平成13年(行コ)第234号 小田急線連続立体交差事業認可処分
               取消請求控訴事件
 控訴人   関東地方整備局長
 被控訴人   ○○治子  外
 参加人   東京都知事
        第四準備書面 その1

                       2003年5月13日

  東京高等裁判所第4民事部 御中


上記被控訴人ら訴訟代理人
弁護士 斉藤 驍 外100名


第一 序論

第1 連立事業(施設)、建運協定の存在とその意義

1.はじめに

 我々は本件の第1審以来、本件事業認可の対象となるべきものは、本件事業区間の連続立体交差化事業(以下「連立事業」という)であり、その適否が争点であると一貫して主張、立証してきた。控訴人(第1審被告、以下「被告」という)も、第1審の弁論終結直前までそうであった。被告の乙第1号証が本件調査要綱(連続立体交差事業の手引き)であったことは、この象徴である。東京地裁行政部で負ける筈がないと思い込んでいたのは、とんだ見込み違いであることが分かったからであろう。にわかに被告は、連立事業の適否は争点ではないばかりか、裁判所が審理することも許されないと開き直った。腹が立つというよりも、呆れて笑いが止まらなかったのは、我々だけではなかったのはいうまでもあるまい。
 本件控訴審に入るや、これはさらに酷くなり、原判決に逆上したとしか考えられない言い方になった。あたかも、連立事業が存在しないかのように、建運協定や調査要綱がおよそ無意味であるかのようにである。あまりに酷いので、我々は存在するものを存在しないとする虚偽の強弁は、法廷の秩序を根底から破壊するものであるから、直ちに撤回するよう求めた(被控訴人[以下「原告」という]準備書面・23〜24頁)。我々は1年有余、彼等が自省するのを待っていた。しかし、本年3月4日付被告準備書面・および同年3月13日付求釈明書に対する回答を見る限り、帳尻合わせがさらに酷くなっているだけで、自省の念はいささかも感じられない。しかし、存在するものを否定することは出来ないから、帳尻合わせは大変で、「建運協定第2条・は、道路の新設を連続立体交差化の要件としていないから、誤った主張である」(被告準備書面・24頁)等といって連立事業の内容をすり替えたり、建運協定は道路法等に基づくものではなく「国民の権利義務に関しない行政規則は、法律の授権をまたず、行政権の当然の権能」(被告準備書面・6頁)で定める規則にすぎないとか、およそ事実と道理をわきまえない珍弁となっている。これは、従前の我々の主張に相当屈服していることの証左ではあるが、事実と道理を改めて確認し、この珍弁の誤りを本法廷の内外に明白にしなければならない。そこで、あえて原点から、すなわち、連立事業、連立施設とは何かを論じなおそう。

   2.連立事業の意義
 連立事業は、単なる鉄道事業ではない。また、既存の踏切を除却するだけのものでもない。道路を新設・拡幅して道路と鉄道を連続的に立体交差化したうえ、高架下利用・駅前広場等、都市を再開発することを目的とした事業である。言い換えれば、再開発のためにその基軸となる道路新設・拡幅する等して、鉄道と連続的に立体交差する施設(連立施設)という、道路を主とし、鉄道を従とする複合都市施設をつくる事業であることは既に詳細に指摘しているが、建設省(現在被告)自身が以下の通り端的にこれを認めているのである。
 「建運協定の意義は‥‥第一に、連続立体交差化を都市側が主体となって行う都市計画事業であることを明確に位置づけたことである。‥‥第四には‥‥貨物設備等の集中している駅部においても行われるようになるとともに、これらの鉄道施設跡地を整備することにより‥‥駅周辺市街地の再開発が推進されるようになった。‥‥特に最近は‥‥周辺市街地等の整備効果を重視した要望が多くなってきており‥‥全国各地において貨物ヤード等跡地の大量発生が予想される。したがって‥‥市街地整備を行う、いわば連続立体交差再開発事業が要求されるようになる‥‥これらを円滑に実施するためには、土木技術、鉄道技術のみならず‥‥市街地整備等の関連事業に関する技術にも精通した高度な総合的技術力が必要とされる。」(建設省都市局特定都市交通施設室長・椎名彪「連続立体交差事業の事業効果と意義」雑誌「建設月報」昭和58年7月号70頁〜73頁掲載、甲第219号証)
 以上の記述だけで明らかであるが、昭和44年9月建運協定(調査要綱は翌年昭和45年に制定されている。後述)の成立により、立体交差における従前の都市側と鉄道の対等な関係が崩れ、道路を主、鉄道を従とし、道路側の再開発まで視野に入れた連立事業という新しい制度、新しい複合都市施設が生まれたのである。従って、連立事業はそれまでの鉄道高架事業とは全く違うものである。すなわち、高架であれ地下であれ、連立事業における交差施設建設事業の本体は道路事業であり、鉄道事業はこれに付帯するものとなった。また、そうでなければ、この事業の基本財源を道路特定財源とすることは出来ない(道路法59条・附帯工事に関する費用等)。本件連立事業に関与(正しくは一部施行)した第三セクター・東京鉄道立体整備株式会社が、東京都都市計画道路補助128号線の鉄道との交差部分(幅員20m、長さ24m)という道路ともいえない所謂「座布団」部分について道路の事業認可を取り、その付帯工事として、本件高架施設の建設をしていること、すなわち、金額でいえば道路建設費は僅か3360万円であるのに対し、付帯工事費は実に117億590万円に達するというパラドックスは、NTT資金等という違う要素も絡んではいるものの、今述べた連立事業の本質が分からなければ、到底理解出来ないであろう(甲第181号証の1乃至2)。
 連立事業をさらによく理解するために、同じく建設省の文書により詳論する。 以下引用部分は、建設省道路実務講座編集委員会(渡辺修自道路局長、多田宏行関東地方建設局長、近藤茂夫日本道路公団東京第二建設局長監修)作成の「道路実務講座2 街路の計画と設計」(昭和59年2月15日第9版、株式会社山海堂発行、甲第220号証)の抜粋である。これは、甲第7号証、乙第1号証等双方が引用している「連続立体交差事業の手引き」(6頁)の底本である。
 被告は、連立事業が街路事業であることを認めている。
 「街路事業は、都市計画法に都市計画施設として定められた道路を都市計画法第59条に基づく認可または承認を受けて整備する事業であり、最も一般的な都市計画事業である。
 街路事業には表1.5に示すような多種多様な事業が含まれる。」(9頁)



 (10頁)図表<略>  


 街路事業(ラージ街路)には、土地区画整理事業と市街地再開発事業が上記表1.5の通り含まれていることは、連立事業の法的性格と本質を理解するうえで充分留意しなければならない。上記椎名論文(甲第219号証)が、連立事業は「駅周辺の一等地における‥‥跡地等の出現は、都市の中心地区にふさわしい市街地の形成、都市全体の構造の改善‥‥100年に1度のチャンスともいうべき大きなインパクトと言える。」「いわば連続立体交差再開発事業が要求される」といっているのを、これを充分意識しているからに他ならない。
「道路法においても、道路の新設または改築にあたっては、鉄道との交差は原則として立体交差としなればならない旨を規定するとともに、道路側と鉄道側は交差の方式、構造、工事の施行方法および費用負担について、あらかじめ協議しなければならない旨(同法第31条)を規定している。さらに、既存の踏切道についてはその改良(除却を含む)を促進し、交通事故の防止および交通の円滑化に寄与することを目的として、「踏切道改良促進法」が昭和36年に五ヵ年の時限立法として制定され、その後、期間延伸を重ねて今日に至っている。」(215頁)
 「道路と鉄道との立体交差の形式としては、交差道路が鉄道の上空を越えるか、または交差道路が鉄道の下をくぐり抜ける「単独立体交差」と、交差道路の連続する鉄道の一定区間を高架化または地下化することにより、複数の交差道路を一括して立体交差化する「連続立体交差」がある。」(216頁)
 単独立体の交差型式の場合、跨線橋型式(オーバーパス)と跨道橋型式(アンダーパス)の2種類がある(別紙図7.1および7.2参照)。
 「跨線橋型式の一般的特色としては、経済性、施行性ともに優れていることであり、通常の単独立体交差型式として広く採用されている」(218頁)。
 単独立体交差は、別紙図面7.1,7.2を見ればすぐ分かる通り、道路施設としての側面が極めて強い。鉄道側が関わるのは、主として運転保安上などの見地から設計、施行、管理等である。上記の通り通常行われる跨線橋の場合は、その維持管理は道路側が行うことになっている。従って、その費用負担等について昭和31年に建設省と国鉄の間で締結した「道路と鉄道との交差に関する建設省・日本国有鉄道協定」がある。これによれば、その費用負担は、「既設の平面交差を除却する場合には、道路側と国鉄側のいずれかが原因者であるというものではないので、同協定第4条により、道路側が工事費の3分の2を、国鉄側が残りの3分の1を負担することとされており、この点が本協定の最も重要な部分となっている」(218頁)とされている。道路側の負担率が2倍となっているが、上述の単独立体交差の性格からして当然といえよう。
 「連続立体交差の意義
 ‥‥踏切事故の解消、踏切遮断による交通渋滞の大幅改善など、道路交通対策上極めて大きな意義がある。連続立体交差化はこうした効果以外に、次のような都市開発上の効果を有する。
@ 鉄道により分断されている市街地の一体化‥‥
A 周辺の土地利用計画に併せて、高架下を多目的に利用できる。
B 鉄道跡地を利用して、駅周辺の開発を図れるなど、広い意味での市街地の再開発のインパクトになる。」(223頁)
 連立事業の意義として、密集市街地における立体交差の方式とあるとしたうえ、前述椎名論文(甲第219号証)とほぼ同旨のことが記述されている。さらに、建運協定の概要として、最も大切な連立事業の定義は「鉄道と幹線道路(道路法による一般国道および都道府県道並びに都市計画法により都市計画決定された道路をいう。)とが2個所以上において交差し、かつその交差する両端の幹線道路の中心間距離が350メートル以上ある鉄道区間について、鉄道と道路とを同時に3個所以上において立体交差させ、かつ2個所以上の踏切道を除却することを目的として、施行基面を沿線の地表面から離隔して、既設線に相応する鉄道を建設すること(図7.7参照)」(224頁)として、別紙1の図7.7、連続立体交差化の概念図として図示されるとしている。これを見れば一目瞭然であるが幹線道路の中心間距離350m以上の鉄道区間において2個所(同表の右側2個所)の踏切が除却され、1個所(同表左側)の幹線道路が「(道路新設)」とされていて、2個所以上の踏切の除却と3個所以上立体交差するという、この2と3の違いは、道路を新設する(新設出来るようにする)ことが連立事業の要であり、従って、不可欠の要件であることを明白に示している。被告の前述の「道路の新設を要件としていない」という主張は、連立施設からことさら道路を切り離そうとする見え透いた虚偽である。連続立体施設が単独立体施設と同じ道路と鉄道の立体交差施設であることに変わりはないのであるから、道路と鉄道の複合都市施設であるのは当然であるし、そもそも前述した通り、「道路の新設‥‥にあたっては、鉄道との交差は原則として立体交差としなければならない」と道路法31条が規定しているのであるから、道路の新設がなされない連続立体交差施設は考えられないのである。
 被告が「建運協定が法律の授権をまたず、行政権の当然の権能から定められたものにすぎない(これ自体、法治国家において考えられないことである)というのは、以上のことからしても大きな誤りである。建運協定は道路法31条等の根拠を有する規範であることは明らかであり、そうであるからこそ、連立事業を都市計画事業と位置付け、新しい制度をつくることが出来たのである。
 なお、上記図書も当然のことであるが連立事業を制度(222頁7.3 道路と鉄道の連続立体交差の冒頭)として、前記引用部分を記述しているのである。さらに同書は、建運協定について次の通り詳述している。
 「既設線の連続立体交差化と同時に鉄道線路を増設することを含むもの(基本協定第10条)」(224頁)
「連続立体交差化には高架式のみならず、掘割式、地下式などの形式も含まれている。」(同頁)
 「連続立体交差化は、単純連続立体交差化と線増連続立体交差化とに大別されている。前者は鉄道線路の増設を同時に行わない連続立体交差化であり、後者はこれと同時に行う場合である。これは線増が鉄道事業者の本来的な事業であることから、線増を伴う連続立体交差化については、事業主体、費用負担等について、別途の取扱いをする必要のあることによるものである」(同頁)
 「鉄道の増強部分についてはその全額を、鉄道の既設部分については鉄道受益相当額のみを鉄道事業者が負担し、その残額はすべて都市計画事業施行者が負担することとされている。」(226頁)
 「都市計画事業施行者の高架下利用については、「国または地方公共団体が自ら運営する(料金徴収等一部の業務を委託することも含む。)公共の用に供する施設で利益を伴わないものを設置しようとするとき」は、鉄道事業者は「その業務の運営に支障のない限り協議に応ずるものとする」(基本協定第10条)としている。」(同頁)
 そして、建運協定の意義を改めて以下の通り総括している。
 「第一に、連続立体交差化は都市側が主体となって行う都市計画事業であることを明確に位置づけたことである。」(226頁)
 「鉄道事業者は都市計画事業施行者の実施する連続立体交差事業による直接的な受益の相当額を負担し、事業費の大部分を都市側が負担することとなった」(同頁)「第四には、貨物設備等の移転および専用線の取扱いが明確化されたことである。爾来、これらの施設を抱える駅部においても盛んに連続立体交差化が行われるようになり、鉄道施設跡地を都市的な土地利用に合わせて整備することにより、広い意味での駅周辺の再開発が推進されるようになった。」(227頁)
 また、連立事業の構想と計画における留意点として、以下の通り述べている。「連続立体交差事業の構想・計画の段階においては、まず都市の街路網計画の見直しが不可欠である。」(230頁)
 「連続立体交差事業は都市計画決定された交差道路のすべての交差部の「穴あけ」を行なうが、ひとたび高架施設が完成してしまえば、その区間では新たな立体交差計画の実施はほぼ不可能となってしまう。」(同頁)
 「交差道路の計画幅員の拡大、新規交差道路の追加等についても検討することが不可欠である。」(同頁)
 ここで大切なことは、交差道路部の「穴あけ」である。「穴あけ」とは、都市計画道路を新設出来るように、高架橋のスパン割り(柱間隔)を道路がつくれるように長くし、高架橋の強度を高めることである。通常の高架橋(ラーメン高架橋)では「柱間隔は8〜12メートルが一般的」(246頁)であるから、これを越える、例えば20メートルの道路を新設する場合には、スパン割りを長くして、これに耐える強い強度のブリッジを別につくらなければならない訳である。特にスパン割りが25メートル以上となると、ブリッジの強度に要する費用が急激に増大する。これを建運協定第6条では連続立体交差事業費を区分し、・高架施設費、・貨物設備費、・増加費としているが、この場合は増加費(ア)交差道路を新設〜支間25メートル以上の鉄道橋が必要となる時、と第一にあげている。つまり、「穴あけ」とは道路を新設、拡幅するために必要なもので、まさに道路施設そのものなのである。
 以上の同書の記述は、これを明確に示しているのである。また、本件連立事業においても、この穴あけは少なくとも8本の都市計画道路について、甲第号証の写真が示す通り、他の高架橋と異なりスパン割りが長く、かつ、極めて強固に造られている。この穴あけこそ、連立施設が道路施設でもあることの象徴のひとつである。
 さらに同書は再開発等について以下の通り記述し、連立事業が道路を主とした複合都市施設をつくる事業であることを明確にしている。
 「連続立体交差事業に伴って駅周辺の都市開発が活発に行なわれることが予想されるため、駅前広場とこれに直接関連する街路を、将来の見通しを十分に勘案して見直しておく必要性はいくら強調しても強調しすぎではない。」(230頁)「駅前広場に接続する街路は駅前広場とともに「都市の顔」ともいえる公共空間である。連続立体交差化に併せて駅前広場に接続する街路についても、必要な拡幅を行なう」(231頁)
 「連続立体交差事業の対象となる鉄道駅周辺には、貨物ヤードや鉄道関係の業務施設が広大な面積を専有していることが少なくない。」(同頁)
 「施設の移転跡地は鉄道駅周辺の一等地であり、土地区画整理事業、市街地再開発事業等の市街地開発事業の計画立案に際して、計画実現の鍵を握る「種地」として利用することができる。」(同頁)
 「連続立体交差事業は‥‥事業の結果生ずる鉄道駅周辺の鉄道施設跡地を有効に活用して市街地開発事業を同時に行なえばその街づくりに対する効果は絶大であり、文字どおり駅周辺の街並みを一新することが可能である。こうした意味で、連続立体交差事業は「街づくり100年の大計」を実現するひきがねであるといってよい。」(同頁)
 「市街地開発事業の実現には‥‥長い年月を要し、また事業費も膨大なものとなるため、連続立体交差事業の調査段階から、これら事業に係るプログラムを確立し」(同頁)
「連続立体交差事業は「建運協定」により明確に都市計画事業として位置づけられている。一方で当該事業は鉄道施設そのものを対象とする事業であるため、鉄道事業者の意向をも尊重する必要がある。」(同頁)
 「連続立体交差事業は多額の費用を要する事業でもあり、緊急に事業化の必要な区間に限って事業を行なうことが肝要である。事業区間の決定にあたっての基本的な考え方としては‥‥どの幹線道路の立体交差化が連続立体交差化という手法によって必要であるかとの点が鍵である。」(232頁)
 「A 平面計画」(234頁)
 「(@)高架施設、仮線および現在線の沿線市街地との位置関係
  (A)駅部の規模および周辺との位置関係
  (B)事業用地(仮線敷を含む)の確保の難易度
  (C)沿線への環境対策」(236頁)
 「連続立体交差事業により建設される高架施設の平面計画は、都市計画事業施行者、鉄道事業者、地元住民等多数の関係者の多様な要請を反映した多数の代替案に基づき、十分な協議調整を行なって策定してゆくことが必要であろう。」
(237頁)
 また、関連側道については、「環境上必要な関連側道は基本的には環境空間であるので、必ずしも道路として同じ幅員であったり、連続させたりする必要はなく、その計画は箇所ごとの特性に応じて行なうべき要素が大きい」(237〜238頁)として、その基本的性格は高架方式の連立事業がもたらす環境負荷を緩和するための環境空間であり、連続・幅員などという道路の要件を充たさなくてもよいとしている。
 これは実に重要な記述である。言葉では側道というが、その本質は環境空間なのであるから、道路ではないのであって、これをあたかも独立した道路であるかのように高架鉄道と切り離して認可すること自体に無理があるのである。側道はまさに原判決が指摘している通り、連立事業の一部であり、高架施設そのものといっていいのである。
 また、高架下利用について重要な指摘をしている。
 「高架下の利用については、建運協定により積極的な公共利用を行なうことが定められており、また鉄道事業者は高架下の利用に関する協議に必ず応ずることになっていることは、先に述べたとおりである。この点は、連続立体交差事業が都市計画事業として同協定上明確に位置づけられ、事業費の相当部分を都市計画事業者が負担していることから定められたものである。」(239頁)
 「鉄道高架下貸付可能面積の10%に相当する部分までについては公租公課相当額(細目協定第15条)」(同頁)
 「しかしながらこのことは、高架下の公共利用面積そのものを10%に制限するとの趣旨ではなく、むしろ建運協定の趣旨からは10%を超えて大いに公共利用を図るべきである。」(同頁)
 「高架下のような貴重な公共空間は使用料のいかんに拘らず大いに活用すべきであろう。なお、細目協定第15条で「鉄道施設の増強分以外の」とあるのは公租公課相当額による使用面積の算定について規定しているのであり、実際の高架下利用は既設線の高架下あるいは線増線の高架下の如何を問わない。」(同頁)
 「高架下の公共利用の対象となる施設には次のようなものが考えられる。
 ・道路(歩行者専用道を含む)、広場 ‥‥」(同頁)
 高架下利用とはすなわち連立事業の土地利用の問題であるから、地下式の場合は地表の土地利用ということになる。いうまでもなく、都市計画における環境等に資する公共的土地利用はその根幹である。「建運協定の趣旨からは10%を超えて大いに公共利用を図るべきである」という指摘は、誠に正しい。この視点で本件都市計画がなされていれば、地下方式による、全く違う適切な結果になった筈である。地下の場合に地表をどう利用するかは、小田急の土地なので全く考えなかったという被告らの責任は極めて重いのである。
 いま一つ大切な部分がある。それは「実際の高架下利用は既設線の高架下あるいは線増線の高架下の如何を問わない」としていることである。土地利用について既設線・線増線を区別する必要もなく、また、そのようなことは出来ないし、現実の事例も全くないといってよい。土地利用という連立事業の一つの根幹がそうだとすれば、連立事業と線増事業との区別は費用負担の問題にすぎず、都市施設としては全く同じものであって、被告のように、これをことさら区別するのは大きな誤りである。とすれば、「線増事業地」は本件連立事業地であって、事業認可申請の事業地として表示されるべきであったのである。
 事業地は、原判決の指摘する通り地理的・物理的に区別出来るものでは全くない。
 さらに、高架連立事業の施工について、「施工方法には、仮線方式、別線方式(または腹付け方式)および直上高架方式の3種類がある。」(241頁)として、
 (1)現在線と違う場所に仮線を設置し仮運行した後に現在線を撤去し、その場所に高架線を建設し運行した後に仮線を撤去する仮線方式
 (2)現在線を運行しながら違う場所に高架線を建設し運行した後に現在線を撤去する別線方式
 (3)現在線を運行しながらその真上に高架線を建設し運行した後に現在線を撤去する直上高架方式を紹介し「別線方式は、主として線増高架工事‥‥に採用される」242頁)と述べ別線(腹付け)方式によって単線を複線化する例を別紙2に図示している。
 この図には、現在線(既設線)に並行して高架橋を建設し、これが完成した後に現在線を高架橋に切り換え、現在線用地に線増分を構築するという分かりやすい説明がついている。この図で単線を複線,複線を複々線に読み替えれば本件工事と全く同じ構造であることがすぐわかる。線増分の用地を使って連立事業が行われ、現在線の用地で線増事業が行われるということになり、また時間的にも連立が先行し線増が後を追うかたちである。
 本件では時間的にも空間的にも全く逆の説明がされてきた。被告は、新設部の高架橋工事が線増事業(連立事業の仮線でもある)として先行し、在来線の上での連立事業が後行するという仮線方式を主張している。どうして順序と場所が逆になってしまうのか。これはどちらでもよいというわけにはいかない。それは事業地の問題がからんでくるからである。仮線方式の主張では(仮線部を除けば−除くべきでないことはあとで主張するが)連立事業地は在来線用地に限られるかのように見せかけることが出来るのに対し、別線方式とすれば当然に線増部分が事業地そのものになることが明白になるからである。仮線であるか別線であるかは、現実にはっきりしており下りは別線・上りは仮線であることに議論の余地はない。
 「在来線の仮線の工事は、鉄道事業の工事に当然含まれるところ、線増部分に高架橋に築造する工事は、線増線の工事と在来線の仮線工事を兼ねて行なわれるものであるから、線増部分の工事への着工は本件鉄道事業の工事着工でもある」と被告自身が述べており(控訴理由書41頁)、これは以上のことを考慮すれば、まさしく自白といわなければならない。従って、都市計画決定も原則として一つのものとしてされなければならないし、連立事業は大別すると単純連立と線増連立があるが、いずれも都市計画事業であると定められている。被告の線増部分に係る主張、それは取りも直さず連立事業の主張でもあるが、事実を著しく曲解したものであり、原判決はまたこれを見事に看破したというべきであろう。
 なお、被告は仮線工事用地を「事業地に含めることはできない」(被告準備書面・14頁)と建設省の文献を援用しているが、同書から既に引用しているところであるが、「事業用地(仮線敷を含む)」(234頁『・ 平面計画』)と明確にされていることを銘記すべきである。


第2 都市計画法11条の趣旨と複合都市施設

   都市計画法(以下「法」という)11条には都市施設が道路、都市高速鉄道、公園等が列記されているが、これはあくまでも例示であって、他の種類の施設や複合都市施設を認めていることは「その他の都市施設」という規定からも、都市施設の実体からしても明らかである。
 連立施設はまさにその他の都市施設のうち、道路・鉄道の複合都市施設なのである。もとより、複合都市施設は他にも存在する。その代表的なものは、法11条が列記している都市施設のうちの公園である。総合公園とされる代々木公園、運動公園とされる東京都駒沢オリンピック公園は別図1を見れば一目で分かるが、道路、競技場等と公共空地を複合したものであり、複合都市施設である。


    第3 連立事業(施設)の都市計画決定の特長

 連立事業の建運協定の意義は、第一で述べた通りである。そして、建運協定第11条による本件調査要綱の意義とその規範性については、原告準備書面・、同・等で詳論した通りである。
 ところで、この事業に係る都市計画決定は、道路等の他の一般の都市計画決定にみられない、この事業固有の法的特長がある。ちなみに、前記図書の連続立体交差事業の事業までのフローチャート、図7.8(別紙3)を見ながら、この事業の流れについて同書が指摘する重要な部分を引用する。
「事業採択から着工まで
 連続立体交差事業の具体化は、当該事業の国庫補助事業としての採択によって実質的に始まるといってよい。」(229頁)
「鉄道施設の都市計画決定に併せて、関連側道、交差する幹線道路、駅前広場等の都市計画決定もしくは変更を行なう。」(同頁)
 特に、連続立体交差事業の具体化は当該事業(連立事業調査によって特定される。後述)の事業採択によって実質的に始まるという部分が大切である。つまり一般の都市計画決定は、所定の調査を経て、かつ、決定がされてから事業化されるまでに相当長い期間を要する。10年どころか数十年かかる場合も多い。正しい評価とはいえないが、「青写真」といわれるのもこのためである。
 しかし、連立事業の都市計画決定は全く違う。まず、建運協定によって定められた本事案の施行者である東京都等は、本件要綱による調査(通常2年間)をしなければならないが、この調査の目的は、当該事業区間における連立事業の必要性、緊急性の蓋然性があると国が判断した時点において、国の補助(3分の1)を得て実施される。そして、その必要性、緊急性がこれを確認するための周辺市街地現況調査、街路、鉄道現況調査等で確認されれば、直ちに都市計画の総合的検討、比較設計(単独立体交差との比較を含む)、概略設計、関連事業計画の検討等におよび、本事業および関連事業の都市計画案を作成する。これに対し、国が事業採択をすみやかに行なう。
 本件においても、平成元年3月に調査が終了し、平成2年には事業採択がなされている。それからアセスメント、公告縦覧、説明会、建設省等との事業化を前提とした事前協議、そして都市計画決定となり、施行者は詳細設計等をして、都市計画事業認可申請をして、事業認可に至る。
 これだけでも分かる通り、事業採択がなされなければ、都市計画決定が出来ないばかりでなく、それに至る公告縦覧、説明会、アセスメント等の事前手続も出来ない。これらの手続の多くが国の補助によるからである。しかし、事業採択がなされれば、都市計画決定から事業認可までは特別な問題が生じない限り時間の問題である。従って、この都市計画決定は事業の緊急性、必要性を前提とした極めて実践的なものであり、被告がいうような事業認可申請の段階で初めて事業計画というコンセプトが生ずるものとは全く違う。
 ちなみに本件においては、平成4年1月に公告縦覧、説明会等がなされ、平成5年2月都市計画決定、平成6年4月事業認可申請、同年6月に事業認可がなされている。都市計画決定から事業化までの時間は極めて短いのである。
 被告は控訴理由書において「都市計画それ自体には都市計画事業及び事業地という概念はない」「都市計画事業の事業計画は都市計画事業認可の段階において定まる」から、都市計画決定の段階では、土地利用等の比較は抽象的、概括的なものでよいと強弁していたが、被告準備書面(2)になると、さすがにこれは繰り返していない。少なくとも、連立事業の都市計画決定に関する限り、調査の段階から事業概念が明確に存在することは否定できないからであろう。


第4 都市計画決定の裁量と司法審査のあり方

1.法に判断過程統制の基準や考慮要素の序列がないとする誤り
 被告は、「法は‥‥都市計画決定に至る判断過程の在り方を、最終的な決定内容の適正とは別に、規律する規定を全く置いていない。」(被告準備書面(2)30頁)というが、これは全くの誤りである。都市計画決定は、行政計画のなかでも実定法、不文法(条理等)の統制が最も厳しいものであることは、国土利用計画法、環境基本法、アセスメント法等の上位法、上位計画、多数にのぼる関係実定法(本件においても道路法、鉄道事業法、大気汚染防止法、騒音規制法等々)の存在からだけでも分かることであり、芝池意見書等(甲第216号証の2のイ、ロ、ハ)、被告が引用した行政法学者の全てが指摘していることであり、判例の大勢でもある。また、考慮事項についても、自ずから序列や選択範囲が定まっていることについても同様である。環境基本法はもとより、国土利用計画法第2条(基本理念)は以下の通り定めている。「国土の利用は‥‥公共の福祉を優先させ、自然環境の保全を図りつつ‥‥健康的で文化的な生活環境の確保‥‥することを基本理念として行なうものとする。」同法は国土利用、都市計画に直接関連する建設六法のみならず、鉄道六法にも係わるものであるということを念のため指摘しておく。さらに、今から30年前の1973年、アメリカで環境アセスメントが法制化した(1969年)ことを受けて、公共事業を行う際には代替案の検討を含めて環境アセスメントを行うことが閣議決定されていることも充分留意すべきである。
 一方、現代の社会通念や条理に照らしても、環境が極めて重要不可欠な考慮要素であることは多言を要しない。単なる利便性とは比較にならないものであることは、今や子供でも知っており、被告の言うように諸利益、諸要素一般として解消できるものではない。

2.判断過程に誤りがあったとしても、結論に誤りがなければ違法とはならないとする誤り
 「『円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持する』という法13条1項5号の文言に適合しないような極めて不合理なものである場合に初めて違法となる」(同準備書面32頁)という被告の主張は、要するに結論(判断)に誤りがなければ、その過程にいかなる誤りがあっても違法とはならないということである。これは、原田らの判断過程統制論に対する甚だしい無知と無恥がある。結論について直接審査できない(その当否はまた別であるが)場合に、判断過程に大きな誤りがあれば結論もそうなるのが通常であるから、判断過程の大きな誤りはそれ自体違法事由になり、この間接的手法が権力分立の原則に適った手法であるというのが原田らの意見なのであり、判例の大勢でもある。
 本件の場合はまさに判断過程に大きな誤りがあったために、結論が極めて不条理となった典型である。従って、被告の論理に従っても違法だということになるが、原判決が結論に対して直接判断しなかったことは、被告らが執拗に攻撃していた判断代置がなかったことを示すだけで、何ら原判決の誤りを示すものではない。

3.本件の裁量についての誤り 原告は、本件都市計画決定について行政の裁量が存在することをいささかも否定していない。その裁量をあえて分類すれば、政策裁量と専門技術的裁量ということになり、専門技術的裁量はいうまでもなく科学という枠組みがあり、それについては裁判所が必要な限り直接審理すべきであるといっているのである。この点に関する被告の言い方は、真摯に原告の主張や原田らの意見書を読んでいないことを端的に示しているのである。

4.引用の弁解と居直り
 我々が指摘した被告の塩野らの所論を歪曲した引用について、「行政庁の裁量が極めて広範である‥‥証左」「実定法が何ら規律していない判断過程について、裁判所が審理判断をしようとすれば、裁判官の価値観によって判断する結果にならざるを得ないことを述べる中で引用した」(同準備書面35頁)と弁解する。
 前者については居直りであることは余りにも明らかなので、論評の余地はない。
 後者はさらに悪質である。「実定法が何ら規律をしていない判断過程」という虚構をあえて設定し、原判決を論難するために阿部を引用したことになる。塩野が言っている通り、最も阿部を愚弄するものであり、許されない。
 かかる無頼な居直りを、裁判所は許してはならないのである。


第5 建運協定と裁判規範

 建運協定、調査要綱が巨大な都市計画事業を規律するものであり、都市計画事業が事業認可により土地収用等の効力を有するのであるから、国民の権利義務に関係のない「規則」にすぎず、規範ではないとする被告の主張は、既に繰り返し述べた通り大きな誤りであるが、ここでは置くこととする。問題は、被告自身が建運協定が行政の内部規範(被告準備書面(2)5頁等)、指導基準(同7頁)であることは認めざるを得なくなっていることである。
 内部規範であれ指導基準であれ、別件第三セクターに係る東京地裁平成9年9月25日判決(判時1603号52頁)は、広い意味での法令として位置付け、建運協定により「立体交差の構造、方式は‥‥都市計画に反映されるべきことである」と指摘しているのであり、「建運協定の内容を整理しているだけ」(同7頁)という被告の認識は、大きな誤りである。
 ただ、それはそれとして、建運協定が行政が定立した内部規範(指導基準)である以上、行政の側でこれに反することは許されず、訴訟において当事者が争った時は、当然裁判規範として審理の対象になることは、芝池がその行政法総論講義(甲第216号証の2のロ)において、「行政機関が裁量基準をつくっておきながら‥‥これを適用しないである行為を行った場合には‥‥その行為は違法である」(88頁)と指摘する通り、今では行政法や判例の常識といってよい。少なくとも、考慮事項、判断過程を審査する重要な基準であることは明白であり、原判決もこの最も常識的な手法をとっている。
 従って建運協定、調査要綱は、本件処分の適否を判断する、まさに基軸なのである。
 なお、被告は東京高裁平成13年判決を援用しているが、この判決は上記第三セクターに係る東京地裁判決の控訴審判決であるが、同判決を是認したものであって、格別論評する必要がないものであり、被告の援用は何ら意味がない。


第二 「第1.原告適格について」(被告準備書面・4頁〜10頁)に対する反論

1.建運協定の「法規範性」と単一の事業としての連続立体交差事業の関係
(1)被告の原告適格についての主張は、要するに、「建運協定等には法規範性はないから、建運協定に基づく法的に単一の『連続立体交差事業』なるものが存在しないことも明らかである」(7頁17〜19行)
ということに集約される。
 そして、「建運協定等に法規範性がない」ことを論証しようとして、
@「行政機関のなす定めは、法規範性がある法規命令と法規範性がない行政規 則に区分される」
A「法規命令が法規命令として有効に成立し、かつ、その拘束力を生じるため には、それが国民の権利義務にかかわる規定であり、かつ公式の方法で外部 に表示(公布)されることが必要」
B「建運協定は、‥‥行政組織間の協定であるから、国民の権利義務にかかわ る規定ではないし、公布手続もとられていない。」
C「したがって、建運協定は行政組織間の内部規範であって、法規命令として の内容も手続も備えていないものであるから、法規範性を有しないことが明らか」である。(以上5頁2〜13行)
と論旨を展開している。

(2) しかし、建運協定それ自体が、「直接国民の権利・義務に変動をもたらし、法律の授権の下にのみ定立され」るべき性格の規範であるか否かは、「連続立体交差事業」が法的に単一の事業であるか否かとは無関係である。建運協定がいわゆる「法規命令」ではなく「行政規則」であるとしても、「行政組織間の内部規範」である以上は、これによって定められた「連続立体交差事業」は、同規範に基づく法的に単一の事業として定められたものであることは反論の余地はないであろう。
 被告も、「建運協定」と「本件調査要綱」が「行政組織間の内部規範」であること自体は認めている。建運協定が「都市計画を所管する建設省と鉄道事業を所管する運輸省との間に締結された行政組織間の協定」(5頁9〜10頁)であり、それがこれらの行政組織間の「内部規範」としての効果を有することが承認される以上は、建運協定で定められた「連続立体交差事業」は、ここに法的根拠を有する一つの事業として確かに存在している。だからこそ、「道路特定財源」の公的資金が当該事業に投下され、鉄道高架橋の建設費用に充てられているのである。仮に、鉄道高架化事業部分と側道事業とが法的に別個の事業であるとの主張を貫くのであれば、前者に対して道路特定財源の公的資金が充てられていることは、いかなる法的根拠があるというのであろうか。被告は法的根拠もなく道路特定財源の資金が本件事業全体に投下されていることを自認するつもりなのであろうか。
 本件要綱も、「連続立体交差事業調査を実施する調査主体(都道府県等)に対して、調査の進め方、調査内容の項目等を内部的に示したもの」であって、「行政組織間の内部規範」であることを承認する以上は、行政組織間では、本件調査要綱に従って連続立体交差事業調査を行うことが義務付けられることは争いがないはずである。本件調査要綱で連続立体交差のための高架橋と関連側道とを「一体のものとして設計しなければならない」と定められている以上は、当該調査の実施主体である東京都としては、当然に、側道も高架橋と「一体のものとして」取り扱っていることはいうまでもあるまい。

(3) ちなみに、行政機関による立法を「法規命令」と「行政規則」とに分類する議論は、わが国の行政法学において、あくまでも「法律による行政の原理」の例外として、「行政規則」を法律の授権を要する「法規命令」から画するための説明として論じられている。
 この点につき、藤田宙靖「行政法T(総論)」では、以下のように述べられている。
 「行政機関による立法、すなわち『命令』の中に、直接国民の権利・義務に変動をもたらし、法律の授権の下にのみ定立され得るものと、そうでないものとが、理論的に区別されることになる。わが国の行政法理論においては、伝統的に前者を『法規命令』と呼び、また後者を『行政規則』または『行政命令』と呼んで来た。」(藤田宙靖「行政法T(総論)」67頁)
「『行政規則』も、行政組織内部では拘束力を持つ『規範』であることは承認されている。」(同68頁)。
 したがって、「法規命令」でない「行政規則」には、何らの法規範性もないなどという被告の主張は、行政法理論からすれば乱暴このうえない。

(4) また、道路法(当時)31条は、道路と鉄道とが相互に交差する場合、「交差の方式、その構造、工事の施行方法及び費用負担」について、建設大臣(当時)と鉄道事業者との協議が成立しないときは建設大臣(当時)と運輸大臣(当時)とが協議するものとし、建設大臣以外の道路管理者と鉄道事業者との協議が成立しないときは建設大臣(当時)と運輸大臣(当時)の裁定を求めるものとしていた。
 本件建運協定は、同条項に規定されている建設大臣(当時)と運輸大臣(当時)との協議及び裁定の基準をあらかじめ定めたものということができ、法令に根拠を有する行政組織間の協定といえる。

(5) したがって、上記・ないし・いずれの点からも、「建運協定等には法規範性はないから、建運協定に基づく法的に単一の『連続立体交差事業』なるものが存在しない」(7頁17〜19行)などという被告の主張が謬論であることは明らかであろう。

2.都市計画事業認可の数と本件連続立体交差事業の単一性
(1) さらに被告は、本件事業において鉄道の連続立体交差化と各付属街路事業につきそれぞれ別個の都市計画事業認可がされていることをもって、「『連続立体交差事業』なる法的に一個の事業が存在しない」と主張する。
 すなわち、
@「都市計画法59条2項は、『都道府県は、…建設大臣の認可を受けて、都 市計画事業を施行することができる。』と規定しているのであるから、都市 計画事業は施行認可ごとに成立し施行されているものである。」
A「つまり、都市計画事業が法的に一個のものであるかどうかは、一つの事業 認可によって事業が成立し施行されているかどうかによる」
B「しかして、本件の線増連続立体交差化に係る一連の事業については、一つ の事業認可で行われているものではなく」、本件鉄道事業認可と各付属街路事業認可という「それぞれ法的に別個の事業認可によって施行されている。」
C「したがって、本件においては、法的に複数の事業が存在するのであり、
 『連続立体交差事業』なる法的に一個の事業が存在しないことは証拠上明白 である」(以上7頁26行〜8頁8行)
という。

(2) しかし、本件連続立体交差事業は、鉄道の連続立体交差化と環境側道の整備及び交差道路の整備・新設などが、「建運協定」という「行政組織間の内部規範」によって、まさに法的に単一の事業として位置づけられた事業であり、これを都市計画事業として実施するためには、形式上必然的に複数の事業認可を必要としたわけではない。連続立体交差事業において鉄道を高架化する場合には、高架化に伴う日照侵害や騒音・振動被害などを軽減するための環境空間をその隣接地に設けることが不可欠であり、鉄道の高架化と関連側道はもともと一体の都市施設として都市計画決定するのがむしろ事の本質上相当であったというべきである。
 ちなみに、都市計画法11条1項1号は、「道路、都市高速鉄道、駐車場、自動車ターミナルその他の交通施設」を都市施設としており、本件連続立体交差事業は、関連側道を環境空間と位置づけるならば、それ自体を1個の「都市高速鉄道」とすることができるし、高架鉄道と付属道路が複合した1個の「その他の交通施設」とすることもできたと考えられる。
 しかるに、本件では、このようにもともと一体の事業として都市計画されるべきであった鉄道の連続立体交差化と関連側道の整備とを、ことさらに別々の都市施設として都市計画決定したのであって、そのこと自体がそもそも実態から乖離しており、形式的なものにすぎなかったのである。
 したがって、本件連続立体交差事業を都市計画事業として施行するために鉄道の高架化と付属街路の整備につきそれぞれ別々の都市計画事業認可を受けたことは、まったく形式的なものにすぎず、その実態は単一の事業にほかならない。

3.事業の実質的一体性と原告適格

(1) ところで、かかる議論は、あくまでも特定の都市計画事業認可処分の取消を抗告訴訟によって求め得る原告適格の有無をどのような基準で判定するかどうかを巡って行われていることを、今一度想起すべきである。
 そうであれば、本件鉄道の連続立体交差化とその関連側道たる付属街路の整備などから成る本件連続立体交差事業の各構成部分がそれぞれ形式上別個の都市計画事業認可を受けたから必然的に原告適格もそれぞれの事業認可ごとに別々となるという議論自体、不毛な形式論といわざるをえない。

(2) 原判決は、この点につき、以下のように、本件鉄道の高架化と付属街路の整備などから成る本件連続立体交差事業の実質的一体性を認め、その一体としての事業地の中における不動産に権利を有する者が、本件各事業認可全体につきその取消しを求める原告適格を有すると判示している。
「本件要綱においては、連続立体交差事業調査の際の事業計画の作成に当たっては、鉄道と側道は一体的に設計されるべきものとして取り扱われていることが認められ、実際上も、鉄道に沿って住宅地が連続している区間において鉄道を高架化する場合には、高架施設が生む日影により日照阻害が生じ得ることから、特に高架施設の北側において関連側道として空間をあけることにより日照阻害の問題が生ずることを防ぐ必要があり、そうした都市環境の保全に資する目的で、高架施設に沿って付属街路を設置することが必要不可欠である一方で‥‥、付属街路は、高架施設の存在を前提として都市環境の保全に資する目的で設計されるものであり、高架施設を前提としない道路としての付属街路自体で、都市計画施設たる「道路」としての独立した存在意義を有するものとして設計されるものではないから、付属街路を設置する事業だけでは独立した都市計画事業としての意味を持たないものであるということができ、したがって、付属街路に係る都市計画は、主たる都市計画事業である鉄道の高架化事業に付随する従たるものというべきであり、‥‥本件鉄道事業に係る9号線都市計画と本件各付属街路事業に係る本件各付属街路都市計画とは形式的には異なる都市計画ではあるけれども、その実体的適法性を判断するに当たっては、両者が相俟って初めて一つの事業を形成するという実質を捉え、一体のものとして評価するのが相当である。」
 「よって、本件においては、本件各認可に係る事業の対象土地全体を一個の事業地と考え、同事業地の不動産に権利を有する者が、本件各事業認可全体につき、その取消しを求める原告適格を有するというべきである。」
(以上原判決114頁〜115頁より)

(3) これに対し被告は、次のように反論する。

@「ある付属街路事業の事業地内の不動産につき権利を有する者は、その事業 認可の取消しを求める原告適格を有するのみ」(9頁3〜4行)。
A「都市計画法上、鉄道事業を行う場合に必ず付属街路事業を行うべきことを 義務付けた規定はない」から、鉄道の連続立体化事業と付属街路事業が「同時に行われることがあり得るというのは、単なる事実上の問題にすぎない。」
 (9頁26行〜10頁3行)
B「本件鉄道事業認可の法的効果として、その権利利益を侵害され又は必然的 に侵害されるおそれのある者ではない」(10頁7〜8行)

(4) しかしながら、本件鉄道の高架化と付属街路の設置が同時に行われたのは、「単なる事実上の問題」などではなく、「建運協定」および「本件調査要綱」という「行政組織間の内部規範」に基づいて一体のものとして行われた事業のそれぞれ不可分な一部だからである。
 建設省都市局街路課長ら編著の「街路の計画と設計」(山海堂 道路実務講座2、昭和59年2月20日刊、甲第220号証)は、以下のとおり、「連続立体交差事業計画策定の留意事項 ・側道計画」の項で、本件のような鉄道の高架化に伴う関連側道を、明確に「環境空間」として位置づけており、それに「道路」としての独立した意味をもたせていないことは明らかである。
 「運輸・建設両省間において合意された関連側道の定義は、『鉄道の高架化に関連して、都市環境の保全に資する目的で、高架構造物に沿って住居の用に供している土地が連たんしている区間に設置される道路』とされており、‥‥」「環境上必要な関連側道は基本的には環境空間であるので、必ずしも道路として同じ幅員であったり、連続させたりする必要はなく、その計画は箇所ごとの特性に応じて行なうべき要素が大きい。」
 「住居の用に供さない土地の空間や、住居の用に供する土地が連たんしていない場合は、関連側道の設置の必要性を慎重に検討することが重要である。」
(237〜238頁)

(5) 上記文献は、まさに原判決の認定の正当性を被告が自ら裏付けているというべきであろう。
 結局、本件付属街路は、鉄道の高架化に伴う環境空間にほかならず、そもそも本件鉄道の高架化が行われなければ計画さえされなかったものであり、本件鉄道の高架化と運命を共にする事業という意味でも、実質的に一体の事業といえる。
 したがって、本件鉄道の高架化とその関連側道などから成る本件連続立体交差事業の実質的一体性を認め、その一体としての事業地の中における不動産に権利を有する者が、本件各事業認可全体につき、その取消しを求める原告適格を有するとした原判決の判断は正当である。

4.原判決に対する行政法学者の評価
 神戸大学大学院法学研究科教授の阿部泰隆氏は、その意見書(甲第219号証の1のロ)において原判決が側道の地権者にも鉄道事業認可取消訴訟の原告適格を認めたことにつき、以下のように評価し、これを支持している(同意見書第四項2〔13頁以下〕)。

(1) 「事業認可の効果を土地収用特権の付与だけに限定するのは不適切である。
事業認可のさいに、前記のように、環境への影響も考慮することと解釈すべきである。そうすれば、高架部分の事業により環境上重大な影響を受ける者は、事業認可によって保護された利益を害されたとして争うことができるというべきである。」

(2) 「また、本件では、街路事業は高架事業を前提として立案されている。小田急一審判決はこのことを次のように説明している。
『付属街路は、高架施設の存在を前提として都市環境の保全に資する目的で設計されるものであり、高架施設を前提としない道路としての付属街路自体で、都市計画施設たる『道路』としての独立した存在意義を有するものとして設計されるものではないから、付属街路を設置する事業だけでは独立した都市計画事業としての意味を持たないものであるということができ、したがって、付属街路に係る都市計画は、主たる都市計画事業である鉄道の高架化事業に付随する従たるものというべきであり(この点については、‥‥被告も認めるところである。)、本件鉄道事業に係る9号線都市計画と本件各付属街路事業に係る本件各付属街路都市計画とは、形式的には異なる都市計画ではあるけれども、その実体的適法性を判断するに当たっては、両者が相俟って初めて一つの事業を形成するという実質を捉え、一体のものとして評価するのが相当である。』
 この判決のいう一体性とは、街路事業は高架事業を前提とし、それに依存しているということである。したがって、高架事業が違法であれば、街路事業は、もともと必要性・公益性を欠き、法的に正当化できない。したがって、街路事業の認可取消訴訟において、その前提となる高架事業の認可の違法性を主張できることになる(原田意見書16頁参照)。さもないと、高架事業が違法であるにもかかわらず、争う者がいないため、高架事業は有効に存続し、それを前提として判断すると、街路事業も必要であるということになって、違法な事業により収用できることになりかねない。高架事業が有効に存続しても街路事業の方は違法であるとの考え方もあろうが、街路事業が行われないと、かえって事業の一体性が損なわれ、また、街路事業予定地に残った住民に対する騒音、日照被害は重大なものになる。このように断片的に切り離したのでは、事業主体としても、かえってやりにくいことになろう。」

5.原告適格についての最高裁判例の流れと最高裁平成11年判決の評価

(1) さらに阿部教授は、一審判決が最高裁の1999年(平成11年)11月25日第一小法廷判決(判例時報1698号66頁)に従って、本件の事業地外の「周辺地域に居住し又は通勤、通学するにとどまる者」について原告適格を否定したことにつき以下のように批判し、本件鉄道の沿線住民である原告らにも、本件事業認可の取消を求める原告適格を認めるべきであったと述べている。
@「都市計画法の条文だけを単純に読めば、たしかにこの判旨のとおりと解 されるかもしれない。しかし、新潟空港最高裁判決(1989・2・17民 集43巻2号56頁、判時1306号5頁、判タ694号73頁)は、当該 処分の根拠規定及びその処分の要件を定めた規定にかならずしも限られず、 右規定の解釈に当たって、当該行政法規中の他の関連規定及びその法規全体 の趣旨目的を勘案することができるとしている。  この1999年の最判は、新潟空港最判が創出した柔軟な解釈を逆戻りさ せるもので、不適当であって、先例とするに値しない。」
A「最高裁2002年01月22日第三小法廷判決(民集56巻1号46頁)は、いわゆる総合設計許可(建基法59条の2第1項)に係る建築物の周辺 地域に存する建築物に居住し又はこれを所有する者の原告適格について、
 『同法59条の2第1項は、上記許可に係る建築物の建築が市街地の環境の 整備改善に資するようにするとともに、当該建築物の倒壊、炎上等による被 害が直接的に及ぶことが想定される周辺の一定範囲の地域に存する他の建築物についてその居住者の生命、身体の安全等及び財産としてのその建築物を、個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解すべきで ある』とした。また最判2002年03月28日第一小法廷判決(民集56 巻3号613頁、判時1781号90頁)は、当該建築物により日照を阻害 される周辺の他の建築物に居住する者の健康を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むものと解して、その原告適格を承認した。」
 「最高裁も、生命健康だけでなく、財産権保護や日照の利益を原告適格の根 拠とすることもあるのである。本件の原告の利益が生命そのものではないか らといって、軽視してはならないのである。」
B「法律上保護された利益」のいう「『法律』とは処分の根拠法だけではな く、新潟空港判決のいうように関連法規を含めるべきであり、そして、ここ でいう関連法規の中には、生命、健康を保護する憲法13条も入るとすべき である。そうすると、本件の街路事業の土地所有者は、高架事業のもたらす 騒音、日照被害による生活妨害、健康被害を受けるのであるから、そのことを都計法がいちいち保護するという規定をおいているかどうかにかかわらず、原告適格が肯定されなければならないのである。」
C「しかも、今日、環境影響評価法が制定され、各種の許認可のさいには、それぞれの法律には環境配慮条項がなくても、同法33条がいわゆる横断条 項として『環境の保全についての適正な配慮』を要求しているので、これが 欠ければ違法になる。そして、この環境の保全への配慮は、地球環境のよう な抽象的な公益の場合もあろうが、騒音・振動・大気汚染の被害防止、日照 阻害の防止ということであれば、住民の私的利益にかかわることであって、 新潟空港訴訟最判からしても、これも処分の根拠となる関連法規と理解すべ きである。」
D「1999年の最判は、理論的に不備であって、‥‥むしろ、関連法規を 柔軟に解釈して、さらには憲法上保護された利益を根拠として、原告適格の 有無を判断するのが最高裁判例の本筋であると理解される。」「都市計画事 業認可に対しては、地権者だけではなく、その周辺で生活上、環境上、健康 上重大な影響を受ける者は、憲法、都市計画法、環境基本法、都の環境影響 評価条例によって保護された利益を有すると解して、原告適格を肯定すべき である。
(2)・ このように、行政処分に対する取消訴訟の原告適格に関する最高裁判例の流れは、決して当該行政処分そのものによって直接自己の法的権利を侵害されまたは侵害されるおそれのある者らに限定しておらず、関連法規をも含めて考察して行政事件訴訟法9条が規定する「当該処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」であるか否かを実体的に判断しているということができる。そして最高裁判例のこの主流的な考え方に立つならば、本件でも鉄道高架事業自体の事業地に隣接する土地に権利を有する者は勿論、さらにその周辺の土地または建物に権利を有している者や、これらに居住しまたは通勤・通学する者などにも本件事業認可処分の取消を求める原告適格を認めてしかるべきであると言える。
 したがって、本件付属街路事業の事業地内の不動産につき権利を有する原告らに本件鉄道高架化事業の都市計画事業認可処分の取消を求める原告適格を認めた原判決は極めて正当であり、むしろ本件事業地周辺の土地または建物に権利を有し、これらに居住しまたは通勤・通学している原告らについても、本件事業認可処分の取消を求める原告適格を認めるべきであった。



第三 本件鉄道事業認可の違法性について

 法61条は、建設大臣(当時)が法59条2項の都市計画事業の認可をする要件の一つとして、「事業の内容が都市計画に適合し、かつ、事業施行期間が適切であること」(同条1号)と規定しているので、本件鉄道事業認可が適法であるというためには、この要件を満たすことが必要である。
そこで、本件鉄道事業認可の法61条適合性については、事業内容が都市計画と適合していること、事業施行期間が適切であることの二つの要件を満たすのか否かが問題となるが、原判決は、その判示にあるとおり詳細かつ具体的な事実認定を行った上で、本件鉄道事業認可はいずれの要件も欠いていたのにこれを看過した点に違法があると判断した。
 これに対し、被告は、その控訴理由書第2章(22頁以下)及び準備書面・第2(10頁以下)において、種々の理由を挙げて原判決を論難しているが、以下に述べるとおり、その論旨は、原判決を曲解しているか、法61条についての独自の解釈に基づくものであり、失当といわざるを得ないものである。

1.都市計画との適合性について
・ 都市計画決定と都市計画事業との関係
 都市計画事業は都市計画を実現するために行われる事業であることから、都市計画事業の事業地が都市計画における都市施設の区域に適合することを要する。
 そうすると、法60条3項1号が都市計画事業の認可申請書の添付書類として「事業地を表示する図面」を求めている趣旨は、都市計画事業の事業地が都市施設の区域と適合しているかどうか、さらにいえば施行される事業の事業地が区域と適合しているかどうか、言い換えれば、事業地の重要な部分が欠落しているため、区域と大きな違いが生じていないかということ等を確認するためであると解すべきことになる。
 このように、事業地を表示する図面は、都市計画事業の事業地が都市施設の区域と適合するかどうかを判断する重要な資料であるので、この図面が明らかに誤った事業地を表示をしている場合はもちろん、この図面からどこが事業地かを正確に理解することができない場合には、都市計画事業の事業地が都市施設と適合するかどうかを確認することはできず、このため、都市計画事業の認可をすることができないことになる。
 原判決が、「認可申請にかかる事業地の範囲は都市計画におけるそれと一致することを要する」(原判決第三、五、(2)、ア)と判示したのは、このような趣旨であったのである。そしてその由縁は、後述する通り、事業地の範囲に重大な欠落があり、都市計画の区域と全く適合せず、都市計画決定と一致しないことが明らかであったからである。
(2)事業地の範囲
 ア 本件における都市施設とは、建運協定に基づく線増連続立体交差化事業により築造される施設であり、在来線を高架化する事業(以下「在来線高架化事業」という。)に係る部分と線路を増設する事業(以下「線増事業」という。)に係る部分とを含むものである。
 ところが、本件鉄道事業の認可申請においては、その事業地は、在来線相当部分に限られ、線増事業に要する部分は含まれないとされた。
 そこで、上記(1)で述べたとおり、かかる認可申請は事業地の表示が都市計画に適合しているかといえるのかが問題となったのである。
イ この点について、被告は、在来線高架化事業の実施主体は参加人である東京都、線増事業の実施主体は小田急電鉄とされていることを理由として、本件鉄道事業の事業地は在来線相当部分に限られ線増事業に要する部分は含まれないと主張している。
 しかし、このような主張は、線増事業に要する部分に建設される施設が在来線高架化事業に係る都市施設であるのか、それとも線増事業に係る都市施設であるのかを工事施工上のみならず完成後の共用上の見地から明確に区分することができる場合にはじめて成り立つものであり、その区分が不可能である場合には、被告の主張は成り立たないのである。けだし、その区分が不可能であれば、当該施設を在来線高架化事業に係る都市施設から除外する理由がないからである。
ウ そこで、まず工事施工上の見地から本件についてみると、線増立体交差化事業の施工方法としては、原判決第三、二、(6)、アにあるとおり、仮線を敷設するための用地を確保し、当該仮線部分に在来線の移設工事を行った上、在来線相当部分に高架橋工事を行い、当該高架橋工事完成後、線路を元の位置である在来線相当部分に戻し、仮線を撤去した上、さらに、線増部分の高架橋工事を行う方法と、線増部分の高架橋工事を行った上、在来線の仮線を当該高架橋へ設置し、在来線相当部分に高架橋工事を行うという方法とがあるところ、後者の方法は、前者の方法に比べて、仮線の撤去工事を省略することが可能で、効率的であることことから、本件では後者の方法が採用された。
 しかし、より正確にいえば、仮線の撤去ばかりでなく設置も線増部分の高架線を一時借用することにより省略しているのであり、一部の仮ホームを除いて仮線の実体はなく、序論の12頁で述べた通り、後者は仮線方式というよりも、基本的に別線(腹付け)方式である。これを以下詳論する。
 「街路の計画と設計」(甲220号証)によれば、高架連立事業の施工のやり方について、「(1)仮線の施工方法‥‥施工方法には、仮線方式、別線方式(または腹付け方式)および直上高架方式の3種類がある」(同書241頁)「別線(腹付け)方式とは、主として線増高架工事‥‥に採用されるもので、現在線路で列車を運行させながら、現在線路に並行して新たに高架構造物を建設する‥‥ものである」(同書242頁)と述べ、別線(腹付け)方式の単線を複線化する線増の例を別紙2に図示している。
 ここには、現在線(既設線)に腹付けして高架橋を建設し、これが完成した後に現在線を高架橋に切り換え、現在線用地に線増分を構築するとの分かりやすい説明がある。この図の単線を複線と読み、複線を複々線と読み替えれば、そのまま本件事業を説明した図になる。
 すなわち、高架事業が線増地で完成した後に在来線用地で線増が行われるとの考えである。「高架が先、線増が後」であることに注目する。このように高架になった線路が在来線の上空にない時を別線方式といい、在来線の上空で営業するのが仮線方式あるいは直上高架方式という。
 しかし、よく考えてみると、複線になって運行される列車のうち半分は在来線の上空で営業するのである。ここで仮に在来線上空に移る方を上り線、線増地に移る方を下り線と呼ぶことにすると、上り線にとっては工事期間中仮線で営業し、完成後に本来の線に戻ったのだから、この方式を仮線方式でもあったと主張することも出来なくはない。この説明の難点は、将来営業に使われる「仮線ではない仮線」の存在を前提にしなければならないことである。この難しい説明を従来被告は採用してきた。単線を複線にするときは、まだ「難しい」で済むが、本件のように複線を複々線にするケースでは明らかな「誤り」である。現在高架として運行されている下り線のどこにも「仮線」らしいところはない。はじめから「別線」腹付けである。
 「線増をともなった別線連立工事」であるにもかかわらず、「先行する線増を一部利用した仮線連立工事」と被告が強弁する理由はどこにあるのだろうか。それは、事業地の表示に関係する。鉄道事業者が線増のために取得した用地は本件連立事業地に入っていないので、別線であることを認めるわけにはいかないのである。一方、もしこれが仮線だとすれば、線増工事の先行が必須条件になることは明らかである。原判決が事業地と工事時期の2点にある矛盾を見事に看破したが、これは手続き上の瑕疵などでは決してなく、「在来線用地と線増用地の双方を利用して同時に行われる線増連立事業」を無理やり分割して、「鉄道事業として先行する線増」と「そのあとで都市計画による高架化」という虚構を作り上げた時点で運命付けられていたのである。
 被告が「線増先行、高架後追い」を現実のものとして主張するならば、線増部の下り線だけでの高架営業期間(「開かずの踏切」がなくなったが、上り線の踏切が残っていた期間)をどこに位置付けるのであろうか。現実は緩行下り線の別線高架化はこの時点で終了しているのであって、この後に残っているのは急行下り線の完成による線増のみである。この順序を裏付けているのが、参加人による年度別の工事費支出の推移である。「一体不可分ではあるが高架化を先行する」と読み取れる。もし線増が先行するのであれば、在来線の地上運行期間に高架化の費用が多額に発生する筈がないし、事業地が在来線に限られるとすれば、走っている電車の上に一万円札を撒いたことになる。
 全ての事実が「一体不可分の別線方式線増連立事業」を示しているのである。
エ 以上から、被告の主張はその前提を欠いているから失当であり、「‥‥本件鉄道事業を行うのは甲部分、本件線増事業を行うのは乙部分というように截然と区分することはできず、甲乙両部分を通じて双方の事業が渾然一体として行われるというべきである。」との理由により本件鉄道事業の認可申請書中の事業地の表示は都市計画決定と全く適合していないと判示した原判決(第三、五、(2)、ア)に何ら誤りはないのである。

2.事業施行期間の適切性について
(1)原判決の審査方式
 被告は、事業施行期間の適切性の要件適合性について、原判決は自ら全面的に審査、判断し、これをもって建設大臣の判断に代置しているとして、原判決を非難している。
 しかし、原判決は、
@ 本件鉄道事業の事業施行期間が本件鉄道事業と同程度の規模における事業期間に照らして均衡を失するものではないとの被告の主張に対しては、いかなる事業とのどのような比較において本件鉄道事業の事業期間が平成12年3月31日までの6年弱の期間で足りると判断したのか明らかでないと判示し、
A 在来線を存置したまま高架橋を建設するための用地の買収が相当程度進んでおり、事業認可後速やかに高架橋本体工事に着手することが可能であるとの被告の主張に対しては、在来線の仮線の敷設工事を兼ねる本件線増事業が、本件各事業に先行して着手され、その工事完成予定日は平成7年3月31日とされていたにもかかわらず、本件各認可の時点では、それに必要な用地の取得すら完了しておらず、用地取得率は約86パーセントにとどまっており、何をもって本件鉄道事業の認可後速やかに本件連立事業の高架橋本体工事に着手することが可能であるとするのかは不明であると判示した。
 上記の通り「線増部分」の高架橋建設が、実は在来線の高架橋建設、すなわち連続立体交差事業であるとすれば、話は別である。しかし、被告にはそういえない明確な理由がある。前述の通り、事業地が全く違ってくるからである。
B さらに、本件鉄道事業においては、本件事業区間6.4キロメートルを工区分け施行することとしていたことから、建設大臣が本件鉄道事業につき認可申請期間内の施行が可能であると考えたことは適切であったとの被告の主張に対しては、工区を分けずに施行した場合にどの程度の施行期間が必要であるのに対し、工区分け施行をした場合にどの程度の施工期間の短縮が見込まれるのかといった点について何らつまびらかにしていないので、建設大臣が本件鉄道事業の施行期間をいかなる根拠により申請に係る期間のとおり適切であると判断したのかについては、確たる根拠があったものとは認められないと判示したものである(原判決第三、二、(7)、ア、(ウ))。
 このように、原判決は、建設大臣が申請を適切と判断した根拠を問題としたのであって、建設大臣の立場からその是非を判断したものではないから、被告の主張に理由がないことは明らかである。
(2)事業施行期間適切性の要件適合性
 そもそも「線増部分」の高架橋建設が連立事業に入らないという事実に反する強弁をしているのであるから、適切な施行期間が定まるわけがない。
 工区分け施行等の被告の主張は、この二律背反により成り立たないものを無理に帳尻合わせしているにすぎない。


第四 「違法判断の対象となる9号線都市計画の特定について」に対する反論

1.被告の援用する判決の対象事案の特殊性
(1)被告は,最高裁平成11年11月25日判決(以下単に「最高裁平成11年判決」と略す)および東京地裁平成14年8月27日判決(以下「東京地裁平成14年判決」と略す)を援用して,一般に都市計画法21条にもとづく変更決定は,変更部分のみにかかわる決定であって,当初計画を内容的に維持する部分と一体的に把握されるべき新たな決定ではない,と主張している(20〜23頁)。
 しかし,最高裁平成11年判決および東京地裁平成14年判決の対象となった事案は,いずれも都市計画法21条2項括弧書にいう「政令で定める軽易な変更」に該当する事案であって,本件とは全く事案を異にする。
(2)最高裁平成11年判決の対象事案
 被告が自認するとおり,同判決の対象事案は「旧法下において昭和25年に決定された環状6号線整備計画が昭和55年に現行法下で一部変更(延長60mについて線形及び幅員を変更)されたという事案」である。 道路に関する都市計画中の位置又は区域の変更であっても,「拡幅による位置又は区域の変更で,当該変更に係る区間の延長が1000m未満であるもの」は,「軽易な変更」に該当するものとされている(都市計画法施行令15条2号ロ,同法施行規則13条3号ロ)。
 対象事案がこれに該当することは明らかである。
(3)東京地裁平成14年判決の事案
 同判決の対象事案は公園に関する都市計画であるが、当初決定(昭和32年)と変更決定(昭和62年)の差は,ごくわずかの区域の拡張にすぎない(乙第74号証判決の別紙図面1および2を比較すれば明らかである)。
 公園に関する都市計画の変更のうち
 「面積の拡張又はこれに伴う位置若しくは区域の変更で、当該変更に係る部分の面積の合計が20%未満であるもの」は「軽易な変更」に該当するものとされている(都市計画法施行規則13条7号ロ)。
 対象事案がこれに該当することは明らかである。
 そして,同判決の事案は,事業認可処分によって収用の対象となりうる民有地の地権者が当該処分の取消を求めたものであるところ,裁判所は「本件民有地は,昭和32年決定により都市計画区域に含められたものであり,昭和62年決定の効力は,主要部分を変更しないまま若干の区域の変更したものにすぎない。」との認定を前提に,「したがって本件認可の前提となる都市計画決定は,本件民有地に関する部分については,昭和32年決定であると解するのが相当である」と判断したものであった。

2.各判決の射程範囲 (1)一般的な都市計画変更と「軽易な変更」との間には,都市計画法の適用に関し,本質的な差があることは,同法21条2項の規定自体から明白である。
 最高裁平成11年判決と東京地裁平成14年判決は,いずれもこのような軽易な変更にかかわって判断を下したにすぎないのであるから,その射程範囲を不当に一般化すべきものではないのである。
(2)ことに東京地裁平成14年判決は,「変更部分が独立性を有し,変更前の都市計画全体を取り消して新たな都市計画とするまでのものとは認め難い場合」がありうる(「それゆえ当然に従前の都市計画決定の内容が,あたかも変更決定に吸収され、新たな一つの都市計画決定となることまでを意味するものではない」)と判示して,事案の如何により変更決定が従前の決定を「吸収」する場合と然らざる場合に分かれることを想定しているのである。
 従って,東京地裁が「法21条の解釈について」原判決と異なる解釈を採った,という被告の指摘はあたらない。
(3)東京地裁は,都市計画決定の変更が軽易であって,かつ係争処分にかかわる決定が当初決定中に既に含まれており,変更決定がそれと全くかかわっていない,という事案と,本件のように変更決定によって新しい都市施設が計画に導入された場合とでは別異に考えるべきであるという法理を明らかにしたものと言うことができる。

3.連続立体交差化の都市施設概念としての新規性
(1)被告は,連続立体交差にかかわる都市計画は単なる鉄道の高架化と同じものであって,都市施設概念としての新規性はない,と主張している。
 しかし,前述のとおり,連続立体交差化は鉄道側ではなく「都市側が主体となって行なう都市計画事業」であり,さればこそ,その事業費は従前の単独立体交差事業のように,「道路側,鉄道側折半負担」ではなく,道路側が90%以上を負担するという制度になっているのである。(椎名彪論文参照)
(2)都市計画法11条1項1号は,都市施設中の交通施設について,「道路,都市高速鉄道、駐車場,自動車ターミナルその他の交通施設」という包括的な規定の仕方をしている。
 道路と鉄道の双方にかかわる交通施設は,道路と鉄道のいずれかに分類されなければならないものではなく,素直に「その他の交通施設」と把握すべきものである。
(3)ちなみに道路法31条は「道路と鉄道とが相互に交差する場合」は「当該道路の管理者は当該鉄道事業者と当該交差の方式,その構造,工事の施工方法及び費用負担について,あらかじめ協議し,これを成立させなければならない」と規定して道路側,鉄道側それぞれの管理者の協議(またはこれに代わる国土交通大臣の裁定)を必要不可欠のものとしている。
 「道路」,「鉄道」双方の管理者の「協議」によって決定される「交差の方式」が(事業費の負担関係に照らして「道路」の一部として取りあつかわれるならばまだしも)道路という側面を全く無視して「鉄道」の一部としてのみ観念される,などということは全く筋が通らないことである。
(4)本件事業にかかわる都市計画決定のうち,昭和45年以前の決定は,いずれも鉄道という都市施設だけを念頭に置いてなされて来た。
 鉄道の「高架化」という概念は,鉄道と道路との交差を前提としなくても成立する概念であるのに対し,「連続立体交差化」という概念は,道路とのかかわりを抜きにして成立するものではない。
 従って,2つの概念が「ほぼ同じ内容を有していた」という被告の主張は,全くの強弁である。
 そして,都市計画中に新たな都市施設を取り入れるという趣旨を含む変更決定が,前述の道路拡幅や公園の拡張などのように(その程度によって)軽易な変更として取扱われる余地は全くない(都市計画法施行令15条参照)。
(5)以上により原判決が,連続立体交差施設を正面から規定した平成5年の変更決定を判断対象と定めたことは,極めて妥当というべきである。


第五 「都市計画決定の裁量と司法審査の在り方」についての反論

1.裁量権の範囲の逸脱、濫用と司法審査
 「今日の学説・判例は、法の趣旨目的を合理的に解釈して、行政の専門的技術的な判断を必要とするものや、政策的配慮など政治的責任に帰せられる事項について、行政裁量を認めている。」
 「判例の展開は、条理法の導入を、裁量審理の基準すなわち裁量判断の違法と結合させることにより、条理や社会通念の最終判断権を司法に留保したのである。」(ジュリスト、行政法の争点(新版)、田村悦一「裁量権の逸脱と濫用」75頁)
この展開の方向に従った原審判決は
 「したがって、このような判断は、技術的な検討を踏まえた一つの政策として都市計画を決定する行政庁の広範な裁量にゆだねられているというべきであって、都市施設に関する都市計画の決定は、行政庁がその決定についてゆだねられた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に限り違法となるものと解される。すなわち、都市計画決定の適否を審査する裁判所は、行政庁が計画決定を行う際に考慮した事実及びそれを前提としてした判断の過程を確定した上、社会通念に照らし、それらに著しい過誤欠落があると認められる場合にのみ、行政庁がその裁量権の範囲を逸脱したものということが許されるのである。」
とする。
 これに対し、被告の主張は、数人の起案者の寄せ集めで、同一内容を文章を微妙に変化させて執拗に繰り返されている。その代表的なものは、「裁判所は法令に基づいて審理をするものであるから、裁判所で審査の対象となるのは、当該処分がその根拠法規たる実定法に違反しているか否かのみである。したがって、当該実定法が、行政行為に至る判断過程を統制する規律を定めているのであれば、当該判断過程がその規律に反したかどうかは裁判所の審査の対象となるが、当該実定法が、行政行為に至る判断過程を統制する規律を設けず、行政庁の裁量にゆだねている場合には裁判所がその点を審査することはできない。」(28頁)
「このように判断過程自体を規律する法規範が存在しない以上、最終的な決定内容と離れた判断過程の在り方そのものが違法となることはあり得ない。」(30頁)というにある。
これは控訴理由書92頁の「法13条は、最終的に決定された都市計画の内容が同条に定める都市計画基準に適合することを要求しているのみである。つまり、都市計画法上、都市計画決定に至る判断過程の適正自体を、最終的な決定内容の適正とは別に、行政行為の適法要件とする規定は全く存在せず、仮に最終的に決定された都市計画の適法性に影響しない判断過程の過誤欠落があったとしても、都市計画法上、それを違法とする規定は存在しないのである。」の繰り返しである。なお、これには阿部泰隆氏の意見書(甲216号証の1のイ)12頁に「驚く議論である。」として手厳しい批判がある。
 要するに、本件は「自由裁量(=便宜裁量)」として行政庁の広い政策判断に委ねられている。都市計画内容について法13条の実定法に違反するかについて裁判所が審査するまではともかく、計画を策定する判断過程については、判断過程を統制する規律がない本件の場合は行政庁の裁量に委ねられている。本件の「判断過程」は行政庁の自由裁量であって裁判所の審理は及ばない。裁判所は単に手続を形式的に踏んだかどうかを判断すべきであり、形式的手続規定のない本件では、原審裁判所は「判断過程審理」をするべきでないとする。

2.反論
被告の1の議論は、都市計画事業が国民、住民の利益を指向して行われるべきであるとの基本を忘れた議論である。行政行為判断過程(手続過程)の裁量にも限界があるのは当然である。
 本件に於いては都市計画法13条の立法趣旨と共に前記の如く、「判例の展開は、条理法の導入を、裁量審理の基準すなわち裁量判断の違法と結合させることにより、条理や社会通念の最終判断権を司法に留保したのである。」(1)の通り、仮に判断過程を統制する法規はなくても、条理や社会通念 を法規範としてその判断過程を審理すべきである。原審判決は正にこの判例の展開に従った判決である。(同旨、日光太郎杉控訴審判決東京高判昭和48年7月13日行集24巻6・7号533頁、最判昭和46年10月28日民集25巻7号1037頁参照)
 「最高裁も、その後、伊方原発事件の判決で「原子力の安全性に係わる裁判所の審理・判断は、原子力委員会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである」とし、「‥‥原子力委員会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断に基づく原子炉設置許可は違法」と判示した。裁量不審理にこだわることなく、手続面からの司法審査を支持していることに留意しておこう(最判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁)。
 本件の原審判決は、こうした判例の流れを受けて、都市計画事業の認可及びその前提となる都市計画決定の過程に着目して審査を進めたものである。」(原田尚彦氏の意見書(甲第211号証の2)6頁)
 いずれにせよ、「裁量判断の方法ないしその過程」を審査しうることは、今日の学説・判例の歴史的流れである。
 これは裁量の広狭の問題ではない。裁量権がいくら広くても、その逸脱と濫用の問題が生じることは言うまでもあるまい。

3.「判断過程審理」(=手続過程審理)と「判断過程統制方式」
 計画内容が行政庁の広い政策的な裁量判断によって決定されるから、計画内容の当否について裁判所が実体審理を徹底するのは困難である。
 計画の内容的当否については、ある程度限定された審査とならざるを得ない。 計画に対する訴訟では、計画内容の実体審査よりも、計画策定手続が適法に行われたかどうかといった、手続面の審査に重点がおかれることにならざるをえないであろう。原審判決もそのようになっている。
 原田氏意見書2頁に「手続過程審理」について詳細に論じられているので援用をする。
 「手続的過程審理のやり方を具体的にいうと、まず法定の手続が踏まれたかどうかを審査する。だが、それにとどまることなく、行政庁の現状認識の誤りやデータの採取に関する過誤、配慮すべき裁量要素の欠如、配慮すべきでない要素の過大評価、必要な代替案の検討の欠如などについても、キメ細かく審理し、その結果、行政判断の過程に過誤や欠落があり、それが行政判断の結論を左右したと認める場合には、その点を指摘して処分を取り消し、改めて行政判断をやり直させる。」
 こうした手続的面から判断過程について司法の審理がなされるべきである。 そしてこのような判断の過程を審理する方式を「判断過程統制方式」と言う。 被告の前記のような都市計画決定の過程を司法審査出来ないという見解にとっては「判断過程統制方式」は全く無意味となろう。

4.都市計画決定に対する司法審査と判断過程審理
 原審判決は「都市計画決定における裁量」を「法13条1項柱書き前段は、都市計画基準につき、都市計画は、当該都市の特質を考慮して、都市施設の整備に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを、一体的かつ総合的に定めなければならない旨規定し、都市施設に関し、同項5号において、「都市施設は、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めること。」と規定している。都市計画基準としてこのような一般的かつ抽象的な基準が定められていることからすれば、都市施設の適切な規模や配置といった事項は、これを一義的に定めることのできるものではなく、様々な利益を比較衡量し、これらを総合して政策的、技術的な裁量によって決定せざるを得ない事項ということができる。」
とする。
 更に前記の判例の展開に乗って、これに、1の判決文に続くのである。
被告は
 「法が、都市計画の決定に至る経過において、これをめぐる諸利益・諸要素の取捨選択をどうするか、諸利益・諸要素をどれだけ重いものとみるかを行政庁の広範な裁量にゆだね、最終的に決定された都市計画の内容を法13条1項5号という極めて緩やかな要件で規律する限度で、行政庁の最終的判断を統制しようとしていることが明らかである。したがって、都市計画決定は、「円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持する」という法13条1項5号の文言に適合しないような極めて不合理なものである場合に初めて違法となるのであり、裁判所の審査の対象となるのも、このような都市計画の違法をもたらすような重大な誤りが判断過程にあるか否かのみである。」(32頁)としている。
 この部分の起案者は、1の引用部分と控訴理由書の極端な議論と比較すると、「裁判所の審査の対象となるのも、このような都市計画の違法をもたらすような重大な誤りが判断過程にあるか否か」として「判断過程」に司法審査が及ぶことを僅かながら認めている。
ところが、これも「判断過程」をすり抜けて
 「平成5年変更についても、高架式が計画的条件・地形的条件・事業的条件のすべてにおいて他の構造形式より優れており、また、高架式が環境への影響や敷地の空間利用等の観点からも特段問題がないことが確認されている以上、「円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持する」という法13条1項5号の要件を充足する適法な都市計画であることが明らかである。」
との行政の立場だけの一方的な結論を引き出すだけに過ぎない。
 第一審原告は、「高架式が‥‥他の構造形式より優れている」のか、或いは、「高架式が‥‥特段問題がない」のかという「判断過程審理」を「判断過程統制方式」によって裁判所がすべきであると主張している。
 ところが、被告は何らの理由を明らかにせずに、高架式を採用するについての「判断過程」を審理する必要はないとして、「高架式は優れており、且つ特段問題がない」ことを独断しているに過ぎない。
 判断過程の審理については3の原田氏意見書の引用分を参照されたい。
更に、原田氏意見書8頁には、被告に対する厳しい批判であるので引用する。
 「行政庁の政策決定につき、裁判所は自己の判断を行政判断に置き換えることは許されないが、それだけに行政判断の形成過程の適正は、慎重に審理されなければならない。行政判断の形成過程に誤認、欠落、恣意、独断、偏見などが疑われる場合には、そうした点につき裁判所は積極的に審理を進めて行政判断の形成過程の不公正・不合理を矯正しなければならないのである。これがまさに手続的過程審理方式であるが、こうした審理方式が、これまでの判例によっても基本的に是認されてきたことは、さきに述べたとおりである。
 ところが、控訴人(第一審被告)は、政策的判断のような、実体法上裁量権が認められる行為については、その判断形成の手続面でも裁量権が認められるかのように主張している。しかし、そうした立論は、手続的な過程審理方式への理解を欠き、あえて古い裁量不審理原則に固執するものといわざるをえない。」

5.小括
公共事業の事業計画の策定手続に違法なところがあれば、早い段階で違法なところを是正し、段階的に疑義を解消すべきである。
 本件の事業はいわば百年単位のものであり、これは現在のみならず将来の国民、住民にとって重大な影響がある。これを行政庁や事業者の都合だけで施行されてはならない。地下式か高架式かもこうした視点で考えられるべきである。この事業の巨額な事業費は殆ど国民の血税で賄われている。
 被告は裁量権の範囲が広いことを楯に行政の専権を主張して、本事業計画の策定手続に対して司法審査を拒否せんとする。しかし、裁判所はこの策定手続の過程、すなわち「判断過程」を十分審理すべきである。
 裁判所は積極的に審理を進めて、行政判断形成過程の不公正、不合理を改めさせるようにすべきである。