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週刊「エコノミスト」2002年2月5日号掲載



■都市の生態回廊

小田急線高架事業に見る
「悪しき公共事業」を見直す方法

反対を押し切って進められていた公共事業に対して、住民たちは裁判を起こし、そ して勝利を勝ち取った。そこに至るまでには、一体何があったのか。

須田 大春(すだひろはる 法政大学講師)



事情判決ではない


 2001年10月3日、東京地裁は、小田急線高架工事裁判について旧建設省の工事認可を取り消す判決を下した。勝率5%といわれる行政訴訟で、しかもすでに工事半ばの公共事業について、「中止しても公共の著しい不利益にはならない」という判決が出たことは、一般には驚きをもって迎えられた。しかし判決の約1年前から公判を傍聴してきた筆者には「出るべくして出た」判決という印象だ。
 判決前に発売された「サンデー毎日」の記事も、判決直前の住民集会を紹介して「会場には、原告住民や支援者らの「勝訴」に向けた静かな自信があふれていた」と書き出している。判決後のマスコミの対応にはいくつかの事実誤認はあったものの、おおむね住民に好意的であり、主要紙の論説は「公共事業見直しのきっかけ」と筆をそろえた。
 にもかかわらず、国土交通省や東京都は、今回の判決を「考えられない判決」として控訴に踏み切ってしまった。高裁で控訴審が始まる前に、筆者が「なぜ驚かなかったのか」を事実の経過の中で説明するとともに、「公共事業の見直し」のあるべき姿を検討したい。
 小田急広報は「工事の進行度合いは70%」と発表した。この数字を見ると、「こんなに工事が進んでいるのに、なぜ今になって工事認可を取り消すのか」という疑問と驚きがわき上がってくる。そして、役所側からすれば、今回の判決を下した裁判官について「非常識な裁判官もいるものだ」と批判したくなる。また筆者が考える「マスコミの事実誤認」 も、この点にある。小田急が発表した数字をマスコミ各社は鵜呑みにした。
 しかし、「70%」という数字にはウラがある」
 また判決は「認可を取り消す」と明言、さらにいわゆる「事情判決」をとっていない(事情判決とは、法的には問題があるが「元に戻すのは公共の著しい不利益になる」という現状是認の判断であり、国政選挙の定数裁判でお馴染みだろう)。裁判長は、事情判決をとらない理由として「原状回復を求めるものではない」と言及しており、これがマスコミ各社の「違法だが工事は続行」となってしまい、事情判決とどこがちがうのかわからなくなった。「裁判長が一体何を考えているのかわからない」というのは、ここからきている。
 この謎を解く鍵が、本誌で一昨年11月に紹介した「小田急市民専門家会議(座長=カ石定一法政大学名誉教授)」の「小田急を全線地下化し、跡地を2層の生態回廊(コロジカルコリドー)に」というプランである。筆者は、一昨年から「専門家会議」に加わり、コリドープランの原案を作成した。「我田引水」を承知で、謎解きを試みたい。
 今回の高架複々線化事業は、道路法などに基づく建設省と運輸省の権限を建設省主導で調整するための「建運協定」に規定された「線増立体化事業」として建設大臣によって認可されたものだ。これによって、「私」鉄の高架事業が「公」共事業になった。
 しかし、電車を運行しながら立体化の工事をするのは難しい。そこで、仮線を作ってから在来線を撤去し、高架にし、架線を撤去するという4段階の手脱が必要となる。
 ところが、立体化を複々線化と同時にやれば、仮線がいらなくなる。これが「線増立体化」であり、立体化は「公」、線増は「私」と簡単には分けられない。
 このとき、東京都は線増部分(私)の認可は不要として立体化(公)だけの認可にしぽった。本来一体不可分の線増と立体化を分割し、仮線がすでにできており、立体化がすぐに工事開始できるかのように取り繕ったのが敗訴の直接の原因となった。判決は認可を取り消す理由として、最初に「認可そのものの違法」を論じているが工事期間・工事範囲などがいわば「疑問だらけ」なのである。
 筆者が判決後に会った小田急の技術者も「線増と立体化を分けて考えることなどできるわけがない」といっていた。この技術者と会ったのは、住民組織の代表とともに小田急本社を訪れ、「70%」の根拠を開いたときだ。「70%」は9月末の柱の基数 比に過ぎないことが明らかになった。
 そして今年3月末には線増部の下り線の高架が完成し、「開かずの踏み切りが解消する」と聞かされた。線増部上り線は地上に残るが、「片側だけなら開く時間がはるかに増える」という意味である。複々線のうちの1線だけである。工事完成度合いをいうなら3月末で25%という見方もなりたつ。
 

三方一両損


 ところで、一昨年の11月、コリドーブラシを書いたときすでに裁判は5年を超えており、ということは工事も5年を超えたということで、私は「複々線になるのはまだ先だが、まもなく上下とも高架になる」と思つていた。つまり「50%」である。それを前提にコリドーを提案した。
 梅ヶ丘−成城学園前間の高架は複々線までできたところで小田急の輸送力増強には決定的でない。新宿から梅ヶ丘を地上複線のままにしたのでは混雑はなくならない。現に最も込んでいるのは東北沢−下北沢間であり下北沢−新宿間にはもっと大きな需要があるが顕在化されないだけの話である。
 そこで、違法な高架工事は複線まで(50%)で中止し、公的資金で新宿からの地下複々線に転換し、跡地は地表と高架の2層の「エコロジカル・コリドー」にせよという提案である。
 もともと現在工事中なのは線増部分である。線増部分というのは在来線の高架工事から見れば仮線であるが、ここで工事を中止し、地上を撤去すれば高架化は完成し、踏み切りなしで地下鉄完成までしのげる。この間の騒音については我慢しよう。というのが提案した「三方一両損」のコリドープランである。
 この提案は、都知事・建設省・運輪省に送るとともに、記者会見して公表し、さらに公判に証拠として提出した。この提出を受けて裁判長は建設省に「和解」を打診したのである。この判断が、「原状回復は求めない」の背景にあることは間違いない。工事続行を意味するとしてもとりあえず50%までであり、そのあとは地下にしてやりなおしという考えである。「原状回復」したところで騒音の違法状態が解消するわけではないのだ。
 このときから、筆者の裁判傍聴が始まった。素人目ながら訴訟を見る限り、敗訴はまったく考えられなかつた。
 役所側は、認可手続きの違法性・都市計画の違法性ともにまともに回答せず、もっぱら地権者の切り崩しに狂奔し、公判のたびに原告の土地の登記簿を証拠申請した。しかし原告は一人でも残れば裁判は続くのである。原告側はもともと環境のために訴えたものが多数で、地権者はわずかであったが、それでも9名が残つて勝訴した。本来、地権者がゼロでも違法なものは違法であり、玄関払いに頼る戦術は自滅した。

実現可能な目標


 原告側の主張が通って地下鉄ができたとき、地上部をどう利用すべきかについては、原告側にも、支援する専門家グループにもさまざまな意見があった。造ったばかりの高架橋を取り壊すとしたらどんな工法が考えられるのか。その中で出てきたのが、都会に孤立する緑地を線で結ぶコリドーブラシである。
 しかし途中には環状7号線、環状8号線をはじめとする多くの道路がある。これらの道路をクロスする手段として「高架建造物」を利用するアイデアである。違法に工事され役に立たなくなったものを「愚行のモニュメント」として残すとともに、ヒト以外の生物に利用させることによって、ヒトの存続に間接的に役に立てるのである。
 エコロジーの考え方では、大都会でもヒトはヒトだけでは生きていけない。たとえ、小田急問題がなかったとしても、ヒトの住む東京の維持・回復には緑地面積の拡大とそれを結ぶ生態回廊が急務である。私たち「エコロジカル・ニューディール」を主張するものは、「都市の生態回廊」を近年中に緊急課題として浮上させるつもりでいる。
 しかし、地図に線を引いて、ここは「ヒト以外の生物に明け渡すことになりました」といって立ち退きを要求しても、はじめは実現が難しい。公共の資金で地下鉄を造れば、空いた地上部は公共のために使える。これは、建運協定にも明記されている。環7・環8 をクロスすを高架橋は、日本中の高速道路に設けられる「生態高架橋」の先駆けになるわけだ。
 「公共工事の見直し」に際して、お金を使わなければいいという視点は誤りである。マルクスも捨て、ケインズも捨てて「市場原理」だけにゆだねればいいわけがない。
 日本経済の現状を打開するキーワードの一つが「エコロジー」である。「エコロジカル・ニキーディール」の諸施策の一つとして「小田急の地下化と地上部のコリドー」を実現することは、長野や徳島の「緑のダム政策」とならんで、実現可能な目標である。

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