資料集目次へ▲  ホームページへ▲


環境の全面崩壊防止を
      小田急高架事業と本訴訟の核心

週刊 法律新聞 1998年9月11日号 論壇 掲載

                           斎藤 驍  

去る八月五日、二十一日と既に二次にわたり、小田急小田原線の沿線住民(成城学園から代々木上原、約百五十名)が小田急線の地下化と従前の損害賠償(一月一万円、十年合計三百六十万円)を小田急を被告として東京地裁に提訴した。
なお三次が予定されており、原告の数は少なくとも二百名を越えるであろう。
世間ではこの訴訟を騒音等の公害訴訟と考えているが、これにとどまるものでは全くない。
以下その由縁を明らかにする。

 すべてで望ましい地下化

 高架複々線事業は、正しくは昭和四十四年九月、モータリゼーションが凄(すさ)まじくなりつつあるときに、建設省、運輸省が協定(以下発達協定という)を定めて制度として確立した線増連続立体交差事業という。この事業の最大の特長は、ガソリン税、重量税という道路特定財務から、国が事業の五二・五%を補助する代わりに、踏切を解消するだけではなく、必ず道路を新設しなければならないところにある。
 被告のような鉄道事業者の費用負担は、わずか七%に過ぎず、残りは事業主体となる都道府県と地元の市町村が約二対一の比率で負担することになる(平成四年鉄道事業者の負担が一四%に改められた)。ただし国等の公金の負担は、原則として在来線の連続立体化に限られることになっていて、線増都分は鉄道事業者の負担ということになっている。
 しかし日本鉄道建設公団法によれは、高架複々複々線化事業は鉄道の「大改良事業」とされ、運輸大臣の指示を受けれは同公団が事業主体となり、用地買収から高額施設の建設まで、すべて負担して施行し、事業完成後二十年割賦で鉄道事業者に譲渡できるとされている。高架複々線事業は、このように一つの事業であるのに、二つの顔を持っている。
 しかし、被告の立場からすれは事業が完成するまで、運輸大臣の指示さえとれぼ、在来線の事業費の七%、全体の約三・五%しか負担しなくてよいのである。
二つの顔とは、関係自治体の負担を別とすれば、要するに建設省ルートと運輸省ルートの双方から金を引き出し、かつ建設省優位、道路優先で処理するためにつくられているのである。このためにこの事業は連続立体交差事業として、建設大臣の認可を条件に都道府県が事業主体でなければならないと建運協定で定められ、関係議会、都市計画手続等公の場ではこのように説明され、線増部分について、同公団が事業主体となることは長い間秘匿されてきた。
 被告も今年(一九九八年)五月、国会と裁判所で追及され、初めてこれを認めざるを得なかつた。
 連続立体交差事業であるから、本来高架方式だけでなく、地下方式もある。
 昭和四十年代は前述した通り、事業費は高架方式の方が安かったが、昭和六十年代に入ると逆転する。これは地下方式の一つであるシールド方式の進歩が著しかったことと、これ方式では在来線の地下を二層二線でトンネルをつくれるため、線増部分の土地の買収を必要としないからである。昭和六十一年の東京都の積算数字に基づくと、被告の小田急小田原線(梅ヶ丘〜喜多見)六・四キロの場合、高架二千三十八億円、地下七百三十三億円となり、実に地下は高架の約三分の一で済むのである。
 騒音等本件の鉄道公害は、大気汚染を別として、地下にすれば、すべてなくなるといって過言ではない。地下が高架より環境の点から考えた場合、あらゆる意味で優れていることは、今では万人が知っている。ただ、事業費(コスト)が問題ではないかと考えている人はいるし、被告や建設、運輸の官僚たちも意識的に強調してきたし、現在もそうである。
 しかし、事業費の点でも地下が優位であることは先述した通りである。原告らが行った住民訴訟(平成二年、<行ウ>二三二号等、損害賠償請求事件、被告都知事ほか)の東京地方裁判所民事二部の判決が、昨年二月にこれを認めている。

 真の狙いは不動産開発に

 にもかかわらず、何故被告が、また東京都が大蔵、建設、運輸の役人が高架複々線に固執しているのであろうか。「決めたことだから」とか、「既に工事が進んでしまりているから」といっているが、これは本当の理由ではない。本当の理由は鉄道と道路の新設(複々線化も鉄道の新設の一つである)を機軸として、不動産開発(都市大再開)を行うという、先述したこの事業の本質のうちにある。
 先述の今大問題になっている被告の高架複々線事業区間(梅ヶ丘〜喜多見、以下、本事業区間という)は、駅を除くと四・九キロメートルに過ぎないが、このわずかな区間に一七本の道路を拡幅し、八本の道路を新設、すなわち計二十五本の道路をつくって南北に交差させ、さらに「日照のための側道」等と称して線路沿い、すなわち東西に道路を新設し、このなかには幅五十四メ−トルの道路もあるのである。
東京都と被告の説明と自認によれば、(昭和六十二年当時)高架事業が二千四百億円とされているが、道路の事業費の全貌(ぼう)は、いまだ不透明である。
しかし原告らが情朝公開で勝ち取った基礎調査の一部などから推認すると、道路事業費は約三千億円となる。用途地域指定、建べい率、容積率は道路を基準として定められている。これだけの道路を新改すれば用途地域指定を変え、容積率等を容易に変えることができる。今まで低層の住宅地であったところを一気に高層化できる。既に本件事業区間の中心である経堂駅周辺に三十二階建て高層ピル計画が公表されている。いわは経堂をミニ新宿西口にしようというわけである。これらの再開発事業は少なくとも五千億円を越えると推認されるから、鉄道はわずか六・四キロメートルの区間であるのに、全体の事業費は一兆円を超えるのである。
 高架駅は、高層都市のシンボルであり、高架は道路新設の突破口である。のみならず、高架複々線は線増用地のために多くの人々を立ち退かせることが必要であるが、これらの人々は立ち退くところを求めなければならない。二十五本の道路の場合は延ベキロ数は少なくとも百キロを越えるから、立ち退かなければならない人々の数のケタが違うし、移動の範囲も世田谷然全域さらにこれを越えて大きく広がる。これをあらかじめ予測して土地を買収しておくというのはディベロッパーの常とう手段であり、もとより被告だけが独占できるものではない。三井不動産、三菱地所、住友不動産等、代表的なところが参画している。

 典型的公害にとどまらぬ

 このような再開発を被告のところだけでなく、JRを含めて東京から政令指定都市に至るまで大々的に展開しようとしたのが、昭和五十年代の後半から昭和六十年代前半を支配した中曽根内閣のアーバンルネッサンスだったのである。しかも被告の高架複々線事業に限定しても、これが完成すれはいかなる被告が生じるか。その被害は一言では表現できない深さと広さをもっている。
 長い間暮らしてきた土地と家を離れることはいうまでもなく金銀にかえがたい苦痛である。このことからすれは、本件鉄道事業がこの犠牲を払ってもなお、かつやらなければならない公共性があり、選択し得る唯一のものであるなら格別、そうでなけれは立ち退き等そのものを被害といわなけれはならない。
 また高架鉄道と道路に挟まれる住民の数はその何倍になるか分からない。また今まで低層で比較的閑静な住宅地であったところが、数十階建てのマンションやビルに取り囲まれる人は、さらにその何倍にも及ぶ。
 従って本件被害の特徴は、なによりもそのすそ野が広いことであり、かつ立ち退きに象徴されるような従前の生活環境の全面的崩壊というその深さなのである。
 今まで公害といえば、水俣病に代表される疾病、光化学スモック、大阪空港のような騒告等によるストレス等、その深刻度は別として、相対的にみれば限局されたフィールドであった。だがいうまでもなく、それだけでも耐えがたい苦痛があったのである。
 それに比べて本件事業の被告は、このような大気汚染、産業廃乗物による疾病等という典型的公告被告にとどまらず、今まで享受してきた財産的、精神的、肉体的価値のすべてを失うことにまで及び、さらに町が町でなくなるという環境の激変は、金銭で代償することができないはかりでなく、原状回復がほとんど不可能であるところから、子々孫々にまで残ることになる。
 本件被害を考える場合には、今述べたことが最も本質的なことがらであり、本訴はこれを未然に防ぎ、日本の公共事業を根本的に改めるために提起されたのである。

(小田急地下化実現・騒音等複合汚染阻止弁護団団長、東京弁護士会会員)


  ページの先頭へ▲  資料集目次へ▲  ホームページへ▲