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「エコノミスト」誌 2004年9月21日号掲載

小田急訴訟

旧建設・運輸省の「協定」を国が破った

東京・小田急電鉄の高架化事業をめぐる住民訴訟は、現在最高裁で争われているが、これまでの審理のなかから、行政の御都合主義"が浮かび上がってきた。

斉藤 驍 (弁護士、小田急訴訟弁護団長)


問題の「建運協定」

旧建設省と旧運輸省との問で結ばれた協定を、国は守るべきか――という奇妙な論争が、最高裁で審議中の東京・小田急高架事業の認可取り消しを求めた住民訴訟の法廷で行われている。

「協定」とは、道路法等に基づく建設省と運輸省の「都市における道路と鉄道との連続立体交差化に関する協定」(1964年9月制定)。俗に「建運協定」と呼ばれるものである(現在、両省は国土交通省に統合されているため、協定は通達などと同様の扱いとなっている)。

住民訴訟は、国と東京都を相手取り、小田急の高架複々線化事業の事業認可取り消しを求めたもので、第1審で住民勝訴、控訴審では敗訴となり、現在最高裁で争われている。 その法廷で、なぜ建設省と運輸省の協定が問題になっているかについては説明が必要だ。そもそも小田急の高架複々線事業は、単なる鉄道事業ではない。正式には線増連続立体交差事業といい、鉄道と交差する道路をつくり(新設、拡幅)、都市再開発を目的としたものであることを、筆者は本誌で再三指摘してきた。

建設中の鉄道事業は、東京・世田谷区の梅ヶ丘駅付近から成城学園前駅付近に至る、わずか6・4キロにすぎない。その事業費は東京都のデータ(住民側の運動と訴訟の結果公表された)では、2400億円(用地費1450億円、工事費950億円)にとどまるが、道路事業、再開発事業を加算すると、総事業費はゆうに1兆円を超える。鉄道事業については、その事業費の93%(92年「建違協定」の改正により86%に縮減)が公費であり、公費の中心は道路特定財源から拠出されているのである。道路財源を使って、ついでに鉄道の建設や拡幅も行うプロジェクトと表現すれば言い過ぎだろうか。

その利権たるや莫大なものにのぼる。こうした、鉄道と道路の立体交差を口実″にした都市再開発は、バブルの時代には、東京を中心に全国の都市部で次々と計画され、実行された。関係者はこれを「連続立体交差都市再開発」と呼んでいた。現在でも、全国62カ所で施工されている。この巨大な再開発は、やり方を間違えると、沿線住民に騒音、日照、景観等で大きな被害を生じさせるばかりでなく、大気汚染、ヒートアイランド現象等の道路再開発公害を引き起こし、都市環境を一気に破壊することになりかねない。


協定に違反した計画

そして、こうした鉄道と道路の立体交差事業の実務的ベースとなったのが「建運協定」だった。運用に当たっては、協定に基づいて、連立事業調査要綱が定められている。調査要綱では、基礎調査のやり方、高架・地下代替案の比較(環境、事業費等がその基準)、概略設計、アセスメント等が定められ、これらの検証を経たうえで、都市計画案(鉄道、道路、再開発)が作成される。都市計画案に基づいて、国の事業採択がなされ、都市計画決定までの説明会や環境アセスメント等、一連の手続きに、先述の補助金が国から投入される。したがって、「建運協定」にょって定められた調査要綱は、事業において決定的な役割を担っている。

鉄道を高架にするか地下にするかを比較した場合、環境のレベルでは地下のほうがはるかに優れていることは多言を要しない。問題は建設費だと一般には思われていた。小田急の高架複々線化事業では、これを十分承知していた国や重点都は、第一に調査要綱で不可欠の環境の観点を、比較基準から外し、第二に事業費の比較をごまかし、あたかも地下は高架の2倍近い費用がかかるかのような評価を作り出して、公式・非公式の場でこのことを強調してきた。高架は地下より安くて早くできる、と。

しかし、これは事実に反することが、住民側の指摘で明らかになった。地下の場合の事業費は、住民側の試算によると、地下2線2層シールド方式ならば、用地買収がほとんど要らなくなり、事業費は高架の約2分の1でできるのである。当然、住民の協力も得やすいから、工期も短くて済む。

2001年10月、東京地裁(藤山雅行裁判長)は、こうした点を中心に、「建運協定」や調査要綱に違反するとして、同事業の都市計画事業認可を取り消す判決を下した(国側は控訴)。


内規なら守らなくていい?

そこで、控訴審以降、「建運協定」は守られるべきか、法的拘束力をもつかどうかが争われることになったのである。国側は、「建運協定」は省庁の「内規」であるから「法」ではなく、これに違反しても何の違法もないと主張してきた。自分たちの作った「内規」であるから、自分たちはこれに従う義務はないというのである。しかし、自分たちが定め、約30年以上もこれに従って行政を行ってきたにもかかわらず、自分たちの都合が悪くなれば、従わなくともよいという態度は、それ自体が職権の濫用といわなければならない。

にもかかわらず、03年12月東京高裁(矢崎秀一裁判長) での控訴審判決は、国側の主張を全面的に認め、住民側が逆転敗訴となった(住民側は最高裁に上告)。

しかし、この論争には、まもなく終止符が打たれようとしている。というのも、今年4月に、省庁の「内規」は法としての効力をもつ、との最高裁判例が出たからである。さらに、我が国行政法を代表する法律家の一人である園部逸夫元最高裁判事が、「建遅協定」こそ裁判所が判定すべき「法」であることを明確に指摘する意見書を最高裁に提出(今年8月)。これに、我が国の代表的行政法学者が続いている。


完成できるのか

もう1点、控訴審で問題になったのが、工事の施工期間である。第1審は、いつ始まるか、いつ終わるか分からないような都市計画の事業認可は許されないとした。この事業はもともと94年6月3日から00年3月末までという期限を付して認可された。この始期の時点において、用地買収は70%前後でしかなかった。そのうえに沿線住民の反対があるのだから、00年3月末までという期限が守られるはずがなく、期限の延長がなされて、05年3月末までということになった。都合が悪ければ延期すればよいという発想そのものが誤りであり、第1審はこれを問題にしたのである。

これに対し国側は、今度の期限までには完成するので施工期間は合理的であると弁解していた。控訴審は、この国側の主張を認めたばかりか、側道(高架鉄道の環境空間)の地権者は高架鉄道の認可を争えないという、とんでもない結論を導いた。

この原告適格の問題については、裁判所の門をできるだけ開くようにしてきた判例の流れに明らかに逆行するものであり、今年6月衆参全会一致で成立した改正行政事件訴訟法により、地権者でなくても、騒音等の被害を受けるおそれのある者にも原告適格の範囲が広げられた(同法第9条の2等)。もはや、現状では法律上認められないものとなっている。

では、国側の主張するとおり、2度目の期限である来年3月までに本当に完成させることができるのか。現実には、側道の用地買収が進んでおらず、完成は無理だということが明白になっている。かといって、2度目の期限延長の認可をすることは、醜態であり、できない。延長は無理であり無駄でもある。側道の地権者が買収に応じない限り側道はできないし、最高裁で逆転すれば、この事業を根本から見直さなければならないからである。


側道なしで強行

問題なのは、国、都、小田急電鉄が「複々線化の完成」と称し、側道をほとんどつくらないままに、高架工事たけを完成させ、4本の複々線の走行を今年末に強行しようとしていることである。側道のない複々線の走行は、高架のすぐ傍らの住民の生活と健康に重大な被害を生じさせることはいうまでもない。

本来、側道もまた、「建運協定」等により、設置することが求められており、93年に、連続立体交差の一部として10本の側道が都市計画決定されている。そのうち、4本を削除し、残りの6本も距離や面積を大幅に削減したのである。このようなことは法律上許されることではない。

遠くない時期に出される最高裁の判断では、住民側が再逆転で勝利する可能性が見えてきた。小田急高架事業は、まさに崩壊しつつある。




<写真略(小田急線の航空写真);キャプション:高架部分だけは工事が着々と進んでいる(東京・世田谷区)>


小田急複々線化問題年表

1964年12月 都市計画高速鉄道9号線都市計画決定。代々木八幡・喜多見間の小田急線に貼り付ける形の地下鉄ルートが設定される。高架式とは特定されず
1969年 9月 建設省と運輸省が「建運協定」締結
1975年 4月 住民と東京都との交渉始まる
1990年 8月 第3セクター・東京鉄道立体整備梶A設立総会
1990年12月 都を被告に東京鉄道立体整備鰍ノ対する公金差し止め、および鈴木都知事を被告に同第3セクターに違法支出された公金の賠償を求める住民訴訟提起
1991年 8月 都、高架複々線を前提に喜多見〜梅ヶ丘間の都市計画の都市計画素案説明会
1992年 8月 世田谷区に対する連続立体交差事業調査報告書の情報公開訴訟を提訴
1993年10月 都を被告に同調査報告書の公開を求める情報公開訴訟を提訴
1994年 3月 都と情報公開訴訟で和解、基礎情報基本部分が公開される
1994年 6月 建設大臣を被告に連続立体交差事業認可取消訴訟提訴
1995年 2月 小田急電鉄と大成建設ほか4社を被告に工事差し止め訴訟提訴
1997年 2月 第3セクター訴訟判決、原告の訴えは退けられたが、地下化優位が認定される。原告控訴
1998年 8月 第1次騒音訴訟を提訴
1999年10月 東京地裁、工事差し止め訴訟1審判決。原告は控訴
1999年10月 東京都、第3セクター・東京鉄道立体整備鰍フ解散方針を公表
2000年 3月 石原都知事、都議会で小田急線は地下方式のほうが費用が安く、工期も早いと答弁
2000年10月 東京地裁、国と住民に対し、和解勧告。国は和解勧告を拒絶(11月)
2001年10月 小田急線連続立体交差事業認可取消し訴訟で、東京地裁判決。原告全面勝利。国は控訴
2002年11月 小田急線の夜間・休日工事の中止を求める仮処分を東京地裁に申請
2003年 7月 夜問・休日工事の原則差し止めで和解
2003年12月 事業認可取消訴訟、東京高裁で逆転判決。原告は上告



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