はじめに/このページのねらい




■ショーターの全体像を聴こう。


 本ページのねらいは、ウェイン・ショーターの音楽の全体像をとらえて聴くことだ。
 ショーターは活動期間も長く、作風も何回か大きな変化を遂げているので、どの時期の音楽が好きか、好みが分かれてくるのも、ある程度は自然なことだとは思う。
 しかし、それにしても、さまざまな本やインターネットのホームページを見ても、一般のファンはおろか、音楽評論家の文章でも、ショーターの音楽のうち自分の好みに合った部分だけを褒め、ついていけない部分は否定したり、ケナしたりする程度の批評ばかりにしか、なかなかお目にかかれない。
 例えば、60年代のアコースティック・ジャズ時代の作品によってショーターの魅力を知った人間の多くは、70年代、とくにその後半からのウェザーリポートの作品はザヴィヌルの作品であると思い込もうとし、80年代の『Atlants』以後の世界は何かの間違いだと思おうとするか、あるいは単にショーターが思いきり吹いているから、それでよい……といった消極的な評価しかできないでいる。
 また、70年代後半のウェザーリポート作品からショーターを聴き始めた人の多くは初期のウェザーリポート、『Sweetnighter』までの作品は、もうすでに理解できない様子である。
 また、60年代からウェザーリポート時代までは理解できても、『Atlants』以後にはついていけてない人もいる。

 どちらも「ショーターの音楽というのはこういうもの」「ウェザーリポートの音楽というのはこういうもの」といった固定観念にとらわれてしまい、その固定観念を超える部分のショーターの魅力を理解できていないのだ。
 しかし、いくら変化に富んでいるといっても、一人の人間が生み出した音楽であるから、根底の部分で一貫性がないわけがない。また、ショーターは例えばチック・コリアのように、あちこちに手を出しては引っ込めるという、一貫性の感じられない活動をしてきたわけではない。ショーターの作風の変化は徹底的ではあっても着実なものだ。
 そのような変化の奥にある一貫性がわからないということは、つまりショーター作品の魅力が本当はわかっていないことに通じる。そして、それでいて自分の趣味に合った部分を他人に勧めるような批評というのは、例えば他国の文化をまったく理解しようとせず、単に自分の口に合った部分だけをつまみ食いして喜ぶといった、最悪の観光客的態度であろう。
 つまり、ヨーロッパ文化やルネサンスとは何かをまったく理解していない観光客が、モナリザを一目見たことがあるといって自慢して喜んでいるような、ノーテンキな愚かしさを感じるのだ。そのような観光客が悪いという気はない。しかし、評論家の文章までが、その類のものしか書かれていなく、どの本等を読んでもその程度のものしか読むことができないとしたら、それは問題だろう。
 したがって、ショーターの全体像を見る。つまみ食い的に好みに合った部分だけではなく、ショーター全体の、ショーターそのものの魅力を聴いていこうというのが、このページの主旨だ。





■どれを聴けばいいのか。


 あるミュージシャンの全体像を見るのはどうしたらいいのだろうか。
 ここではショーターの参加作(アルバム)をできるかぎり紹介していく方法をとろうと思う。もちろんCDを聴いただけではそのミュージシャンはわからないという考えの人もいるだろうが、過去のコンサートに行くことは出来ず、現在となってはライヴ盤でしか聴くことはできない。
 だが、ショーターのアルバムを紹介する場合、ソロ・リーダー作だけ紹介するようなものもよく見かける。たしかに作編曲を含めてショーターの音楽を総合的に見るにはソロ作が一番ではあるが、このようなやり方にはかなり問題がある。二つ理由を上げると、

 第一に、ショーターには、ジャズ・メッセンジャーズの音楽監督時代、マイルス・バンドの実質的リーダーだった時代、またウェザーリポート時代の作品など、たしかに名義的にはショーター名義ではないにしても、音楽的なリーダー・シップをとって作ったアルバムが多数ある。これを聴かないで、ショーターの全体像がわかるわけがない。

 第二に、インプロヴァイザー・タイプのミュージシャンの場合、自己のソロ・リーダー作よりも、サイドマンとしての参加作品でより素晴らしい演奏をすることが多くある。ショーターも半分インプロヴァイザー・タイプの要素も持ったミュージシャンなので、インプロヴァイザーとしてのショーターの真骨頂を聴くには、サイドマンとしての参加作も聴く必要がある。

 ということだ。
 それぞれについて、もう少し詳しく説明しておこう。

 まず、ソロ・リーダー作について。これについては説明はいらないと思うが、もちろんショーターにもソロ名義のリーダー作がある。ショーターの場合、活動期間が長いわりには、比較的数は少ない。
 
 次に、実質的なリーダー作や、バンド名義のリーダー作について、ちょっと説明しておこう。
 ショーターは'59年から'64年まで、「Art Blakey and the Jazz Messengers」というバンドに在籍したが、このバンドはドラマーのアート・ブレイキーが若いジャズマンの育成の目的もあって結成したバンドで、ブレイキーは人間関係およびビジネス上のリーダーシップはとるが、音楽上のリーダーシップはその時々の才能ある若いバンド・メンバーに音楽監督というかたちで委ねる方式をとっていた。
 ショーターは60年の8月のセッションあたりから、この音楽監督として音楽上のリーダーシップをとり、64年の脱退まで続いた。この期間に録音したメッセンジャーズのアルバムは、音楽的にはショーターのリーダー作と見ることができる。
 さて、その後、ショーターはマイルス・バンドに加入したが、マイルス・バンドにおいても、67年まではマイルス以上に、むしろショーターがリーダーシップをとっていた期間が続いた。
 その後、70年にショーターは、ジョー・ザヴィヌルらとともに「ウェザーリポート」というバンドを結成するが、当然これも(最後の2枚いがいは)双頭リーダー作と見ることができる。(ウェザーリポートはザヴィヌルがリーダーシップをとっていたとする説があるが、これが間違いなことは別項で説明する)
 これだけ加えても、実質的なリーダー作の数はかなり増えることになる。

 次に、サイドマンとして参加した作品。先に書いたとおり、ショーターの場合これも聴きのがせないものが多い。それはショーターがインプロヴァイザー型のミュージシャンでもあるからだ。(このことについては別項で説明する)
 例えば50年代のリー・モーガンを見るとよくわかるが、インプロヴァイザー型のミュージシャンの場合、他人のリーダー作で、むしろ真骨頂というべき名演をすることが多い。ショーターの場合もそのような名演は多いし、リーダー以上の存在感を発揮して、バンドを乗っ取ってしまったように見える演奏も多い。
(もちろん、中にはちょっと顔を出しただけみたいなかんじで、聴く必要もない参加作もある。これは個々について解説する)

 それこれを考え合わせると、ショーターの全体像を知るために聴くべきアルバムはかなりの数にのぼるが、それでもジャズマンとしては、活動期間が長いわりには、めちゃくちゃ多いというほどではないと思う。
 それに、似たような内容のアルバムが何枚となくあるというのではなく、一枚一枚がかなり変化に富んでいるので、集めて聴いていくのも楽しいと思う。
 それに、サイドマンとしての参加作では、ジャズ、フュージョン系に限らず、ワールド・ミュージック系や、ロック、ポップス系など、それも一流のミュージシャンとの共演が多いので、ショーターの参加作を聴いているとそれだけいろいろなタイプの音楽(それも良い音楽)を聴くことができ、聴く音楽の世界が広がっていくという副産物もある。





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