ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1986年〜87年




   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。




   Bobby McFerrin "Spontaneous Inventions"   (Blue Note) 
   ボビー・マクファーリン『チュニジアの夜』


01、Thinkin' About Your Body (for Debs)
02、Turtle Shoes
03、From Me to You
04、There Ya Go
05、Cara Mia
06、Another Night in Tunisia
07、Opportunity
08、Walkin'
09、I Hear Music
10、Beverly Hills Blues
11、Manana Iguana

   「08」
   Bobby McFerrin (vo) Wayne Shorter (ss)   1986.2.28


 ボビー・マクファーリンはジャズ・ボーカリストというより、声をアドリブ楽器の域まで高めようとした人。スキャットによって楽器と同じようにアドリブするのはもちろん、自分の声だけでベース、パーカッション、そしてメロディ楽器を全てこなし、それも多重録音ではなく、一発録りでもライヴでも演っているのを聴くと、やはりこれはたいへんな技術だなと思う。
 これはそのマクファーリンのブルーノートからの一作め。基本的にはマクファーリンの無伴奏ソロによる演奏(というか、リズムセクションも全部一人でやった演奏)が主だが、ハービー・ハンコック、マンハッタン・トランスファーらがゲスト参加し、ショーターも "Walkin'" でデュオによる演奏を聴かせてくれる。
 しかし、個人的な意見を言わせてもらえば、マクファーリンの技術のレベルの高さは認めるものの、こっちが聴きたいのはそのような技術を使ってどんな音楽を創り出すのかという部分なのであって、べつに技術そのものを聴きたいわけではない。
 そいういった意味で、マクファーリンの創り出したい「音楽」がどういうものなのかについて言うと、このアルバムを聴いた限りでは、あまり見えてこない気がした。
 ショーターの参加した "Walkin'" も、たしかにサックスとボイスのデュオというのは珍しいが、その珍しさを除いてしまえばそれほど音楽的に魅力的な演奏なのか。そもそも "Walkin'" という選曲がいまさら取り上げたからってクリエイティヴなものが生まれるとは思えないような曲だし、演奏自体も特に新しいアプローチをしているわけでもなく、たんに楽器編成の珍しさだけを味わうような演奏になってしまっている気がする。少なくともわざわざショーターを招いた意味があるようには思えないのはぼくだけなんだろうか。
 もちろんマクファーリンの実力を否定する気はないのだが。


05.4.26


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter  "Italy 1986"      (MegaVision)



01、The Last Silk Hat
02、Who Goes There!
03、Beauty and the Beast
04、Face on the Barroom Floor

    Wayne Shorter (ts,ss) Mitchell Forman (key)
    Gary Willis (b) Tom Brechtlein (ds)    1986


 これはブートDVDRで収録時間は48分ほど。残念ながら音質も画質もイマイチだが、録音のバランスはなかなかいいので、贅沢を言わなければ充分に楽しめる。
 さて、この演奏は「Umbria Jazz」というジャズ祭のものらしく、ステージの後ろにもそう書いてある。1986年としかクレジットされていないが、メンバーが『Zurich 1985』と一人しか変わらない(キーボードが Tom Canning から Mitchell Forman に変わったのみ)ので、『N.Y.C. 1986』より前の時期のものだろう。
 その Forman は前任者よりもソロが良い気がする。一曲目からかなりの熱演でグループを盛り上げている。一方、バックにまわったときのサウンド作りという点では、前任の Canning のほうが良い気がするのだが、もしかすると『Zurich 1985』のほうが音質がいいのでそう聴こえているだけかもしれない。
 曲目では『Zurich 1985』では曲名がアナウンスされるのみで入っていなかった "Who Goes There!" が目を引く。これと冒頭の "The Last Silk Hat" が『Atlantis』収録の曲だが、前にも書いたがこのバンド、『Atlantis』を編曲性も含めてステージ上で再現するには4人編成では手が足りない気がする。ここはむしろ『Atlantis』は忘れて、ショーターによるエレクトリック・ジャズの演奏と割り切って聴くべきだろう。そう思って聴けば、文句なしに良いバンド・良い演奏だ。
 しかし、この時期のライヴをまず一枚聴きたいというのであれば、まずは音質も良くて収録時間も長い『Zurich 1985』のほうを先に手にとるべきだろう。


09.3.9


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Milton Nascimento "A Barca Dos Amantes"   (Verve)


01、Nuvem Cigana
02、Pensamento
03、Nos Dois
04、Lagrima Do Sul
05、Louvacao a Mariama
06、Amor De Indio
07、A Barca Dos Amantes
08、Tarde
09、Nos Bailes Da Vida

    Milton Nascimento (vo,g) Wayne Shorter (ts,ss)
    Ricardo Silveira (el-g) Luiz Avellar (key)
    Nico Assumpcao (b) Robertinho Silva (ds)    1986.4


 ミルトン・ナシメントのライヴにショーターがゲスト参加した模様を記録したライヴ・アルバムである。
 ショーター参加部分は全9曲中3曲と、けして多いとはいえないが、かなり存在感のある参加だと思う。曲調からいって、この曲に参加してほしい! と思えるような曲に参加していて、存在感のあるソロをとっているので、参加曲数自体は少なくても満足できるのだ。
 ミルトン作品へのショーターの参加は、スタジオ盤の計算されたサウンドのなかで、与えられたソロ・スペースでのみ演奏するより、こういったライヴでの参加のほうが充実した結果を生む気がする。
 さて、このライヴが収録された1986年はミルトンがロック、フュージョンからの影響をとりいれてエレクトリック・サウンドへと移行していった時期である。このアルバムでの演奏も、エレキ・ギターやエレキ・ベース、シンセを使用していて、1974年の『Milagre Dos Peixes Ao Vivo』などでのアコースティック中心のサウンドからは大きく変化してきている。
 正直いうと、スタジオ盤を聴いたかぎりではこのミルトンのエレクトリック路線って、それほど好ましくおもってなかったのだが、このアルバムでのライヴ演奏を聴くとこういったサウンドもいいな……と思えてきた。シンセが広がりのあるサウンドを作りだし、その上をエレクトリックな輪郭を与えられたミルトンの音楽がリズミカルに流れていくかんじだ。
 と、思いながら聴いていると、ぼくがミルトンのエレクトリック路線をあまり好ましく思っていなかったのは、使用楽器やサウンドの変化が理由ではなく、それと同時にスタジオ録音の方法が変化し、より計算された緻密なサウンド作りをしていくようになったことに違和感を感じていたようだ。
 というわけで、計算よりノリや各メンバーの演奏性が前へ出てくるライヴの本作では、エレクトリック・サウンドとはいえ、音楽は以前どおりのミルトンそのものである。というか、使用楽器が変化したことによって新鮮な色彩に生まれかわったミルトンの音楽が聴ける。
 不満といえば、まだLP中心の時代に一枚盤として出たためか、ライヴ盤にしては演奏時間が少し短いことぐらいか。


06.9.1


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Michael Petrucciani "Power of Three"    (Blue Note)
   ミシェル・ペトルチアーニ『パワー・オブ・スリー』


01、Limbo
02、Careful  
03、Morning Blues
04、Waltz New     (bonus track)
05、Beautifl Love    (bonus track)
06、In a Sentimental Mood
07、Bimini

   Michael Petrucciani (p) Wayne Shorter (ss)
   Jim Hall (g)           1986.7.14


 80年代に登場したジャズマンの中でもピカ一というべきピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ(若くして急逝してしまったが)。本作はそのペトルチアーニと、ベテラン、ジム・ホール、そしてショーターの三人による、ベース、ドラム抜きのトリオ。モントルーでのライヴ盤である。
 トリオといってもショーターが参加しているのは3曲のみで、他はペトルチアーニとホールのデュオだ。CD化に際して新たにデュオの2曲が追加されたので、ショーター不参加曲のほうが多くなってしまった。
 個人的には、とりあえずベースとドラムが鳴ってると安心するタイプで、こういったリズム抜きのセッションは以前は好きではなかったのだが、最近はもう抵抗なく聴けるようになってきた。
 しかし本作には少々不満を感じる。ペトルチアーニはかなり強烈な音を出す人という印象があるのだが、本作ではなぜか音が弱い気がする。とくにバッキングにまわった時が弱い。このような編成ではピアノがリズム楽器の役割も果たさなければはならないので、このバッキングの弱さが音楽のスケール感を小さくしてしまってる気がする。後のハンコックとのデュオの『1+1』(97)と比べてみても、ひとり人数の多い本作のほうが、小じんまりとした印象があるのだ。
 どうしてこのようになったんだろう。単に録音の問題で、ピアノがオフ気味だったのか。この日のペトルチアーニの調子が悪かったのか。それともギターの音量に合わせようとして、わざと弱く弾いたのか。
 ま、小じんまりでも、それはそれでいいじゃないか、ということもできるのだが。

 ショーター参加曲を見ていこう。
 ショーター作の"Limbo"の再演で始まる。『Sorcerer』に収録されていた曲だが、ごく微妙に変えられていて、別の曲のようになっている。緊張感に溢れた悲劇的なメロディが、軽やかな舞曲のように変わっている。ショーターは細かく音を上下させる風のようなソロをとる。
 "Morning Blues"が本作の白眉。今度は"Limbo"とはうってかわって、サックスの音そのもので聴かせるソロで、この編成ゆえ余計な音に邪魔されずに、ショーターのサックス音をしゃぶりつくすように聴ける。ソロの後半になると少しづつ熱くなってきて、音に力が加わっていく微妙な変化も味わえる。
 この曲のショーターのソロ部分はギターの音があまり聴こえず、デュオ的なかんじ。このあたりを聴いていると、ペトルチアーニ+ショーターならば、ギターは加えないデュオのほうが良かったんじゃないかという気もしてくる。1曲でもいいから、デュオでも演奏してほしかったところだ。
 ラストの"Bimini"も軽やかな演奏で、気持ちよくアルバムをしめくくる。

 特筆すべき名盤というのではないが、いい味のある佳品だ。


03.3.3


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "Phantom Navigater"    (Columbia)
   ウェイン・ショーター『ファントム・ナヴィゲイター』


01、Condition Red
02、Mahogany Bird
03、Remote Control
04、Yamanja
05、Forbidden,Plan-iT!
06、Flagships

   Wayne Shorter (ss,ts,vo-1,lyricon-4) Chick Corea (p-2)
   Mitchel Forman (syn-1, p,key-4,6) Jim Beard (syn-3,5,6)
   Stu Goldberg (syn-2-6, key-3) Jeff Bova (syn-3)
   John Patitucci (b-2,4,5) Alphonso Johnson (b-3) Gary Willis (elb-1,2)
   Bill Summers, Scott Roberts (per-2,4 ds-prog-4, 5)
   Tom Brechtlein (ds-1) Jimmy Bralower (ds, per-prog-3)
   Ana Maria Shorter (vo-4) Gregor Goldberg (vo-6)    1986


 夕焼けの下、客船が空に浮いているジャケットが印象的だ。けれど、その手前で砂浜に立ってそれを見ている少年のシルエットのほうが重要かもしれない。
 コロンビアからのリーダー作にはライナーノーツにインタヴューが載ってないんで、アルバム・コンセプトがどういうものかはわからないのだが、個人的な印象でいえば、本作のコンセプトは「少年時代の空想……」といったものではないか。本作のLP版にはショーターが15歳の頃書いて出版したというSFコミックの一部が封入されているが、これもそのコンセプトゆえではないか。
 少年時代、風邪をひいて学校を休んだり、留守番をさせられたりして、家のなかに独りでとり残されたかんじ。誰もいない部屋での一人遊びや、空想ごっこ、自由さとともにある少し怖いかんじ……そういったものを想像させる。とくにラスト2曲"Forbidden,Plan-iT!"、"Flagships"に顕著だ。
 あがた森魚のアルバムに、少年の空想の世界旅行を描いた『日本少年(ジパング・ボーイ)』というのがあるが、あれも中耳炎で学校を休んで一人で家にいる所から始まっていた。とすると、冒頭の"Condition Red"も何を意味するタイトルなのかわからないが、ひょっとすると風邪でもひいてコンディションが赤信号という意味もあるのでは……などと連想が広がっていく。まあ、ほんそうにそうなのかどうかはわからない。

 さて、音楽的には前作『アトランティス』からさらに進化をとげている。
 基本的には前作の延長線上にあるサウンドだが、前作『アトランティス』が比較的シンプルで透明感のあるサウンド=世界観のなかで、自由自在に吹きまわり、飛びまわっていたのにくらべ、本作ではよりシンフォニックで、スケールの壮大な、複雑で起伏のある音世界を作り出している。クラシック音楽的なテイストが感じられる部分もあり、ショーターはときに幻想のオーケストラのリード楽器奏者のようにふるまっている。
 あと、本作での試みといえば、リズムに打ち込みを使用している点だろう。ただし、これは当時としては新鮮だったのだろうが、それが一般的になり進化してしまった現在の耳で聴くと、平板な印象の部分もあり、普通にドラムで叩いたほうが良かったような気がする曲もあるが、"Forbidden,Plan-iT!"、"Flagships"あたりでは効果を上げていると思う。

 冒頭の"Condition Red"。ショーターにしてはいつになくヘビー&ハードな曲だ。
 出だしのあたりは「掴み」を意識しすぎでは、という気持ちがないではなかったが、後半までのシンフォニックな展開を見ると、やはりこれはこういう形で完成させる曲なんだと思えた。この曲に限らず、本作の収録曲は一曲が長くで展開があるので、冒頭や前半部を聴いただけでこんな曲か……判断しないことがポイントだ。曲の後半部でイマジネーションのレベルが飛躍的に盛り上がっていく曲もある。
 2曲め、"Mahogany Bird"は、一般的なリズム・セクションを排して、幻想的かつクラシカルにまとめた曲。久しぶりのチック・コリアとの共演で、ショーターのアルバムでは打楽器ばかり担当させられていたチックが、初めてピアノを弾いた曲だ。ということでチックとショーターの対話もおもしろいが、基本的にはチックはショーターの引き立て役をやらされているような気も。
 しかし、マホガニーの鳥とはどういう意味なんだろう。ぜひ意図を聴きたいものだ。
 3曲めの"Remote Control"は親しみやすいメロディ・ラインの曲で、後半の多重録音によるショーターの一人アンサンブルも楽しい。ポップな曲といいたいところだが、それでも鼻歌などではかなり歌いにくいところなんかは、いかにもショーター的。
 ここまでも充分シンフォニックで、『アトランティス』とは違った魅力が感じられる。しかし、音世界のイマジネーションが一気に広がるのは後半、4曲目以後だろう。
 "Yamanja"・タイトルコールで始まる曲だが、これも何の意味かわからない。どことなく土俗的な、異境への旅を思わせる曲だ。
 そして本作の頂点というべきはラストの2曲だろう。このあたりから世界がより内省的になっていく。
 "Forbidden,Plan-iT!"。このタイトルはSF映画『禁断の惑星』(Forbidden Planet)のもじりだろう。
 曲の冒頭から、人のいない、奇妙に空間のねじれた家の中に迷い込んでしまったような気分にさせられる。リズムがドキドキする胸の鼓動のようで、不思議な焦燥感に駆られる。そのイマジネーションの広がりには魅了されるばかりだ。
 ラストの"Flagships"になるとさらに内省的になり、まるで誰かの心の内面に入り込んでしまったっような気分にさせられる。不思議な胎内的な感覚と、なつかしいようなイメージの広がり。そしてゆっくりと記憶のなかの風景へと船出していく……。聴いているあいだだけ少年の頃にもどれる気持ちだ。素晴らしい、だとか、傑作だ、などとありきたりの言葉で褒めるのは、この音楽にたいして失礼な気がしてくる。


追記)
 M.Mercer の『Footprints:The Life and Work of Wayne Shorter』によると、このアルバムのベースとなったコンセプトはショーターが15歳の頃書いたSFコミック『Other Worlds』だそうだ。だから本作のLP版にはコミックの一部が封入されていたようだ。さしたる情報もなしにぼくが本作のコンセプトは「少年時代の空想」のようなものではないかと感じていたのも、間違いではなかったようだ。


03.7.16
09.5.20


『ウェイン・ショーターの部屋』

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     Wayne Shorter "N.Y.C 1986"    (SLANG)


 
01、Plaza Real 〜 Beauty and the Beast
02、Introduction
03、Cavatina
04、Face on the Barroom Floor
05、Pinochio 〜 ?

    Wayne Shorter (ts,ss) Jim Beard (key)
    Alphonso Johnson (b,stick) Kenwood Dennard (ds)  1986.11.5


 これはブートCDRで、収録時間は全体で68分ほど。音質はオフィシャル並みで文句ナシ。1986年の11月のブルーノートでの、なごやかなムードのライヴである。時期としては『ファントム・ナビゲイター』の頃なのだが、どうもリリース直前のライヴらしく、『ファントム・ナビゲイター』収録の曲は演奏されていない。
 ウェザーリポートは1986年に解散するので、この時期はショーターが本格的に自分のバンドでの活動を始めた頃にあたるのだが、このライヴのバンドはブルーノート出演のために臨時に組まれたもらしく、以後のレギュラー・バンドではない。つまり、ベースのアルフォンゾ・ジョンソンはウェザーリポート時代に共演していた旧知の間だが、この時期はサンタナのレギュラー・メンバーであり、このライヴだけピンポイントで加わったらしい。また、ドラマーはギル・エヴァンスのオーケストラから引っ張ってきた人のようだが、このライヴで演奏してみてショーターは気に入らなかったらしく、この直後にドラマーをテリ・リン・キャリントンに替えている。残るジム・ベアードだけがこれ以後レギュラー・バンドのメンバーとなるキーボード奏者だ。
 つまりこの日の演奏は、ニュー・アルバムをリリースして本格的なレギュラー・バンドでツアーを始めるに先だって、今まで見つけたメンバーを集めて、とりあえず試運転してみたというリハーサル的な性格のライヴのようだ。
 内容だが、流れとしては同じくエレクトリック・カルテット編成の『Zurich 1985』に続いて、フュージョンというよりはエレクトリック・ジャズというべき路線。つまり、編曲によるサウンド指向の部分が薄く、エレクトリック楽器を使っていてもストレート・ジャズに近い演奏になっていて、同時期のスタジオ盤の印象とはかなり違う。
 とはいえ、エレクトリック・ジャズとはいっても、この日の演奏は、ベアードがスタジオとはうってかわって飛ばしているのが目立ちはするが、全体的にリラックス・ムードが漂っている。したがって「迫真の名演!」というのを期待するとちょっと物足らない面もある。それに『Zurich 1985』でも感じたことだが、この時期のショーターのエレクトリック・サウンドを再現するには、4人編成だと少し弱い気がする。やはりショーターの思うようなバンド・サウンドが完成するのは、この後の87年のレギュラー・バンドからだと思う。ということで、このライヴの演奏はあくまで、まだ建造途中のバンドによって、試しに演奏してみていたものだという範囲でとらえるべきものだろう。
 しかし、そうであっても、小編成のバンドでのショーターのリラックスした演奏がたっぷり聴けるという点では、それはそれで価値があるアルバムだと思う。バンドは臨時のものであっても、ショーターは決して手抜きなどしているわけではなく、むしろ急造のバッキングを補うようにたっぷりと歌ってくれている。

 内容をみていく。
 一曲めは24分におよぶトラックで、 "Plaza Real" から "Beauty and the Beast" に続くメドレーである。一貫してリラックスしたミディアム・テンポの演奏だ。"Plaza Real" は原曲とはかなり違った印象の演奏になっている。
 イントロダクションを挟んだ3曲めはアルフォンゾ・ジョンソンのチャップマン・スティックを使ったソロ・ナンバー。スティックが使われだしたのもこの頃だろうか。
 続く "Face on the Barroom Floor" もリラックス・ムードの演奏である。
 そして続く5曲めは25分におよぶトラックで、ジャケットには "Pinochio" とだけ記載されているが、これは "Pinochio" からに別の曲続くメドレーだ。
 全体的にはリラックス・ムードの演奏が続く本作のなかで、最も迫力のある部分は "Pinochio" だろう。"Pinochio" のエレクトリック・バージョンはウェザーリポート時代の『Mr.Gone』で演っていたのだが、あれはテーマ提示部だけで終わってしまうような短いバージョンだった。ここではタップリ 分以上聴ける。
 さて、そしてメドレーで続く最後の曲なのだが、この曲が何なのかわからない。日本的とでも言いたいようなほんわかとしたオリエンタルな雰囲気の演奏になっている。


05.9.26
09.3.6


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   Don Henley "The End of the Innocence"     (Geffin)
   ドン・ヘンリー『エンド・オブ・イノセンス』


01、The End of the Innocence
02、How Bad Do You Want It?
03、I Will Not Go Quietly
04、The Last Worthless Evening
05、New York Minute
06、Shangri-La
07、Little Tin God
08、Gimmie What You Got
09、If Dirt Were Dollars
10、The Heart of the Matter

   「01」
   Don Henley (vo) Wayne Shorter (ss)
   Bruce Hornsby (p,key) Jai Winding (keybord bass)
   Michael Fisher (per)    1987


 アメリカ〜70年代〜イーグルス〜ホテル・カルフォルニア〜……と続くと、ハマりすぎてほとんど連想ゲームのようだが、『ホテル・カルフォルニア』は誰でも知ってても、『ホテル・カルフォルニア』があまりにもハマりすぎてしまったイーグルスは「次の一歩」が踏み出せなくなり、結局その後さほど活躍することなく解散してしまったことは、けっこう知らない人もいる。その後は定型どおり各メンバーのソロ活動になるのだが、けっこうそれぞれに成功している所をみると、充分に余力を残しての解散だったんだろう。
 というわけで、元イーグルスの中心メンバー、ドン・ヘンリーだ。ショーターとイーグルス……と思うとなんかヘンな取り合わせだし、参加曲はたった一曲だが、この"The End of the Innocence"はいい曲だ。
 ミディアム・テンポのバラード。少年時代の終わりを描いた、せつなくなるような美しい曲で、ショーターのソプラノの透明で哀しい音色と見事に響き合っている。よくぞここでショーターを起用したと思うような曲だ。
 この曲を聴くと当然ドン・ヘンリーとこの曲を共作し、バックで印象的なピアノを弾いているブルース・ホーンズビーに耳がいくだろう。彼はこの前年、ブルース・ホーンズビー・アンド・レンジとしてちょっと遅いデビューをはたし、が、すぐに "The Way It Is" が大ヒットした。彼はデビュー前にピアニストとしてデビューしないかと誘われ、蹴った経緯があるそうで、ピアノの腕前も一流で、その腕を買われてこの頃はたくさんのセッションに参加していたようだが、特にこの曲が代表曲だという。
 ショーターはこの後、このブルース・ホーンズビー・アンド・レンジのアルバムにもゲスト参加することになる。

 正直いうと、本作で聴くのはこの"The End of the Innocence"だけだ。べつにショーターが参加しているからというだけでなく、この曲だけが頭抜けて良い気がする。
 カップリング曲が9曲もあるシングル盤か。


03.7.21


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   Toninho Horta "Diamond Land"      (Verve Forecast)


01、Mountain Flight
02、Ballad for Zawinul
03、Raul
04、Sunflower
05、Luisa
06、From the Lonely Afternoon
07、Pilar
08、Waiting for Angela
09、Diamond Land
10、Brown Kiss

   「02」
   Wayne Shorter (ss) Toninho Horta (g)
   Jim Beard (key) Iuri Popoff (b)
   Kenwood Dennard (ds)          1987リリース


 すばらしく気持ちのいい音楽だ。ブラジルの熱い陽光と木々のあいだを抜けてくる涼風がスピーカーから流れ込んでくるよう。
 トニーニョ・オルタはミルトン・ナシメントのバックでギターを弾いていたギターリストであり、彼のギターに惚れ込んだパット・メセニーの勧めもあって自己のリーダー名義でインストゥルメンタルのみのアルバムを作るようになった。全編にわたってオルタの軽やかなギターが駆け抜けていく、でもジャズとは違った感触で、ブラジル音楽的な編曲もなされている、こういう音楽を何とジャンル分けをすればいいのだろうか? でも、そんなことを考えるのもばかばかしくなるほどひたすら心地良い世界だ。自分の好みだけで言わせてもらえば、ぼくはパット・メセニーよりもオルタのギターのほうが好きだ。
 さて、ショーターとオルタの共演はミルトン・ナシメントの『Milton』(76) 以来であり、一曲だけの参加となる。タイトルを見ればザヴィヌルに捧げた曲のようだ。参加メンバーもこの曲だけ Jim Beard や Kenwood Dennard といったショーターゆかりのミュージシャンが加わっているのだが、アルバムを通して聴いてみるとそれほど違和感はなく他の曲にとけ込んでいる。
 ショーターはほぼ全編にわたってソロを繰り広げているが、そうはいっても4分ほどの曲であり、ショーターめあてに聴くアルバムではないだろうとは思う。でも、このアルバムは大好きだし、こんなアルバムになら一曲だけの参加も大歓迎だ。
 一曲一曲をどうということなく、一つの流れで全曲を聴いていたくなるアルバムである。なんだか聴いていると、人生がこんなふうに流れていってくれたらいいのにな……と思えてくる。
 しかし現実は甘くない。たった四十数分でアルバムは終わってしまう。


09.5.11


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "Lugano 1987"    (MegaDisc)


「Disc-1」
01、Flagships 〜 Plaza Real
02、Three Marias
03、Footprints 〜 ?

「Disc-2」
04、Yamanja
05、Condition Red
06、?
07、Remote Control

    Wayne Shorter (ts,ss) Jim Beard (key)
    Carl James (b) Terri Lyne Carrington (ds)
    Marilyn Mazur (per)          1987.7.2


 これは凄い! これを聴かずしてショーターは語れないようなライヴだ。
 ウェザーリポート解散後のショーター・バンドの第一歩といえる時期のライヴであり、音質もオフィシャル並み。ブートCDRだが、このままオフィシャルでリリースしてもらいたい内容だ。収録時間は80分ちょっと。
 この時期のショーター・バンドのライヴとしては先に『Zurich 1985』や『N.Y.C. 1986』が出回っていたが、それらを聴いていて、正直ぼくも、さすがのショーターも88年のバンドを組むまではバンド作りに苦労してたんだろうなと、ファンにあるまじき見下し視線で見ていた。しかし、このライヴを聴いておもわず平謝りにあやまりたくなった。
 つまり『Zurich 1985』はあくまでウェザーリポート存続中のソロ・ツアー・バンドでのライヴ、『N.Y.C. 1986』は本格的レギュラー・バンドでツアーを始める前の臨時編成バンドでの試運転ライヴといった性格のものである。どちらも「これからこのバンドでやっていくぞ」というグループによる演奏ではない。ウェザーリポートを解散して、ショーターがレギュラーとして活動していく意気込みで編成したのはこのバンドが最初である。そして、このショーター・バンドの完成度たるや、最初から驚くべきものだったことが、このアルバムを聴いてわかった。
 さて、これは『Phantom Navigater』のツアーからのもので、演奏曲の半分は『Phantom Navigater』の収録曲になる。先の『Zurich 1985』は質の高いエレクトリック・ジャズのライヴ演奏だとは思ったものの『Atlantis』の編曲性をステージ上で再現できているとは思えなかった。しかし、このバンドはかなり『Phantom Navigater』の世界をステージ上で再現できていると思う。あのアルバムはバッハ的な対位法を使用しているのと、打ち込みを使用したり、ショーターにしてはテクノっぽい音作りをしているのことに特徴があるのだが、ここで『Phantom Navigater』収録曲のライヴ・バージョンを聴くとそういった特徴が、むしろ増強されているように感じる。つまり、テクノっぽいと言いたくなるほど電子音が増強され、複数の旋律が対位的に動いていく音空間が生み出されている。それがこの前後のショーター・バンドのライヴとはちょっと違った雰囲気を生み出していて、そのせいか『Phantom Navigater』の収録曲は以後のショーターのライヴのレパートリーには残っていないようだ。それだけに貴重なライヴだ。
 バンドの編成はパーカッションを加えた5人というウェザーリポートと同じ楽器編成だ。打楽器隊が二人とも女性というのもおもしろい。このパーカッションの役割は、『Phantom Navigater』収録曲では不思議な音を出す楽器を叩いて幻想的な音空間を演出し、それ以外の曲ではウェザーリポートと同じく、ラテン的にリズムを増強して、ぐいぐいとサウンドを爆走させる役割を担っている。
 冒頭は『Phantom Navigater』収録の "Flagships" から "Plaza Real" へ続くメドレーだ。この最初の "Flagships" がまずこの時期のショーター・バンドの個性を示す演奏で、電子音の不思議な空間が広がっていくような色彩豊かな演奏だ。
 続く "Plaza Real" から「Disc-1」の最後まではウェザーリポート風の迫力ある演奏が続く。 "Plaza Real" は『N.Y.C. 1986』でのバージョンからぐっとテンポアップし、軽快な疾走感のある曲へと様変わりしているし、"Three Marias" も、この曲には似つかわしくないんじゃないかと思うほどスピーディーで迫力ある演奏だ。"Footprints" に至っては、別の曲かと思うほどの迫力のある暴走を見せ、メドレーでファンキーなリズムの曲に続いていくのだが、これが何という曲かわからない。
 そして「Disc-2」に移ると『Phantom Navigater』収録曲が中心になり、"Yamanja"、"Condition Red"、"Remote Control" と、この時期のライヴでしか聴けないテクノっぽい感触をもった演奏がたっぷり聴ける。
 その間に挟まった6曲めの曲が何かわからない。ジム・ベアードが終始リードして迫力ある演奏を繰り広げるナンバーなのだが、ひょっとするとベアードのオリジナルだろうか?


09.3.8


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   "Tribute to John Coltrane"        (Paddle Wheel)
   『トリビュート・トゥ・ジョン・コルトレーン』


01、Mr. P.C.
02、After the Rain / Naima   
03、India / Impressions

     Wayne Shorter, Dave Liebman (ss) Richie Beirach (p)
     Eddie Gomez (b) Jack DeJohnette (d)
     "Select Live Under the Sky", Tokyo, Japan, 1987.7.26


 '87年の日本のライヴ・アンダー・ザ・スカイのスペシャル・プログラムをCD化したもの。タイトル通り、没後20年にあたるコルトレーンへのトリビュートのプログラムである。
 この企画、自己のバンドでライヴ・アンダー・ザ・スカイに参加する予定だったショーターにまず持ち込まれ、参加ついでに来日するミュージシャンを集めてやらないかという話だったのが、ショーターは乗り気で、コルトレーンへのトリビュートをするならこの人と、コルトレーン派のデイヴ・リーブマンと、その相棒のリッチー・バイラークはショーターによって、この企画のみのために呼ばれたのだという。
 と、いうわけで、ショーターとリーブマンの同一楽器による共演という、めずらしい編成が実現した。どちらかがテナーを吹くなど、変な細工はしないで、2人ともソプラノ一本という潔さもいい。また、この時期のショーターのアコースティック・ジャズでのアドリブがたっぷりと聴けるという点でも貴重だ。
 "After the Rain / Naima"のメドレーはそのリーブマンとバイラークのデュオによる演奏。この2人はこの時点までにも『Forgotten Fantasies』(75)『Omerta』(78)『Double Edge』(85)と3枚のデュオによるアルバムをリリースしていて、ここでも素晴らしい、幻想的な演奏を繰り広げている。
 残りがショーター参加のバンドによる演奏だが、"Mr. P.C."はオープニングの顔見せみたいな感じもあって、悪くもないが、まあ、企画もののコンサートなんてこんなもんだろうという程度という気もする。
 本作でのショーターの聴きどころは、24分におよぶ"India / Impressions"のメドレーにつきるといっていいんじゃないか。ここでのショーターの演奏は凄絶の一言、めちゃくちゃテンションの高いぶっ飛んだアドリブが炸裂する。美しいばかりだ。

 それとやはり、同一楽器のショーターとリーブマンの演奏を聴き比べるというのも本作の楽しみかただろう。
 こうして並べて聴いてみると、この2人、思ってた以上に音の違い、奏法の違いがあるのが浮き上がって見えてくる。
 ぼくはリーブマンも好きなサックス奏者の一人なのだが、やはりショーターの音の凄さというのがまず目につく。ピーンと張りつめたような、恐ろしく透明で強い、水晶のような音だ。それに比べるとリーブマンの音には人間的なやわらかさ、はかなさが感じられる。リーブマンの音も充分魅力的なんだが、やはりショーターの音はあるレベルを超えてしまっている。
 また、フレーズも、人間的なメロディを精一杯に奏でていくリーブマンに対して、ショーターのフレーズはバラバラにされた音の粒が飛び込んでくるようで、まるで人間的ではない。リーブマンがアナログ的だとすれば、ショーターはデジタル的だ。
 どちらが優れているというよりも、まったく違う種類のものが、たまたま外見的に似たようなことをやっているという気がする。
 そして、その意味でいくと、コルトレーンという人はやはり、リーブマンの側の人だったような気がする。
 コルトレーンもリーブマンも、どこか至高の場所へ必死で行き着こうとしている人のようであり、ショーターという人は、もう既にどこかわからない場所に、いっちゃってる人のような気がする。


03.3.27


『ウェイン・ショーターの部屋』

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