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園部逸夫 意見書 2004年7月23日
平成15年(行サ)第238号 小田急連続立体交差事業認可取消請求上告事件
平成15年(行ノ)第265号 同上告受理申立事件
   上告人(申立人)    高  品   斉  外39名
   被上告人(相手方)   関東地方整備局長

意  見  書

最高裁判所御中

平成16年 7月23日

園 部 逸 夫


 本意見書は、本件訴訟の主要な法律上の争点のうち、いわゆる建運協定の法的性格に限定して、私見を開陳するものである。

 法は形式的なロジックでもなければ、冷酷な学問上の法規範を体現したものでもない。それは、人間の目的に奉仕すべく、人間の力によって創造される人間の制度である。コロンビア大学教授を経て、アメリカ合衆国最高裁判所首席判事を務めたストーン裁判官は、このような趣旨の言葉を述べた。

 日本は判例法国ではないが、憲法の下、司法審査権を行使する裁判所は、司法審査という英米流の制度の観点から、具体的な係争事件に適用される法規範の性格について、体系的な理論の自己完結的な整合性のみにとらわれることなく、司法救済の目的に合致した法規範論を展開すべきであり、従来の確立した理論では法規範に当らないというような硬直した解答を提示するだけでは、正鵠を得た法の解釈適用とは言えないのである。

 一般に法規範について、憲法、法律に始まる一連のいわゆる法令を典型として挙げるのは、行政法学の長い歴史の中で確立してきた理論であるが、それは抽象的な法規範論体系として、とりわけ行政庁に対する規範的拘束の体系化の中で説かれてきたことである。行政法の具体的な動態や、司法審査における裁判所による救済の見地から見た法規範論は、そのような杓子定規なものであってはならないと考える。裁判所が従来の法規範論を盾に、具体的な行政法の動態から目を逸らそうとしているとは決して思わないが、従来の法規範論が救済の前提として障害になる場合は、裁判所としての救済制度における法規範体系の構築が当然許されなければならない。裁判官が法と宣言したものが究極の法であるという、英米法の鉄則は、逆説的ではあるが、制定法国において、否、むしろ制定法国においてこそ適用されるべきなのである。

 百尺竿頭一歩を進めるとはこのことであって、如何に行政事件訴訟の手続法上の進歩発展があっても、実体法理論の判例による発展がなければ、行政に対する司法審査の理論の限界を越えることはできない。日本の行政訴訟の発展過程を具さに見る限り、学問的見地からであっても、司法権の限界を説き、それに連なる従来の法規範論を漫然と踏襲するのは時期尚早と言わなければならない。これからの長い司法審査の道程の中で、行き過ぎがあった場合の修正理論として、司法の自己抑制を考えるべき時代の到来があれば格別、現在の段階では、むしろ司法の活動に支障を来すような法理を見直すことこそ喫緊の課題なのである。なお、最高裁判所平成15年(行ヒ)第206号平成16年4月26日第一小法廷判決(食品衛生法違反処分取消請求事件)は、事件の性格は本件と異にするが,基本において私見と同じ方向を目指した判決である。本件建運協定・調査要綱の法的性格を把握する上で、十分参考になるものと考える。

 以上の見地に立ち、本件建運協定、本件調査要綱、都市計画決定について、その動態を見ると、
 @建運協定に基づき事業の施行者とされる自治体(都道府県、政令指定都市)が、本件調査要綱による調査を実施し、
 A関連事業を含めた都市計画案の同時作成が行われる。
 続いて、
 B国による事業採択。
 さらに、
 C都市計画決定手続(アセスメント、公告縦覧、説明会等を経て都市計画決定)を経て、
 D都市計画事業認可申請、同事業認可
 となる。

   @ABの段階では、鉄道、関連側道、高架下利用、駅前開発等が一体として設計・評価の対象とされており、それが都市計画決定及び事業認可の対象に発展する動態となっている。仮にCDの段階に至って鉄道、関連側道、高架下利用等を全く別々の施設として設計、評価の対象とするならば、@ABの手続過程は無に帰するのみならず、都市計画決定の建設大臣の認可(連続立体はいうまでもなく国の利益に重大な係わりを持つ都市計画決定である。法第18条3項。)を得られず、従って、都市計画事業の認可も得られないことになる。

 道路法31条1項は、道路と鉄道の交差は「やむを得ない場合を除いて、立体交差としなければならない」と定め、その構造、工事の施工方法及び費用負担について道路の種類等に応じて建設大臣もしくは道路管理者が当該鉄道事業者等と「あらかじめ協議しなければならない」とし、同2項、3項において、建設大臣による協議が成立しないときは、建設大臣は運輸大臣とあらためて協議するものとし、道路管理者による協議が成立しないときは各当事者は建設大臣及び運輸大臣に裁定を申請することが出来るとしている。これらの規定を見る限り、法の趣旨は、道路と鉄道の交差は立体交差とし、その構造等は「建設大臣と運輸大臣の協議」による場合があることを予定しているのであるから、道路と鉄道の連続立体交差の準則を建設大臣と運輸大臣が予め協議し、その準則を協定として定めることを何ら妨げるものではないと言わなければならない。従って、「協定」について、道路法による明文の委任がないと言う論法を用いるのは形式論に過ぎる。法の規定に基づいて、法律に定められた関係当事者が協議の結果を協定の形式により明文化したのであるから、同協定は、法に基づき法を補充するものと解釈すべきである。このように裁判所の依拠すべき法を、法規範と呼ぶことが、現段階では理論上の妨げになるというのであれば法規範と名付ける必要はない。しかし裁判所の依拠すべき規範を法規範と呼ぶという見解に立って、これを裁判上、法規範と呼んでどのような差し障りがあるか、私は疑問に思うのである。制定法国日本における判例法特に行政法のそれはこのようなところに目を向けるべきではないであろうか。

 なお、本件調査要綱は「協定」11号に基づく行政指導基準であり、これについては、特に法規範性を論ずる必要はないと考える。ただ、その内容から見て、重要な考慮要素として、本件の審理判断において十分に斟酌されて然るべきものと考える。         

以上


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