甲府駅より武田神社行きバス終点下車。現在の甲府中心地甲府駅の北2km

源氏の嫡流八幡太郎源義家の弟新羅三郎源義光の曾孫信義を祖とする武田氏は、信武、信成の頃甲斐守護職を拝命し甲斐源氏武田氏の起こりとなり源頼朝に従って富士川の戦に出陣し歴史の表舞台に登場している。

信玄の父左京大夫信虎が石和から館をこの地に移し、以来信虎・信玄 (晴信)・勝頼3代の本拠・居館となったのが躑躅が崎館である。

大正6年信玄の治世の功績などが政府に認められ館跡が神社となる。

周辺は『御屋形様の散歩道』と呼ばれる小道がとりまき、城と言うより館といった風情。
戦国時代の城に見られる堅固な構えというものはなく、のどかな佇まいを見せている。

信玄が使用したという井戸。中には濁り水が溜まっている。

敷地内には風雅の道のたしなみの跡も残されている。
茶を点てる時に使用された『姫の井戸』()
現在でも清らかな水が流れ出ている。

地中に甕を埋め井戸の水を垂らし音の反響を楽しむ『水琴窟(すいきんくつ)()
前方に突き出ている竹に耳を当てると幻想的な音曲の様な音が聞き取れる。

人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり』という信玄の歌にも詠まれたように領民をよく治めれば城は不要という武田氏の姿勢を顕し、堀一重に囲まれた館の造りになっている。
まさに武田氏は戦国期には珍しく領民を力で抑えず、民を思う姿勢でこの地を治めていたことが偲ばれる。

門からは甲府の町並みが一望できる。
門前からは現在の甲府駅まで
2km程一直線の道が続き、城下の様子が偲ばれる。
周囲に武田24将を始めとする配下の武将の屋敷などが並んでいたようだ。
今の甲府駅が無ければこの道は現在の平和通りに繋がり更に南へ続いている。

躑躅が崎館
躑躅が崎館
躑躅が崎館