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週刊「エネルギーと環境」2001年11月8日号、11月15日号連載の斎藤驍弁護士へのインタビュー構成の特集です。解説囲み記事はココをクリック「判決骨子と訴訟の経緯」



KEY MAN INTERVIEW
国が控訴した小田急高架事業の真相を代理人の斎藤驍弁護士に聞く

小田急高架はバブル期の巨大都市再開発事業だった

 東京地裁(藤山雅行裁判長)は先月3日、小田急線の鉄道高架事業について沿線住民が国・東京都に対し事業認可取り消しを求めていた裁判で、住民側の訴えをほぼ全面的に認め、認可を取り消す判決を示した。これに対して国側(関東建設局)は、判決を不服として10月12日東京高裁に控訴した。
 公共事業の認可取り消し処分はわが国の行政訴訟では初めてで、しかも既に工事か進行中の大規模事業でこうした判決か出されるのは極めて異例のケースだ。
 今回の判決は、現在議論の真っ只中にある道路公団等特殊法人の見直しや道路特別会計のあり方、公共事業の思い切った変革、さらには検討中の評価段階を含む環境アセスメント制度にも大きな影響を及ぼしかねない。そこで、この10年余にわたる裁判での中心的役割を果してきた原告弁謙団長の斎藤驍弁護士にこの問題の核心を話してもらった。
(聞き手は本誌編集長 清水・和田記者)

斎藤 驍(さいとう・ぎょう)氏の横顔

1963年東大経済学辞卒、66年弁護士登録、主な担当事件…六価クロム職業病公害事件(日本化学工業、昭和電工)、NO2環境基準緩和取消訴訟、相鉄線高架事業差止等請求事件などを手掛ける。

 ――画期的と言われた10月3日の東京地裁判決→国側控訴となった「小田急線高架事業」(連続立体交差事業)とは、そもそもどんな事菜なのかきまず聞かせてください。

 

バブル期に地上げ意図した都市再開発事業

 斎藤驍弁護士 この事業は表面的には通勤混雑の緩和策の一環として、小田急線成域学園〜梅か丘間6.4kmの区間を高架複々線にするという単なる鉄道事業のように見えるか、内実は巨大な都市再開発事業です。プランニングされたのは1987年頃で、まさにパフル経済真っ只中の時期。
 今は「都市再生」との言い方か多いが、当時は「アーバンルネッサンス」という一つのマジックワード(言葉の魔術)で、例えば山手線内側を全て高層化する、線路上に人工地盤を作リピルを建てるなど、そうした構想かあった。
 裁判の対象になった区間の世田谷区は山手線外側の住宅地だが、そういう地域もアーパンルネッサンスの名のもとに再開発の対象とされた。小田急高架事業で言えば、車庫等1万坪以上の小田急電鉄の土地かある経堂駅周辺は、新宿駅西口のような高層ピル群が立ち並ぶ商業地区にすることか構想されていた。
 鉄道高架事業(連続立体交差事業)は単に踏切りを無くすだけではなく、当然道路の新設も必要になる。都市再開発事業の場合、地主や商店街の有力者を引き込む必要かあるが、世田谷は一種住宅専用地域、つまり二階建てしかできない低層住宅が多い地域だ。広い道路を作ればそこの容積率、用途地域の指定は変わる仕組みになっているか ら、それを活用して地主や商店街有力者に、「この開発事業に協力すれば、高層マンションが建てられますよ」と誘う。当時はパフル時期だから、高層マンションか建てられるとなれば、地価は何倍にも跳ね上かった。

 

■6.4km沿線区間に1兆円巨大公共事業

 この再開発事業はざっと見積もって約5,000億、鉄道高架事業約2,000億、道路約3,000億だから、併せて事業規模約1兆円の巨大な公共事業がわずか6.4kmの区間で展開される、これか小田急高架事業の正身の姿だ。一般にダムや干拓等の公共事業は知られているが、こうした公共事業はあまり例かなく、この点か第一の特徴と言える。
 第二の特徴は、道路をベースにして鉄道をコントロールするという点。鉄道の立体交差化は1969年以前は鉄道高架事業と呼ばれていたが、同年に当時の建設省と運輸省の間で、いわゆる「建運協定」(都市における道路と鉄道の連続立体化に関する協定)というものか結ばれた.内容を簡単に言えば、鉄道の問題を含め都市の開発事業は今後建設省主導で行うということ。裏返せば、わが国はクルマ社会になったのであり、これからはクルマ社会を前提にした都市開発を行うという意思表示だ。つまり、鉄道よりも道路を政策上位に位置づけた。鉄道高架事業も道路特定財源を使い、その代わりに必ず道路を新設するということか一般化された。

 

■小田急の負担は7%で残りは道路特会

 だから、問題の小田急高架化事業費も計画時点では在来線部分は93%公費、具体的には52.5%が国の道路特定財源、残りは地方財政法に基づく地元の自治体負担となり、基本的には道路特定財源で賄う構図になっていた。一方、当の鉄道事業者である小田急の負担分はわすか7%しかない。しかも、この時期に高架や複々線化等の事業を行う場合には運賃値上げを認めるという「運賃に関する特別措置法」(1987年)がつくられており、小田急はこの法律を使ってすでに2回値上げをしていた。つまり、7%負担の内実は公金と乗客の運賃(値上げ分)で賄うという構図だった。
 複々線部分(線増部分)の方は、建運協定では鉄道事業者の負担となっているが、実際は鉄建公団が事業主体となり用地取得から工事費までを全て負担する。小田急は事業終了後に同公団からその鉄道施設を譲り受ける、ないしは借り受ける。しかも、譲り受ける場合は20年割賦でよいという。これには非常に重要な意味かある。つまり、1969年から87年頃までは土地の価格はうなぎ上りで、地価は最低でも10倍以上に上昇しているこの事業は計画段階からすでに15年も経ており、用地取得の90%、高架工手の約35%が終っている。だから多少の利息はつくが小田急は概ね20年前に買った価格の土地代を払えばよく、控えめに見ても時価の10分の1の値段で譲り受ければよいということだ。工事費も当時と現在を比べれば今の方か高いに決まっている。こうしたことは裁判をしなければ判らなかったことだ。

 ――判決では鉄道施設計画の地下式と高架式の比較設計について、著しい誤りかあったと指摘されましたが、具体的には。

 

シールド工法を無視・ズサンだったアセス

 斉藤弁護士 この事業計画の認定では、基砥再査において高架式と地下式の比較設計をしなければならなかった。しかし、国・事業者側は最初から一層4線(内側は急行用複線、外側は普通用複線)の高架式にするといういわば前提条件を設定し、その前提のもとに全ての調査、比較設計を行った。地下鉄工事は昔はオープンカット方式(開削法)だったか、1983年に都営・大江戸線の計画決定かシールド方式(密閉トンネル掘削)で認可されたことに象徴されるように、その頃からシールド工法か主流になり、都市域ではシールド地下方式というのが、すでに鉄道、工事専門家の常識になっていた。
 ところか、国かやった比較設計は一層4線の高架式と、同様に一層4線のオープンカットによる地下式の比較で、シールド式を比較設計の対象に加えなかった。考えるまでもないが、これだと地下式の方が用地費がかかり、高架の方か遥かに安くできるという結果になるが、シールド式による二層2線の地下あるいは同様の高架方式にするというのかすでに常識になっていた。こうした状況を背景に、1993年には細川政権下の五十嵐広三建設相が国(WebMaster注記;都の間違い)と我々が協議するよう指示を出した。
 その協議で国(WebMaster注記;都の間違い)は積算書を出してきた。我々はその積算の基礎数字、つまり全て東京都の言う通りの数字を使い地下式、高架式双方の積算を行い高架式か逢かに高いとの結果になった。そして住民側は、ほとんど用地買収の必要のない地下式二層2線とし、その上を緑のコリドー(回廊)にするという代替案を示したわけだ。
 我々はただやみ雲に全て反対していたわけではない。合理的な代替案もきちんと提示した。にも拘らす、国はそれを承知の上で全く反対の方法に固執し続けた。

 ――当初に東京都が実施した小田急高架事業に対する環境アセスメントもかなりズサンだったと聞いていますが。

 

■アワセメントの典型に東京都も手貸す

 斉藤弁護士 そもそもこの事業は、混雑緩和策の一環として、下北沢から成城学園の区間をどうするかという課題か出発点だった(もっとも、新宿から成城学園まで対策を講じないと通勤緩和和にはならないが)。東京都の環境アセスメント条例は高架の鉄道事業を対象にしている。前述のように、この事業は高架を前提に、一応下北沢から成城学園までの8.5kmを調査していた。ところが、下北沢まで全て高架式にすると、騒音の環境基準をクリアできない。下北沢部分か複々線にならなければ、いくらその手前を複々線にし てもそこか隘路になり混雑緩和にならない(現在の事業が完成しても電車本数は77本しか増えない)。全部開通させれば、1000本程度増加するが、そうなると環境影響の程度か極めて大きくなって、アセスをクリアできない。こうした事情もあってかわざわざ下北沢〜成城学園間のアセスをしたのに、小田急側は一転して下北沢を除き、それより西の区間を高架にすると言い出した。加えてこれもおかしな話だか、成城学園は東京の高級住宅街といわれていることもあって、小田急は自らの利益確保をにらんで、この区間だけは掘割にする考えを示してきた。つまり、こうしたズサンな開発計画であったために、環境アセスが細切れ的で歪んだ形になってしまい、本来の機能を果たせなくなった。
 さらにもうひとつ重要なのは、本来アセスは環境に影響を与える重要な因子について網羅して実施しなければならない。この事業は前述のように道路を沢山作るのだから、大気汚染は当然不可欠な調査項目なのに、−切環境アセスの対象にしなかった。「これは鉄道事業なのだから心配なのは騒音と振動でそれ以外はほとんどない」という理屈だった。つまり、事業者側はアセス実施において、非常に重要な予測項目を故意に落としたということだ。
 まとめると、判決でも指摘されているが、“アワセメント”と呼ばれるでたらめな環境アセスが堂々と行われたことになる。ちなみに、当時の環境影響評価審議会の会長は船後正道氏だったが、都のアセス条例は同氏か手がけたと言われ、その自ら作ったアセス条例に違反したアセスを、審議会会長自らがそれを容認した経緯がある。

都計の利便性より環境が上位・小泉構造改革にも連動

 ――ところで、原告側の主張をほぼ全面的に認めた東京地裁の判決が示す意味や意義については、どういう認識をされていますか。

 

公共事業を断罪、都市計画より環境が上位

 斎藤驍弁護士 この小田急高架事業は、複々線は鉄建公団という特殊法人、在来線は道路特定財源を使うという、これほど日本のこれまでの公共事業の特徴を具体的に表わしているものはない。公共事業という名を冠しているが、実態は鉄道事業者やデベロッパー、ゼネコン等の私益のために、1兆円もの公金か使われる。公共事業の問題点は様々指摘されているが、なによりも国民の税金を使う事業であるのに、その中身はわずかしか国民にプラスをもたらさない、あるいは国民に害悪さえもたらすという点か一番大きい。その典型が環境破壊を引き起こすダムや道路、鉄道事業と言える。そういう意味では、この小田急高架事業には、日本の従来型の公共事業のあらゆるカラクリや悪しきシステムか内包されているのではないか。
 だから、地裁判決の最大の意義は、公共事業の典型と言えるこの事業の認可が、工事進行中であるにも拘らず裁判所によって取り消されたということ。今までは小規模なもの、あるいはまだ工事か始まっていない事業ですら認可を取り消すという判決はなかった。吉野川可動堰など様々な公共事業か問題視されているが、それが単に環境破壊に繋がるだけではなく、そういう公共事業のカラクリそのものが極めて公共性に反する、国民の利益に反している――ということをこの判決は示している。
 二つ目の意義は、環境に配慮しない都市計画決定は重大な欠陥、逢法であり、故にこれからは環境に配慮しない都市計画決定はもう許されないことを示した点。判決は環境アセスの細かい点には言及していないが、「公害等調整委員会の調停か出されるほど現実に騒音の違法状態があるのだから、現状の騒音を改善する都市計画でなければおかしい」と指摘した。
 さらに、事業費の都合で環境か悪化する高架式も止むを得ないというならともかく、公正に比較すれば地下式の方か安いかも知れない。そうだとすれば環境に良い方を選ぶのは当り前である。そもそも、都の環境アセス条例は高架物をアセスの対象にしており(地下式は対象外)、都自ら高架の方か環境に悪影響が出ると自認していた。つまり、今回の判決は騒音への悪影響と、地下と高架式の比較設計という2つの事象を象徴的に取り上げ、「都市計画決定に際して利便性を環境の上位概念に置くのは全く間違っている」という判断を裁判所か明確に示したわけだ。公共事業の基礎調査は客観的、公平にやるべしとの指摘とともに、環境問題との絡みから都市計画が非常に重要な意味を持つことを示したといえよう。

 ――東京地裁判決が今後の公共事業のあり方にどのような影響を与えるとみていますか。

 

行政の政策判断是非に裁判所も積極関与

 斉藤弁護士 まず環境との整合性を持たない都市計画事業は許されなくなったということか一つと、現在の公共事業のカラクリを看破し警鐘を鳴らしたことか大きい。日本の公共事業ははじめに結論ありきで、それをもっともらしく説明できるような調査の上に立ち展開されてきた。それを可能にした要因のひとつは、公共事業の情報か官僚を中心とする一部のものに独占されてきたことによる。判決は情報公開について直接触れていないが、「公共事業に関わる情報公開は当り前」という裁判所の判断も含まれている。
 また、これまでの判決は、ある程度工事が進めば「違法だけど仕方かない」という「事情判決」か出る例か多く、たとえ認可段階でも認可そのものを取り消した例はなかった。これは従来から裁判所が、「公共事業は官僚の専門的・技術的裁量の範囲内の事柄であり、この判断を尊重する」という姿勢を採ってきたからだ。しかし、10月3日の東京地裁判決は、現在進行中の事業でも裁判所自身が敢えて認可を取り消し、かつ見直しを迫るという前例のないものになった。官僚に専門的・技術的裁量があることは今回の判決でも認めているが、それには「自ずから限度があり、今回の小田急のようなケースはそうした官僚の裁を遥かに逸脱している」ということを判決は示した。
 これまで裁判所は、行政の政策判断に対して「関与できず、すべきでない」という考え方が主流で、一旦認可された事業はたとえそれか相当な問題を抱えていても「違法である」という判断を示さなかった。だから、公共事業関連の訴訟で住民側か勝った例のほとんどか損害賠償請求であり、今回のような行政訴訟で住民側が全面勝訴を勝ち取った例はなかった。そうした意味では、今回の判決は「裁判所は政策判断に関与すべきであり、しなければならない」という意味も含んでおり、公共事業見直しを政治からだけではなく、裁判でも要求できるということを示しており、非常に画期的だと思う。

 ――国側は控訴しましたが、今後どう対応していくのですか。

 

■事業差止めや関係者の責任を追及

 斉藤弁護士 我々は今回の判決により、行政訴訟全体の流れが変わりつつあると見ている。こうした状況を背景に、今後は法廷内外の様々な行動で、高裁を説得していくということかひとつだ。それと、これまで国の控訴は全て官僚か仕切っていたため、政治的判断を迫られるということがなかったが、小泉首相は構造改革を断行すると言っているわけだから、政治的には政府に対して控訴の取り下げを訴えていく。
 また、第一審とはいえ、違法とされた事業の工事に今後も税金を投入するわけだから、事業費の差し止め訴訟も検討する。さらに意図的な調査、法廷での偽証、世論操作のための様々な文手作成など、小田急高架事業に関わった官僚の責任問題が生じる余地がある。判決は「この事業を遂行した官僚の責任が問われる可能性がないわけではないが、だからといって認可を取り消しても世の中に対してマイナスになることはない」と言っている。これは言い換えれば、「公共事業に関して今後は官僚の責任も問われる。だから間違った公共事業はたとえそれが途中であっても撤退した方がよい」ということを東京地裁判決が示唆したもの。そうした意味で、小泉首相か掲げる「構造改革」は裁判から始まったのだと、我々は位置づけている。
(了)


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