ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1982年〜84年



   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   "Conrad Silvert Presents Jazz at the Opera House"   (SME)
   『コンラート・シルバート・プレゼンス・ジャズ・アット・ジ・オペラ・ハウス』


Disc-1
01、Free Form 〜 Straight No Chaser  
02、The Village  
03、Falling Petal  
04、Maiden Voyage  
05、Sister Cheril

Disc-2
06、(Dedication to Conrad Silvert)  
07、Hesitation
08、(Dedication to Conrad Silvert)  
09、Silence
10、Footprints
11、'Round Midnight

    「05」
     Wayne Shorter (ts) Wynton Marsalis (tp) 
     Herbie Hancock (p) Charlie Haden (b)
     Tony Williams (ds)   

    「07」「09」
     Wayne Shorter (ss) Wynton Marsalis (tp) 
     Charlie Haden (b) Tony Williams (ds)   

    「10」
     Wayne Shorter (ts) Wynton Marsalis (tp) 
     Bobby Hutcherson (vib) Herbie Hancock (p)
     Charlie Haden, Jaco Pastorius (b)
     Tony Williams (ds)   

    「11」
     Wayne Shorter (ts) Herbie Hancock (p)
                          1982.2.22


 33歳の若さで白血病の告知を受けたジャズ評論家のコンラッド・シルバート。そこで亡くなる前に彼の考える理想のコンサートを実現させてやろうと、ジャズマンたちが立ち上がった。本作はその5時間におよんだというコンサートから、レコード会社との契約関係などの理由で収録できなかった演奏の除き、計9曲を抜粋し収録した2枚組アルバム。ショーターはそのうち5曲に参加している。
 コンサート自体は大変盛り上がったそうだ。それはライナー・ノーツに書かれてる全演奏の曲目・演奏者を見ても納得できる。しかしこのCDの編集の仕方には少々疑問がある。
 コンサートは多くのジャズマンが登場して、いろいろな組合せでセッションしていく形で進行していったようだ。こういうのってコンサートでは盛り上るだろう。次々と新しい人が登場し、今度はこの組合せで演るのか……といった具合で。
 しかしCDで聴いてのおもしろさ、何度も聴きたくなるポイントはそことは違う。ここはCD作品として編集して新しい流れを作っていってほしい所だ。しかしこのアルバム、曲のならび順など、なんかヘンだ。冒頭でリスナーの心を掴んでラストまで聴かせてやろうという計算が感じられない。全体の流れが出来てない。かといってコンサートでの曲順を尊重しているわけでもない。
 ソロやデュオよりも、リズム・セクション入りのバンドで演奏している、いちばんキャッチーな出来の "Sister Cheryl" や "Footprints" をトップにもってくるべきだったんじゃないか。単純だといわれるかもしれないが、ジャズ・ファンは大抵、ベースとドラムは入ってる曲が好きだ。それがそれぞれCD-1のラスト、CD-2のラスト2に入ってる。ノリが良くなってきたなと思ったらCDが終わってしまうのだ。
 ここはMDにそのまま録音して、自由に曲順を並べ変えて楽しみたいところ。
 ショーター参加曲の内容にいこう。個人的に一番好きなのは前述した "Sister Cheryl"。メンバーはショーターとウィントン・マルサリスのフロントに、リズム・セクションはハンコック、チャーリー・ヘイデン、そして作曲者のトニー・ウィリアムズ。この頃ウィントンはショーターを自分のアイドルだと語っていたそうで、二人の共演が話題だったらしいが、ぼくとしてはむしろチャーリー・ヘイデンとの共演を期待した。これがいい。波のようにおしよせるヘイデンのベースにのって、美しいメロディーが流れだすあたり、めちゃくちゃ気持ちいい。
 "Footprints" も文句なしの名演。上記のメンバーに、ボビー・ハチャーソンとジャコ・パストリアスが加わった豪華メンバーだ。しかしこの時のジャコは体調がわるく、演奏も不調。
 ヘイデン作の "Silence" は "Sister Cheryl" と同じメンバーで、これは静かで、レクイエムのように響く。後半ダレる気もしないではないが、前半のショーターのソロは胸に迫る。
 ウィントン作の "Hesitation" は上記メンバーからハンコックが抜けたカルテット。これは曲というより、四人が順番にフリー・ブローイングするブローイング合戦という感じ。こういうのはコンサートでは山場となるのだが、とくにドラムやベースのソロはCDで何度も聴きたいものでもない。
 以上4曲がバンドの演奏で、あとは(ショーター不参加の曲も含めて)デュオかソロによる演奏となる。
 ショーターが参加したデュオは、ハンコックとの "'Round Midnight" 1曲のみ。V.S.O.P.での雨のスタジアムの再現といったところか。
 いずれにしろ曲を並び変えるとかなり印象はよくなるので、やってみては? ぼくはショーター参加曲に関しては上記の紹介順でいいと思う。


2003.5.1


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Procession"     (Columbia)
   ウェザーリポート『プロセッション』


01、Procession
02、Plaza Real
03、Two Lines
04、Where the Moon Goes
05、The Well
06、Molasses Run

    Wayne Shorter(ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    Victor Bailey (b) Omar Hakim (ds,g,vo) Jose Rossy (per)
    Manhattan Transfer (vo-4)      1980.6/82


 夜のイメージの前々作、昼のイメージの前作につづき、本作は再び神秘的な夜のイメージに戻る。
 ウェザーリポートの傑作群のなかにあってはさほど目立った評価はされてないアルバムのようだが、ぼくはウェザーリポートを代表する傑作の一つだと思う。しかし、本作の傑作たる所以は前作までとは違う。
 まずは本作の成立した状況から見ていこう。
 前作を最後にジャコ、アースキンのリズム・セクションがやめ、新しいリズム・セクションを起用する。このへんからウェザー・リポートの最終章がはじまる。
 メンバー一新により、再びいろいろな可能性を探っているのが見え、その点でいうと本作は1stや『Mysterious Traveller』のようなタイプの、様々なタイプの曲が融合しないまま集められたアルバムといえる。しかしその2作とは違う面がある。
 『8:30』(78) あたりでは、すでにショーターとザヴィヌルの方向性には違いが見えてきていた。しかし、これまでの数年は理想的なメンバーが揃っていたことにより、ウェザー結成当初のコンセプトであった集団即興への方向性がかたまり、『Night Passage』、『Weather Report (81)』と傑作を作り上げてきた。それが、ジャコ、アースキンのリズム・セクションを失ったことによって、本作ではふたたびショーターとザヴィヌルの間の亀裂が見えてきている。といっても、まだ本作の段階では裂け目はそれほど広がっていない。
 さて、その裂け目がどこに見えるかだが、本作の収録曲を見ていくと、前作までの即興演奏中心を継続していこうとする曲と、編曲中心でやっていこうとする曲に大きく分かれる。即興演奏中心の曲はこれまでの延長だから、問題ない。裂け目が見えるのは編曲中心の曲のほうだ。
 いちばんハッキリとわかるのは "Where the Moon Goes" だと思う。この曲の前半、電子処理されたコーラスを使いつつリズミカルなパターンが続いていく感じは、完全にザヴィヌルのパターンだ。いかにも念入りに作られていて、このへんに当時ザヴィヌルが一番やりたかった方向性が見えている気がする。が、この曲、後半にショーターが素晴らしいソロを吹き、全てを変えてしまうのだ。まさに魔法のような演奏で、『Moto Grosso Feio』のような、遥かな旅を想わせるサックスの響きだ。この演奏のせいで、個人的には前半部はたんに序奏のようにしか感じないのだが、もしこのショーターのサックスをカットしてしまったら、後のザヴィヌルのソロ作のような曲になっていたろう。それにこのサックス演奏自体、後からオーヴァーダビングされたような気もしないでもない。

 一曲目にもどって見ていこう。
 冒頭の "Procession" は "Nubian Sandance" 的な作りの曲。サウンド指向のこのような曲自体はザヴィヌルのパターンだが、暗く謎めいた雰囲気やドラマチックな展開など、あきらかにショーターの色を感じる。それにショーターのサックスが曲の一番の核の部分を描き出しているような気がする。個人的には "Nubian Sandance" より良くできてると思う。
 つづく "Plaza Real" はショーター作のバラードで、傑作。ウェザーリポートの全キャリアを通じての最高のバラードの一つといっていい。神秘的な夜の闇のなか、不思議の都市の風景のなかを密やかに足をすすめていくかんじ。……この曲あたり、単独で聴くと『Atlantis』のサウンドにかなり近くなっているように感じる。ショーターにはだんだん「次の一歩」が目に見えてきたようだ。
 続く "Two Lines" と、ラストの "Molasses Run" が新バンドによる急速曲で、即興演奏中心の曲となる。ジャコとアースキンを失った影響はどうだったのかというと、集団即興演奏から順にモノローグ型のソロのとるタイプの演奏になってきてはいるが、演奏の勢い的には思ったほどには影響はなかったという印象だ。ファンキーな弾力性がなくなって、ガチガチしたデジタル的なビートにかわったが、これはこれで悪くはない。充分魅力的なリズム・セクションだと思う。とくに "Molasses Run" の演奏がいいと思う。"Two Lines" のほうは、リズム・セクションの対話性を欠いた打ち込みのような単調さが、後のザヴィヌル・シンジケートを思わせる。
 残る "The Well" はショーターとザヴィヌルのデュオ。80年のライヴ録音で、ショーターの美しいメロディがたっぷり聴ける。ザヴィヌルは伴奏に徹してる。もはや説明するまでもなく、ショーターとザヴィヌルのデュオはどれも素晴らしい。
 結果をいうと、本作はウェザーのアルバム中でもけっこうショーター色が強いアルバムだと思う。個人的にはこれ以後の後期のウェザーのアルバムの中でいちばん好きだ。


03.2.25


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "One By One"      (MegaDisc)


01、Footprints
02、Fee-fi-fo-fum
03、One By One
04、Nefertiti 〜 ?

    Wayne Shorter (ts,ss) Kirk Lightsey (p)
    Rufus Reid (b) Steve Ragby (ds)    1982.10.8


 これは貴重な、ウェザーリポート在籍時のショーターのアコースティック・バンドでのライヴを収録したブートCDR。音質は良好で、収録時間は68分ほどだ。
 実はたいした期待もしないで聴いたのだが、これがものすごく良い。新発見だった。
 期待していなかった理由は、この時期のアコースティック・バンドならVSOPの延長みたいなものじゃないかとおもっていたからなのだが、聴いてみると全然違う。
 ではどういう演奏かというと、一言でいえばリラックスしきったような演奏で、個人的には1970年代の Pablo などのレーベルのアルバムの雰囲気を連想した。この時代の Pablo では、ズート・シムズとかミルト・ジャクソンなどのベテラン・ジャズマンたちが、もう新趣向とかいったものは何も考えず、気心が知れた仲間と好きな曲を好きなように演奏したアルバムがたくさんあって、その普段着の感触が心地良かったが、ここでのショーターもそんな雰囲気で演っている。つまりは張りつめたような緊張感も新らしい試みも何もなくて、ただただ楽しげに演奏している雰囲気だ。こういったタイプの演奏を聴けるアルバムはショーターの場合めずらしい。
 まあ、姿勢として前向きとはいいかねる演奏なので、そこを批判しようとおもえばできるのだが、たまにはこういう演奏があってもいいんじゃないかと思う。
 特に天性のインプロヴァイザー・タイプのジャズマンは、こういった肩の力が抜けきった無責任な態度の演奏で真価を発揮する面もある。ショーターも天性のインプロヴァイザーなんでその例に洩れず、ここでのショーターの演奏はまさに自由自在で、後から後からイマジネーションが温泉のように噴き出してくるようだ。
 68分という収録時間でたった5曲ということでもわかるとおり、演奏はどれも長尺であり、それもノリにノッてアドリブしているうちに演奏時間がどんどん伸びていていく感じ。"Footprints" と "Fee-fi-fo-fum" に至っては20分前後におよぶ演奏である。
 とりわけ聴きどころなのは "Fee-fi-fo-fum" だ。それはこの曲のライヴ・バージョンがめずらしいというのもあるが、この演奏ではドラムがちょっとメッセンジャーズ時代のモーニンをおもわせるようなビートを叩き出していて実に調子がいい。この曲にこういったアプローチのしかたがあったのかと思わせてくれる。
 なお、"Nefertiti" が15分過ぎで終わった後、別の曲が始まるのだが、この曲名がわからない。別にメドレーではなく、完全に別の曲が始まるのだが、トラックを分けるのを忘れたらしく、4トラックめに続けて入っている。
 最後に、このバンドのことだが、よくわからない。多分ウェザーリポートの活動とは別にアコースティック・ジャズがやりたくなって臨時に組んだようなバンドだと思うのだが。


09.3.8


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Joni Mitchell "Wild Things Run Fast"      (Geffin)
   ジョニ・ミッチェル『恋を駆ける女』


01、Chinese Cafe - Unchained Melody
02、Wild Things Run Fast   
03、Ladies' Man   
04、Moon at the Window
05、Solid Love   
06、Be Cool
07、(You're So Square) Baby,I Don't Care
08、You Dream Flat Tires   
09、Man to Man   
10、UnderNeath the Streetlight   
11、Love

   「04」「06」「11」
   Joni Mitchell (g,vo) Wayne Shorter (ss)
   Larry Klein (b) Russell Ferrante (synth-04,06)
   Steve Lukather (g-11) Don Guerin (ds-04,06)
   Vinnie Colaiuta (ds-11) 他     1982


 あの『Mingus』(78) の次のショーターのジョニの作品への参加作、ということで期待してはいけない。ジョニは前作のライヴ盤『Shadows and Light』(80) まででジャコ・パストリアスとのコラボレーション時代が終わり、本作からベーシストのラリー・クレインを中心にすえて作風を大きく変化させる。よりロックっぽい路線へと変化したといっていいだろう。
 曲によってはギンギンのロック・ギターを入れたり、ビートを効かせたり、ジョニとしては冒険的な曲と、これまでどおりおとなしめの曲もあり、比率はだいたい半々といったところ。ちなみにショーター参加の3曲はどれもおとなしめの方。
 また、これまでのジャズ的な演奏中心のスタイルから、再び曲中心となった。そして一曲々々が短くコンパクトにまとまってきた。この路線は次作の『Dog Eat Dog』(85) さらにその次の『Chalk Mark in a Rain』(88) まで続く。
 正直いってショーターとこの路線との相性はあまり良くない。曲がコンパクトにまとまったことで参加ミュージシャンのソロ演奏スペースは減り、演奏の自由度も減っているので、必然的にショーターの活躍できる空間は減ってくるわけだ。
 それでもそれなりにいい味は出してはいるが、『Mingus』のように大活躍というわけにはいかなくなる。参加曲も本作が3曲、『Dog Eat Dog』(85) が2曲、『Chalk Mark in a Rain』(88) が1曲と減っていく。ショーターがジョニのアルバムで再び大きく活躍し始めるのは『Turbulent Indigo』(94) 以後のことになる。

 さて、とはいえ、聴きどころがないわけでもない。
 個人的な意見では、たぶんショーターは本作あたりで独自の歌伴のスタイルを完成させたんじゃないかと思う。
 ふつう歌伴でのソロイストの演奏方法は、ボーカリストが歌っている場面では控えめにバッキングを付け、間奏部などボーカリストが歌っていない部分で前へ出てきてソロをとる……という形をとるものだ。
 しかしショーターはそうではなく、ボーカリストと一緒にサックスで歌う形をとっている。つまりボーカリストが歌っている場面で対話的なソロを展開し、歌い終わって間奏部に入ったからといって、ここぞとばかりに前へ出てきてソロをとったりしない……という在り方だ。普通ボーカリストは決められたメロディ通りに歌うんで、それに即興演奏で陰翳をつけるような感じになる。
 このような演奏方法は『Mingus』でもバンド全体の集団即興という形で行われていたが、本作ではより単純化し、サックスの演奏だけで行っている。

 というわけで、ショーターの演奏めあてで聴くようなアルバムではないとは思うが、それはそれでショーターの新しい試みが聴けるアルバムだ。
 また、この時期のジョニの作品では、目指しているサウンドとショーターの相性が良いわけでもないのに、それでもショーター参加の曲を何曲かづつ入れ続けた点に、ジョニのショーターに対するこだわりも感じられる。


03.5.8


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Jaco Pastorious  "Holiday for Pans"    (Sound Hills)
     -comprehensive brand new edition-

01、Holiday for Pans  
02、Good Morning Anya
03、Giant Steps  
04、She's Leaving Home  
05、City of Angels  
06、Elegant People
07、Mysterious Mountain  
08、Birth of Island  
09、extra bass track  

   (メンバー詳細不明)      1982


 ジャコ・パストリアスはライヴ盤を除くと生前にオリジナル・ソロ作を3作しか作っていなく、その全てにショーターが参加している。その3作めの最後のソロ・リーダーアルバムが本作なのだが、本作はかなり数奇な経緯を辿った作品であり、ファンの中には本作をジャコの作品だと認めてない人もいる。まず最初にその経緯をごく簡単に説明しておく。

 ジャコにとって本作の構想はすでに『Ward of Mouth』(81) 製作時にはあったらしく、『Ward of Mouth』の後すぐに本作にとりかかったらしい。順調にいけばワーナーからの第2作となるはずのアルバムだったのだが、『Ward of Mouth』が期待をはるかに下回る売り上げしか示さなかったことに腹を立てていたワーナー側は、さらに売れそうにない本作を聴いてリリースを拒絶、ジャコとの契約を解除した。よって本作のマスターテープはジャコのものになった。
 しかしこの後凋落の道を辿るジャコは、けっきょく87年の夭折まで本作を完成・リリースすることは出来なかった。そして本作のテープはいろいろな経緯があってケニー・ジャッケルという人の手に残ったようだ。この人はジャコの死後もテープを遺族には返さず、どこかに高く売りつけようと画策しはじめ、また、より商品価値を高めるためにテープを加工したという疑いもある。(このへんから諸説あってわからなくなる)
 さまざまな経緯の後、結果的に本作のテープは日本の Sound Hills という会社にわたってミックス・ダウンされ93年にリリースされる。幻のジャコのリーダー作ということで大きな反響があったようだが、同時にどうもおかしい、これはどこまでジャコの作品なのか……という反響も出てくる。ジャコは生前のインタビューで本作ではほとんどベースを弾いてないと語っていたらしいのだが、ベースの音が聴こえるじゃないか。これは別人がベースの音を勝手にオーヴァーダビングしたのか……などなど。
 その後、それなら Sound Hills にわたったテープを全く手を加えずにそのままリリースしようと、CD3枚組の無編集盤もリリースされた。
 上にある曲目は音楽誌『Adlib』の松下佳男氏(ジャコ・ファンとして有名)の監修による「comprehensive brand new edition」と銘打って2001年にリリースされたものだが、これが最良のものなのか、あるいはジャコの構想の最も近いものなのかどうかは、わからない。
 しかし、どうあれ本作の音源は全盛期のジャコが構想し製作した作品なんで、完成までジャコが思うとおりに出来なかったとしても、やはりジャコの作品というべきだと思う。少なくともジャコがゲスト参加しただけの作品よりジャコの色が出ているはずだろう。

 さて、本作の内容に入る。
 タイトルにある "Pans" とはスチール・ドラムのことで、本作はスチール・ドラムをメインにした南国気分溢れるセッションである。BGMにしても快適といったかんじの、楽しげで肩のこらない音楽だ。ワーナー側は本作を聴いてジャコとの契約の解除を決めたというが、本作がそれほどジャコという人からかけ離れたジャコらしくない作品なのかというと、個人的にはそうは思わない。
 どうもワーナー側はジャコがウェザーリポート時代のようなアルバムを作ることを期待していたようなのだが、そもそもウェザーリポートのサウンドの中心はショーターとザヴィヌルであって、ジャコではない。ジャコにウェザーリポートを期待するのがそもそもの間違いであり、ジャコをウェザーリポートの人と思ってしまうと何も見えなくなってしまうのだ。
 そして、ジャコの本来の方向性を見ようとするなら、ワーナー側がガッカリした『Ward of Mouth』も本作も、ジャコの音楽的指向性のなかにむしろ自然に位置づけできる作品だと思う。
 そもそもジャコはシンセの音より管楽器によるアンサンブル、ビッグ・バンドが好きなことは随所に出ているし、スチール・ドラムという楽器も気にいっていて『Jaco Pastorious』から好んで使用している。
 確かにこのようなタイプの音楽が当時いわゆる売れセンだったとは思えない。ジャコという人は、いかにも一般受けするスター性をもった人だったが、ミュージシャンとして見た場合、それほど一般受けするタイプの音楽を作る人ではなかったようだ。しかし一般受けしない音楽というのは、わるい音楽ということではない。売れセンの音楽を期待しないのであれば、『Ward of Mouth』も本作も充実した立派なアルバムだと思う。

 さて、本作は謎に包まれたセッションなんで、クレジットもあまり信用できるものではないようなのだが、聴いたかぎりでの個人的な意見をいうなら、やっぱりジャコは何曲かでベースを弾いていると思う。ジャコのベースのスタイルを完璧にコピーできる別人がいたというのなら話は別だが、おそらくそうではないんではないか。
 ショーターの関しては、上記の2曲に参加しているのではないかと思う。が、これまでのジャコのアルバムへの参加と比べると、それほど際だったソロをとってるわけではないので、ショーターめあてで聴くものではないかもしれない。「Good Morning Anya」ではスモールコンボでスチールドラムとサックスの楽しげな会話が聴けるが、それほどテンションは盛り上がらず、BGM的な快適な音楽。
 「Elegant People」はビックバンドによる演奏で、サックスはさほど目立った活躍はしていないかんじだ。


03.12.4


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   Weather Report "Domino Theory"    (Columbia)
   ウェザーリポート『ドミノ・セオリー』


01、Can it Be Done
02、D Flat Walz
03、The Peasant
04、Predator
05、Blue Sound-Note 3
06、Swamp Cabbage
07、Domino Theory

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    Victor Bailey (b) Omar Hakim (ds) Jose Rossy (per)
    Carl Anderson (vo-1)      1983


 一般的には後期ウェザーリポートのアルバムのなかでは傑作と評価されているもののようだ。個人的には『Procession』以後のウェザーのアルバムはレベル・ダウンする一方のような気がする。
 それでも(自分の好みから離れて)本作が高く評価される理由を探すなら、本作ではこれまでのウェザーとはかなり違う、統一的なカラーが打ち出されているからだろうか。テクノ的というか、無機的という感じ。これまでの神秘的、もしくは南国的なイメージに対して、機械的、デジタル的とでもいうようなイメージだ。
 さて、本作ではいよいよショーターの方向性とザヴィヌルの方向性の違いがハッキリとした亀裂となって現れてきた。
 本作のうちで最もザヴィヌル色が強いのはラストの "Domino Theory" だろう。テクノ・ポップ的なナンバーで、ザヴィヌルのこの後のソロ作(『Dialects』)そのままの感じだ。"The Peasant" も、ライヴ音源なので少し雰囲気は違うが、目指しているものは同じ。この方向性、前作の "Where the Moon Goes" でやってたことの延長線なんだろうが、"Where the Moon Goes" が後半のショーターの演奏によってまったく別の世界になっているのと違い、本作のこの2曲ではショーターはいてもいなくてもいい存在感しかない。2曲とも、いわゆるジャズ的緊張感は感じられず、いわば別ジャンルの音楽というべきであり、個人的にはそれほどおもしろいとは思わない。
 いっぽう即興演奏路線の強くでた曲はライブ録音の "D Flat Walz"、ショーター作の "Predator" と "Swamp Cabbage"、そして "Blue Sound-Note 3".の計4曲。これらの曲はモノローグ型のアドリブになっていた前作の "Two Lines" や "Molasses Run" に比べてずっと集団即興の色が出てきた。中でも "D Flat Walz" と "Predator" が本作中の白眉だろう。"D Flat Walz" はライヴ録音だけあって本作中最も躍動感があり、聴き応えがある。ショーター作の "Predator" はテクノ的サウンドでカプリソをやるというミスマッチ感覚が楽しい曲。ショーターは次作でもカプリソをやるのだが、このへんウェザーリポートに従来の南国的イメージを求めるファンへのサービスなんだろうか。
 同じくショーター作の "Swamp Cabbage" は、しかし、かなり編曲中心の雰囲気で、ザヴィヌルの手が相当入っているのでは、と思われる出来。"Blue Sound-Note 3" はかなり興味深い。この頃のウェザーリポートではめずらしい、フリーっぽいアプローチの曲で、「音楽的冒険物語」にかわって「音楽的サスペンス映画」といった雰囲気。後半部のショーターのソロ、ラスト近くになって現れるテーマが美しい。
 残る1曲、オープニングの "Can it Be Done" も好きだ。アルバムのイントロとでもいうべき短い曲だが、デジタル的なキーボードの響きが幻想的な空間を描き出していて見事。ザヴィヌルの編曲のようだが、前作のショーターの "Plaza Real" の雰囲気が反映されている気がする。ザヴィヌル的というより、ショーターの雰囲気がするのだ。ただしこの曲、ショーターは活躍せず、ボーカリストを大幅にフューチャーしている。
 このアルバム、一聴するとショーターの影が薄いようにも感じるのだが、丁寧に聴けば白眉といえる "D Flat Walz" や "Predator" では大活躍してるし、"Blue Sound-Note 3" もショーターでもってるような曲だ。それに "Swamp Cabbage" と、むしろ本作中の過半数の曲ではショーターの存在は大きい。そう考えると、むしろこのアルバムでのショーターのサックスの音がエフェクターのかけすぎで、音自体にショーターらしさが感じられないことが、ショーター色が薄くかんじられる一番の原因かもしれない。
 とはいえ、それでもやはりザヴィヌルはちゃくちゃくとバンドの主導権を握りつつあることは感じられる。ショーターはそんなバンドの方向性に疑問を感じたのか、ウェザーリポートからは撤退を始め、ソロ・アルバム『アトランティス』の制作を本腰を入れはじめ、ウェザーリポートはザヴィヌルのソロ・プロジェクト化への道を進むことになる。
 次作はいよいよザヴィヌルが主導権を握ったウェザーリポートの第一作だ!


03.6.4


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   Herbie Hancock "Sound-System"      (SME)
   ハービー・ハンコック『サウンド・システム』


01、Hardrock   
02、Metal Beat
03、Karabali
04、Junku   
05、People Are Changing   
06、Sound-System   

    Wayne Shorter (ss, lyricon) Herbie Hancock (p, key, syn)
    Aiyb Dieng, Anton Fier, Foday Musa Suso (per-2)
    Toshinori Kondo (tp, speaker-2) Henry Kaisar (g-2)
    Bill Laswell (DMX-2) Hamid Drake (cymb-3) 
    Daniel Ponce (bells, shaker-3) Bernard Fouler (vo)
    Will Alexander (Fairlight CMI prog)      1984


 ハービー・ハンコックがビル・ラズウェルと組んで80年代に発表した『Future Shock』(83)、本作、『Perfect Machine』(88) の3部作は、当時まだ新しい音楽だったヒップホップとジャズとを融合させようという試みで、『Future Shock』収録の「ロック・イット」は奇妙な人形を使ったビデオ・クリップとともに大ヒットした。
 ジャズとヒップホップの融合の試みとしては、遅れて'91年にマイルスが 『Doo-Bop』という凡作を作るが、長年マイルスが担っていた、ポップ・ミュージックの新しい流れとジャズとを融合させるという方法論は、とっくにハンコックに先を越されるようになってたんだな……ということを象徴する出来事だった。
 さて、ハンコックはヒップホップのどこに興味を持ち、自分の音楽に取り入れようとしたのかというと、明確だ。それはリズムだろう。ハンコックは最初のリーダー作の『Takin' Off』(62) から70年代のエレクトリック路線、そして90年代以後の活躍をみても一貫してリズムに敏感であり、新しいリズムに対して積極的だ。
 逆にいうと、マイルスの『Doo-Bop』がダメな理由は、マイルスがヒップホップのどこに興味を持ち、どのようにするかの方法論も持たないまま、単に「つねに前進する男・マイルス」といったイメージを自己演出するためだけに新しい流行に取り組み、それもいつも通り、別人にカラオケ部分を全部作らせ、それに自分のトランペット演奏を合わせればマイルスのアルバムが一枚デッチ上げられるという安易な考えしか持っていなかったからだろう。

 さて、その3部作の2作目にあたるのが本作。ここでショーターを起用したのは一作目が商業的にも大ヒットした後で、新しいプラスαを加えてみようとしたからではないかと想像する。
 クレジットによると、本作でショーターは2曲参加していることになっているが、"Metal Beat" は言われてみれば参加してるかという程度。本作でのショーターは "Karabali" につきるだろう。これはショーターとエレクトリック・ハンコックのコラボレーションとして最高の出来だ。
 ほぼ最初から最後までショーターのソロがフューチャーされ、崩壊しかかった未来都市のジャングル・ミュージックのようなバックの演奏の中、ショーターのサックスが妖しげな陰翳をもって動きまわる。


03.5.8


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   Weather Report "Japan Domino Theory"    (Sony/Video)
   ウェザーリポート『ジャパン・ドミノ・セオリー』



01、D Flat Walz
02、Duet (Improvisation)
03、Where the Moon Goes
04、Medley: 8:30〜
    Black Market〜
    Elegant People〜
    Swamp Cabbage〜
    Badia〜
    A Remark You Made〜
    Birdland

  Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn) Victor Bailey (b)
  Omar Hakim (ds) Mino Cinelu (per)     1984.9.27


 これはビデオでリリースされたもので、収録時間は61分と書かれているが、リハーサル風景が5分ほど収められているので、演奏時間は54分半ほど。当然この日のライヴをまるごと収録したものではなく、十数曲演奏されたうち上記の3曲+アンコールのメドレーだけが抜粋されて収録されている。
 この84年はウェザーリポートの最後のライヴ・ツアーが行われた年だ。ウェザーリポートはこの後、84年10〜11月に『Sportin' Life』を録音するが、その後のツアーは行われず、ショーターは『Atlantis』を制作し、リリース。その後は『Atlantis』のツアーを自己のバンドで行う(その模様は『Zurich 1985』などのアルバムで聴ける)。ザヴィヌルもまた同時期に『Dialects』リリースする。そしてウェザーリポートはさらに『This is This』を録音するがショーターがバンドを離れて解散、『This is This』後のツアーは残りメンバーにスティーヴ・カーンを加えて「Weather Update」というバンド名義で行われることになる。
 ということで、『Domino Theory』のツアーの最後期、84年9月末のこのライヴは、そのままウェザーリポートの最後期のライヴでもある。メンバーは既にミノ・シネルが入って『Sportin' Life』の時のメンバーになっていて、どうもこの時期には『Sportin' Life』に収録される曲も演奏していたようなのだが、収録曲は上記のとおり、曲数的には少し不満の残るものとなっている。
 この時のライヴは全て同じクオリティーでオフィシャルで録音・録画されているはずなんで、ぜひ完全版でリリースしてもらいたいものだ。

 さて、演奏内容を見ていく。
 まず冒頭の "D Flat Walz" が好演だ。これはいかにもライヴ向きの曲で、オリジナル・アルバムのヴァージョンもライヴ音源だった。このヴァージョンはオリジナルと大きく変化しているわけではないが、こっちのほうが演奏が生き生きと弾んでいる気がする。演奏時間もオリジナルが11分強に対し、こちらは14分弱と長くなっている。そして何よりうれしいのが、オリジナル・ヴァージョンではエフェクターのかけすぎの感があったショーターのサックスの音色が、ここでは生音に近い音色で録音されていることだ。やはりこちらのほうがずっといい。
 個人的には本作の目玉はこの "D Flat Walz" と、単に "Duet (Improvisation)" と題された2曲めだと思う。タイトル通りショーターとザヴィヌルのデュオで、この二人のデュオはこれまでにも何曲もリリースされているが、これは現在リリースされているデュオ演奏でも最高のものではないだろうか。幻想的で透明なショーターのソプラノがゆらめくように飛翔し、機材の進歩によってシンフォニックな奥行きを感じさせるザヴィヌルのシンセが背景を描きだしていく。演奏時間も12分を超えるボリュームで、質・量ともに素晴らしく充実した演奏だ。
 "Where the Moon Goes" は演奏全体の出来はともかく、ショーターのサックスの出番が少ないところが個人的には不満が残る。ただし中間部に登場するショーターのソロは見事なソロだ。短めとはいえ、霊感に溢れている。基本的にはこの曲、前曲のデュオ演奏に対して、リズム隊の腕の見せ場なのだろう。リズム隊のソロが大きくフューチャーされている。それから映像メディアのいいところで、この曲の演奏ではショーターはサックスを吹かない時はパーカッションを叩いたりしていたことがわかった。
 ラストはアンコールの有名曲メドレーだが、これは基本的にはテーマ部を並べて演奏しているだけなのでインプロヴィゼーション性が少なく、それほどおもしろいものでもない。こういうのは、このような有名曲めあてでライヴに来たファンのために、一応演奏してみせて満足させるための、いわばファン・サービスであって、音楽的にどうこういうものではないだろう。それでも後半にはショーターがインプロヴィゼーションする場面もあって、それなりに聴きどころがないわけでもない。また、曲でいうと『Domino Theory』に入っていた "Swamp Cabbage" が目をひく。当然テーマ部のみの短いヴァージョンだが新鮮な印象がある。ちゃんと演奏し、収録してほしかったところだ。



04.6.7
09.5.4・改


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Sportin' Life"    (Columbia)
   ウェザーリポート『スポーティン・ライフ』


01、Corner Pocket
02、Indiscretions
03、Hot Cargo
04、Confians
05、Pearl on the Half-Shell
06、What's Going On
07、Face on the Barroom Floor
08、Ice-Pick Willy

   Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
   Victor Bailey (b) Omar Hakim (ds) Mino Cinelu (per)
   Bobby McFerrin, Carl Anderson, Dee Dee Bellson, Alfie Silas (vo)
                         1984.10-11


 結果論でいえば、ウェザーリポートは前作までで解散したほうが良かったような気がする。前作の方向性に不満があったらしいショーターはソロ作『Atlantis』の準備を始める。そして本作でのウェザーリポートといえば、もう各自の向いている方向がバラバラで、グループとしてのまとまりがなくなってしまっている。
 これまでのアルバムでは曲の作者が誰かにかかわらず、ウェザーリポートというグループの曲であるという感があったのだが、本作ではザヴィヌルの自作曲は全てザヴィヌルのソロ作と変わらなくなる。
 どうしてこんなことが起こったのか。たぶんショーターが引いてしまったせいではないかと思う。
 つまり、これまではザヴィヌル作の曲でも、演奏の完成にいたる過程でショーターが影響力を発揮していた。しかし本作ではショーターがそれほど力を発揮しなかったために、ザヴィヌルの作った曲が、そのままの形で提出されてしまったのだろう。
 たぶん本作録音時にはショーターは『Atlantis』の新しい世界に夢中になり、いまさらウェザーリポートには力が入らなかったんじゃなかろうか。『Atlantis』は、これを作ってしまったらもう、少なくともいままでのウェザーリポートには戻れない、というタイプの音楽だ。

 さて、ウェザーリポートはザヴィヌルが実質的なリーダーのバンドであるという説が一方に強くあって、ぼくはそうではないと考えているのだが、そのわかりやすい理由が本作に4曲あるザヴィヌル作の曲だ。どの曲にもショーターは参加しているが、もはや完全にサイドマンとしての参加で、リーダーシップは完全にザヴィヌルにある。つまりザヴィヌルがリーダーのバンドにショーターが参加しているという形だ。
 もしウェザーリポートがザヴィヌルが実質的なリーダーのバンドであったとしたら、これまでのウェザーリポートもこのような内容であった筈であり、本作収録の4曲とこれまでのウェザーリポートのザヴィヌル作の曲はほぼ同じレベルの曲である筈だ。
 さて、本作では冒頭3曲がすべてザヴィヌル作の曲なんでわかりやすいのだが、はたしてこれまでのウェザーリポートと同じだと思えるだろうか。
 個人的には、ガクンとレベルダウンしていると感じる。もっと正確にいうなら、違うものになっている。
 冒頭の "Corner Pocket" は出だしこそ南国的で陽気な以前のウェザーを思わせるものだが、つづく演奏はずっと低迷している感じで盛り上がらない。続 く"Indiscretions"、"Hot Cargo" も含めて、ジャズ的な緊張感、スリリングさが感じられない。もう1曲のザヴィヌル作のラストの "Ice-Pick Willy" は、この曲だけショーターがちょっと活躍しているので、ちょっとだけ緊張感が感じられるか。
 いずれにしても、それなりに明るく楽しい耳ざわりの良い音楽ではあるとは思うが、これまでのウェザーリポートの音楽と比べると、ハッキリいって別ジャンルの音楽だと思う。つまり、これまでのウェザーリポートはエレクトリック楽器を使ったジャズであったのに対し、本作のザヴィヌル作の4曲は、歌の入らないポップス、狭義のフュージョンである。
 そして、ウェザー解散後のザヴィヌルのソロ作もまた、ジャズ的な緊張感・スリリングさに欠けた、狭義のフュージョンと呼ぶべき音楽になっている。
 つまり、ザヴィヌルはこういった、明るく陽気な狭義のフュージョンを作る人であって、本作以前のウェザーリポートの音楽は、基本的にザヴィヌルがリーダーシップをとって作った音楽ではありえないということは、どこから見てもあきらかではないだろうか。

 本作でいいのはやはりショーター作の2曲。カプリソ風の明るい "Pearl on the Half-Shell" と、打楽器隊抜きによるバラード "Face on the Barroom Floor" だ。これらショーター作の曲は、ザヴィヌル作の曲ほどショーターが引いてないため、これまでのウェザーリポートの雰囲気が残っているのだろう。本作のショーターのサックス音は前作『Domino Theory』に比べてずっと生音に近く、曲想とあいまって、限りなく澄んだ青空・透き通った海を思わせる美しい世界を描き出す。
 ほか、"Confians" はパーカッションのミノ・シネルのギター弾き語りによるボーカル曲。なんでこんな曲がウェザーリポートのアルバムに? という気はしないでもないが、曲自体はなかなか良いし、ショーターも見事な歌伴の演奏を繰り広げている。
 最後に残った "What's Going On"。もちろんマーヴィン・ゲイの名曲のカヴァーであり、この直前に射殺されたゲイへの追悼曲だが、どうしたわけかザヴィヌルがメイン・メロディを弾いていて、これがつまらない演奏だ。どうも本作の頃にはザヴィヌルはグループ内の役割分担がわからなくなってしまったらしい。ここはショーターにメロディを吹かせて、ザヴィヌルは伴奏+アレンジに専念するべきだった。メイン・メロディが歌ってなく、ショーターの吹く副旋律がいいので、なんだか演奏が逆立ちしているような奇妙な印象になってしまっている。

 以上、全体的に見ても、バラバラの印象のアルバムだ。
 聴きどころはある。ショーター自作の2曲は素晴らしいし、"Confians" もなかなかいい。ザヴィヌル作の4曲はつまらないが、それより問題なのはこの4曲、べつにウェザーでやる必然性がない事だ。つまりザヴィヌル一人で充分できる。
 それをいえば、"Confians" だってウェザーのコンセプトではないし、"Face on the Barroom Floor" だってバンドはいらない。結局のところウェザーリポートというバンドの曲といえるのは "Pearl on the Half-Shell" の1曲きりではないか。つまり、グループのコンセプト、アイデンティティーが失われてきているのだ。
 ザヴィヌルにとってまだ捨てがたかったのは「ウェザーリポート」という知名度の高いバンド名だけだったのかもしれないし、ショーターにいたってはただの惰性で続けているだけという気もする。
 ということで、「ウェザーリポート」というバンド名を冠したアルバムはあと一枚作られるが、実質的にはウェザーリポートは本作で終わっていたのだと思う。もっと正確にいえば、前作でもう既に終わっていて、本作はショーターとザヴィヌルのソロ作を同じディスクに収録しただけのオムニバス作品だといったほうがいいのかもしれない。
 つまり、ウェザーリポートの実質的なリーダーはザヴィヌルだったのかというと、実は本当にザヴィヌルが実質的なリーダーになったのは本作からであり、そしてそうなった途端、ウェザーリポートは崩壊したのだといえる。


03.11.12


『ウェイン・ショーターの部屋』

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