ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1976年〜77年



   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Weather Report "Roxy 5/30/76"    (Jazz Masters)


01、Elegant People
02、Scarlet Woman
03、Come On Come Over 〜 Barbary Coast
04、Bass Solo (Okonkole y trompa, Portrait of Tracy)
05、Cannon Ball
06、Black Market
07、Five Short Stories
08、Doctor Honoris Causa 〜 Rumba Mama 〜 Directions
09、Badia 〜 Gibraltar    

   Wayne Shorter (ss,ts) Joe Zawinul (key)
   Jaco Pastorius (b) Alex Acuna (ds)
   Manolo Badrena (per)           1976.5.30


 ウェザーリポートにジャコ・パストリアスが加入したごく初期のライヴを収録したブートCDで、ウェザーリポートのブートとしてはかなり初期に出たもののようだ。収録時間は69分ほど。音質は決して良いとも言えないが、聴くのに努力が要るほど悪くもない。バランスは良いので、まあ、及第点という感じ。
 『Black Market』の時期のライヴだが、ジャコ〜アクーニャ〜バドレーナというメンバーはこの後の『Heavy Weather』と同じである。このメンバーに変わってまだ慣れてない頃のせいか、演奏のスケールは『Solarization's』(74) の頃に比べると一回り小さくなり、少しパワー・ダウンしていると思う。
 俗説に反するが、ウェザーリポートは必ずしもジャコが入ったことによってレベル・アップしたわけではなく、ジャコの参加がウェザーリポートにいい影響を与えてくるのはもう少し後のことになる。とはいえ、ジャコの演奏自体はもう既に見事なもので、はやくもソロ・ナンバーも演奏しているが、個人的にはこのソロよりも "Come On Come Over 〜 Barbary Coast" あたりの演奏にジャコの真価を見る。これは "Barbary Coast" にジャコの1st の "Come On Come Over" のベース・リフを組み合わせたもので、なかなかおもしろいアイデア。ジャコの演奏も冴える。
 さて、本作はメンバーだけでなく、選曲の点でも新しい第一歩的な雰囲気が強い。 "Elegant People" , "Black Market" , "Gibraltar" といった曲はこの後ライヴの重要レパートリーとなって何度となく演奏されていく曲だが、この時点では新曲。"Elegant People" は後のライヴ・バージョンのように後半に入って雪崩式に集団即興に突っ込んでいく展開がないし、"Black Market" も打楽器だけをバックにショーターがブローする展開もない。まだ初期形という感じ。この時期のエンディング用ナンバーとなる "Gibraltar" は既にスタジオ盤での演奏を大きく破ったスピーディーな演奏になっているが、繰り返し演奏されることになる曲だけに、この後、もっと凄いバージョンもある。旧曲の "Doctor Honoris Causa" は既に "Birdland" に近づいてきていて、ジャケットにも "Birdland" と誤記されている。
 そんな感じで、全体的に力のこもった演奏だとは思うが、この後のライヴ盤を聴いた耳で聴くと、全体的に頭抜けたところのない演奏になっていると思う。まあ、わるいわけではないので、当然これはこれでいいのだが、まだ序の口といった感じ。
 結局、本作の一番の売りは、録音のバランスの良さだろうか。この時期のウェザーリポートのブートレグはジャコ・ファン狙いなのか、やたらにベースの音が大きいものがけっこう多いのだ。ま、気持ちはわからないではないが、何事もバランスというのは大切で、バランスを崩してまで一つの楽器を強調しても、良くなるということはない。

 ところで、この時期以後、ジャコ時代のウェザーリポートのブートレグは少なくとも日本では膨大な数リリースされている。日本人は昔から若くして不幸な死に方をしたアーティストが大好きなのだが、ジャコの根強い人気は驚くばかりだ。
 もちろんジャコが優れたベーシストであり、ジャコ在籍時のウェザーが優れたバンドだったことを否定する気はまったくないが、『Live and Unreleased』(75-83) を聴けば一目瞭然なとおりウェザーリポートはジャコ在籍時が突出して優れていたわけではない。ヴィトウス在籍時、アルフォンゾ在籍時もそれぞれ独自の魅力があって甲乙つけがたいほどだし、ヴィクター・ベイリーに代わってからもそれほどボルテージは落ちていない。それでもジャコ在籍時にリリースが集中するということは、いかに人々が音楽そのものを聴かず、名前で音楽を聴いているかだろう。
 とはいえ、ジャコ人気のおかげで、少なくともこの時期のライヴ音源は豊富に入手できるわけだから、それはそれで良しとしよう。できれば他の時代の音源もどんどんリリースしていってほしいものだ……。


05.4.30


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Herbie Hancock "V.S.O.P."    (SME)
   ハービー・ハンコック『ニューポートの追想』


01、Piano Introduction   
02、Maiden Voyage
03、Nefertiti
04、Introduction of Players
05、Eye of the Hurricane 
06、Toys   
07、You'll Know When You Get There   
08、Hang Up Your Hang Ups   
09、Spider   

     「02」〜「05」
     Herbie Hancock (elp) Wayne Shorter (ts,ss)
     Freddie Hubbard (tp) Ron Carter (b)
     Tony Williams (ds)        1976.6.29


 本作からついにV.S.O.P.が始まる。ちょっとややこしいが、本作はハービー・ハンコックがリーダー名義の『V.S.O.P.』、翌年以後にリリースされるのは V.S.O.P.クインテット名義となる。そのことからもわかる通り、本作は全編がいわゆるV.S.O.P.クインテットの演奏ではない。
 最初から順に説明していこう。
 '70年代半ばというのは、アメリカでの伝統的なアコースティック・ジャズの人気がどん底まで落ち込んだ時期だった。レコードは売れず、ライヴにも客は来ず、ジャズマンは好むと好まざるとにかかわらずフュージョンをやるか、さもなくばヨーロッパに移住しなければアコースティック・ジャズは続けられない状態だった。
 そんな折り、ハービー・ハンコックの企画もののコンサートが開かれる。ハンコックの回顧展とでもいうべき、これまでハンコックが所属した3つのバンドを再結成し、順に演奏するという企画で、それがV.S.O.P.(ベリー・スペシャル・ワンタイム・パフォーマンス)であり、そのコンサートの実況盤が本作だ。
 さて、その3つのバンドの内で、60年代の黄金クインテットを復活させようという企画が実現する。といってもマイルスは当時引退中のため、かわりにフレディ・ハバードを入れた編成だ。そうして結成された新黄金クインテットだが、誰も予想していなかったことに、アコースティック・ジャズ人気がどん底のアメリカで、なぜか奇跡のような熱狂的な人気を博してしまったのだ。そのためこの新黄金クインテットは翌'77年にレギュラー・バンドとして再結成され、世界ツアーを行い、結局'79年まで続くことになる。それがいわゆる「V.S.O.P.クインテット」だ。
 このV.S.O.P.クインテットの人気が呼び水になってアメリカでもアコースティック・ジャズの人気が再び上昇しはじめ、V.S.O.P.クインテットに熱狂した若者のなかからウィントン・マルサリスを筆頭に次世代のジャズマンが次々に登場し、ついには'80年代に至ってアコースティック・ジャズは復活することになる。
 いわば、'80年代のアコースティック・ジャズ復活の礎石を作ったのがこのV.S.O.P.クインテットであり、そのため'80年代に登場したアコースティック・ジャズ指向のジャズマンたちはみな50年代のジャズではなく、60年代のジャズを手本とした演奏スタイルをとっていたのだ。(それがいい影響ばかりだったかどうかは、おいておく)

 そんなわけで本作がV.S.O.P.クインテットの出発点ではあるが、本作は3つのバンドの演奏を収めており、後のV.S.O.P.クインテットによる演奏は全体の半分くらいだ。だからV.S.O.P.クインテットを目当てにまず一枚聴いてみようというなら、本作は必ずしも「お買い得」とはいえない。が、演奏自体をいうと、V.S.O.P.クインテットの演奏のなかでもトップクラスの名演ではないかと思う。

 さて、演奏だが、まずハンコックのソロ・ピアノによる即興演奏から始まる。
 つづく"Maiden Voyage"がV.S.O.P.クインテットによる一曲目だ。いわずと知れた名曲だが、初出の『Maiden Voyage』(65)はサックスにジョージ・コールマンを入れた編成だったので、ショーターがこの曲を演奏するのは、録音されている限りでは、初めてなのではないか。
 ここでは、まずショーターのテナーによるスケールの大きい演奏に圧倒される。まさに広大な大海原に乗り出していくような雄大な演奏だ。
 しかし、注意してきくと、とくに豪快にブロウしているわけでも、スケールの大きなフレーズを吹いているわけでもない。むしろフレーズは断片的で、細かく上下させている。しかし、その断片的なフレーズが大きなうねりを感じさせるので、スケールの大きい演奏に聴こえるのである。
 これは例えば、キャンバスに大きなものを描くとき、その大きなもの自体を大きく絵筆で描くのではなく、絵筆を細かく動かしてそのものの陰影だけを描き、キャンバスの地の白い部分をそのもの自体に見立てるような手法である。つまり音の余白部分を意識させる奏法で、ショーターの演奏が空間的といわれる理由の一つだと思う。
 それにしても、オリジナルの『Maiden Voyage』でもやはりショーターを起用するべきだったのではないかと思わせる名演だ。
 続いて"Nefertiti"。自由に楽しんでるかんじの演奏。オリジナルではホーン陣はわりと遊ばずに同じフレーズを繰り返していたが、ここではショーターもハバードも自由にアドリブを繰り出してくる。
 続いて、メンバー紹介をしながら各プレイヤーのソロを聴かせてから、そのまま"Eye of the Hurricane"へ。
 やはり、この一作でアコースティック・ジャズの人気が再燃したのもうなづける、圧倒的な演奏だと思う。ショーターはテナーで吹きはじめ、途中からソプラノに持ち帰る。ショーターのアコースティック・ジャズにおけるソプラノ演奏は、本作で初めて聴けたものではないか。

 この後、V.S.O.P.はショーターの70年代後半の代表する、ウェザーリポートと並ぶ仕事となる。


03.3.25


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Montreaux Jazz Festival"


01、Elegant People
02、Scarlet Woman
03、Barbary Coast
04、Bass Solo (Portrait of Tracy)
05、Cannon Ball
06、Black Market
07、Drums & Percussion Duo (Rumba Mama)
08、Zawinul & Shorter Duo
09、Badia 〜 Gibraltar

   Wayne Shorter (ss,ts) Joe Zawinul (key)
   Jaco Pastorius (b) Alex Acuna (ds)
   Manolo Badrena (per)   1976.7.8


★このDVDはオフィシャル化された。音質・画質ともに大きく改善されたようだ。今後はそちらを購入されることを勧めるが、ぼくはまだ未鑑賞。以下は以前から出ていたブート盤を聴いての感想なので、参考程度に。

■■■

 これはブート DVD-R で、収録時間は76分。この76年のモントルーでの音源は以前にブートCDでも出ていたが、最初の3曲が収録されていない不完全版で音質も悪いのでオススメできない。こちらの DVD-R のほうが映像を有無を別にしても音質も良好で演奏曲数も多くて良い。これにさらに曲数が多いビデオ版も出回っているが未聴。聞いた話によると、別の場所のライヴで撮られたボーナス映像を数曲足してあるようで、この日のモントルーでのライヴはこの76分で全てのようだ。
 録音はバランス的にちょっとパーカッションの音が大きすぎる気がするほかは、音質的には問題ない。この時期のウェザーリポートのブート音源のなかでは最高位のものだと思う。演奏の質も問題ないので、音質・演奏の両面からいって、いままで聴いた76年のウェザーリポートのライヴ音源のなかでは最初に勧められるものだとおもう。

 さて、内容にいこう。
 時期的にいうと先の『Roxy 5/30/76』に続く時期でジャコ〜アクーニャ〜バドレーナという『Heavy Weather』のメンバーが揃った初期の演奏となる。
 この76年頃のウェザーリポートは、一言でいってしまえば地味である。その理由は当然、アルフォンゾからジャコへのベースの交代にあるだろう。
 ジャコにはテクはあってもアルフォンゾ・ジョンソンのような直線的にぐいぐい引っ張っていくパワーはないから、怒涛の迫力だった前年までに比べて演奏がこじんまりとした印象になる。そのジャコの演奏スタイルに合わせて新曲が書かれ、旧曲も編曲を変えたりアイデアが足されるなどして、アルフォンゾ時代とは違ったスタイルでのスケールの大きい迫力ある演奏が聴かれるまでには、あと一、二年待たなければならない。
 では、この時期をジャコがまだウェザーリポートに不慣れだった修業時代と一段低くみるのが正しいかというと、そうも思えない。
 個人的な印象でいえば、ジャコがもっとも丁寧に真摯に他のメンバーと楽器によって対話しようとしていたのはこの頃ではなかったろうか。もう一、二年たってジャコが大活躍しだすと、同時にジャコの演奏にスタンド・プレーやパフォーマンスも混ざってくる気がする。
 たしかに派手さはなくこじんまりしているのだが、じっくりと聴くならむしろ深い味わいのある時期ともいえそうだ。
 映像でのジャコは若く、まだ後のロック・スター的風貌はなく、田舎から出てきたばかりのニイチャンみたいな雰囲気である。ソロ・ナンバーでも特にパフォーマンスをするでもなく、ほぼ直立不動の姿勢で真摯に演奏している。この後、ジャコがスターになっていくのは、ステージ上での派手なパフォーマンス等によってなのだろうが、個人的には地味に演奏に徹していたこの時期のジャコにむしろ愛着を感じる。このままの人でいてくれたら……という感慨が湧かずにはいられない。


05.11.25


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Italian Weather"    (All of US)


01、Scarlet Woman
02、Barbary Coast
03、Bass Solo (Portrait of Tracy, Okonkole y trompa)
04、Lusitanos
05、Black Market
06、Directions
07、Badia
08、Gibraltar
09、Doctor Honoris Causa

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key)
    Jaco Pastorius (b) Alex Acuna (ds)
    Manolo Badrena (per)       Bologna Stadio,Italy 1976.7.16

 これはわりと初期から出回っていたらしいブートCDで、モントルーの8日後の、タイトルどおりイタリアでのライヴ。収録時間は約70分だ。オーディエンス録音らしく、近くでの拍手の音が入っていたり、録音状態は良いとはいえない。なんだか全体的に軽いチャカチャカした音に聴こえる。それでも希少性があるのなら勧めてもよいのだが、同時期のモントルーでのライヴがもっと良い状態で聴ける現在となっては、マニア、コレクター向きになってしまった感も強い。
 ただし演奏自体は、熱いボルテージの高い演奏が繰り広げられている。いい音質で聴いたら燃焼度はモントルーより上じゃないかと思う。とくに後半、ひょっとすると76年のライヴ中最高のド迫力かもしれない。しかし、チャカチャカした軽い音のため、いまいち凄みが伝わってこないのがかなしいところだ。
 とはいえ、新しい発見がまったくないわけでもない。例えば冒頭の "Scarlet Woman" に奇怪な声の効果音が入っているが(なんとなくピンク・フロイドを思い出した)、これはモントルーではなかった音だ。 "Barbary Coast" の冒頭に列車の通過音を効果音で入れてからなんだろうか、この時期、いろんな効果音を入れる試みをしていたことがわかる。それが78年になると、ご存知のように "Scarlet Woman" の冒頭にはロケットの発射音が入るようになる。


05.11.25


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Heavy Weather"     (Columbia)
   ウェザーリポート『へヴィー・ウェザー』


01、Birdland
02、A Remark You Made
03、Teen Town
04、Harlequin
05、Rumba Mama   
06、Palladium 
07、The Juggler
08、Havona 

   Wayne Shorter (ss,ts) Joe Zawinul (syn,key)
   Jaco Pastorius (b, stl ds & Mandocello)
   Alex Acuna (ds & congas)
   Manola Badrena (congas & per)    1976.10


 商業的な意味ではウェザーリポート最大のヒット作であり、レコード会社の側からいうと「フュージョンは売れる!」と認識を改めさせたアルバムの一枚らしい。本作あたりからウェザーリポートのライヴ会場は一気に大ホールになっていったという話だ。また、本作からジャコが全面的に参加している。
 ジャコの全面参加と大ヒットがたまたま同時期だったこと、そしてライヴでジャコが派手なパフォーマンスを行い、ロック・スター的な喝采を浴びたことによって、当時はジャコの参加によってウェザーリポートは売れたという見方があったようだ。しかし、後のジャコのソロ活動を見るとそれが間違いなことはあきらかで、その誤解は後にジャコに不幸をもたらしたように思える。
 本作のコンセプトはジャコの参加には関係なく、前作『Black Marcket』の編曲重視の方向性をさらに推し進めたものだといえる。即興演奏のスリリングさを少々犠牲にしてまで、編曲を重視する方向性によって、よりポップでわかりやすくなってきたことがヒットへとつながったと見るべきだろう。
 とくにアルバム前半がポピュラー指向が強く、このへんがヒットの要因のようだ。そのアルバム前半の曲では、前作で見事に完成されたパーカッション群のリズムがぐっと後退し、わりとフツーのリズムになってしまっている。メロディ的にもポピュラー指向が強い。このポピュラー指向を好意的にとらえる人もいるのかもしれないが、個人的にはあまり好きではない。
 いきなり結論を書いてしまうと、個人的には本作はB面(CDなら後半)の傑作だと思う。
 一般的には冒頭数曲でポピュラーな人気を得て「売れた」ようだが、ちゃんとウェザーの音楽を聴いてきた人なら、やはり後半が聴きどころだとわかるのではないか。

 さて、ここでもう一度ジャコについて見てみよう。
 先述した通り、一部のジャコのファンがいうほどジャコの参加が直接的にウェザーリポートを変えたとは思えないが、このジャコの参加がウェザーリポートの黄金時代の始まりではある。では、ジャコの参加でどこが変わったのだろうか。
 前任のアルフォンゾ・ジョンソンは『Tale Spinin'』以後のウェザーリポートの方向性に合ったベーシストだったが、前々任のヴィトウスと違ってソロでサックスやキーボードと対話するタイプのベーシストではなかった。あくまでリズム・セクションの一員として光るタイプである。ところがジャコはこの時期のウェザーリポートの方向性に合っていると同時にソロで対話もできるベーシストだった。
 そのため、このへんからウェザーにふたたび集団即興の要素が戻ってきはじめる。が、それが顕在化するのはもう少し後のアルバムで、本作の時点ではまだジャコの存在が編曲重視のコンセプトに変化を与えるまでにはいたっていなく、いわば編曲の枠内でソロもとれるベーシストとして活躍している感じ。
 また、ジャコは作曲者としても優秀で、本作でも早くも2曲、名曲というべき"Teen Town"と"Havona"を提供している。しかし、ジャコの曲がこのような形で完成されたのは、これまで築き上がられてきたウェザーリポートのサウンドがあったからだろう。ジャコというミュージシャンは、その派手なライヴ・パフォーマンスに似合わず、作編曲者としてはかならずしも大衆性のある、いわゆる売れセン指向の人ではない。それはジャコのウェザーリポートを離れた後の活動を見れば、うかがうことができる。
 ウェザーリポートを離れた後、誤解からレコード会社に「売れセン」を期待されてしまったことが、ジャコの不幸だったと思う。

 最初から曲を見ていこう。
 まず冒頭の"Birdland"について語らなければいけないんだろう。この曲のシングル・ヒットが本作のヒットにつながったようだが、個人的には否定する気もないが、それほど好きではない。編曲が緻密すぎておもしろくないというのが本音。
 2曲目のバラード"A Remark You Made"も有名なようだ。これは編曲性の強すぎた"Birdland"の鬱憤を晴らすように、ショーターがたっぷりとソロを聴かせる曲ではあるのだが、テーマそのものが演歌調というか、通俗的な気がして、個人的にはそれほど好きにはなれない。ショーターにはこんな曲は吹かないでほしいという気がしてしまう。
 つぎの"Teen Town"はジャコ作で、リズムもロック調というのか、これまでのウェザーにない軽快なリズムだ。ジャコのベース・ソロが聴かせどころで、ショーターは短く合いの手を入れる役割で、それでも音楽的対話にはなっているか。
 つづく"Harlequin"は、シャキシャキした"Teen Town"の後だけに輪郭が曖昧で、印象に残らない曲だとずっと思ってたのだが、単独で聴いてみると、これはこれでおもしろい佳曲だ。じっくりと聴いてみたい曲。本当は前半でこれが最高作かも。
 さて、アナログ盤でのB面は、ドラムとパーカッションのみのライヴ録音、"Rumba Mama"に始まる。当時のウェザーの打楽器隊のスゴさがわかる。短い曲なんで打楽器だけでも飽きない。
 つづく"Palladium"、すごく爽快な曲だ。前作からひきつづいてのパーカッションの響きも快く、ショーターのサックスもさわやか。基本的にショーターはテーマを繰り返し吹き、終局部に至ってアドリブで盛り上がっていく。
 続く"The Juggler"はザヴィヌルのサウンド指向の曲だが、異国の市場のような不思議な雰囲気を持った曲で、本作でのザヴィヌル作の曲のなかでは雰囲気的には一番好きだ。
 そして、本作のハイライトはなんてといっても"Havona"だろう。即興演奏を前面に押し出した曲で、ショーター、ジャコ、そしてザヴィヌルが見事なソロをとる。最高のクライマックスだ。ショーターも本作で最も生き生きと活躍している。
 しかしこの曲、集団即興ではなく、メンバーが順にモノローグ型のソロのとるという、いわゆる古典的なジャズ形式の構成だ。数カ月前のV.S.O.P.の成功で、昔ながらの方法もまだまだいける、と思ったのだろうか? じっさい、これはこれで充分魅力的なんだが。

 ウェザーリポートについて、編曲が緻密になりすぎてショーターが活躍していないという評もあるが、そう一口にもいえない気がする。前作までは、あくまで編曲の枠内ではあるが、ショーターのソロ・即興演奏の見せ場が多く見られた。しかし本作になると、ぐっと減っている気がする。ショーターが出てきても、編曲で定められたメロディを吹いているだけ、という場面が多い。作品全体の編曲傾向が強まった結果だと思う。
 いずれにしろ、本作あたりがウェザーリポート中、編曲重視のコンセプトが最高度に高まった作品だといっていいだろう。
 ウェザーリポートというバンドが同時期のフュージョン系のバンドに比べて優れていた点は、ジャズ的な気迫・スリリングさを失わなかった点、つまり真剣勝負の即興演奏に臨むメンバー間の緊張感を残していた点にあるはずなのだが、このままの線で編曲重視を続けていったら、たんなるボーカルが入らないだけのロック、ポップスへの道を進んでいってしまいそうな気配もある。(じっさいそうなってしまったフュージョン・バンドはいくらでもいるし、ザヴィヌルのウェザー解散後のソロもそんなかんじだ)たぶん、そのような傾向に歯止めをかけていたのはショーターだったはずだ。
 さて、そんなこともあってか、あるいは売り上げに満足したためか、これまで毎年一作のペースでアルバムを発表していたウェザーリポートは、次77年には作品を発表せず、インターバルがあく。その間、ショーターはV.S.O.P.のツアーで豪快なブローを繰り広げることになる。


03.8.11


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   Airto Moreira "Identity"     (Arista)


01、The Magicians
02、Tales from Home
03、Identity
04、Encounter
05、Wake Up Song
06、Mae Cambina
07、Flora on My Mind

    Airto Moreira (ds,per,vo) Raul Desouza (tb)
    Wayne Shorter (ss) Herbie Hancock (p)
    Egberto Gismonti (g,key) /他   1976


 ブラジル出身のアイアート・モレイラとフローラ・プリンの夫妻がアメリカにやってきたのは60年代末だろうか。アイアートは69年の夏にはショーターの『Super Nova』に参加。70年の初頭にはマイルス・バンドのレギュラー・メンバーになっている。
 そして71年にはマイルス・バンドを離れて、ウェザーリポートの初代メンバーになるも、71年中にはウェザーリポートを離れて、11月にはジョー・ファレルの『Outback』でチック・コリアと共演。そして72年になると妻のフローラも一緒になってチック・コリアと『Return To Forever』を作り上げる。その後、73年にリターン・トゥ・フォーエヴァーが大方向転換をはかるとともにグループを離れるが、74年にはショーターの『Native Dancer』に参加……と、70年前半のジャズが大きく変わろうとしていた時期に、その一番重要な部分を渡り歩いていたような印象をおぼえる。
 いわば70年代初頭のジャズ/フュージョン・シーンにブラジルからの風を送り込むキーマンのような活躍をしていたようだ。
 そして、アイアート名義でも、フローラ名義でもソロ・アルバムを順調にリリースしていくが、たいていアイアートのアルバムにはフローラが参加しているし、フローラのアルバムにはアイアートが参加している。
 さて、これはアイアートが76年に作り上げたソロ・アルバムだ。現在の耳で聴くと、ジャズとかフュージョンとかいうより、ワールド・ミュージックと分類したほうがいいような気がする。ミルトン・ナシメントとか、カエターノ・ヴェローソとか、あのあたりのアルバムが好きな人なら文句なしに楽しめるだろう。
 アイアートは多彩な打楽器で彩り豊かなサウンドを作り出すとともに、多くの曲でボーカルをとっている。アルバムの主役はアイアートとともにギターのエグベルト・ジスモンティのようで、ジスモンティは半分以上の曲で共作者としてクレジットされている。
 ショーターは上記の一曲だけに参加。これもボーカル主体の曲ではあるが、後半でたっぷりとソロを聴かせてくれる。ショーターめあてに聴くアルバムではないだろうが、これはこれで良いアルバムだと思う。


05.4.16


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   Milton Nascimento "Milton"    (A&M)
   ミルトン・ナシメント『ミルトン』


01、Raga   
02、Fairy Tale Song
03、Francisco   
04、Nothing Will Be as It Was
05、Gavo e Canela   
06、The Call   
07、One Coin   
08、Saidas e Bandeiras
09、Os Povos

    「2,4,8,9」
    Milton Nascimento (g, vo) Wayne Shorter (ss, ts)
    Toninho Horta (g) Roberto Da Silva (ds, per)
    Herbie Hancock (p-8) Hugo Fattoruso (p-4, org-9)
    Raul DeSouza (tb-8) Laudir DeOliveira (per)    1976


 『Native Dancer』(74) のお返しのように、ショーターやハンコックがミルトン・ナシメントのアルバムに参加したものだ。
 『Native Dancer』の後、ミルトンはどうしたかというと、まずブラジルに戻って『Minas』(75) というアルバムを作る。これはショーターのコンセプチュアルなアルバム作りの影響や、『Native Dancer』の録音の経験で受けた刺激を消化しつつ、今度はミルトンが濃密な自分の世界を創りあげたといえる傑作で、個人的にはミルトンの全作品のなかでも第一に推したいアルバムだ。その後、『Minas』の続編というべき『Geraes』(76) を作り、本作に至る。  本作もまた、ミルトンの最高傑作という人もいる作品だが、個人的には最初はショーターとの共演ということで『Native Dancer』的なものを期待して聴いてしまい、かなりガッカリした。やはり『Native Dancer』はショーターの作品であり、ミルトンのほうが主導権をとると、同じようなメンバーの共演であっても、まったく違ったものが出来上がるという証明である。勿論いまではミルトンの音楽も好きになったので、本作もちゃんと評価できる。
 以上の説明でもわかると思うが、本作あたりでは『Minas』で感じられたショーターからの影響は薄れて、本来のミルトンのスタイルに戻っている。
 では、本作等70年代のミルトンの作品は『Native Dancer』とはどこが違うのか。
 ぼくが最初に本作を聴いて感じたのは、なんだかすごく狭い所で演奏しているような感じだった。ミルトンもショーターも、なんだか息苦しそうなかんじ。
 もちろんそれは気のせいで、実際は曲に自由度が少ないので、狭苦しいように感じるのだ。つまり、ポップ・ソングの定型パターンにピッシリと当てはまった基本通りの曲作りで、『Native Dancer』の収録曲のような曲展開の自由さがない。また、演奏者が自由にソロを演奏できるスペースも少ない。
 ということで、ゲスト参加のショーター、ハンコック、あるいは日本でも人気の高いブラジルの名ギタリスト、トニーニョ・オルタらの演奏も、いわゆるポップ・ソングの歌伴という枠内のものになり、『Native Dancer』のように自由には演奏していない。
 しかしまあ、ポップソングというのは本来そういうのが普通であって、それを欠点といってしまったらミルトンが可哀想だろう。つまり、『Native Dancer』のほうが特殊なのだ。  本作含めて、この頃のミルトンのアルバムは、あくまでミルトンを聴くためのアルバムであり、サイドマンのみを目当てで聴いくものではない。そもそもポップソングとはあまりサイドマン目当てに聴くものではないのが普通だ。そして、へんな期待さえしなければ、歌伴という枠内では、本作のショーターはかなりの名演だと思う。サックスだけで別の世界を創ってしまう。

 さて、本作をミルトンの最高傑作と推す人もいると先述したが、それはなぜだろう。本作は他の70年代のミルトンの諸作と、どこが違うのだろう。
 おそらく本作の特徴は、他とくらべて抜けたような風通しの良さ、親しみやすさがある点だと思う。それは、ショーター、ハンコックなど、いつものミルトン・バンドのメンバー以外のミュージシャンが参加したことで、いつもより音楽が開いたことによる効果ではないかと思う。
 しかし、どうせ70年代のミルトンを聴くなら、風通しが悪くても、親しみやすくなくても、思いきり濃いもののほうがいいという考え方もあるだろう。だとすると、他国のゲスト・ミュージシャンなど迎えず、ブラジルでクルビ・ダ・エスキーナの面々と作ったアルバムのほうが、より濃い。
 実は個人的にはそっちの考えで、ショーターからミルトンを聴きはじめた人には、本作よりもやはり『Minas』(75) を推したい。


03.11.5


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Steely Dan "Aja"           (MCA)
   スティーリー・ダン『彩(エイジャ)』


01、Black Cow   
02、Aja
03、Deacon Blues   
04、Peg   
05、Home at Last   
06、I Got the News   
07、Josie   

   Donald Fagen (vo, syn, per) Walter Becker (g)
   Wayne Shorter (ts) Larry Carlton, Denny Dias (g)
   Joe Sample (elp) Michael Omartian (p)  Chuck Rainey (b)
   Steve Gadd (ds) Victor Feldman (per) Tim Schmit (vo)   1977


 ショーターはロック、ポップス界でも名が知れており、ショーターのサックスの音がほしいと名指しで仕事の注文がくるミュージシャンだ。実際この後、ロック系のアルバムに一曲のみゲスト参加した作品も多くなる。
 マイケル・ブレッカーや、デヴィッド・サンボーンのように、積極的にそっちの方面に進出したわけでもないのに、なぜかと理由を探っていくと、本作への参加と成功にたどりつく。それだけ本作が多くのミュージシャンに愛聴され、かつまた本作でのショーターの演奏が印象的だったということだ。
 ご存知の方には説明するまでもないだろうが、スティーリー・ダンはアメリカのロックのある部分を代表するグループであり、この『Aja』はその最高傑作、いや70年代AOR、ロック、ポップスの最高傑作とする人さえ多いアルバムだ。
 もともとは普通のバンドとして出発したスティーリー・ダン。しかし途中でぽろぽろメンバーが辞めていき、中心メンバーのドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人だけが残る。しかし、メンバーの補充はせず、優秀なゲスト・ミュージシャンを贅沢に使ってアルバムを作り、ライヴはやらない、というのがスティーリー・ダンのとった方法で、現在ではこれと似た形態をとっているグループも少なくないだろうが、このような方法を最初にとり、また極めたのが彼らである。
 さて、なぜスティーリー・ダンが成功したのかというと、そのような流動的なメンバーを使っても、ガッチリとした自分の音を作り出す力があったからだ。逆にいうと、どんなに優秀なミュージシャンが参加したとしても、出来上がった音楽はスティーリー・ダンの音楽であり、参加ミュージシャンの個性はかならずしも反映されないという面もある。
 しかし、本作でのショーターの起用は数少ない例外で、フェイゲン=ベッカーはだれか優秀なサックス奏者がほしかったのではなく、ショーターの音がほしかったのだということがありありとわかる起用のしかたをしている。彼らにとってもショーターは特別な存在だったのだ。
 ショーターの参加曲は1曲しかなく、ショーターの演奏をたっぷり聴けるという作品ではないが、そのようなわけで、聴いて損はない、というより得をするアルバムだと思う。
 ショーター、スティーヴ・ガットら参加のジャズ的に素晴らしい"Aja"の後、ポップス的に素晴らしい"Deacon Blues"が続くあたりが、本作中いちばんいい部分だと思う。

 このあとスティーリー・ダンは『ガウチョ』(78)を残していったん解散。ドナルド・フェイゲンがソロで名作『ナイトフライト』(83)や10年ぶりのアルバム『カマキリァド』(93)をリリースした後、再結成し、今度はライヴ活動も行っている。
 フェイゲンがソロで出した2枚のアルバムはどちらもコンセプト・アルバムで、とくに『カマキリァド』は未来の地球を舞台に「カマキリ」という名前の未来カー(蒸気エンジンで走り、後部では野菜が水栽培されている自給自足型自動車)の冒険を描いた……というとんでもない設定になっている。
 アルバム一枚作るのに平気で5年、10年かける仕事のペースといい、上記のとんでもないコンセプト性といい、ショーターに魅かれる人の遺伝子を感じる。


03.7.20


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   "V.S.O.P.The Quintet"          (SME)
   VSOP・クインテット『ライヴ・イン・USA』


01、One of a Kind 
02、Third Plane
03、Jessica 
04、Lawra 
05、Introduction of Players〜Darts
06、Dolores
07、Little Waltz
08、Byrdlike 

     Wayne Shorter (ts,ss) Freddie Hubbard (tp) 
     Herbie Hancock (p) Ron Carter (b)
     Tony Williams (ds)    1977.7.16/18


 ハンコックの『V.S.O.P.』での圧倒的人気を受けて、その第一パートで演奏した新黄金クインテットが、翌'77年、「V.S.O.P.The Quintet」と名乗って世界ツアーを行った。その模様は本作と『Tempest in the Colosseum』という2セットの2枚組LPとしてリリースされ、現在はどちらも1枚のCDに収まってる。
 V.S.O.P.The Quintetは収まらぬ人気を受けて翌々年の'79年に再結成されるのだが、翌年の'78年には活動していない所を見ると、たぶん当初はV.S.O.P.The Quintetはこの年の活動で終わらせる予定だったんじゃないかと思う。
 で、この年の2タイトルのアルバムだが、同一ツアーからの選曲だけあって演奏スタイル自体にはほとんど違いはないのだが、選曲傾向によって差別化がされている。
 つまり、本作は新曲中心、旧曲をとりあげる場合でも、これまであまりスポットがあたって来なかった曲をとりあげることで、新しいバンドとしての V.S.O.P.The Quintet を前面に押し出している。が、『Tempest in the Colosseum』のほうは過去の超有名曲中心で、いわばベテランの味、お馴染みの曲で勝負している。もっとも、V.S.O.P.で初めてアコースティック・ジャズを聴いたような当時のファンにとっては、どちらでも同じことかも知れない。
 また、演奏の質では、本作のほうが全体的に少し上のような気がする。

 さて、アコースティック・ジャズの人気がどん底までに落ち込んでいた当時、なんでV.S.O.P.はこれほどまでにウケたんだろうか。その理由を考えてみよう。
 とかく懐古趣味的な同窓会セッションだとか、演奏は立派だが音楽的必然性はないとか揶揄されるV.S.O.P.だが、実はV.S.O.P.がこれほどウケた理由は、新鮮だったからではないかと個人的には思っている。
 つまり、アコースティック・ジャズだとか、黄金クインテットを模したオールスター・セッションだとかいう活字情報に惑わされずに、単純に音楽だけを聴いて言うならば、やはりV.S.O.P.の演奏は当時の聴衆がこれまで耳にしたことがなかった、新鮮な音楽だったのではないかと思う。そのために多くの聴衆が魅了されたのではないか。
 それはV.S.O.P.は使用楽器は60年代までのアコースティック・ジャズと同じでも、ビートや爽快さはロックやフュージョンのものに近く、しかし即興演奏性はジャズのもの……という音楽だからだ。
 例えばロックのビートにのるような感じで、V.S.O.P.の音楽にはのれる。しかし、プラグド・ニッケルでの黄金クインテットの演奏にものれるかというと、同じような感覚ではのれない。
 これは単にトランペッターがマイルスからハバードに変わったという変化ではなく、使用楽器やメンバー編成が同じでも、音楽自体が本質的に変化しているということだと思う。V.S.O.P.の各メンバーは黄金クインテット時代とは意識して違う演奏をし、違う音楽を作り出そうとしていたと語っていたのを、どこかで読んだことがあるが、多分それだけが理由でもないと思う。

 思うに音楽を演奏するという行為は、演奏者が意識して行う以上に、演奏者の身体に無意識のうちに染み込んでいき、そこからその演奏者の演奏に無意識のうちに発露していくものだと思う。V.S.O.P.の各メンバーは全員、70年前後からそれぞれにフュージョンを演奏している。その活動を通してV.S.O.P.結成時には、ファンクやロック等のビートはメンバー全員の身体に染み込んでいたのだと思う。そうしてそのようなメンバーが再び集まって、再び昔どおりのアコースティック楽器を手にしたとしても、演奏を始めたときに生まれてくるビートやノリは、もはや60年代の黄金クインテット時代とは別のものになっていたのだろう。
 70年代に入ってもずっとアコースティック・ジャズを演奏してきたジャズマンは当時も当然いたはずだが、フュージョンを積極的に演奏してこなかった彼らのビート感覚は60年代のままだ。
 つまり、V.S.O.P.で初めて、フュージョンのビート感覚を持った演奏者によるアコースティック・ジャズ演奏という、これまで聴衆が耳にしたことのなかったタイプの音楽が登場したのだ。V.S.O.P.の新鮮さとは、その新しさであり、当時の聴衆はそこに飛びついたはずだ。
 例えばV.S.O.P.とプラグド・ニッケルの黄金クインテットの演奏を純粋に音楽として比べてみた時、どちらが優れていると思うかと聞かれれば、ぼくはプラグド・ニッケルのほうが内容的に優れているのではないかと思う。しかし、この時V.S.O.P.が演奏したのがもしプラグド・ニッケルのような演奏だったとしたら、こんな大ウケをすることはなかったろう。
 端的に言うと、V.S.O.P.では黄金クインテット時代の繊細な鋭さが影をひそめ、かわりに直線的な力強さが大いに増した。これが当時のロックやフュージョンに親しんでいた聴衆、大ホールという環境に合ったのだと思う。
 そして80年代に入ると、ステップス(ステップス・アヘッド)を嚆矢として、フュージョン・シーンの中から出てきたミュージシャンたちによるアコースティック・ジャズ演奏という分野が始まっていく。V.S.O.P.にはそのような流れの始まりという意味もあったと思う。


03.11.30


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   V.S.O.P.The Quintet "Tempest in the Colosseum"   (SME)
   VSOP・クインテット『熱狂のコロシアム』


01、Eye of the Hurricane
02、Diana 
03、Eighty-One
04、Maiden Voyage
05、Lawra 
06、Red Clay 

     Wayne Shorter (ts,ss) Freddie Hubbard (tp-1,3-6) 
     Herbie Hancock (p)  Ron Carter (b)
     Tony Williams (ds)       1977.7.23


 '77年に行われた世界ツアーでライヴ録音されたアルバムの一つ。日本公演を録音したものである。この年のツアーから生まれたもう一つのライヴ盤『V.S.O.P.The Quintet』は新曲中心で新しいバンドとしての V.S.O.P.The Quintet を印象づけるアルバムだったが、本作では過去の有名曲が中心に選曲されていて、『V.S.O.P.』(76) と2曲ダブる。
 ポップな有名曲が揃っているし、全編がVSOPクインテットの演奏で2LP in 1CDで収録時間も長いということで、本作あたりがVSOP作品中のお買い得盤かというと、そうとばかりもいえない。
 『V.S.O.P.』とダブる2曲("Maiden Voyage", "Eye of the Hurricane")についてだが、『V.S.O.P.』のヴァージョンのほうがいいと思う。特に"Maiden Voyage" は、今度はハバードを大きくフューチャーして変化をつけた点はいいのだが、勢いはあってもこの曲の魅力であるリズムの大きなうねりが感じられず、『V.S.O.P.』のヴァージョンよりだいぶ落ちる。
 1曲めから見ていこう。
 VSOPの1曲めはいつもハバードの見せ場というべきアップテンポ・ナンバーで始まるが、ここでも "Eye of the Hurricane" がその役目。ここでは素直にハバードの勢いのある演奏を聴こう。
 2曲めはそのハバードが抜けてカルテットによる "Diana" 、『Native Dancer』(76) に入っていた曲だ。この曲と次の "Eighty-One" がまず最初のショーターの聴きどころだ。どちらもソプラノを吹いているが、こういった伝統的編成のアコースティック・バンドでのソプラノ演奏は60年代の諸作では聴けないものだし、あまり派手で勢いのある演奏よりもこのくらいのテンポ・雰囲気の演奏がショーターには合ってる気がする。 "Eighty-One" はロンの書いた曲のなかでも特に名曲ではないか。
 続く "Maiden Voyage" は先述したとおり、悪くはないが『V.S.O.P.』と比べてイマイチ。"Lawra" はトニーのドラムソロが長く聴けるが、個人的にはあまり長いドラムソロをCDで繰り返し聴きたいとは思わない。
 さて、ラストはハバードの大ヒット曲の "Red Clay" となるが、当然ハバードの派手なトランペットが炸裂するかと思いきや、ソロの途中からだんだん音に力がなくなってくる。疲れて息切れしたんだろうか。ちょっとしみったれた感じでショーターにソロが移ると、これがハバードから引き継いだ疲れたような雰囲気がみょうにショーターに合っていて、見事なソロを繰り広げる。

 さて、VSOPクインテットの成功は、もちろんリズム・セクションの3人の息の合った演奏もあるが、フロント陣でいえばショーターとハバードのあいだに微妙なバランスがとれていたことが理由ではないかと思う。
 ハバートは60年代前半にはショーター、ハンコックらと新主流派的なスタイルで数々の共演も行い、また一方ではハードバップ、フリーもこなし、器用さを見せつけたが、60年代も後半から70年代にも入ると、眠っていたエンターティナーの本性が目覚めたのか、以前の彼とは別人のように、派手で陽気な個性の人になっていく。どちらかというとこちらがハバードの本来の姿のようだ。
 個人的には60年代前半のハバードが好きなのだが、VSOPという点に絞っていえば、この派手で陽気なハバードの個性が大いにウケた要因だったと思う。
 やはり大ホールでのライヴ演奏となると、特に1曲めで鳴り響くハバードの派手で輝かしいトランペットが大観衆に大いにアピールするのだ。インパクトがあって、わかりやすく、テクニックもあり、力強い。あれこれ難しいことかんがえずに、単純に楽しめるのだ。
 しかし、それだけでは底が浅く薄っぺらな印象にもなってしまう。そこにショーターが微妙な陰翳を与え、奥行きを出し、それによって音楽に深みがでてくる。しかしショーターだけだとこれほど大衆にアピールするポップでわかりやすい演奏にはなってなかったと思う。
 92年の『A Tribute to Miles』などハバード抜きのVSOPというべき演奏もあるが、やはりハバードがいないと派手にインパクトがあるわかりやすさ、ポップでキャッチーな面は欠けてくる。

 70年代後半は最も多くの人々の耳にショーターの演奏が届いた時代で、一方ではVSOPの大ヒット、一方ではウェザーリポートが大ヒットがあったわけだが、それほど親しみやすいものではないショーターの音楽性が変化したわけではなく、VSOPにおけるハバード、ウェザーリポートにおけるザヴィヌルやジャコのように、音楽をわかりやすくする触媒、あるいはステージで派手に目立つパフォーマーの役を受け持つメンバーが同じバンドにいたから、という理由が大きいだろう。


04.1.7


『ウェイン・ショーターの部屋』

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  Joni Mitchell "Don Juan's Reckless Daughter"     (Asylum)
  ジョニ・ミッチェル『ドンファンのじゃじゃ馬娘』


01、Overtune - Cotton Avenue  
02、Talk to Me  
03、Jericho
04、Paprika Plaints
05、Otis and Marlena  
06、The Tenth World  
07、Dreamland  
08、Don Juan's Reckless Daughter  
09、Off Night Backstreet  
10、The Silky Veils of Ador  

  「03」「04」
  Joni Mitchell (vo,g-03,p-04) Wayne Shorter (ss)
  Jaco Pastorius (b) Don Guerin (ds)
  Don Alias (bongos-03) Michael Gibbs (orch,cond-04)  1977


 ショーターのジョニ・ミッチェルのアルバムへの初参加作だ。当初LP2枚組で発売され、CDでは1枚に収まっている。
 ジャコ・パストリアスは前作『逃避行』でジョニのアルバムへ初参加し、全体の半分ぐらいの曲でベースを弾いていたが、本作では全面的に参加して音楽監督的なスタンスをとっている。このジャコの声かけでショーターの初参加が成ったのだろう。この後ジャコは続くジョニのアルバム『Mungus』(78)『Shadow and Light』(80)でも音楽監督的スタンスをとることになる。
 さて、別項で、ウェザーリポートにおけるジャコの役割は(一般で言われていることと違い)優れたサイドマンという以上の存在ではなかったと書いた。その理由はウェザーリポートには、ジャコの参加前、参加中、参加後にかけて、あきらかにジャコの影響によると思われる音楽的方向性の変化がみられないことだと書いた。
 その点からいうと、当時のジョニの作品でのジャコの役割は、優れたサイドマンという以上の存在だったと思える。つまり、この頃のジョニのアルバムを聴いていけば、ジャコの参加前、参加中、参加後にかけて、あきらかにジャコの影響によると思われる音楽的方向性の変化が見られるからだ。
 といっても、果たしてそれがジャコのみの指向だったのか、ジョニの意向もあったのか、よくはわからない部分ではある。

 さて、本作はジョニの全作品中でも最も実験色の強い作品といっていいだろう。もっとも実験的なのはアナログ盤ではB面全体を占める大曲 "Paprika Plaints" や、ジョニが打楽器だけをバックに歌う "Dreamland" 、歌もなく打楽器だけの演奏 "The Tenth World" あたり。他にもアコースティック・ギターと打楽器のみの曲とか、シンプルながら様々に工夫されているし、ギターにベース等を加えた普通の編成の曲でも演奏の自由度は前作より大きく広がっているのが感じられる。
 おもしろいのはジャコが必ずしもベースという楽器にこだわってないことで、打楽器をベースがわりのように使ってみたり、ジャコ自身も打楽器を演奏している。このような打楽器の多用と打楽器をメロディアスに歌わせるところ、ベース演奏へのこだわりのなさは、後の『Holiday for Pans』(82) を連想させる。

 さて、ショーターは"Jericho"と大曲 "Paprika Plaints" に参加している。
 "Jericho"では定まったソロ・スペースをもうけるのではなく、ジョニの声にからむように副旋律を奏でていく手法をとっている。この後のジョニのアルバムへの参加作でも多く見られる手法だ。
 続く"Paprika Plaints"はアナログ盤ではB面全体を占める16分を超える大曲。ジョニによるピアノ弾き語りから始まり、それにクラシック風のオーケストラの伴奏が加わってくる。しかし、オーケストラ中心に変わるわけではなく、また弾き語りやピアノ演奏のみに戻ったり、それにまたオーケストラが加わったり……という演奏が13分ほど続き、そこで一気に曲調が変わって、ベース、ドラムが入り、バンドによる演奏になり、ショーターのサックスもここで登場する。この終盤2、3分の部分はジョニのボーカルは登場せず、完全にショーターが主役の演奏だ。
 個人的にはいま一つ何をやりたかったのかわからない感じなのだが、ショーターにわりとたっぷりとソロ・スペースを与えられているので、とりあえず満足といったところか。

 個人的にはジャコがジョニのアルバムの音楽監督的立場に立った3作のうち、本作が一番ストレートにジャコ色が強く出ているアルバムなんじゃないかと思う。少なくともジャコが参加したウェザーリポートのどのアルバムよりも、本作のほうがジャコの音楽的指向が良く出ていると思う。
 実験色が強すぎるせいか、ジョニのファンのあいだでの評価はイマイチだと聞くが、実験的な数曲を飛ばして聴いたとしても充実した曲・演奏の揃った佳作だと思う。


03.12.12


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   Weather Report "At Royal Oak Theatre 1977"


01、Elegant People
02、Scarlet Woman
03、Teen Town
04、A Remark You Made
05、Black Market
06、Gibraltar

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    Jaco Pastorius (b) Alex Acuna (ds)
    Manolo Badrena (per)           
        Live at Royal Oak Theatre, Michigan 1977.11.29


 ジャケットには77年11月29日のライヴと記されているが、よくわからない。77年11月の29日と30日には Grand Rapids でライヴを行った音源が出回っていて、うち30日の音源は『Live and Unreleased』に二曲収録されている。日付か場所のどちらかが間違っているのかもしれない。また、ジャケットにはドラムはピーター・アースキンとあるが、アクーニャ=バドレーナのドラム、パーカッションである。
 収録時間は60分弱とこの手のライヴ盤としては少し短めだが、ベース・ソロやドラム・ソロの曲がなく、全曲バンドによる演奏なんで、ギュッと締まった印象はある。
 録音はサウンドボードで、この手のものとしてはいい方ではないか。しかしサックスが気持ちオフ気味で遠く聴こえ、残念。

 このアルバムの聴きどころは、何といってもラストの16分を超える怒涛のような "Gibraltar" だ。この曲はスタジオ盤ではミディアム・テンポの比較的おだやかな演奏だったが、この時期のライヴではラストの締めの曲として使われ、だんだんテンポが速く、迫力に満ちた演奏になっていったようだ。本作で聴かれるヴァージョンはまさに荒れ狂う怒涛! この16分だけでも本作を聴く価値はある。
 "Black Market" では中間部でドラムのみをバックにショーターがインプロヴィゼーションを繰り広げる部分が出来てきている。しかし、まだ初期形で、ドラムはリズムを叩くのみでインプロ性が低く、ショーターのソロもほのぼのとしていて、『8:30』や『Mythique Weather』で聴かれるような迫真のデュオ演奏ではない。


04.8.31


『ウェイン・ショーターの部屋』

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