平成13年(行コ)第234号 小田急線連続立体交差事業認可処分
               取消請求控訴事件
 控訴人   関東地方整備局長
 被控訴人   ○○治子  外
 参加人   東京都知事
 
      準備書面 兼 証拠説明書
 
                           2002年10月1日
 
東京高等裁判所第4民事部 御中
 
                  上記被控訴人ら訴訟代理人
                   弁護士 斉藤 驍 外100名
 
第一 連立事業(都市施設)の存在とこれに係る都市計画の決定
 
1.連立事業の意義と存在
 被控訴人は、冒頭から本件都市計画事業は線増連続立体交差事業(以下「連立事業」という。)という、都市再開発を目的とした道路と鉄道の複合都市施設をつくる事業であり、財源の基本は道路特定財源であって、単なる鉄道事業ではないことを繰り返し述べ、控訴人らがあたかもこのような事業が存在せず、本件都市計画事業が単なる鉄道事業であるかのように事実の根本をすりかえていることは、アンフェアも極まる評しがたいものであると厳しく指摘してきた。特に、被控訴人準備書面・第3の1において、「存在するものを存在しないとする強弁」
においてこれを明確にし、控訴人のこのような主張は撤回すべきであると断じた。
 しかし、控訴人らは前回7月23日の第3回口頭弁論期日に至るまで、改めようとしていない。
 ところが、前回期日のわずか3日後の7月26日、日本経済新聞の朝刊に2分の1頁に及ぶ巨大広告が掲載された(甲第205号証)。
 広告主は全国道路連続立体交差事業促進期成会等である。同期成会が何者であるか一般の人は分からないが、本件第一審において被告建設大臣側が乙第1号証として、同期成会作成の「連続立体交差事業の手引き」を提出してきたことからも明らかな通り、同期成会が建設省(現国土交通省)の隠れ蓑であることは、本件関係者においては自明のことである。すなわち、広告主は国土交通省であると考えてよいのである。
 この広告こそ、他ならぬ控訴人国土交通省(関東地方整備局長)の本法廷における先述の主張がためにする全くの虚偽であることを、一般国民の前に図らずも極めて明確に示している。
      「線路が邪魔だと思ったことありませんか?」
 という煽情的なフレーズで人目を奪い、広告は始まる。そして、核心部分は以下の通りである。
 「線路に分断されたまち、…連続立体交差事業が解決します。…現在全国六十二ヶ所で実施中です。…踏切がなくなり、新しい道路ができると、道路交通がスムーズになります。だから道路整備の一環として鉄道の立体交差工事を行うのです。…連続立体交差事業にあわせて、多くの地区で土地区画整備事業などのまちづくりが一体的に実施されています。駅前広場整備や高架下の商業施設…の利用なども行われ、…新しい「まち」ができていきます。」
 これだけで、連立事業の存在と内容は一目で理解出来るのであるが、さらにその財源を大きく示して、広告の結びとしている。
 「連続立体交差事業はガソリン税等の道路特定財源で推進されています。…事業費の約90%が道路事業費で、約10%が鉄道事業者…負担金で賄われています。」
 このような事業が単なる鉄道事業ではないことは、誰が見ても明らかであり、まさに控訴人らの自白としかいいようがない。控訴人らは法廷外ではこのように言い、法廷では正反対のことを言っているのである。
 この「自白」がなされた後も同様であるとすれば、愚弄されるのは裁判そのものと被控訴人ら代理人を含む訴訟関係人全てということになる。
 事実と法を誰よりも尊重すべき裁判所ならば、絶対に許されない。
 裁判所は控訴人らを直ちに糺すべきである。
 
2.連立事業にかかる都市計画と鉄道計画の違い
 今述べた通り、控訴人国土交通省が「自白」している通り、連立事業は単なる鉄道事業とは全く違う「道路整備の一環」としての事業であるから、これに係る都市計画の関係規範も、道路法関連規範(建運協定、調査要綱を含むことは勿論である。)はもとより、新しい「まち」も一体として出来るのであるから、都市環境に与える影響も巨大となり、環境関連規範の比重も格段に重くなる。単なる鉄道事業に係る都市計画とは大きく違うのである。
 原判決はこれを充分踏まえ、本件事業区間の連立事業に係る初めての都市計画決定であるとして、平成5年決定を判断の対象としたのであり、法と事実を直視すれば、これ以外の選択は全く考えられない。
 控訴人らのいう昭和39年決定は、連立事業という制度(都市施設)が出来る前の単なる鉄道事業に係る計画であるから、そもそも全く違う都市施設のものであって、これを本件の判断対象に据えることは到底許されないことは、1.で前述したところからしても極めて明白である。
 
第二 狛江地区連立事業調査報告書が示すもの
 
1.狛江地区調査報告書について
 本件事業区間に先行して、小田急小田原線喜多見〜和泉多摩川間(狛江地区)2.4キロメートルにおいて、連続立体交差事業が高架方式で施行(昭和61年都市計画決定、昭和62年事業認可)されたが、その際も建運協定、調査要綱に従い連立事業調査がなされ、その成果として調査報告書が昭和57年3月に作成された。このうち、甲第206号証は鉄道の構造形式の概略設計(比較設計)、総合アセスメントの部分の抜粋である。
 原審において、甲第85号証の1として一部の抜粋を提出したが、これは主として、本件調査報告書が東京都によって秘匿されていた為、被控訴人沿線住民らが地元自治体である世田谷区(調査完了後開示することを約束していた。)に開示を求めたところ、世田谷区はこれを交付されていないと虚偽の答弁をして開示を拒んだため、狛江地区の報告書は世田谷区等地元自治体に交付されており、本件事業区間についてだけ交付されないことはありえず、世田谷区の対応は虚偽であることを証明するためであった。
 今回は本件控訴審の争点に関する事項に大きく関係するところを抜粋したものである。
 
2.比較設計について
 本件事業区間の連立事業調査において、東京都等は調査要綱が明文で定めた比較設計における5つの基準、すなわち環境・経済性・事業効果・関連事業との整合性・施工の難易度のうち、環境を故意に除外し、計画的条件・地形的条件・事業的条件を恣に設定し、環境の基準から地下と高架の構造形式の比較検討を、調査はもとより都市計画決定に至るまでしなかったこと、そしてこれは考慮すべき事項の決定的欠落であることは従前述べた通りである。
 控訴人らは、調査要綱には規範性がないので「裁量」でよいのだと強弁しているが、論外である。しかも、従前も述べたが、この恣に設定した3つの基準による地下と高架の比較そのものに著しい違法、不正があったのである。典型的なも
のは、本件調査当時トンネルの主流であったシールド方式を比較の対象から外し、
用地費、工事費共々かさむ1層4線のオープンカット方式を対象にしたことである。目的はいうまでもなく高架しか選択の余地がないかのように見せかけるためである。シールド方式を対象としなかったことが情報開示で明らかにされ、法廷の内外で追及されると、シールド方式では駅ができないとか、「地表式」である下北沢に繋げられない等と合理的根拠の全くない弁明を繰り返していたことは既に多くの証拠を挙げて準備書面・等で述べた通りであり、原判決も看破したところである。
 ところが、本件調査の行われた時期より6年以上前に行われた狛江地区の比較設計においては、今度はシールド方式を対象として比較し、「地表式」である成城学園に繋げるには「25%の最急勾配のままで下らざるを得ず、喜多見駅の設置は不可能である」(23頁、地下化の検討)等として、地下方式は不可能であるとしているのである。
 成城学園駅は本件事業区間であるから明白であるが、地下となっており、「地表式」ではない。狛江地区の次には本件事業区間及び下北沢地区が連続立体化されることは、この調査の当時当然予定されていた。連続立体化が下北沢地区(ここで初めて代々木上原の高架複々線部分と接続する。)に及ばなければ、控訴人らがいうところの「踏切解消、輸送力の増強」が実現できないことは明白であって、成城学園駅が連続立体化できない「地表式」にとどまることはあり得なかったのである。
 丁度、本件事業区間における下北沢の「地表式」と同様の小細工で、原判決にたやすく看破されている。要するに、この調査の「地下化の検討」なるものは、地下化ができないと見せかけること、逆にいえば、本件事業区間と同様に高架しか考えられないことを示す目的でなされたに過ぎないのである。
 にもかかわらず、この比較はシールド方式が昭和56年当時にトンネルの常識であったことばかりでなく、本件事業区間においては駅ができないと強弁されていたのに、昭和56年当時すでに駅がつくれることを明確に示すことになっているのである。
 高架にするために、ある時はシールドを、ある時はオープンカットを対象とするというペテンは、こうして馬脚を晒すことになっている。
 
3.甚大な騒音被害
 この調査では、昭和56年12月3日に沿線の騒音について現況測定をしている(・ 総合アセスメント調査 1.騒音現況調査38頁)。測定場所は狛江市和泉付近の線路構造が平坦なところで、「線路の南側…側線の線路寄りに民家が2軒あり25mまでの測定位置は民家に近接した位置となっている。…軌道はロングレールでバラスト軌道である。」(40頁)から、騒音が比較的少ないところである。また、「線路の北側は80m付近まで畑地となっている。」(同頁)というのであるから、民家が密集している場所ではない。もとより、そういう場所はこの区間にいくらでもある。
 騒音の人に対する影響を予測するための現況測定の場所として適正であるかどうか、大いに疑問の残るところである。
 しかしこれは置くことにして、測定結果(45頁、表1−2 測定結果整理表)
は驚くべきものがある。
 16時36分から18時47分の約2時間の間に、上り・下り計20本の電車について速度と線路中心より6.25m、12.5m、25m、50m、100mの距離と高さ1.2m、3.5mに分けて騒音の測定をしている。
 まず列車速度(時速)であるが、全列車の算術平均値は66.7キロであるものの、87キロ2本、79キロ3本と、実に4分の1が約80キロで走っているのである。本件事業区間のアセスメントは、高架複々線により時速80キロになることが前提とされている。これが意図された大間違いだということは、本件調査報告書が開示され、前提速度が120キロとされていることが判明して明らかになったが、この地区では普通電車が20本のうち8本もあるのに、時速約80キロの電車が高架になる前に既に走っていたのである。当時本件事業区間と狛江地区はこの点には大きな違いはなかったから、アセスメントの前提を時速80キロにすることの誤りは、この現実からみてもよく分かるのである。
 騒音についてはさらに重大である。北側の線路際とはいえ、距離6.25m、高さ1.2mのところでは94デシベルを最高に90デシベルを超えるものが実に5本、4分の1に達し、86デシベル以上の約90デシベルのもの8本を加えると実に13本、6割以上にのぼるのである。
 90デシベルといえば、そのエネルギーは新幹線騒音の住宅地環境基準70デシベルの100倍に達する、普通の人にはとても耐えられないレベルの騒音であり、眠ることなど論外のものである。国道43号線事件最高裁判決の受忍限度が65デシベル(20m以内60デシベル)、小田急騒音にかかる公害等調整委員会のそれが70デシベルであることを考え合わせれば、このレベルがどれほど酷いものであるか、よく分かるであろう。
 南も大同小異である。
 12.5m離れても最大値は86デシベル、25mでもそれは81デシベルに達しており、比較的騒音が少ない平坦地においてこの当時線路近傍に生活する人々には、前記新幹線騒音環境基準を10デシベル以上上回る騒音に曝されていたことになる。10デシベル以上といえば10倍以上ということであるから、受忍
限度をはるかに超えるものであることはいうまでもない違法明白なレベルである。
本件事業区間もこの点においては大同小異であったこと、その後いずれも改善されていないこと、いうまでもない。
 昭和56年といえば、平成5年決定の約12年前である。この都市計画案の策定を開始したというべき本件調査の着手時期である昭和62年4月から起算しても、少なくとも約6年にわたりこの状態が続いていたことになる。
 甲第207号証は、横浜国立大学工学研究院教授田村明弘がこの騒音調査を解析し、「昭和56年当時小田急線の平坦地を走行する電車により、線路近傍の住宅は新幹線騒音の環境基準を10dBA以上上まわる騒音に曝されていた。これらの数値は生活環境に重大な影響を及ぼす」と断じたものである。以上に加え、既に提出済の甲第198号証、甲第200号証等騒音に関する多くの証拠に照らせば、平成5年決定策定当時、本件事業区間に違法かつ重大な騒音被害が存在していたことは紛れもない事実であり、しかもこれを当の東京都が熟知していたことも明白なのである。原判決の「違法状態があるとの疑念」という表現は極めて控えめであることに、控訴人らは充分留意しなければならない。東京都らは「疑念」どころか明確に騒音被害の現実と違法性を充分認識していたが故に、これを隠蔽するため本件事業区間と下北沢地区を分離して、細切れアセスに持ち込む等の小細工に及んだのである。
 
 
第三 他事考慮
 連立事業は本来「健康で文化的な都市生活、機能的な都市活動」という法の理念を実現し、都市環境に貢献することを目的として遂行されなければならないことは、建運協定、調査要綱をよく読めば充分分かることである。
 しかし、平成5年決定に基づく本件事業認可の流れは全くこれに反するものであった。すなわち、原判決が指摘する通り、今述べた違法かつ重大な騒音被害をなくそうとするのではなく、これを隠蔽し、高架にするために第二で述べた比較設計のペテン等々の小細工を重ねてきた。高架に対する異状かつ違法な執着そのものが法の許さぬ「他事考慮」であるが、何故東京都らは高架にこれほど執着したのか。
 その回答は既に被控訴人準備書面・第三、3.B等で述べているところであるが、あえて繰り返そう。
 本件連立事業の真の目的は、法の理念、建運協定、調査要綱等の基準とは無縁のものである。すなわち線増部分、側道部分等巨大な用地買収を必要とする高架方式をテコとして、同じく巨大な用地買収を必要とする道路、再開発と相まって巨大な不動産の流動性を作り出し、そこに利権を求めることなのである。極言すれば、用地買収費がかさむから高架に旨味がある訳である。環境負荷を考えて地下にすることは、道路を造るにも支障を生ずる。環境を考えれば簡単に道路は造れない(その分流動性と利権が小さくなることになる)から、彼らの「物差し」ではよくないということになる訳である。
 この「物差し」こそ、法が絶対許してはならぬ「他事考慮」なのである。もとより本件連立事業には、これに付随した「他事考慮」が多々あることは、いうまでもないことである。
 
第四 甲第208号証について
 原子力発電所の設備の損傷という重大な情報が、産・官・学の癒着により、長年隠蔽されていたことが発覚し、原子力発電所に依存する我が国のエネルギー政策等が根本的転換を求められていることを報じた朝日新聞の記事である。
第五 甲第209号証について
 道路4公団の民営化を契機に、我が国の道路政策、公共事業のあり方が根本から問われつつあることを報じた朝日新聞他の記事である。
 
第六 甲第210号証について
 長野県の知事選において田中康夫氏が圧勝した事実が、公共事業の見直しはもとより我が国の政治、経済、社会が根本的な転機を迎えていることを報じた朝日新聞の記事である。
 逆流を許さぬ動きであり、近いうちに日本全体のものになることを指摘した元経済企画庁長官田中秀征氏の発言は、代表的な保守政治家の発言であるだけに注目に値する。