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「エコノミスト」2005年11月1日号誌掲載


インタビュー  斉藤  驍(弁護士・小田急訴訟弁護団長)

住民訴訟
住民に裁判所の門は開かれるか

 地域住民が原告となる行政訴訟でつねにネックになってきたのが、原告適格の問題だった。それが小田急訴訟で広げられる可能性が大きくなった。

 東京・世田谷区の小田急線高架化事業に反対する沿線住民が、国の都市計画事業認可取り消しを求めた行政訴訟で、原告適格の論点を審理している最高裁大法廷は10月26日に口頭弁論を開く。通常、最高裁が口頭弁論を開くことはあまりなく、それだけに原告適格について過去の判例よりも踏み込んだ判断がなされる可能性が高い。今回の最高裁判断は、小田急だけではなく、さまざまな住民運動に大きな影響を与えそうだ。小田急訴訟の原告住民側弁護団長、斉藤驍弁護士に聞いた。


口頭弁論を開く意味

―― 最高裁大法廷が口頭弁論を開くことに、どんな意味があるのですか。

■広い範囲で地域住民の原告適格が認められる可能性が高くなったということです。小田急訴訟の上告審は第一小法廷で審理されたのですが、そのなかで沿線住民に訴訟する資格があるかどうか、という原告適格の論点だけが、大法廷に送られました。  これまでの行政訴訟では、地権者であるなど、極めて限られた明文の法律上の利益をもっていなければ、訴訟する資格がないとして門前払いされるケースが多かった。ところが、原告適格を広く認める方向で行政事件訴訟法が改正され、今年4月から施行されました。今回の最高裁判断は、その最初の判例となるために、注目されているのです。


―― そもそも小田急訴訟とは。

■争点になっているのは、東京・世田谷区の小田急線成城学園―梅ヶ丘間6・4`を高架にして複々線化する事業なのですが、これは単なる鉄道事業ではありません。道路特定財源などを使い、線路を高架にして、それと交差する道路17本を拡幅、さらに8本の道路を新設するという大規模な公共事業(連続立体交差化事業)なのです。
 鉄道に2400億円、道路に3000億円以上、さらにそれに伴う再開発を加えれば、総事業規模は1兆円ともいわれてきました。まさに都市環境を一変させる事業であり、地域に与える影響は非常に大きい。にもかかわらず、沿線住民が国を相手に起こした都市計画事業認可の取り消し訴訟では、沿線住民の原告適格が認められていません。


住民側が地下方式を提案

―― 同訴訟では、高架か地下かが問題になりましたが。

今回の沿線住民による訴訟運動の特徴は、住民側が独自の代替案を提示して争ったことではないかと思います。69年に高架化事業の計画が明らかになってから、住民側は一貫して、小田急を地下化するように求めてきました。「高架の場合の事業費は1900億円、地下にすれば3600億円」と東京都は説明したのに対して、住民側は「2線2層のシールド方式なら用地買収の必要がなく、1900億円ですむ。地上の跡地利用を勘案すればさらに小さな事業費で可能」との試算を提出しました。しかし、こうした住民側の代替案について行政側が本気で検討した形跡はありません。


―― 東京地裁ではいったんは、住民勝訴の判決(2001年)が出されました。

■画期的な判決だったと思います。「騒音など住民の環境被害を考慮しなかった」「代替案を検討しなかった」という2つの点で、行政の判断過程に重大なミスがあったと、判決は認定したからです。しかし、原告適格については、結果的に踏み込んだ判断を避けていました。原告住民のうち、高架化に伴って必要となる側道の地権者にのみ、原告適格を認め、実質的に住民勝訴を導き出したのです。
 おそらく、99年に最高裁第一小法廷が出した環状6号線拡幅事業の認可等取り消し訴訟判決(いわゆる「平成11年判決」)に縛られざるを得なかったのでしょう。平成11年判決では、道路拡幅によって大きな被害を受ける沿線住民の原告適格がいっさい認められませんでした。この判決は、いくらかでも門を広げようとしてきた判例を逆流させるものでした。
 この流れで、小田急訴訟の2審東京高裁判決(03年)は、鉄道事業と側道とは別の事業である、として側道の地権者についても鉄道事業を争う原告適格を否定しました。門前払いも極まっています。


判例変更の可能性

―― 行政事件訴訟法の改正とは。

■行訴法の原告適格の規定は、第9条で「法律上の利益を有する者‥‥に限り、提起することができる」としていたのですが、この「法律上の利益」という文言が問題でした。「法律に書いてないから」との理由で地域住民の訴えが門前払いされるケースが多かったからです。それが04年の同法改正で、第9条に「法律上の利益の有無を判断するに当たつては、当該処分又は裁決の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく‥‥」という2項が付け加えられ、今年4月から施行されたのです。


―― 最高裁の判断の見通しは。

■論点を大法廷に回付するということは、判例変更など新しい判断が必要な場合に行われます。さらに、最高裁の審理は書面で行われるのが普通で、わざわざ口頭弁論を開くということは、新しい判断が示される可能性が高い、というのが一般的な受け取り方です。もし判例変更が行われるとすれば、変更される判例は、先の平成11年判決だと思われます。


「利益」と「公益」

―― 今後の最高裁の判断は、行政を相手にしたさまざまな住民訴訟にとって大きな意味をもつことになりそうです。

■2つの点で注目しています。
 まず、一つは裁判所が、原告適格について新たな判断を示すことで、どのような形で門を開けるか。その判断次第で、行政事件訴訟法の改正が生きるか死ぬかが決まり、裁判というルートを通じて、市民が本当に政治に参加できるかどうかの分かれ道となると考えています。
 そのうえで、原告適格という外堀が埋まれば、次の内堀は、行政事件訴訟の中身の転換です。裁判所は国民的立場から、行政を厳しく審査し、その誤りをただすするようにならなければなりません。裁判を起こすことができても、勝訴できなければ意味がないからです。


―― 小田急訴訟の住民が守ろうとしているのは、現在の法律のうえでは「私益」ですよね。

■これまでの行政法における考え方では、「公益」と「私益」を切り離していました。「私益」の侵害に対しては、特別な明文の定めがない限り、行政判断の是非を問うことはできないと考えられていました。そして、騒音、振動、日照といった環境被害は「私益」であり、「公益」ではないとする考え方が30年以上の長きにわたり支配してきたのです。
 しかし、環境に対する意識の高まりとともに、「私益」を無視した「公益」とは何なのか、「公益」と「私益」とはつながっているものではないのか、「私益」を基礎に「公益」は成り立っているのではないのか――という議論がわき起こってきています。実際すでに欧米の法学界では、「私益」ではあっても、環境被害の回復を求める訴訟や運動は個人的なものではない、という認識が定着してきています。「私益」である個人的な環境被害に立ち向かうことは、「公益」を守ることにつながる、と。それこそが民主主義の源泉です。
 その意味でも、我々は、口頭弁論と、そのあとで出される最高裁判断に大いに注目し、期待しているのです。

(聞き手=西 和久・毎日新聞編集局編集委員)


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