ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1985年




   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Wayne Shorter "Atlantis"   (Columbia)
   ウェイン・ショーター『アトランティス』


01、Endangered Species
02、The Three Marias
03、The Last Silk Hat
04、When You Dream
05、Who Goes There!
06、Atlantis
07、Shere Khan, the Tiger 
08、Criancas        
09、On the Eve of Departure

   Wayne Shorter (ss, ts) Jim Walker (fl, afl, picc)
   Yaron Gershovsky, Michiko Hill (p) Joseph Vitarelli (syn, p, 10)
   Michael Hoenig (syn-prog, 10) Larry Klein (el-b)
   Ralph Humphrey (d, 10) Alex Acuna (d, per)
   Lenny Castro (per, 10) Diana Acuna, Dee Dee Bellson, Nani Brunel,
   Trove Davenport, Sanaa Larhan, Edgy Lee, Kathy Lucien (vo)    1985


 ショーターは本作でウェザーリポートを超えて、さらなる高みへ、さらに新しい世界へと突入する。正直、本作を作ってしまったらもうウェザーリポートなんてやってられないよな……と感じる作品でもある。
 本作から始まる三部作には、わかりやすい難解さがあると思う。つまり、表面的にはわかりやすそうな音楽なのだが、そのことがかえってその奥にある真の魅力を見えにくくしている面がある。
 案外、60年代を中心にショーターが好きだと自称する人ほど、むしろ本作の魅力がわからない人が多いような気がする。本作について、ウェザーリポート時代に比べてショーターが思いきり吹いているから良い……といった類のことしか言わない人は、わかってない。ショーターが新しいタイプの音楽をやろうと、無理してこんなことを始めたんだと言う人ももちろんわかってない。フュージョン風のサウンドに変わってしまったことを残念がっている人も無論だ。そういった人々はショーターを60年代の作品のイメージのままで理解しておきたい人だろう。それが悪いことだとはいわない。そういった人たちは70年代にショーターが違ったタイプの音楽を作り出した時には、それはザヴィヌルの音楽だと理解した。しかし、ショーターがソロ名義で本作を発表したとき困ってしまったのだ。
 人間は誰でも、他人は自分の理解の範囲内にとどまっていてくれたほうがうれしいものだ。ミュージシャンが新しいことを始めることは歓迎しても、自分の理解を超えて新しいことを始めたときには拒否反応をおこす。
 もちろん60年代のショーターだけを理解するファンがいてもいい。けれど、ショーターというミュージシャンは、60年代の作品だけで計れるミュージシャンではない。70年代には違う世界を創ったし、本作でまた、まったく新しい音楽世界へ第一歩を踏み込んだのだ。
 参加ミュージシャンも見てほしい。ベテラン・ミュージシャンがひさびさにソロを出した時にあるような、多数の有名ミュージシャンのゲスト出演みたいな要素がまったくない。ショーターであれば、人脈を使って有名ミュージシャンを何人も引っ張ってくることなんて容易だったろう。しかし、ショーターはまるで新人ミュージシャンのように新しい気持ちで、新しいメンバーとこの音楽の制作にあたったわけだ。

 さて、本作の「わかりやすい難解さ」について考えてみよう。
 実はぼくも最初に本作を聴いた時は、本作の真価はわからなかった。が、その時はわかった気になっていたのだ。
 本作の難解さは、60年代のショーターのアルバムとも、70年代の『Native Dancer』からもあまりに違い過ぎて、どこにショーターを感じたらいいのかわからない点にあり、しかも(特に前半は)表面的には透明でわかりやすい、ポップささえかんじる音楽なもんで、自分が本作の魅力を掴めてないこともわからず、わかったような気になってしまう点にある。つまり、ショーター作ということでつい、いままで通りの神秘的な夜や、幻想的な南国を探してしまう。しかし、それがどこにも見つからず、無機質な未来都市に置き去りにされてしまった心地にされるのだ。
 では、本作の魅力とはどこにあるのか? ぼくはわりと最近になってクラシックも聴きはじめたのだが、そうすることでようやくこの音楽がわかってきた気がしている。
 このアルバムは(ショーター自身も語っているように)一曲めと二曲め以後とに分かれる。一曲めの "Endangered Species" は軽快なリズムにのったエレクトリック・ジャズであり、ある意味ショーターがウェザーリポートでやっていたことの延長線上にある曲だ。しかしこれは全体の導入部にあたる部分で、いわば客引きのような曲である。本作の世界が開始されるのは二曲め以後になる。
 二曲め以後は実はアコースティック楽器を使用しているのだが、しかし従来の意味でのアコースティック・ジャズだと感じる者はいないだろう。これは多分クラシックの室内楽に近いタイプの音楽であり、つまり複数の声部がそれぞれに歌いながらも互いに交響しあって展開していく音楽だろう。例えば本作ではベースは、ベートーヴェンやショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲におけるチェロのような役割を担っているように感じる。つまり(ショーターの吹くサックス以外は)巧緻に編曲された楽譜に書かれた音楽であり、そのようなクラシック的な編曲性とジャズの即興演奏性を融合したところがこのアルバムの試みだといえる。
 その編曲は当然ショーターのペンによるものであり、ショーターはこのアルバムあたりから作編曲者としての全貌をあらわし始めたといってもいいのではないか。つまり、60年代にもショーターは多くの有名曲を書いているが、それは従来のジャズのテーマ部にあたるごく短い部分を作曲していたに過ぎない場合がほとんどだ。ウェザーリポート時代はもっと長く複雑な作編曲を行っていたらしいが、ポップ・ミュージックの枠組みを意識せざるをえなかったり、ザヴィヌルらとの確執で思った通りにはできなかったらしい。しかし、このあたりからショーターはAメロがどうだとかBメロがどうだといったポップ・ソングの定型から自由になり、リズム・セクションの伴奏をバックにソロ楽器がリードをとるといったジャズの定型からも自由になり、思う存分に自由に複雑に作編曲をほどこした音楽を演奏しはじめたといえる。

 また、ショーターはインタヴューに答えて、その曲をつくった時の気持ちを映像的なイメージで説明することが多いのだが、じっさい映像を思い浮かべて聴くことはショーターの世界に近づく近道だと思う。
 本作からの3作のアルバムを、ショーターは存在しない映画のサウンドトラックのような音楽だと語っているが、ショーターが特にイメージしたのはSF映画であるはずで、本作はSF的なイマジネーションに溢れた音楽だと思う。夜の中に浮かび上がる、光に包まれた透明な未来都市。人工光にあふれた無人の街路……。
 80年代に入ってからのアメリカのSFの本・雑誌のカバーアートを見ると、ジム・バーンズなどアクリル絵具を使用した緻密で透明感あふれるファンタスティックなパノラマ世界を描きだす優れたイラストレーターが出てきたことに気づく。ここからの三部作にあるのはああいったイメージではないだろうか。
 考えてみればアトランティスというタイトルだって、いかにもショーターの趣味のようでいて、60年代のショーターの趣味とは微妙にズレている。海底に沈んだ大陸、海底の都市・文明……のイメージは、やはり80年代のショーターの趣味なんだろう。

 一曲め、"Endangered Species"。
 テーマ前半はメカニカルなシンセの音で演奏し、そのメロディを愁いを帯びたショーターのサックスがうけつぐ。爽快さのなかにどことなく哀しさもある魅力的な曲だ。何かから解き放たれたように自由に飛び回るショーターのサックスがうれしい。旅の始まりにふさわしい曲だ。
 本作でショーターはサックスの音に、後からフルートやピッコロなどを重ねて録音することで、独特の光輝のあるサックスの音色を作りだしている。これはウェザーリポートでのエフェクターをかけて音色を変化させるのとは正反対の発想での音の効果の出しかただ。
「絶滅危惧種」というタイトルだが、どうも人類が絶滅しかかっているというイメージではないかと、個人的には思っているのだが、どうなんだろうか。『デューン 砂の惑星』で有名なフランク・ハーバートに同タイトルの短編集があるが、未読。関係があるのかはわからない。
 さて、前述のとおり2曲めの "The Three Marias" から本作の世界が始まる。これは「三人のマリア」と訳すべきか、「三人の聖母」と訳すべきなんだろうか。これまた美しく繊細な旋律をもつスロー・ナンバー。光に包まれているような美しさだ。そしてまた愁いを帯びている。
 "The Last Silk Hat"。「最後のシルクハット」という曲だ。どの曲もタイトルが意味ありげだが、このアルバムのライナー・ノーツにはショーター本人にインタヴューがなく、ショーターがタイトルに込めた意味がわからなかったのだが、『Zurich 1985』でショーター自身による解説を聞くことができた。これはアトランティスが沈んだ後に、海面に浮かんでいたシルクハット……というイメージだそうだ。おだやかに始まって、リズミックになったり、いろいろ展開していく。物語的なイメージがある曲だ。
 "When You Dream"(夢見るときは)は子供っぽい声のコーラスを導入した曲。本作はかなり盛り沢山な内容なのだが、全体を聴くと感じるのは多様さよりも統一感だ。いろいろな内容が、透明な一つの世界をかたちづくっているような気がする。それにしてもこれも美しいメロディだ。かんぜんに、別世界のよう。
 "Who Goes There!"はキャンベル・ジュニアのSF小説『影が行く』と同タイトル。楽しくて、フシギで、サスペンスフルで、奇妙な曲。
 さて、本作以後のショーターのソロ作ではアルバム前半に演奏性を前面に出した軽快な曲をおいてサックスのインプロヴィゼーションの魅力を充分に味わわせ、後半には編曲性を前面に出した抽象的である意味難解なタイプの曲をおく、という構成にしてある場合が多い。本作でも次は表題曲の"Atlantis"から編曲中心へと移り、音楽の抽象度がどんどん増していって、なんともいいようがない、しかし魅力的な音楽になっていく。この曲は一見地味な曲で、ゆっくりと移動していくよう。これは海底に沈んだ都市のイメージなんだろうか。『Footprints Live』(01)にアコースティック・バンドでのライヴ・バージョンもあるので合わせて聴いていただきたい。
 つづく"Shere Khan, the Tiger"は『Etcetera』(65)収録の"Indian Song"と同じ曲だが、メロディは同じでも与えられるイメージはぜんぜん別のものになっていて、別の曲と思ったほうがいい。"Indian Song"が遥かな地平に思いを馳せるようなイメージならば、"Shere Khan, the Tiger"は見知らぬ場所にやさしく降り落ちていくよう。タイトルの意味はこれもわからない。
 "Criancas"。これもタイトルの意味がわからない。何語だろう。家には英語の辞書しかないんで……。しかし、ここではショーターのサックスがまた前へ出てきて、ラストへの楽しい盛り上がりをつくっていく。
 そしてラストの"On the Eve of Departure"(旅立ちの前日に)。また抽象的な世界にもどり、とらえどころのない、でも静かに澄みきった、ふしぎな空間をつくっていく。これも『Zurich 1985』でショーター自身による解説を聞くことができた。子供たちや女たちが空へ翔び立つ前の日……というイメージだそうだ。いったいどこに旅立ってしまうんだろう。どこかの存在しない空間だろうか。

 この稿を書くために聴きながら、やはりこの透明な美しさに魅了されてしまった。最初に聴いた頃はなんでこの魅力に気づかなかったんだろう。まあ、後半の編曲先行型の曲の、抽象的でとらえどころのない難解さを聴くと、ウェザーリポートのようにはわかりやすくないんで、親しみにくいのはわかるのだが、少なくとも前半の美しさはわかってもよかったはずだ。
 これ以後の3部作のなかでも抽象的な構築性、完璧さ、美しさでは一番かもしれない。まさに、一点の傷もない、奇蹟のような名作だ。


03.7.18
09.7.11改


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Dexter Gordon "'Round Midnight"       (SME)
   デクスター・ゴードン『ラウンド・ミッドナイト』


01、'Round Midnight   
02、Body and Soul   
03、Berangere's Nightmare   
04、Fair Weather   
05、Una Noche Con Francis
06、The Peacocks
07、How Long Has This Been Going On?
08、Rhythm-A-Ning   
09、Still Time   
10、Minuit Aux Champs-Elysees   
11、Chan's Song (Never Said)   
12、'Round Midnight     (bonus track)

    「05」「06」
    Wayne Shorter (ss,ts) Herbie Hancock (p)
    Pterre Michelot (b) Billy Higgins (ds)
    Dexter Gordon (ts-5) Bobby Hutcherson (vib-5)  1985.7.1-12


 ベルトラン・タベルニエ監督の映画『ラウンド・ミッドナイト』のサントラ盤である。
 この映画は80年代のジャズ界のちょっとした話題を誘ったようだ。それまでのハリウッド製のジャズマンを描いた映画といえば『グレン・ミラー物語』や『ベニー・グッドマン物語』など、すべて白人ジャズマンを描いたものばかりだった。理由は言うまでもない。
 そこに本格的に黒人ジャズマンを主人公とした映画が80年代に入ってやっと、それもフランスで作られたところがおもしろい。もちろん本家アメリカも黙ってなく、イーストウッドが監督した『バード』(88)など、ようやく黒人ジャズマンの映画が作られるようになった。

 この『ラウンド・ミッドナイト』、主人公のモデルはビ・バップ期の真の天才ジャズ・ピアニスト、バド・パウエルだが、サックス・プレイヤーのデクスター・ゴードンが演じている。先述の『バード』(88)と比べると、映画の出来はともかく、ジャズマンはジャズマンが演じないと、ぜんぜんジャズマンらしくないということはよくわかる。これは演技力ではいかんともしがたいようだ。
 さて、この映画の音楽監督を担当したのはハービー・ハンコック。メンバーは曲によって変わるが、主要な顔ぶれは60年代にいわゆる新主流派と呼ばれていたミュージシャンが中心で、拡大版V.S.O.P.とでもいうべき、再会セッション集になっている。もっとも音楽自体の印象はV.S.O.P.とはだいぶ違う。
 一応デクスター・ゴードンのリーダー名義になっているが、デックスの参加曲も12曲中6曲と、決して多いわけではない。一番多く参加しているのは音楽監督のハンコックだが、それでも全曲に参加しているわけではなく、10曲。
 ショーターは映画にもちょい役で出演。このサントラでは2曲演奏し、少なくとも映画以上の活躍をしている。
 その他の参加メンバーは、V.S.O.P.の面々は全員参加し、ボビー・ハチャーソン、ジョン・マクラフリン、ボビー・マクファーリン他のボーカリスト陣や、変わったところではチェット・ベイカーが一曲だけ参加し、ボーカルとトランペットを聴かせてくれる。
 なお、ラストのボーナス・トラックは77年のアルバム『Homecoming』からの収録で、デックスの、ウディ・ショウとの2管編成によるライヴ演奏。

 さて、ショーター参加の2曲を見てみよう。
 "Una Noche Con Francis"はショーターとしては珍しい、バップ風の演奏で、デックスとのテナー・バトルを聴かせてくれる。しかし、やはりショーターがやると、あまりバトルという感じがしないのだが、どうだろうか。
 本作でのショーターの一番の聴きどころは、ワン・ホーンによる"The Peacocks"だろう。これはショーターとは縁の深いジミー・ロウルズのオリジナルで、ロウルズがスタン・ゲッツと組んだ『The Peacocks』(77)の表題曲だ。
 哀愁味を帯びた美しいメロディのバラードで、ショーターの別世界のような演奏がたっぷり7分間にわたって聴ける。ぜひその『The Peacocks』でのゲッツのサックスと聴き比べてみてほしい。(なお、この『The Peacocks』ではショーター作の曲を2曲演奏しており、とくに"Lester Left Town"は絶品)
 その他、ショーター不参加の曲も含めて、映画との関連を考えなくても、優れたミュージシャンたちの、肩の力の抜けた演奏集として楽しめる内容になっている。


03.5.7


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Dexter Gordon "Other Side of 'Round Midnight"    85   (Blue Note)
   デクスター・ゴードン『アザー・サイド・オブ・ラウンド・ミッドナイト』


01、'Round Midnight
02、Berangere's Nightmare #2   
03、Call Sheet Blues
04、What is This Thing Called Love   
05、Tivoli   
06、Society Red   
07、As Time Goes By   
08、It's Only Paper Moon   
09、Round Midnight   

    「01」「03」
    Wayne Shorter (ss,ts) Herbie Hancock (p)
    Ron Carter (b) Billy Higgins (ds)
    Dexter Gordon (ts-1) Palle Mikkelborg (tp-1)
    Mads Vinding (b-1)    1985.8.20-23


 映画『ラウンド・ミッドナイト』の、いわば裏サントラ盤とでもいうべきアルバム。
 内容は『Round Midnight』(85)とほぼ同じメンバーによる演奏集で、いわば60年代に新主流派と呼ばれたミュージシャンたちの再会セッション集となっている。一応デクスター・ゴードンのリーダー名義になっているが、デックスが全曲に参加しているわけでもないことも同じだ。ショーター不参加の曲も含めて、映画との関連を考えなくても、優れたミュージシャンたちの肩の力を抜いた演奏集として楽しめる内容になっている。
 ショーター参加曲はここでも2曲で、まずはショーターがソプラノを、デックスがテナーを吹いた"'Round Midnight"。期待通りの名演だ。この他、本作にはデックスがソプラノを吹いた曲もあり、ショーターのソプラノとの聴き比べもできる。
 "Call Sheet Blues"は完全なジャム・セッション。スタジオで準備中にショーターとロンが突然ジャムりだし、それにヒギンズが加わり、慌ててハンコックがピアノの前に座った。それを聴いてすぐに録音テープを回した……というもの。
 そのようないきさつ通りの、肩の力をぬいたジャム・セッションで、好きな演奏だ。

 なお、映画『ラウンド・ミッドナイト』の主演のデクスター・ゴードンは40年代にデビューしたビ・バップの世代で、音楽的にはショーター、ハンコックらより二世代ほど上にあたる。しかし麻薬禍によって50年代を無駄にし、60年代に入ってブルーノートから再デビューを果たした。そのため、同じ60年代初頭にブルーノートからデビューした新人ミュージシャンたち(新主流派のメンバー他)と多くセッションすることになり、個人的には結果的にこれが良かったと思っている。
 デックスの個性は豪快でスケールの大きい演奏だが、それはソニー・ロリンズの個性と重なる。そして才能でいうとロリンズのほうが上であり、デックスはどこか不器用な感じ(そこが味なんだが)があって、本来のバップ的・あるいは50年代的な演奏をしている限り、どうもデックスは後からデビューしたロリンズの亜流のように感じられてしまう。
 しかし60年代に当時の新人たちとセッションした一連の演奏には、ロリンズにはないデックス独自の味が感じられる。もちろんこのへんの演奏はかならずしもデックスの本来のスタイルの演奏ではないのかもしれないが、個人的にはこの60年代の新主流派のジャズマンと共演した時のデックスが一番好きだ。
 その後デックスはフランスへ移り大成功。その後は本来のスタイルに戻り、新主流派のジャズマンとの共演はなくなる。
 ということで、個人的には、この映画がきっかけになって、この時期になって再びデックスと新主流派のジャズマンと共演が実現したことは、とてもうれしく思っている。


03.5.7


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Joni Mitchell "Dog Eat Dog"     (Geffin)
   ジョニ・ミッチェル『ドッグ・イート・ドッグ』


01、Good Friends   
02、Fiction   
03、The Three Great Stimulants   
04、Tax Free   
05、Smokin'   
06、Dog Eat Dog   
07、Shiny Toys   
08、Ethiopia   
09、Impossible Dreamer
10、Lucky Girl

   「09」「10」
   Joni Mitchell (g,vo) Wayne Shorter (ss.ts)
   Larry Klein (b) Thomas Dolby (syn,key)
   Mike Randau (g) Vinnie Colaiuta (ds)
   Michael Fisher (per) Alex Acuna (bata-9)    1985


 前作に引きつづく、ジョニのロック的な路線の作品。今回はトーマス・ドルビーをプロデューサーおよびシンセ奏者として迎え、シンセサイザーを前面に押し出したサウンド作りをしている。
 訳せば「共喰い」というタイトルどおり、本作はジョニの作品の中でも強烈なメッセージ性のあるアルバムだ。社会にたいするプロテストや、状況に対する絶望をテーマにした曲が並んでいる。こういった面も、もともとジョニの一面である。
 歌詞、サウンドともに、ジョニの作品中では最もハードな面を見せたアルバムといっていいだろう。しかし、あくまでジョニの個性の枠内でのことで、自分を見失うまでにギンギンにはなってない。一般的な80年代ロックと比べれば、むしろおとなしいサウンドに聴こえるだろう。歌詞は強烈だが。
 さて、ショーター参加部分はご覧の通りラスト2曲である。この2曲は、8曲目までの暗く絶望的な内容に対して、かすかに見いだした希望を歌った曲で、本作のなかではもっとも美しい部分だ。ショーターのうまい起用のしかただと思う。
 どちらの曲もショーターの演奏は、ごく控えめだが、すごく効果的だと思う。まあ、ショーターだけを目当てに聴くようなアルバムではないが。


03.5.7


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "Zurich 1985"


01、The Last Silk Hat
02、When You Dream
03、On the Eve of Departure
04、Diana
05、Sanctuary
06、Face on the Barroom Floor
07、The Three Marias
08、Endangered Species

    Wayne Shorter (ts,ss) Tom Canning (key)
    Gary Willis (b) Tom Brechtlein (ds)    1985


 ブートレグのCDR。音質はオフィシャル並みで素晴らしく、全77分と1枚ものでは限界に近い長時間収録されている。FMからのエアチェックなのか、1曲めに演奏にかぶってナレーションが入っているのが玉に瑕だが、ごく短いナレーションなので、気にしなければそれほどの損失ではないのかも。
 その一曲め、始まりかたが唐突なのだが、これは "Who Goes There 〜 The Last Silk Hat" というメドレーのうち、最初の "Who Goes There" がカットされているからのようだ。後に出てくるショーターの曲紹介でわかる。が、ジャケットには "Who Goes There" のほうが書いてあるのだが、上記どおり、このアルバムに収録されているのは "The Last Silk Hat" のほう。
 ついでに難を言えば、6曲めの途中で少し音が飛ぶ。まあ、個人的には完璧でなくても、リリースしてもらったほうがずっとうれしいので少々の難には目はつぶる。最初に書いたとおり、音自体はオフィシャル並みだ。
 日付は年しか書いてないのだが、85年は9月に『Atlantis』がリリースされたのを受けて10月からツアーに出たそうなので、それ以後のライヴということになるのだろう。まだウェザーリポートは解散していなく、ショーターのこの後続くソロ活動の最初の一歩というべき時期のライヴである。
 編成は上記の通りエレクトリック・トリオをバックにしたカルテットで、シンセを弾いているトム・カニングという人はよく知らない。他の二人は『Atlantis』にも参加しているメンバーだ。多くのメンバーを使って編曲性の強い音作りをしていた『Atlantis』に比べ、カルテットでの演奏は、当然のことながら即興演奏性がぐっと強く出ていて、スタジオ盤にはない、ショーターの気迫のこもったサックスが充分に聴ける。それだけの点からいっても、まずファン必聴ものの素晴らしさだ。
 それに、この『Atlantis』(85) から『High Life』(95) 時代のライヴ盤を聴いて思うことは、ライヴ盤を聴くことによって、スタジオ盤ももっと好きになれるということだ。
 この『Atlantis』から『High Life』にいたるスタジオ盤はショーターが編曲・サウンド作りを含めた音楽全体で計算された表現を行っていた時期であり、そこでのショーターの演奏も充分魅力的ではあるものの、どちらかというとサウンド全体のバランス、調和が重視され、サックス一本で何もかもいいあらわそうとする気迫には欠ける面もないではなかった。もちろんそれも一つの行き方であり、そのような方法で作られた作品として傑作であり魅力的なのだが、聴いているとやはりどこかでショーターのバランスや調和も無視した、何ものにもとらわれない気迫に溢れた天駆けるような即興演奏そのものを充分味わいたい……という気持ちもないではなかった。
 しかし、同時期のより即興演奏性の強いライヴ録音を並行して聴くことによって、編曲やバランスより即興演奏の迫力で聴きたいときはライヴ盤を、計算された調和のとれた音作りを味わいたい時はスタジオ盤を……とそのときの気分に合わせて聴くアルバムを選ぶことができるようになった。
 そうしてみると、より即興演奏性の強いライヴは確かに魅力的なのだが、スタジオ盤の計算された音作りも、やはりライヴにはない魅力があるな……と改めて魅力に気づいて、ライヴ盤の後にスタジオ盤も聴きたくなったりする。
 やはりこの時期のショーターももっとライブ盤が、せめてスタジオ盤一枚につき一枚ぐらいの割合で出てほしいなと思う。

 また、このアルバムではショーターがMCでかんたんな曲の解説をしているのもうれしかった。『Atlantis』のライナーノーツにはショーターのインタビューが載ってないので、それぞれの曲がどのようなイメージで作られたものなのかわからなかったのだが、このアルバムの解説によると、 "The Last Silk Hat(最後のシルクハット)" は『アトランティスが沈んだ後に、海面に浮かんでるのを見たことがあるかい?』というイメージだそうで、 "On the Eve of Departure(旅立ちの前日に)" は子供たちや女たちが空へ翔び立つ前の日……というイメージだそうだ。
「Who Goes There」は『オリジナル・タイトルは映画の「The Thing」だ』とのことであり、予想通り。ちなみにキャンベル・ジュニアの小説『影が行く(Who Goes There)』は最初にハワード・ホークスが映画化し(邦題は『遊星よりの物体X』)次にジョン・カーペンターが映画化している(邦題は『遊星からの物体X』)。映画のオリジナル・タイトルはどちらも同じなので、ショーターがどちらを思い浮かべたかは不明だ。

 この時期のショーターのスタジオ盤は計算された曲作りゆえ、一曲あたりの演奏時間は比較的短いのだが、本作での演奏は "On the Eve of Departure" と "Sancturary" は12分を越える演奏、ラストの "Endangered Species" にいたっては13分半にもおよぶ熱演……と、まさしく計算やバランスを振り払った、走り出したら止まらないようなショーターの生き生きとした演奏が繰り広げられている。
 "When You Dream" , "On the Eve of Departure" といった『Atlantis』のヴァージョンではコーラス入りだった曲を、ショーターがサックス一本で演ったらどのような表現になるかを聴き比べる楽しみもあるだろう。
 まさに至福の77分。……リリースしてくれたことを感謝したいブートレグだ。


05.4.21


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   Weather Report "This is This"       (Columbia)
   ウェザーリポート『ディス・イズ・ディス』


01、This is This
02、Face the Fire
03、I'll Never Forget You
04、Jungle Stuff, part 1
05、Man with the Copper Fingers
06、Consequently
07、Update
08、China Blues

   Joe Zawinul (key,syn) Wayne Shorter (ts,ss)
   Victor Bailey (b) Mino Cinelu (per) Peter Erskine (ds)
   Carlos Santana (g) Omar Hakim (ds-6)
   M.Barnes, C.Coil, D. Siedah Garrett, D.Phinnessee (vo.)   1985-6


 ザヴィヌルがウェザーリポートの実質的リーダーとなってから2作め。いちおうウェザーリポート名義の最終作となるのだが、実質的にはこれはウェザーリポートのアルバムではない。ザヴィヌルのソロ作に2曲だけショーターが参加したというのが正しいだろう。内容からいっても、これをウェザーリポート名義で出すこと自体に無理があるような気がする。ウェザーリポートは実質的には既に終わっていたのであり、良くも悪くも、これは別のものと見るべきだろう。
 さて、前作『Sportin' Life』と並んでウェザーリポートの最低作という定位置が決まってしまっているような本作だが、散漫だった前作に比べると、本作はかなり変化が見られる。それはザヴィヌルがかなり力を入れて作っていることがうかがえる点だ。編曲・サウンド作りが前作のザヴィヌル作の部分よりずっと緻密で完成度が高くなっている。
 しかし、それでより明確になることは、ザヴィヌルががんばってサウンドを作り上げていくと、ウェザーリポートとは別のものとして完成度が高まっていくという事実だ。つまり本作は本作で完成度は高いし、ある意味よく出来ているともいえる。しかしザヴィヌル一人ではどう頑張ってもウェザーリポートにはならないのだ。そのことを実証してしまっているアルバムといっていいだろう。
 具体的にいうと、即興演奏のスリリングさ、緊張感がまるでなく、耳ざわりのいい無国籍ダンス・ミュージックとでもいうべきものになっている。かつてのウェザーリポートがそうだったような「エレクトリック楽器を使用したジャズ」ではまったくなく、狭義のフュージョン、ボーカルの入らないポップスといった雰囲気である。
 しかし、それはそれで悪いという気もない。ザヴィヌルの力もあって、そういったタイプの音楽のなかでは高水準のものになっていると思う。しかし、かつてのウェザーリポートを期待してしまうと、見る影もない……ということになってしまう。
 つまり本作はウェザーリポート名義で出すのに無理があるのであり、別名義で出したほうがむしろ正当に評価されそうな気もする。
 さて、では、これはむしろ新生ザヴィヌル・バンドの第一作と位置づけたほうがいいのかというと、それも違うようだ。この後ウェザーリポートはショーターが抜けるかたちで解散し、ザヴィヌルはその後、残りのメンバーにスティーヴ・カーン (g) を入れた編成で「ウェザー・アップデイト」というバンドを組み、短期間活動していたが、結局この編成ではアルバムを出さず、メンバーを全面的に入れ替えて「ザヴィヌル・シンジケート」を組んでアルバムを出している。なぜだかはわからないが、こういった経緯を見ると、このバンドはショーターが抜けると続けられなかったのだろう。
 たしかにサウンドを聴いても本作の演奏とザヴィヌル・シンジケートのサウンドにはかなり差がある。88年から92年の間にリリースされたザヴィヌル・シンジケートの計3枚のアルバムはどれも似たような内容なのに、本作と『The Immigrants』(88) の間にはかなりの差があるのだ。
 具体的にいうととザヴィヌル・シンジケートが明るく陽気でストレートにアフリカ指向なのに対して、本作のサウンドは猥雑な無国籍風の都市を思わせるものだ。
 本作はウェザーリポートが崩壊していく過渡期が生み出した、偶然の産物の面があるのかもしれない。

 さて、本作ではショーターの演奏が聴けるのは上記の2曲のみ。曲は1曲も書いていない。ゲストとしての参加という以上の役割は果たしていないが、ミノ・シネル作の "Jungle Stuff, part 1" では美しいソロをとっているし、ザヴィヌル作の "Man with the Copper Finger" ではもう一人のゲスト、サンタナと対話的なソロをとっている。サンタナは冒頭の "This is This" でもたっぷりとソロをとっている。
 それ以外の曲も、ウェザーリポートを期待しなければ、それなりに楽しめるサウンドになっている。
 さて、少なくとも本作を聴けば、ザヴィヌルがウェザーリポートで実質的なリーダーシップをとると、どのような音楽が出来上がるのかはわかるはずだ。それでもまだザヴィヌルがウェザーリポートの実質的なリーダーだったと主張する人はどれだけいるのだろうか?


04.4.6


追加)
 ミシェル・マーサーの『フットプリンツ』によると、このアルバムがウェザーリポート名義で作られた理由は、もっと単純に、契約を消化するためだったらしい。つまりウェザーリポートとしてアルバムをリリースする枚数が契約上決められていて、その枚数を満たすために、事実上ウェザーリポートは崩壊していたにもかかわらず、このアルバムが作られたらしい。
 やはりザヴィヌルという人はしなければならない仕事をきっちりとこなす、責任感のある職人だったようだ。一般的な人間の基準でいえば、興味を失うと途中で放り投げてしまうショーターより、ザヴィヌルのほうが、よほど評価すべき人間というべきなのかもしれない。
 しかし、こと芸術というのはそんな一般的な基準があてはまらない世界のようで、古くはレオナルド・ダ・ヴィンチからオーソン・ウェルズに至るまで、やたらと途中で放ってしまう芸術家の系譜というのがあって、それがまた魅力ある顔ぶれに溢れているのも事実だ。
 実際、きっちりと責任をはたしたザヴィヌルより、ショーターの音楽のほうに魅力を感じてしまうのも致し方のないないことである。


09.6.23


『ウェイン・ショーターの部屋』

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