ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1992-94年




   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





  Ritual Beating System "Bahia Black"   92    (Axiom)


01、Retrato Calado   
02、Capitao do Asfalto   
03、The Seven Powers
04、Uma Viagem del Baldes de Larry Wright   
05、Olodun   
06、Guia Pro Congal   
07、Gwagwa o De
08、Follow Me   
09、Nina in the Womb of the Forest   

    「03」「07」
    Wayne Shorter (ss) Herbie Hancock (p) 
    Olodun (ds)


 80年代にハービー・ハンコックと組んで『Future Shock』他のアルバムを作り上げたビル・ラズウェルがプロデュースし、ワールド・ミュージックを素材に多くのミュージシャンを集めて作り上げたアルバム。どうもビル・ラズウェルという人はこの手のアルバムをいくつも作っているらしいが、よくは知らない。
 本作で中心となっているのは、10人にもおよぶアフリカ打楽器奏者の集団、オロドゥンと、ボーカル&ギターのカルリーニョス・ブラウン。その他、曲ごとに様々なミュージシャンが入り乱れて登場する。
 ショーターが参加しているのは上記の2曲だけだがいずれも長めの曲で、合計15分ほど、アルバム全体の3分の1強の部分になる。

 なんというか、ジャケット等を見ると、キワモノ的雰囲気がぷんぷんするアルバムだ。しかし、ショーターが参加した2曲のみについていえば、わるくない。
 2曲ともオロドゥンによるリズムをバックに、ショーターとハンコックが対話的な演奏を繰り広げた演奏で、2曲とも作曲者はハンコック、ショーター、オロドゥンの共作とクレジットされている。おそらく実際は、オロドゥンのリズムだけが最初に録音してあり、ショーター、ハンコックの2人がそれをリズム・ボックスがわりに使って演奏したという所ではないか。ショーター、ハンコックの演奏にきわめて対話性があるのに対して、オロドゥンはずっと同じペースで叩いてるだけだ。オロドゥンのリズムの部分をカットしてしまえば、ショーターとハンコックの、かなり良質のデュオ演奏が聴けるのではないか。
 どうも対話性のない演奏というのはうるさく感じられるもののようで、オロドゥンのパーカッションがうるさく感じられる点があるのは仕方ないが、それさえ無視すれば余計な編曲はされてないぶん、ショーターもハンコックもずっと出ずっぱりで、計15分にわたってたっぷりショーターとハンコックの演奏を聴ける。もしオロドゥンの音を小さくしてリミキシングしたら、もっと音楽的になる気がする。
 "The Seven Powers" は神秘的で優美なメロディの、かなりの名曲だし、"Gwagwa o De" はさらにテンションが高く、親しみやすいメロディなどといったものからかけ離れたところで、緊張感にあふれたアドリブが繰り広げられる、かなりの名演だ。(ところどころにシンセかオーケストラのような音が入っているが、くわしくは不明)
 
 他の曲に関しても、それぞれのミュージシャンのファンの人からすると、それなりに満足のいく演奏かもしれない。
 けれども個人的にはやはり、プロデューサーが中心になって、多くのミュージシャンを集め、接ぎ木するようにして音楽を作っていく……というアルバムの作り方はあまり好きになれない。音楽はやはり演奏者が中心となって、プロデューサーはいかにそのミュージシャンの魅力を引き出すかという姿勢で仕事をしているタイプのものが好きだ。
 まあ、それでも先述のとおり、ショーター参加の2曲のみを聴くと割り切って聴くなら、ショーター・ファンには満足のできるアルバムだと思う。


03.9.14


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   A Tribute to Miles    (Warner Bros.)
   『トリビュート・トゥ・マイルス』


01、So What (Live)
02、Rj
03、Little One
04、Pinocchio
05、Elegy
06、Eighty One
07、All Blues (Live)

    Herbie Hancock (p) Wayne Shorter (ts,ss)
    Ron Carter (b) Wallace Roney (tp)
    Tony Williams (ds) 1992.9.19/


 マイルスの一周忌ということで企画された全世界ツアー。そのライヴ録音2曲に、スタジオで録音された5曲をプラスしたアルバム。
 本作はその圧倒的な演奏内容にグラミー賞受賞など賞賛の声もあれば、否定意見もあるアルバムだ。その否定理由の最たるものは、これがマイルスのトリビュートになっているのかというものだ。
 確かに、このメンバーでライヴ・ツアーを行えば、どう考えても聴衆が期待するのは「トリビュート・トゥ・黄金クインテット」であり、「V.S.O.P.よ、もう一度!」であって、マイルスがどうっていうもんではないだろう。
 さらには、このメンバーでの圧倒的な演奏を聴かされれば、実は黄金クインテットにはマイルスなんていらなかったんじゃないかという気にもなってくる。それは一面の事実でもあるのだが、それをいっちゃあおしまいだ、しかもトリビュート盤で。
 ま、個人的にはマイルスのトリビュートなんてタイトルはどうでも良くて、単にマイルスが亡くなったんで、元黄金クインテットの4人が集まってみました、というだけでいいし、90年代版V.S.O.P.を期待する聴き方でいいんだと思う。
 それでは、本作はマイルスのトリビュートになってないのかといえば、やはりなっているのだ。
 それは卓越したバンド・リーダーだったマイルスにとって、「マイルス・バンド」こそがマイルスの作品であり、中でも「黄金クインテット」こそが、マイルスの最高傑作であるからだ。
 「黄金クインテット」でマイルスがした仕事とは、このメンバーを集めてバンドを組んだ事である。後はメンバーどうしが勝手に刺激しあって、マイルスが何もしなくても、バンドはどんどん先へ進んでいった。つまりそのようなメンバーの揃えたバンドを組んだことこそが、マイルスの最良の仕事だったのである。
 だからマイルスを追悼して、マイルスの最高の仕事であったバンドを聴衆に聴かせる。これは当然マイルスへのトリビュートだ。

 さて、内容に移ろう。
 先に「90年代版V.S.O.P.」と書いたが、やはり本作の内容はV.S.O.P.とは大分違ったものになっている。それはハバードが抜けてウォレス・ルーニーが入ったためという理由もあるだろうが、やはり元メンバー4人がV.S.O.P.とは違ったものを作ろうと意識していることが大きいだろう。
 それはライヴ録音中心だったV.S.O.P.に対して、本作では全世界ツアーを行っておきながら、そこでのライヴ録音は2曲にとどめ、5曲をスタジオで録っている事にもうかがえる。そして、その2曲のライヴ録音さえ、V.S.O.P.とは大分違う。
 どこが違うかというと、V.S.O.P.のいかにも大観衆を前にしたような派手でパワーで押していくスタイルは影を潜め、本作の演奏はより内省的で鋭く尖ったものになっている。V.S.O.P.は青空の下の野外会場が似合いそうだが、本作は薄暗い地下室が似合いそうだ。つまり、本作はV.S.O.P.より、黄金クインテット時代に近い演奏になっている。
 この変化をもたらしている一番の理由は、おそらくトニー・ウィリアムズだと思う。新参加のウォレス・ルーニーは当時トニーのアコースティック・バンドのメンバーだったわけだし、トニー自身この頃はアコースティックづいていた。どうも本作でのトニーの存在感は V.S.O.P.の時よりぐっと前に出ていて、ハンコックのピアノの響きも、トニーに引っ張られているように感じる場面が多々ある。
 ハバードの陽気さがなくなり、トニーの鋭さが前へ出たことが、V.S.O.P.との一番の違いではないか。たぶん大抵の人にとっては本作は V.S.O.P.より親しみにくい音楽に聴こえるだろう。が、個人的にはより深くなっていると思う。

 1曲めの"So What"はライヴ録音。黄金クインテット時代の同曲に近い雰囲気で、冒頭から突っ走るトニーのドラムに乗って、新鋭ウォレス・ルーニーが飛ばす。このへん、 V.S.O.P.にはなかった味がよく出ている。ショーターのソロは外し気味にブローしていて、どうもいまさらこの曲を正面からやる気になれなかったような気も。ハンコックのピアノはきわめて硬質だ。
 つづく"Rj"からスタジオ録音部分が始まるが、トニーの演奏の勢いはむしろライヴ以上だ。ルーニーもそれを受けて飛ばすが、ショーターは勢いを抑えた内省的な味わい重視の演奏に変わっていて、「スタジオ的」になっている。個人的にはこちらのほうが好きだ。
 つづくバラード、"Little One"。やはりこのような曲だとルーニーにはまだマイルスのような深みがないな、と思ってしまう。続くショーター、ハンコックのソロは実に深い。
 続いては本作唯一のショーターのオリジナル、"Pinocchio"。アコースティック・バンドでソプラノでソロをとるショーターは、みょうに新鮮な感じだ。ここでもトニーがバックからいろいろと仕掛けてくる。このメンバーで演奏するのが楽しくてしかたがないという風情。
 つづくトニー作のバラード、"Elegy"。ドラムが抑えたリズムを叩き、ショーターとルーニーはアンサンブルでテーマだけを吹き、ハンコックがソロを弾きまくるという内容。たんなる黄金クインテットの再会ではなく、別のことをしようとする意欲を買いたい。すごく心地よい演奏だ。
 つづく"Eighty One"が、本作中ショーターが最も飛ばしている曲だと思う。しかし、勢いが飛んでるのではなく、精神が飛んでる。ほとんど曲を超えた次元で、不気味なソロを吹きはじめるショーター、それにトニーとハンコックが的確に合いの手を入れていくところを聴くと、やはりチームワークのいいメンバーなんだと再認識する。
 ラストは再びライヴ録音で、"All Blues"。長い長い、しかし緊張感にあふれたバラード演奏で本作をしめくくる。各人とも長いソロ・スペースが与えられているが、ここではハンコックのソロ部分が鬼気迫るパワーを感じる。


03.7.17


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Mucus Miller "The Sun Don't Lie"       (PRA)
   マーカス・ミラー『ザ・キング・イズ・ゴーン』


01、Panther  
02、Steveland
03、Rampage  
04、The Sun Don't Lie  
05、Scoop  
06、Mr.Pastorius  
07、Funny  
08、Moons  
09、Teen Town  
10、JuJu  
11、The King is Gone
12、'Round Midnight  
  
   「02」
   Mucus Miller (b,key,per-prog,b-cl)
   Wayne Shorter (ts) Jonathan Butler (g)
   David Sanborn (as) Lenny White (ds)
   Don Alias (per) Eric Persing (sound-prog)

   「11」
   Mucus Miller (b-cl,b,key) Wayne Shorter (ts,ss)
   Tony Williams (ds) Eric Persing (sound-prog)
                           1993


 説明するまでもないだろうが、マーカス・ミラーは80年代に登場したベーシスト、プロデューサーで、マイルスも晩年は彼にオンブにダッコでアルバムを作っていたという実力派だ。
 本作は彼の知名度のわりには数多くないソロ作の一つ(9年ぶりだそうだ)で、彼の豊富な人脈を物語るように、多数の豪華ゲストが参加している。
 ぼくとしてもミラーのベースは大好きだし、プロデューサーとしての実力も否定する気はない。ただし、自分がリーダーとなった時のアルバムの作り方には疑問がないでもない。
 例えば本作は、こんな多数の豪華ゲストを呼んだ意味がない。
 具体例を上げれば、ショーターが参加した2作のうち"Steveland"。この曲にはショーターのほかデヴィッド・サンボーンも参加しているが、どう聴いたってこの曲にサックス奏者は二人はいらない。合奏するわけじゃなし、インタープレイがあるわけでもない。つまり「有名なサックス奏者が2人も参加してますよ」という「売り」以外の音楽的必然性があっての起用とは思えないのだ。
 もう一曲の"The King is Gone"もそうだ。この曲ではミラー本人がバスクラを吹いているが、ホーン奏者は一人でいい曲だ。ショーターを起用するならショーター一人に任せればいいし、自分で吹きたいのならショーターを起用せず、一人で存分に吹けばいい。
 大体すべてのゲストに対してそんなかんじだ。自分のやりたい音楽に対して、必要なミュージシャンに参加してもらったのではなく、とりあえず有名な名前をたくさん並べとけば派手でいいだろう……みたいな思惑を感じてしまうのだ。

 それでもショーターの聴きどころを見てみよう。
 まず、"Steveland"。好意的に見ればショーターとサンボーンの演奏スタイルの対比を聴くことができる。抽象的で愛想がないショーターと、親しみやすく泣かせるサンボーン。しかし、どちらもごく短いソロだ。
 "The King is Gone"のショーター演奏部分は、フュージョン的内容のこのアルバムの中では最もジャズ的に盛り上がる部分ではないか。

 基本的には、ミラーの演奏・編曲を聴くアルバムだろう。ゲストなど期待しなければ、腹も立たない。
 しかしそうであるなら、本来ミラーは自分がやりたい音楽を実現させるために必要なミュージシャンだけを集めて作品を作るべきだったのであり、このような多数の有名ミュージシャンを名前だけ揃えるという態度には、やはり疑問がある。
 なお、本作の邦題を『ザ・キング・イズ・ゴーン』とし、故マイルスの演奏が収録されていることを大字で書いて、マイルスのトリビュート・アルバムのように見せかけたのは、日本のレコード会社の方針のようだ。内容的にはマイルスとジャコ・パストリアスを同じ比重でトリビュートしている。生前残していたテープのマイルスの演奏もたいしたことない。マイルス、マイルス、と書いとけば売れるの判断だろう。


03.3.14


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Material "Hullucination Engine"    (Axiom)
   マテリアル『ハリューシネイション・エンジン』


01、Black Light
02、Mantra
03、Ruins (Submutation Dub)
04、Eternal Drift
05、Word of Advice
06、Cucumber Slumber (Fluxus Mix)
07、The Hidden Garden / Naima
08、Shadows of Paradise

   Bill Laswell (b,etc.) Wayne Shorter (ss,ts)
   Nicky Skopelitis (g,sitar,syn) Bernie Worrell (elp,org)
   William S.Burroughs (voice) Bootsy Collins (b)
   Sly Dumbar (ds) Aiyb Dieng (per) /他     1993


 ハービー・ハンコックと組んで『Future Shock』などのアルバムを作ったビル・ラズウェルのグループ(というよりプロジェクトと呼ぶべきだろうか)、マテリアルへのショーターの参加作品だ。
 ラズウェルとの共演はこれまでにもハンコックの『Sound System』(83-4) Ritual Beating System の『Bahia Black』(92) で実現しているので3回めとなり、この後にもハンコックの『Future 2 Future』(2001) でも共演しているが、今回はラズウェル自身のプロジェクトへの参加ということで、最もラズウェルの本音に近い部分での共演といえるだろう。

 「Hullucination Engine」=「幻覚機関」というタイトルがなかなかいい。  薄暗く退廃的な未来をおもわせる異空間のようなサウンドで、頽廃的なダンス・ミュージックとでもいうべきイメージだ。このラズウェルという人は多分、彼自身はインプロヴァイザーではなく、実験的で計算されたサウンドを作り上げる人であり、インプロヴィゼイションの要素を作品に引き入れるときにはゲストとして他のミュージシャンを起用する……といった音楽作りをする人のようだ。それがハンコックとのコラボレーション作業や、本作でのショーターの起用につながっていくのだろう。そのため、全体としてはインプロヴィゼイションの要素は強くはなく、フュージョンと分類するのもどうかと思われるほど。基本的には演奏性よりもサウンドを味わうべき作品だろう。
 参加メンバーは数多く、曲ごとの参加メンバーがクレジットされていないので、誰がどの曲に参加しているのかはわからない。ショーターに関しては上記の3曲だろう。他の参加メンバーではウィリアム・バロウズ(「05」でラップ風のボイスで参加している)や P-Funk のブーツィー・コリンズなどが、ショーターの共演者としては異色だ。
 即興演奏性の強い作品ではないので、共演者とのスリリングなインタープレイが聴けるわけではなく、あくまで編曲の枠内での演奏となる。しかし、こういった浮遊感あふれるSF的なサウンドとの共演は、けっこうショーターとよろこんでやったのではないか。もちろんショーターの音色・演奏は見事にサウンドに合っている。
 ショーターの演奏だけとってみれば他と比べて特にどうというものでもないが、ショーターを好きになるようなタイプの人にとっては、けっこう趣味の合うという人の多いアルバムなのではないか。



04.6.2


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Joni Mitchell "Turbulent Indigo"       (Reprise)
   ジョニ・ミッチェル『風のインディゴ』


01、Sunny Sunday
02、Sex Kills   
03、How Do You Stop   
04、Turbulent Indigo
05、Last Chance Lost   
06、The Magdalene Laundries   
07、Not to Blame
08、Borderline   
09、Yvette in English
10、The Sire of Sorrow (Job's Last Song)

   Joni Mitchell (vo,g,key,per) Larry Klein (b,per,key)
   Wayne Shorter (ss) Michael Landau (g)
   Jim Keltner, Carlos Vega (ds) /他   1994


 ジョニの前作に続くアコースティック路線で、基本的には前作の続編的な内容だ。
 本作には『風のインディゴ』という邦題がついている。原題を直訳すれば「荒れ狂うインディゴ」であり、ジャケットがジョニ自身によるゴッホの模写風の自画像とくれば、「荒れ狂うインディゴ」とはゴッホのキャンバスの上で荒れ狂っている藍色ととるのが普通だろうが、個人的にはこの邦題、悪くないと思っている。
 確かに『風の藍色』は意味不明だが、「風の」というタイトルをつけたかった気持ちはよくわかる。本作にはほんとうに風を感じるからだ。
 また、前作のタイトルは『Night Ride Home』であり、ジャケットも夜に運転中の自動車とジョニの顔のオーヴァーラップだったが、むしろ前作より本作のほうに、夜に自動車で走っているような雰囲気を感じる。
 こじんまりとしていた前作にくらべて、本作は広い空間をかんじさせるからだ。さびしいアメリカの片田舎の夜。対向車もいなく、ただただ続いていく広い道路。等間隔でつづく外灯の明かりや、窓から流れ込む夜風……、そういったものが本作には感じられる。

 さて、サウンド的に前作とどこが違うのかというと、いちばんハッキリと現れているのは、ショーターの参加曲が全体の半分の5曲に、一気に増えていることではないか。
 つまり、こういったシンプルなアコースティック・サウンドというのは、ジョニにとってすごく安定感のある、よくできた作品を作りやすいスタイルだと思う。前作ではそのまま、安定した曲と演奏を聴かせたのだが、本作では、それだけではおもしろくないと思ったのではないか。
 そこで別の要素を加えて、安定した演奏を少しづつ崩しながら開いていこうとしたのではないか。それがショーターの参加曲の増加につながり、さらに、広い空間を感じさせるサウンドへとつながっていったのではないかと思う。

 ショーターの演奏も、前作では曲によりそうように、ジョニに近いとことで演奏していたのが、本作では別の世界から聴こえてくるような響きを聴かせる場面が多い気がする。
 冒頭の"Sunny Sunday"では曲に別種のアクセントを加えるし、本当に清々しい"The Sire of Sorrow"では、ショーターのサックスによって空間がぐんと広くなっている気がする。ショーターがジョニの曲の安定感を崩しながら開いていった結果だろう。全体的に前作より演奏の自由さが増しているような印象がある。


03.4.1


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Milton Nascimento "Angelus"       (Warner Bros.)
   ミルトン・ナシメント『アンジェルス』


01、Seis Horas da Tarde (夕刻にて)
02、Estrelada (星降る大地)   
03、De Um Modo Geral... (ヂ・ウン・モード・ジェラル)
04、Angelus(アンジェルス)
05、Coisas De Minas (ミナスの情景)
06、Hello Goodbye
07、Sofro Calado
08、Clube da Esquina No 2
09、Meu Veneno (私の毒)
10、Only a Dream in Rio
11、Qualquer Coisa a Haver Com o Paraiso (楽園の場所)
12、Vera Cruz
13、Novena
14、Amor Amigo
15、Sofro Calado

  「01」「03」
  Milton Nascimento (vo,g-1,arr-1) Wayne Shorter (ss)
  Gil Goldstein Orchestra (-1)
  Wilson Lopes (g-3) Robertinho Silva (ds-3) /他   1994


 ミルトン・ナシメントのワーナー移籍第一作で70分を超える大作。個人的にはミルトンの作品の中でも特に好きなものの一つである。
 サウンドは素朴はアコースティック中心で、タイトルの「天使」があらわすように、どこか宗教的な、というか、非常に古い時代の無垢な宗教音楽・古楽めいた色彩を感じる。民族音楽の原点に戻ったといっていいかもしれない。全体としてはコンセプト・アルバム的なまとまりを見せていて、心が洗われるよう……といった感じ。
 同じアコースティック中心のサウンドであっても、ミルトンの70年代の諸作と比べると、楽器を必要最小限の数に絞り、しかし曲によって楽器の組み合わせに工夫がこらされ、様々な試みがなされている。子供の声のコーラスを使ったり、打楽器だけをバックにしたデュオや、小編成のオーケストラを使ったり。ハンコック、パット・メセニーを加えたジャズ的なセッションも3曲含まれているし、ロック風の演奏もある、バラエティ豊かな内容になっている。
 全体的に楽器を必要最小限の数に絞ったぶん個々の演奏者の比重と自由度が大きくなっていて、風通しのいいサウンドになったように感じる。曲の構成も定型から離れて、かなり自由に展開するものが目立つ。そのような意味では、全体的によりジャズ的になったという言い方もできるだとう。
 ワーナーからの第一作ということで気合いが入ったのか、ゲストも豪華だ。ショーターの他ハービー・ハンコックやパット・メセニー、ロン・カーター、ジャック・デジョネットといったジャズ、フュージョン勢のほかに、ピーター・ガブリエルやイエスのジョン・アンダーソンといった(プログレ系)ロック勢、シンガーソングライターのジェイムズ・テイラー等々……。
 しかしあくまでサウンドはミルトンのものであり、しかしその中にゲストもきちんと生かされているところがうまい。

 ショーターの参加曲は2曲しかないが、1、3曲目と目立つ位置にある。
 まず一曲目、"Seis Horas da Tarde"(夕刻にて)は音による風景画といったかんじ。ミルトンのスキャットと小編成のオーケストラによる素朴な演奏の中、ショーターのサックスが夕空を飛ぶ鳥のように響く。
 "De Um Modo Geral..." は本作のなかでめずらしいロック的な曲で、正直この曲でのショーター起用はどうかと最初は思ったが、何度か聴いているとこれはこれでいい味かもしれないと思った。ソプラノで、かなりいいソロをとっている。
 もちろんショーター不参加の部分にも聴きどころ満載だ。ジョン・アンダーソンとの南米の聖歌を思わせるデュエットや、ビートルズの "Hallo Goodbye" のいかにもミルトン的なカヴァー、名盤『Clube da Esquina』(72) では(政治的な理由で)スキャットで歌っていた曲の歌詞つきのヴァージョン、等々。そしてもちろん先述したハンコック、パットとの共演の3曲も聴きどころ。


04.1.10


『ウェイン・ショーターの部屋』

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