関し、事業の施行方法、費用負担方法、その他必要な事項を定め‥‥もって都市交通の安全化と円滑化を図り、都市の健全な発展に寄与する」というのであるから、建運協定が単なる費用負担に関するものではなく、連続立体交差化事業(都市施設)全般に関して必要な事項を定めるものであることは明らかであり、後述する通り第5条に明文で記されているが、道路法、日本国有鉄道法(国鉄民営化後は鉄道事業法)等に基づく規範であることは明確である。
 建運協定第2条(定義)の肝心なところは、従前述べたところではあるが、鉄道と道路を3ヶ所以上において立体交差化させ、2ヶ所以上の踏切道を解消する。すなわち、わずか350mの区間においても1本以上(立体交差3ヶ所、踏切道2ヶ所と一つだけ数字が違っていることに注意すればよく分かる。)の道路を新設しなければならないのである。道路を新設(拡幅も含む)するための連続立体交差であるところが、従前の踏切解消、高速化等を目的としてなされていた鉄道高架事業とは根本的に違うものであり、そうであるからこそ、道路特定財源を投下出来るのである。
 そしてさらに、条文上は明言されていないものの、多くの鉄道および道路が新設(拡幅)され、連続立体交差化されれば、都市の動脈の状況が全く変わることになり、これを前提とした都市の再開発事業ということになる。このことは本件要綱に明確かつ具体的に示されている。
 この鉄道、道路、再開発を三位一体とした連立事業がいかに巨大なものになるかは、本件に則して述べた第二の一3の本件事業のところでよく分かるであろう。
 さらに第3条(都市計画)により、複々線以上の連続立体交差化(線増連立)を含めて都市計画決定の対象とすること、第4条(都市計画)において、これら(単純連立、線増連立)を都市計画事業として施行者は都道府県・政令指定都市でなければなれないとしているところが重要である。これは第2条と相まって、従前の鉄道高架事業という運輸省主導の運輸事業ではなく、建設省(都市側)主導の巨大都市事業であることを明確に示しているのである。
 第5条(構造基準)は「連続立体交差化に関する構造は道路構造令、日本国有鉄道建設規程‥‥及びこれに準ずる諸基準によるものとする」というのであるから、連立事業においてその構造は核心部分であり、道路法、鉄道事業法(国鉄民営化後)等道路、鉄道の関係法令に従うとされている。
 これは前述したとおり、建運協定が上記関係法令に基づく規範であることを明確にしている。
 第6条(連続立体交差化事業費)では、連続立体交差事業費は直接必要な本工事費、附帯工事費、測量及び試験費、用地費のみならず、用地取得、調査、設計等の人件費、旅費まで含み、さらに貨物設備の移動費、増加費用まで、極めて範囲が広いことに注目すべきである。
 第7条(費用負担)では、単純連続立体交差化と線増とに違いはあるが、基本的に鉄道事業者は、その「受益相当額」を負担すればよく、残額は全て都市計画事業施行者(都市側)が負担するものとされている。
 その割合は細目協定第7条に基本的に定められているが、頭初は鉄道事業者の受益相当額は、私鉄の場合事業費の僅か7%で、残りの93%が公費であり、その過半が、前述したところであるが、道路特定財源である。
 平成4年3月にこの割合が14%と86%にそれぞれ改められたが、大半が公費であることは変わらない。
 同第10条(高架下利用)は「都市計画事業施行者は、連続立体交差化によって生じた高架下に、国又は地方公共団体が自ら運営する‥‥公共の用に供する施設で利益を伴わないものを設置しようとするときは、高架下の利用につきあらかじめ鉄道事業者に協議するものとし、鉄道事業者は、その業務の運営に支障のない限り協議に応ずるものとする。」と定められ、連立事業によって生ずる高架下(地下なら地表)の土地利用について、都市側が主導し、鉄道事業者(運輸省)は特別の理由がない限り、都市側の要求に応諾しなければならないとされている。すなわち、連立事業の核心の一つである土地利用について「都市側」が決定することが原則となった。第1審において被上告人が述べた、「小田急の所有地だから考える余地がない」などということは到底通用しない、文字通り建運協定違反の虚言に過ぎなかったのである。
  また、次の第11条(実施のための指導)も極めて大切である。
 これは建運協定の目的(今充分述べたところである。)を達成するために建設大臣、運輸大臣が行政指導するという文言になっているが、目的そのものが「都市側」にあるのであるから、その指導は実際は建設大臣が行うという趣旨であり、従って連立事業の必要性とその成否を左右する基礎調査の指導も建設省が行うことになり、現に本件要綱も建設省が作ったものである。
 なお、細目協定第4条3号には、「連続立体交差化のため必要となる交差道路の改築および‥‥同時に行う都市計画決定された道路の新設又は改築で鉄道と交差する部分に係るものは、連続立体交差化に関する都市計画事業の範囲に含めるものとする。」として、交差する道路部分が事業地であり、連立事業がこの点においても単なる鉄道事業ではないことを明確にしている。
 また、同条第2項の「連続立体交差化のために必要となる仮線の敷設‥‥は‥‥都市計画事業の範囲に含めるものとする。」として、原判決のいう「線増事業地」においても連立事業が施行され、そこが事業地であることも定めている。
 なお、この点は本件事業認可の違法性に直接係わるものである。第1審判決は、この規定等を踏まえ、「本件線増事業の工事と兼ねて行われる在来線の仮線の敷設工事を行う地域は、本件都市計画事業である本件鉄道事業の事業地の範囲に含めるべき」であるとして、「本件鉄道事業認可申請における事業地の範囲は‥‥実際に本件鉄道事業の一部である工事を行う地域を同事業の事業地としていない点でそもそも過誤があるうえ、その基となる都市計画である平成5年決定における事業地と範囲と明らかに一致していないといわざるを得ず、本件鉄道事業認可はこれを看過してなされた点で違法なものである」と断じた。実態に則した当然の判断である。しかし、原判決は独特の強弁でこれを覆しているが、これについては第二の16で詳論する。
 以上で建運協定が道路法等の法令に基づく規範であり、また、本件要綱は今述べた通り、建運協定第11条により定められたものであるから、これも規範であることはいうまでもない。
 本件要綱を充分読めばこの事情が良く分かるから、これを含めて本件要綱のところで述べることにする。
(3) 本件要綱
 ア この点の第1審判決は以下の通り本件要綱を引用しており、これに間違いはない。

ア 連続立体交差事業調査は、連続立体交差事業の必要性が比較的高く、かつ
 事業の採択基準に合致する事業計画箇所について、その都市における都市計
 画の総合的検討を行いつつ、事業の緊急性を検討するとともに、都市計画決
 定に必要な概略の事業計画を作成することを目的とするものであるところ建
 設省は、連続立体交差化事業を行おうとする都道府県及び指定市に対し国庫
 補助調査を行う場合の調査内容等を示すために、本件要綱を定めており、本
 件各事業及び本件線増事業についての連続立体交差事業調査が行われていた
 際に定められていた本件要綱は次のような内容であった(なお、本件要綱は、
 平成4年11月に改正されている。)。
イ 連続立体交差事業調査においては、単に鉄道の設計を行うのではなく、広
 域及び周辺市街地の現状における課題を把握し、連続立体交差事業の必要性
 を明確にした上で、都市計画の総合的検討を踏まえて関連事業計画、高架下
 利用計画と一体的に鉄道、側道等の設計を行い、さらに計画の総合的な評価
 を行うため総合アセスメント調査を行うこと(1項第3段落)。
ウ 広域的条件調査(5−1−1項)、現地調査(5−1−2項)、周辺市街
 地現況調査(5−1−3項)、街路整備状況調査(5−1−4項)及び鉄道
 状況調査(5−1−5項)を行い、これらの調査をふまえて都市機能、都市
 交通、土地利用、居住環境及び都市活力等の観点から現況の都市計画上の問
 題点を整理し、このように整理された都市計画上の問題点を基に連続立体交
 差事業の必要性及びその区間について検討、整理をすること(5−1−6
 項)、その上で、都市計画の総合的検討として、将来目標を設定し(5−2
 −1項)、都市整備基本構想を作成することとし(5−2−2項)、周辺市
 街地整備基本構想を作成する際には、鉄道・側道等の設計並びに高架下空間
 及び鉄道残地の利用計画に配慮しつつ行うものとし(同項2)、その要素と
 して、土地利用計画、交通計画等に加え、公園緑地計画として、公園の配置
 計画の検討をすることのほか、公園、緑地や他の公共施設や良好な植生を加
 え、緑のネットワークを構成すべきこと(同項2B)。
エ 鉄道・側道等の設計に当たっては、鉄道と側道は一体的に取り扱われ(5
 −3の表題、5−5−1E、図15)、設計は、基本設計と概略設計とした
 上で、設計に当たっては、5−2項の都市計画の総合的検討及び5−4項の
 関連事業計画等の検討に配慮しつつ行うものとし、特に、駅周辺の動線計画
 街路網計画、駅前広場計画、高架下利用計画、面的整備計画、環境対策等に
 十分配慮を払いつつ行うものとする(5−3−3項)。基本設計においては
 連続立体交差化する区間、経済的かつ合理的な線形、施行方法(仮線方式、
 別線方式、直上方式等)、おおむねの構造形式を比較検討するものとし、事
 前検討を行った上で周辺の関連事業等と調和のとれた比較案を数案作成し、
 比較評価を行うものとし(同項1)、鉄道の縦断線形については特に経済性
 の観点から十分比較検討を行うこととし(同項1A後段)、比較案の評価に
 当たっては、経済性、施工の難易度、関連事業との整合性、事業効果、環境
 への影響等について比較し、総合的に評価して順位を付けるものとする(同
 項1B)。概略設計に当たっては、比較案から最適な案を選定し、さらに詳
 細に上記検討を行い、事業費積算のための設計を行うこととする(同項2)
オ 連続立体交差事業の事業効果は、同事業と一体的に整備を図るべき関連事
 業がいかに実施されるかによって大きく左右されるから、連続立体交差事業
 の計画に当たり、既に熟度の高まっている関連事業はもちろん、5−2項の
 都市計画の総合的検討で検討したものを含めて、連続立体交差事業の事業効
 果を最大にするような計画内容と事業プログラムを検討し、その場合、鉄道
 残地及び高架化空間の利用にも十分配慮するものとする(5−4−1項)。
 そして、駅周辺動線計画の検討をするとともに(5−4−2項)、高架下空
 間を、商業ゾーン、駅業務ゾーン、公共利用ゾーン、通路等に区分するなど
 して。高架化利用の基本計画を策定し、その場合、周辺市街地の公共施設整
 備状況、住民の意向等に配慮して、自転車駐車場、小公園、行政サービスコ
 ーナー、集会場等公共利用を優先させるものとする(5−4−3項)。
カ 連続立体交差事業の総合的な判断評価を行うため、連続立体交差事業によ
 る事業効果及び環境への影響を調査することとし(5−5項)、環境調査に
 ついては、騒音、振動、日照、電波障害、その他地域分断、都市景観の阻害
 等の項目についても必要に応じて検討を行うものとする(5−5−2項)。
  このうち、騒音については、当該地区の鉄道騒音を代表すると認められる
 地点及び事業後において騒音が問題となる恐れのある箇所について、現況の
 騒音レベルの測定を行い、事業後の騒音の予測を行うものとする。測定方法
 は、「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」(昭和50年7月29日環
 境庁告示第46号)等に準ずるものとする。騒音予測については、周辺の地
 形、土地利用等の状況から簡略な計算で騒音レベルの予測が可能な場合は計
 算等を行うとともに、他地区の事例等諸資料を活用して行うものとする。
 
  補充すべき大切な部分は以下の通りである(甲第7乃至8号証)。

ア 連立事業の性格
 連続立体交差事業は、都市に与える影響が極めて大きい大規模な事業であり
特に最近においてはその事業効果が都市の健全な発展という観点から重視され
ている。
 これは‥‥都市交通面での効果に加えて、駅周辺の中心市街地の再生、活性
化、ひいては都市あるいは都市圏全体の発展という効果に対する期待が大きく
なっている。
イ 調査主体
  都道府県又は政令指定都市
ウ 補助率
  3分の1
エ 調査体制
 調査における一部作業の鉄道事業者への委託は必要最小限とし、その内容に
ついては調査主体…の意向が十分反映される必要がある。
オ 関連事業計画
 関連事業のなかで都市計画決定の必要なものについては、その計画案を作成
するものとする。
 
 イ 以上について、本件に関連して特に留意すべきは以下のところである。
一、連立事業の性格。
二、鉄道事業者への調査の委託は必要最小限度とすること。
三、連続立体交差事業調査においては、単に鉄道の施工を行うのではなく、広域及び周辺市街地の現状における課題を把握し、連続立体交差事業の必要性を明確にしたうえで、都市計画の総合的検討を踏まえて、関連事業計画、高架下利用計画(土地利用計画)と一体的に鉄道、側道等の設計を行い、さらに計画の総合的評価を行うため、総合アセスメント調査を行うこと。
四、周辺市街地整備基本構想を作成する際には、鉄道、側道等の設計並びに高架下空間及び鉄道残地(地下方式にした場合に鉄道事業用地でなくなる地表
   部分を含む筆者注)の利用計画に配慮しつつ行うものとし‥‥その要素
として土地利用計画、交通計画に加え、公園緑地計画として公園の配置計画をすることのほか、公園緑地や他の公共施設や良好な植生を加え、緑のネットワークを構成すべきこと。
五、鉄道、側道等の設計に当たっては、鉄道と側道は一体的に行われ、設計は基本設計と概略設計とした上で、都市計画の総合的検討及び関連事業計画等の検討に配慮しつつ行うものとし、特に…街路樹計画、駅前広場計画、高架下利用計画、‥‥環境対策等に充分配慮を払いつつ行うものとする。
    基本設計(調査の第1条筆者注)においては、連続立体交差化する区
間‥‥施行方法‥‥構造形式を比較検討するものとし、事前計画を行ったう
   えで周辺の関連事業計画等(道路、再開発事業筆者注)と調和のとれた
比較案を数案作成し、比較評価を行うものとし、‥‥比較案の評価にあたっ
   ては経済性‥‥事業効果、環境への影響等(以下「5条件」筆者注)に
ついて比較し、順位を付けるものとする。概略設計に当たっては、比較案から最適案を選定し、さらに詳細にのぼって検討を行うこと。
六、連続立体交差事業は同事業を一体的に整備を図るべき関連事業がいかに実施されるかによって大きく左右されるから‥‥事業効果を最大にするような計画案とプログラムを検討し、その場合鉄道残地及び高架下空間の利用にも充分配慮するものとする。
 高架下空間を‥‥周辺市街地の公共施設整備状況、住民の意向等に配慮し‥‥小公園‥‥集会場等公共利用を優先させるものとする。
七、連続立体交差事業の総合的判断を行うため…事業効果及び環境への影響を調査する(総合アセスメント)こととし、環境調査については、騒音、振動、日照、電波障害その他地域分断、都市景観の阻害等の項目についても‥‥検討を行うものとする。
 このうち、騒音については当該地区の鉄道騒音を代表すると認められる地点及び事業後において騒音が問題とされるおそれのある箇所について、現況の騒音レベルの測定を行い、事業後の騒音の予測を行うものとする。
 測定方法は「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」等に準ずるものとする。
 騒音予測については、周辺の地形、土地利用の状況から‥‥計算で‥‥予測可能な場合は計算等を行うとともに、他地区の事例等諸資料を活用して行うものとする。
 ウ 本件要綱と都市計画案との関係
 上記ア、イから明らかなことであるが、本件要綱による調査は何よりも連立事業の都市計画案を決めることを目的としており、これを関連事業と一体として進めなければならないところから、同事業についても都市計画決定が必要なもの(道路、駅前広場等の再開発)は調査終了時に都市計画案を作ることを求めているのである(アの補充部分の関連事業計画)。
 逆にいえば、連立事業調査はこの都市計画案を決めるための必要かつ十分条件なのである。そのために、本件要綱が書式を含めて詳細に規定しているのである。
(4) 連立事業の存在とその意義
 連立事業は、単なる鉄道事業ではない。また、既存の踏切を除却するだけのものでもない。道路を新設・拡幅して道路と鉄道を連続的に立体交差化したうえ、高架下利用・駅前広場等、都市を再開発することを目的とした事業である。言い換えれば、再開発のためにその基軸となる道路新設・拡幅する等して、鉄道と連続的に立体交差する施設(連立施設)という、道路を主とし、鉄道を従とする複合都市施設をつくる事業であることは既に詳細に指摘しているが、建設省自身が以下の通り端的にこれを認めているのである。
 「建運協定の意義は‥‥第一に、連続立体交差化を都市側が主体となって行う都市計画事業であることを明確に位置づけたことである。‥‥第四には‥‥貨物設備等の集中している駅部においても行われるようになるとともに、これらの鉄道施設跡地を整備することにより‥‥駅周辺市街地の再開発が推進されるようになった。‥‥特に最近は‥‥周辺市街地等の整備効果を重視した要望が多くなってきており‥‥全国各地において貨物ヤード等跡地の大量発生が予想される。したがって‥‥市街地整備を行う、いわば連続立体交差再開発事業が要求されるようになる‥‥これらを円滑に実施するためには、土木技術、鉄道技術のみならず‥‥市街地整備等の関連事業に関する技術にも精通した高度な総合的技術力が必要とされる。」(建設省都市局特定都市交通施設室長・椎名彪「連続立体交差事業の事業効果と意義」雑誌「建設月報」昭和58年7月号70頁〜73頁掲載、甲第219号証)
 以上の記述だけで明らかであるが、昭和44年9月建運協定(調査要綱は翌年昭和45年に制定されている。)の成立により、立体交差における従前の都市側と鉄道の対等な関係が崩れ、道路を主、鉄道を従とし、道路側の再開発まで視野に入れた連立事業という新しい制度、新しい複合都市施設が生まれたのである。従って、連立事業はそれまでの鉄道高架事業とは全く違うものである。すなわち、高架であれ地下であれ、連立事業における交差施設建設事業の本体は道路事業であり、鉄道事業はこれに付帯するものとなった。また、そうでなければ、この事業の基本財源を道路特定財源とすることは出来ない(道路法59条・附帯工事に関する費用等)。本件連立事業に関与(正しくは一部施行)した第三セクター・東京鉄道立体整備株式会社が、東京都都市計画道路補助128号線の鉄道との交差部分(幅員20m、長さ24m)という道路ともいえない所謂「座布団」部分について道路の事業認可を取り、その付帯工事として、本件高架施設の建設をしていること、すなわち、金額でいえば道路建設費は僅か3360万円であるのに対し、付帯工事費は実に117億590万円に達するというパラドックスは、NTT資金等という違う要素も絡んではいるものの、今述べた連立事業の本質が分からなければ、到底理解出来ないであろう(甲第181号証の1乃至2)。
  連立事業をさらによく理解するために、同じく建設省の文書により詳論する。
 以下引用部分は、建設省道路実務講座編集委員会(渡辺修自道路局長、多田宏行関東地方建設局長、近藤茂夫日本道路公団東京第二建設局長監修)作成の「道路実務講座2 街路の計画と設計」(昭和59年2月15日第9版、株式会社山海堂発行、甲第220号証)の抜粋である。これは、甲第7号証、乙第1号証等双方が引用している「連続立体交差事業の手引き」(6頁)の底本である。
 「街路事業は、都市計画法に都市計画施設として定められた道路を都市計画法第59条に基づく認可または承認を受けて整備する事業であり、最も一般的な都市計画事業である。
  街路事業には表1.5に示すような多種多様な事業が含まれる。」(9頁)
 
 
 
 
                               (10頁)
 街路事業(ラージ街路)には、土地区画整理事業と市街地再開発事業が上記表1.5の通り含まれていることは、連立事業の法的性格と本質を理解するうえで充分留意しなければならない。上記椎名論文(甲第219号証)が、連立事業は「駅周辺の一等地における‥‥跡地等の出現は、都市の中心地区にふさわしい市街地の形成、都市全体の構造の改善‥‥100年に1度のチャンスともいうべき大きなインパクトと言える。」「いわば連続立体交差再開発事業が要求される」といっているのを、これを充分意識しているからに他ならない。
 道路法においても、道路の新設または改築にあたっては、鉄道との交差は原則として立体交差としなればならない旨を規定するとともに、道路側と鉄道側は交差の方式、構造、工事の施行方法および費用負担について、あらかじめ協議しなければならない旨(同法第31条)を規定している。
「道路と鉄道との立体交差の形式としては、交差道路が鉄道の上空を越えるか、または交差道路が鉄道の下をくぐり抜ける「単独立体交差」と、交差道路の連続する鉄道の一定区間を高架化または地下化することにより、複数の交差道路を一括して立体交差化する「連続立体交差」がある。」(216頁)
 単独立体の交差型式の場合、跨線橋型式(オーバーパス)と跨道橋型式(アンダーパス)の2種類がある(別紙3図7.1および7.2参照)。
「跨線橋型式の一般的特色としては、経済性、施行性ともに優れていることであり、通常の単独立体交差型式として広く採用されている」(218頁)。
 単独立体交差は、別紙3図面7.1、7.2を見ればすぐ分かる通り、道路施設としての側面が極めて強い。鉄道側が関わるのは、主として運転保安上などの見地からの設計、施行、管理等である。上記の通り通常行われる跨線橋の場合は、その維持管理は道路側が行うことになっている。従って、その費用負担等について昭和31年に建設省と国鉄の間で締結した「道路と鉄道との交差に関する建設省・日本国有鉄道協定」がある。これによれば、その費用負担は、「既設の平面交差を除却する場合には、道路側と国鉄側のいずれかが原因者であるというものではないので、同協定第4条により、道路側が工事費の3分の2を、国鉄側が残りの3分の1を負担することとされており、この点が本協定の最も重要な部分となっている」(218頁)とされている。道路側の負担率が2倍となっているが、上述の単独立体交差の性格からして当然といえよう。
 「連続立体交差の意義
‥‥踏切事故の解消、踏切遮断による交通渋滞の大幅改善など、道路交通対策上極めて大きな意義がある。連続立体交差化はこうした効果以外に、次のような都市開発上の効果を有する。
  @ 鉄道により分断されている市街地の一体化‥‥
  A (略)
  B 周辺の土地利用計画に併せて、高架下を多目的に利用できる。
  C 鉄道跡地を利用して、駅周辺の開発を図れるなど、広い意味での市街地の
    再開発のインパクトになる。」(223頁)
 連立事業の意義として、密集市街地における立体交差の方式とあるとしたうえ、前述椎名論文(甲第219号証)とほぼ同旨のことが記述されている。さらに、建運協定の概要として、最も大切な連立事業の定義は「鉄道と幹線道路(道路法による一般国道および都道府県道並びに都市計画法により都市計画決定された道路をいう。)とが2個所以上において交差し、かつその交差する両端の幹線道路の中心間距離が350メートル以上ある鉄道区間について、鉄道と道路とを同時に3個所以上において立体交差させ、かつ2個所以上の踏切道を除却することを目的として、施行基面を沿線の地表面から離隔して、既設線に相応する鉄道を建設すること(図7.7参照)」(224頁)として、別紙3の図7.7、連続立体交差化の概念図として図示されるとしている。これを見れば一目瞭然であるが幹線道路の中心間距離350m以上の鉄道区間において2個所(同表の右側2個所)の踏切が除却され、1個所(同表左側)の幹線道路が「(道路新設)」とされていて、2個所以上の踏切の除却と3個所以上立体交差するという、この2と3の違いは、道路を新設する(新設出来るようにする)ことが連立事業の要であり、従って、不可欠の要件であることを明白に示している。連続立体施設が単独立体施設と同じ道路と鉄道の立体交差施設であることに変わりはないのであるから、道路と鉄道の複合都市施設であるのは当然であるし、そもそも前述した通り、「道路の新設‥‥にあたっては、鉄道との交差は原則として立体交差としなければならない」と道路法31条が規定しているのであるから、道路の新設がなされない連続立体交差施設は考えられないのである。
 建運協定は道路法31条等の根拠を有する規範であることは明らかであり、そうであるからこそ、連立事業を都市計画事業と位置付け、新しい制度をつくることが出来たのである。
 なお、上記図書も当然のことであるが連立事業を制度(222頁7.3 道路と鉄道の連続立体交差の冒頭)として、前記引用部分を記述しているのである。さらに同書は、建運協定について次の通り詳述している。
「既設線の連続立体交差化と同時に鉄道線路を増設することを含むもの(基本協定第10条)」(224頁)
「連続立体交差化には高架式のみならず、掘割式、地下式などの形式も含まれている。」(同頁)
「連続立体交差化は、単純連続立体交差化と線増連続立体交差化とに大別されている。前者は鉄道線路の増設を同時に行わない連続立体交差化であり、後者はこれと同時に行う場合である。これは線増が鉄道事業者の本来的な事業であることから、線増を伴う連続立体交差化については、事業主体、費用負担等について、別途の取扱いをする必要のあることによるものである」(同頁)
「鉄道の増強部分についてはその全額を、鉄道の既設部分については鉄道受益相当額のみを鉄道事業者が負担し、その残額はすべて都市計画事業施行者が負担することとされている。」(226頁)
「都市計画事業施行者の高架下利用については、「国または地方公共団体が自ら運営する(料金徴収等一部の業務を委託することも含む。)公共の用に供する施設で利益を伴わないものを設置しようとするとき」は、鉄道事業者は「その業務の運営に支障のない限り協議に応ずるものとする」(基本協定第10条)としている。」(同頁)
  そして、建運協定の意義を改めて以下の通り総括している。
「第一に、連続立体交差化は都市側が主体となって行う都市計画事業であることを明確に位置づけたことである。」(226頁)
「鉄道事業者は都市計画事業施行者の実施する連続立体交差事業による直接的な受益の相当額を負担し、事業費の大部分を都市側が負担することとなった」(同頁)
「第四には、貨物設備等の移転および専用線の取扱いが明確化されたことである。爾来、これらの施設を抱える駅部においても盛んに連続立体交差化が行われるようになり、鉄道施設跡地を都市的な土地利用に合わせて整備することにより、広い意味での駅周辺の再開発が推進されるようになった。」(227頁)
  また、連立事業の構想と計画における留意点として、以下の通り述べている。
「連続立体交差事業の構想・計画の段階においては、まず都市の街路網計画の見直しが不可欠である。」(230頁)
「連続立体交差事業は都市計画決定された交差道路のすべての交差部の「穴あけ」を行なうが、ひとたび高架施設が完成してしまえば、その区間では新たな立体交差計画の実施はほぼ不可能となってしまう。」(同頁)
「交差道路の計画幅員の拡大、新規交差道路の追加等についても検討することが不可欠である。」(同頁)
 ここで大切なことは、交差道路部の「穴あけ」である。「穴あけ」とは、都市計画道路を新設出来るように、高架橋のスパン割り(柱間隔)を道路がつくれるように長くし、高架橋の強度を高めることである。通常の高架橋(ラーメン高架橋)では「柱間隔は8〜12メートルが一般的」(246頁)であるから、これを越える、例えば20メートルの道路を新設する場合には、スパン割りを長くして、これに耐える強い強度のブリッジを別につくらなければならない訳である。特にスパン割りが25メートル以上となると、ブリッジの強度に要する費用が急激に増大する。これを建運協定第6条では連続立体交差事業費を区分し、(1)高架施設費、(2)貨物設備費、(3)増加費としているが、この場合は増加費(ア) 交差道路を新設〜支間25メートル以上の鉄道橋が必要となる時、と第一にあげている。つまり、「穴あけ」とは道路を新設、拡幅するために必要なもので、まさに道路施設そのものなのである。
 以上の同書の記述は、これを明確に示しているのである。また、本件連立事業においても、この穴あけは少なくとも8本の都市計画道路について、他の高架橋と異なりスパン割りが長く、かつ、極めて強固に造られている。この穴あけこそ、連立施設が道路施設でもあることの象徴のひとつである。
 さらに同書は再開発等について以下の通り記述し、連立事業が道路を主とした複合都市施設をつくる事業であることを明確にしている。
「連続立体交差事業に伴って駅周辺の都市開発が活発に行なわれることが予想されるため、駅前広場とこれに直接関連する街路を、将来の見通しを十分に勘案して見直しておく必要性はいくら強調しても強調しすぎではない。」(230頁)
「駅前広場に接続する街路は駅前広場とともに「都市の顔」ともいえる公共空間である。連続立体交差化に併せて駅前広場に接続する街路についても、必要な拡幅を行なう」(231頁)
「連続立体交差事業の対象となる鉄道駅周辺には、貨物ヤードや鉄道関係の業務施設が広大な面積を専有していることが少なくない。」(同頁)
「施設の移転跡地は鉄道駅周辺の一等地であり、土地区画整理事業、市街地再開発事業等の市街地開発事業の計画立案に際して、計画実現の鍵を握る「種地」として利用することができる。」(同頁)
「連続立体交差事業は‥‥事業の結果生ずる鉄道駅周辺の鉄道施設跡地を有効に活用して市街地開発事業を同時に行なえばその街づくりに対する効果は絶大であり、文字どおり駅周辺の街並みを一新することが可能である。こうした意味で、連続立体交差事業は「街づくり100年の大計」を実現するひきがねであるといってよい。」(同頁)
「市街地開発事業の実現には‥‥長い年月を要し、また事業費も膨大なものとなるため、連続立体交差事業の調査段階から、これら事業に係るプログラムを確立し」(同頁)
「連続立体交差事業は「建運協定」により明確に都市計画事業として位置づけられている。一方で当該事業は鉄道施設そのものを対象とする事業であるため、鉄道事業者の意向をも尊重する必要がある。」(同頁)
「連続立体交差事業は多額の費用を要する事業でもあり、緊急に事業化の必要な区間に限って事業を行なうことが肝要である。事業区間の決定にあたっての基本的な考え方としては‥‥どの幹線道路の立体交差化が連続立体交差化という手法によって必要であるかとの点が鍵である。」(232頁)
 「A 平面計画」(234頁)
「(@)高架施設、仮線および現在線の沿線市街地との位置関係
  (A)駅部の規模および周辺との位置関係
  (B)事業用地(仮線敷を含む)の確保の難易度
  (C)沿線への環境対策」(236頁)
「連続立体交差事業により建設される高架施設の平面計画は、都市計画事業施行者、鉄道事業者、地元住民等多数の関係者の多様な要請を反映した多数の代替案に基づき、十分な協議調整を行なって策定してゆくことが必要であろう。」(237頁)
 また、関連側道については、「環境上必要な関連側道は基本的には環境空間であるので、必ずしも道路として同じ幅員であったり、連続させたりする必要はなく、その計画は箇所ごとの特性に応じて行なうべき要素が大きい」(237〜238頁)として、その基本的性格は高架方式の連立事業がもたらす環境負荷を緩和するための環境空間であり、連続・幅員などという道路の要件を充たさなくてもよいとしている。
 これは実に重要な記述である。言葉では側道というが、その本質は環境空間なのであるから、道路ではないのであって、これをあたかも独立した道路であるかのように高架鉄道と切り離して認可すること自体に無理があるのである。側道はまさに第1審判決が指摘している通り、連立事業の一部であり、高架施設そのものといっていいのである。
  また、高架下利用について重要な指摘をしている。
「高架下の利用については、建運協定により積極的な公共利用を行なうことが定められており、また鉄道事業者は高架下の利用に関する協議に必ず応ずることになっていることは、先に述べたとおりである。この点は、連続立体交差事業が都市計画事業として同協定上明確に位置づけられ、事業費の相当部分を都市計画事業者が負担していることから定められたものである。」(239頁)
「鉄道高架下貸付可能面積の10%に相当する部分までについては公租公課相当額(細目協定第15条)」(同頁)
「しかしながらこのことは、高架下の公共利用面積そのものを10%に制限するとの趣旨ではなく、むしろ建運協定の趣旨からは10%を超えて大いに公共利用を図るべきである。」(同頁)
「高架下のような貴重な公共空間は使用料のいかんに拘らず大いに活用すべきであろう。なお、細目協定第15条で「鉄道施設の増強分以外の」とあるのは公租公課相当額による使用面積の算定について規定しているのであり、実際の高架下利用は既設線の高架下あるいは線増線の高架下の如何を問わない。」(同頁)
「高架下の公共利用の対象となる施設には次のようなものが考えられる。
  ・道路(歩行者専用道を含む)、広場 ‥‥」(同頁)
高架下利用とはすなわち連立事業の土地利用の問題であるから、地下式の場合は地表の土地利用ということになる。いうまでもなく、都市計画における環境等に資する公共的土地利用はその根幹である。「建運協定の趣旨からは10%を超えて大いに公共利用を図るべきである」という指摘は、誠に正しい。この視点で本件都市計画がなされていれば、地下方式による、全く違う適切な結果になった筈である。地下の場合に地表をどう利用するかは、小田急の土地なので全く考えなかったという被上告人らの責任は極めて重いのである。
 いま一つ大切な部分がある。それは「実際の高架下利用は既設線の高架下あるいは線増線の高架下の如何を問わない」としていることである。土地利用について既設線・線増線を区別する必要もなく、また、そのようなことは出来ないし、現実の事例も全くないといってよい。土地利用という連立事業の一つの根幹がそうだとすれば、連立事業と線増事業との区別は費用負担の問題にすぎず、都市施設としては全く同じものであって、これをことさら区別するのは大きな誤りである。とすれば、「線増事業地」は本件連立事業地であって、事業認可申請の事業地として表示されるべきであったのである。
 事業地は、第1審判決の指摘する通り、地理的・物理的に区別出来るものでは全くない。
 さらに、高架連立事業の施工について、「施工方法には、仮線方式、別線方式(または腹付け方式)および直上高架方式の3種類がある。」(241頁)として、
(1)現在線と違う場所に仮線を設置し仮運行した後に現在線を撤去し、その場所に高架線を建設し運行した後に仮線を撤去する仮線方式
(2)現在線を運行しながら違う場所に高架線を建設し運行した後に現在線を撤去する別線方式
(3)現在線を運行しながらその真上に高架線を建設し運行した後に現在線を撤去する直上高架方式
を紹介し「別線方式は、主として線増高架工事‥‥に採用される」(242頁)と述べ別線(腹付け)方式によって単線を複線化する例を別紙4に図示している。
 この図には、現在線(既設線)に並行して高架橋を建設し、これが完成した後に現在線を高架橋に切り換え、現在線用地に線増分を構築するという分かりやすい説明がついている。この図で単線を複線,複線を複々線に読み替えれば本件工事と全く同じ構造であることがすぐわかる。線増分の用地を使って連立事業が行われ、現在線の用地で線増事業が行われるということになり、また時間的にも連立が先行し線増が後を追うかたちである。
 本件では時間的にも空間的にも全く逆の説明がされてきた。被上告人らは、新設部の高架橋工事が線増事業(連立事業の仮線でもある)として先行し、在来線の上での連立事業が後行するという仮線方式を主張している。どうして順序と場所が逆になってしまうのか。これはどちらでもよいというわけにはいかない。それは事業地の問題がからんでくるからである。仮線方式の主張では連立事業地は在来線用地に限られるかのように見せかけることが出来るのに対し、別線方式とすれば当然に線増部分が事業地そのものになることが明白になるからである。仮線であるか別線であるかは、現実にはっきりしており下りは別線・上りは仮線であることに議論の余地はない。原判決は、施行が所謂線増部分でなされることは認めながら、施行する土地と事業地は別だという極論をするに至っている。このような解釈が許されないことは第二の16で詳論する。
「在来線の仮線の工事は、鉄道事業の工事に当然含まれるところ、線増部分に高架橋に築造する工事は、線増線の工事と在来線の仮線工事を兼ねて行なわれるものであるから、線増部分の工事への着工は本件鉄道事業の工事着工でもある」と被上告人自身が述べており(被上告人の控訴理由書41頁)、これは以上のことを考慮すれば、まさしく自白といわなければならない。従って、都市計画決定も原則として一つのものとしてされなければならないし、連立事業は大別すると単純連立と線増連立があるが、いずれも都市計画事業であると定められている。被上告人の線増部分に係る主張、それは取りも直さず連立事業の主張でもあるが、事実を著しく曲解したものであり、第1審判決はまたこれを見事に看破したというべきであろう。
 なお、被上告人は仮線工事用地を「事業地に含めることはできない」(控訴審における被上告人準備書面(2)14頁)と建設省の文献を援用しているが、同書から既に引用しているところであるが、「事業用地(仮線敷を含む)」(234頁『A 平面計画』)と明確にされていることを銘記すべきである。
(5) 都市計画法11条の趣旨と複合都市施設
 法11条には、都市施設が道路、都市高速鉄道、公園等が列記されているが、これはあくまでも例示であって、他の種類の施設や複合都市施設を認めていることは「その他の都市施設」という規定からも、都市施設の実体からしても明らかである。
 連立施設はまさにその他の都市施設のうち、道路・鉄道の複合都市施設なのである。もとより、複合都市施設は他にも存在する。その代表的なものは、法11条が列記している都市施設のうちの公園である。総合公園とされる代々木公園、運動公園とされる東京都駒沢オリンピック公園は別紙5を見れば一目で分かるが、道路、競技場等と公共空地を複合したものであり、複合都市施設である。
(6) 連立事業(施設)の都市計画決定の特長
 連立事業の建運協定の意義は、前述の通りである。そして、建運協定第11条による本件調査要綱の意義とその規範性については、控訴審における上告人ら準備書面(1)、同(2)等で詳論した通りである。
 ところで、この事業に係る都市計画決定は、道路等の他の一般の都市計画決定にみられない、この事業固有の法的特長がある。ちなみに、前記図書の連続立体交差事業の事業までのフローチャート、図7.8(別紙6)を見ながら、この事業の流れについて同書が指摘する重要な部分を引用する。
「事業採択から着工まで
 連続立体交差事業の具体化は、当該事業の国庫補助事業としての採択によって実質的に始まるといってよい。」(229頁)
「鉄道施設の都市計画決定に併せて、関連側道、交差する幹線道路、駅前広場等の都市計画決定もしくは変更を行なう。」(同頁)
 特に、連続立体交差事業の具体化は当該事業(連立事業調査によって特定される。後述)の事業採択によって実質的に始まるという部分が大切である。つまり一般の都市計画決定は、所定の調査を経て、かつ、決定がされてから事業化されるまでに相当長い期間を要する。10年どころか数十年かかる場合も多い。正しい評価とはいえないが、「青写真」といわれるのもこのためである。
 しかし、連立事業の都市計画決定は全く違う。まず、建運協定によって定められた本事案の施行者である東京都等は、本件要綱による調査(通常2年間)をしなければならないが、この調査の目的は、当該事業区間における連立事業の必要性、緊急性の蓋然性があると国が判断した時点において、国の補助(3分の1)を得て実施される。そして、その必要性、緊急性がこれを確認するための周辺市街地現況調査、街路、鉄道現況調査等で確認されれば、直ちに都市計画の総合的検討、比較設計(単独立体交差との比較を含む)、概略設計、関連事業計画の検討等におよび、本事業および関連事業の都市計画案を作成する。これに対し、国が事業採択をすみやかに行なう。
 本件においても、平成元年3月に調査が終了し、平成2年には事業採択がなされている。それからアセスメント、公告縦覧、説明会、建設省等との事業化を前提とした事前協議、そして都市計画決定となり、施行者は詳細設計等をして、都市計画事業認可申請をして、事業認可に至る。
 これだけでも分かる通り、事業採択がなされなければ、都市計画決定が出来ないばかりでなく、それに至る公告縦覧、説明会、アセスメント等の事前手続も出来ない。これらの手続の多くが国の補助によるからである。しかし、事業採択がなされれば、都市計画決定から事業認可までは特別な問題が生じない限り時間の問題である。従って、この都市計画決定は事業の緊急性、必要性を前提とした極めて実践的なものであり、被上告人がいうような事業認可申請の段階で初めて事業計画というコンセプトが生ずるものとは全く違う。
 ちなみに本件においては、平成4年1月に公告縦覧、説明会等がなされ、平成5年2月都市計画決定、平成6年4月事業認可申請、同年6月に事業認可がなされている。都市計画決定から事業化までの時間は極めて短いのである。
(7) 結び
  以上からすれば、建運協定、本件要綱が法規範性を有することは極めて明白であり、これを否定したことは前文(1)で指摘した道路法31条、道路整備緊急措置法2条3項、法1条、2条、3条、11条、13条、15条、公害対策基本法9条等関係法令の解釈の重要な誤りがあるばかりでなく、国民主権、三権分立、法治行政の原則等、行政立法の解釈の憲法の基本原理を逸脱しているところにおいて、憲法第41条、同65条、同73条に違反する。また現に存在する連立事業からことさら無視しているところは経験則等の証拠法則、社会通念等の条理に著しく反している点において、法令解釈の重要な誤りがあるばかりでなく、このことによって、憲法が裁判所に求めている公正な裁判をするための最低の義務を放棄した点において、憲法第76条、32条等に内在する条理に明白に違反するものである。しかも、仮に百歩譲って建運協定、本件要綱が所謂内部規範にとどまるとしても、これを定立した行政が合理的理由もなくこれを踏みにじることは到底許されず、行政訴訟の当事者がこの点について争ったときは、裁判規範すなわち法規範性を持つことは、本件控訴審における芝池意見書(甲第216号証の2)が指摘するとおり、公法学界の通説であり判例でもある。従って、この点においても原判決の判断は、判断過程の統制を是認する判例(日光太郎杉控訴審判決、東京高裁昭和48年7月13日判決)に違反するばかりでなく、条理、社会通念に著しく逸脱する違法がある。
  これらは、上告人らの控訴審最終準備書面(その1)「第3 3.裁量統制」のところ等で明らかなとおり、再三主張していることはいうまでもない。にもかかわらず、判決はこれに対する判断すらしていない。また、建運協定、本件要綱が少なくとも判断過程の違法の構成要素となることはいうまでもなく、原判決が「考慮要素となることはさておき」(84頁)等として、あたかもこれを肯定しているかのように言いながら、主として後述の第二の1、同6の1乃至2、同8等に明確に示されている通り、実際には全く「考慮要素」にすらしていないのである。これは連立事業をはじめとする本件の明白かつ重大な事実の殊更な無視という姿勢と深く結びついており、前記の通り憲法上・法令上到底許されることではない。そしてこの上告人らの上記主張を残らず無視し、「事実」にすら摘示せず、もとより判断していないことは、一方において、絶対的上告理由たる理由不備、その齟齬に当たることはいうまでもないところである。これを具体的に示すものは第二の2において顕著であるが、他の全てにわたって示されている。
  そればかりではない。本件連立事業と道路特定財源との関係を全く無視しようとしている点、言い換えれば、国民の税金によって賄われる都市計画事業等の公共事業の規範を全く無視していることにおいて、憲法の財政民主主義の原則(憲法第7章83条以下)および財政法、地方財政法の趣旨に甚だしく背反しているのである。これは、第二の2において引用した原判決の次のくだりに集中的に表現されている。
 「道路特定財源に係る公的資金が、本件鉄道事業に充てられていることからも‥‥連続立体交差事業が法的に一つの事業であることは明らかである旨主張するが、独自の見解であって採用できない。」(原判決63頁)
 何の理由も示さず「独自の見解」だとするのである。おそらく理由はとても示せなかったのであろうが、これ程の「理由不備」も珍しい。
 
7.公正な裁判と証拠法則
 公正な裁判に必要なものは、法の公正な解釈と公正な事実認定であることはいうまでもない。解釈は大体判示されるから、それを充たしているかどうか判定しやすい。しかし、事実認定の公正さは、判旨だけでは分からない。口頭弁論の記録、特に証人尋問調書、書証を判決と対比して、充分吟味しなければならないからである。これは、最高裁判所裁判官といえども手間と時間のかかる難行である。
 そこで、民事訴訟法は事実認定については基本的に高等裁判所を終審としている(民事訴訟法第321条)。しかし、事実認定は裁判の公正の基礎であり、これがないがしろにされれば、裁判そのものが成立しない。これは洋の東西を問わず古くから確認されていることである。裁判官が恣に証拠を無視して事実を捏造したりすることは許されない。このために、刑事手続においては証拠能力等、事実認定に係る厳格な手続が明定されている。民事事件、行政事件はこれとは違うが、除斥、忌避等の手続を置き、予断、偏見のない公正な事実認定が必要であることは同様である。しかし、手続が刑事事件のように厳格でないために、裁判の公正に反する恣意的な事実認定がなされ、これが判決の結果に結びつくことがしばしばある。
 
「上級裁判所は、上訴審において、下級裁判所が特定の事件につき、規範に関する過誤を犯したか否かを決定するために、大部分の時間を費やしている。
 ‥‥学識深い法律家の書いた大抵の書物は、恰かも裁判所の仕事の難しさは、主として、如何なる規範を適用すべきか、当該規範はどういう意味を有するものであるか、その適用範囲を解釈如何といったようなことを決定することに存するものの如く述べているのが普通である。これらの書物はいずれも甚だしく人を誤らしめるものである‥‥。
 だが、事実審裁判所の事実認定こそは、裁判機能のうちで最も骨の折れる部分なのである。裁判所政治が最も満足に行われていないのは、正にこの部分においてである。そこにおいてこそ、かなりの数に上る裁判上の不正義の大部分が生起しているのであり、改革が最も必要とされるのである。」
(ジェローム・フランク著、古賀正義訳『裁かれる裁判所 上』弘文堂、1960年、6頁より引用)
 
 以上は、半世紀以上前のアメリカの話である。しかし、我が国の裁判所にそれはないと言えるであろうか。かつては希有なケースであったとしても、今はむしろ憂慮すべき状況になっているのではなかろうか。原判決は、まさにこれがひとつの現実に立ち至っていることを示すものといわざるを得ない。
 したがって、これを防止するために、審級制等の制度的工夫がなされているが、これだけでは充分ではない。そこで、事実認定の公正を担保する不文の法である証拠法則(経験則ともいうし、条理、社会的通念等ともいう。)が極めて重要な役割を有する。証拠法則は判例の集積等、裁判の歴史的経験の中で確立されてきたものであるから、不文のものとはいえ、明確に存在するものである。従ってこれは最高裁判所が法令の解釈のひとつとして充分吟味できるものである。したがって「事実審の終審」である高等裁判所の判決に対しても、この観点から吟味することは極めて重要である。最高裁判所は法律実務家のみならず学識経験者等社会的文化的修練を積んだ裁判官を含めて構成されているから、法律実務家とは別の視点から証拠法則を吟味できるし、またこれが憲法の期待するところである。特に、裁判員制度の刑事事件における一部導入によって、事実認定をキャリア裁判官だけに委ねない制度が生まれつつある現在、これは特書すべきであろう。
 原判決の特徴は、後に第二の論述のところで具体的かつ詳細に指摘するが、一言でいえば、既に述べた大変間違った解釈を「そのようなことがあったとしても」として(これではあったか無かったかは分からない。)事実認定を保留した上で、「違法ではない」という言い回しをし、自分の理屈を通すことが難しいとみると「認めるに足りる証拠はない」という文脈に満ちあふれていることにある。現に多数の信頼すべき証拠があるのに、都合の悪いところは全てこれを殊更に無視し、自分が認定したい事実に沿うものを極めて恣意的に拾い上げ、およそ証拠法則に反する「事実認定」で逃げているのである。例えば、本件の最大の争点であり、第1審判決が考慮事項の欠落、判断過程、判断内容の誤りの基礎にしている建運協定の内容とその効力、本件要綱の手続内容に対する判断からだけでも、それは如実に現れている。本件連続立体交差事業が道路と鉄道、さらには都市再開発というひとつの複合都市施設の施行であることは、当時の建設省自身の「手引き」(甲第194号証等)、解説書(甲220号証の1等)で明確に認めているばかりでなく、本件第1審の弁論終結直前まで被上告人はこれに沿う弁論をし、当時の大きな争点は、建運協定等による本件連立事業に係る手続、内容の適否にあったことは訴訟記録上明白であるにもかかわらず、これを全く無視しているのである。そのうえ、本件連立事業における道路の新設等の核心部分を切り離し、単なる鉄道建設と断じたばかりでなく、本件付属街路(以下側道という)が高架鉄道のまさに付属物(地下式であれば全くいらない、日照、騒音等の悪影響を回避するための環境空間で、都市施設として独立した道路ではない。)であるのに、あまつさえこれを「独立の道路」と「認定」してまでいるのである。
 本件には第1審、控訴審を通じて、膨大な証拠と弁論記録があるが、その概要を吟味しただけでも、いかに原判決が証拠法則を無視した非常識なものであるかが容易に分かる筈である。したがって、本件における証拠法則の吟味は、なによりも大切だといってもよいのである。原判決の事実を見ようとしないこのような姿勢は、まさにいま時代から求められている公正な裁判、すなわち憲法第76条、第32条等に明確に内在している条理たる証拠法則、社会通念を踏みにじるものであるからである。第二の全ての判示がこれを具体的に示して余りない。なお、これに係わる奥平意見書を援用する。
 
8.甚だしい審理不尽(審理放棄)
 7で述べた原判決の証拠を見ず弁論を見ず、したがって事実も見ないということは、証拠法則に著しく背反していることはもとよりであるが、審理を恣にしたという意味で、まさに裁判にあってはならない「公正な審理の放棄」というべきで、審理不尽の極致である。奥平意見書については7と同様である。また、原判決がこれを具体的に示すものも上記7と同様である。
 
9.判例違反と平成11年判決
 環状6号線(山手通り)の拡幅等に係る周辺住民の原告適格を否定した所謂平成11年判決(最高裁同年11月25日)の違憲性、判例違反、判例変更は大法廷で行われるべきことを定めた裁判所法第10条3号すら踏みにじる違法があることについては、上告人らの控訴審最終準備書面その2の2(2)で詳細に述べた通りである。しかし原判決は新潟空港訴訟判決(平成元年2月17日)、もんじゅ原発訴訟判決(平成4年9月22日)、都市計画法上の開発許可に係る所謂川崎がけ崩れ訴訟判決(平成9年1月28日)が、原告適格の範囲を広げる流れをつくっていたこと、平成11年判決がこれに反するという事実は認めざるを得なかったものの、「都市計画事業の初めての判例であり、判例の評価は当該法規の具体的規定、具体的事案毎にすべき」だとして、同判決は従前の判例と抵触しないとこれを正当化し、判例違反、憲法第32条違反はないとしている。空港は原発と違うし、原発は開発許可と違う事業であることは当たり前である。しかし、この3つの判決は事業地周辺の住民の人格権による原告適格に関する判断を示していることにおいては同一である。問題にし、評価すべきはまさにこの点なのである。判例や学説も共通の認識を持ち、これらの判決を原告適格に関するリーディングケースとしてきたのである。平成11年判決は明らかに周辺住民の原告適格を一切否定したのであるから、この点において従前の判例に反することは明らかであり、都市計画事業だから違うというのは、何の正当化にもならない。
 このように判例を切り分け、細切れにしてしまうことが出来るのであれば、原判決は本件連立事業を鉄道事業であるとし、かつ、鉄道と道路は「違う」都市施設だと強弁しているのであるから、鉄道事業に道路事業の判例である平成11年判決は適用出来ないということになってしまうのである。
 もとより実際には原判決は平成11年判決に従い、周辺住民の原告適格を一切否定しただけでなく、原告適格の部分で述べた通り、平成11年判決すらやらなかった先述の高架鉄道と付属街路を切り離してこの地権者には鉄道事業の認可処分を争う原告適格がないとまで判断したのである。
 このようなやり方が原告適格に関する先のリーディングケースに著しく背反することは明確である。
 判例にせよ法令の解釈にせよ、総合的、実質的に判断すべきことは法律実務家の初歩的常識であり、原判決のように形式的に、しかも極めて恣意的に事実を切り分けるのは到底許されることではない。原判決は、判例違反であるだけではなく、リーディングケースの判断基準の解釈の根本を間違えているのである。なお、この点を含め奥平意見書は詳細に論じておりこれを援用する。
 原判決は憲法第32条、14条はもとより、第一の1より8までに摘示された全ての憲法の規定に違反している。言い換えれば、国民の何人もわきまえるべき現在の憲法原理に全く背離しているのである。これは第二の1等の原告適格の判断に示されているのであるが、第二の部分全体に見られるものである。
 
10.環境の意義と憲法における存在
 1960年代から70年代に、四大公害事件を契機として公害対策基本法が成立し、環境実定法秩序が形成されたことは前に述べたとおりである。これを憲法上の基本的人権としてどのように把握すべきであろうか。独立の環境権という新しい人権として把握すべきであるとの見解も当時提起されたが、裁判所の容れるところとはならなかった。権利概念や憲法上の位置づけが明確でないこと等がその理由とされている。たしかに当時の環境権には概念構成が不充分であり、新しい権利として主張するには大きな弱点を内在していた。その後公害や環境破壊から生ずる生命、身体、生活環境等の被害は、憲法第13条、25条が保障する人格権侵害であると大体されている。
 しかし水俣病のような被害ではある意味でこれで充分救済できるが、海や川、あるいは大気の汚染(これらが個別の人格を越えて現在及び将来の世代に被害を及ぼし得ることはすでに常識である。)を防止することなどは従来の個別的にしか位置づけられていない人格権構成では無理であろう。しかし水俣病のような公害の噴出は偶然のものではなく、文明が必然的に内包していた限界を象徴する、人類がかつて経験したことのない危機の到来を告げるものであったことは、今では極めて明白である。そもそも公害は、近代産業社会にその出発点から内包されていたものであり、産業革命のときから存在し、後述するところの「都市悪」として、その克服が都市計画の主たる目的の一つになったのである。
 そしてこれはまず鉱山、工場のなかの職業病として現れ、やがてこれが塀の外へ溢れ出て公害となったものであることを、東京の六価クロム損害賠償請求事件(1975年提起、1981年9月28日判決、裁判長土田勇)の判決が改めて証明したことによって一般にも知られるようになった。産業革命以降の都市悪、職業病、公害は控訴審における上告人らの準備書面(1) 、同最終準備書面(その2の2)で詳述したところであるので繰り返さない。ただこのような都市悪は、急速な近代化をなし遂げた我が国の都市では特にひどかったため、既に1896(明治29)年大阪府令21号製造所取締規則で「公害」という名称が登場している。労働者に対する職業病被害はこれに較べて軽んじられていたが、1916(大正5) 年工場法が制定され、ようやくその緒についた。
 従って、公害被害そのものは旧憲法時代に法律上の問題とされ、その被害の性質も別稿で述べたとおり単なる個人的被害ではなく、社会的な広がりがあるものとして識者には認識されていたが、旧憲法秩序の下では広く国民が理解するというところまではいかなかった。
 現憲法が制定されても、敗戦から再生するために鉱工業優先の政策がとられていたため、工場の内外において職業病、公害の被害が累積されていったが、裁判所はおろか、議会でもほとんど問題にされなかった。しかし異常な高度経済成長が進むにつれて、水俣病のように被害者が耐えられなくなり、四大公害訴訟となって、にわかに社会問題となったのである。この四大公害訴訟は、公害企業に対する損害賠償請求の形をとっていたが、その中身には公害そのものをなくすべきだという主張が明らかに認められる。水俣病を始め四大公害の被害者は、自らの被害の回復を求めて「個別的」に行動しただけではなく、公害被害をなくすという社会的目的に向けて行動し、これが勝訴判決と世論を媒介に、公害実定法秩序形成の起点を築いたのである。奥平意見書でも示されているとおり、被害回復予防という個別的利益を持つものが、社会的な利益(公益)を訴訟という場を通して実現したことは、「公私」のつながりを考える上で極めて示唆に富む。しかしこれは本稿の主たる目的ではないのでこれに止める。
 問題は四大公害事件は単に公害被害の社会性、公共性を証明しただけではなく、文明の限界を明確に示す新しい時代の到来を告げていたことである。当時はローマクラブ等一部の識者にしか理解されていなかったが、先述した通り今では常識となっている。しかしこのことは、既に第二次世界大戦における核兵器の問題等で予兆されていたことである。言うまでもなく、文明の進歩は無限であり、人類の未来はこれ故に保障されているというのが従来の常識だったのである。従って「環境権」という議論が充分なものでなかったとしても、新しい時代は確実に到来していたのであるから、これにふさわしい憲法原理を見出し、新しい法の支配を実現する必要があったのである。悲惨な現実を目の当たりにした当時の下級審の裁判所は、その職責と良心を注いで対応した。
 恐らく当時は裁判所が立法や行政より遙かに真摯に対応したと言えるであろう。だが、残念なことに、新しい法律構成が実定法の枠の中でも色々工夫されながら、環境権あるいは人格権というこの権利の憲法上の位置付けについては充分な成果を挙げることが出来ていない。これが現在の判例、学説の限界である以上、私論を述べることを差し控えたい。以上のような事情を前提に、今少なくとも本件において指摘すべき事を整理してみよう。
 公害被害の社会性という観点から訴訟要件、実体要件を解釈すべきことは既に述べた。憲法の条文そのものには、もとより環境権と言う言葉はない。それではなにもないのかというとそうではないとして、憲法第13条、25条等が挙げられるのである。
 生命、身体の安全が人間の人間たる由縁であること、また、基本的人権たる人格権の核心の一つであり、それは憲法前文、13条、97条等で現在及び将来の国民に対して不可侵のものとして保障されるものであることまでは何人も異存がないであろう。大事なことは、普遍的人権である人間の尊厳は、現在のみならず将来の国民に対して侵すことの許されないものとしていることである。これは、なによりも民主制社会が再生産され持続されるべきものとしていることは明らかであるし、憲法9条により戦争を放棄し(今イラクの自衛隊派兵で危うくなっているがこの点については本稿の性質上割愛する。)、恒久平和を実現することを我が国の義務としていることを合わせ考えれば、憲法は現在の国民のみならず将来の国民に対しても責任を負っていると解釈すべきことは明らかである。公害、環境被害の特徴の一つは、それが現在から将来にわたるか、将来に発生する恐れのあることである。有限な地球を前提とはするものの、被害の時間的スパンは果てしなく広い。
 従って、公害被害を評価するときには、将来に対する考察が不可欠であり、それを含めて国民に保障されていると考えなければならない。また生命、身体という生物的条件だけが人格権ではないから、生活環境、文化というようなものは欠かせないし、人類以外の生態系をも維持することが保障されなければならない。
 しかしここでいう文化は、憲法第25条のいう「文化」にとどまるものと考えるべきではあるまい。同条は言うまでもなく社会国家の理念を宣言したものであり、基本的には社会保障を受ける権利、貧富の差を最低限度抑制することを目的としていることは過言を要しない。公害、環境被害における人格権の一部を構成する文化は、このレベルのものであってはならないはずである。公害、環境被害に原則として貧富の差はないと考えるべきだからである。
 従って、公害対策基本法以来の国家を仮に環境国家とするならば、それはワイマールやニューディールに象徴される社会国家とは明らかに異質なものであり、憲法上の価値の判断の序列に大きな変化があったと見るべきである。
 都市計画法は昭和44年9月、公害対策基本法の2年後に所謂「新法」として成立した。すなわち、環境国家における法律なのである。従って、その理念としての「健康で文化的な都市生活」とは、25条の言う最低限度のそれとだけ考えてはならないわけである。従って、環境は人格権の存立の基礎として憲法上、保障されているとして、その範囲は生活環境はもとより少なくともその人格と直接結びつく生態系をも含むものと考えるべきである。
 判例も事実上これに近い認識があるようであるが、明確なものはないようである。人格権をこの程度広く考えれば公害被害を早期に防止し、環境保全に望ましい状況が生まれるであろう。逆に人格権を環境に配慮して広く考えていかなければ憲法上の最低限度論や行政法上の考慮事項を的確に評価することが出来なくなるのである。この原判決のように「受忍限度を越える騒音が予見できない限り、騒音を考慮する必要はない」というようなことは到底言えなくなるからである。原判決には以上の認識は全くない。この点において憲法前文、13条、25条、97条等に著しく反する違憲、違法なものであるというべきである。
 第二の1から16の全てにわたって、これは明確かつ具体的に示されている。
 
11.都市計画及び都市計画法の憲法上の位置
 都市計画を知らずして法を理解することが出来ないのは言うまでもないが、憲法との関連においても同様である。都市計画は、洋の東西を問わず歴史的に形成されてきたものであることは、別稿において述べた通り上告人らの控訴審準備書面(1) の詳述するところであり、そこで明らかとされているが、これは都市計画学会の定説でもある。
 農村の共同体が分業によって崩壊し、都市と国家が誕生したことは異論の少ないところである。そして都市計画の始まりは、ギリシアのアテネのような奴隷制を前提とした都市国家のものであった。それは民主政体をとったアテネでは市民が、逆のスパルタでは君主が定めた。これは中世の都市国家でも同様であり、絶対王政の時代もそうである。従って、都市計画を決定する者に違いがあるものの、都市計画の目的が市民の健康と安全、ひいては環境を確保することがその重要な一つであったことに充分留意すべきである。近代民主制国家においては主権は国民に存し、かつ一般に地方自治が導入されているため、国民主権、住民自治の各原則が都市計画を定める基準となっている。この原則に立つ我が国の憲法においては、都市計画は本来、その地域に居住する住民であり国民でもあるものが定めるとされており、この趣旨から、法第3条は住民参加の原則をうたっている。
 また、都市計画の理念は、前記のとおり都市計画の歴史的性格からも「健康で文化的な都市生活と能率的な都市運営」(第2条)を実現することとされている。また、都市計画の由来と地方自治の本旨に従い、都市計画を定めるものは基本的に市町村とし、合理的必要がある場合に本件のような広域的、根幹的都市施設等について都道府県もしくは国が定めることとされている。しかし、地方自治の本旨という原則はあるものの、都市計画は、国等の上位計画が存在し、都市施設等を特定し、計画基準を補充する関係法規が存在し、かつ環境は歴史的にはもとより現在ではなおさら都市計画の根幹といえるから、環境実定法が規律しているのである。
 従って、都市計画の基本的性格、住民自治、国民主権の性格からすれば、法はまずなによりも市民に分かりやすいものでなければならないが、今述べた通り、関係する法令、計画が多岐であって極めて分かりにくい、官僚に好都合な法律となっている。従って、法の合憲的解釈は、都市計画と現在の民主制社会の手続、とりわけ行政の説明責任、さらにはデュープロセス等を充分吟味する必要がある。またそうすれば、原判決の違憲性、違法性が明確になってくるのである。奥平意見書はこの点も論じていることに留意する必要がある。原判決は以上の点において憲法1条、15条、61条、65条、73条、92条等に反する違憲なものである。
 これを具体的に示すものは上記9.と同様である。
12.結び
 以上を総合した原判決の違憲、違法の核心を具体的、象徴的に指摘して結びとする。
 第一は、行政処分により被害を受ける国民が、裁判によってその違法を糺し、被害の予防、回復を求める途を全く封じたことである。
 高架鉄道と文字通り一体となる側道(環境空間)の地権者には、あたかもその途が残されているかのように見せているが、そうではない。側道の地権者の原告適格は、高架鉄道事業認可ではなく、ただその側道の認可に対してだけ認められるに過ぎない。そうすると、高架鉄道が違法であっても、取り消されるのは側道の認可に過ぎないから、勝訴した地権者は、自らの不動産は奪われないとしても、「側道のない」違法な高架鉄道が目前を走ることになり、住むに耐えないおそれのある状況に置かれることになる。すなわち、勝訴するとかえって生活環境が破壊されるという、不条理なことになるのである。
 地権者にも、というより、線路際にいる地権者こそこの侵害は凄まじい。健康と生活環境は、金銭では代償することの難しい、かけがえのない権利である。失うために訴訟を起こす者がどこにいるであろう。原判決の不条理はここに極まっている。
 原判決の本音は、争うに足る何人にも原告適格を認めないということである。
 第二は裁量統制の放棄である。この必要性は憲法における裁判所の役割からすれば当然のことであるが、長年にわたり充分でなかったために、行政の逸脱、腐敗は、多くの国民の等しく認めるところであり、最高裁判所も危機感を抱くに至っている。
 控訴審における公法学から土木工学にまで至る意見書の基調は、まさにここにあった。原判決も流石にこれを無視することは出来ず、「当然考慮されてしかるべき重要な要素が考慮されていたかどうか、逆に考慮されてはならない要素が考慮されていたかどうか、裁量権の逸脱、濫用の有無を検討する観点から審査を行う」(原判決77頁)と、あたかも裁量統制をしたかのように述べている。
 しかし実際は、「当然考慮されてしかるべき重要な要素」である筈の騒音ですら在来線についての環境基準がなかったからなどとしてこれを除外し、都市計画と環境とを切り離し、アセスメントが違法であっても、都市計画決定の効力には関係がないとか、さらには、行政の説明責任が今強く求められているのに、「住民説明会」が違法であっても構わないというに及んで、本件都市計画事業認可に至る官僚の犯罪を、悉く免責するに至っている。
 第三は、本件連立事業が、道路特定財源による道路、鉄道、再開発を一体とした我が国最大の公共事業であり、これを具体的に規律するものが道路法等による建運協定、本件要綱であることを、殊更無視していることである。
 同協定が、原判決の言う通り行政の内部規範であるとしても、これを定立した官側が自らこれを踏みにじることは許されないことはいうまでもないことである。ところが、原判決は何の具体的論拠もなく、法規範ではないことを唯一の理由として証拠も充分過ぎる程ある本件連立事業の厳然たる存在を否定している。
 裁判は何よりも事実から出発しなければならない。これこそが裁判の原点であり、民主主義の根幹である。事実を見ず、理屈だけで合理化しようとすること程、裁判を腐敗させるものはない。この一番大切なところから原判決は逃走したのである。ここには明らかに官の驕りと権力に対する怯懦そのものがある。
 最高裁判所が、かねて表明されているあるべき役割を果たされることを願ってやまない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二 各論
 
1.環境(公害防止計画との適合、法13条1項柱書等)についての法の解釈の
 違憲性及び平成11年判決の違憲性
 原審原告らは、当審において、法には、環境配慮を義務づける不文の規範が
存在していることからすると、原告適格の有無の判断に当たっては、当該事業
によって都市悪の増悪などがもたらされるか否かという判断基準を採用すべき
である旨主張する。
 ‥‥上記主張の趣旨は必ずしも明らかではないが、仮に、法上、環境配慮を
義務づけ、それに反することが違法を招来するような不文の規範が存在し、そ
れは個々人の個別的利益を保護するものであると主張する趣旨であったとして
も、以下のとおり、そのような主張は採用できない。すなわち、都市計画が歴
史的には都市の環境保全を図ることをその重要な目的の一つとしていたとして
も、そのことから、直ちに、法上‥‥環境配慮を義務づける不文の規範が内包
されているとまで解することができるのか疑問であるし、仮に‥‥内包されて
いると解することができるとしても、それが公益的観点からする環境配慮を超
えて、個々人の環境上の個別的利益を保護することを企図したものとまで解す
ることはできない。‥‥
 また、原審原告らは、上記環境配慮を義務づける不文の規範の存在や公害防
止計画の性格等に照らし、公害防止計画上の環境基準は、規制基準として都市
計画でも考慮、遵守されるべきものであって、都市計画が公害防止計画と適合
することを求めている法13条1項柱書き後段もそのような趣旨から規定され
たもので、単なる公益的見地からの規定ではなく、いわば環境配慮義務の具体
的な現れであって、個々人の個別的利益の保護を目的としていると解すること
ができる旨主張する。
 しかし、原審原告らの主張するとおり‥‥要求するものであったとしても、
そのことは、この規定が都市計画区域周辺の住民等、都市計画に関係する個々
人の環境上の個別的利益の保護まで企図しているという結論に直ちに結びつく
ものではない。法13条1項柱書き後段が規定する公害防止計画との適合性の
要件は、公害防止計画の決定自体において計画対象区域周辺の住民等の環境上
の個別的利益が保護されるかどうかはさておき、都市計画決定において重ねて
それらの住民等の環境上の個別的利益を保護しようとする趣旨とは解し難く
‥都市計画が公害防止計画の妨げとならないようにすることを規定したものに
すぎず、公益保護の規定というべきである。
 したがって、原審原告らの上記主張は採用できない。
 その他、原審原告らは、本判決において引用する最高裁平成11年11月2
5日第一小法廷判決は、行政訴訟における原告適格の範囲を順次拡大してきた
最高裁判例の流れに逆行するものであり、憲法32条にも違反する旨主張する。
 しかし、従来の最高裁判例に原審原告らの主張するような傾向が認められる
としても、都市計画事業の事業地周辺に居住する住民等の事業認可の取消しを
求める原告適格について判断を示した最高裁判例は、上記最高裁判決以前には
なかったものであり、原告適格の有無は、各事業ごとに個別に問題となった関
連法令に照らして判断されるべきものであって、上記判決がその事案における
原告の原告適格を否定したからといって、直ちに従来の判例の流れに逆行する
ものとは評価できないし、憲法32条に違反するものとも認められない。
                       (原判決57頁〜59頁)
 
 ここには2つの問題がある。第1に都市計画と法の環境配慮義務に対する理解の決定的欠落である。
「都市計画が歴史的には都市の環境保全を図ることをその重要な目的の一つとしていたとしても‥‥」(58頁)「不文の規範が内包されていると解することができるとしても‥‥」(同)「公益的観点からする環境配慮を超えて、‥‥個別的利益を保護することを企図したものとまで解することはできない。」(同)
 このくだりもまた、否定できないことについては「‥‥しても」といい、「個別的利益を保護する‥‥とまで解することはできない」と何の論証もなく断言する。しかし、都市計画に環境配慮の義務があることは、第二次大戦前、すなわち旧憲法の時代、さらにはそれ以前の時期においても、都市計画を多少わきまえている者にとっては常識であり、控訴審における原告側準備書面1の序論において都市計画学界を代表する一人である石川栄耀等の所論をひいて詳説した通りである。
 憲法の制定以降、とりわけ公害対策基本法が制定され環境問題が人類の存在に係わる新しい極めて重要な問題として認識され、大気汚染防止法、公害健康被害保護法、騒音規制法等の環境実定法が次々と成立し環境実定法秩序が形成された1960年代後半から1970年代以降、環境は都市計画における最も重要な要素となり、1969年制定された新法は、住民参加の原則(第3条)、都市計画の「基本理念」として第2条に「健康で文化的な都市生活‥‥を確保すべきこと」を第1に掲げたのである。
 判決は「‥‥しても」と言うが、不文どころか明文の規範があり、これを基本として法の各条項を解釈すべきなのである。いわずもがなであるが法の趣旨は単なる「公益(公益と私益を切り離して論ずること自体の誤りは総論で既に述べたところである)」としてこれをとらえているのではなく、都市の市民と「個別的」な生命、身体、生活環境をも保護するものであることは、法13条1項柱書に公害防止計画との適合が都市計画に求められることは当然の事理として定めているのである。
 公害防止計画は、公害対策基本法の環境基準を達成するために公害の危険がある特定の地域についての基本方針を定めたものであるから、特定の地域の市民の「個別的利益」を保護するものであることはいうまでもないが、公害にはそもそも特定の地域の特定の具体的被害者が存在するのであるから、実体法として公害健康被害補償法、騒音規制法、手続法として公害紛争処理法等、住民の「個別的利益」を保護すること自体を目的とした法律が環境実定法の一つの核心であることは言うまでもなく、法が都市計画が公害防止計画と適合することを求めているのは今述べたとおり極めて当然のことである。
 これをして「公害防止計画の決定自体において‥‥個別的利益が保護されるかどうかはさておき、都市計画決定において重ねて‥‥個別的利益を保護する趣旨とは解し難」いというのは、「重ねて」の趣旨が全く不明であり、論外である。法第2条、13条1項頭書等に対する甚だしい曲解であり、環境の有する今日的意義を全く理解しようとしていないと言うべきである。
 第2は、原告適格について平成11年判決に盲従し弁護しているくだりである。同判決の違憲性、判例違反等については既に別に論じているので繰り返さない。ただ注意しなければならないのは以下の通りである。
 原告適格について周辺住民に順次拡大してきた最高裁判例の流れについて「原審原告らの主張するような傾向が認められるとしても‥‥都市計画事業の事業地周辺に居住する住民等の‥‥原告適格について判断を示した‥‥判例は、上記最高裁判決(平成11年判決)以前にはなかったものであり、原告適格の有無は、各事案ごとに個別に問題になった関係法令に照らして判断されるべきものであって、上記判決が‥‥原告適格を否定したからといって、直ちに従来の判例の流れに逆行するものとは評価できないし、憲法第32条に違反するものとも認められない。」(59頁)
 法に関する解釈は「個別に問題になった関係法令」だけでなされるものではないことは言うまでもない。法の基本理念はもとより、憲法、上位法、関係法令を踏まえてなされるべきことは過言を要しない。
 そうだとすれば、「もんじゅ判決」はもとより「新潟空港判決」も先例たるべき判例であり、法に対する直接の判例は「川崎がけ崩れ判決」と言うことになる。いずれも周辺住民の原告適格は拡大してきたものである。平成11年判決はまさにこれに逆流するものであることを殊更に看過、弁護し、その論拠を「都市計画事業」については初めての判例で、先例とすべき判例は「関係法令」の各規定毎に振り分けて考えるというのは全くの誤りであるばかりでなく、判決の論理に従えば、鉄道と道路は「違う」のであるから、環状6号線等の道路に係わる道路についての判例を判決の言う「鉄道事業」に適用することもまた誤りということになる。
 都合が悪くなると判例すら細切れにしようとするところにこの判決の典型を見ることが出来るのである。
 このような原判決は、第一の2.乃至11.全てにおいて指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反を内包するもので、破棄を免れない。
 
2.建運協定、本件要綱の法的意義と原告適格の解釈に係る作為と違憲性
 そもそも、取消訴訟の目的は、行政処分の法的効果により個人の権利、利益
が侵害されている場合に、取消判決によりこの法的効果を消滅させ、個人の権
利、利益を回復させる点にある。都市計画事業認可について、事業地内の不動
産に権利を有する者に原告適格が認められるのも、前示のとおり、都市計画事
業の認可が告示されると、土地収用の対象になり得るなど、種々の法的効果が
及び、同人の不動産上の権利が侵害され、又は必然的に侵害されるおそれが生
ずるからであるところ、上記法的効果は、当該認可に係る都市計画事業の事業
地の範囲にのみ及ぶものであり、そうだとすれば、違法な都市計画事業認可に
よる権利侵害又は侵害のおそれを排除するためには、当該認可の限度でその取
消しを認めれば必要にして十分であって、取消訴訟の目的に照らし、不動産上
の権利を有する事業地以外の事業地に係る事業認可を取り消す必要までは認め
られない。
 したがって、ある付属街路事業の事業地に不動産上の権利を有する者に認め
られる原告適格は、当該付属街路事業認可の取消しを求める限度でのみ認めら
れ、それ以上に、本件鉄道事業認可や他の付属街路事業認可の取消しにまでは
及ばないものと解される。‥‥
 ‥‥
 しかし、まず、建運協定及び本件要綱に法規範性を認めることはできない。
 すなわち、建運協定は‥‥連続立体交差化に関する都市計画事業施行者(都
道府県)と鉄・軌道事業者との間の費用負担等について統一的な指導基準を設
けるため‥‥建設省と‥‥運輸省との間に締結された行政組織間の協定であ
り、法律の委任に基づいて定められたものではない。それは、国民の権利義務
に関わる規定でもなく、公布手続もとられておらず、行政組織間の内部規範に
とどまるものであって、法規範性、すなわち、それに違反することが違法を招
来するような法的拘束力を有するものとは認められない。なお、原審原告らは、
建運協定が‥‥締結当時の道路法31条の規定で定められていた建設大臣と運
輸大臣との協議及び裁定の基準をあらかじめ定めたものであることや建運協定
5条の規定からも、同協定が道路法等に基づく規範であることが明らかである
旨主張する。その主張の趣旨は必ずしも明らかではないが、仮に、建運協定が
‥‥当時の道路法31条に係る協議及び裁定の基準を定めたものであることや
建運協定5条の規定が、建運協定は道路法等の委任に基づいて定められたもの
であることを根拠付ける旨主張するものであったとしても、そのような主張は
採用できない。すなわち、道路法31条を含め、道路法上には、同条に係る協
議及び裁定の基準を協定として定めるべき旨の規定はなく、建運協定がその基
準となり得るものであるからといって、それが法令の委任に基づくものである
とは認められない。また、建運協定5条は、単に連続立体交差化に関する構造
が道路構造令等に定める基準に従うべきことを定めるものにすぎず、これをも
って、建運協定が道路法等の委任に基づいて定められたことを示すものとは認
められない。
 本件要綱も‥‥調査主体(都道府県等)に対して、調査の進め方、調査内容
の項目等を内部的に示したものであり、法律の委任に基づいて定められたもの
ではない。それは、国民の権利義務に関わる規定ではないし、公布手続もとら
れておらず、行政組織間の内部規範にとどまるものであって、法規範性、法的
拘束力を有するものとは認められない。‥‥
 なお、原審原告らは、建運協定及び本件要綱が行政規則、行政組織間の内部
規範であったとしても、行政組織間では、それに従うことが義務づけられてお
り、本件‥‥事業が法的に単一の事業として定められたものであることに変わ
りはない旨主張するが‥‥法規範性が認められない以上、本件の連続立体交差
事業が建運協定及び本件要綱に基づいて定められたものであったとしても、そ
れを「法的」に単一の事業と評価することはできない。
 また、‥‥「連続立体交差事業の手引き」(甲194)には、「側道に関する
都市計画は、‥‥側道と鉄道の高架化は、一体として計画され実施されるべき
ものであることを考慮して、鉄道に係る都市計画と同時に計画決定するものと
する。」との記載があるところ‥‥同手引きには法規範性は認められず、上記
記載も、原審原告らの上記主張の根拠となるものではない。
 その他、原審原告らは、道路特定財源に係る公的資金が、本件鉄道事業に充
てられていることからも、本件鉄道事業、本件各付属街路事業及び鉄道と交差
する道路に係る道路事業とで構成される連続立体交差事業が法的に一つの事業
であることは明らかである旨主張するが、独自の見解であって採用できない。
 また‥‥付属街路は‥‥環境に配慮し日照条例に準じて環境側道としてその
設置が計画されたものであり‥‥その計画を実施する本件各付属街路事業は
いわば鉄道の高架化を図る‥‥本件鉄道事業の適切性を環境面から支える従た
る性質を有しており、両事業が相互に密接な関係にあることは否定できない。
しかし、そのような性質、相互関係が、直ちに、その取消しを求める原告適格
との関係で、両事業の認可を一体的に考えるべき理由となるものではない。
 この点に関連して、原審原告らは‥‥本件鉄道事業認可が違法であれば、本
件各付属街路事業はもともと必要性、公益性を欠くことになり、その事業認可
も法的に正当化することができないという関係にあるから、本件各付属街路事
業認可の取消訴訟において、その前提となる本件鉄道事業認可の違法性を主張
できる旨主張する。確かに、仮に‥‥関係が認められるとすると‥‥あながち
不合理なことではない。そして、本件鉄道事業認可は行政処分として公定力を
有することを前提にした場合、その公定力を排除しなければ、本件鉄道事業認
可の違法性を主張できないとすると、本件各付属街路事業認可の取消訴訟にお
いて本件鉄道事業認可の違法性主張を可能とするために、本件鉄道事業認可に
ついての原告適格を認めて、その違法性を主張できる道を開くことが相当であ
ると考えられなくはない。
 しかし、本件鉄道事業認可が違法であっても、それが基礎とした9号線都市
計画が有効に存在している限り、参加人は‥‥瑕疵を改めて、再度鉄道事業認
可を得ることは許されるのであり、そのような将来の可能性をも考慮すると、
本件鉄道事業認可が違法であるからといって、直ちに、本件各付属街路事業認
可も事業の必要性、公益性を欠いて違法になるものとはいえず、本件各付属街
路事業の認可取消訴訟において、その前提となる本件鉄道事業認可の違法性を
主張することはできないものというべきである‥‥。
 そもそも‥‥付属街路は、小田急線の高架化に伴う日照への影響を軽減する
ことを主たる目的としてその設置が計画されたものであることは否定できない
としても、同時に、沿線地域内に発生集中する交通の処理や災害時の緊急車両
の通行に供するほか、災害時の救急活動の円滑等を図るとともに、地域の街づ
くりのために役立てることをも目的として、その設置が計画されたものである
‥‥。付属街路は‥‥道路としての独立の機能を果たすことが予定されて‥‥
それ自体、鉄道とは独立した一個の都市計画施設としての機能、実体を有して
いるものといえる。‥‥本件各付属街路事業が、本件鉄道事業と実質的に不可
分一体の単一事業であるとまでは認められない。
 以上のとおり、本件鉄道事業と本件各付属街路事業とが法的にも実質的にも
不可分一体の関係にあることを前提として、原告適格が認められる対象事業の
範囲を広く考える原審原告らの主張は、理由がなく、採用できない。
                        (判決60頁〜65頁)
 
 建運協定、本件要綱の規範的効力を一切認めない、さらには連立事業の厳然たる存在そのものまで殊更に無視するところにこの判決の違憲性、違法性が集中的に表現されている。これについては、第一の6.「建運協定、本件要綱および連立事業の法的意義」のところで詳論しているので、要点のみを述べる。
 建運協定は行政組織を拘束するだけではなく、鉄道事業者を拘束することは、原判決自身、鉄道事業者との費用負担等についての指導基準(61頁下から10〜11行目)であることを認めているだけではなく、都市計画の内容を特定する基準、すなわち連続立体という都市施設を特定する基準、これを前提とする調査、都市計画案の作成、アセスメント、情報公開、住民参加の手続等の基準であり、また、都市計画決定を国の重大な利害に係わるものとして、建設大臣が認可する基準、さらには補助金の交付の基準等になっているのであるから、行政組織内部における連続立体交差事業(施設といってもよい)という一つの制度を確立、規律している厳然たる事実があり、一方において、鉄道事業者に対してはそれ自体「指導基準」として拘束しているばかりでなく、これが都市計画事業認可の段階に至れば、地権者、沿線住民の権利に直接及ぶことになるのであるから、以上の判決の理由は、論理以前のものといわなければならない。
「原告らは‥‥建運協定が内部規範であっても、法的に単一の事業と定められていることに変わりはない旨主張するが、建運協定等に法規範性が認められない以上、連続立体交差事業が建運協定等に基づいて定められたものであったとしても、それを「法的」に単一の事業と評価することはできない」
 ここに至って明らかな論理の破綻。殊更な事実の無視の存在が明白となる。
 さらに論外なところをふたつだけ指摘する。
 ひとつは、高架鉄道と側道との関係は主従の関係にたつ「密接な関係」であると言いながら、「原告適格との関係で、認可を一体的に考えるべき理由にならない」と断定して、「鉄道事業認可が違法であっても、それが基礎とした9号線都市計画が有効に存在している限り、参加人は‥‥鉄道認可における瑕疵を改めて再度鉄道認可を得ることは許されるのであり(ただし都市計画が無効な場合、当然こういえる。)そのような将来の可能性をも考慮すると、鉄道認可が違法であるからといって直ちに‥‥附属街路事業の認可も事業の必要性、公益性を欠いて違法となるものとはいえず、‥‥街路事業認可の取消訴訟において、その前提となる本件鉄道事業認可の違法性を主張することはできない」とまで言うところである。
 これはその前段において、鉄道の事業認可を認めることがあたかも相当であるかのごとく述べる部分と相まって、二重の欺瞞がある。
 第一は「相当であると考えられなくはない」とは本当に考えているのか。
 第二は、認可の取消は「やり直し」を命ずる限度における無効判断(旧式にいえば公定力の排除)であるのは行政法の常識であり、瑕疵を治癒すれば「やり直し」が出来ることは、都市計画決定の場合もそうであり、鉄道事業認可プロパーの問題ではない。
 そして大事なことは、いずれが違法であっても、附属街路の地権者はその認可の取消を得られる利益、すなわち「やり直し」をさせる利益があることに全く変わりはないことである。
 もうひとつは、これに続く「側道が日照への影響を低減することを主たる目的(騒音をあえて除いている。筆者注)として、その調査が計画されたことは否定できないとしても同時に‥‥交通の処理や災害時の緊急車両の通行に供するほか‥‥地域の街づくりのために役立てることをも目的として、その設置が計画された‥‥環境空間としての機能を果たすだけでなく、道路としての独立の機能を果たすことが予定されているものであり、それ自体、鉄道とは独立した一個の都市施設としての機能、実態を有しているものといえる」
 これは鉄道と側道を切り離すための唯一の「実質論」としたいもののようであるが、ここはこの判決の意図的な虚構の作為が実によく表れている。
 これは「実質的」にしようとすればする程、実質に反する典型であることは見る人が見れば容易に分かることである。そもそも連立事業の実質、すなわち本体は官側が自認し、公然と国民に流布している通り「まちづくり」事業であるから、側道が「まちづくり」の一環であることは、連立事業の柱である鉄道事業と切り離すことにはならず、その反対であるばかりではない。あくまでも側道は高架鉄道を前提とするものであり、地下鉄の場合は要らないのである。しかも地下にすれば、12メートル以上ある地表の鉄道事業用地が更地となるのであるから、判決のいう災害避難等「街づくり」に役立つことは勿論、緑の環境空間をも創り出す道路が充分作れるのである。側道地権者に被害を及ぼすのと反対に、利益をもたらす空間(言いたければ道といってもよい)ができる訳である。
 側道は高架鉄道の場合だけ必要となる特別の空間であるのは、厳然たる事実なのであって、かかる虚構により否定出来るものではあり得ない。
 このような点で、原判決は、第一の2.乃至11.全てにおいて指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反を内包しており、さらには理由不備・理由齟齬をも伴っており、破棄を免れない。
 
3.事業認可申請と信義則違反に対する判断の違憲性
 ‥‥当時の五十嵐広三建設大臣の指示に基づき、住民側と協議が継続してい
たにもかかわらず、本件各審理対象認可を含む本件各認可の申請が行われたも
のであったとしても、そのような対応が本来極力住民の理解を得た上で手続を
進めるべき立場にある行政庁の対応として妥当なものであったか否かはさてお
き、直ちに認可申請が信義則に反し、申請権の著しい濫用に該当して、申請自
体の違法を招来するものとまでは認められず、他に、本件各認可の申請が信義
則に反し違法なものであることを認めるに足りる証拠はない。‥‥法1条ない
し3条の総則規定をもって、都市計画決定又は都市計画事業の認可の効力要件
であるかのように主張する部分があるが、‥‥いずれも、法の解釈及び適用に
ついての一般的指針とはなり得ても、法に基づいて行われる個々の行政処分の
適法要件を定めた規定でないことは明らかである。その意味で、上記主張も、
本件各認可の申請が法1条、2条、3条に違反するとの点は、失当である。
 ‥‥五十嵐広三建設大臣が本件各事業の凍結を指示したことを認めるに足り
る証拠はないし、仮に、そのような指示があったとしても、本件各審理対象認
可を申請することが違法になるものとは解されない。
(判決69頁〜70頁)
 
 法は、その第3条において、国及び地方公共団体とならんで住民の責務を定めていることは、民主制社会における都市計画は、その本来の歴史的性格に照らしても、国民主権の原則(憲法前文、第1条等)、地方自治の本旨としての住民自治の原則(同第92条)からしても、官吏が定めることを原則とした旧憲法とは反対に、住民が直接参加して定めるべきことを明らかにしたものであり、これは住民参加の原則といわれ、法の基本原則であることを公然と否定するものはまずあるまい。
 法の都市計画決定や都市計画事業認可へ至る手続がこの原則を充分担保しているかは別論であるが、少なくとも、都市計画手続の法的適否について判断する場合の出発点であることは言うまでもない。個々の行政処分の「効力要件」と目的、理念、原則を切り離して論じることは許されないのである。
 しかし判決は、ここだけではもとよりないが、解釈、運用の一般的指針に過ぎないとして切り離し、「効力発生要件」に反しない限り「違法ではない」とするのである。行政行為一般に公務員の裁量が存在することはいうまでもないし、その範囲もその種類によって様々であるが、そうであればこそ、その行政行為の法的適否を判断するに当たってはその法の憲法上の位置、目的、理念、原則に充分配慮しなければならないのは裁判所のミニマムの義務であろう。ところが判決は、この部分の判断を見ただけでも、これを果たしていないことが歴然としている。
 法が住民参加の手続として公告縦覧、意見書の提出、公聴会等、わずかな具体的手続しか定めていないとしても、必要な手続がこれに尽きるものではないことはいうまでもない。情報公開条例(現在はいうまでもなく形式的法として確立しているが、その理に変わりはない)に具体化されていた地方公共団体の「説明責任」は昭和50年代に確定しており、市民の常識になっていた。したがって住民参加の原則を実効的、具体的に規範化することこそ裁判所に求められ、今は行政訴訟改革等司法全般の極めて大きな課題になっているのである。
 この観点からするならば、法の明文の手続ではなくとも、行政がその「裁量」によって必要なものとして設定した手続や機会を蹂躪することは許されないことはいうまでもない。法の明文の規定でないから違法とまではいえない等というのは論外である。
 本件事業認可の申請前、そして本件都市計画決定がなされた平成5年11月2日、当時の建設大臣五十嵐広三から、東京都に対し住民側が提起した地下方式の代替案について住民側と相互に資料を出し合って協議するよう指示があったことは、被告側も認めている明白な事実である。代替案についての協議について、これを誠実になすべきことは述べるまでもない。協議は平成6年1月から具体的に開始された。東京都が秘匿していた本件調査報告書の鉄道計画等、協議を進める上で核心となる部分が東京地方裁判所民事第2部(裁判長秋山寿延)の勧告により開示されたのは同年3月8日である。従って、この後こそそれにふさわしく協議が進められることはいうまでもなく、事実そうなろうとしていたのである。以上の事実は証拠上明白であるし、被告側もあえて争っていない。にもかかわらず、というよりも、本件調査報告書が開示され、ためにする比較設計等、本件調査の問題点とそれまで東京都等が住民側に「説明」してきた数々の虚偽が隠しきれなくなったために、情報開示の直後である4月19日に事業認可申請を強行して協議を打ち切ったのである。このようなやり方はいかにも卑怯であり、非常識である。
 これをして「信義則」違反といわずに何というべきであろう。裁量権の濫用もいいところである。これを充分承知しながら判決は「五十嵐建設大臣の指示に基づき住民側と協議していたにもかかわらず、‥‥認可申請されたものであったとしても、信義則に反し、‥‥申請全体の違法性を招来するものとまでは認められない」、さらに加えて、事業の認可を凍結する「指示があったとしても‥‥認可申請が違法になるものとは解されない」とまでいうのである。ここに示されているのは、たんなる法の重大な解釈の誤りだけではない。論理の筋道がたたなくなると「信義則に反し違法であることを認めるに足りる証拠はない」と事実認定へとすり替えていることである。この「解釈の筋道」と「事実認定」の抱き合わせはこの判決の一つの大きな特徴である。
 従って、これを評価するに当たっては、解釈の筋道を追うだけでは足りない。都合の悪いところはみずからの専権だと考えている「事実認定」に、もとより明確に存在する証拠とそれによって充分証明されている事実をことさら無視したうえでの話である。
 証拠法則、社会通念に全く反して事実を見ず、「解釈の理」の綻びをごまかすことは、裁判所にあってはならないことではなかろうか。
 このような点で、原判決は、第一の2.、同3.、同4.、同5.、同6.、同7.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反を内包しており、さらには理由不備のまま独自の法解釈、独自の事実認定を示して、自らが当初から意図した結論を導いており、破棄を免れない。
 
4.事業認可に至る適正手続に対する判断の違憲性
 ‥‥憲法31条の手続的保障が行政手続にも及ぶとしても、‥‥行政処分の
相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、当該処分により
制限を受ける権利、利益の内容、性質、制限の程度、当該処分により達成しよ
うとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであ
って、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解さ
れる‥‥。そして法59条に基づく都市計画事業の認可により制限される権利
は、当該事業に係る事業地内の不動産についての財産的権利であること、その
制限態様は、事業地内において当該事業の施行の障害となるおそれがある土地
の形質の変更、建築物の建築、その他工作物の建設を行うこと等が制限され(法
65条1項)、事業地内の土地建物等を有償譲渡しようとする際には、施行者
に優先的にこれらを買い取ることができる権利を与えられるほか(法67条)、
土地等が収用、使用の対象とされるというものであること(法69条以下)都
市計画及びその事業認可は、都市の健全な発展と秩序ある整備を図るという公
共の利益を達成しようとするものであること、事業認可の前提となる都市計画
の段階では、都市計画を決定する都道府県知事又は市町村は、都市計画の案を
作成しようとする場合において必要があると認めるときは、公聴会の開催等、
住民の意思を反映させるために必要な措置を講ずるものとされ(法16条1
項)、また、都市計画を決定しようとするときは、その旨を公告するとともに、
当該都市計画の案を公衆の縦覧に供しなければならないものとされ(法17条
1項)、上記公告があったときは、住民や利害関係人は、都市計画の案につい
て、意見書を提出することができるものとされている(同条2項)など、認可
に至るまでに、事業地内の不動産について権利を有する者が事業の前提となる
都市計画について意見を述べる機会が与えられていること等にかんがみれば、
事業認可に当たり、事業地内の不動産について権利を有する者に対し事前に告
知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくとも、これをもって、憲法31
条の法意に反するものということはできない。
(原判決70頁〜72頁)
 
 「憲法第31条の手続保障が行政手続に及ぶとしても」というが、これはまず及ぶのか及ばないのかという判断を回避している。後述する通り、本件事業認可の手続において事前に告知、弁解、防御の機会を与えないことは同第31条の法意に反しないという結論を導いているのであるから、「及ぶにしても」というのは、この結論に持っていくための言葉の綾に過ぎないと評価せざるを得ない。すなわち「及ばない」というのが本音なのである。
 しかしこのような判断が学説、判例に明確に反することは、判決が挙示する最高裁平成4年7月1日大法廷判決民集46巻5号437頁自体からも明らかである。行政処分が国民の基本的人権を侵害するものである限り、とりわけそれが生命、身体、生活環境等の人格権である場合には、31条の法意が及ぶことはいうまでもないし、このことは同判例も指摘しているのである。
 そこで判決は、事業認可により制限は地権者の財産権にしか及ばないとして、この問題をクリアーしようとしている。しかし事業認可の効力はこれに尽きるものではなく、まずなによりも都市計画事業を施行する許認可である(この点は学説、判例の常識であった。例.土地改良事業認可について平成4年1月24日最高裁第二小法廷判決)。ところが、控訴審の最終準備書面等において原告が、また控訴審における奥平康弘の意見書(甲260号証)、原田尚彦意見書(甲211号証の2)等公法の著名な学者が論じたところの平成11年判決がこれらに全く相反する判断を示した。判決はこれをそのまま借用しているのである。しかし本件都市計画事業が施行されれば、地権者の財産権のみならず、沿線住民に対し騒音等の人格権を侵害する恐れが充分あることはいうまでもないことである。従って、地権者のみならず沿線住民に対し、人格権侵害が生ずることを防止するための告知等、憲法第31条の適正な手続の法意が及ぶのは極めて当然のことである。
 この点は判決はことさら無視し、事業認可の権利制限は財産権に過ぎないとすり替え、誤魔化しているのである。
 従って、都市計画決定の後、事業認可をする前に住民らに対する告知等の適正手続を法が具体的に定めていないことは、憲法第31条の法意に反することは明らかで、都市計画案の公告、縦覧、意見書提出等の定めで足りるものでは全くない。しかもこれらは、判例において処分性がいまのところ否定されている都市計画決定に至るまでの手続にすぎず、国民の権利を具体的に左右する行政処分たる事業認可に至る手続になんの具体的定めがないことは、第31条の法意から到底看過できないことであろう。しかし本件において特にこれが問題となるのは、具体的定めがなくとも、1で述べた通り憲法上の行政の説明責任に基づき、建設大臣の指示、裁判所の和解勧告等によったものとはいえ、東京都が情報公開をして協議を設定しておきながら、他方においてこれに全く反する事業認可申請を行ったこと自体、またこれを充分承知の上で事業認可に及んだことが憲法第31条の法意を極めて明確に踏みにじっていることなのである。
 従って、単に法の規定が存在しないということだけをあげて違憲といっているのではない。このような具体的過程に基づく認可が違憲であると主張している。そしてこの具体的経過は1で述べた通り、被告らがあえて争うことが出来ない程充分な証拠があるのである。
 判決はこれをことさら事実から切り離し、あたかも法が具体的規定を定めていないことだけを違憲と主張しているかのようにすり替えていることは違憲であるだけでなく明らかな理由不備と言うべきである。
 このような原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反を内在しているばかりか、明らかな理由不備、理由齟齬があり、破棄を免れない。
 
5.とりわけ鉄道と側道を細切れにする作為と殊更な虚構の違憲性
 ‥‥原告らは、本件各事業と本件線増事業が不可分一体のものであることを
前提に、細切れ認可の違法を主張するが、この主張が、本件各付属街路事業が、
本件鉄道事業や本件線増事業と別に認可されたことについても、細切れ認可と
して違法である旨主張するものであったとしても、以下のとおり、そのような
主張は採用できない。
 すなわち、本件各付属街路事業は、本件各付属街路都市計画を基礎とするも
のであり、本件鉄道事業や本件線増事業とは、基礎となる都市計画が異なるも
のである。法上、個別に決定された各都市計画について、それが相互に関連す
る場合に、一体の事業として一個の事業認可を受けるべき旨定めた規定はなく、
本件鉄道事業や本件線増事業とは別個に、本件各付属街路事業認可の申請がさ
れ、それが認可されたことが違法になるものとは認められない。
 また、原審原告らの上記主張が、都市計画決定が個別にされたことも違法で
ある旨主張する趣旨であったとしても、前示のとおり、各付属街路は、小田急
線の高架化に伴う環境空間としての機能を果たすだけでなく、道路としての独
立の機能を果たすことが予定されていたものであり、鉄道とは別個の都市計画
施設と評価できるものであって、本件各付属街路都市計画が9号線都市計画と
は別に都市計画決定されたことが、法13条1項柱書き前段で要求される都市
計画の一体性、総合性に反するものとは認められないし、本件各付属街路都市
計画に係る都市計画決定の違法を招来するものとも認められない。
(原判決72頁〜73頁)
 
 連立事業(施設)が道路法、鉄道事業法等による建運協定により特定される1つの複合都市施設であることは既に述べた通り(第二.判決に則した論点1、(イ))、証拠によって充分示された厳然たる事実である。従ってこの複合都市施設は一体のものとして都市計画決定され、都市計画事業認可の対象とされるべきであることは前述の通りである上、法11条4項のいう施行者が都市計画事業施行者が都市計画において定められるべきものとされている(建運協定第3条)ところからも極めて明白である。特に都市計画決定について言えば、連立事業(施設)は市町村が定めるべきものではなく、法第15条1項3号(同法施行令9条)の政令で定める広域的根幹的都市施設であることは言うまでもなく、これについては同項柱書により都道府県知事が定めるものとされていることから、さらに鉄道と道路が法18条3(同法施行令14)により、国の利害に重大な係わりがあり、予め建設大臣の認可を要する都道府県知事の定める都市計画であることを合わせ考えれば、高架方式の連立事業(施設)の不可欠な要素である側道を切り離し、市町村で定めることの出来ないことは極めて明確である。
 判決は連立事業(施設)が単なる鉄道高架事業と全く異なる道路と鉄道の複合都市施設であること(これは建運協定、要綱自体から明確であるばかりでなく、証拠が十分すぎるほど証明している事実、例えば単なる高架鉄道には見られない道路新設のための「穴あけ」(甲226号証)等の施設が一つの軸となる道路を作ることを主たる目的とした施設であること)をことさら無視していったために、かかる重大な法と事実に対する評価の誤りを生じているのである。
 同時に一体となって施行されるべき都市計画事業について、これを高架鉄道と側道を別のものとして切り離して認可すること(線増事業についても同様であるが、後に詳論する)は、そもそも施行者を都道府県としている建運協定に全く背反するばかりでなく、法13条1項柱書前段で要求される都市計画の一体性、統合性に全く反する合理性のかけらもないものであるから、その違法は重大かつ明白である。
 このような原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をおかしていると同時に、作為と虚構を基に築かれたその論理には明らかな理由不備があり、破棄を免れない。
 
6の1.「裁量統制」の著しい欺瞞の違憲性
 同124頁21行目の「すなわち」から25行目の末尾までを「そして、そ
の場合の審査方法としては、行政庁の第一次的な裁量判断が既に存在すること
を前提として、その判断要素の選択や判断過程に著しく合理性を欠くところが
ないかどうかを検討すべきであり、具体的事案における行政庁の判断過程にお
いて、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等によりその判断
が全く事実の基礎を欠くかどうか、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこ
と等により判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くかどうか、当然考慮さ
れてしかるべき重要な要素が考慮されていたかどうか、逆に考慮されてはなら
ない要素が考慮されていたかどうか、それらの考慮の有無の結果、決定された
都市計画の内容が著しく妥当性を欠くものになっていないかどうか等の裁量権
行使の著しい不合理性を示す事象の有無を中心とし、裁量権の逸脱、濫用の有
無を検討する観点から審査を行うべきものと考えられる」と改める。
(判決76頁〜77頁)
 
 判決は、第1審判決の裁量統制の総論部分(「5、争点2(3)都市計画決定の適法要件124頁)をわざわざ改め、「審査方法としては‥‥その判断要素の選択や判断過程に著しく合法性を欠くところがないかどうかを検討すべきであり、当然考慮されてしかるべき重要な要素が考慮されていたかどうか、逆に考慮されてはならない要素が考慮されていたかどうか等の‥‥観点から審査を行うべきものと考える」と、あたかも控訴審の原田尚彦意見書等が指摘しており、また公法学界の定説(東京高裁日光太郎杉白石判決はその好個の判例である)となっている、行政裁量に対する判断過程統制の理論を採用したかのような表現をしている。これは控訴審における原告側のこの点に関する立論を否定できなくなったからではあろうが、もしそうであるとすれば、本件をまさにその「観点」から充分吟味しなければならなかったはずである。ところがすでに述べたところからでもわかるところであるが「行政の説明責任」としてなされた本件都市計画案の説明会に対する判断だけを見ても、そのような「観点」が全くないことが直ちに分かるのである。
「小田急電鉄の職員等が動員されていたとしても」
「説明会が円滑に行われず‥‥(住民側の)要望をみたすことがなかったとしても」
 またもや「〜しても」なのであるが、これは歴然たる事実であり、被告らはこれを認めているばかりでなく、当時、東京都都市計画局都市交通整備室長古川公毅証人などは「どなたが参加してもよい。動員するのも構わない。」とさえ、別件第三セクター訴訟の法廷の証言において述べており、このやり方は「東京都の指示、要請に基づくものであることを認めるに足りる証拠はない」(以上原判決87頁)どころか、証拠は充分過ぎる程あったのである。
 この判決の「解釈」と「事実認定」の使い分けの本質は、既に述べたところだからあえて繰り返さない。
 説明会を東京都、世田谷区と共に、事実上の本件事業の施行者(この点は争いのない事実である)小田急等の職員らが「動員され、その結果、住民の疑問、意見が封じられるおそれが生じたとしても」、行政の判断過程の違法を構成する要素にすらならないというのである。
 東京都が指示しようとしまいと、少なくとも小田急側の動員による説明会の妨害を東京都は野放しにしていたことは、以上からだけで明白であるのに、これは「判決」から見れば許されたものであり、判断過程の違法とは何の関係もないということになる。
 「説明会」の意義について、説明責任の重大性が極めて明確になり、小学生ですら承知している概念をあえて述べるまでもあるまい。このような問題についてすら、少なくとも裁判所にこそ求められる確たる認識は全く見られない。かかる裁判所が「判断過程」の統制が必要な如く言うのはまさに羊頭狗肉を売るものであり、法の良心にのみ従うべき裁判官に到底許されない、違憲というべき所為ではなかろうか。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をおかしていると同時に、憲法上司法に与えられた役割を放棄した当然の結果ともいえるその審理不尽は甚だしく、結論に至るにあたっての理由不備は明白で、破棄を免れない。
 
6の2.側道の評価の重大な誤りと殊更な虚構の違憲性
 ‥‥本件各審査対象付属街路都市計画に係る付属街路は、一般国道又は都道
府県道に該当せず、また幅員16メートル未満であることから‥‥法15条1
項3号(法施行令9条2項1号ロ)の都市計画には該当せず、法15条1項に
より、市町村が定めることとなる。そして、特別区は、原則として市が処理す
る事務等を処理するが‥‥、その例外として、法87条の2第1項により、市
町村が定める都市計画のうち制令で定めるものは都が定めるものとされてい
る。
 本件各審理対象付属街路都市計画は、本件事業区間における小田急線の高架
化に伴い環境に配慮して日照への影響を軽減するとともに。沿線地域内に発生
集中する交通の処理や緊急車両の通行に供するほか、災害時の救急活動の円滑
等を図り、また、地域の街づくりのために役立てることを目的として、小田急
線の高架化部分に沿って関連側道を設置することをその内容とするものであ
る。
 本件各審理対象付属街路都市計画に関係する国土計画としては国土総合開発
法‥‥に基づく第四次全国総合開発計画‥‥、地方計画としては首都圏整備法
‥‥に基づく首都圏基本計画‥‥及び首都圏整備計画‥‥が存したところ、本
件各付属街路都市計画は、上記のような目的、内容に照らし、上記各計画の妨
げになるものとはいえず、同計画に適合するものと認められる。
 また、世田谷区においては、東京都が、公害対策基本法‥‥19条に基づき
東京地域公害防止計画を定めていたところ、本件各付属街路都市計画は、上記
のような目的、内容に照らし、上記計画の妨げになるものとはいえず、同計画
に適合するものと認められる。
(判決77頁〜79頁)
 
 判決は、側道は「一般国道又は都道府県道に該当せず、また幅員16m未満であること等から、法15条1項3号の広域的、根幹的都市施設に該当せず、世田谷区が都市計画を定めることになる」としているが、これはあくまでも側道が高架式連立事業から切り離された、道路固有の独立した都市施設とした場合に成り立つものであり、これが法令と事実に全く背反するものであることは、既に詳述したところである。
 一言だけ繰り返す。側道は、高架式連立施設の日照、騒音対策等、環境空間として建設省の通達として位置づけられており、道路としての完結性を有しないことも建設省の「手引き」や「道路実務講座2」(甲第220号証の2、同号証の1)等の解説書にも明記されているところであり、かつ、この前提で国が施行主体である東京都に補助金を交付し、東京都が建運協定、調査要項に従って、高架鉄道を一体として設計し、施行される。用地の取得も、連立事業費の中から東京都が調達し、買収もしくは収用し、その用地は東京都の所有地になる。世田谷区が側道に係わるのは、東京都の意思に従って都市計画決定手続をふむことだけであり、行政として実質的に係わるものは何もなく、形ばかりのものに過ぎないのである(詳細は上告人らの控訴審最終準備書面(その2の2)「第三 2.高架鉄道と側道の都市計画を振り分ける不合理」等、控訴審における本件関連準備書面参照)。従って、側道それ自体の都市計画決定は、実質的には原判決も認める通り、全く存在しないのであるから、これ自体の適否を論ずることはおよそ無意味である。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をおかしていると同時に、社会通念・経験則に著しく反する事実認定と虚構を基に築かれたその論理には明らかな理由不備があって、その審理不尽は甚だしく、破棄されなければならない。
 
 
 
7.平成5年決定を判断対象とした作為の違憲性
 同127頁1行目の「変更」から3行目末尾までを「このような都市計画に
おける変更決定の特性に照らせば、見直しの結果された変更決定は、変更しな
かった部分については従前の都市計画のとおりとするとの決定をも同時に包含
するものであって、その変更決定の適法性の判断においては、法21条2項前
段にいう軽易な変更がされたときは格別、変更しなかった部分及び変更した部
分を併せて都市計画のうちの未実施部分全体について、当該変更決定をその判
断対象とすべきものと解するのが相当である。なお、変更決定において変更部
分が明示的に表示されることの反射的効果として、既存の決定と対比すること
により不変更部分も当然に特定されることからすると、変更決定において、変
更しなかった部分についても、従前の都市計画のとおりとするとの意思が黙示
的に表示されているものと解することができ、行政行為が有効に成立したとい
えるためには、意思決定が何らかの形式で外部に表示されることが必要である
としても、変更されなかった部分について、その意思決定の表示に欠けるもの
とはいえない。」と改め、4行目から7行目まで及び8行目の「被告は、」から
128頁3行目の「また、」までをいずれも削除する。
 同128頁25行目から129頁2行目までを次のとおり改める。
「以上の事実からも、本件において、平成5年決定が違法判断の対象とされる
べきことが実質的に裏付けられる(平成5年決定に係る変更は、法21条2項
前段(法施行令15条、法施行規則13条)にいう軽易な変更にも当たらない。)。
 なお、原審被告は、成城学園前駅付近を除く本件事業区間について構造形式
を嵩上式(高架式)に決定したのは昭和39年決定である旨主張する。確かに、
前記認定のような昭和39年決定の際の東京都市計画地方審議会における説明
内容(小田急線の喜多見から代々木八幡に至る区間については、地形に応じて
高架化を計画し、高架化に当たっては、地形に応じて鉄道を高架にしたり地表
を通したりするものであり、小田急線を複々線化する際に、平面踏切を極力な
くそうとする構想である旨の説明)、同審議会への付議の際に添付され、また、
昭和39年決定の告示に基づき縦覧に供された「東京都市計画高速鉄道網図」
中において喜多見駅付近から代々木上原付近までの区間について「高架または
地平区間」と表示されていたこと、昭和60年変更の際の東京都市計画地方審
議会においても、昭和39年決定において、小田急線の線増及び一部区間を除
く高架化が決定されている旨説明されていたこと‥‥に加え、関連証拠‥‥を
併せ考慮すると、昭和39年決定は、本件事業区間を含む小田急線の路線につ
いて、複々線化するとともに、基本的に高架化することをその内容とするもの
であったと認められ、本件事業区間の構造は昭和39年決定において既に定め
られていたともいえる。しかし、そうであるとしても、変更決定に係る違法判
断の対象についての前示のような考え方に照らせば、平成5年決定が本件にお
ける違法判断の対象となることに変わりはない。」
(判決79頁〜81頁)
 
 平成5年決定が判断の対象となるべきは当然であり、官側の主張していた昭和39年決定ではないことは当然のことであることは、その実質的論拠も含めて既に述べた通りである。しかし、判決がこの点について官側の主張を「退けた」のは、原告の主張を認めたものでもなければ、連立事業(施設)の存在を認めたものでもない。判決文を一読すればもとより明らかであり、既に述べたところからも充分分かることであるが、平成5年決定の適法性、すなわち官側の判断過程に何の違法もなく、従って裁量権の濫用、逸脱がないことをいうためであったのである。
 ここには、本件が第1審判決における勝訴をひとつの機会として、これほど大きな社会的行政事件になったことに対する明らかな敵意があるといわざるを得ない。高架鉄道の事業認可を側道の地権者は争えないが、都市計画決定については争えるとしたのは、まさにこのためであったのである。
 あえて法と事実を無視し、好きなように「事実」を作りかえ、もっともらしく論ずることは、前述した良心に従い独立して職権を行使し、憲法と法律にのみ拘束されて公正な裁判をなすべき重い使命を有する裁判官が最も回避しなければならないことは過言すべくもない。判決はこの点において、証拠法則や民事訴訟法を踏みにじる甚だしい法令違反にとどまらぬ違憲(憲法第76条、第32条等)があるというべきである。
 このことは証拠上、昭和39年決定が旧法時代の地下鉄のルート決定であって、郊外私鉄であった小田急線のそれではなく、ましてや、高架複々線のものではなかったことは明確であり、そのこともあって判決は判断の対象を平成5年決定にしたという側面は否定できないにもかかわらず、あえて昭和39年決定が「小田急線‥‥において複々線化するとともに、基本的に高架化する内容のもの‥‥本件事業区間の構造はすでに定められていたともいえる」とまで述べている。もしそうだとするならば、平成5年決定において何故変更しなければならなかったのかという疑問が直ちに湧いてくるところであり、このような予断こそ、この判決の本質を示して余りない。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反があり、破棄されなければならない。
 
8.本件調査、環境影響評価等の手続と都市計画決定の手続の適法性との関係に
 対する判断の違憲性
 ‥‥原告らは、@本件調査報告書の作成に当たって、地元自治体である世田
谷区や住民の意見が全く聴取されなかったこと、A事業主体である東京都は、
自らがその作成を行わずに、小田急電鉄に委託し、さらに、同社から民間会社
に委託されたこと、B事業方式の検討において、最良の代替案である二線二層
方式のシールド工法による地下式についての検討を欠く点で、代替案の検討も
不十分であること、C環境影響評価において、列車の運行速度を著しく低く設
定して環境への影響の評価をしていないこと、これらは、いずれも本件要綱に
違反する旨主要する。
 しかし、本件要綱が法規範性を有するものではないことは前示のとおりであ
り、本件要綱に違反するからといって本件調査報告書の作成上何らかの違法が
あったと認めることはできない以上、原審原告らの上記主張は、主張自体失当
といわざるを得ない。また、そもそも、本件調査や本件調査報告書の作成自体、
法上、都市計画決定の手続的要件とはされていないのであり、その意味でも、
平成5年決定の適法性との関係で、本件調査や本件調査報告書の作成に係る違
法を主張することは失当である。
 ‥‥原告らは、東京都において、既に下北沢区間について地下式を採用する
ことを決定していたにもかかわらず、同区間を都市計画の対象から外すことに
より、梅ヶ丘駅付近における設計を高架式に有利になるようにしており、その
ような作為は極めて不当である旨主張する。
 しかし、仮に、本件調査報告書の作成上、原審原告らの主張のような不当な
作為があったとしても、前記のとおり、本件調査や本件調査報告書の作成自体、
都市計画決定の手続的要件とはされていない以上、それが平成5年決定の手続
的な違法を基礎付けるものとは認められず、主張自体失当である。
 ‥‥原告らは、本件調査の調査結果の公開を住民に約束していたにもかかわ
らず、また、原審原告らにはその調査結果について知る権利があったにもかか
わらず、東京都は、その公開を拒否したものであり、本件各事業には基本的な
問題がある旨主張する。
 しかし、法上、連続立体交差事業調査の調査結果の公開が都市計画決定の手
続要件とはされていない以上、本件調査の調査結果の公開を拒否することが、
平成5年決定の手続的な違法を招来するものとは認められず、主張自体失当で
ある。
 ‥‥原告らは、上記各事由が、法13条2項、61条1号に違反する旨の主
張もする。しかし、いずれの条項も、都市計画決定の実体的要件又は手続的要
件を定めたものとは解されず(法13条2項は、都市計画がともすれば産業の
利便を優先しがちであったこと、立法当時も住宅問題が緊迫している状況にあ
ったことにかんがみ、「住宅の建設及び居住環境の整備に関する計画」を定め
なければならないとしたものであり、都市計画が適合すべき一般的な都市計画
基準を定めたものとは解されない。)、主張自体失当である。‥‥
 ‥‥原告らは、上記各事由が法13条1項柱書きに違反する旨の主張もする。
しかし、法13条1項柱書きは、前示のとおり、都市計画決定の実体的要件を
定めたものであるが、本件調査や本件調査報告書の作成自体とは直接関係する
ものではなく、原審原告ら主張の本件調査や本件調査報告書の作成上の瑕疵、
問題点がその調査結果を基礎として判断された平成5年決定の実体的な適法性
‥‥を判断する上での考慮要素の一つとなり得ることはさておき、そのような
瑕疵、問題点が直接平成5年決定の違法性を基礎付けるものではなく、主張自
体失当である‥‥。
 ‥‥原告らは、東京都環境影響評価条例に基づき本件事業について実施され
た環境影響評価手続について、代替案の検討を欠く点で同条例9条1項3号に、
本件調査報告書の公開を拒否した点で同条例5条及び東京都情報公開条例9条
5号、7号、8号に、大気汚染等の必要なアセスメントを実施していない点で
東京都環境影響評価条例10条に、事業地域を分断して事業完成後の影響とか
け離れた予測数値しか提示しないといういわゆる細切れアセスメントの点で同
条例9条2項にそれぞれ違反するものであり、また、環境影響評価の内容自体
にも問題があるのであって、ひいては都市計画決定手続についても違法がある
旨主張する。
 しかし、法上、東京都環境影響評価条例に基づく環境影響評価手続を経るこ
とや本件調査報告書の公開が都市計画決定の手続要件とはされていない。した
がって、同手続に東京都環境影響評価条例違反等があったとしても、そのこと
が、環境影響評価の結果を前提とした平成5年決定の実体的な適法性を判断す
る上で考慮要素の一つとなり得るとしても、それ以上に、直ちに都市計画決定
が違法であることを基礎付けるものとはいえず、主張自体失当である。
                         (判決82頁〜85頁)
 
 本件調査報告書が、当時地下鉄の主流であった地下シールド方式を比較の対象から外したり等、本件調査が本件要綱に著しく違反したり、環境影響評価における細切れアセスメント、代替案の検討の欠如等、同条例9号等に著しく違反しても、本件要綱が法規範性を持たないとして、あるいは都市計画決定の「手続的要件」ではないとして、これらの違法を問うことは「主張自体失当」でそもそも許されないというが、これは建運協定、調査要綱は道路法等の法律上の根拠を有し、連立という都市施設を特定し、また、計画段階からこれを都市計画事業として施行するまでの間、地方公共団体のみならず鉄道事業者をも拘束し、事業認可の段階に至れば地権者、沿線住民の権利を直接左右するだけではなく、他方において補助金交付、道路特定財源投入の要件となっている事実をことさら無視したものであることは前述したところでもあるが、大切なことであるから繰り返しておく。そして、これらの事実に照らしただけで、判決の論旨の初歩的な誤りが明らかになる。しかも、これは都市計画法11条のいう都市施設に関する規定の解釈を根本から間違えているだけではなく、そもそも都市計画に対する甚だしい無知があるためであろうか、都市計画法と都市施設について具体的に定めている所謂関係法令、また、環境法令との関係の著しい曲解があることを示している。
 そもそも法は、上位法に違反することはできず、環境法令を含む関係法令は、都市施設等の都市計画決定を特定し、規律する。例えば法13条第1項柱書の「公害防止計画との適合」は、上位法のひとつである公害対策基本法との関係で、当然な事理が定められているに過ぎないのである。それは、都市計画が同じく上位法の定める全国総合開発に適合するとされていることからも極めて明白なのである。また、関係法令はまさに都市計画との関係において、その都市施設に応じてこれを特定し、必要な手続を定めており、これがなければ、そもそも都市計画は成立しないことは常識である。
 道路の場合でも、道路法等の法令と環境法令によって、初めて都市施設の中身が特定され、必要な手続や処分が具体化される。何よりも、都市計画決定の主体(知事か市町村長か等々)は、道路関係法令によらなければ、法だけで特定することはできないのである。
 本件における広域的な都市施設とは何かを決めるのは、法15条1項3号と同令9条2項からも明らかであるが、法と道路法で初めて特定できることだけで分かるであろう。建運協定のようなものを含めて関係法令が都市計画決定の適否を判定する法的基準となるのであるから、法にこれらの要件を個別に定めることができないのは、法の性質上当然なのである。従って、法が具体的規定を置いていないからといって、法が明文で定めた要件だけで都市計画決定の適否を論ずること自体、根本的な誤りである。また、これらの違法が直ちに都市計画決定の違法ということにならなくとも、判断過程の違法を基礎づける要素となることはいうまでもないことであり、原判決も否定できないところであるが、なお後述する。
 また、法13条2項(都市計画基準)が都市計画決定の実体的要件でもなければ手続的要件でもないとする原判決の解釈は、明白かつ重大な誤りである。法13条1項柱書の「公害防止計画との適合」にせよ、都市施設を「一体的かつ総合的に定めること」はもとより、例えば同項5号の「良好な都市環境を維持するよう定める。‥‥市街化区域については少なくとも道路、公園、下水道を定める」ことなどの規定をみれば、本条が都市計画基準を実体的に定めたものであることは明確であり、判決もこれを認めているようであるが、同条2項も実体的要件であることは、同条3項が「市街化区域‥‥都市計画の策定に関し必要な基準は前二項に定めるもののほか、別に法律で定める」と1項、2項共々実体的要件であることを明文で定めている。
 にもかかわらず、2項を殊更1項と切り離し「法13条2項は、都市計画が‥‥立法当時も住宅問題が緊迫している状況にあたことに鑑み、住宅の建設及び居住環境の整備に関する計画を定めなければならないとしたものであり、都市計画が適合すべき一般的な都市計画基準を定めたものとは解されない」というに至っては論外である。新法が制定された昭和44年当時の住宅事情と今とは違っているが、居住環境の整備はむしろ今こそ求められている。居住環境は、都市環境の核心のひとつであることは、おそらく何人も承知していることであろうし、これを含む都市環境が昭和44年当時とは違う意味で荒廃かつ危機に瀕しているのが現実であり、文化勲章受章者宇沢弘文氏が控訴審における意見書(甲第262号証の1)で最も強く指摘されているところである。居住環境を多少でも文化的視点で捉える人々の共通の認識といってよいであろう。ところが、判決は「居住環境」は今や都市計画基準ではなく、歴史的存在に過ぎないという。下世話にいえば、「居住環境」ははるかによくなって、これは都市問題すなわち都市計画基準ではないという訳である。
 環境影響評価手続に対する判断ももとより同様であるが、判決の環境に対する甚だしい認識の欠如、人類が立ち至っている文明と文化の危機感の決定的欠落がここにはある。法と正義の最後の砦というべき裁判官の姿はどこにも見えない。違憲、違法以前の問題であり、国民にとっては誠に不幸なことである。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の重大な誤り及び憲法違反をおかしているのであるが、同時に、憲法を頂点に体系化される各種関連法令、さらには同一法令・同一条文内の規定相互の関係をも作為的に分断した上でなされたその解釈は社会通念・経験則に著しく反し、その理由不備・理由齟齬は明らかで、破棄されなければならない。
 
9.法18条1項の都市計画審議会における審議の欠如に係る判断、解釈の違憲
 性
 ‥‥原告らは、東京都都市計画地方審議会において本件各事業に係る都市計
画が審議されたのは、平成4年12月18日のわずか1日だけで、しかも直前
の同年11月15日に追加議案として提出され、他の多数の案件の審議と一括
して扱われたもので、本件そのものについてはほとんど実質的な審議はされて
おらず、環境影響評価手続の違法についても議論されず、本件調査報告書も審
議の資料とされていないことからすると、審議そのものが不存在というべきで
あり、平成5年決定は、法18条1項に違反し、法定の前置手続を欠いた違法
がある旨主張する。
 しかし‥‥平成4年12月18日に開催された東京都都市計画地方審議会で
は、9号線都市計画についての事業の実施状況、付議に係る平成5年決定の案
の目的、計画内容、本件各付属街路都市計画の内容等が説明されるとともに、
平成5年決定の案に対する意見書の提出状況、内容等が紹介されたほか、本件
事業についての環境影響評価の手続や環境影響評価書の内容の要点も説明され
た後、いずれも平成5年決定の案に対し反対する旨の3名の意見陳述がされた
上、同審議会の委員による質疑応答及び協議に入り、意見陳述で紹介された代
替案等について委員から出された質問に対し幹事から回答がされ、協議におい
て、委員の中からは、付議は時期尚早であるとする意見、高架化には反対であ
るとの意見なども出されていたのであって、このような同審議会における審議
の経緯、内容等にかんがみれば、審議そのものが存在しなかったと評価すべき
ほどに、実質的な審議を欠いていたものとは認められない。また、仮に、環境
影響評価手続に何らかの違法があり、そのことについて特段の議論もされず、
また、本件調査報告書が審議の資料とされていなかったとしても、それが上記
審議会の審議の不存在を基礎付けるものとは解されない。
 したがって、平成5年決定が、法18条1項に違反するものとは認められな
い。
(判決85頁〜86頁)
 
 都市計画審議会における審議が、その都市計画決定の基礎となった資料に基づいてなされるべきものであることはいうまでもない。ただ、行政の一方的説明を鵜呑みにする場でないこともまた然りである。
 平成5年決定は本件調査に直接基づいて策定されたものであることは、関連証拠から極めて明白であり、原判決も「調査結果を基礎として判断された平成5年決定(84頁5行目から6行目)」等といって否定出来ないところである。したがって、これが審議の基本的資料であることはいうまでもない。ところが、これすら審議会に提出されなかったばかりでなく、住民側から求められていた地下方式(特に2線2層シールド方式)との比較積算の概算(甲第50号証の5)を示す積算書すら提出されなかった。また、環境影響評価手続についていえば、本件調査において、ためにする1層4線のオープンカットの地下方式を代替案として検討し(これは争いのない事実であり、証拠も充分過ぎる程ある)、さらに本件調査の後、あたかも2線2層シールド方式についても比較検討したかのように(これは住民の地下要求を回避し、高架方式を強行するためのカムフラージュに過ぎなかったことは、原告2002年6月5日付丙第43号証の求釈明に対する回答等への意見書および関連準備書面、証拠説明書、書証等から明確である)住民側に対して説明していたにもかかわらず、この代替案の検討の経過と結果を同条例に反して全く記載しない等、違法を重ね(第1審原告準備書面(2)第三「判断過程、判断内容の著しい過誤 4」他、関連準備書面、同書証参照)、住民のみならず騒音の健康、生活環境に対する影響についての我が国の第一人者といってよい元国立公衆衛生院院長・長田泰公氏等、各分野の専門家から、これらを厳しく批判し環境影響評価のやり直しを求める意見書が多数提出され、東京都環境評価審議会においてすら問題とされ、騒音の測定地点を高架式の騒音影響を受けるおそれが極めて高くなる高さ6.5mの地点(1.2mで予測をしていた)で予測すべきこと等、一部やり直しを命じたこと等、環境影響評価手続に重大な誤りがあることが全く報告されなかった。基本的な資料と不可欠というべき情報がないところでの「審議」が実質的審議であり得ないことはいうまでもないし、これは、都市計画法18条1項に対する重大な違法であるにもかかわらず、判決は「仮に環境影響評価手続に何らかの違法があり、そのことについて特段の議論もされず、本件調査報告書が審議の資料とされなかったとしても」、実質「審議」が存するとして、同法に違反しないといっているのである。
 これは事実を見ず、同法の趣旨を全く省みない重大な誤りというべきである。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をしており、その社会通念・経験則に著しく反する事実認定とこれを基にした論旨には理由不備があるから、破棄されなければならない。
 
10.説明会等についての法16条の解釈の違憲性と著しい証拠法則(経験則等)  違反
 ‥‥原告らは、本件事業については、沿線住民に対する説明会が合計18回
開催されたが、毎回司会者である東京都職員が発言等を求める住民の声を封じ
て終了させ、そのような運営のために、小田急電鉄の職員等が多数動員される
など、東京都は、住民の意思を無視する対応に終始し、公聴会も開催されず、
圧倒的多数の住民の意見である地下化の要求は、都市計画案の作成に全く反映
されなかったもであり、平成5年決定は法16条に違反する旨主張する。
 しかし、沿線住民に対する説明会において、小田急電鉄の職員等が動員され
ていたとしても、それが東京都の指示、要請に基づくものであることを認める
に足りる証拠はないし、沿線住民への説明会が必ずしも円滑に行われず、原審
原告らの要望を満たすものではなかったとしても、そのことが直ちに法16条
違反を基礎付けるものとは認められず、他に、住民説明会の開催との関係で、
法16条に違反するような行為、事情があったことを認めるに足りる証拠はな
い。
 また、法16条は、住民の意思を反映させるために必要な措置の一例として
公聴会を挙げるだけで、公聴会の開催を義務づけているものではなく、参加人
において公聴会を開催しなかったことが直ちに法16条違反となるものではな

 さらに、一般に都市計画案に対する住民の意見には様々なものが生じること
が予想されるところ、それらの意見をすべて都市計画に反映することはおよそ
不可能であり、法16条も、都市計画を定める者に対し、都市計画に住民の意
見を反映させることを義務づけているものとは解されないのであって、小田急
線の高架化に反対し、地下化を支持する住民らの意見が平成5年決定に反映さ
れていなかったとしても、それが直ちに法16条違反を構成するものではな
い。
(判決87頁〜88頁)
 
 法16条が、憲法第92条の地方自治の本旨、住民自治の原則、法の住民参加、行政の説明責任の原則により設けられた具体的手続の一つであることを考えれば、これだけを抽出して「公聴会の開催」が義務とされていないとか、行政がまさに必要と認めて行われた説明会はそれに相応しいものとすべきであり、これに全く背反する施行者側の「動員」等は、到底、法の許すところではないことは前述した通りである。「それらの意見をすべて都市計画に反映することはおよそ不可能」であっても、多数の意見もしくは客観的かつ合理的な意見は反映させることができるし、そうすることこそ、住民参加の原則が求めているところであるにもかかわらず、「法16条も‥‥住民の意見を反映させることを義務づけているものとは解されない」と言うに至っては、語るに落ちたものという外はない。
 この点で、原判決が、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をしていることは明白であるが、さらには、社会通念・経験則に著しく反する事実認定を基礎とした理由には著しい不備があって、破棄されなければならない。
 
11.都市計画の実体的基準としての法13条の解釈の違憲性
 ‥‥平成5年決定に係る都市計画である9号線都市計画は、9号線の東北沢
と喜多見の間の区間が、住居系と商業系が混在する密集地域内を通過し、26
ヶ所の踏切があり、踏切遮断による交通渋滞や市街地の分断など日常生活の快
適性や安全性を阻害しており、小田急線においては、朝夕の通勤通学時を中心
とする鉄道の車内混雑が深刻化し、鉄道の輸送力が限界に達しているとの現状
を踏まえ、都市高速鉄道の利便性の向上、混雑の緩和、踏切における渋滞の解
消、一体的なまちづくりの実現を図ることを目的とし、本件事業区間について、
成城学園前駅付近を掘割式とするほかは、高架式を採用して小田急線とそれに
交差する道路とを連続的に立体交差化するとともに、小田急線を複々線化する
ことをその内容とするものであると認められる。
 9号線都市計画に関係する国土計画としては国土総合開発法‥‥に基づく第
四次全国総合開発計画‥‥、地方計画としては首都圏整備法‥‥に基づく首都
圏基本計画‥‥及び首都圏整備計画‥‥が定められていたところ、平成5年決
定に係る9号線都市計画は、上記のような目的、内容に照らし、上記各計画の
妨げになるものとはいえず、同各計画に適合するものと認められる。
 また、東京都は、公害対策基本法‥‥19条に基づき、東京地域公害防止計
画を定めていたところ、平成5年決定は上記のような目的、内容に照らし、上
記計画の妨げになるものとはいえず、同計画に適合するものと認められる。
 そして、前記のとおり、平成5年決定に係る9号線都市計画は、都市、地域
の現状を踏まえたものであることやその目的、内容に照らせば、法13条1項
柱書き前段にいう『当該都市の特質を考慮して、‥‥当該都市の健全な発展と
秩序ある整備を図るため必要なものを、一体的かつ総合的に定め」たものとい
え、また、同項5号にいう『土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案
して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保
し、良好な都市環境を保持するように定め」られているものといえる。前示‥
‥のとおり、上記都市計画基準との関係では、行政庁が都市計画の決定につい
てゆだねられた裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合
に限り、当該決定は違法となると解されるところ、平成5年決定において、参
加人が裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したことを認めるに足りる証拠
はない。
 なお、法13条1項5号にいう『良好な都市環境』とは、大気汚染、騒音等
といった公害が問題となるような環境のみを指す概念ではなく、広く交通環境、
生活環境等をも含む概念であると解されるところ、本件の連続立体交差事業の
完成により多数の踏切が除去され、交通渋滞の緩和や踏切事故の解消が図られ
ることにより、都市環境として重要な交通環境や日常的な移動利便性に係る生
活環境が改善されるのであり、他方、後記のとおり高架式の採用が周辺地域の
環境に与える影響の点で特段問題がないと判断され、その判断に特段不合理な
点は認められないのであって、原審原告らが主張するように、地下式の方が高
架式に比して、騒音、振動等の環境面で優れているとしても、良好な都市環境
の保持という観点からは、参加人による裁量権の行使において逸脱、濫用があ
ったとは認められない。
(判決88頁〜90頁)
 
 法13条柱書後段の「公害防止計画」との適合は、前述した通り上位法である公害対策基本法、さらには憲法第13条、25条等に基づいて、都市計画における環境の歴史的にも明確にされている特段不可欠な重要性を有するところ等から当然の条理を定めたものであり、都市計画は「適合」すればそれだけでいいというものではなく、環境についての実定法、不文法に従って定められなければならないものである。
 ところが、判決はこれを全く理解していない。そればかりではない。環境そのものの概念すら理解していないのではないかという疑いが生じざるを得ない文脈がある。「『良好な都市環境』とは、大気汚染、騒音等といった公害が問題となるような環境のみを指す概念ではなく、広く交通環境、生活環境等をも含む」というくだりである。
 環境については、1967年に制定された公害対策基本法第2条(定義)「『公害』とは、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる‥‥大気の汚染等‥‥人の健康又は生活環境に係る被害が生ずること」とされ、「『生活環境』には‥‥人の生活に密接な関係のある動植物及びその生育環境を含む」。また、本件都市計画決定の同年である平成5年11月に制定された環境基本法第3条「環境の保全は、環境を‥‥維持することが人間の健康で文化的な生活に欠くことのできないものであること及び生態系が微妙な均衡を保つことによって成り立っており人類の存在の基盤である限りある環境が、人間の活動による環境への負荷によって損なわれるおそれが生じてきていることにかんがみ、現在及び将来の世代が‥‥人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるよう」としていることから極めて明らかであるが、人間の活動により影響を受ける人、生態系、大気等の社会と自然の環境をいうのであって、いわば人の活動の対極に位置するものである。「移動利便性」のようなものでは全くない。利便性はまさに人の活動であり、まさに環境の対極にあるものである。これは昭和40年代において定説となっており、今では子供でもわきまえている常識である。それとも、都市環境は環境とは違うとでもいいたいのであろうか。そうだとすれば、これまた非常識極まりないといわなければならない。
 現在、法13条1項柱書はこの種のとんでもない誤解を避けるために、「都市計画は‥‥一体的かつ総合的に定めなければならない。この場合については当該都市における自然的環境の整備又は保全に配慮しなければならない」と明文で定めているのである。
 平成5年決定は、連立施設という道路と鉄道の複合都市施設について建運協定、本件要綱にすら反して、鉄道と側道を切り離す等の点において、一体的かつ総合的な定めになっていないことは既に述べたところであり、環境影響評価に典型的に示されている通り(これは具体的にまた後述する)環境に対する真摯な配慮を全く欠いたもので、法13条に違反することは極めて明確である。
 しかし判決は今述べた通り環境と都市計画の今日的本質をほとんど理解していないが故にこれを「適法」としたのであるから、その解釈の誤りは極めて重大である。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をおかしていると同時に、社会通念・経験則に著しく反する法令解釈の結果著しい理由不備のままに結論を導いており、破棄されなければならない。
 
12の1.判断過程統制の解釈の違憲性
 ‥‥平成5年決定の案の策定において、参加人は、本件調査の結果を踏まえ、
計画的条件、地形的条件及び事業的条件の3つの比較条件を設定し、上記3条
件に照らして、本件鉄道事業における鉄道の構造について、嵩上式(一部掘割
式、以下「本件高架式」という。)、嵩上式(一部掘割式)と地下式の併用、地
下式の3方式の優劣を比較検討した。その際、本件事業区間とその東方におい
て連なる下北沢区間がその当時都市計画上地表式と決定されていたことを前提
として、各条件に照らした優劣が検討された。比較検討において、参加人は、
本件高架式については、すべての踏切を除却することができ、既存の駅の位置
も変更する必要がなく、既に高架化されている環状8号線付近との整合性が保
たれているのに対し、地下式では、前記のように下北沢区間が地表式であるこ
とが前提とされていたために、梅ヶ丘駅と世田谷代田駅との間で線路が地下か
ら地表に出ることになることとの関係で、両駅間に存する踏切が解消できず、
また、地表に出る部分の線路の勾配を適正なものにするために、梅ヶ丘駅の移
設が必要となり、計画的条件において、本件高架式に劣るものと判断した。ま
た、地形的条件でも、地下式では、河川の下部を通過することになるため深度
が深くなるという問題があり、事業的条件でも、事業費は、本件高架式が約1
900億円であるのに対し、地下式は、二線二層方式の場合が約3000億円、
一層四線開削方式の場合は約3600億円となり、3つの比較条件いずれの点
でも、本件高架式は、地下式より優位に立つと判断した。‥‥そこで、参加人
は、本件事業区間は本件高架式を採用することが相当であると判断したうえ、
本件の環境影響評価の結果を踏まえ、本件高架式の採用が周辺地域の環境に与
える影響の点でも特段問題がないと判断して、最終的に、本件高架式をその内
容とする都市計画を決定したものである
                        (判決90頁〜91頁)
 
 判断過程の違法(裁量権の逸脱、濫用)を判断する考慮要素は、その過程の手続及び内容であることは言うまでもないところ、判決が第3の5(6)、平成5年決定の適法性の「イ 実体的要件について」のところで初めて論じていることにまず注目しなければならない。
 すなわち、平成5年決定の適法性の手続については、その前段アとして、既にこれに該当するところで述べたとおり、専ら法の手続の形式的解釈論に終始し、「本件調査や本件調査報告書の‥‥問題点がその調査結果を基礎として作成された平成5年決定の実体的適法性を判断する上での考慮要素の1つとなりうることはさておき」(84頁)とか、「環境影響評価の結果を前提とした平成5年決定の実体的な適法性を判断する上で考慮要素の一つとなり得るとしても」(85頁)といって、これら建運協定、本件要綱、環境影響評価等が本件連立事業(施設)の都市計画決定のまさに憲法、法令(内部規範を含む)が求める前提手続であることは明らかなのに、「法に規定されていないから都市計画決定の手続要件とはされていない」として、平成5年決定における手続違反はないと断定していたのである。
 これ自体大きな誤りであることは先述した通りであるが、少なくとも判断過程における考慮要素であることは認めているのであるから、本件調査等の手続については、本来アの「手続」のところで判断すべきことであり、判断過程の違法を構成する要素の全てを「実体的要件」の適否のところに持ち込むべきではないのである。
 だが大切なことは、いざこのところにはいると、以上の「考慮要素」に対する評価が全くされていないことが、上記判決の以下の部分に実によく示されている。
「参加人のとった前記判断手法は‥‥環境への影響が考慮されていない点で、本件要綱に定めるものとは異なっている。しかし、本件要綱が法規範性を有しないことは前示のとおりであり、本件要綱の定めに反することが直ちに参加人のとった判断手法に違法があったことや裁量権の範囲からの逸脱があったことを基礎づけるものとはいえない。」
 「‥‥各考慮要素のうちどの要素に重きをおくか、価値序列をどのように設けるかは‥‥一義的に決することができるものではない。‥‥構造形式を選択した後に‥‥環境影響評価を参考に環境への影響が考慮されており、環境への配慮を全く欠いているわけではない本件において‥‥比較条件において環境的条件を含めなかったことについて、‥‥裁量権の範囲を逸脱したものとまでは認め難い。」
 本件要綱違反はこれに法規範性がないことを裁量権の逸脱はないことの基本的事由して(これは「手続」における違法性排除の論拠の通りである。)、原告らが一番問題にしていた比較の仕方、すなわち環境を基準にせずに最適案(高架案)を選択し、環境影響評価を後にすること、また、その環境影響評価には判決自身原告が手続、内容とも重大な違法があると主張していることを自認(84頁ウ、エ)しているものであるにもかかわらず、これに対する評価は一切ない。すなわち平成5年決定の適法性の「手続的要件」において「考慮事項」とされ、少なくとも実体的要件のところで検討されるはずのものが全く考慮されていないのである。そしてこれは判決の挙示する判断過程の「具体的検討」において、さらに明らかになるので以下順次述べることとする。
 いずれにしてもこのような判決は、判断過程の統制を実質的に全く放棄している点において、法(13条他)その他関係法令、さらには憲法にも違反するばかりではなく、著しい理由不備、その齟齬と言わなければならない。
 なお、「環境面において優位性を有する地下式を殊更排除する意図の元に‥‥比較条件を設定したことを認めるに足りる証拠はない」とするが、ここにも再三前述したこの判決の理が通らないと見るや事実認定で逃げる手法が見事に現れている。これは後述するとおり、「認めるに足りる証拠」は充分過ぎる程あるのである。
 また、平成5年決定が本件調査の「調査結果を基礎として作成された」と認定していることは、本件要綱、建運協定の規範的効力の有無等、その法的性格を判断する上で、判決は殊更無視しているものの、極めて重要な事実であることを付言する。
 以上の点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をおかしていると同時に、そこには憲法上司法に与えられた役割を放棄した中身のない審理の当然の結果であるところの明らかな理由不備があって、破棄されなければならない。
 
12の2.比較設計等のためにする正当化の違憲性
 ‥‥原告らは、都市悪の矯正及び環境整備を重要な目的としてきた都市計画
の歴史的経緯、本件事業が周辺地域に与える影響の重大性等に照らし、都市計
画策定に当たっては、環境への配慮が何よりも大切な考慮要素であり、少なく
とも必要不可欠なものというべきである、参加人の上記のような比較条件の設
定は環境面において優位性を有する地下式を殊更排除する意図の下にされた恣
意的なものであり、環境への影響を比較検討基準の一つとして揚げている本件
要綱にも反するものであって、環境的条件を殊更排除して比較条件を設定した
点で、重大な違法がある旨主張する。
 しかし、法上、都市施設の構造等を決定する上での判断方式を明示的に定め
た規定はない。確かに‥‥参加人のとった前記判断手法は、比較案の評価にお
いて、環境への影響が考慮されていない点で、本件要綱に定めるものとは異な
っている。しかし、本件要綱が法規範性を有しないことは前示のとおりであり、
本件要綱の定めに反することが直ちに参加人のとった判断手法に違法があった
ことや裁量権の範囲からの逸脱があったことを基礎付けるものとはいえない。
 ‥‥各考慮要素のうちどの要素にどのような重きを置くか、価値序列をどの
ように設けるかは、当該事業の目的・性質、事業実施の緊急度・社会的要請の
程度、計画される当時の都市計画事業者等の置かれた財政状況、社会・経済状
況等によっても変わり得るものであり、必ずしも一義的に決することができる
ものではない。その意味で‥‥少なくとも構造形式を選択した後には、当該構
造形式について環境影響評価を参考に環境への影響が考慮されており、環境へ
の配慮を全く欠いているわけではない本件においては、構造形式選択上の比較
条件の設計において環境的条件を含めなかったことについて、参加人が裁量権
の範囲を逸脱したものとまでは認め難い。なお、参加人が、環境面において優
位性を有する地下式を殊更排除する意図の下に上記のような比較条件を設定し
たことを認めるに足りる証拠はない
 ‥‥原告らは、東京都は、平成5年決定の案の作成当時、既に下北沢区間に
ついて地下式をとることを事実上決定していたのであり、それにもかかわらず、
下北沢区間が地表式とされることを前提としたことは、計画的条件との関係で、
地下式を不利にするための極めて不当な恣意に基づくものであって、下北沢区
間を地下式にすれば、計画的条件でも地下式が有利になることはもとより、事
業的条件でも地下式が本件高架式に比べより一層優位に立つのであり、そのよ
うな恣意的な前提の設定は参加人の裁量の範囲を逸脱し、又はこれを濫用した
ものとして違法である旨主張する。
 しかし‥‥平成5年決定の案の検討当時や平成5年決定当時、9号線都市計
画上、下北沢区間の構造は、地表式とされていたのであり、本件事業区間につ
いての各事業方式の比較検討の際に、既存の都市計画の内容を前提として検討
すること自体は、特段不合理なものとはいえない。
 確かに、平成5年11月16日に発行された「週刊 首都圏プロジェクト」
‥‥に、下北沢区間について地下化する方向での検討が進んでいる旨の記載が
あり、また‥‥斉藤弁護士が作成した報告書‥‥には、平成3年8月ころ、東
京都は、下北沢区間の構造を地下式にすることを内定しており、同弁護士は、
平成7年7月下北沢区間の地下式が閣議了解されたことを確実な筋から確認し
た旨の記載があるほか、‥‥平成7年11月7日に発行した機関誌「もぐれ小
田急線 号外1」‥‥には、平成6年11月、同会の代表団が当時の野坂建設
大臣と会見した際に、同大臣が、「下北沢地区は地下化にすると役人から聞い
ているが」と発言した旨の記載がある。
 しかし、上記「首都圏プロジェクト」の記事中の記載は、東京都への取材等
に基づきその内容が確認された上記載されたものではなく、‥‥記者の推測に
基づくものであったのであり‥‥その推測の根拠も明らかではない。また、
藤弁護士の報告書中の記載のうち‥‥地下式にすることを内定していたとする
点については、その具体的根拠は明らかにされていない。‥‥閣議了解された
との点も、その具体的情報源は明らかにされていないし、仮に、その記載内容
どおり、平成7年7月に下北沢区間の地下式が閣議了解されたとしても、その
ような事実が、直ちに平成5年決定の案の検討当時や平成5年決定当時、東京
都において下北沢区間について地下式を採用することを事実上決定していたこ
とまで推認させるに足りるものとはいえない。「もぐれ小田急線 号外1」中
の建設大臣の発言部分の記載についても、同様である。
 以上のような前記各証拠の記載内容の信用性、証明力の問題に加え、平成2
年8月当時、東京都都市計画局施設計画部交通企画課長を務め、平成5年決定
の案の策定当時にも関与した古川公毅の別件訴訟における証人尋問調書‥‥中
の下北沢付近について、平成5年11月当時、地下化の検討が進んでいたとい
うような事実はない旨の記載及び平成4年7月から平成6年3月まで東京都建
設局建設部関連事業課長を務めていた伊藤忠明の別件訴訟における証人尋問調
書‥‥中の下北沢区間について、平成6年ころ、地下式とすることは内定して
いなかったし、平成7年6月当時も、地下式を採用するという話は聞いていな
い旨の記載を併せ考慮すれば、前掲各証拠は、平成5年決定の案の検討当時や
平成5年決定当時、東京都において、下北沢区間について地下式を採用するこ
とが事実上決定されていたことの証拠としては、直ちに採用できない
 また、平成10年12月に開催された東京都議会において、東京都の都市計
画局長は、下北沢区間について、線増部分は地下式で整備し、在来線に関して
は、関係者間で構成する検討会に線増計画を勘案した立体化計画案を提案して
協議を進めている旨答弁し‥‥平成12年10月には、下北沢区間についての
連続立体交差事業調査報告書が作成され‥‥東京都は、平成13年4月、下北
沢区間の構造を地下式とすることを内容とする計画素案を発表し、環境影響評
価等の手続が進められた‥‥。
 これらの事実は、平成10年12月の都市計画局長の答弁以前から、下北沢
区間の構造について、地下式を採用することが検討されていたことを推認させ
るものではあるが、それ以上に、平成5年決定の案の検討当時や平成5年決定
当時、東京都において、下北沢区間について地下式を採用することが事実上決
定されていたことまで推認させるものではない
 さらに‥‥本件調査においては、本件事業区間とともに、下北沢区間につい
ても、構造形式について見直しが行われ、その際、下北沢区間全線を地下とす
る案についても検討されたが、同案では、既設の代々木上原高架橋の部分的改
築に伴う配線変更が生じるため、帝都高速度交通営団との協議が必要となり、
交差道路の付け替え等の措置も必要となるという問題があり、地下式以外の案
にも問題があったため、構造形式の決定に当たっては新たに検討する必要があ
るとされたものであって、その判断が不合理であったことを認めるに足りる証
拠はない。
 この点に関して、原審原告らは、現在の下北沢区間の密集した開発状況を直
視すれば、同地区における線増連続立体交差を高架式で実施することが空想に
等しいことは客観的に明らかである旨主張する。しかし、その主張は抽象的、
一般的なものにとどまり、上記主張から、直ちに下北沢区間において高架式が
採用される可能性が全くなかったことまでは認められないし(これを認めるに
足る証拠もない。)、下北沢区間において地下式が当然に採用されるべきもので
あり、本件調査において下北沢区間の構造形式を決定しなかった上記判断が不
合理なものであったものとは認められない。‥‥
 したがって、平成5年決定当時の案の検討当時や平成5年決定当時、下北沢
区間について将来地下式が採用される可能性が残されていたとしても、同区間
において地表式がとられることを前提としたことが不合理なものとまではいえ
、参加人において、そのような前提を設定して代替案3方式について比較、
評価を行ったことが、裁量権の範囲を逸脱し、又はそれを濫用したものとは認
められない。
 ‥‥原告らは、@事業費の算定においては、立体化事業による鉄道事業者の
受益分を考慮すべきで、用地費と工事費の合計額から当該受益分を控除すべき
であるにもかかわらず、参加人の算定においては、それが全く考慮されていな
いこと、A参加人の算定においては、昭和63年以前に買収済みの用地費が除
外されており、買収済みの用地費をも事業費に加算すべきこと、B高架化に伴
う騒音、振動の低減を図るとともに、高架施設による圧迫感を緩和するために
は、高架式の場合、幅員13メートルの側道設置のための事業用地を鉄道高架
橋の南北にそれぞれ確保する必要があり、本件高架式の事業費には当然にそれ
の用地の取得費が加算されなければならないところ、参加人の算定においては、
本件高架式について、そのような環境側道を設けるために必要な事業費は考慮
に入れられていないこと、C二線二層方式による地下式の場合、本件事業区間
においては全線にわたってシールド工法によって対応することができ、開削工
法を必要とする理由は全くないにもかかわらず、東京都がその事業費を約30
00億円と公表していた二線二層方式による地下式の事業費の算定においては、
その緩行線部分の約半分に工事費が二線二層方式のシールド工法より割高な開
削工法を採用していたこと等の点で、事業費に係る参加人の判断には、考慮要
素、判断内容に著しい過誤、欠落があり、地下式の方が事業費の面でも優位に
立つことは明らかであった旨主張する。
 しかし、まず、上記@、Aの主張については、参加人は、予算が限られてい
ることを前提に、計画変更に当たって、今後、都市計画を実現するためにいく
らの費用支出が必要となるかという観点から事業費を算定したため、鉄道事業
者の受益分や昭和63年以前の買収済み用地費を考慮に入れなかったものであ
る‥‥。確かに、原審原告らの主張するような考え方にも合理性が認められる
としても、他方、参加人が本件鉄道事業に係る事業費のために将来支出するこ
とのできる予算には自ずから限度があることからすると、計画見直しの時点で、
今後どの程度の事業費を要するかという観点からこれを算定し、その多寡を事
業方式選定の考慮要素とすることも、できるだけ将来の支出を抑制するとの財
政的見地からは、必ずしも不合理なものとはいえないのであり、そのような考
え方から、事業費の算定において、鉄道事業者の受益分や過去の買収済み用地
費を考慮に入れなかったことも、未だ裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用
したものとまではいえない
 また、上記Bの主張については、高架化による騒音の影響は、低層住宅・建
築物での居住者、生活者との関係では、防音壁及び高架施設自体により騒音の
下方への拡散が妨げられる分、高架化によって従来よりは騒音が低くなるもの
と予測され、環境影響評価の結果もそれを裏付けており、環境側道設置の必要
性はさほど高度なものとは認められない。高層住宅・建築物での居住者、生活
者との関係でも‥‥参加人が本件高架式について建物4階以上の高さに相当す
る位置での騒音被害を含め周辺地域の環境に与える影響に特段問題がないと判
断したことに著しい判断の過誤があったと認められない本件においては‥‥環
境側道の設置を予定していないことやその費用を本件高架式の事業費の算定に
おいて考慮しなかったことが、直ちに裁量権の範囲を逸脱したものとまでは
められない。
 高架化に伴う圧迫感の発生との関係でも、それが受忍限度を超えるものであ
るとは認め難い‥‥。
 以上の各点に照らせば、環境側道を設置することが環境整備の観点からは望
ましいものではあったとしても、原審原告ら主張のような環境側道の設置を予
定しないこと、その結果、本件高架式の事業費に環境側道用の事業用地の取得
費を考慮に入れないことが参加人による裁量権の範囲からの逸脱やその濫用を
基礎付けるものとはいえない。
 上記Cの二線二層方式のシールド工法による地下式の事業費の算定について
は、そもそも、原審原告らの主張するように、本件事業区間の全線にわたって
二線二層方式のシールド工法によって対応することができることを認めるに足
りる証拠はない
 むしろ、少なくとも、経堂駅付近の施工については、以下のとおり、平成5
年決定当時、二線二層シールド工法によることが可能であったとは認められな
い。
 ‥‥利用者の便宜から、経堂駅において準急線と緩行線の乗換えができるよ
うにするため‥‥構造を想定したことには、合理性が認められ‥‥参加人に裁
量権の逸脱、濫用は認められない。このように、経堂駅においては、1層目に
ホーム2面・線路数3線を確保する必要があるところ、そのために必要となる
駅幅は約30メートルであった‥‥。
 しかし、平成5年当時、最大幅のトンネルを掘削できるシールド工法として
は、大阪市地下鉄第7号線の工事において世界で初めて採用された3連シール
ド工法であったが、同工法でも、掘削できるトンネルの最大幅は約17メート
ルにとどまり、それ以上の幅のトンネルを掘削できる4連、5連シールド工法
は、現在でも存在していない‥‥。この点について、証人須田大春は、当審に
おける証人尋問において、平成5年当時、既に都営地下鉄大江戸線の六本木駅
のトンネル工事で採用されていた4連シールド工法が存在し、シールド工法で
駅部を設置することが可能である旨証言する。しかし、同証言にいう4連シー
ルドは、2連シールドトンネルを支える中柱の設置間隔を広げるためにトンネ
ル縦断方向に梁を設ける必要があったことから、トンネル上下に小型のシール
ド機2機を設置したものであって、この小型のシールド機2機は列車を通すた
めのトンネル部分を掘削するものではなく‥‥3連シールド工法以上のトンネ
ル幅を掘削できる工法ではないから、経堂駅のトンネル工事に採用できるもの
ではない‥‥。
 したがって、少なくとも、経堂駅については、二線二層方式のシールド工法
によっては、施工することはできなかった‥‥(乙18の1、弁論の全趣旨)。
 このとおり、本件事業区間について、全線にわたって二線二層方式のシール
ド工法によって対応できることを前提とする原審原告らの主張は、前提を欠く
ものであり、採用できない
 なお、仮に‥‥経堂駅‥‥以外の部分について、二線二層方式のシールド工
法によって対応できるとしても、その場合の事業費がいくらとなるのかを認め
るに足りる証拠のない本件においては、事業費の比較において、経堂駅につい
て開削工法を採用し、他の部分について二線二層方式のシールド工法を採用し
た場合の地下式が、本件高架式より優位に立つと認めるに足りる証拠もない
いわざるをえない。
 また‥‥3連シールド工法によって施工された大阪市地下鉄第7号線の大阪
ビジネスパーク駅は、ホーム1面・線路2線で駅幅が約17メートル、駅延長
は155メートルであり、工事費は約128億円‥‥経堂駅は‥‥二線二層方
式のシールド工法による場合、ホーム2面・線路数3線で駅幅約30メートル、
駅延長は210メートルであり、工事費は約131億円である‥‥このことは、
駅部における3連シールド工法は、必ずしも、開削工法に比べて、安価である
とは限らないことを示すものといえる。したがって、開削工法の方が、二線二
層方式のシールド工法によるよりも工事費が割高であるとの前提を直ちに採用
することはできず、その点で、上記Cの‥‥主張は、前提を欠くものといえる。
 以上のとおり、原審原告らが事業費に係る参加人の判断には考慮要素の欠落、
判断内容の過誤があるとする点は、いずれも理由がないものであり、地下式の
方が事業費の面でも優位に立つことが明らかであった旨の原審原告らの主張も
直ちに採用できない
 なお、西武新宿線において、事業費1600億円の見積りで‥‥約12.8
キロメートルにわたる区間の在来線の地下に、シールド工法により二線一層の
急行線‥‥を建設する計画が立てられ、平成5年4月には‥‥東京都による都
市計画決定が告示されているところ‥‥、原審原告らは、本件鉄道事業につい
て二線二層方式による地下式を採用する場合、西武新宿線の上記事業計画と比
較して‥‥参加人が、本件事業費について‥‥3000億円としたことは‥‥
不合理である旨主張する。しかし、西武新宿線の上記事業計画における事業費
は、その後、平成8年までには、約3000億円と見直されているほか‥‥、
駅の数が異なるし、事業対象区間の地価、地質等の諸条件の異同も明らかでは
ない。これらの事情に照らせば、本件事業における事業費について、西武新宿
線の上記事業計画において当初見積もられた事業費と単純に比較することはで
きず、原審原告らの上記主張も直ちに採用できない。
 また、東急目蒲線について、平成6年10月、事業費435億円の見積りで
‥‥約3キロメートルの区間について、地下式により連続立体交差化すること
を内容とする都市計画の変更決定がされているところ‥‥原審原告らは、上記
事業費との対比においても、参加人が、本件事業について、二線二層方式によ
る地下式の事業費を3000億円としたことは不合理である旨主張する。しか
し、東急目蒲線の都市計画に係る事業対象区間の地価、地質等の諸条件につい
て、本件事業との異同も明らかではない本件においては、本件事業における事
業費について‥‥単純に比較することはできず、原審原告らの上記主張も直ち
に採用することはできない
 他に、本件高架式と地下式との事業費の算定、比較において、考慮要素、判
断内容に過誤、欠落があり、参加人に裁量権の範囲からの逸脱やその濫用があ
ったことを認めるに足りる証拠はない。
                       (判決91頁〜104頁)
 
 原告の主張は、地下式と高架式の比較において環境が基準から故意に外されたうえ、事業費において典型的に示されている高架式を導入することを目的とした、ためにする不正が存在していたこと、少なくとも比較がデュープロセスの原則を踏みにじる条理上許されないアンフェアなものであったこと、第1審判決はこれを「高架式を採用するに至る判断内容には、環境影響評価の斟酌の点をとらえても著しい過誤があった上、その他の3条件の検討内容のいずれにも看過し難い疑問があったという外はない。殊に‥‥事業費の算出にあたっては、より慎重な検討を行えば、地下式と高架式の差は当時参加人が予想したものではない可能性が十分にあった」と、控えめに、しかし、比較がアンフェアであったことは明確に認めている。
 したがって、第1審判決を覆し、原告の主張を退けるとすれば、「新しい十分な証拠」と法の正義が求める法律構成が必要であるにもかかわらず、この程度のもので官側を免責しているのである。これはすでに再三指摘した、裁判所にあるまじき不条理な極めて恣意的な「事実認定」と甚だしい偏見が充分見える。
 この由縁を明らかにするには、力石定一法政大学名誉教授が座長を務め、公衆衛生学から土木工学に至る我が国有数の専門家により構成されている小田急市民専門家会議の意見書(甲第270号証)を引用することが客観的であり、かつ、最も説得力があると思われるので、以下、該当部分を引用する。
 
(引用開始)
「第5章 地下と高架の比較
 
5a 比較検討の方法論
 
5a.1 控訴理由書94頁「第一 はじめに」の2項によれば、
「東京都は平成5年変更にあたり、2線2層を含む4つの構造形式を想定した上で計画・地形・事業の三条件から高架が優れていると判断し、さらに高架が環境からも特段の問題がないことを確認したのであるから原判決は誤りである」
としている。藤山判決はまさにその方法に問題があると指摘しているのである。控訴理由96頁に
「都市高速鉄道の構造形式の比較検討については、明文で定めたものはない」
とし、
「従来からの都市計画に関する実務経験に照らし」
「計画的条件・地形的条件・事業的条件の三条件」
で比較検討したとしているが、これは藤山判決が「建運協定」「細目協定」とその「調査要綱」にもとづいて法理論を展開していることに対するあからさまな挑戦である。しかし挑戦の方法が誤っている。あるものをないといって議論ができるわけがない。
「明文の規定はないが複数の代替案を比較した」
とするのは明らかな事実隠蔽である。東京都がこの決定の為に行った「調査要綱」に基づく(建設省が調査費用の1/3を負担した)2年間の連立事業調査の結果は丙1号証として存在している。1987〜88年に行われた本件区間+下北区間についての連立要綱による調査の結果である。要綱には複数の代替案を比較すべきこと,環境を含む5つの項目を比較することが規定されているのである。要綱が明文規定であることは何人も否定できない。藤山裁判長が苦労して2000年秋に参加人の東京都からという形で取ったこの調査報告書を、われわれは情報公開訴訟の和解の成果として1994年3月に見ることができた。そのときは下北沢の部分と道路計画・市街地計画の部分は真っ黒に塗られていたが、地下案が高架よりも環境に優れているという表現は、随所に見ることができた。要綱による調査には環境についての比較がまちがいなく存在したのである。それがどうして、どこから消えてしまったのかを後に検討する。
 
5a.2 このときの比較には、藤山判決も指摘する「理由の明らかでない」前提として、環七・環八を高架のままにする、地下も含めて4線並列とするという「基本条件」という名の「前置フィルタ」(色眼鏡)がかかっていた。この条件の存在が区間を3つに分けて評価することを可能にしたのである。環七以東の区間A(2.0km)については、
 A1)全区間地平、
 A2)東北沢地平+高架、
 A3)地下の3案、
本件区間は2つに分割され、環八環七間の区間B(3.7km)は、
 B1)全区間高架、
 B2)梅丘まで地下+残り高架、
 B3)豪徳寺まで地下+残り高架、
 B4)経堂まで地下+残り高架の4案、
環八以西の区間C(2.8km)は、
 C1)地平、
 C2)掘割
の2案であった。そして、A3(地下),B1(高架),C2(掘割)を選択して概略設計しながら、やはり「理由の明らかでない」「後置フィルタ」(拒否権)によって、A区間(下北沢)は保留とされ、あろうことか「下北地区は地表のまま存続」を前提にB区間を選択することになったのである。これは、もはや[不連続立体化事業]である。
 
5a.3 ここには3つの問題がある。1つは、どんな内容であれ「前置フィルタ」があれば、適正な比較はできないということである。藤山判決の言うように、こうした「基本条件」についても、2・施工の難易度や、3・関連事業との整合性などで評価すればいいのであって、「代替案の初めからの絞込み」=「前置フィルタ」=「色眼鏡」は、どんなときでも「一見突飛に見える格段に優れた案」を排除する役割しか果たさない不毛なステップである。世の中には、「どんなよさそうに見える提案に対してもそれができない理由をたちどころに30個挙げる能力を持った人」の方が、「どんなにできそうもない難問に対しても、解決の糸口の候補をたちどころに30個挙げる能力を持った人」よりはるかに多い。特に訓練された役人ではこの比率ははるかに高くなる。できない理由の中からもっともらしいものを4つとか6つとか挙げておけば、検討したくない代替案は予めフィルタリングできることになる。
 
5a.4 もう一つの問題は、前置フイルタによって境界条件環七・環八の高架が前提になり区間が3区分されたことである。システム工学の教えるところでは如何なる場合にも「サブシステムの最適化は、トータルシステムの最適化を保証しない」ということである。偏微分の公式は、目をつけている変数以外の全ての変数が固定されている時の微分値を与える。2つ・3つの変数が同時に動く時には小さい範囲ならば、それぞれの変化に重みをつけた和でいいが、大きな変化では,個別に評価することは危険である。これは先に述べた細切れアセスとも関連する。
 
5a.5 最後に、後置フィルタ(拒否権)の問題である。すべての考慮要素を予め明らかにして、各案について評価しておけば、概略設計の後でのA区間保留と言った不可思議な決定が出てくるわけがない。この決定には、極めて政治的なものが感じられ、合理的な行政手続き、説明責任、情報公開といった概念と真正面からぶつかる。また官側は、「計画・地形・事業の三条件から構造形式を選択し、さらに環境からもチェックする」という選択システムを提示している。このときは環境が後置フィルタ(拒否権)になる。一見拒否権なら強そうであるが、藤山判決に指摘するように「環境にはるかに優れた案が事業費の僅かな劣位で見逃される」(われわれはこのケースをそうだとは思わないが)ことがありうる。合理的な比較手順は、こうした前置フィルタ、後置フィルタをすべて代替案比較要因に数え上げることから始めなければならない。後置フィルタ=拒否権発動は比較過程を混乱させるだけである。
 
5a.6 建運協定の調査要綱では「比較案を数案作成し」「比較案の評価に当たっては(1)経済性、(2)施工の難易度、(3)関連事業との整合性、(4)事業効果、(5)環境への影響等について比較し、総合的に評価して順位をつける」となっている。この方法が採用されていれば、議論ははるかに単純だったはずである。それぞれの項目の具体的内容としてどんな項目を立てたか、そしてどんな評価をしたか、それらをどんな重みで集計したかがすべてである。また、「総合的に評価して順位をつける」は日本語として読めば明らかに「総合的に評価して1位を選ぶ」ではない。5つの案があり、5つの評価項目があって代替案を選ぶのは、5人の求職者に対して5科目の試験を行い、科目別の重みを決めて集計して順位をつけるのと全く同じである。同じ試験科目・問題でも研究所の技術員を採用する時と市場でのサービス技術員のときでは、科目の重みを変える。項目の立て方・評価の判断・重みの付け方によって、さまざまな数字が出てくる。たとえ誰かが最終数字が出てから順位を変えるために評価や重みを変更したり、特定の項目を追加したり削除したりしたとしても、結果としての項目・評価・重みさえ残っていれば、判断基準は明瞭に説明できる。たとえば、「環境への影響についての重みがゼロになっているのは社会通念に反する」とか「地下にしたときの地上の利用価値は金額では測れない」とか。複数の比較案・複数の比較項目・項目ごとの評価・重み付けした集計は判断過程を明らかにし、価値観を明らかにし結果についての説得力を増す。もし,数字にして順位をつけることをしないと、はじめから数字である事業費の比較が唯一無二の基準になりかねない。しかし事業費だけで選べば何もしないで騒音補償費だけを払い続けるのが一番安いことになってしまうのは皮肉である。
 
5a.7 実際の比較はそのようなものではなかった。途中の2点(環7,環8)を高架にきめることによって、全線高架以外の全ての案はいわゆる「代替案のための代替案」「談合された2番札」にすぎないことになった。踏み切り除去を事業目的にしながら、高架と地下をくみあわせれば、踏切が残ったり、踏み切りもガードも作れない中途半端なゾーンが残るに決まっている。それでも、1987〜88年に調査が行われた結果は、全線高架とはならなかった。A区間下北では、井の頭線の上を越える高架はさすがに恥ずかしく、かといって地下のまま出せば,B区間の地下化運動の火に油を注ぐということで、A区間(下北区間)を外して1990年に事業採択された。このとき今回の6.4km区間がB区間高架,C区間掘割で固まったのである。この決定には、イギリス帝国主義の教えるクラシックな統治原則「分割して統治せよ」が守られている。地下派のなかで最大の勢力であった下北沢地区を「ほぼ地下化達成」という希望を抱かせてガス抜きして分離し、中央政界への特殊な政治的影響力を恐れられていた成城学園地区を掘割という決定でガス抜きしてこれも分離し、経堂と両側の梅丘・豪徳寺、千歳船橋・祖師ヶ谷大蔵のみを高架に残したのである。早期に全区間で踏み切り解消・輸送力増強するという課題よりも、高架をきっかけとした道路開発,高層化による不動産開発を実現したいという願望を優先させた選択であったことは疑い得ない。おかげで、下北区間の地下化は10年以上遅れ、高価な調査費を2度使い、高くつく短距離のトンネル工事に入ることになった。
 
5a.8 翌1991年8月の都市計画素案説明会から、突然要綱の5条件に替わって「実務経験に照らした比較検討」とする「計画的・地形的・事業的」3条件が出てきた。要綱の5条件が(1)経済性、(2)施工の難易度、(3)関連事業との整合性、(4)事業効果、(5)環境への影響等であるが、(1)と(4)をあわせて事業的とすれば、(5)環境への影響等が欠落したのは明らかに意図的である。また「総合的に評価して順位をつける」方法も示されていない。評価の手法が50年ぐらい逆戻りした感じである。この比較検討手法の変更は、要綱のままでやったのでは「環境影響評価」でひっかかるという恐怖感からではないだろうか。「環境影響評価」に際しては比較した代替案を明示しなければならない規定がある。これを切り抜けるため、「環境については比較すべき代替案がない」ことにするための苦肉の策だったのではないだろうか。建運協定の調査要綱は「法律ではない」と逃げ切っても、「環境影響評価」が逃げ切れないので発明したウルトラCと思われる。そもそも、地形的条件とは、横浜市営地下鉄のようにアップダウンが激しい地形で地表の曲線を鉄道の縦断面が追従できない条件のことであって、今回の区間では、成城学園―喜多見間の国分寺崖線以外に適用すべきものはない。喜多見を高架・成城学園を地下にするのはこの条件に合致する。また計画的条件の最大のものは下北沢の高架井の頭線の存在である。ここから下北沢地下が決まれば、あとは下北沢から成城学園まで地下でつなぐのが地形的・計画的条件に最も合致している。途中に高架を作ると、踏切が解消できなくなる区間が残ったりすることになり目的が達成できない。ましてや高架と地下の過渡区間でもないのに継続した地表区間のある「都市計画高速鉄道」が存在するはずがない。
 
5a.9 平成5年決定(1993)にあたって参加人(東京都)は本件区間についての1987〜88年調査を補う最終的な調査をおこなったかのような説がある。高架、高架+地下、地下の3案について計画的・地形的・事業的検討をしたという。問題は地下についてどんな案を検討したのかである。石川証人(甲84号証の2)のいう、「利用者の便宜すなわち同一方向同一平面を前提に」4線並列の開削工法を中心に検討したというのは1987〜88年調査のことであろう。いわゆる3600億プランである。その後1案加えて4案というときは2線2層(シールドまたは開削)、2案加えて5案というときは2線2層(開削およびシールド)ということになるらしい。これらの比較がいつ行われたのか、何案を比較したのかまったく明らかでない。前提条件に環七・環八の高架を挙げて地下が不利になるように仕組んだ出来レースがあまりにも不評であったため、1992年の力石提言を取り入れてあとから作ったものもあるかもしれないが、それ以前に1991年の説明会で聞かされた3000億プランもあるはずである。東京都との協議で出てきた半分シールドの2線2層案もある。どれがどれにあたるのかはっきりしない。それにしても恣意的な前提条件を前置フィルタに、環境影響調査を後置フィルタに置いて、本体は「計画的・地形的・事業的」のお経とはお粗末である。調査結果に基づいて予定通り高架案(成城のみ掘割)が残り、都市計画素案となった。1992年1月に住民に説明された都市計画案の「付属資料」が線増事業者小田急と「連立事業者」になりそこなった三セクのトンネル会社「東京鉄道立体整備株式会社」の連名で1992年3月の日付であとからまとめられている(丙43号証)。実らなかった恋の相合傘である。この文書の奇怪さについては2002年12月10日付けの原告側準備書面兼証拠説明書が詳しく論じているし、「東京鉄道立体整備株式会社」という名前の幽霊会社について述べると大変な分量になるのでここでは省略するが、幽霊会社と怪文書はお似合いである。
5a.10 1991年8月に都市計画素案説明会があり、翌1992年4月には高架案だけに対する後置フィルタとしての環境アセスの公聴会があった。素案説明会は悪名高い「株主総会」方式で、小田急やゼネコンの社員が住民に化けて前列を占め一方的に進行しようとしたが、「偽住民」の動員指令書を会場内に落とすといったハプニングもあって、実質的に流れた。アセス公聴会は27名中26名が高架案に反対した。8月アセスの決定された内容が説明されると、ただちに長田教授・田村助教授連名による「こまぎれアセス」による騒音評価の誤りについての意見書が出され、11月には力石教授による「2線2層のシールドの代替案」が提案された。その他政治学者・弁護士、市民多数の意見公告など数々のグループから環境影響評価案に対する意見書が集中して非難したにもかかわらず、あけて1993年2月参加人は「平成5年決定」と呼ばれることになる都市計画の変更を決定した。
 
5a.11 しかし8月細川内閣が成立し、「公共事業の見直し」は政治の中心スローガンになり、そのまま形での建設省への申請は思いもよらない事態になった。11月住民団体と五十嵐建設大臣との会見、12月鹿谷副知事を窓口とする東京都との協議開始、あけて1993年1月ニューヨークタイムス紙のトップをかざった「情報公開訴訟の和解」があり、それまで雲をつかむようだった東京都の計画検討内容がうっすらと見えてきた。が流れは続かなかった。4月細川首相が辞意表明し、小田急バスのOBである羽田氏が首相になると、待っていたかのように東京都は協議を一方的に打ち切り、事業認可を申請した。5月、就任21日目の羽田内閣森本建設大臣によって本件の認可が行われ、6月に認可取り消しが提訴された。
 
5b 事業費の比較
 
5b.1 平成5年決定での事業費比較をベースとして議論する。実際にいつこの検討が行われたのか不明であるが、書類に残っているのは怪文書丙43号証の5案比較である。そのうち3案は意味がないので除くと
 
高架   地下(半シールド)
用地  950億    400億
工事  950億   2600億
合計 1900億   3000億
 
この1100億の差は恣意的なものである。半シールドと書いたのは、2線2層の全面シールド案と違って、緩行線の6割、急行線の4割を開削とした半シールドに過ぎないからである。駅については6つの駅が4つの理由で開削とされる。両端の駅成城学園と梅丘はつなぎの関係で4線並列のため開削、千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵はコスト比較で開削、経堂は待避線・留置線のため開削、豪徳寺は2層の上下差が少ないので開削とされている。これでは全く2線2層シールドの費用とは言えない。また高架費用には、1987年以前に取得した土地は費用に算入していないこと、南側環境側道を無視したことも問題である。地下の数字の内わけと前提となる条件は素案説明の段階では、明らかにされなかった。ただ「地下は3000億ないし3600億」という総額の説明だけであった。3600億は無意味な代替案である4線並列開削の見積もりだったことが後に明らかになる。無意味なものを付加して数字を膨らませて見せていたのである。
 
5b.2 力石教授案として我々が1992年11月に提案したのは(甲21号証の1)
 
高架   2線2層シールド
用地  2456億   340億
工事   950億  1612億
合計  3406億  1952億
 
というもので、金額がほぼ逆転している。大きな差には2つの理由がある。ひとつは、4線並列の高架にしたときに南北に各13mの側道を取る事を前提として見積もったことである。官側の案は北側のみ6mであるから、13+7=20m幅での用地の追加費用約1500億円を加えている。騒音・振動と景観・威圧感から南北に環境側道を必要とするという環境実定法秩序を遵守できない案は事業費比較の対象になりえない。買ってくるのと盗んでくるのとどっちが安いといっているようなものだから。もうひとつの差は地下の工事費が約1000億官側より安く見積もられていることである。これについては「情報公開」の前であり、詳細の検討する資料もなく、概略の比例見積もりであることは否定できない。そのため信頼感に乏しいとの見方もあったがそれは問題ではない。
「以上で,簡単な比較を終わることにするが,事業者が代替案についての資料発表をいつまでも拒否しつづけるならば,市民は、地下式の真の費用を偽っているとみなすであろう。それが困るのならば我々の試算を論駁する専門家の検討の耐える資料を公表する必要があろう」(甲21号証の1、3頁)
と手袋を投げつけたことに意義がある。情報公開要求の裁判は翌1993年10月に提訴され,翌年1月に東京都との協議のさなかに勝利的和解となった。またこの意見書では、単に金額と納期で売り込んでいるだけでなく、冒頭に「複々線」の次は「将来複々々線化に追い込まれる」ことを警告し、放射交通だけに頼るとネットワークにならないことを指摘していること、最後に地下にして地表面に都市保存緑地法の網をかけてグリーンベルトを生み出す必要があることを主張していることを特に付け加える。
 
5b.3 このあと五十嵐建設大臣の仲介による東京都との数字のすりあわせがおこなわれた。このときの一番バッターが不動産鑑定士山森大七郎氏であった。氏は、もっぱら争点の拡散を避けるために、東京都の見積もりにあわせて側道は北側6mのみとし、地下鉄のシールド工事費を東京都の見積もる50%シールド50%開削の額のままで丸呑みした上で、なお地下が有利になることを示した。1987年以前に取得した土地代(同じ地価で評価すれば高架500億円、地下200億円)を算入し、不動産業界の新しい常識「立体交換」による受益分をとりいれた数字が(甲50号証の7)
 
高架   2線2層シールド
用地  1450億   600億
工事   950億  2600億
受益  −362億 −1823億
合計  2038億  1337億
 
である。このときの地価の基準は東京都の主張により1987年とされた。(これは、1987〜88年調査以降に本格的な調査がなかったことを示している)。既取得分の土地の価格や受益分の想定などいわば「会計思想の現代化」である。官側は「売る売らないじゃなく、あくまでもストックとしての価値で」という山森証言を鬼の首でも取ったように掲げている(控訴理由書136頁)が、ストックとフローの関係、損益計算書と貸借対照表の違いを理解しない大福帳センスを自白しているだけのことである。官庁の単年度予算主義に染まった目から見ては分からなかったかもしれない。2003年の目で見れば、売るわけでもない持ち合い株の暴落で時価評価のため事実上国有化された銀行もあり、貸借対照表を作ってみてはじめて負債超過がわかった公団もあるので、山森証言のストック評価も理解されたに違いない。どういうわけか1987年は不動産価格のピークの年であり、計画決定時1993年より高値である。しかしトンネル工事は日進月歩であるから計画決定時まで判断条件を繰り下げると2線2層シールドに有利なことも多い。この数字に対する東京都の公式な評価もないままで、とりあえず資産評価以外の条件をすべて同一としたことにつけこまれ、「数字についてはおおむね住民の理解が得られた」(乙21号証[石川金治証言6ページ])というデマ宣伝に使われて協議は一方的に打ち切られた。技術論争を準備した二番バッター以下には出番がなかった。
 
5b.4 その後下北沢は地下が当然に想定されるべきこと、駅部もシールドで工事できることなどを加味して、一審判決前の最終的な数字としては(甲50号証の1、甲62号証)で
 
高架   2線2層シールド
用地  1450億   256億
工事   950億  2172億
小計  2400億  2428億
受益  −362億 −1823億
合計  2038億   605億
 
を主張している。ここまでくると、受益分を入れなくてもほぼ同じ、地表の利用価値だけまるまるプラスということになる。高架案に南側環境側道を考慮すれば地下がさらに優位に立つし、シールド区間の見直し・シールド単価の見直しがあれば地下が圧倒的に優位になる。」
                             (引用終わり)
 
 以上に極めて詳細に述べたところからもはや明らかであるが、原判決には、第一の2.、同3.、同4.、同5.、同6.、同7.乃至11.で示した憲法解釈の誤り及び憲法違反があると同時に、審理を尽くさないその態度と社会通念・経験則に著しく反する恣意的な事実認定に基礎付けられたその論理には明らかな理由不備があり、破棄されなければならない。
 
13.環境影響評価と騒音被害に対する判断の違憲性
 原審原告らは、本件の環境影響評価には、@その騒音予測によれば、本件事
業の完成後、線路脇の中高層建物の4階以上12階まですべての階で88ホン
を超える騒音に曝されることが明らかとなっていたにもかかわらず、これに対
して不十分な対症療法的騒音対策をもって足りるとした点、A本件事業の完成
後、列車速度が時速120キロメートルにまで上昇することを隠蔽し、また、
列車の運行本数も増加することを考慮しないまま、事業完成後の影響とかけ離
れた予測を行っている点、B本件事業を実施すれば、自動車交通量の著しい増
大が見込まれ、それに伴う大気汚染の深刻な影響が十分予想されるにもかかわ
らず、大気汚染について必要なアセスメントを実施していない点で問題があり、
そのような問題のある環境影響評価を基礎として、本件高架式の採用が周辺地
域の環境に与える影響の点で特段問題がないとの判断に立ってされた平成5年
決定には、考慮要素、判断内容の著しい過誤、欠落があるのであって、違法で
ある旨主張する。
 まず、上記@の点について検討する。
 確かに‥‥本件の環境影響評価書上、鉄道敷地境界から1メートル‥‥の地
点において、建物4階以上12階までに相当する高さで88ホンを超える騒音
が生じ‥‥地上高さ15メートルでは、93ホンの騒音が生ずることが予測さ
れている。
 しかし‥‥鉄道に極めて近接した地点での予測値であり、その騒音レベルは
高架橋端から離れるに従って減衰するものである。また、高架橋より高い地点
での騒音については、線路部分において生じる騒音が線路を走行する車体に遮
られることにより、現実の騒音値は、上記予測値のような実験式によるものよ
りも低くなる‥‥。さらに‥‥参加人は、事業実施の段階で‥‥対策を講じる
とともに、干渉型の防音装置の設置についても検討することにより、騒音の低
減に努めることとしていた。‥‥
 以上のような離隔による騒音の減衰、予測値に比較した車体による騒音遮断
に伴う現実の騒音値の低下及び騒音低減措置による効果に加え、当時、鉄道騒
音に関する唯一の公的基準であった前示の新幹線騒音基準でも、騒音の測定地
点は地上1.2メートルとされており‥‥地上6.5メートルを超える高さに
おける騒音を規制する基準は全く存在しなかったこと(弁論の全趣旨)、本件
の環境影響評価が行われた以前から、在来線の鉄道騒音について沿線住民が迷
惑感、うるささを訴える騒音レベルは、音の種類、音色、衝撃性等の違いや日
常利用するか否かに伴う親近感の違いにも関連して、一般に新幹線の鉄道騒音
の場合に比して高いと言われており、等価騒音レベルで、10デシベル以上の
差があることを示す調査結果も複数報告されており、その中には、東京都が昭
和59年に実施した調査結果も含まれていたこと(甲114の1のロ、146、
当審における証人田村明弘、弁論の全趣旨)を併せ考慮すると、鉄道敷地境界
から1メートル‥‥の地点での高さの違いによる騒音予測に係る前記予測値を
把握しながら、本件高架式の採用について、周辺地域の環境に与える影響の点
で特段問題がないと判断したことも、著しい判断の過誤があったとまではいえ
ず、裁量権の範囲を逸脱したものとも認められない。
 次に、上記Aの点については、本件における鉄道施設の計画は、朝方のラッ
シュ時の過密ダイヤによる低速運転を解消し、昼間並みの列車速度に改善する
ことを目的としていたものであったため、参加人は、事業実施前の昼間時にお
ける列車平均速度(時速80キロメートル)を騒音予測に当たって用いたもの
であり(甲105の2、丙33、弁論の全趣旨)、それ自体不合理なものとは
いえず、本件の環境影響評価における騒音予測の前提となった列車速度の条件
設定に著しい過誤があったとは認められない。
 また、列車の本数は、現在の1日当たり上下線で770本から、梅ヶ丘まで
の区間が完成したときには800本、東北沢までの区間が完成した時には10
00本に増加することが予定されているところ‥‥列車運転本数の増加による
列車騒音への影響は、本件の環境影響評価では、ピーク値での予測を行ってい
るため、列車運転本数の増加によって予測結果は変わらない。また、等価騒音
レベル方式を前提に予測するとしても、1日当たりの列車本数が800本から
1000本となった場合、おおむね1ホンの増加にとどまることからすると
‥列車運転本数の増加が列車騒音の増加に大きな影響を与えるものとまではい
えない。したがって、仮に、平成5年決定の際に、列車の運行本数の増加を考
慮していなかったとしても、本件高架式の採用は周辺地域の環境に与える影響
の点で特段問題がないとした判断に考慮要素の欠落や判断内容の過誤があった
ものとはいえない。
 なお‥‥本件調査報告書において、鉄道施設の計画に当たっての基本的な条
件として、列車の最高速度は120キロメートル毎時とする旨記載されている
が、これは‥‥対応できる速度の最大値を意味するものであるから(当審にお
ける証人田村明弘、弁論の全趣旨)、実際に列車が運転される速度とは異なる
ものであって、そのような速度を前提に騒音の予測をすべきものとはいえない
 また、田村明弘の陳述書(甲252)中には、インターネット上で公開され
ている「鉄道事業 輸送力の増強」‥‥に示されている喜多見・世田谷代田間
の複々線化完成前後での朝ラッシュ時の上り列車の所要時間‥‥の短縮割合か
ら列車走行速度の増加率を算出したところ、143パーセントにも及び、本件
の環境影響評価書に現れた測定対象列車200本の平均速度が70キロメート
ル毎時であることからすると、上記区間の複々線化完成後には、列車の全平均
速度は100キロメートル毎時にもなるのであり、本件の環境影響評価におい
て騒音予測のための列車平均速度を80キロメートル毎時と設定したことには
誤りがある旨の記載がある。しかし、‥‥記載された列車の所要時間は、朝の
ラッシュ時間帯におけるものであり‥‥環境影響評価において列車の騒音が測
定された平日の昼間とは時間帯が相違し、列車の運行速度も異なるため(乙2
弁論の全趣旨)、両者の比較から、直ちに複々線化完成後の列車平均速度を推
測することはできず、上記陳述書中の記載が、本件の環境影響評価において騒
音予測の前提となった列車速度の条件設定に過誤があったことを基礎付けるも
のとはいえない
 その他、長田泰公及び田村明弘の作成した「環境影響評価書案に対する意見
書」と題する書面(甲16の3)中には‥‥車種・速度・勾配などの運行条件
を考慮に入れて騒音を予測すべきである旨の記載があり、田村明弘の別件訴訟
における証人尋問調書(甲122)にも、同旨の記載がある。しかし、上記の
ような運行条件をも考慮に入れて騒音を予測すべきであるとする法令や技術指
針、基準等はなく、本件全証拠によっても、そのような運行条件を考慮に入れ
なかったことが本件の環境影響評価の科学的合理性に疑いを生じさせるものと
はいえず、その結果を踏まえて、本件高架式が環境に対する影響の点で特段問
題がないと判断したことについて、考慮要素や判断内容の過誤、欠落があった
ものとはいえない
 さらに、上記Bの点については、本件の連続立体交差事業が道路の新設、拡
幅を伴うものであったとしても、他の鉄道路線における立体交差化の事例では
立体交差化前後で自動車交通量の変化は少なく、また、環境影響評価当時の世
田谷区の自動車保有台数及び計画路線周辺の主要道路の自動車交通量はほとん
ど変化しておらず‥‥本件において自動車交通量が原審原告らの主張するよう
に著しい増大が見込まれることを認めるに足りる証拠もないのであって、本件
の環境影響評価において、自動車交通量の増大による大気汚染の評価が実施さ
れておらず、これを基礎とした平成5年決定も、その点について考慮していな
かったとしても、考慮すべき事項を考慮していなかったものとして、参加人に
裁量権の範囲からの逸脱があったとはいえない。
 本件の環境影響評価は、東京都の環境影響評価条例に基づく技術指針が定め
る環境影響評価の手法を基本とし、一般に確立された科学的な評価方法に基づ
いて行われたものであって‥‥その評価の方法や過誤に不合理な点を見いだす
ことはできず‥‥参加人が‥‥裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したも
のと認めることはできない。
 原審原告らは、平成5年決定当時、本件事業区間を含む小田急線沿線におい
て、重大な騒音被害が生じており、参加人もそのことを認識していたから‥‥
その現状を踏まえて、騒音問題の解消という視点から、都市計画を行うべきで
あったにもかかわらず、そのような視点を欠いたまま、平成5年決定を行って
おり、その点で、考慮要素に著しい欠落があった旨を主張する。
 この点に関しては‥‥9号線都市計画がまさに小田急線の走行、列車騒音の
発生に関連する事業であることからすると、都市施設である鉄道の構造等を考
慮する上で、そのような違法を解消又は軽減することを検討すべきであって、
そのような視点を欠いたまま、都市計画を定めることは、参加人に与えられた
裁量権の範囲を逸脱するものと評価することができなくはない‥‥。
 しかし‥‥平成5年決定当時、本件事業区間において、列車走行に伴う騒音
被害が発生し、その程度が受忍限度を超えた違法にわたるものであり、それを
参加人においても認識し、又は認識すべきであったことを認めるに足りる証拠
はない。
 確かに‥‥平成4年5月7日‥‥公害等調整委員会に責任裁定の申請をし、
その後‥‥小田急電鉄の責任を認める裁定をしており‥‥平成5年決定以前の
騒音被害の発生に関しても‥‥違法であることを前提にして、損害賠償が認め
られている‥‥。
 しかし、沿線住民の多数が上記のような申請をしたことで、列車の運行によ
る騒音被害が生じているであろうことは一応は推認できるとしても、それ以上
に、その被害の程度が受忍限度を超え違法性を帯びるほどのものであることま
で推認できるものではない。原審原告らは、沿線住民の多数が損害賠償の責任
裁定の申請をする以上、よほどのことが起きていると考えるのが常識であり、
そこに違法な騒音発生行為に基づく損害があると推認するのが当然である旨主
張するが、独自の見解であって採用できない。また、上記責任裁定において
平成5年決定以前の騒音被害についても損害賠償の対象とされているとして
も、そのことから、直ちに、参加人が、同様に平成5年決定当時において、受
忍限度を超える騒音被害が発生していることを認識し、又は認識すべきであっ
たとはいえない(なお‥‥平成6年に騒音被害についての実態調査が行われ、
平成7年8月には‥‥実態調査報告書が作成されているところ‥‥調査の実施
も、調査報告書の作成も、平成5年決定の後にされたものであるから、同決定
の際に‥‥考慮する余地はなかった。)‥‥。
 また、日本騒音制御工学会が東京都から委託を受けた鉄道沿線周辺住民意識
調査に関連して、昭和58年8月、経堂地区において鉄道騒音の測定調査が実
施された‥‥。
 この結果は、新幹線騒音基準を上回るものであるが‥‥平成5年決定当時、
在来線についての公的な騒音基準は未だ存せず、在来線の鉄道騒音について迷
惑感を訴える騒音レベルは、新幹線の鉄道騒音に比べて高いとされていたこと
に照らせば、上記調査結果が新幹線騒音基準を上回るものであったことをもっ
、参加人において直ちに違法状態にあるとの評価を下すべきであったとまで
はいえない。また、上記調査結果は、一部住民が、上記責任裁定で受忍限度と
された70デシベル‥‥を超える騒音を受けている可能性を示すものではある
が‥‥在来線の鉄道騒音についての受忍限度を前記裁定のように等価騒音レベ
ルの値で70デシベルと設定すべきであるとの考え方あるいはそれ以下のもの
とすべきであるとの考え方が、平成5年決定当時、一般に共有されていたこと
を認めるに足りる証拠のない本件においては、上記可能性をもって、参加人に
おいて、小田急線沿線で受忍限度を超える騒音被害が発生していたことを認識
し、又は認識すべきであったものとまでは認められない。
 なお‥‥(甲198の4)の結論において、「‥‥綜合被害感やうるささを
30%の人が訴えるレベルはLeq24では50〜55dBA、ピークレベル
では約70dBAとなった。との記載があるが、この記載から直ちに、参加
人において、鉄道騒音の受忍限度が等価騒音レベルで70デシベルないしそれ
以下であるとの認識を有すべきであったものとはいえない。この点については
‥‥新幹線の騒音に関して名古屋高裁において受忍限度は73ホンであるとの
判断が示され‥‥ていることを考慮しても、同様である。
 さらに、東京都は、本件調査の過程で、平成元年3月ごろ小田急線の騒音調
査‥‥を実施しているところ‥‥上下軌道中心からの水平距離が12.5メー
トルの測定地点で、80デシベルを超える値が測定された場所があり‥‥6.
5メートルの測定地点では88デシベルの値が測定されている‥‥。上記測定
結果は、新幹線騒音基準や責任裁定で示された受忍限度を上回る騒音に曝され
ている地点が現に存することを示すものであるが‥‥そのことをもって、直ち
に、参加人において、小田急線沿線で受忍限度を超える違法な騒音被害が発生
していたことを認識し、又は認識すべきであったとまではいえない。
 他に、参加人において、平成5年決定当時、本件事業区間を含む小田急線沿
線で受忍限度を超える騒音被害が発生していたことを認識し、又は認識すべき
であったことを認めるに足りる証拠はない。
 なお、上記各調査に現れた測定結果は、小田急線の沿線における騒音問題が
軽視できる程度にとどまるものを示すものではなく、むしろ、行政庁としてそ
の問題に積極的に取り組むことが相当視される程度のものであることを示すも
のといえる。しかし、平成5年決定当時‥‥在来線に関する騒音基準が未整備
であった等の事情の下では、参加人が必ずしもその騒音問題解決を本件鉄道事
業における構造の決定において重視しなかったことが、考慮すべき事項の欠落
ひいては裁量権の逸脱を基礎付けるものとまでは言い難いものといわざるを得
ない。‥‥
 以上によると、仮に、参加人において、平成5年決定に当たり、小田急線沿
線の騒音問題の解消という視点を欠いていたとしても、これをもって、裁量権
の範囲を逸脱したものとまでは認めることができない。
                     (原判決104頁〜115頁)
 
(1) 環境影響評価の違法とその意義
 上告人らは、本件環境影響評価は本件調査のためにする不正と連動してその手続と内容において東京都環境影響評価条例に著しく反する重大な違法があり、これは本件都市計画決定の違法事由になり得ること、少なくとも判断過程の違法を構成するものであると、上告人らの控訴審準備書面(2)「第二 本件都市計画決定(平成5年決定)において考慮すべき事項とその欠落」同書「第三 判断過程、判断内容の著しい過誤」等において明確に主張してきたし、これは元国立公衆衛生院院長長田泰公らの意見書(甲第16号証の3)、および同人の本件および別件の証人尋問調書、弁護士の意見書(甲第17号証の2)、その他各界の有識者の意見書をはじめとする多くの証拠によって、十二分に証明してきた。
 そもそも本件連立事業は、小田急の所謂下北沢地区をひとつの柱として計画されたことは、本件調査に照らして極めて明白なことであり、被上告人もあえて争っていなかった。また、下北沢地区が複々線として完成しなければ、本件連立事業は官側が言うところの「混雑緩和」「輸送力の増強」という目的は達せられないことは客観的にも明白であった。すなわち、第1審判決が正解しているように、下北沢が当時の状況通り「地表式」で存続することはあり得ず、高架式もしくは地下式で連続立体化されることは間違いなかったのである。しかし、「12.比較設計」のところで述べた通り、下北沢地区を地下式とせざるを得ないことが本件調査のなかで明確になるに及んで、下北沢地区を本件連立事業から切り離したのである。
 この「細切れ」こそ、本件連立事業の本件調査を含む広義の都市計画手続および本件都市計画決定の法的適否を判断する核心なのである。
 何故分離したのか。12の2で引用した甲第270号証やその他の多くの証拠が明確に示す通り、本件事業区間(成城学園駅を除く)を、経堂を軸に高架方式にするためである。そのためには、沿線住民の地下要求の運動を分断したうえで、あたかも下北沢は「地表式」であることを前提にして本件事業区間を地形的・事業的・計画的条件という、それ自体本件要綱に反する恣意的条件を設定し、高架式の計画がやむを得ない妥当なものであるように見せかけようとしたのである。
 もうひとつの大きな理由があった。それは、下北沢地区を分離しなければ、環境影響評価の前提となる列車の速度が速くなり、列車本数も著しく増加するところから、交差道路は別として、電車だけでも騒音等の被害が甚大となり環境影響評価手続をクリアー出来ないことが明らかだったからである。
 また、「14.他事考慮」のところでも述べるが、このように高架方式に固執したのは、経堂を中心とする巨大な再開発を実現するためであったのである。これらのことを証明する証拠は実に多い。ところが判決は、この核心を殊更に見ていない。上記判決、とりわけアンダーライン部分は、これを極めて顕著に示している。
 そもそも判決は、上告人らが、地下方式という代替案があったにもかかわらず環境を比較の基準として検討しなかったことを秘匿していたこと(判決自身これを認めている)を、環境影響評価手続において代替案があった場合には、当然のことであるが、それを検討しなかったことを含めて、「検討の経過を記載しなければならない」とする同条例9条1項3号に明白に違反して記載しなかっただけではなく、大気汚染等の必要なアセスメントを実施していないなど同法10条に、事業地を分断して行った細切れアセスメントの点で同4条2項等に違反する等手続の重大な違法を重ね、内容自体にも大きな問題があると主張していることは認めながら、「同条例違反等があったとしても」(84頁から85頁)と、あたかも同条例違反の事実を認定したかのようにいっているにもかかわらず、いざ環境影響評価の手続内容の判断に及んだこのくだりでは、まさに都合のよい証拠を恣意のままに取り出し、手続の内容は何の違法もない、と事実に全く反する断定をするのである。以下それを具体的に指摘する。
 「鉄道敷地境界から1メートル‥‥の地点において‥‥建物6階に相当する地上高さ15メートルでは93ホンの騒音を生ずる」ことが予測されている事実は、第1審判決が重視していることであり、明白なことであるから、否定しきれずに認めてはいる。しかし、防音壁、バラストマット等の防音制御装置やその数値を示さぬまま離隔による騒音の減衰がある等として、93ホンという新幹線環境基準70デシベルの約100倍にあたるエネルギーがもたらす、通常生活は到底出来ず恒常的に曝されれば健康被害が生ずることが明らかな巨大な騒音被害を、実際は大したものではないように見せかけている。
 しかし、まず、離隔による減衰についていえば、本件高架工事の南側には本件要綱に反して側道(環境空間)が確保されなかったため、高架橋に接する程の近距離に多数の建物が存在し、そこにはいうまでもなく上告人らを含む大勢の人々が居住しているのであるから、そもそも距離減衰の効果を受ける余地がない。証拠上からも、被上告人らもあえて争っていない明白な事実であるにもかかわらず、これを殊更無視したものであるばかりではない。別紙横浜国立大学大学院工学研究院教授田村明弘の意見書(以下「田村意見書」という)が指摘している通り、側道がある程度確保されている北側の側道に面して居住している大勢の人々の場合(高架橋端から6〜7メートル)であっても、減衰効果はわずか3デシベル程度でしかない。これらの人々の被害が耐えがたい程のものであることを全く省みない、まさに暴論というべきである。また、各種騒音制御装置についても、パンタグラフと架線の擦れ合う騒音が無視されているばかりでなく、前記長田泰公元国立公衆衛生院院長らが指摘する通りの問題があり、かつ、これらは防音壁の高さを超える地上6.5メートル以上に居住する住民にはほとんど効果がないのは見易い道理である。したがって、本件高架工事による近接住民の被害は甚大なものとなることは、本件証拠をいささかでも条理、経験則に基づき検討すれば、直ちに分かることであったのである。
 そのうえ、論理的には全く繋がらない測定地点は、新幹線の場合では地上1.2メートルとされているものの、東京都環境影響評価審議会ですら高架式の場合は騒音の影響を最も受けやすい地上6.5メートル以上の地点とすべき(第1審判決は、これを鉄道騒音の認定において「高さ方向の騒音の予測として次のような記載が付加された」として正解している。)としたことまであえて無視して、「特段問題がないと判断したこと」も違法ではないと、誠に不条理な断定をしているのである。
 さらに、下北沢まで完成すれば、前述の通り列車の平均速度が速くなることはこの事業の目的から当然であり、本件調査にその基本条件として最高速度を時速120キロメートルとしているのである。これは最高速度であって、通常運転する平均速度がこれを下回るとしても、上限より40キロメートルも遅い80キロメートルが平均の速度になるものとは到底考えられないことは経験則上明らかであり、また、仮にそのような速度であるならば、下北沢地区をあえて分離する必要もなかったことになる。にもかかわらず、「それ自体不合理なものとはいえず」といい、これに反する証人田村明弘の証言等、多くの証拠をことごとく排斥して、環境影響評価に「その評価の方法や過程に不合理な点を見出すことはできない」とこれを全面的に容認するに至っている。
 しかも、先ほど上告人らが問題としていた代替案の検討経過の秘匿等、重要な論点に対して何も判断することなしに結論を出しているのである。ただ、大気汚染が予測項目に入っていないことについて、上告人らは、大きな道路が8本(代表的なのは東京外郭環状線の幅54メートル)新設され、17本の道路が拡幅される事実に着目して大気汚染を予測しないことは、細切れアセスそのものであるという主張をすり替えて、踏切の通行量だけを問題とし、しかも「開かずの踏切」がなくなり新設道路が8本もでき、17本の道路が拡幅されれば、自動車交通量が著しく増加することは見やすい道理であるにもかかわらず、「世田谷区の自動車保有台数及び計画路線周辺‥‥の交通量はほとんど変化していない」から予測する必要はないとまで言っているのである。交差道路を走行する車はどこから来るのか分からないのはいうまでもなく、世田谷の保有台数などは問題ではない。開かずの踏切の状況では周辺の道路に自動車が来ないのも、20年以上「開かずの踏切」が続いていたのだから、多くの車の保有者はこれを充分承知しているからであって、これまた当然のことなのである。
 以上のことを見ただけでも、判決がいかに不条理な判断をしているかが分かるであろう。判決には、いま裁判所に求められている環境に対する認識が決定的に欠落していることが、ここでもよく分かるのである。
(2) 騒音に対する考慮の全面的欠落
  原判決は、
「9号線都市計画がまさに‥‥列車騒音の発生‥‥する事業であることからすると‥‥そのような違法を解消または軽減することを検討すべきであって、そのような視点を欠いたまま、都市計画を定めることは‥‥裁量権の範囲を逸脱するものと評価することができなくはない
 と、例の調子の曖昧さで、もっともらしいことを言ってからすぐに、
「受忍限度を超えるものであることまでを認識しておらず、また認識できなかったような場合には、騒音問題の解消という視点を欠いていたことが‥‥考慮要素に著しい欠落があり‥‥裁量の範囲を逸脱したものとまでは評価できない」
 というのである。
 これ自体に原判決の本音がはっきり現れている。要するに、受忍限度を超えるような被害であるという認識または認識可能性がなければ、裁量は違法にならないという訳である。ここには、第1審判決のように「騒音(環境と言い換えてもよい)の違法状態の疑念があれば、まず第一にこれを解消することを考えなければならない」とする、いま時代が求めている環境重視の姿勢はいささかも見られない。
 都市計画をするときに、しかも騒音被害があることを認識しているときに、これを解消するという視点を持つべきことは、都市計画における環境の特殊今日的な意義を考えれば、極めて当然のことである。それが受忍限度を超えているかどうかは問題ではない。このこと位は、環境と都市計画に法の支配を及ぼすべき裁判所が最低わきまえなければならないことは過言を要しない。
 それだけではない。本件都市計画決定の段階に至る過程で、参加人東京都は、小田急線の本件事業区間を含む連立事業施行予定地沿線において、「受忍限度」を超える被害が生じていることを承知し、または承知しうる状況であったことを充分示す証拠を、原判決はことごとく無視しているのである。原判決のこの「事実認定」の条理、経験則におよそ反する独特の手法は、ここでも貫徹されている。
 本件連立事業区間の西側に隣接している所謂狛江地区の昭和56年の被害状況を記した本件控訴審における上告人らの2002年10月1日付準備書面兼証拠説明書第二の3「甚大な騒音被害」をひとつだけひいておく。昭和56年といえば、本件決定の10年以上前であるが、もとよりこの間、騒音被害状況は悪くなってはいても、改善されたことは全くないし、これについては公害等調整委員会が住民の騒音被害が長期にわたり継続していたことを明確に認めている。公知かつ争いのない事実である。昼間ではなく、平均速度が遅いラッシュ時に近い夕方のデータであることも大切なことである。
「この調査では、昭和56年12月3日に沿線の騒音について現況測定をしている(\ 総合アセスメント調査 1.騒音現況調査38頁)。測定場所は狛江市和泉付近の線路構造が平坦なところで、「線路の南側‥‥側線の線路寄りに民家が2軒あり25mまでの測定位置は民家に近接した位置となっている。‥‥軌道はロングレールでバラスト軌道である。」(40頁)から、騒音が比較的少ないところである。また、「線路の北側は80m付近まで畑地となっている。」(同頁)というのであるから、民家が密集している場所ではない。もとより、そういう場所はこの区間にいくらでもある。
 騒音の人に対する影響を予測するための現況測定の場所として適正であるかどうか、大いに疑問の残るところである。
 しかしこれは置くことにして、測定結果(45頁、表1−2 測定結果整理表)は驚くべきものがある。
 16時36分から18時47分の約2時間の間に、上り・下り計20本の電車について速度と線路中心より6.25m、12.5m、25m、50m、100mの距離と高さ1.2m、3.5mに分けて騒音の測定をしている。
 まず列車速度(時速)であるが、全列車の算術平均値は66.7キロであるものの、87キロ2本、79キロ3本と、実に4分の1が約80キロで走っているのである。本件事業区間のアセスメントは、高架複々線により時速80キロになることが前提とされている。これが意図された大間違いだということは、本件調査報告書が開示され、前提速度が120キロとされていることが判明して明らかになったが、この地区では普通電車が20本のうち8本もあるのに、時速約80キロの電車が高架になる前に既に走っていたのである。当時本件事業区間と狛江地区はこの点には大きな違いはなかったから、アセスメントの前提を時速80キロにすることの誤りは、この現実からみてもよく分かるのである。
 騒音についてはさらに重大である。北側の線路際とはいえ、距離6.25m、高さ1.2mのところでは94デシベルを最高に90デシベルを超えるものが実に5本、4分の1に達し、86デシベル以上の約90デシベルのもの8本を加えると実に13本、6割以上にのぼるのである。
 90デシベルといえば、そのエネルギーは新幹線騒音の住宅地環境基準70デシベルの100倍に達する、普通の人にはとても耐えられないレベルの騒音であり、眠ることなど論外のものである。国道43号線事件最高裁判決の受忍限度が65デシベル(20m以内60デシベル)、小田急騒音にかかる公害等調整委員会のそれが70デシベルであることを考え合わせれば、このレベルがどれほど酷いものであるか、よく分かるであろう。
 南も大同小異である。
 12.5m離れても最大値は86デシベル、25mでもそれは81デシベルに達しており、比較的騒音が少ない平坦地においてこの当時線路近傍に生活する人々には、前記新幹線騒音環境基準を10デシベル以上上回る騒音に曝されていたことになる。10デシベル以上といえば10倍以上ということであるから、受忍限度をはるかに超えるものであることはいうまでもない違法明白なレベルである。本件事業区間もこの点においては大同小異であったこと、その後いずれも改善されていないこと、いうまでもない。
 昭和56年といえば、平成5年決定の約12年前である。この都市計画案の策定を開始したというべき本件調査の着手時期である昭和62年4月から起算しても、少なくとも約6年にわたりこの状態が続いていたことになる。
 甲第207号証は、横浜国立大学工学研究院教授田村明弘がこの騒音調査を解析し、「昭和56年当時小田急線の平坦地を走行する電車により、線路近傍の住宅は新幹線騒音の環境基準を10dBA以上上まわる騒音に曝されていた。これらの数値は生活環境に重大な影響を及ぼす」と断じたものである。以上に加え、既に提出済の甲第198号証、甲第200号証等騒音に関する多くの証拠に照らせば、平成5年決定策定当時、本件事業区間に違法かつ重大な騒音被害が存在していたことは紛れもない事実であり、しかもこれを当の東京都が熟知していたことも明白なのである。原判決の「違法状態があるとの疑念」という表現は極めて控えめであることに、控訴人らは充分留意しなければならない。東京都らは「疑念」どころか明確に騒音被害の現実と違法性を充分認識していたが故に、これを隠蔽するため本件事業区間と下北沢地区を分離して、細切れアセスに持ち込む等の小細工に及んだのである。」
 
 以上のような状況を例の「事実認定」で否定しきれず、そうすれば、参加人の騒音問題に対する考慮の欠落も否定しがたいと見てとったのであろう。「在来線に関する騒音基準が未整備であった事情のもとでは‥‥参加人が騒音問題解決を重視しなかったことが考慮要素の欠落」とはいえない、とまで言って弁護するのである。在来線の環境基準が定められていなくとも、騒音の環境基準は約30年前に公害対策基本法に基づき定められている(新幹線環境基準も大体その頃である。)し、騒音規制法も制定され、騒音被害を防止することを目的とした実定法秩序はその頃基本的に確立していたことを想起すれば、原判決の「基準がなかったから、仕方がない」というような考えは、本来の裁判所であれば全く通用しないものであることは過言するまでもない。
 基準がない、規定がないと言って全てを正当化するこの種の形式論を、いまこそ裁判所は克服すべきであろう。
 なお、田村意見書は、昭和54年9月に鶴見と戸塚を結ぶ東海道貨物別線では騒音の目標値が55デシベルに設定される等、鉄道事業者においてすら騒音対策に格段の配慮がなされていたこと等、在来線の環境基準が定められていなくとも、鉄道に対する騒音配慮義務が明確に存在したこと、また、受忍限度を超える違法が存在することを、東京都が容易に認識し得る状況にあったこと、したがって原判決のこの部分における判旨が事実に全く反する重大な誤りをおかしていることを、科学的実証的に示している。
(3) 小括
  以上の点こそが原判決の姿勢全体を貫く最大の誤解・恣意的解釈であって、これが第一の2.、同3.、同4.、同5.、同6.、同7.乃至11.で指摘した憲法の解釈の重大な誤り及び重大な憲法違反なくしては導かれ得ないものであること、そして社会通念・経験則に著しく反する事実認定と虚構を重ねた上で構成されたその論理に理由不備、さらには理由齟齬があることは明らかで、破棄されなければならない。
 
 
14.他事考慮についての著しい審理不尽
 ‥‥原告らは、参加人や建設大臣は、本件の連続立体交差事業によって利権
を生じさせることを目的とし、より大きな利権を生むために、地下式を排除し
て高架式を内容とする都市計画を決定し、認可したものであり‥‥考慮すべき
でない事項を考慮したものであって‥‥平成5年決定の違法性が基礎付けられ
る旨主張する。
 しかし、原審原告らの上記主張は、抽象的なものにとどまり、それを裏付け
る具体的証拠もなく、単なる憶測の域を出るものではないといわざるを得ない。
‥‥そのような目的から平成5年決定、本件各認可を行ったことを認めるに足
りる証拠はなく、上記主張は採用できない。
                          (原判決115頁)
 
 本件連立事業が、高架方式による経堂を軸とした高架高層再開発を目的とし、他方において、鉄道(側道を含む)だけで少なくとも950億円の用地買収(東京都の説明による)、新設・拡幅される28本の交差道路の3000億円以上の用地買収から生ずる不動産の流動性を実現しようとしたものであることは、本件調査等、東京都、世田谷区の調査等、多くの公文書により具体的に、かつ、充分証明されている。そしてこのような「再開発」に巨大な利権が絡むことは常識であって、「単なる憶測の域を出ない」ということは、これに反する甚だしい独断である。
 なお念のため、上告人らが主張している「他事考慮」はこれに尽きるものではなく、高架方式を強行するためになされた本件調査の比較設計等の不正、法の「説明会」等の手続における説明の虚偽・不正、情報公開条例・環境影響評価条例等における既に述べたためにする違法・不正、その結果なされた本件都市計画決定の判断過程、判断内容、さらには本件事業認可の違法に至るプロセス全体における「他事考慮」を主張してきたものである。これは訴訟記録自体から明白であるにもかかわらず、あえて判決は「利権」だけについて判断していることは、少なくとも著しい審理の不尽と理由不備があるというべきである。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をおかしていると同時に、社会通念・経験則に著しく反する事実認定及びその審理不尽は甚だしく、それによる明白な理由不備があり、破棄されなければならない。
 
15.「線増」事業の違憲性と平成5年決定との関係
 ‥‥原告らは、運輸大臣から本件線増事業の施行を指示された日本鉄道建設
公団が、法59条による建設大臣の事前の承認を受けていないことは同条に違
反し、また、日本鉄道建設公団が小田急電鉄に対し本件線増事業の実施をすべ
て委託したことは、公団法1条、19条、22条等に違反し、さらに、小田急
電鉄は自らは事業主体ではなく、事業費を負担する必要がないにもかかわらず、
同事業費に充てるべく、二度にわたって(特々法の)認定を受けて運賃の値上
げの認可を受けたことは、同法に違反しており、本件線増事業は、上記の各点
で違法であるところ、本件線増事業は、本件各事業と不可分一体をなし、その
半分近い比重を占める不可欠の構成要素であるから、その違法は、同事業が前
提とする平成5年決定そのものの違法につながるとともに、本件各認可の違法
を招来する旨主張する。
 しかし、都市計画事業の実施過程に何らかの違法があるからといって、当該
事業の前提となる都市計画そのものが違法になるわけではなく、本件線増事業
の実施における違法が、平成5年決定の違法につながるとの上記主張は失当で
ある。また、本件線増事業は、本件各事業とは事業主体も異にする別個の事業
であり、前者に係る事業認可の違法が、後者に係る事業認可の違法を招来する
ものとは認められない。‥‥
 また、原審原告らは、東京都及び世田谷区は、本件線増事業における上記の
各違法を承知しながら、これを隠蔽し、小田急電鉄が本件線増事業の事業主体
であるかのごとく説明してきており、そのような行為は、住民参加を原則とす
る法1条以下の規定に反し、本件各認可は取消しを免れない旨主張する。
 しかし、本件各事業とは別個の本件線増事業についての‥‥説明等に問題が
あるからといって、本件各事業の認可の適法性に影響を与えるものとは考えら
れず‥‥上記主張は、独自の見解に基づくものであって採用できない。
                     (原判決116頁〜117頁)
 
 判決は、あたかも線増事業が連続立体交差事業と別個独立して存在するかのようにいうが、全くの誤りである。総論において述べた通り、線増連続立体交差事業と「線増事業」は地理的にも物理的にも全く区別できないひとつの事業なのである。なによりもこれを明確に示すものは、住民との関係はもとより、関係地方議会とのそれにおいても、官側は複々線連続立体交差事業というひとつの事業として都市計画素案説明会からアセスメントの説明会等、各種説明の機会にひとつの事業として説明してきた(甲第14号証の1等)。本件調査においても、ひとつの事業として比較検討されている。従って、事業費についても両者は区別されることなく、高架式1900億円、地下式3000ないし3600億円(本件調査の段階では1層4線オープンカットでしか比較積算していないので3600億円)と説明され、線増連立についてはいくら、「線増」についてはいくらと区別して説明されたことはない。これは本訴のみならず関係訴訟においても同様である。
 もし、仮に、「線増事業」なるものがまさに法律上存在するならば、その相互関係、各事業の施行者(事業主体といってもよい)が明確にされ、沿線住民は運賃値上げという具体的負担(しかも違法に、2回にわたる)をするのであるから、その負担はいかなる事業もしくはいかなる都市施設に対してするものであるかを、住民に説明責任を負っている官側は、説明しなければならない筈である。ところが、このような説明がなされなかったばかりでなく、施行者(事業主体)があたかも何の法律上の権限もない小田急電鉄株式会社であるかのように、しかも、ただそれだけのひとつの事業であるかのように虚偽の説明を続け、平成5年決定に至ったものである。
 上告人らが線増事業の実施における違法が平成5年決定の違法につながるという主張をしているというのは、全くの曲解である。以上概略を述べたに過ぎないが、「線増事業」に係る説明の決定的欠落、虚偽を何よりも今述べた説明責任の関係で問題にしているのであり、この住民に対する背信は、充分に判断過程の違法を構成すると主張しているのである。
 この点で、原判決は、第一の2.乃至11.で指摘した憲法の解釈の誤り及び憲法違反をおかしているが、上告人らの主張を恣意的に曲解した上でのその理由付けは、もはや理由不備や理由齟齬以前の問題であって、破棄されなければならない。
 
16.本件鉄道事業認可の違憲性と事業地、施行期間と都市計画
 ‥‥原告らは、本件の連続立体交差事業は、道路を基軸とした鉄道、都市再
開発を三位一体とする、法的には道路法、鉄道事業法、環境実定法等に基づき
制定された建運協定に基づく複合都市施設を建設する都市計画事業であり、交
差する鉄道と道路との関係を明らかにさせて、両方を含んだ有機的一体の事業
として認可の対象とすることが、法、建運協定等から求められており、それに
もかかわらず、東京都は、鉄道と交差道路とを分離して、別々に認可申請し、
建設大臣は、これを認可しており‥‥本件鉄道事業認可も違法である旨‥‥本
件線増事業は‥‥不可分一体の関係にあるから、両事業を別々に認可の対象と
することも違法である旨主張する。
 しかし、まず、本件鉄道事業と小田急線と交差する道路に係る道路事業は、
別個の都市計画に基づくものであるし、それぞれに鉄道と道路という独自の機
能を有する都市計画施設の建設を事業内容とするものであって、相互に独立性
が認められるのであり、法やその他の法令上も、両事業が一個の事業認可申請
に基づき、一個の認可の対象とされるべき旨定めた規定はなく‥‥違法である
ものとは認められない。
 なお、細目協定4条3項は、「‥‥交差道路の改築及び連続立体交差化と同
時に行う都市計画決定された道路の新設又は改築で、鉄道と交差する部分に係
るものは‥‥都市計画事業の範囲に含めるものとする。」と規定するが、建運
協定に法規範性がないことは前示のとおりであり、建運協定を実施するための
細目を定めた細目協定にも法規範性は認められない‥‥同項に違反するとして
も、それが本件鉄道事業認可の違法を招来するものとはいえない
 また‥‥連続立体交差事業と線増事業が一個の認可申請に基づき、一個の認
可の対象とされるべき旨定めた規定はなく‥‥本件鉄道事業が本件線増事業と
別に認可申請され、認可されたことが、違法となるものとは認められない。
 なお、建運協定4条‥‥からすると、建運協定は、線増事業に係る事業につ
いては‥‥鉄道事業者が施行することを予定しているものと解され‥‥建運協
定自身、両事業について、個別に事業認可を受けて実施することを否定する立
場をとっているわけではないものといえる
 ‥‥原告らは、認可申請に係る事業地の範囲は、都市計画に係る都市計画施
設の区域と一致することを要し‥‥本件鉄道事業認可申請における事業地の範
囲は、その基となる9号線都市計画の都市計画施設の区域と明らかに一致して
おらず、本件鉄道事業認可は‥‥違法である旨主張する。
 しかし、法61条1号の「適合する」とは‥‥内容的に矛盾しないという意
味であり、法61条1号にいう「都市計画と適合」するというのも、都市計画
事業の内容が都市計画に沿い、これと矛盾なく、両立することを意味するもの
と解され、事業の内容が都市計画と完全に一致することを要しない‥‥。
 そして、都市計画施設に係る都市計画の中には‥‥広域にわたって‥‥整備
を図るものも少なくないのであり‥‥都市計画で定められたすべての内容を一
個の都市計画事業において事業認可を得て実施しなければならないものとする
と、かえって迅速かつ効率的な都市計画の実施を困難とする場合も考えられる。
‥‥都市計画に係る事業全体を一個の事業として実施に移す場合、事業を分割
して実施する場合に比べて、長期かつ広範囲にわたって、権利制限の効果を継
続させることになるおそれもあるのであり‥‥むしろ‥‥権利を制限される第
三者の権利保障の観点からは望ましいものといえる。また、都市計画を実施す
るに当たり、施行者が‥‥必要があるか否かを判断し、その必要がないと判断
した場合に‥‥実施しないことを認めることも、むしろ‥‥第三者の範囲を限
定するという意味では望ましいものといえる。そして、それらを認めたところ
で、特段の不都合も考えられない。確かに、都市計画の一部が事業実施に移さ
れる場合に、環境影響評価において、その一部の事業だけが与える環境への影
響に限定してその評価を行うことは、原審原告らが問題とする不当な細切れア
セスメントとして否定すべきであり、都市計画に係る事業の一部を実施する場
合でも、都市計画に係る事業全体が完成した場合の環境への影響について評価、
検討すべきである。しかし、そのことと‥‥別の問題であって、細切れアセス
メントを否定すべきことが、都市計画に係る事業の一部について事業認可を受
けて実施すること等を否定すべき理由となるものではない。法上、都市計画で
定められた都市計画施設の整備に関する事業等を専ら都市計画事業として施行
しなければならない旨の規定は存在せず、むしろ、当該事業を都市計画事業と
して施行しなければならない場合については、各個別法によって明文規定‥‥
が設けられている。このことからすると、法も、各個別法による明文規定が存
在しない限り、都市計画事業として事業認可を受けて都市計画を実施するか否
かは、事業実施者の判断にゆだねられているものと解することができる‥‥。
 本件では、本件鉄道事業認可に係る事業地は、9号線都市計画の計画区域に
包含されており‥‥同都市計画と適合していることが認められ、その余の点で
も、同都市計画との矛盾は認められず、原審原告らの上記主張は採用できない。
 また、原審原告らは‥‥本件鉄道事業と本件線増事業の事業地を截然と区別
することができないものであるにもかかわらず、本件鉄道事業認可申請におい
ては、実際に本件鉄道事業の一部である工事を行い、事業完成後、在来線が運
行される地域を同事業の事業地とされていない点で過誤があるのであって、本
件鉄道事業認可はこれを看過してされた点で違法である旨主張する。
 確かに、本件‥‥各工事は‥‥現在在来線が存在している土地(甲部分)‥
‥を除いた部分(乙部分)‥‥に高架橋を築造し、これに在来線運行継続のた
めの路線を設置して在来線の運行に供し、次に‥‥従来在来線‥‥を撤去して
高架橋を築造し、これに線路を敷設することにより全体の工事が完成するとい
うものであって、完成後は4線のうち中央の2線が急行線に、外側の2線が緩
行線の運行に供されることが予定されている‥‥いわば‥‥双方の事業が渾然
一体として実施されるものといえる。
 しかし、法60条2項1号が‥‥「事業地」について、「収用又は使用の別
を明らかに」することを求めていることからも明らかなように、法上、「事業
地」とは、都市計画事業認可の告示により、収用権又は使用権の発生(法69
条以下)等の法的効果が及ぶ土地のことを意味し、実際の工事が行われる土地
とは別個の概念であり、実際に工事が行われるか否かによって、事業地の範囲
が画されるものではない
 ‥‥都市計画に係る事業のうち、どの部分をいつ都市計画事業として実施に
移すか、都市計画区域のうちのどこまでを事業地とするかについては‥‥様々
な要素を総合的に判断して、決定されるべきであって、そこでは、高度な政策
的判断が要求される。したがって、法は、その判断について、施行者、事業認
可権者である行政庁に広範な裁量権を与えており、それらの裁量権の範囲を超
え、又はこれを濫用したものと認められる場合でない限り、その判断、決定が
違法となることはないものと解される。
 本件の場合、9号線都市計画に係る事業のうち、在来線を連続立体交差化す
る事業は、踏切を除却することによって、都市の交通と分断された市街地の一
体化を図ることを目的とした街路事業であり、街づくりの観点から地方公共団
体が施行することが適切な事業であるのに対し、複々線化事業は、線路を増設
することにより輸送力の増強を図ることを目的とした鉄道事業であり、鉄道事
業者の本来的な事業であることに照らせば、東京都が、前者を本件鉄道事業と
して実施し、後者を本件線増事業として鉄道事業者にその実施をゆだねること
も合理的な判断に基づいたものといえる‥‥。また、事業地の範囲についても
‥‥現在在来線が存在している部分をその事業地とすることが格段不合理なも
のとはいえない
 したがって‥‥裁量権の範囲からの逸脱やその濫用があったものとは認めら
れない。
 なお、本件事業区間中には、環状8号線との関係で既に高架化が完成してい
る部分があり、その部分は、今回の事業地からも除外されているところ、本件
鉄道事業に係る事業地のうち、その除外部分に東西でそれぞれ連なる部分につ
いては、現在在来線が存在しない乙部分が一部含まれている‥‥。しかし、
れらの部分も都市計画区域内であることに変わりはなく、事業地の連続性確保
の観点から、そのような事業地の指定がされたものであり‥‥その部分も、本
件鉄道事業が実施される部分として評価できるのであって‥‥東京都、建設大
臣の裁量権の行使に、裁量範囲からの逸脱や濫用があったとすべきほどの不合
理性は認められない
 また、本件鉄道事業について平成6年度から平成11年度までのあいだに東
京都が支出した工事費は、約268億円であり、その工事費の多くが、乙部分
の高架建設の工事に使われているが‥‥乙部分の工事は、本件鉄道事業の工事
としても評価できるのであり、同事業の事業費が乙部分の工事のために支出さ
れることが不当視、違法視されるべきものではない。建運協定自体に法的拘束
力はないとしても‥‥事業費について、東京都と小田急電鉄が同協定に定めら
れた基準に沿った‥‥合意すること自体は妨げられるものではなく、最終的に
‥‥合意に基づき精算されれば足りるものであって、上記工事費支出のあり方
が、前記判断を左右するものではない。
 以上のとおり、本件鉄道事業と本件線増事業の工事態様や完成後の各事業地
の利用態様が渾然一体としたものであることをもって、本件線増事業の対象土
地を本件鉄道事業の事業地に含めるべきであったとはいえないし、含めなかっ
たことが、本件鉄道事業認可申請や本件鉄道事業認可の違法を招来するものと
もいえない
 さらに、原審原告らは、細目協定4条2項‥‥規定しているところ、在来線
にとっての仮線の敷地となる線増部分を本件鉄道事業認可の事業地に含めなか
ったことは、同項に反し違法である旨主張する。
 しかし、細目協定に法規範性が認められないことは前示のとおりであるし、
そもそも、細目協定4条2項は、仮線の敷設及び撤去について、「原則として」
都市計画事業の範囲に含めるとするものであり、常に含めるべきものとはして
おらず、含めなかったからといって、直ちに同項に違反するものとはいえない
のであって‥‥主張は採用できない。
 以上のとおり、原審原告らの主張はいずれも採用できず、本件鉄道事業の事
業地に線増事業の事業地を含めなかったこと等が法61条1号が要求する都市
計画との適合性を否定するものではない
 したがって、本件鉄道事業認可申請に係る事業の内容は、9号線都市計画に
適合しているものと認められる。‥‥
 ‥‥事業施行期間の適切性の判断について、法は、認可権者たる建設大臣の
広範な裁量にゆだねており、建設大臣が、認可申請に係る事業施行期間が特段
の合理的理由もなく、不当に長期にわたるにもかかわらず、それを看過して認
可するなど、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものと認められるよ
うな場合でない限り、事業認可について違法の問題を生じないものと解される。
 本件では‥‥建設大臣による本件鉄道事業認可において、その裁量権の範囲
を逸脱又は濫用があったことを認めるに足りる証拠はない。
 これに対し、原審原告らは、本件線増事業が昭和45年に事業認可を受けて
から本件鉄道事業認可の時点までに20年以上が経過しているにもかかわら
ず、当時用地の取得率が86パーセントにとどまり、予定されていた平成7年
3月末までに本件線増事業が完了するとの客観的な見通しはなく、本件鉄道事
業と密接な関係を有し、かつこれに先行している本件線増事業の施行が大幅に
遅れていたのであり、本件鉄道事業にいつ着手できるかも不明であって、同事
業の事業施行期間の始期を同事業の認可の告示の官報登載の日からとすること
には何らの合理性もなく、しかもそのような事業について終期を平成12年3
月31日と定めることにも合理性はない旨主張する。
 しかし、経堂駅付近には、既設留置線があり、そこが事業地に含まれていた
ため‥‥高架施設工事に着手することが可能であったのであり、実際にも、
業認可直後から工事が行われているのであって‥‥不合理なものとはいえな
い。また‥‥本件線増事業の施工工事と一体的に行われるものであるから、線
増部分の工事への着工は、本件鉄道事業の工事着工でもあると評価することが
できるところ、線増部分での高架橋工事は、本件鉄道事業認可直後から行われ
ているのであって‥‥不合理なものとはいえない。事業施行期間の終期につい
ても‥‥本件鉄道事業については、事業施行期間内に事業が完了しなかったた
‥‥期間を平成17年3月31日とする‥‥認可しているが‥‥結果的に
は、当初予定した事業施行期間が短すぎたことを示すものではあっても、不当
に長く設定されたことを示すものではなく、前記判断を左右するものではない
‥‥。
 そして、本件鉄道事業認可の場合、施行者である東京都は、事業の施行に関
して行政機関の免許、許可、認可等の処分を必要としない‥‥。
 以上によると‥‥結局、本件鉄道事業認可は適法であると認められる。
                     (原判決118頁〜129頁)
 
 原判決は第2の2の原告適格のくだりで、側道の地権者には高架鉄道の事業認可の効力を争う資格はないとしたのだから、そもそもこの部分について実体判断する必要のないところである。
 にもかかわらず、あえて鉄道事業認可を「適法」とするための独特の強弁をしている。ここには第1審判決がこれを違法としたことに対する異常な敵意と、官を免責しようとする飽くなき執念が明確に見て取れる。この意味では、従前述べてきた原判決の異様な違憲性、違法性が際立っている。
 特筆すべきは以下のところである。
「『事業地』とは、都市計画事業認可の告示により、収用権‥‥の発生等の法的効果が及ぶ土地のことを意味し、実際の工事が行われる土地とは別個の概念であり、実際に工事が行われるか否かによって事業地の範囲が画されるものではない」
 都市計画事業が施行される土地であっても、それは事業地でないというのである。これ程酷いことは、第1審において被上告人すら言ってはいなかった。所謂線増部分においても、在来線の連立事業が施行されることを、工程や事業費の出所から否定出来なくなり、この点を第1審判決に看破され、事業地の表示が事実と全く違うこと、したがって都市計画決定とも全然異なることを違法と断じられた後、控訴審において、にわかに言い出したことなのである。
 そもそも、都市計画事業認可の効力が土地の収用等にとどまるものではなく、なによりも許可の効力を有することは、第一の3のところで詳論したところであり、この点に係る原判決、そしてまさに住民を行政訴訟から閉め出すために策された平成11年判決は、従前の判例に逆流する文字通り違憲、違法なものであるのではあるが、ここでは置くとして、そもそも線増部分の土地に収用権が及ばないとするのは、以下のとおり大間違いなのである。
 
「連立事業は以上の通り、道路と鉄道の連立という都市施設を建設する事業であるから、建設事業を行うところ、すなわちこれを施行するところが事業地であることは、いうまでもないところである。
 ところが被告は、これを今なお争い、「都市計画事業認可の告示により生ずる法的効果が及ぶ土地の範囲を画する概念として規定しているものであって、施行方法と事業地の範囲とは何の関係もない」というのである。施行を「施行方法」と言い直していることは滑稽極まる。
 我々は、施行される土地を問題にしてきたのであり、「施行方法」で事業地が決まるとは全く言っていない。施行方法が明確になれば、施行する場所が明らかになると言ってきたのである。その結果、被告も否定することが出来ないように、被告が「線増部分」だとして、本件連立事業用地に入れなかったその部分において、「在来線」の立体化工事が施行されることを充分証明し、従ってこの部分はまさしく連立事業用地であると言っているのである。
 被告は「事業認可の告示による法的効果が及ぶ土地」と言うが、肝心の「法的効果」が何であるか曖昧にしている。事業認可の法的効果として、土地収用法の収用(使用)権が生ずることはいうまでもないが、単にそれだけにとどまるものではなく、広い意味での「許可」、そしてこれと連動する巨額の補助金の交付という法的効果も生ずるのである。収用権だけに限定されるというならば、そう明確に言えばよいのである。そしてこの場合の我々の回答、これはすなわち法の回答でもあるが、都市施設が施行される土地に対して収用権が生ずるのは、その限りで当然のことであるから、被告が殊更に区別している「線増用地」はここで事業が、しかも本体工事が施行される以上、この土地に対して収用権が生ずることは当然なのである(被告のテキストともいうべき甲第220号証の1「道路実務講座2 街路の計画と設計」等には、仮線を施行する用地も事業地であることを、当然ながら明記していることは、従前述べた通りである)。
 鉄道事業者、実際には日本鉄道建設公団であるが、ここが地権者の土地を買収する事実があったとしても、あるいは地権者の所有権が、連立事業の施行者である東京都か同公団のいずれに移転するかにかかわらず、この理に何の変わりもない。
 分かりやすく言おう。収用権のなかには、事業地を使用する権限がある(いうまでもないことだが、土地収用法第1条、第2条、第3条等から極めて明白である)。同公団もしくは鉄道事業者が買収した用地については、線増連立事業の施行主体である東京都等はこれを「使用」する強制的権限が、都市計画事業認可により付与されるのである。すなわち、「線増部分」とされる土地に対し、それが仮に鉄道事業者の所有地であったとしても、土地収用法上、効力を及ぼすことが出来るのである。この部分に、連立事業の施行主体は、都市計画事業認可によって間違いなく「法的効力」を及ぼすのであるから、被告の理屈からしても、これを事業地から外すことは絶対に出来ない。まさにこのような「効果」があるから、甲第7号証、同20号証の2等の連続立体交差事業の手引きや、甲第219号証「連続立体交差事業の事業効果と意義」が強調する通り、建運協定により連立事業という新しい制度が確立したことになるのではないのか。
 具体的な例を挙げよう。甲第181号証の2・弁論再開の申立書添付別紙1、都市計画事業認可申請書(本件第三セクターより東京都知事に対し平成7年8月になされた前述の所謂「座布団」、補助128号線に係るもの)は「事業地」を世田谷区宮坂2丁目地内として、補助128号線道路のうち本件鉄道と交差する部分(幅員20メートル、延長24メートル。まさに座布団としかいいようがない)とし、別図二葉を付して特定した上、「申請の理由」として、本件連立事業における鉄道と「交差する道路」であることを明確に認めている。これを「独自の道路事業」であるかのように言い抜けようとしているが、前記の座布団の位置を特定する図面と高架鉄道建設部分を特定する図面を付して、道路の「付帯工事」として、道路の東西それぞれ約300メートル、計600メートルにわたる部分について、約120億円の高架橋建設を行う(同申請書「4.資金計画書 ・費目別事業費年度割表」)旨、明記されている。ちなみに、本件線増連立事業の工事費は、6つの駅、成城学園前の掘割部分を含めて950億円であるから、120億円の高架橋建設における比重は大きい。なお、「道路部分」の建設費は、わずか3360万円に過ぎない。この無恥は、第四の目蒲線のところで詳述する。
 ここにおける問題はそこにはない。一つは、本件連立事業区間における鉄道と交差する部分は紛れもなく連立事業地であり、中島浩等の被告側証人が本件で明確に証言している。この文書も、これを前提にしていることである。交差道路に「線増部分」と「在来線部分」の区別はないし、この文書もそうしていない。もしこれが区別できるとすれば、道路の長さ24メートルをさらに細切れにしなければならなくなり、肝心な目的であるNTT資金を悪用する高架橋建設が出来なくなることになる。この道理は、甲第255号証、同256号証等が明確に示す所謂「穴あけ」と変わるところはない。
 さらにこれも当然のことではあるが、同申請書がいうところの「付帯工事」を施行する場所は、先の二葉の添付図面が明示する通り「線増部分」(事業地南側)と「在来線部分」の区別を何らしていない。「線増部分」で明確に、かつ、両者に跨がって連立事業たる高架橋建設を道路の「付帯工事」名の下に行うとし、現に実行したのである。しかも「事業地である座布団」について、これは土地収用法のいう「使用」の対象であることが明記されている(同申請書「3.事業計画 イ、事業地」)。
 まさか被告は同じ都市計画事業である道路事業の認可と連続立体交差事業の認可は土地収用法との関係において異なるとはいえまい。
 反論するに値しないことではあるが、控訴理由書から執拗に言い続けているので、あえて論じた。」(上告人ら控訴審最終準備書面(その2の2)第三の3「事業地のパラドックス」抜粋)
 
 それにしても、事業を施行するところが事業地ではないとの開き直りは尋常なものではない。ここには、第1審判決の指摘する法59条、60条、61条等に甚だしく反するものであるばかりでなく、条理、経験則を著しく蹂躙し、かつ、原判決の違憲性を論じた第一の1乃至4、6、7等に明確に背反するものである。
以 上