第32回 アンディーのアルバム評

 

 さて、本当に久しぶりの更新ですね。今日は、アッシュのアルバムの話です。91年に来日した時に、アンディーがインタビューでそれまでのアルバムのことを語っています。それをそのまま載っけると著作権に触れるので、簡単にアンディーのコメントと僕の感想を載っけることにします。(ということで、アンディーのインタビューは大意になるんだけど、許してね。(^^;)

「WISHBONE ASH」1970

 好きにならずにいられないアルバムだよ。ライヴ・レコーディングに近い状態で録ったんだ。リッチー・ブラックモアとジャムったことが縁で、プロデューサーのデレク・ローレンスを紹介してもらったんだ。ジャケットにメンバーの写真がないのは、ロスのMCAがジャケットを作ったからなんだ。

 ライヴ・レコーディングに近い状態での録音ということなんですね。そう言えば、ハーモニー・ツインでは、そんなに難しいフレーズは弾いていませんね。でも、フェニックスのギターはオーバー・ダブを使ってるよね。

「PILGRIMAGE」1971

 ジャケットの写真はイギリスのハムステッド・ヒースで撮ったんだ。日本的だと思わないか?このアルバムはインスト曲が多くて、ジャズにも傾倒しているし、作曲能力もアップしている。僕らは、ソングライターである前にミュージシャンだからね。

 よく外国人の持つ日本のイメージには首を傾げたくなることが多い(きっと、「逆もまた真なり」でしょうけどね。)のですが、これもそのひとつですね。ちなみに、このころのアッシュは、ジャム・セッション風に曲を書くことも多かったそうです。

「ARGUS」1972

 アッシュのアルバムを持っている人なら、必ず持っている1枚だと思うよ。よく3枚目くらいでバンドの音がまとまってくると言われるけど、このアルバムはロードの賜だろう。でも、ほとんどの曲は、テッドのベッドルームでアコースティック・ギターで書かれているんだ。とてもイングリッシュな雰囲気を持っているよ。ケルト風とも言えるね。歌詞の面ではマーティンががんばっているね。このアルバムにはいい曲がたくさんあって、その証拠に、今でもステージでプレイしているよ。CD用にマーティンがリミックスしたんだけど、CDにはオリジナルのミックスが使われたんだ。

 アンディーの評価とファンの評価は見事に一致しています。CD化に際してマーティンがリミックスしたヴァージョンは、その後、「TIME WAS」や「DISTILLATION」で陽の目を見ることになります。

「WISHBONE FOUR」1973

 このアルバムは小品集に近いね。ある意味では「アーガス2」を作れというプレッシャーをかけられていたわけだけど、それはしたくなかった。ウェールズに小さなコテージを借りてレコーディングをしたんだ。いい思い出も悪い思い出もあるけど、エンジニアのキース・ハーウッドは素晴らしかったね。このアルバムから、テッドがスライド・ギターを弾き始めたんだ。

 どのバンドも、最高傑作と呼ばれるアルバムや大ヒットアルバムの次のアルバムには苦労するようですが、アッシュも一緒だったんですね。このアルバムを「アーガス2」にしなかったのは、正解でしょうね。儲けは減ったかもしれないけどね。(^^;

「LIVE DATES」1973

 このアルバムは、活動のひとつの区切りだね。当時はアメリカで活発に活動してたから、グローバルな雰囲気がある。イギリスのヴィクトリア調のホールは、どれもいい音を持っていて、ここでは、その音を忠実に収めていると思うよ。ジャケットにナツメヤシのデザインを使おうと言い出したのは僕さ。サニー・カリフォルニアって感じだろ?

 ホントに名演名録音のアルバムですよね。でも、テッドのミスだけは、なんとかしてほしかったな。

「THERE'S THE RUB」1974

 ここからはマイアミ録音が多くなるんだ。プロデューサー&エンジニアのジム・シムジクは、一度イギリスのバンドと仕事をしたいということで起用したんだけど、僕たちとの仕事で学んだことを、後のイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」で応用したと思いたいね。ローリーはテッドよりもリズミックなプレーヤーでブルース色も濃いから、ここにはたくさんのギター・リフが詰め込まれているよ。

 このアルバムで初めて聴いたローリーのプレーには驚いたものです。でも、イーグルスとの関係のところは、ちょっと虫が良すぎるかもね。(^^;

「LOCKED IN」1976

 トム・ダウドのプロデュースはあまり好きじゃないね。トムはグレイトなプロデューサーかもしれないけど、僕たちには合わなかった。曲はいいと思うんだけど、サウンド・プロダクションは間違っていたよ。トムはエコーも使わせてくれなかったんだ。ちょっとサウンドがドライすぎたね。

 そう言えば、マーティンも「あのアルバムを見たら、黒く塗りつぶしてやる」なんて言って、嫌っていたアルバムですね。でも、最初と最後を除いて、そんなにいい楽曲だとは思えないんだけどねぇ。(^^;

「NEW ENGLAND」1976

 この頃、僕たちはアメリカの田舎に移ったんだ。前のアルバムがああだったから、どうしてもどこかの家を借りてレコーディングしたかった。レイド・バックした雰囲気でレコーディングしたし、アコースティックでムーディーな雰囲気が漂っていると思う。ジャケットはヒプノシスに依頼したんだけど、スティックを研ぐ男の意味は、自分たちを研ぎ直し、再定義しようってことなんだ。このアルバムで僕たちは自分たちらしさを取り戻したと思う。

 余談ですが、ヒプノシスの発音は、「ヒッポコノシス」に近いそうです。マーティンの家のダイニング・ルームでも録音をしているそうですよ。

「FRONT PAGE NEWS」1977

 このアルバムは、またマイアミでレコーディングした。ジャケットは、ちょっと俗っぽいけど、映画のポスターのようなカバーにしたかった。結果的にはいいアルバムになったと思う。ソングライティングにも力を入れていた頃で、レコーディングには何も問題はなかったよ。

 ジャケットにはアンディーの奥さんも写っているそうです。確か、スティーヴの奥さんもじゃなかったかな?

「NO SMOKE WITHOUT FIRE」1978

 このアルバムで、僕たちはまたイギリスに戻ったんだ。バック・トゥ・ルーツってわけさ。でも、アメリカで子どもも生まれてたし、それは一大決心だった。あと、特にマーティンはアメリカになじめず、イギリスに帰りたがっていたしね。このアルバムのイギリス盤初回には、ライヴ・シングルがおまけについていたんだけど、今となってはコレクターズ・アイテムだろうね。

 このボーナス・シングルですが、アンディーが思うほどにはコレクターズ・アイテム化はしたいないようですね。今となっては、音源的には「DISTILLATION」で聴くことができますしね。

「JUST TESTING」1980

 ブリティッシュ的なアルバムだね。LIVING PROOFなどはいい曲だよ。ポリスがよく使っているサリー・サウンド・スタジオで録音したんだ。楽しく作れたアルバムだよ。

 このアルバムが出たとき、ホント、ずいぶん昔のアッシュに戻ったもんだなと感じたものです。

「LIVE DATES 2」1980

 このアルバムは2ヴァージョンあって、イギリス盤の初回盤は2枚組になっていて、後から1枚になった。ジャケットが中東っぽいけど、マネージャーのマイルス・コープランドはベイルートに住んでいたことがあって、僕とテッドで遊びに行ったことがあるんだ。内ジャケットは、代表的な楽屋シーンだよ。ただただ汚いってことさ。

 イギリス盤の2枚組のほうは、確かに、あまり見ることがありません。(でも、探すのが難しいと言うほどでもないけどね。)一応、その2枚組のうちの1枚は、ボーナス・LPの扱いでした。

「NUMBER THE BRAVE」1981

 ジョン・ウェットンはアルバム要員だったんだ。だからライヴもやっていないよ。タイトル曲は、スティーヴン・キングの本「THE STAND」に基づいて書いたんだ。ジャケットは、第一次世界大戦当時のポスターから思いついたものなんだ。これも日本っぽくないかい?僕は、このアルバムがローリーのベスト・プレイだと思う。

 ここでの日本のイメージにも、ちょっと首を傾げちゃいますね(日本軍のイメージなのかな?)。ちなみに、このアルバムからのシングルGET READYのジャケには、すでにトレバーが載っています。

「TWIN BARRELS ARE BURNING」1982

 トレバー・ボルダーとは、HOLD ONを一緒に書いてるよ。このアルバムは、ジミー・ペイジのスタジオでレコーディングしたんだ。全体的にはロックン・ロール・アルバムだよ。STREETS OF SHAMEは、インドのボンベイの14歳の売春婦のことを唄っているんだ。もちろん、伝え聞いた話だけどね。

 ジミー・ペイジとのつながりもあったんですね。それは知りませんでした。

「RAW TO THE BONE」1984

 これもサリー・サウンド・スタジオで録音したけど、結構いいアルバムだと思うよ。今じゃ僕の息子の愛聴盤で、よくレコードと一緒にドラムをたたいているよ。ここで使った白いフライングVは、今でもステージで使っているやつだ。CELL OR FAMEは、スティーヴ・アプトンが書いたんだけど、いい曲だと思うよ。

 アンディーは、思ったよりもこのアルバムを気に入っているようですね。当時、日本盤が出たことに、僕はちょっと驚きましたけどね。

「NOUVEAU CALLS」1988

 これは、マイケル・コープランドがWISHBONE ASHを再結成させたくて計画されたものなんだ。テッドは、このプロジェクトの途中で入ったんだ。

「HERE TO HEAR」1989

 テッドにとって実質的な再デビュー・アルバムだよ。だから、ここにはテッド・ターナーがいっぱい詰まっているよ。改めて考えてみると、こうしてテッドが戻ってきて、一周して振り出しに戻るって感じだね。

 この頃のライヴでは、テッドがホントに楽しそうに伸び伸びとギターを弾いていましたよね。

「STRANGE AFFAIR」1991

 ドラマーが二人いた関係で、ちょっとレコーディングが長すぎたね。ロビーは複雑なことをやりたがるドラマーで、ちょっとうるさ過ぎることもあったけど、レイはもっとストレートなんだ。このアルバムは、昔のブルージーな雰囲気に少し戻っていると思うよ。全体的にナチュラルなアルバムだと思うよ。

 これが、当時の最新アルバムでした。アンディーの言葉の通り、ギターのリフや楽曲など、無理にポップ風味にしてるわけでもなく、本当にナチュラルな楽曲が多いですよね。

 ちなみに、アッシュのCD化が遅れた理由は、権利の関係で3年にわたって争っていたからだということです。アッシュのアルバムで、未CD化のものがいくつかありますが、あと、せめてナンバー・ザ・ブレイヴとライヴ・デイト2はCDにしてほしいですよね。

 それでは、また。