ジョー・ザヴィヌル
Joe Zawinul










    (目次)

   ■ザヴィヌルという人
   ■ザヴィヌルとウェザーリポート
   ■ザヴィヌルの作風
   ■アルバム紹介



■ザヴィヌルとウェザーリポート

 正直なところ、ぼくがザヴィヌルを聴きだした最大の理由は、ウェザーリポートというのがどのようなグループであるのか、ショーターとザヴィヌルがそれぞれどのような役割を果たしていたのか知りたいという動機だった。
 その興味で聴こうとすると、実はザヴィヌルはショーター以上のわかりにくい面がある。ショーターの場合、ウェザー在籍中に『Native Dancer』(74) 、『Atlantis』(85) という2枚のソロ作があり、当時のショーターの本音の部分がわかる。とくにウェザーの活動のド真ん中で作られた『Native Dancer』の意味は大きい。
 しかしザヴィヌルはウェザーリポート結成してから『Dialects』(85) まで1枚もソロ作をリリースしていない。85年はもはやウェザーリポートは実質的に終わっていた時期だったことを考えれば、ウェザーリポートで活動中に、ザヴィヌルがショーターから離れてどのような音楽を作る人であったのかがわかるアルバムは1枚もないのだ。
 よってザヴィヌルの場合、ウェザーリポートの結成前・解散後のアルバムからその作風等を理解していかなければならないことになる。が、ショーターが『Native Dancer』で大きく作風を変えたように、ザヴィヌルもウェザーリポートの間に少なくとも1回は作風が変わっている。そのへんがもっと明確にわかればいいのだが、その術はない。
 しかしウェザーリポートも活動していた期間より解散後のほうが長くなってしまった。それだけの期間のソロ活動を見て、さらにウェザー結成前のアルバムを見れば、ウェザーリポートで活動中のザヴィヌルのこともだいたい推測できるのではないかと思う。

 さて、ジョー・ザヴィヌルは1932年にオーストリアで生まれ、ショーターの一歳年上になる。クラシックのメッカというべき国で、幼少期よりクラシック系の音楽教育を受けて育ち、その後ジャズほか黒人音楽に興味を持つようになり、ついにオーストリアを離れてアメリカに渡った。
 アメリカでのザヴィヌルは、50年代末から60年代初頭にはダイナ・ワシントンのバンドに、60年代いっぱいをキャノンボール・アダレイのバンドに在籍し、ずっとR&B色の強い、黒っぽいジャズを演奏してきたことになる。
 ウェザーリポート結成前のザヴィヌルについて、まず特筆すべきことは非常に寡作だということだ。なにしろ渡米してからウェザー結成までの10年余りの間にザヴィヌルのソロ作はコンピレーションものを除けばわずか4枚、その他にベン・ウェブスターとの双頭リーダー名義のアルバムが1枚あるだけだ。しかもわずか4枚のソロ作のうち1枚はピアノ・トリオ(+コンガ)によるスタンダード曲集で、オリジナルは1曲も演奏していない。その他 "Mercy,Mercy,Mercy" を始めキャノンボールのバンドに提供した曲があるくらいだ。
 ショーターが寡作といわれながらもウェザーリポート結成前にソロ作が14枚あり、その他にメッセンジャーズの音楽監督時代や、マイルス・バンドでの『Sorcerer』『Nefertiti』等準リーダー作といってもいいアルバムが多数あることを考えれば、ザヴィヌルの寡作さがさらに目立つ。

 ザヴィヌルに転機が訪れたのは当然、マイルスに才能を見込まれてバンドへと招かれ、『In a Silent Way』(69) や『Bitches Brew』(69) などを作った時期だろう。当時ザヴィヌルはいわばマイルス・バンドの指揮官のような役割を果たしたわけで、これらのアルバムがザヴィヌルの力なしには完成しなかったことは誰も否定すまい。とくに『In a Silent Way』はザヴィヌルの他の作品を聴けばわかるように、マイルスよりザヴィヌルの色のほうがはるかに強い作品である。そしてザヴィヌルの才能を見抜いたマイルスも当然評価すべきだろう。
 その後、マイルス・バンドでは70年まで、リアルタイムではリリースされなかったさまざまなスタジオ・セッションに参加して重要な役割をしている。(現在は『The Complete Bitches Brew Sessions』(69-70) に集成)。
 マイルス・バンドを離れた後は、ソロ作『Zawinul』(70) をリリース。これはウェザーリポート結成前のザヴィヌルの最も有名なアルバム……というより、多くの人はこれしか知らないという作品だろう。
 そしてその直後ウェザーリポートを結成、その後85年までソロ作はなく、ショーターを離れたときザヴィヌルがどんな音楽を作るのかは聴けなくなってしまう。

 さて、ウェザーリポート解散後のザヴィヌルはどうなるのかというと、寡作に戻っていくのだ。
 ウェザーリポートの最終作『This is This』(85-6) をリリースした後にザヴィヌルがソロ名義、ザヴィヌル・シンジケート名義でリリースしたアルバムを合計すると、2002年の『Faces & Places』までの16年間にスタジオ盤が6枚、ライヴ盤1枚の計7枚となる。ウェザーリポート時代の15年間にオリジナル・アルバムだけで15枚リリースしたことを考えるとかなり見劣りがする数だ。しかもその6枚のスタジオ盤も全て自作曲で占められているわけではない。また、自己名義のアルバムでなくても、サイドマンとして大活躍しているということもない。
 ウェザーリポートだけを聴いているとザヴィヌルというのは多作な人というイメージをもつのだが、実はザヴィヌルが多作だったのはウェザーリポート時代だけである。
 これはむしろウェザーリポートという環境がザヴィヌルを多作にさせていたと考えたほうがいいのではないか。別項で書いたとおり、ウェザーリポートでは作曲者が一人で曲を作るというより、ライヴで何度も演奏するなかで、ウェザーリポートというグループで曲を完成させていたわけだが、そのためにザヴィヌル名義の曲の多作が可能だったと考えたほうがいいのではないか……とも思える。



■ザヴィヌルとウェザーリポート

 さて、ここからザヴィヌルとウェザーリポートの差をもっと詳しく見ながら、ザヴィヌルという人の音楽の特性について見ていきたい。別項との繰り返しになる部分もあるが、ご了承いただきたい。
 先述したとおり、ウェザーリポート存続中にはザヴィヌルの単独ソロ作はないので、ザヴィヌルとウェザーリポートの差を見るとすれば、ザヴィヌルの『Zawinul』(70) と初期ウェザーリポートの比較、そして70年代半ば以後のウェザーリポートとザヴィヌル・シンジケート等との比較をしていくことになる。
 しかし、従来ウェザーリポート内でザヴィヌルの存在が大きくなりだしたと言われていたのは70年代半ば以後のことなんで、ここではまず70年代半ば以後のウェザーリポートとザヴィヌル・シンジケートとの比較から見ていこう。

 ショーターが抜けるかたちでウェザーリポートが解散するのは86年。その後ザヴィヌルはウェザーリポートの残りメンバーにスティーヴ・カーンを入れた「ウェザー・アップデイト」というバンドで短期間活動し(アルバムのリリースはない)、その後「ザヴィヌル・シンジケート」を組んで88年に活動を開始することになる。そしてコロンビアから『The Immigrants』(88)『Black Water』(89)『Lost Tribes』(92) と3枚のアルバムをリリースする。3枚ともよく似た内容で、ウェザーリポート解散後のザヴィヌルの方向性ははっきりと感じられる。
 この3枚のアルバムは6人編成の楽器演奏者に(『Lost Tribes』だけ5人)多数のボーカリストが加わるという編成で演奏されており、ボーカリストの比重の高さなどウェザーリポートとは違う面は多々あるものの、比較的少人数の楽器演奏者による演奏という点ではウェザーリポートと比較しやすいと思う。
 さて、この3枚のアルバムを聴いて、どう思うだろうか。
 個人的には、やはりザヴィヌルはウェザーリポートの音楽的中心ではありえない、ウェザーリポートはザヴィヌルのバンドではないということを確信するばかりだ。
 たしかにサウンドやメロディ、あるいは雰囲気で共通する要素は多い。ウェザーリポートの内でザヴィヌルが重要な役割を担っていたということは容易に理解できる。
 しかしウェザーリポートのアルバムを聴いていると、胸が踊るというか、スリリングで手に汗を握るような瞬間がいくつもあるのだが、ザヴィヌルのソロ作にはそれがまったくない。楽しく気持ちいいだけのポップス的な内容、もっと言えばアフリカ的な、ワールド・ミュージック風の音楽であり、過半数の曲はボーカルが中心である。
 こう書いているとザヴィヌルをケナしているように思う人がいるかもしれないが、そうではない。このザヴィヌルのソロ作のようなタイプの音楽はそれはそれで多数存在するのであり、その中でザヴィヌルのアルバムはかなり完成度が高いほうだとは思う。しかし、それはウェザーリポートとは違うジャンルの音楽である。
 例えばジャコ・パストリアスの場合と比較しよう。ウェザーリポートを離れたジャコのソロ作はウェザーリポートとはサウンドも方向性もかなり違う。しかしウェザーリポートのアルバムを聴いている時のような胸が踊る、手に汗を握る瞬間がいくつもある。つまりウェザーリポートとジャコのソロ作とはそれほど似てはいないが同じジャンルの音楽であり、つまりどちらもエレクトリック楽器を使ったジャズである。
 しかし、ザヴィヌルのソロ作とウェザーリポートとは、サウンド的に似たところがあり、共通する所が多いが、違うジャンルの音楽であり、つまりザヴィヌル・シンジケートの音楽はアフリカン・ポップスとでもいうのか、狭義のフュージョン作品であり、ウェザーリポートのようなエレクトリック楽器を使ったジャズではない。

 また、この3枚のアルバムを聴いて感じることは、変化のなさだ。ウェザーリポートの作品は、毎年1枚のペースで作られているにもかかわらず、1枚ごとにサウンド、スタイル、コンセプトなどに何らかの変化があり、それが新しいアルバムを聴くときの興味になっていた。
 しかしザヴィヌル・シンジケートの作品は、大まかに言ってしまえば、どれを聴いても同じだ。88年〜92年のあいだに3枚というゆっくりしたペースで作られているのに、である。
 ザヴィヌルのウェザーリポート解散後のソロ作品は、良く言えば一貫性があり、わるくいえばワン・パターンである。ウェザーリポートのアルバムに1枚ごとに変化があったのは、おそらくショーターのスタンスの変化によるものだったのだろう。
 しかし、96年の『My People』となると変化も見えてくる。これはザヴィヌル・シンジケート名義の作品ではなく、ジョー・ザヴィヌル個人名義の作品で、ザヴィヌル・シンジケートのメンバーも参加しているが、さらに20人以上のミュージシャンやボーカリストを加え、多人数によってサウンド作りをしている。
 最初の雰囲気はウェザーリポート以前の『Zawinul』(70) に似ている。霧のようなトーン・ポエム風のサウンドスケイプであり、しかしその霧の向こうに見えてくるのはオーストリアの雪深い森ではなく、アフリカの大地の情景であり、つまりザヴィヌル・シンジケートの音楽である。
 つまりは変化しているとはいっても、実は変化はしていない。『Zawinul』+ザヴィヌル・シンジケートという内容である。しかし逆にいえば、ザヴィヌルがこれまでやってきたいろいろな事を一つのアルバムにまとめ上げた作品ということができる、
 ザヴィヌルという人は『Bitches Brew』の時代から多人数のミュージシャンを使ってサウンドを構成することに実力を発揮するタイプのミュージシャンであり、こういった編成が合っているようだ。集団即興をコンセプトとしたため、4、5人のメンバーでの演奏にこだわったウェザーリポートは、ザヴィヌルにとってはかなりやりにくい環境だったかもしれない。



■ザヴィヌルの作風

 そもそもザヴィヌルという人はどんな音楽を目指し、どんな作風をもつ人なのだろうか。
 まず、自己の世界を作り出すイマジネーションの面から見てみよう。
 ウェザーリポートの前中後を見てはっきりとわかることは、ザヴィヌルのイマジネーションの所在が、ウェザーリポートの途中のどこかで、オーストリアの森の中から、南国へと移住していることだ。おそらく『Native Dancer』の影響を受けて『Tales Spinnin'』あたりで移住が始まったのだと思うが、その時期にザヴィヌルのソロ作はないので、はっきりと言い切ることはできない。
 しかしウェザーリポートの前でも後でも一貫しているのは、ザヴィヌルのイマジネーションの所在は、大自然や、そこに生きる人々、大地に根ざしていることだ。文字どおりアーシーな人であり、現実感覚の中で地に足をつけて生きている人ということができるだろう。
 逆にいうと、ショーターのように宇宙とか中世とかSFとか、象徴的な異世界を描き出してしまうようなイマジネーションというのは、ザヴィヌルにはないものだ。
 さて、ひるがえってウェザーリポートを見てみよう。確かにザヴィヌル的なイマジネーション、地に足のついたイマジネーションを感じさせる曲も思いつく。しかし、より多くの場面でウェザーリポートはむしろ遠い異世界に誘ってくれるような音楽ではなかったか。そのような部分はショーターのイマジネーションによるものだったといえるだろう。
 ウェザーリポート解散後を見るとその点はもっと明確で、ザヴィヌルは単なる「南国」ではなく、はっきりとアフリカを指向しているのがわかる。ザヴィヌルのイマジネーションの所在は、そのように具体的な場所なのだ。(ショーターの場合、同じ南国指向の面があっても、むしろブラジルを指向し、具体的というよりは象徴的になる)
 そして、ここが重要な点だが、ショーターの場合、南国だろうが異世界であろうが、それはジャズに根ざしたショーターの音楽を彩る一要素にしか過ぎず、ショーターの音楽が広義のジャズを離れることはない。
 しかし、ザヴィヌルはアフリカ音楽に向かう過程で、ジャズ性がなくなっていってしまう。つまりザヴィヌルにとってはアフリカの黒人音楽のほうがジャズより大事な要素だということだ。つまり、ザヴィヌルという人はジャズマンというよりは、むしろ黒人音楽の人というべきであり、即興演奏を特徴とするジャズの演奏形態に興味があるというより、ジャズの中にある黒人音楽の要素に魅せられて海を渡ってアメリカにやってきた人だと思える。だからこそダイナ・ワシントンや、キャノンボール・アダレイといった、R&B色の強い黒っぽいバンドに長期在籍したのだろう。つまりザヴィヌルにとっては、ジャズのほうが黒人音楽に根ざしたザヴィヌルの音楽を彩る一要素にしかすぎないということだ。
 ではなぜストレートにR&Bやソウルではなくジャズを目指したのか。おそらくクラシックのかなり高度な教育を受けてきた人間にとってはコード進行の単純なR&B等よりも、より複雑で知的な構造を持つジャズのほうが魅力的に見えたからではないだろうか。だいたいクラシック系の教育を受けてきた人にはこのようなタイプが多いようである。まして当時は50年代である。ソウルもそれ以後のものよりずっと単純なスタイルだった。それにワールド・ミュージックなどというジャンルもなく、アフリカあたりの音楽が直接ヨーロッパに紹介されるということもなかったろう。ヨーロッパに住む黒人音楽好きの青年にとってジャズが一番身近な黒人音楽に見えたことも想像に難くない。しかし、身近に感じたとしても、本質ではなかったといえる。
 ザヴィヌルのジャズ(即興演奏による音楽)への執着の無さは、ウェザーリポート以前のアルバムを聴いてもうかがえる。『In a Silent Way』と『Zawinul』は非常に雰囲気の似たアルバムだが、比較するとザヴィヌルがより自分の好きなように作った『Zawinul』のほうが即興演奏性が低い。そして『Weather Report』(71) においても、ザヴィヌルが主導権をとっていると思われる曲は、比較的即興演奏性が低くなる。その後のウェザーリポート時代の演奏を聴いても、ザヴィヌルの単独ソロはあまり盛り上がらない。
 これはザヴィヌルが劣っているわけではなく、そもそもそういう方向性にそれほど興味がないのだろう。
 ザヴィヌルが意識的に指向しているのはファンキーなリズムや、アフリカ的な音楽、黒人音楽指向だが、ではザヴィヌルが根っからファンキーな人かというと、これもそうではないようだ。生まれには逆らえないというか、クラシック系の教育を受けてきた人だけあって、ザヴィヌルという人の音楽の作り方は基本的に白人音楽的な手法である。つまり、白人音楽的な手法で黒人音楽を目指すというのが、ザヴィヌルの音楽の特徴だと思う。
 ザヴィヌルの作品を他のアフリカあたりの音楽と比べた時の特徴は、その白人的な発想によるサウンド作りにあり、そこにザヴィヌル作品の独自性があるといっていいだろう。

 ウェザーリポートについてはこう考えることができる。もしウェザーリポートというバンドの魅力がエレクトリック楽器を使ってスリリングなジャズ的演奏を行ったところにあると思っている人がいるなら、その人にとってウェザーリポートとはショーターのバンドといえるだろう。ウェザーリポートというバンドの魅力がファンキーで陽気な黒人音楽的な演奏を行ったところにあると思っている人がいるなら、その人にとってウェザーリポートとはザヴィヌルのバンドといえるだろう。
 ウェザーリポートのイメージが宇宙的、神秘的でダークが世界、あるいはユートピア的な南国の光の世界にあると思っている人がいるなら、その人にとってウェザーリポートとはショーターのバンドといえるだろう。ウェザーリポートのイメージがオーストリアやアフリカの大地に根ざした、きわめて現実的な異国情緒にあると思っている人がいるなら、その人にとってウェザーリポートとはザヴィヌルのバンドといえるだろう。
 実際には当然、ウェザーリポートにはその両方の側面があった。そして、そのザヴィヌル的側面にのみ魅力を感じていた人がいたとしたら、やはりその人にとってはザヴィヌルのウェザーリポート解散後のソロ作も、ウェザーリポートと等価の作品と感じるのではないか。

 さて、そのようなザヴィヌルの音楽の特徴が一番良く出ているアルバムは先述した『My People』(96) だろう。これはおそらくザヴィヌルの音楽の集大成というべき作品だと思う。ウェザーリポート解散後のザヴィヌル作品のなかでは、これが一番好きだ。
 このアルバムはグラミー賞のワールド・ミュージック部門にノミネートされたというが、ジャズやフュージョンではなくワールド・ミュージックとジャンル分けされたことは、むしろザヴィヌルにとっては本望だったのではないか。
 そして、そのようなザヴィヌルの音楽とウェザーリポートを聴き比べて思うことは、音楽を作り出す精神のような部分で、根本的に違うものだということだ。
 ザヴィヌルの音楽は、それはそれで魅力的であり完成度も高いものだと思う。しかし、それはウェザーリポートの音楽を構成する一要素でしかない。ウェザーリポートの音楽の真実の魅力は、そのようなザヴィヌル的な要素をカラーとして加えながら、全体としては変化に富んだスタイルでスリリングなエレクトリック・ジャズを展開したことににあると思う。そしてそれを成し遂げたのはザヴィヌルではありえない。と、ザヴィヌルの作品を聴いていると確信するばかりだ。



03.12.27




   ■アルバム紹介


                                                      
"The Best of Cannonball Adderley The Captol Years"  1962-69 (Captol)
Ben Webster & Joe Zawinul "Soulmates"  1963 (Riverside)
Joe Zawinul "Money in the Pocket"  1965 (Atco)
Joe Zawinul "The Rise & Fall of the Third Stream"  1967 (Vortex)
Miles Davis "In A Silent Way" 1969 (Columbia)モ★
Miles Davis "Bitches Brew" 1969 (Columbia)モ★
Joe Zawinul "Zawinul" 1970 (Atlantic)モ★
Weather Report "Weather Report" 1970 (Columbia)モ★
Weather Report "I Sing the Body Electric" 1971-2 (Columbia)モ★
Weather Report "Live in Tokyo" 1972 (Columbia)モ★
Weather Report "Sweetnighter" 1973 (Columbia)モ★
Weather Report "Misterious Traveller" 1974 (Columbia)モ★
Weather Report "Tale Spinnin' " 1975 (Columbia)モ★
Weather Report "Live and Unreleased" 1975-83 (Columbia)モ★
Weather Report "Black Market" 1976 (Columbia)モ★
Weather Report "Heavy Weather" 1976 (Columbia)モ★
Weather Report "Mr.Gone" 1978 (Columbia)モ★
Weather Report "8:30" 1979 (Columbia)モ★
Weather Report "Night Passage" 1980 (Columbia)モ★
Weather Report "Weather Report (81)" 1981 (Columbia)モ★
Weather Report "Procession" 1982 (Columbia)モ★
Weather Report "Domino Theory" 1983 (Columbia)モ★
Weather Report "Sportin' Life" 1984 (Columbia)モ★
Joe Zawinul "Dialects"  1985 (Columbia)
Weather Report "This is This" 1985-6 (Columbia)モ★
The Zawinul Syndicate "The Immigrants"  1988 (Columbia)
The Zawinul Syndicate "Black Water"  1989 (Columbia)
Salif Keita "Amen" 1991 (Columbia)モ★
The Zawinul Syndicate "Lost Tribes"  1992 (Columbia)
Joe Zawinul "My People"  1996 (Escapade Records)
Joe Zawinul "World Tour"  1997 (Zebra)
Deep Forest "Comparsa"  1998 (Epic Sony)
Joe Zawinul "Faces & Places"  2002 (Victor)















  ■『The Best of Cannonball Adderley The Captol Years』 1962-69


     Nat Adderley (cornet) Cannonball Adderley (as) Joe Zawinul (p,key)
     Sam Jones, Victor Gaskin (b) Roy McCordy (ds) /他

 申し訳ないが、この時代のキャノンボール・アダレイのアルバムはこのベスト盤しか聴いてない。しかしこれはいいアルバムだ。個人的にはキャノンボールの全キャリア中、この時代(とくに66年以後)が一番いいのではないかと思う。
 正直、マイルスと一緒にやった『Somethin' Else』よりこっちのほうが好きだ。『Somethin' Else』はやたらとバリバリ吹き過ぎてて、聴き疲れするからだ。最初のうちはいいな……と思って聴いていても、一枚聴き終わらないうちに、だんだんうんざりしてきてしまう。
 ところがこの時代のキャノンボールは余裕が出てきたかんじで、盛り上げるところは大いに盛り上げるが、引くときはきちんと引く、緩急の差のある演奏をしている。
 白眉というべきはヒットした"Mercy Mercy Mercy"ではなく、"74 Miles Away"だ。これは、このアルバムを実際に聴けば誰でもそう思うのではないか。67年の録音で、ザヴィヌル作の曲である。66年以後のこの時期は、キャノンボールのバンドでのザヴィヌルの存在はかなり大きなものになっていたのではないか。
 この時代のキャノンボールのアルバムをもっと聴いてみたいのだが、あまりCD店で見かけない気がする。(それほど熱心に探してないせいかもしれないが)




リストに戻る。



  ■Ben Webster and Joe Zawinul『Soulmates』 1963   (Riverside)


     Ben Webster (ts) Joe Zawinul (p) Sam Jones, Richard Davis (b)
     Philly Joe Jones (ds) Thad Jones (tp)

 ベン・ウェブスターとザヴィヌルの双頭リーダー名義のアルバムだ。
 これ以前には、ザヴィヌルのリーダー作としては、こちらでわかってるかぎりでは、ピアノ・トリオ+コンガの編成で、スタンダードを弾いたものがあるだけである。(未聴)
 内容はといえば、この頃のベン・ウェブスターの他のリーダー作とかわらない、渋いソウルフルなジャズだ。ザヴィヌルはアコースティック・ピアノを弾き、半分はワン・ホーン、半分はサド・ジョーンズのトランペットを加えたクインテットの編成で、ソウルフルな大人のジャズをやっている。
 ザヴィヌルは1曲しか曲を提供していなく、演奏面でみても特にサイドマンという以上の活躍をしているようには見えない。なんで双頭リーダー名義にしたのかはわからない。ベン・ウェブスターがこの将来のありそうなピアニストにチャンスを与えようとしたのだろうか。
 ただし、伝統的なピアノ演奏の枠内で見れば、この時期のザヴィヌルのピアノ演奏は充分魅力的である。たんに演奏者として見るなら、ウェザーリポート時代より魅力的かもしれない。




リストに戻る。



  ■Joe Zawinul『The Rise & Fall of the Third Stream』67
 Joe Zawinul『Money in the Pocket』65   (Vortex/Atco→Rhino)



 この2作のアルバムは現在ではライノから2in1で出ている。もともと『The Rise & Fall …』が30分ほどの短いアルバムだったからで、カットされた曲はないようだ。
 録音順からいくと、後に入っている『Money in the Pocket』のほうが先なので、この作から。
 曲は全8曲中3曲がザヴィヌル自身の作であり、他はメンバー作の曲とスタンダード。演奏は3管セクステットによる5曲と、ピアノトリオによる3曲という内容。スタイルは基本的には普通のハードバップであり、表題曲が "Watermelon Man" を思わせる8ビートのナンバーである点が気をひくぐらいだろうか。参加メンバーもジョー・ヘンダーソンが注目される以外は、いわゆるハード・バップの顔ぶれである。
 いっぽう『The Rise & Fall of the Third Stream』のほうはというと、これは全曲がウィリアム・フィッシャーという人の作編曲であり、ザヴィヌルが書いた曲は1曲もない。また、フィッシャー自身サックス・プレイヤーとして演奏にも参加している。それならザヴィヌルじゃなくてフィッシャーのソロ作なのでは、と言いたくもなるが、この二人のコラボレーションの仕方がどういうものだったのかはわからない。フィッシャーという人についてもよく知らない。
 タイトルにある「サード・ストリーム」とはジャズとクラシックを融合させた音楽のことで、同時代のギル・エヴァンスなどもこの範疇に入る。つまりジャズとクラシックのフュージョンのことだが、この時期にはまだロックやファンクはジャズと融合させるほどの方法論を持った音楽として認知されていなかったようだ。
 メンバーはヴィオラ3人やチェロ等加えた計11人の小オーケストラといった編成による演奏で、クラシックとジャズとの融合という点でいえばそれなりに成功しているように思う。が、正直、それほど新鮮な魅力というのは感じなかったのだが、それはいまの耳で聴くからなんだろうか。
 この後『Zawinul』(70) までザヴィヌルのソロ作はないわけなんで、マイルスはこのあたりを聴いてザヴィヌルをバンドに誘ったのだと思いたいところだが、正直そんなふうには聴こえない。『Money in the Pocket』は普通のハードバップだし、『The Rise & Fall …』は作編曲を行っているのはフィッシャーだ。『Zawinul』の前段階という感じもしない。
 そのへんは、アルバムとしてリリースされたものを聴いただけではわからないところなのかもしれない。




リストに戻る。



  ■Joe Zawinul『Dialects』 1985   (Columbia)


   Joe Zawinul (syn, key, voice)
   Bobby McFerrin, Carl Anderson, Dee Dee Bellson, Alfie Silas (voice)

 ウェザーリポートの活動中に制作されたザヴィヌルの唯一のソロ・アルバムである。もっとも、この時点では既にウェザーリポートは崩壊していたといってもいいが。
 本作は打ち込みによるリズムだけをバックにほぼザヴィヌル一人によって演奏された、ほんとうにソロ・アルバムとなっている。それに追加されているのはボーカリストの声だけだ。
 そのため、サウンドはほとんどテクノ・ポップのような印象もあるのだが、打ち込みとバンドによる生楽器演奏の感触の違いを別にすれば、この後のザヴィヌル・シンジケートの音楽や、これ以前のウェザーリポートの一部と同じタイプの音楽だといっていい。つまり、ザヴィヌル・シンジケートはこのようなサウンドを生バンドで再現したグループだといっていいし、事実(ライヴ演奏を聴くとよくわかるのだが)ザヴィヌル・シンジケートにおいてザヴィヌルがバンドに求めているのは爆進する機械のような演奏であり、演奏者間の対話性など求めていない。つまり、ザヴィヌルがバンドの他のメンバーに求める演奏が、よくできた打ち込み程度の役割であるから、打ち込みのみでサウンド作りをすることにも抵抗がないのではないだろうか。
 そしてザヴィヌルのこのような作風は現在(2005年)まで変わりがなく、また、遡っていくとウェザーリポートの『Sportin' Life』(84) のザヴィヌル作の "Corner Pocket","Indiscretions","Hot Cargo"、あるいは『Domino Theory』(83) の "The Peasant ","Domino Theory" もこんな感じで、バンド演奏ではあってもかなり機械的な雰囲気さえあった。『Procession』(82) の "Where the Moon Goes" の前半部もこんな感じだし、もっと遡っていけば70年代後半のウェザーリポートのアルバムのあちこちに既にこの匂いがある。
 つまり、ザヴィヌルは『Zawinul』(70) におけるオーストリアの雪深い森の奥……といったかんじのトーン・ポエムの世界から、70年代半ばに南国的でダンサブルな音楽へと大きく作風を変化させたようだが、その70年代半ば以後から現在まで、ほぼ変わりなくこのような演奏を指向している。しかし、ウェザーリポートにおいてはショーターの即興演奏指向や、音楽的冒険物語的な展開のある編曲性への妥協を強いられ、また『Night Passage』(80) や『Weather Report』(81) の頃はあまりにもいいメンバーがバンドに揃ったために、バンドによる演奏性・集団即興演奏路線を優先させ、充分に自分のやりたい音楽が出来なかった。逆にいえばそのような相剋から生まれたのがウェザーリポートの音楽といっていい。
 それに対し、ショーターの軛から逃れて自分の音楽をストレートに出したのが本作や、この後のザヴィヌル・シンジケートの音楽といっていいだろう。
 というわけで、本作は誰にも邪魔されない状況でザヴィヌルが自己の音楽の核の部分を提示したアルバムといってよく、その意味で重要作だというべきだろう。
 しかし、重要ではあるが、おもしろいかと聞かれるとそれは別の問題だ。ザヴィヌルという人は作編曲者としての実力は一流だが、即興演奏者としてはイマイチで、演奏面では主役をはれる人ではないと思う。そのザヴィヌルが自分の資質をカンチガイして無理に主役をはっているために、なんだか主役不在で脇役ばかりの演奏を聴いているような味気なさがあるのだ。




リストに戻る。



  ■The Zawinul Syndicate『The Immigrants』 1988   (Columbia)


    Joe Zawinul (key,key-b,per,korg pepe,vo) Scott Henderson (g)
    Abraham Laboriel (b) Alex Acuna (ds,per,vo) Cornell Rochester (ds)
    Rudy Regalado (per,vo) Richard Page, Yari More, PERRI (vo)

 タイトルの「イミグランツ」とは「移住者たち」とか「移民」といった意味。
 この間の事情を説明すると、『This is This』(85-6) の後にショーターが抜けてウェザーリポートが解散した後、ザヴィヌルはウェザーリポートの残りのメンバーに新しくギターのスティーヴ・カーンを入れた編成で「ウェザーアップデイト」というバンドを作り、短期間活動していた。しかしアルバムはリリースしてないところを見ると、おそらく『This is This』のツアーくらいの意味あいだったのだろう。その後メンバーを全員入れ替えて、新バンド「ザヴィヌル・シンジケート」を作り、これがその第一作である。
 とはいえ、ウェザーリポートの最終作の『This is This』はほとんどザヴィヌルがソロで作ったようなものだったし、その前にソロ作の『Dialects』(85) もある。では、この新バンドによる第一作はそれらとどこが変わっているのだろうか。
 基本的には同じ音楽だといえる。メンバーが全員入れ替わったにしては、むしろ変化の無さこそ特筆すべきだろう。それでもいくつか変化は見られる。
 個人的には一番大きな変化は、ボーカリストの位置だと思う。たしかにウェザーリポートにも『Dialects』にもボーカルが導入された曲はあった。しかし、本作では曲ごとに次々に登場するボーカリストが、むしろ主役を演じているように聴こえる。つまり、いままではステージの後ろや横にいたボーカリストが、本作では中央に歩み出てきてフロント・マンとして演奏している雰囲気である。ボーカル抜きのバンドだけによる演奏による曲もあるのだが、あくまで主役はボーカリストのように聴こえる。
 たぶんこれはザヴィヌルが自分の資質に気づいたという事ではないかと思う。ザヴィヌルという人は作編曲・サウンド作りの面においては優れた実力を発揮する人なのだが、演奏という面においては脇役体質というか、主役をはるには何かが足りない……という人だと思う。つまり、音楽作りの部分では中心になるが、演奏では誰か別の人を主役に立てて、自分は脇役に徹する……というのが、ザヴィヌルの資質が一番生きる立ち位置だと思う。
 ウェザーリポート以前や、ウェザーリポートも途中までは、ザヴィヌルはそういった自分の資質をよく理解して活動していた感があるのだが、ウェザーリポート末期は、どうもザヴィヌルがそれがわからなくなってしまい、主役から何から自分ひとりで何でもできるとカンチガイしてしまった時期だったのではないだろうか。本作の録音の時期にはそのカンチガイを自分でも理解して正し、新しい主役にボーカリストたちを呼んできたのではないだろうか。(ただ、個人的にはギターのスコット・ヘンダーソンはもっと前へ出してほしい気はするのだが)
 また、本作からザヴィヌルは Korg Pepe にショーターのソプラノそっくりの音を入れて、よくその音で演奏している。どうもウェザーリポートから脱皮しきれないザヴィヌルの哀しさを見るような……。




リストに戻る。



  ■The Zawinul Syndicate『Black Water』1989   (Columbia)


    Joe Zawinul (key,korg pepe,accordion) Scott Henderson (g)
    Gerald Veasley (b) Cornell Rochester (ds) Munyungo Jackson (per)
    Lynne Fiddmont-Linsey (vo,per) Carl Anderson, Kevin Dorsey (vo)/他

 前作の翌年に順調にリリースされたザヴィヌル・シンジケートの2作め。音楽的には前作とどこも変わってない、純粋な続編である。ライヴ録音の曲があるところが目玉だろうか。
 このライヴ録音の演奏がある意味で興味深い。というのも、ショーターが抜けたウェザーリポートにスティーヴ・カーンを入れた「ウェザーアップデイト」のライヴ音源を(オフィシャルではないが)聴いたことがあるのだが、このウェザーアップデイトとザヴィヌル・シンジケートはザヴィヌル以外は全員違うメンバーのはずなのだが、演奏から受ける印象はまったくといっていいほど同じである。スタジオ録音の部分を聴いても、『Dialects』(85) 『This is This』(85-6) とザヴィヌル・シンジケートは似ているのだが、ライヴ演奏はさらに似ている。
 そしてそれはウェザーリポートのライヴ演奏とは似ていないと思う。
 具体的にいうと、ウェザーリポートのライヴ演奏は開かれている感じだ。編曲され完成された音楽をショーターが崩しながら開いていき、そこから対話性が生まれ、ジャズ的なスリリングさが生まれ、自由に展開していく感じがある。しかし、ウェザーアップデイト〜ザヴィヌル・シンジケートのライヴ演奏は一点に向かって収束していく感じがある。つまり、バンドの各メンバーの演奏は編曲され完成された音楽の一部分を機械のようになぞる役割をしているだけで、演奏として閉じていて、一点に向かって走っていっている気がする。




リストに戻る。



  ■The Zawinul Syndicate『Lost Tribes』1992  (Columbia)


    Joe Zawinul (key,p,accordion,vocorder,g,kalimba,per)
    Randy Bersen (g) Gerald Veasley (b) Mike Baker (ds)
    Bobby Thomas Jr.(per, fl, vo) Lebo N., Kevin Dorsey (vo)/他


 前作『Black Water』(89) から間を2年おいてリリースされた、ザヴィヌル・シンジケート3作めのアルバムである。そして、このアルバムで「ザヴィヌル・シンジケート」というスモール・コンボにこだわったアルバム作りは終わり、次作からはザヴィヌルはもっと沢山のミュージシャンを集めてアルバム作りをするようになる。ザヴィヌルがコロンビアからアルバムを出すのも、これが最後である。
 さて、間2年をおいたことで、どんな変化があったのかというと、何も変わっていない。これら3枚のザヴィヌル・シンジケートのアルバムは、実のところ、みんな同じである。そして、現在(2005年)までのスパンで見ても、ウェザーリポート解散後のザヴィヌルのアルバムは、小編成で演奏するか大編成で演奏するかの差はあっても、印象として怖ろしいほど変化はなく、一貫している。ウェザーリポート解散後のショーターの作風が変化に富んでいるのと対照的だ。
 ザヴィヌルという人の音楽が、20年のスパンで見てこれほど変化がないということは、つまり、こういう音楽を作る人なのだろう。ザヴィヌルの作風の変化はウェザーリポート中の70年代半ばに大きな変化があったはずだが、それ以後は一貫しているのではいか。ウェザーリポートの活動中にはザヴィヌルのソロ・リーダー作はないのだが、もし作っていたとしたら、おそらく70年代半ば以後ならば、これらのザヴィヌル・シンジケートのアルバムのような内容になっていたと見るべきだろう。
 さて、ウェザーリポートはザヴィヌルがリーダーのグループだったと強弁する人がいるのだが、ぼくは本当に聞きたいのだが、そういう人たちは本当にこのザヴィヌル・シンジケートの音楽がウェザーリポートの音楽と同じように聴こえるのだろうか? もしウェザーリポートが本当にザヴィヌルがリーダーのグループだったとしたら、ウェザーリポートもこのザヴィヌル・シンジケートと同じような内容であるはずである。
 ぼくにはとてもそうは聴こえない。たしかにこの音楽の要素がウェザーリポートの音楽を形成する一要素だということは理解できるが、全体としては違う音楽だと思う。ぼくはザヴィヌル・シンジケートのアルバムをウェザーリポートのアルバムと等価に評価することはできない。つまり、ウェザーリポートはショーターとザヴィヌルの双頭グループであったために、ウェザーリポートの音楽は、ウェザーリポート解散後のショーターの音楽とも、ザヴィヌルの音楽とも、違うものになっているのだと思う。
 しかし、何度も聞くが、本当にこのザヴィヌル・シンジケートの音楽がウェザーリポートの音楽と同じように聴こえるのだろうか? 




リストに戻る。



  ■Joe Zawinul『My People』   (Escapade Records)


     Joe Zawinul (syn, key, g, b, prog, vo) Paco Sery (ds,per,kalimba)
     Gary Poulson (g) Matt Garrison (b) Arto Tuncboyaci (per,ds,vo)
     Salif Keita (vo) Richard Bona (b,vo)  /他   1996

 ぼくはザヴィヌルはこのアルバムで何かを掴んだような気がしている。内容的にこれまでのザヴィヌル・シンジケートよりずっと良くなっていると思う。
 その理由はいくつかある。まずザヴィヌルは本作ではザヴィヌル・シンジケートという小編成のグループにこだわらず、実に30人近くのミュージシャンを集めて音楽を作っている(当然、全員が一緒に演奏するのではなく、曲によって使いわけられているのだが)。ザヴィヌルは『Bitches Brew』(69) の頃から大人数を集めて編曲によってサウンド作りをすることに実力を発揮するタイプであり、このような編成はよりザヴィヌルが発揮しやすい環境であろう。むしろこれまで何でそうしなかったのかと思う。(おそらくウェザーリポートの成功経験が仇になって、小編成のグループ続けてしまったのではないのかと想像するが)
 そして第二に、その参加ミュージシャンとして、サリフ・ケイタはじめアフリカ出身のミュージシャンを大量に起用している。もともとザヴィヌル・シンジケートははっきりアフリカ指向のサウンドだったのだが、メンバー的にも狭義のジャズ/フュージョンにこだわらず、ワールド・ミュージックの方向にシフトしたのがいい結果を出していると思う。もともとザヴィヌルは狭義のジャズ/フュージョンというよりもっと広義の黒人音楽を指向するタイプのミュージシャンだと思う。
 アフリカ出身のメンバーでは特にドラムで全面的に参加しているパコ・セリーが素晴らしいし、本作ではゲストとして一部だけ参加し、後にレギュラー・メンバーにもなるリチャード・ボナはウェザーリポート解散後のザヴィヌルのバンドが世に出した最大のスターといっていいだろう。
 そして内容だが、これまでザヴィヌルの作品は『Zawinul』(70) などオーストリアの雪深い森のようなトーン・ポエムの世界と、ザヴィヌル・シンジケートなど南国的でダンサブルなものとに二分されて、ほとんど共通性が感じられなかったのだが、本作の音楽にはその両方の要素がある。
 つまり、霧深い森の奥……といったトーン・ポエムの世界が広がり、しかしその霧の向こうから見えてくるのはオーストリアの森ではなく、アフリカの大地……といったかんじの世界だ。クラシック的な編曲的な音づくりと、アフリカの黒人的なリズム、霧のような大気感と、大地から湧きあがる躍動感とが融合した、まさにこれまでのザヴィヌルの音楽のすべてがここに結実したといえる音楽だ。




リストに戻る。



  ■Joe Zawinul + The Zawinul Syndicate『World Tour』   (Zebra)


    Joe Zawinul (key,voice)  Gary Poulon (g)
    Victor Balley, Richard Bona (b)
    Paco Sery (ds)  Manolo Badrena (per)   1997.5 /11

 1997年に行われたザヴィヌルのワールド・ツアーからの生まれたライヴ盤。『My People』(96) のツアーだろうが、まさか30人近くいるメンバーを連れていくわけにもいかないので、5人編成のザヴィヌル・シンジケートによる演奏となっている。しかし、最新機器を駆使して、わりと『My People』のサウンドを再現していると思う。アメリカでは2枚組16曲収録でリリースされているが、日本盤は1枚に再編集されて、3曲少なくなっている。いくつかの音源が混じっているので曲によってベーシストが異なり、ウェザーリポートのメンバーだったヴィクター・ベイリーか、リチャード・ボナが弾いている。パーカッションにはやはりウェザーリポートのメンバーだったバドレーナが入っている。
 この時期のザヴィヌル・シンジケートは、おそらくザヴィヌル・シンジケート史上最強のメンバーといっていいだろう。リチャード・ボナ、パコ・セリーという新人も超強力なら、旧知のベイリー、バドレーナも素晴らしい。やっていることは『Black Water』(89) に収録されたライヴ演奏と変わらないのだが、迫力と躍動感が違い、まるで暴走する強力な機関車のようなリズム・セクションである。弱いのはやはりソロ奏者、卓越したインプロヴァイザーの不在で、ジャズ的魅力に乏しいのは否めないが、まあ、ザヴィヌルというのはそういう人である。
 それにしてもメンバーが充実し、ウェザーリポートに在籍したメンバーが二人もいるだけに余計感じるのは、ウェザーリポートのライヴ演奏とは違うということだ。演奏の目指している方向が全然違うと思う。
 同じ97年にはショーターのライヴ盤もブートレグだが手に入る。とくに『Live Express』はウェザーリポートに在籍したアルフォンゾ・ジョンソン入りのライヴである。この『Live Express』と本作を聴き比べてみてほしい。どちらにウェザーリポートと同じ種類の魅力を感じるだろうか。
 本作のほうに同じ種類の魅力を感じると思った人は、ザヴィヌルの音楽への興味でウェザーリポートを聴いていた人だ。その人にとってはウェザーリポートはザヴィヌルのバンドだったといえるだろう。
 しかしぼくは、断然『Live Express』にウェザーリポートと同じ種類の魅力を感じ、本作はこれはこれで魅力的だと思うのだが、違うタイプの音楽に聴こえるし、ウェザーリポートの音楽の骨格の部分はショーターの方法論で作られていた、ザヴィヌル的な要素はウェザーリポートにとっては味つけ程度のものだったように聴こえる。




リストに戻る。



  ■Deep Forest『Comparsa』 1998      (Epic Sony)



 ウェザーリポートから強い影響を受けたミュージシャン、グループは数多いが、そのうちでとくにザヴィヌルの音楽の部分に強い影響を受けたと思われるグループに、ディープ・フォレストがある。
 ディープ・フォレストは Eric Mouquet と Michel Sanchez という二人のフランス人によるユニットだが、民族音楽をサンプリングしたコラージュ的サウンドとテクノ的なリズムを融合させるという作風で、1992年に1st アルバムをリリースしている。この民族音楽+テクノというアイデア自体が特にザヴィヌルの『Dialects』(85) そのままだし、とくにアフリカの民族音楽を取り入れた1、3作めは、オリジナリティ無さすぎなんじゃないの……と思うくらいザヴィヌル色濃厚だ。
 その3作めの『Comparsa』ではリスペクトの意味を込めてザヴィヌルをゲストとして迎え、"Deep Weather" という思い入れタップリなタイトルの曲で共演している。
 ディープ・フォレストの音楽はジャズの要素はなく、純粋にスタジオで計算して組み立られたサウンドである。いわゆる「癒し系」の音楽としてとらえられ(本人たちのねらいは必ずしもそういうことではなかったようだが)その完成度の高さから、おおいに売れたようだ。
 これを聴いていて思うのは、ザヴィヌルという人の音楽は、本来であればジャズ、フュージョンのファンよりも、こういった音楽を好む人が聴くべきものではないかということだ。




リストに戻る。



  ■Joe Zawinul『Faces & Places』2002     (Victor)


    Joe Zawinul (key,syn) Bob Malach (ts) Deam Brown (g)
    Richard Bona (b) Victor Biley (b) Etine Mbappe (b,vo)
    Paco Sery (ds) Alex Acuna (per) /他

 オリジナル・アルバムとしては実に6年ぶりとなるザヴィヌルのリーダー作である。6年もたったのだからどれだけ変わったかと思うと、ほとんどまったく変わっていないところがザヴィヌルらしいといえばザヴィヌルらしい。とはいえ、前作『My People』(96) が個人的にはウェザーリポート後のザヴィヌルの最高作だと思っているから、その路線をそのまま継承した本作も、たしかに新鮮味はないが、ザヴィヌルの最高水準のアルバムだと思う。
 それでも変化している点を探すとすれば、全体的にアフリカっぽさが薄まり、ヨーロッパ的・内省的な面が増している点だろう。タイトルの『Faces & Places』とはザヴィヌルがいままで出会った人々の「顔」、訪れた数々の「場所」のことであり、ザヴィヌルがいままでの人生を振り返った内容のようだ。しかし、アフリカや南国もまたザヴィヌルがいままで訪れた重要な「場所」であり、そこで出会った黒人たちの「顔」もザヴィヌルにとって重要なものなわけだから、アフリカっぽさも健在で、それほど大きく変化しているわけではない。
 参加メンバーは相変わらず多彩だ。実はザヴィヌル・シンジケートはリチャード・ボナとパコ・セリーがグループを去ってから低迷期だったらしいが、本作ではその二人もゲストとして戻ってきており、また、完全にザヴィヌルの御助けマン化したヴィクター・ベイリーや、同じくウェザーリポートに在籍経験のあるアクーニャなども参加し、演奏を盛り上げている。



05.5.20



ザヴィヌルのリストに戻る。

ショーターのリストに戻る。

『ウェイン・ショーターの部屋』



このホームページに記載されている内容の無断引用・無断転載等を禁じます。
(c) 2004 Y.Yamada