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特集 犯罪なき公共事業にするには

東京都・小田急高架事業の不可解

公共事業見直しのリ−ディンクケースとして

「エコノミスト」誌 1993年11月2日号掲載

                           斎藤 驍  

一九八〇年代の“民活”ばやりのなかで、第三セクター方式で計画された東京・世田谷区の小田急高架事業。その過程で東京都、小用急、そしてゼネコンが何をしたか。これこそ公共事業抜本見直しの典型的ケースではないか。

   “典型的”公共事業

 ゼネコンのトップが次々と逮捕され、マスコミは連日これを追い、公共事業の問題は汚職一色に塗り潰された感がある。
 はたしてこれでよいのだろうか。もとより、汚職がはぴこっていいはずがない。だが、公共事業の裾野は広い。事業展開の過程から結果に至るまで、総合的にみないと、問題の本質はわからない。
 政財官癒着の構造が諸悪の根源であるとはよくいわれるし、この限りで全く正しい。
 癒着は、審議会の委員等になる学者・専門家にも及んでいるが、この点はさておき、前述の指摘は、この溝造を生み出す原因はどこにあり、これをどのようにして打破するのかという議論にまで及ばないと、現象の説明にしかならなくなる。
 国民の知ることのできないところで計画が進められるという公共事業の不透明性が、原因のひとつであることは広く知られてきており、情報公開制度の確立、環境アセスメント(とりわけ、いわゆる計画アセス)の導入等、これに対する対策について一般的に論じられている。
 しかし、過程については、このように論じられているが、一番重要な公共事業の結果については、あまり論じられているとはいえない。
 過程が不透明であり、それがひとつの原因となって不正を生んでいる今の公共事業は、結果すなわち事業そのものを公共性とは縁もゆかりもないものにゆがめてしまう。
 長良川河口堰のような自然破壊型、環境コストの両面からみて不合理と言わざるを得ないウォーターフロント・東京湾横断道路等、例をあげればきりがない。
 大きな公共事業は、一度完成すれば、修復することはまず不可能に近く、失敗すれば百年の悔いを残すことになる。だからこそ、環境など将来を見通した観点からみて、結果が妥当なものであるのかどうか、厳密に検討する必要がある。
 公共事業の抜本的見直しということが世論の大勢となり、細川内閣の基本公約となっているが、見直しは、経過と結果について今述べているような角度からなされるべきである。  そのためには、典型的な事業に即して具体的に問題を解明することである。
 そのひとつの典型として、現在進行中の東京・世田谷区の小田急線高架事業がある。

  高架事業とその調査

 小田急線は、新宿から箱根湯本等を結ぶ小田急電鉄株式会社(以下、小田急)が経営する鉄道で、下北沢、経堂、成城学園(いずれも世田谷区)等、東京都内有数の住宅・商業地域を経由する。
 小田急の高架事業というのは、高架方式で鉄道と道路を連続して立体交差化することをいい、法律上は高架式連続立体交差事業という。連続立体交差事業(以下、連立事業)には、もちろん地下方式も含まれる。
連立事業は、鉄道の輸送システムの変化、道路の新設、拡幅、駅周辺の再”開発等、都市の様相に大きな影響を与える公共性の極めて高い、国の重大な利害にかかわる事業とされ、事業主体は都道府県、政令指定都市でなければならないと定められている(連立事業に関する建設省と運梅省の協定、いわゆる建運協定第二条六号、一九六九年成立、九二年三月一部改訂)。
 その当否は別として、このことから事業費の負担は、公費が九三%を占め(そのうち国五二・五%、その余が事業主体である都道府県等および地方自治体)、鉄道事業者の負担はわずか七%にすぎなかった(建運協定第七条一項、同細目協定第七条、ただし前記改訂により、鉄道事業者の負担割合は一四%になった。その余の公費の負担割合は変わらない)。
 当然のことであるが、この事業を実施しようとする都道府県等は、あらかじめ連立事業調査(以下、調査)をし、その報告書を作成しなければならないこととされており、調査費の三分の一は国が負担している。
 この調査で、地下・高架の構造の形式を環境やコスト等の角度から比較検討し、費用を積算したうえ事業計画の方向を定め、その当否について国や地元自治体およぴ住民の判断を求めることになる。
 調査報告書が公表されなければならないことはいうまでもあるまい。

  高架がもたらすもの

 東京の一極集中に加えて、新宿への都庁舎移転が問題となるころ(一九八〇年代前半)から、小田急線の混雑はひどい状態となり、開かずの路切は著増した。
 複線を複々線化し、さらにこれを、踏切の多い都市部において連続立体交差化することは緊要の課題であるようにみえたし、一局集中の是正という観点を抜きにすれば、それはその通りであった。
 問題は、新宿から多摩川に至る都市部を、どのような構造形式で連立事業を行うかということであった。
 この地域の沿線住民の圧倒的多数は、その前から地下方式を希望しており、地元の中心である世田谷区では、区議会が二回にわたり、全会派一致で地下方式を要求する決議を採択している。
 新宿から下北沢、成城を経て多摩川に至るまで十数キロ、民家でいえば四階建ての高さに幅二〇b以上の、新幹線をはるかにしのぐ高架構造物を築くことは、地域を分断し、騒音、振動等多くの公害を生み出す。それだけでなく、バランスのとれた都市環境を破壊することは見やすい道理であり、住民が地下方式を求めるのは当然のことである。
 環境という観点からいえば、地下と高架は比較にならないことは東京都自身認めており、東京都のアセスメント条例では、高架は対象としているが、地下は対象にすらしていない。

  都・小田急が何をしたか

コマギレ
 にもかかわらず東京都は、なぜか高架に固執し、まず新宿から多摩川に至る本来の事業区間を、ことさら線分にコマギレにすることに(この誤りはアセスメントの項で詳述する)によって、住民の運動を分断し、事業の本質をゴマかすという小細工に出た。

調査ををかくす
 東京都都は、一九八七、八八年の二年にわたり、同事業の中枢区間である東北沢から成城に至る区間について調査を行った。
 地下、高架の比較検討が、その核心であったことはいうまでもない。
 調査を実施するには、地元自治体である世田谷区の協力を得ることは当然であったが、問題は小田急との関係であった。小田急は当時、高架方式を推進することを公言しており、その背後には、高架を機会に「都市再開発」を一気に進めようとしていたゼネコンがいた。小田急の関与により、調査が恣意的なものになるおそれは大きかった。
 このため、住民は、この調査に注目し、その過程において公表を要求した。
 東京都は、調査の性格からいっても、先例(一九八一年に行われたその前の調査が公表されているばかりでなく、この調査のときから、鉄道計画など根幹部分を小田急が担当していたことが最近の法廷で明らかになった)からしても、これを拒むことができず、公表を約束したが、調査が終了するや、言をひるがえして公表を拒んだ。
 その後、裁判所の要請や国会での追及があったが、この姿勢は今も変わらない。
 この調査については報告書を作成しなければならないことは先述したが、都市計画法のシステムや調査費用の三分の一を国が負担するのだから、その報告書を国に提出しなければならないことは明白である。
 ところが、東京都は国会で追及されたとき、これを国に提出していないといい、主務官庁である建設省も口裏をあわせて、もらっていないといっている。
 これほどおかしなことはないのではないか。
 結局、三年以上、住民は蚊帳の外におかれたままであった。

第三セクター設立
 一九九〇年八月、突然、東京鉄道立体整備株式会社が設立された。東京都が世田谷区等地元自治体、小田急等の鉄道事業者等を株主とするいわゆる第三セクターである。
 議会に対してすら明確な説明のないままに設立された会社であるが、それでも、当時、議会筋に流された情報では、株主は鉄道事業者のほかに日本興行銀行、富士銀行の二行に限られるはずであったのだが、設立と同時に、株主は三菱銀行、住友銀行、第一勘業銀行に広がったばかりではなく、東京海上火災、安田火災海上等、損保会社もそろい踏みする ありきまで、後述する住民監査請求がされなければ、株主がデベロッパーからゼネコンにまで及んだことは、これから紹介するこの会社の定款からも明らかである。
 定款の事業目的には、小田急に限らず、都内すべての鉄道の連立事業の事業主体となることが明記された後、不動産業、土建業、小売業、広告業等々があげられ、不動産、土建中心の営利事業ならなんでもやれるようになっているのである。
 当初の事業計画書によれば、小田急(東北沢から成城)の高架事業費一〇ニ五億円、他の高架事業費四三〇億円と、高架事業だけで一四五五億円となり、超高層駅ビル、駅前再開発等の事業費を想定すると、その規模は大変なものとなる。
 しかし、ここで一番大切なことは、小田急に限らず、全部の鉄道の連立事業を、しかも高架方式でやるということである。
 連立事業は、前述した通り費用の九三%を公費でまかなう等、極めて公共性の高い事業であるから、当然のことながら、事業主体は都道府県、政令指定都市に限定きれている。  従って、第三セクターでできるはずがない。
 これを、東京都は十分承知していたことが、後述の住民訴訟で、最近判明した。
 できないことをどうしてやったのか。
 東京都の建設局の当時の担当課長は、次の通り証言した。
「できないことは承知していたが、建設省から、近いうちに建定協定が改正され、第三セクターでもできるようになると聞かされていた」
 いうまでもなく第三セクターには、地方自治法の住民監査は及ばず、株主は有力企業に限定ざれているので、株主代表訴訟等、商法上のチェックもできず、役員等が「賄路」を受け取っても罪に問われることはない。
 第三セクターは、一種の無責任体制であり、多大の問題があることは、今や常識であるといってよい。
 第三セクターに連立事業の事業主体になることを認めるなどというのは、とんでもないことであり、いったい誰がこの方向に動いていたのか定かではないが、現にこれを定款に明記した第三セクターができているのであるから、そのような動きがあったことは間違いない。
 全都の鉄道を複々線高架にするということは、新幹線をはるかにしのぐ高架構造物で東京をばらばらに分断することで、環境と人間の生活に多少の配慮があれば考えられない。 しかし、この非常識は第三セクター設立のそれと軌を一にしている。

住民監査請求
 沿線住民は、この第三セクターの事業計画を知って初めて、世田谷を高架複々線が縦断する計画であることを知った。調査も公表せず、都市計画の手続きも踏んでいないのに、第三セクターで抜き打ちに事業を強行しようとする東京都・小田急のやり方に住民は反発し、一九九〇年九月、東京都等に対し、第三セクター設立の違法性と、これに対する公金 の支出の差し止めを求めて地方自治法に基づく住民監査請求を行った。
請求人は、沿線住民を中心に四〇〇人を超え、異例のの規模に発展した。
 驚いた東京都は、事業費を一一〇五億円減額し、著しく下方修正したが、住民は納得せず、同年一二月住民訴訟となり、東京地方裁判所で審理が進められ、先述した通り、この第三セクターの違法性はますます明らかになっている。

ゼネコンの大量動員
 一九九一年八月、東京都は、下北沢から成城まで調査をしているにもかかわらず、事業区間をさらに、住民の地下化要求の強い下北沢周辺と、その西にあたる経堂、成城学園とに分割し、後者について「都市計画素案」ができたとして、この区間の沿線住民に「説明会」を行った。
 そもそも「素案」なるものは都市計画法になく、これと都市計画案といかなる関係になるのか、住民参加の手続きはどのようにして保証されるのか等、重要な問題点があったが、説明会の前にも後にも、説明らしいものは何もなかった。
 この「素案」は、梅ヶ丘から成城に至るまで六・四`の間、成城だけを掘割とし、残りを全部高架にするばかりでなく、既存の道路を拡幅したうえ、一六bほどの広い道路を五本も新設するというもので、説明会を開けば厳しい批判にさらされるのは目に見えていた。  そこで東京都は、住民の声を封殺るために、小田急のみならず、受注予定業者である大成建設、ハザマ等の職員を延べ約二〇〇〇人動員した。動員された者は、定刻(午後七時)の三〇分前に集合し、会場の前列から中央、さらに後部まで占拠する一方、男が大勢「会場警備」という腕章をつけて周囲を巡回するという異様なありさまに、当初、住民は 息をのんで沈黙していた。
 空々しい一方約な説明が進められていくうちに、住民の沈黙は激しい怒りに変わりはじめた。
 会場の隅々から、厳しい批判の声が上がり、「素案」を支持する者は、はとんどいなかった。
 この説明会を契機に、沿線住民を中心に「小田急線の地下化を進める会」(神島二郎会長〕が結成され、地下化を要求する運動は質、量ともに一気に強化されることになった。

アセスの破綻
 しかし、東京都と小田急は反省せず、一九九二九年一月都市計画案(素案と同じもの)アセスメント案の説明会、同年八月アセスメントの見解書の説明会と、一方的に手順を運んでいった。
 高架方式を採用しようとする場合、大切なのは環境アセスメントであるが、東京都・小田急のこのようなやり方では、まともなアセスメントができるはずがない。
 実際、東京都・小田急のアセスメントは、細かい点は別として、第一に代替案である地下方式について、調査でも比較検討しているのに、この経過が記載されていない。従って、なぜ高架方式にしたのかわからない。
 第二に、騒音、振動等の影響について、連立事業の全体から梅ケ丘−成城という区間だけを抜き出すコマギレ評価をして、影響の程度を作為的に著しく小さくしている。
 この手法をとると、高架になるとかえって環境がよくなるという、事実に全く反するブラックユーモアとなる。
 第三に、道路が拡幅され、五本も広い道路が新設されるのだから、窒素酸化物等の大気汚染の影響を予測しなければならないのに、わざわざ大気汚染を予測項目からはずしている。これでは、アセスメントとは名ばかりで、専門家からその不備を指摘されている東京都のアセスメント条例にさえも背反する。
 このひどさに、交通公害のわが国の第一人者といわれる長田泰公氏(中央公害対策審議会委員、元国立公衆衛生院院長)をはじめとして、各界の識者からアセスメントのやり直しを求める厳しい意見書が相次いで都知事、建設大臣等関係者に提出された。住民の批判もとりわけ強く、東京都のアセスメント審議会の委員のなかにすら、批判的空気が生まれ た。

   地下のほうが安い

 一方、この問、住民と専門家による地下方式と高架方式のコストの比較検討が進み、地下方式(二段二層式)の方が、用地取得が必要な高架方式より安い(地下一九五〇億円、高架三四〇〇億円)という結果になり、高架方式が安いとする東京都・小田急の主張(高架約九〇〇億円、地下約三〇〇〇億〜三六〇〇億円)は、これが高架にするための彼らの唯一といっていい論拠なのであるが、事実に反することが明らかになった。
 この研究を主宰した法政大学教授の力石定一氏は一九九二年一〇月、東京地方裁判所にこの旨意見書を提出し、住民はもとより多くの識者の反響を呼んだ。この意見書は、新たな資料を補充して論文にまとめられ、『経斉評論』四月号に掲載きれている。住民運動の特徴についても論じられているので、詳しくはこれを参照されたい。
 一言だけ繰り返しておくが、小田急線の住民運動の特徴は、単に高架事業の無法性を暴くばかりではなく、遠方から通勤する人の利益にも十分配慮し、地下方式による連立事業という対案を、専門家と協力しながら具体的に比較したうえ提起していることである。
 さらに、地下化が実現した場合、その地表をどうするのかという問題も、先の力石論文にその輪郭が示されているが、防災、緑の保存、商業性という総合的観点から具体的に検討していることである。
 一言でいえば、住民と、鉄道事業者等の企業とのコンセンサスが成立する、真のアメニティー空間を創出し、人間的な都市を再生しようということである。

   新政権の試金石に

 残念なことに都知事は、このような運動の趣旨を理解せず、今年二月一日、前記の区間について、高架方式を基本とする都市計画決定をした。
 しかし、この事業は、先述した通り国の重大な利害に関係する事業なので、国(建設大臣)の認可がおりないと執行できない。
 したがって、この事業は政治的にはもちろん、法律的にも、政府の裁量で十分見直しができるのである。
 そして、これまで具体的に述べただけでもわかる通り、贈収賄こそ顕現していないものの(その疑惑はあるし、公共事業の犯罪はこれに限らない)、小田高架事業はその過程と結果において、現在の公共事業の典型といえるばかりでなく、見直しの方向性も具体的で明確である点で、細川連立政権がめざす公共事業の抜本的見直しのリーディングケースたりうる。また、そのようにしなければならないであろう。

 さいとう たけし 弁護士。一九三九年生まれ。東京大学経済学部卒業。主として労働・公安事件に従事、考案条例運用違憲判決や日本化学工業の六価クロム職業病訴訟などで勝訴した。著審に「公安条例』など。


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