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「エコノミスト」誌 2007年1月23日号に掲載


小田急線高架化訴訟の教訓

この国には「美しい都市」をつくるシステムがない

福川 裕一 (ふくかわ ゆういち 千葉大学工学部デザイン工学科・建築系教授)


小田急線周辺住民が高架化に反対した訴訟は住民敗訴に終わった。
都市計画の観点から、その教訓を探る。


 東京都世田谷区の住宅地を貫く小田急線・喜多見〜梅ケ丘問の高架(成城学園駅付近は掘割式)に電車が走り始めてから2年になろうとする。柱を林立させ、低層住宅地を切り裂いて続く無粋なコンクリート構造物を、人々はどのように見ているのであろうか。これを美しいという人はまずいないであろう。大多数の人々は、目障りだが輸送力の増強や踏切解消のためのやむを得ない措置だ、と答えるに違いない。しかし、問題を解消しっつ、別の方法をとることが可能だとしたら、判断は全く変わったはずだ。

 小田急線高架化計画の決定は1964年。その後、東京都は93年に成城学園駅付近を掘割に変更した都市計画決定を行ったが、全体的な方針は変えなかった。しかし、行政側に美しく住みよい都市への想像力、そして意思と意欲さえあれば、既定の路線を転換し、ほかの方法を選択するチャンスはあった。


最高裁大法廷は
画期的判断を下したが


 2006年11月2日、その最後のチャンスが消えた。沿線住民らが国の事業認可取り消しを求めた行政訴訟で、最高裁第1小法廷が住民側の上告を棄却、12年に及んだ訴訟が幕を閉じたのである。訴訟に入る前から住民側は2線2層・地下式の代替案を提起していた。この方式をとれば、環境への悪影響を最小限に抑え、反対が少ないから工期を短くでき、総コストは高架式と変わらない。これに対し、行政は高架にこだわり続けた。ただし、単純に住民側敗訴で終わったのではない。訴訟は、その劇的ともいえる展開のなかで、新しい環境法の創造に向けて多くの手掛かりを生み出した。

 提訴は94年6月。同年5月に建設大臣が東京都に対し都市計画事業を認可したことを受けたものだ。実はこのとき、都と住民側は代替案をめぐる協議の最中であった。当時の五十嵐広三建設大臣が都に対し、住民側が掟起した地下式の代替案について相互に資料を出し合って協議するよう指示したのである。ところが、都はこの協議を打ち切り、事業認可の申請を強行したのであった。

 そして、01年10月3日の東京地裁(1審)で住民側が勝訴。ところが、その判決は03年12月18日の東京高裁(2審)で覆される。こうして舞台は最高裁へ移るが、ここでもサプライズが待ち構えていた。

 最高裁は04年6月の行政訴訟法改正を受けて、原告適格にかかわる部分を大法廷で審議することとした。そして05年12月7日、周辺住民の原告適格を否定した2審判決を変更し、都市計画法を環境法と位置づけ、環境影響の及ぶ範囲に原告適格を拡大する判断を下したのである。従来、こうした訴訟の原告は地権者に限られ、周辺住民の訴えは門前払いされてきたことを考えれば、まさに画期的判断であった。

 その余の申し立ては、第1小法廷に委ねられた。06年日月になされたのは、その判決である。法解釈を大転換した後だけに、実体判断についても新たな結果が期待された。ところが、その最終判断は2審判決を追認し、住民側の上告を棄却したのである。

 最高裁第1小法廷は、都市計画決定について、「行政庁の広い裁量に委ねられている」としたうえで、誤認により重要な事実の基礎を欠き、事実に対する評価が明らかに合理性を欠き、判断の過程で考慮すべき事項を考慮しなかった場合に限り、裁量権の逸脱または乱用として違法となる、との一般基準を示し、93年の都市計画決定を次のように判断した。

 @騒音に関して、都条例に基づく環境影響評価が適切に行われ、予測値はおおむね現況と同程度かこれを下回るなどの理由を挙げ、「鉄道騒音に対して十分な考慮を欠くものであったということもできない」。A地下案の検討について、93年当時は一部区間をシールド工法により施工することができず、「2線2層方式の地下式の事業費について検討しなかったことが不相当とは言えない」。B後に地下式へ方針転換した下北沢区間が地表式であることを前提に高架式が優れているとしたことについて、高架式とした理由はほかにもあり「上記の前提を基に高架式が優れていると判断したことのみをもって合理性を欠くものであるということはできない」。

 1審も同様の一般基準を示しており、証拠も変わらない。しかし、判断は正反対であった。たとえば騒音の測定点について、1審は(高架橋の高さに相当する)地上6・5bを超える地点が問題であって、93年の都市計画決定は考慮が十分でなく、「高架式には地下式であれば考慮の必要のないような環境への悪影響が予測されているのであって、この点における地下式の優位性は明らかであり、これと逆の結論を導くことは社会通念に照らしても誤りというはかなく」、著しい過誤があるという結論を導く。対して2審は「地上6・5bを超える高さにおける騒音を規制する基準は全く存在しなかったこと」などをもって「本件高架式の採用について、周辺地域の環境に与える影響の点で特段問題がないと判断したことも、著しい判断の過誤があったとまではいえず、裁量権の範囲を逸脱したものとも認められない」とする。最高裁もこの判断を踏襲している。この対比は、争点のほぼ全項目にわたって展開する。

 この落差は、ひとことで言えば、1審が法律の趣旨を尊重し、事実をよく見て判断しようとしたのに対し、2審と最高裁は、制度に定められた手順を形さえ踏めば判断の過誤も裁量権の逸脱もない、としたことに由来する。しかし、大法廷判決後に、このような形式判断がまかり通ってよいはずがない。なぜなら、原告適格の拡大は、必然的により本質的なレベルで公共事業決定の根拠を問うことになるからだ。残念なことだが、この間行政は「よらしむべし、知らしむべからず」に終始してきた。このような場合、1審の判断方法こそがあるべき姿である。


都市計画が優先すべきは
街の個性や居心地よさ


 鉄道高架化の問題は、騒音・振動といった直接的被害だけでなく、醜い構造物が、コミュニティーを分断し、住宅地の景観を決定的に破壊することにある。さらに、交差する道路の拡幅・新設や駅前再開発を促進し、周辺の市街地を大きく変貌させる第一歩となることにある。

 すでにそれは、多くの人々の反対を押し切って強行されようとしている下北沢駅周辺の整備・再開発で具体化されつつある。連続立体交差最後の工区となった下北沢駅周辺(代々木上原〜梅ケ丘問)は、前述したように2線2層・地下式へ変更された。03年1月に正式決定すると、都と区はただちに、鉄道を横切り商店街を貫通する最大幅26b道路と、線路跡を利用した駅前広場、接続道路の建設を日程に上らせた。

 実現すれば、劇場やライブハウスが集まり、独特の「シモキタ文化」を生み出してきた街は、大きな打撃を受ける。地元で強い反対運動が行われるとともに、東京中の都市計画の専門家が「街の個性や居心地よさを奪う都市計画は時代遅れ」だと、支援を繰り広げた。にもかかわらず、都と区は手続きを続行。06年10月の世田谷区都市計画審議会で、周辺の高層ビル化を誘導するこの地区計画が、騒然とした議場で強行可決された。

 背景にあるのは、道路拡幅による土地利用高度化を金科玉条とする都市計画思想である。連続立体交差への多額の公的資金投入を合理化しているのもこの思想だ。地下式は線路跡に広大なグリーンを期待できるが、この思想が改められない限り、高架式と同様、再開発の引き金となる。

 この悪循環を断つためにまず期待されるのが、自治体の都市計画システムにおいて、公共事業のもたらす効果や影響が総合的にかつ不断にチェックされることである。ところが、行政にシステムをそのように機能させる意欲は乏しく、逆に市民の願いとは反対の結果を生み出す装置となってきた。それは、一体の事業を細切れにして都市計画決定していく姿勢に端的に見てとれる。このように考えると、大法廷判決という成果の意味は極めて大きい。私たちは今後とも、その実質化へ向けて努力を続けるほかはない。

 小田急線の高架は、私たちの社会が鉄道輸送力の増強と環境保全の両立に失敗した「記念碑」である。高速道路に埋もれた日本橋と同様、20世紀都市計画の負の遺産として長く記憶にとどめられるであろう。


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