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芝池義一 意見書 2004年7月26日

意  見  書

最高裁判所御中

2004年7月26日

京都大学大学院法学研究科教授
芝池 義一


 以下では、建運協定等の行政組織内部において定められる規範=行政内部規範の法的性格および行政内部規範の裁量審査における位置づけについて私見を述べることにしたい。



1、一般原則

 一般的にいって、行政組織内部において定められる規範を法規範ということはできない。法規範たる規範については法律学の教科書においては法源のところで論じられるが、この法源のうち成文の法源としては、憲法・法律・命令(政省令など)・条例・規則・条約が挙げられる。それらは決まったものであり、法源のリストという表現が用いられることもある。

 通達などの行政内部規範はこの法源のリストには入っていない。従って、行政内部規範は法源ないし法規範ではないということになるのである。

 憲法・法律・命令(政省令など)・条例・規則などが法規範として認められる理由は次のように考えられる。

 まず、法源のリストに入っているもののうち、憲法および法律は、議会制定法としてのその性質上当然に法規範としての性質をもつということができる(もっとも、公示されるということも大きな意味を持つ)。それらは、第一次的本来的な法源である。

 これに対し、命令・条例・規則は、法律の委任をうけることによって法規範としての性質をもつことになる(これらについても公示が法規範性承認にあたって大きな意味を持つ。なお、地方公共団体の条例が法規範であるのは法律の委任があるためか、憲法によるものかという問題がある)。

 もっとも、法源のリストに入っていないが法規範性を認められる規範がある。それは、告示である。告示には様々なものがあるが、法律の委任を受けて制定され、かつ公示されるものは法規範性を認められる可能性を持っているのである(芝池『行政法総論講義』(第4版、2001年)14〜15頁)。



2、契約関係における行政内部規範

 では、行政内部規範が法規範ではないとしても、それは法の世界において全く意味を持たないのであろうか、また、裁判における違法判断の基準になることはないのであろうか。

 私は、かつて、行政内部規範の法規範性につき次のように述べた。

 「裁量基準あるいは要綱の定立が国民の権利保障の見地からも要請される面があるとすれば、それらについてこの第一の意味での法規範性〔行政の行為の違法判断基準という意味での法規範性、すなわち行政にとっての法規範性。つまり本意見書が問題にしている法規範性である〕を全く否定することは適切ではなく、当事者の意思の自由が比較的広く認められる非権力関係とくに契約関係においては、要綱等に法規範性を認めうる余地もあろう。とくに、相手方〔国民〕がその適用を主張する場合にはこれを否定すべき理由はより少なくなると思われる。」(芝池「行政法における要綱及び協定」:『岩波講座・基本法学第4巻』(1983)284頁)

 私人間での契約においては、私的自治が支配し、従って、この契約をめぐる争いにおいては、当事者の意思が基準となる。行政上の契約においてはこの原理は貫徹せず、法律(および政省令)の規定によって規律されるところが多くなり、契約によっては全面的に法律によって規律されるものもあるかもしれない。しかし、この場合においても、法律に欠缺があれば、契約としての性質上、当事者の意思も裁判においては基準となり得るものと考えられる。そうであるとすると、行政上の契約をめぐる裁判においては、一方の当事者の意思を示す行政内部規範は裁判規範になるということができるのである。

 行政上の契約をめぐる争いにおいては、国民の側は時に行政の措置を違法と主張することがあろうが(例えば公営住宅の家賃の値上げ)、この場合にも、「行政内部規範は裁判規範になる」となるという命題を維持できるであろう。つまり、契約関係においては、行政内部規範は違法判断の基準となるのである。

 次の問題は、行政内部規範が違法判断の基準になるのは契約関係に限られるのか、それとも、より広い範囲で認められるのかという問題があるが、少なくとも権力関係は、古い表現を使えば支配服従の関係であり、行政内部規範に強い法的地位を認めることはそれに対する国民の服従を要求することになるから、権利保護の要請からして行政内部基準の法規範性を認めることには慎重でなければならないであろう。ここでは、法律に書かれていること以外のことには国民は従わなくてもよいという思考が重要である。これに対し、範囲を確定することは困難であるが、非権力関係においては、行政内部規範を違法判断の基準として認める余地はあろう。



3、平等原則を媒介とする通達の法規範性

 2においては、契約関係における行政内部規範の法規範性について見たが、そこで問題になるのは一般に(つまり権力関係を含めて)行政内部規範について法規範性が認められるかどうかということである。

 一般に通達違反が違法たり得ることについては夙に原田尚彦が明快に説いているところである。

 「通達は行政内部においてのみ効力を有するにすぎず、国民に対する処分等の適法性とはいちおう無関係である。だが、ある種の行政処分が通達に即して大量に反復して実施されているのに、同種の処分がひとり通達に違反して行われ国民に不利益な結果をもたらす場合には、平等原則違反が問題となりうる。」(原田尚彦『行政法要論』(全訂第四版増補版、二〇〇〇年)42頁。同旨の判決として、東京地判平成8・7・31判時1593号41頁)

 すなわち、通達違反は平等原則を介して違法になるのである。換言すれば、通達は、平等原則を介してではあるが、違法判断の基準という意味での法規範になる。

 この意味での法規範性を認める余地は、行政手続法が定めることを求めている審査基準にあっては、より大きなものになるだろう。



4、審査基準の法規範性

 審査基準は通達と同じく行政内部規範であるというのが行政法学界の通例の理解である。確かに、審査基準は裁量基準の一形態であり、そして、裁量基準は行政裁量の行使について法律の委任をまたず行政の内部においてその制定を要請されるものであるからである(個人タクシー事件)。

 しかし、行政手続法上の審査基準は、行政手続法によりいわば正式に認知されたものであり、その意味で法律の委任があるとともに、公にされることになっているからである。この2つの要件を充たす点で、審査基準の法規範性について語る余地は通達の場合よりも大きいということができる。

 もっとも、審査基準についての行政手続法の定めは一般的なものであり、政省令制定についての法律の委任とは質を異にしているのではないかという疑問があり得る。執行命令の性格を持つ政省令については、一般的または包括的な法律の委任で足りるので、法規範性の承認の要件としての法律の委任が一般的包括的なものであってはならないという理屈は成り立たない。しかし、審査基準の中身は法律上行政庁に与えられている裁量の行使の基準であるから、審査基準を、申請の手続・書式などを定める執行命令に準じて考えることは適切ではなく、むしろそれは委任命令に準じて考えるべきであろうと思われる。そうすると、行政手続法の規定が審査基準の法規範性を認める上で十分なものであるとはいえないことになる。

(行政手続法は、審査基準のほか処分基準についても定めているが、同法の処分基準についての規定は、制定・公表の努力義務を定めるだけであるので、ここではさしあたり審査基準について述べるにとどめている。審査基準の法的性格の確定が先決問題である。)  なお、以上のような行政内部規範が法規範性を持つという現象は、近年「行政規則の外部化(現象)」と呼ばれ、行政法学界の共通財産になりつつある(塩野宏『行政法T』(第3版補、2003年)88頁以下、阿部泰隆『行政の法システム(下)[新版]』(1997)528頁、714頁、宇賀克也『行政法概説T』(2004)239頁以下)。



5、市民感覚から見た行政内部規範の法規範性

 以上においては、行政内部規範の法規範性を論理的に詰めて考えるという作業を行ったのであるが、この問題についての率直な感想を述べておくことにしたい。

 すなわち、実際問題として、行政が内部的に規範を定め、それに従って行政活動を行い、さらにそれを遵守することを国民に強要してきたという事情がある場合(例えば税務行政上の通達は納税者も遵守せざるを得ない)において、行政がそれを遵守していなかったことが裁判などで争われた場合に、行政が、当該行政内部規範の法規範性の欠如を理由にその不遵守による違法を否認することは信義則に悖るものであるように思われる。

 法律が規定を設けずまたは抽象的な規定をおくにとどめていることがあり、それは行政に弾力性を与えるためだと解することができることがあるが、しかし、他面において、行政の恣意的な措置は許されるべきではない。この点で、行政が内部的に基準を設けている場合、合理的な理由がないにも拘わらずそれから逸脱することは違法ではないかという問題がある。

 この考え方は、前述のように、場合によっては(とくに権力関係においては)国民の権利利益の制約を招くことがあるが、しかし、国民が行政内部基準の遵守を求める場合にはそれからの逸脱を許されないものとし、それを違法とすることには合理性があるのではないかと思われる。



6、裁量の司法審査における行政内部規範

 伊方原発訴訟・最判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁は、原子炉設置許可が争われた事件において次のように述べている。

 「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。」

 ここでは、審査基準の合理性の有無および審査基準適合の判断の2段階の審査が行われることが求められているのであるが(後者の中には、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の判断と行政庁の判断の2つのものが含まれている)、本意見書との関係では、原子炉の安全性審査のために設けられている審査基準が、平等原則を媒介にすることなく、また、原子炉設置許可という権力行為との関係において、その違法性審査において一定の意味を与えられているのである。



7、建運協定等の法的性格と裁量審理におけるその役割

 本件原審判決は、「建運協定は、……都市計画を所管する建設省と鉄道事業を所管する運輸省との間に締結された行政組織間の協定であり、法律に委任に基づいて定められてものではない。それは、国民の権利義務に関する規定でもなく、公布手続もとられておらず、行政組織間の内部規範にとどまるものであって、法規範性、すなわち、それに違反することが違法を将来するような法的拘束力を有するものとは認められない。」と述べ(61頁)、本件要綱(建運協定に基づく連続立体交差事業調査要綱)についても同様の判示をしている(62頁)。

 そして、このような理解から、例えば「参加人〔東京都知事〕のとった前記判断手法は、比較案の評価において、環境への影響が考慮されていない点で、本件要綱に定めるものとは異なっている。しかし、本件要綱が法規範性を有しないことは前示のとおりであり、本件要綱の定めに反することが直ちに参加人のとった判断手法に違法があったことや裁量権の範囲からの逸脱があったことを基礎づけるものとはいえない。」という判断を示している(92頁、その他、82頁、118〜119頁)。

 しかし、これまで述べてきたことに照らすと、建運協定等の法的性格に関する判示が正しいとしても、そこからそれらが裁量審理において何らの意味も持たないという結論を導くことは正しいことであるとはいえない。

 広い裁量が認められる都市計画の分野での決定の司法審査においては、行政内部規範を適切に位置づけ、それを通じて有効な司法審査を行うことが「司法の行政に対するチェック機能の強化」を図る上でも必要なことである。




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