ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1974年9月〜75年



   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   WAYNE SHORTER "Native Dancer"   (Columbia)
   ウェイン・ショーター『ネイティヴ・ダンサー』


01、Ponta de Areia 
02、Beauty and the Beast
03、Tarde 
04、Miracle of the Fishes
05、Diana  
06、From the Lonely Afternoon  
07、Ana Maria 
08、Lilia  
09、Joanna's Theme  

     Wayne Shorter (ts,ss,p)  Milton Nascimento (g,vo-1,3,4,6,8)
     Herbie Hancock (p,elp-1-3.7.9) Wagner Tiso (elp,org)
     David Amaro (g-3,4,6,7,9) Jay Graydon (g-1,b-2) 
     Dave McDaniel (b-1,3-7,9) Robertinho Silva (ds,per)
     Airto Moreira (per-4,5,7,8)          1974,9,12


 70年代に発表されたショーターのソロ作で、傑作だ。
 これについてもヘンなジャズ評論家が妙なことをいっている。本作はゲスト参加したミルトン・ナシメントの実質的なリーダー作だというのである。なんていうことだ。一時信じてしまったじゃないか!
 つまりこういうことだ。ぼくはこのアルバムが気に入った。こんな音楽がまだあるなら、もっと聴きたいと思った。これがミルトン・ナシメントの実質的なリーダー作だというなら、他のミルトンのアルバムを聴けば、これと同じタイプの音楽が聴けるに違いない。買ってきて聴いてみた。全然違うじゃないか!
 ほんとうかどうか、同時期のミルトン・ナシメントのアルバム、例えば76年録音の『ミルトン』を聴いてみるといい。これにはショーターもハービー・ハンコックもゲスト参加していて、本作とかなりダブるメンバーで演奏されている。同じような人が演奏しているのだが、ぜんぜん違う。少なくともぼくが本作を聴いてもっと聴きたいと思ったような要素はそこからは感じとれなかった。
 だいたいこれがミルトンのリーダー作だと強弁すること自体に無理がある。ミルトンは自作の5曲に参加しているだけで、他の4曲には参加すらしていない。リーダーシップなんてとれるわけない。なんでそんなこともわからないかな。
 もちろんミルトンはミルトンで優れたミュージシャンであり、その作品の魅力も後からわかってきて、いまでは好きなミュージシャンの一人になっている。しかし、ショーターの作品を期待してミルトンの作品を聴いても無駄……という当たり前の話だ。

 では本作はどういう作品なのか。急がずに最初から見ていってみよう。
 本作はショーターの70年代にリリースされた唯一のソロ・リーダー名義のアルバムである。その点からもわかるように、重要な意味があるアルバムだ。
 ミュージシャンに限らず、あらゆるクリエイターというのは、ある程度の期間活動していると、ポンと跳躍することがある。つまり、とつぜん別の世界に移ったかのように、これまでと違う作風を示すことがある。
 ショーターの場合、第一の跳躍が『Super Nova』(69) だったろう。そしてまた本作でポンと違う世界に跳躍している。つまりこれまでの夜の神秘的な雰囲気から、陽光あふれる昼の世界へ。フリー寄りの先鋭的なサウンドから、ユートピア的な美しいサウンドへ。集団即興のスリリングさをおさえ、編曲中心の物語風展開へと移行している。
 この時期にソロ名義のリーダー作がリリースされた意味は、おそらくそんなショーターの新しい世界を作りだし、示そうとしたのだと思う。
 おそらく本作の背景にはチック・コリアの『Return to Forever』(72) によって当時フュージョン・シーンが大きく変化した事があるだろう。マイルスの『Bitches Brew』(69) のような混沌・過激・大作路線が時代遅れになり、心地よさ・気持ちよさが新しい時代のキーワードとなった。本作はショーターがその新しい時代に対応して作り出した作品であり、今後の道標というべき作品ということができる。
 事実本作の『Return to Forever』からの影響は大きいように思える。ユートピア的と呼ばれた『Return to Forever』の世界を引き継げたミュージシャンやアルバムは実はかなり少なく、チック自身もすぐに大きくサウンドを変化させてしまう。しかし本作にはショーター的解釈でのユートピア的なサウンドが鳴り響いている。ショーターは『Return to Forever』の、あの理想郷(ユートピア)的な光輝に包まれた、心地よく透明に澄み切った世界を聴いて、それまで夜や闇の中に創り出してきた別世界=庭園を、光の中に創りだせると考えたのではないか。
 また、大きく変化しているとはいってもショーターのブラジル指向はかなり初期から見られ、『Super Nova』(69) の "Dindi"、『Moto Grosso Feio』(70) と見ていくと、やはり本作もショーターの一連の作品の流れにあることもわかる。ショーターはマイルスのように変化を小出しにしていくタイプではなく、新しい世界が完成するまではアルバムを発表しないタイプであるため、新しい世界が完成されたかたちでいきなり登場してくる。そのため不注意なリスナーには理解できなくなってしまうこともあるのだろう。
 そしてこのショーターの新しい方向性がウェザーリポートで受け入れらなければ(その可能性は充分にあったと思う)この後にウェザーリポートは解散への道を進み、ショーターはこの後にもソロ作を続けて発表していくことになっただろう。ちょうど80年代に『Atlantis』(85) 発表後、ウェザーリポートは解散したように。
 しかし、結局この方向性がザヴィヌルの嗜好とうまく融合したので、これ以後のウェザーリポートは本作に近い光の世界へとカラーを変えて存続し、ショーターのソロ作は70年代に1枚だけ残されることになったのだ。

 さて、『Return to Forever』を考えるとショーターがミルトン・ナシメントを本作で大きくフューチャーした理由もわかる。『Return to Forever』のフローラ・プリン(プリム)の役割だ。そして、その『Return to Forever』にインスピレーションを与えたのもまたショーターの『Super Nova』(69) の "Dindi" やウェザーリポートの1stに入っている "Tears" ではないかということも別項で書いた。
 しかし、やはり本作におけるミルトンの役割は、『Return to Forever』におけるフローラより重要だと思える。これはなぜなのだろうか。ショーターの全作品を聴いてみるとわかるのだが、ショーターという人は自分以外の誰かの音楽、別ジャンルの音楽をテーマとしてアルバムを作るということをしない人だ。ショーターのアルバムはすべて『ショーターの世界』に塗りつぶされている。これはハンコックの場合と対称的だ。そう考えると、本作において例外的にミルトンの音楽をテーマとしたとは考えられない。
 多分、当時ショーターの考えていた方向性とミルトンの音楽が非常に相性が良かったのだと思う。そしてミルトンの曲を使用し、ミルトンの声・要素を取り入れることで、ショーターはより明確な自分の世界が作れると思ったのだろう。
 つまり、本作はショーターの目指していた音楽とミルトンの音楽とのたった一度の急接近がもたらした、偶然が生み出した一作ということができる。本作がこれほど好評だったにもかかわらず、この後ショーターのアルバムにミルトンを招いた作品がないのは、多分そのような理由だろう。
 この後もミルトンのアルバムにはショーターはゲスト参加しているが、それは通常のコラボレーション作業であって、本作のような両者の創造性が偶然急接近したような幸運な出会いの感触はない。

 また、本作はそのような雰囲気、世界だけでなく、編曲においても、ショーターのやり方を示したものだといえる。それはショーターの言葉でいえば「音楽的冒険物語」という、自由に展開し、次々に表情を変えていくタイプの曲づくりだ。
 ウェザーリポートで編曲構成部分を担当したのはザヴィヌルだという評があるが、そうとばかりは言えない。本作などウェザー結成後のショーターのソロ作とザヴィヌルのソロ作とを聴き比べてみると、それがわかる。
 例えば本作の一曲目"Ponta de Areia"を見てみよう。この曲は例えば次のように3つの部分に分けることが出来る。

A:無伴奏でミルトン・ナシメントの歌(テーマ)が始まり、やがて伴奏、リズム・セクションが加わっていく。

B:リズム・セクションが沈黙し、リズム抜きでショーターのインプロヴィゼイションが始まる。あきらかにAのテーマとは違うメロディ。やがてリズム・セクションが加わるが、Aの部分とは違うリズム。

C:伴奏が沈黙し、無伴奏でショーターがAのテーマを演奏。それにミルトンの声が重なってきて、ミルトンの歌へ。やがて伴奏も加わり、Aの部分の再現。ショーターが伴奏に加わる。

 つまり一曲の途中でリズムが変わったり、かなり自由に展開しながらも不自然さを感じさせず、流れるように展開していく。物語風の語り口だ。
 ウェザーリポート解散後のザヴィヌルのソロ作の曲をみてみると、このように一曲のなかで音楽が自由に展開していく感じはなく、リズムは一定で、どこを切っても同じといったパターンが多い。
 しかし、ウェザーリポート時代は、ザヴィヌルの曲でも、他のショーター以外の作の曲でも、このような物語風展開のある曲が多い。
 もちろんザヴィヌルがウェザーリポートの編曲構成の重要な部分を担ったのは確かなんだろうが、同時にショーターもまた、ウェザーリポート全体の曲の編曲構成にも、かなりの役割・影響力を担っていたということは、確実に言える。

 では、内容に入っていこう。
 まず1曲目、先述した"Ponta de Areia"の、いきなり不思議なミルトン・ナシメントの声で始まる。すごく印象的な始まり方だ。本作でミルトンの名が頭に刻み込まれてしまったという人が多いのもうなづける。
 しかし、そのミルトンの声をも包み込む本作のショーターの音世界を聴いてほしい。それは空間的な広がりであり、降り注ぐ陽射し、限りなく澄んだ空の広さ、物憂く停滞した空気と、ときどき森をぬけてくる風、そういったイメージで包み込まれた世界である。
 同時期のミルトンのアルバムで聴かれる世界は、もっと素朴な、土の香りがするものであり、このような世界ではない。ここはショーターの世界である。
 本作はそのショーターの世界に、ミルトンをつれてきて、一緒に演奏した曲と、ミルトンなしで演奏した曲とがある。そういう作品だ。
 2曲目の"Beauty and the Beast"はミルトンなしのほう。不思議なリズムを持った曲で、一種のファンクというのか、レゲエというのか、分類に困る、とてもおもしろい曲だ。これも楽園のなかにいるよう。
 3曲目の"Tarde"でふたたびミルトンが登場。こんどは翳りのあるナンバーだが、ここでも"Ponta de Areia"と同じく、ミルトンの声と、ショーターの音、サウンドの広がり、すべてが見事に調和していて、このうえない楽園的な響きをきかせる。
 続く"Miracle of the Fishes"もミルトン参加曲。これはプロテスト・ソングだそうで、これまでにない激しい曲調で、アクセントになっている。後半を盛り上げていくショーターのサックスもすごい。
 "Diana"、何気ないバラードだが、聴くほどに美しい。『1+1』(97)でも再びとりあげられている。ショーターとしても心に引っかかっていた曲なんだろう。
 "From the Lonely Afternoon"は本作の中では唯一のミルトンの新曲。歌詞はなく、ドラマチックな曲調のなか、ミルトンのスキャットとショーターとのインタープレイを聴くことができる。
 続く"Ana Maria"あたりから本作のクライマックスへ向かっていく。これは心地よいリズムのなかを、やわらかな風のようにショーターのサックスが吹き抜けていく曲。そして曲の後半からじょじょに気持ちが高ぶってゆく。続く"Lilia"。出だしからにわかに緊張感がみなぎりはじめ、ミルトンのヴォーカリーズはジャズのテーマ提示部のように短くおさえられて、ショーターのサックス・ソロがたっぷりフューチャーされている。本作の中でもジャズ色がもっとも強い曲で、本作のクライマックスだろう。
 そして、ラストの"Joanna's Theme"ではハンコックのピアノと見事なコラボレーションを聴かせる。
 何度聴いても、やはり名盤だ。

 では最後に、最初にもどって何故本作がミルトンのアルバムだなどといいだすジャズ評論家がいるのか、考えてみよう。
 いったいジャズ評論家は何を聴いているのか、とも言いたくなる所だが、その理由もわからないではない。そういうことを言う人は、つまりショーターといえば60年代のショーターのイメージで固定して理解している人なのだろう。とすると、これは60年代のショーターとは違いすぎる。誰か別の人がリーダーシップをとったに違いない。だとすればミルトン・ナシメントだ……と、憶測が進んだのではないか。
 じっさいはこの頃のショーターは60年代とはまったく別の世界にいたのだ。ショーターのようなタイプのミュージシャンは固定したイメージでとらえてはいけない。


03.3.28


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Solarization's"     (All of Us)
   ウェザーリポート『ソラリゼーション』


01、Nubian Sundance
02、Doctor Honoris Causa 〜 Freezing Fire 〜 Directions
03、Scarlet Woman
04、Blackthorn Rose 〜 Jungle Book 〜 Boogie Woogie Waltz

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    Alphonso Johnson (b) Chester Thompson (ds)
    Dom Um Romao (per)       1974.12.8


 これはそのままオフィシャル化してほしいブートレグだ。音質もよく、収録時間は54分ほど。また時期的にも『Live in Tokyo』(72) と『Live and Unreleased』(75-83) の間で、オフィシャル盤では聴けない時期のライヴだ。といっても、それはCDに記された録音日が正しければの話だが、『Mysterious Traveller』(74) からの曲がメインだから、だいたい信用できるのではないか。ただし、ジャケットに記された曲目はデタラメ。上記が正しいと思う。メンバーも信用できるのはアルフォンゾ・ジョンソンまで。ドラムは時期的に見れば別人だろうし、パーカッションもわからない。しかし、誰ともいいきれないので、上にはジャケットにクレジットされたままを書いておいた。

 個人的には本作はウェザーリポートというグループを理解する上で必聴もののアルバムではないかと思う。内容が優れているだけではなく、多くのことが本作を聴いてわかったからだ。
 従来ウェザーリポートは『Mysterious Traveller』で大きくコンセプトを変えたと言われてきた。編曲性を前面に出してより親しみやすいサウンドとなり、ザヴィヌルの役割が以前に比べてずっと大きくなり、つまりはこのへんからザヴィヌル中心のバンドになったのではないかと。
 しかし本作を聴いてみるとそれほど目立った変化はしていないのがわかる。もちろん変化している部分もある。『Live in Tokyo』に比べるとリズムに違いがあり、つまり『Sweetnighter』(73) での変化はわかる。が、『Mysterious Traveller』での変化、つまり編曲性が強くなってザヴィヌル色が強くなっているという変化は、本作の演奏からは感じられない。あいかわらず緊張感に満ちた即興演奏が繰り広げられ、ザヴィヌル以上にショーターの存在感が大きい。
 となると、『Mysterious Traveller』での変化とは何だったのだろうか?
 現在では個人的には、これはスタジオ録音の方法の変化だったのではないかと思っている。つまり、ウェザーリポート時代を通じてスタジオ作業のリーダーシップをとっていたザヴィヌル(彼はつねにウェザーリポートのスタジオ盤でプロデューサーとしてクレジットされている)がより緻密なスタジオ作業をするようになったので、サウンドの印象が変わり、ザヴィヌルの存在感が強くなったように感じられただけで、実はウェザーリポート自体はそれほど急激に変化したわけではなかったのではないか。
 確かにウェザーリポートはこのあたりから編曲性がとりいれられ、初期の集団即興中心の演奏と比べると、だんだんサウンドがわかりやすく整理されていく傾向にある。しかしその編曲の中心も必ずしもザヴィヌルだったわけでもない。『Native Dancer』(75) から『Atlantis』(85) まで見ていけば、いわゆる「音楽的冒険物語」的な編曲はショーター中心に行われていたこともわかる。
 結局、このあたりからザヴィヌルがウェザーリポートの中心になっていったというのは、スタジオ盤だけ聴いていた印象からくる誤解だったのではないか。
 確かにウェザーリポートはザヴィヌルが実質的リーダーのバンドとなって終わるが、ザヴィヌルがウェザーリポートの中心になるのはもっと後だと思える。

 曲を見ていこう。
 冒頭は"Nubian Sundance"。スタジオ盤での同曲はザヴィヌルによるサウンド指向の曲だと思えたが、このライヴ・バージョンを聴くと『Sweetnighter』の "Boogie Woogie Waltz" や "125th Street Congress" と同じタイプの曲なのだと気づいた。多重録音でシンセの音を大幅に被せていたので、印象が違って聴こえていたようだ。
 と、いうことで定速で鳴りつづけるリズムの上を各奏者が自由に行き交う演奏だが、この演奏はアルフォンゾ・ジョンソンのベースを中心に聴くとおもしろい。特にショーターとの対話的演奏の部分がいい。
 次のメドレーが凄い! 最初はトーン・ポエム風の静かな演奏で始まり(何の曲か確認できず。"Orange Lady"の序奏っぽく聴こえるんだが、どうだろうか)、ショーターによって"Doctor Honoris Causa"のメロディが現れ、リズム・セクションが雪崩れ込むように入ってくる。凄いのはここからラストにかけてリズム・セクションが少しづつ、ぐんぐんと勢いを増していくところだ。後半ではもはや嵐のようなリズムの洪水となる。ぜひボリュームを大きくして聴いてもらいたいところだ。
 しかし、逆にいうと、このような趣向は、即興演奏を重視するより編曲によるサウンド指向をじょじょに前面に出しはじめている例といえるのかもしれない。しかしこの演奏では即興演奏性も充分に生かされていて、ショーターの演奏も絶好調だ。
 13分におよぶ"Scarlet Woman"もスタジオ盤のバージョンの数倍濃密で凄い。まず様々な打楽器を使用して演出効果が数倍増している。もともと即興演奏性の少なさが欠点だった曲だが、このバージョンでは後半にショーターが素晴らしいソロを聴かせてくれる。
 ラストは "Blackthorn Rose" のテーマから始まるが、すぐに "Jungle Book" にうつり、またすぐに "Boogie Woogie Waltz" へと移行する。この "Boogie Woogie Waltz" がまた凄い! アルフォンゾ・ジョンソンのメロディアスなベースに乗ってショーターが絶叫調で飛ばし、最高の山場を作りだしてくれる。

 それにしてもライヴ盤を聴くとウェザーリポートはショーターのバンドだったんだと再認識させられる。『Mysterious Traveller』でのショーターの出番の少なさの不満を一気に解消してくれるアルバムだ。またアルフォンゾ・ジョンソンの対話的演奏も全編を通じて光っている。


03.12.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

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  Weather Report "Tales Spinnin' "   (Columbia)
  ウェザーリポート『幻祭夜話』


01、Man in the Green Shirt
02、Lusitanos
03、Between the Thighs
04、Badia    
05、Freezing Fire
06、Five Short Story 

     Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (syn,key)
     Alphonso Johnson (b) Leon Chancler (ds)
     Alyrio Lima (per)        1975.1-2


 このアルバムにウェザーリポートが長続きした理由があると思う。
 ショーターは『Native Dancer』(74) から作風を大きく変化させた。仄暗い神秘的、宇宙的イメージの音楽から、陽光あふれる南国的でユートピア的なサウンドへと移行した。その変化は当然ウェザーリポート作品にも持ち込まれ、本作の作風はブラジル色が強い南国的なものに変化している。
 普通、双頭バンドの片方のリーダーがこのように変化したら、そこでバンドは分裂・解散してもおかしくない。しかしザヴィヌルはというと、ショーターに合わせるように大きく作風を変化させ、ウェザーリポート解散後はむしろショーター以上に南国の人になってしまうのだ。
 この変化をグループ内でのザヴィヌルの影響力が強くなったからだと見るむきがあるようだが、間違いである。この頃までのザヴィヌルは南国的世界には縁のない人で、『In a Silent Way』(69) や『Zawinul』(70) の、オーストリアの冬の森に包まれたような世界の人だったのだ。いっぽうショーターは『Super Nova』(69) や『Moto Grosso Feio』(70) あたりからブラジル音楽の要素をとり入れている。このカラーの変化はショーターの内にあったものの発露によって、ショーター主導で変わっていったと見るべきである。
 ウェザーリポートが活躍していた頃、「仄暗い神秘的イメージの強いアルバム=ショーター色が強いアルバム」「明るく南国的イメージの強いアルバム=ザヴィヌル色が強いアルバム」と分け、これはショーター的かザヴィヌル的かなどと言っている人もいたようだが、そのような分け方自体が間違いである。それはショーターを60年代のショーターのイメージだけでとらえ、ショーターの変化を見ない見方だ。また、ザヴィヌルがウェザーリポート以後も南国路線を続けたため、ザヴィヌル=明るい南国の人というイメージがつき、誤解された面もあるかもしれない。
 しかし無心で聴けば、本作ではむしろ前作『Mysterious Traveller』(74) よりショーターが生き生き活躍していて、前作以上にショーター色の強いアルバムだということがわかるだろう。

 さて、では本作がこれまでと変わったのは、そういったイメージチェンジだけなのだろうか。
 そうではなく、本作あたりがウェザーリポートの演奏において重要な転換点だったようだ。
 そのことは実は本作等スタジオ盤を聴くよりライヴ盤を聴いたほうがよくわかる。つまり、スタジオ盤だけを聴いているとウェザーリポートはむしろ前作『Mysterious Traveller』(74) で大きく変わったようにみえる。しかしその時期のライヴ盤『Solarizations』(74) を聴くと、ライヴ演奏自体は以前からの色を濃く残しており、この変化はむしろスタジオ盤の録音方法の変化に起因するものだったことがわかる。
 しかし、『Live and Unreleased』(75-83) に収録された本作の時期のライヴ演奏を聴くと、『Solarizations』での演奏とは大分様子が変わっていて、より整理されて輪郭のくっきりした、わかりやすい音楽になっている。おそらくウェザーリポートというバンドの演奏は本作の時期に大きく変化したのであり、『Live and Unreleased』が75年以後のライヴ演奏から編集することにしたのも、ここに大きな転換点があったからではないか。

 さて、話を本作に戻そう。
 前作『Mysterious Traveller』には、シンセサイザーの使用などによるサウンド・パノラマのような部分や、編曲性の重視など新しい方向性が出てきたが、ウェザーリポート本来の即興演奏の部分では "Cucumber Slumber" を除くともう一つ伸びやかさが足りなかった。それはスタジオ録音の方法が変わった点が大きかったのではないかと思う。
 それが本作では演奏自体も生硬さが消えて、躍動感に富んだものになり、前作から編曲指向・サウンド指向と無理なく融合している。新しいスタジオ作業にも慣れ、アルフォンゾ・ジョンソンを加えたアンサンブルが完成したためといえそうだ。
 ジョンソンはリズム・セクションに徹するタイプのベーシストなため、ヴィトウス時代と比べると集団即興のあり方が単純になる。その部分を編曲性で補強していくことになる。そのため編曲性を取り入れだしたこの時期のウェザーには合っていたと思う。
 特に演奏ののびやかさでは続く『Black Marcket』や『Heavy Weather』より上であり、ジャズ的魅力に満ちている。この時期のウェザーリポートの作品中でも傑作というべきアルバムだ。『Black Marcket』や『Heavy Weather』より本作が好きだという人に会うと、「できるな!」と思う。

 さて、『Tales Spinnin'』というタイトルは直訳すれば、『話紡ぎ』とか『物語り』といった意味だ。本作のリリース当時の日本盤LPには『幻祭夜話』という邦題がつけられ、アルバム内の曲も「緑衣の老人の舞踏」とか「パディアの楼閣」とか「ルシタニアの賑わい」といった邦題がついていた。
 そのことからもわかるとおり、前作から始めた「音楽的冒険物語」の路線がここではもっと推し進められ、一曲の内での展開が広がり、一曲の演奏時間が長くなっている。
 また、『Native Dancer』(74)と同時期、同路線の作品なんで、両者を聴き比べてみて、ショーターが単独で作った作品と、ウェザーリポートで作った作品との差を見てみるのもおもしろい。
 個人的にはリズムのドライヴ感と、サウンドの多彩さと厚さが、一番の差のように思う。『Native Dancer』のほうがゆったりとして、サウンドも繊細だ。

 "Man in the Green Shirt"、"Lusitanos"、"Between the Thighs"、"Freezing Fire"の4曲が、本作の主部をなしており、この4曲に関してはどれがショーターの曲かザヴィヌルの曲かいうよりも、新しいウェザーリポート・サウンドの誕生といった感じがする。例えばザヴィヌル作の"Man in the Green Shirt"では全編にわたりショーターのソロによって曲が展開していき、ザヴィヌルのソロはむしろショーター作の"Freezing Fire"で大きくフューチャーされている、というかんじ。
 この4曲はどれもいい。ショーターのサックスが森の木々を縫うように飛翔していく"Man in the Green Shirt"。その大空からゆっくりと舞い降りてくるような"Lusitanos"。躍動感のある"Between the Thighs"。リズムとメロディの微妙にミスマッチな感覚がおもしろい"Freezing Fire"。
 一方、シンセ音楽的サウンド指向が出ているのが"Badia"だが、これは不思議な曲だ。
 明るい南国的な雰囲気が溢れる本作のなかでは異質の、暗く神秘的な、これまでのショーターの雰囲気のする曲である。しかし、ショーターは演奏に参加していなく、作曲者もザヴィヌルだ。しかし、ザヴィヌルのトーン・ポエム作品には見られないような、何かがおきそうな緊迫感がある。やはりショーターのイマジネーションをザヴィヌルがサウンド化した曲なのかもしれない。少なくとも出来上がる過程でショーターの影響力があったのは確かだろう。しかし、演奏自体にはショーターが入ってないせいで、いま一つ盛り上がりに欠ける。そこに不満を感じたら、多くのライヴ・ヴァージョンがあるので、そちらでショーター入りの演奏を聴くといいだろう。
 ショーターとザヴィヌルのデュオも前作に続いて収録されいる。しかし、即興性の強い前作にくらべて今回の"Five Short Story"はきちんと作曲された、物語的に展開する曲となっている。これもある意味、作曲面と即興演奏面のバランスのとれた融合か。

 全編にわたって("Badia"はのぞく)ショーターの生き生きとしたソロが聴かれ、傑作揃いのウェザーリポートの作品中でも特に充実したアルバムなのだが、その割に地味な評価しか受けてない気がする。新路線を打ち出した『Mysterious Traveller』と、名盤『Black Marcket』の間に挟まっているせいだろうか。それとも、南国路線への切り替えがファンに受けなかったのか……


03.3.21


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "THE concert 1973"    (Jazzman)



01、Drum solo
02、Between the Thighs
03、Bass Improvisation
04、Lusitanos
05、Freezing Fire

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (syn,keybords)
    Alphonso Johnson (b) Chester Thompson (ds)
    Alex Acuna (per)                 1975?

 これはブートレグで、収録時間はほぼ50分。音質は多少こもり気味だが、贅沢をいわなければ鑑賞に問題はないレベルだ。
 タイトルには「73」とあるが、ベースはアルフォンゾ・ジョンソン、ナンバーは『Tales Spinnin'』(75) の収録曲が中心であり、編曲や演奏の感じからしても、『Live and Unreleased』(75-83) に収録されている最初期の部分と同時期の75年くらいのライヴだろう。両方に収録されている "Freezing Fire" はかなり似た編曲だ。

 一曲めはいきなり曲の途中、ショーターがエンディングのテーマを演奏してドラム・ソロに突入するところから始まる。そしてベースが入ってきて、"Between the Thighs" の前奏へと移行していき、曲が始まるとトラック2に移動。このへん、ちょっと変ではあるが、ちゃんと曲が始まったところから聴きたい時はトラック2から聴き始めればいいわけで、便利といえば便利。
 この19分を超える "Between the Thighs" がまず最初の聴きどころ。長丁場をまったく飽きさせない充実しきった演奏だ。
 続くベースの無伴奏ソロは3分ほどの曲だが、この後ジャコが毎度のようにソロ・ナンバーを弾くのに対し、アルフォンゾ・ジョンソンのベース・ソロはウェザーリポートではめずらしい。
 ラスト2曲はショーター作の曲が続く。13分を超える "Lusitanos" もいいが、やはり本作の最大の聴きどころはラストの怒涛のような "Freezing Fire" だろう。
 それにしても特筆したいのは、打楽器隊の強力無比さだ。この時のチェスター・トンプスン〜アクーニャのコンビは、ウェザーリポートの歴代打楽器隊のなかでもトップ・クラスの迫力ではないか。"Freezing Fire" ではその打楽器の怒涛が炸裂する。


05.9.26


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Herbie Hancock "Man-Child"     (SME)
   ハービー・ハンコック『マン・チャイルド』


01、Hang Up Your Hang Ups
02、Sun Touch
03、The Trailor
04、Bubbles
05、Steppin' in It
06、Heartbeat

   Herbie Hancock (p, elp, syn) Wayne Shorter (ss)
   Bennie Maupin (ss, ts, sxo, bcl, bfl, afl)Bud Brisbois, Jay DaVersa (tp)
   Garnett Brown (tb) Dick Hyde (tu, btb) Jim Horn, Ernie Watts (sax, fl)
   Stevie Wonder (hca) Blackbird McKnight, David T. Walker (g)
   Melvin ``Wah Wah Watson'' Ragin (g, voice bag, syn)
   Henry Davis, Louis Jackson, Paul Jackson, Louis Johnson (b)
   Mike Clark, James Gadson, Harvey Mason (d) Bill Summers (per)   1975.7


 70年代のフュージョン、エレクトリック・ジャズ系のバンドは、マイルス・バンド、ウェザーリポートを始めとして、ファンクのリズムをとりいれることが多かった。それは当時ファンクが最新のリズムだったからのようだ。
 しかし、そのファンクのリズムそのもののノリに関していえば、やはりスライ&ファミリー・ストーンやジェイムズ・ブラウンなど本職に比べて劣っている場合がほとんどだったと思う。
 しかし、そんな中でほぼ唯一、本職も顔負けのノリのいいリズムを作り出したのはハービー・ハンコックだったと思う。そもそもハンコックは1st アルバムの "Watermelon Man" (62) の頃からつねにリズムに敏感であり、新しいリズムに対して意欲的だ。それはこの後の彼の活躍を見ても、ヒップホップをいち早く取り入れた『Future Shock』(83)、アフリカン・ドラムを取り入れた『Dis Is Da Drum』(93) 、ドラムン・ベース等を取り入れた『Future 2 Future』(2001) 等と続いていくわけで、ハンコックの本質的な部分といえる。
 また、ハンコックには最新エレクトリック機器が大好きという面があって、マイルスの自伝を読むと、マイルス・バンド時代からとにかく電気製品好きで、トニー・ウィリアムスが新発売の電気製品をいち早く買ってみんなに自慢しようと持ってくると、ハンコックが全部説明してしまってトニーがむくれる……などというエピソードが書かれている。
 この、異様なまでのリズムのノリの良さと、最新エレクトリック機器の縦横無尽の駆使という点がハンコックのエレクトリック作品の魅力の中心ではないかと思う。

 さて、マイルス・バンドを離れた後のハンコックは一時期低迷もしていたのだが、『Head Hunters』(73) が大ヒットしてからは絶好調。なにしろ当時のハンコックのライブの前座をつとめていたのがマイルス・バンドだったというのだから、人気の高さもわかる。
 『Head Hunters』(73) の後のエレクトリック・ハンコックは、『Thrust』(74) 、ライヴ盤の『Flood』(75) ときて本作に至る。この大傑作というべきライヴ盤『Flood』や本作を録音した75年あたりがエレクトリック・ハンコックが一番ノリにノッていた時期のような気がするのだが、どうだろうか。
 本作の特徴はショーターやスティーヴィー・ワンダーを含むゲストを加えてメンバーを一気に増やし、ビック・バンド的な大編成でファンクをやっている点にある。大編成になってもリズムはまったく衰えず、グイグイと持っていくところが立派。まさに大ファンク大会となっている。

 さて、ショーターについてだが、ショーターはリズム感はいいし、メッセンジャーズでのファンキー・ジャズや、ウェザーリポートの "Cucumber Slumber" 等ではいい味を出すが、基本的にはリズムにのるよりも、フレーズでリズムを崩していくような演奏を好む。そのためハンコックのこのようなファンク系作品とは相性は良くない。
 本作ではクレジットを見ると全曲に参加しているようだが、ショーターのソロが活躍するのは "Bubbles" のみだ。この曲は本作の中では異色な、けだるい雰囲気の曲で、だからこそショーターの演奏とも合うのだが、それでも大活躍というほどではない。
 まあ、ショーターめあてに聴くアルバムではないと思うが、本作自体は70年代のエレクトリック・ハンコックを代表するアルバムの一つだと思う。


04.1.9


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Jaco Pastorious "Jaco Pastorious"     (Epic)
   ジャコ・パストリアス『ジャコ・パストリアスの肖像』


01、Donna-Lee   
02、Come On, Come Over   
03、Continuum   
04、Kuru / Speak Like a Child   
05、Portrait of Tracy   
06、Opus Pocus
07、Okinkole Y Trompa   
08、(Used to Be a) Cha-Cha   
09、Forgotten Love   

     「6」
      Wayne Shorter (ss) Jaco Pastorious (b)
      Herbie Hancock (elp) Lenny White (ds)
      Othello Molineaux, Leroy Williams (steel-d) Don Alias (per)   1975.10


 天才ベーシスト、ジャコ・パストリアスのデビュー・アルバム。ハンコックの全面的なバックアップのもと作られた作品だが、この後ウェザーリポートで長いあいだ共演することになるショーターも花を添えている。
 本作はリリース当時、ミュージック・シーンにそうとうな衝撃を与えたそうだ。
 といっても当初は、冒頭のコンガのみを伴奏にした"Donna-Lee"の早弾き等、技術面の凄さで評判になった面が大きかったらしい。その"Donna-Lee"は当時は本当に弾いているとは思えず多重録音だと思った人もいたほどだったというが、その後フォロワーも出て、現在となってはそれほど衝撃的でもないと思う。だいいち早弾きの興味で聴くというのは音楽というものの楽しみかたとは違う。曲芸でしかない。
 それでも"Donna-Lee"を冒頭にもってきたのは、リスナーを驚かしてやろうという意図だろう。派手なステージ・アクションもそうだが、どうもこのジャコという人には、とにかく人を驚かして、人の目を引こうとする所がある。
 しかし本作で音楽的に本当に優れているのは2曲目以後の演奏だ。これは本当に、20代半ばの新人のデビュー作とは思えないほどのクオリティーの高さである。これにはハンコックを始めとするサイドマンの力もあったのだと思うが。
 それに、ジャコの美質の一つだと思うのは、ゲスト参加のミュージシャンを生かすのが上手いことだ。有名ミュージシャンがちょこっとソロをとってますよふうの、注意して聴いてないと通り過ぎてしまうような参加のさせ方はしない。
 本作でもショーターとサム&デイヴはわずか1曲づつの参加だが、これ目当てに買っても損をした気がしないほどの存在感を見せている。そのサム&デイヴ参加の"Come On, Come Over"は、契約の関係でスタックスを離れてから低迷していたこの時期のサム&デイヴが、これだけ豪華なミュージシャンをバックに気持ちよさそうに歌っているのを聴くと、なんともいえない感慨がある。それでいてジャコ本人もしっかり目立ってる。
 ショーター参加の"Opus Pocus"は不思議なスティール・ドラムの演奏ではじまるミディアム・テンポの曲で、曲全体が奇妙な光で包まれているような、まさしく本作でショーターを起用するならこの曲しかないと思える曲。その起用に見事に答えたショーターのソプラノの演奏はもう何もいうことはない。音をねじ曲げ、引き伸ばし、絡めていくような、凄絶な演奏。同時期のウェザーリポートではこんな演奏を聴くことはできない。天性のインプロヴァイザーの真骨頂は、自己のリーダー作よりむしろサイドマンとしての参加作品で多く聴かれるという公式は、ここでもあてはまる。
 その他にも聴きどころ満載。ベーシストとして、作編曲者として、ジャコの多彩な魅力をいろいろな面から捉えようととする意図が見事に決まった、この上ないデビュー・アルバムだ。
 けれど、やはり一番の聴きどころは"Opus Pocus"だと思う。



03.3.17


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Black Marcket"    (Columbia)
   ウェザーリポート『ブラック・マーケット』


01、Black Marcket
02、Cannon Ball
03、Gibraltar
04、Elegant People
05、Three Clowns
06、Barbary Coast 
07、Herandnu 

     Wayne Shorter (ts,ss,Lyricon) Joe Zawinul (syn,key)
     Alphonso Johnson (b) Jaco Pastorious (b-2,6)
     Chester Thompson (ds) Alex Acuna (congas,per)
     Narada Michael Walden (ds) Don Elias (congas,per)  1975.12-76.1


 架空の南国の楽園をテーマにしたコンセプト・アルバムで、この時期のウェザーリポートの頂点を極めた作品と評されるアルバム。セールス的には次の『Heavy Weather』のほうが売れたが、内容的にはこちらが上という定評がある。
 個人的にはウェザーリポートのアルバムはそれぞれが別々の魅力を持つと思っているので、これが最高という気はないが、本作の、とくに冒頭の4曲は『Mysterious Traveller』以後のウェザーリポートの方向性が、ある意味で完成に達した到達点だとは思う。それは編曲性の重視と緻密なスタジオ作業によって完成度の高いサウンドを作り出していこうとする方向性だ。
 一般的には、このへんからの編曲性を重視したサウンド作りはザヴィヌル中心に行われていたと思われていたよるようだが、そうとばかりもいえないようである。確かにスタジオ盤の録音はザヴィヌルが中心に行われていたので、スタジオ盤を聴くかぎり、ザヴィヌル色が以前より強くかんじられるのは当然というべきだが。
 実はこのアルバムの録音がはじまる頃には、マイケル・カスクーナによる、ブルーノートのお蔵入り録音の発掘作業が始まっており、ショーターの旧作『The Soothsayer』のセッションが発掘されている。その録音を75年にショーターと、同セッションのドラマーであるトニー・ウィリアムスに聴かせたところ、トニーは「あの演奏は最高だよ、早く出せばいいのに」と語ったのに対し、ショーターはといえば、「もうこんなスタイルでは演奏していないし、この音楽は時代遅れだ」といって、まったく関心を示さなかったという。
 もちろん『The Soothsayer』はどんなに時間が経っても時代遅れになんかならない音楽だとは思うし、じじつ『The Soothsayer』は現在では多くの評論家によって60年代のジャズを代表する名盤の一つという評価を得ている。が、ショーターがこのような態度をとる理由も理解できる。
 こういう態度は、現在行っている音楽の創造に夢中になっていて、過去の自分の業績に興味を失ってる人の態度だ。現在、毎日毎日新しく発見していることがおもしろずぎ、過去に創造していた作品が無意味に感じられているのだ。自分がいま創造しているものが重要に思えすぎて、過去に作っていたものの重要さに目がいかなくなっているのだ。
 もし、当時のウェザーリポートの音楽がザヴィヌル中心に創造され、ショーターはつきあいで同行している程度の役割しか果たしていなかったのだとすると、ショーターはこういう態度はとらなかったはずである。このようなショーターの態度こそが、ショーターが75年当時、日々前進し、自己の生み出した新しいサウンドに夢中になっていたということを物語っていると思う。

 さて、では本作はこれまでのアルバムとどこが違うのだろうか。
 まず技術的な面からいって、本作からポリフォニック・シンセサイザーが使用できるようになり、より分厚いシンフォニックなアンサンブルが可能になったことがあげられる。つまり、この時期までのシンセはモノフォニック・シンセサイザーといって、単音しか出ず、和音を出そうと思ったら多重録音でもするほかなかったのだ。そして楽器の技術的進歩によって本作前後からシンセで和音が弾けるようになり、それによって表現の多様性が増したわけだ。
 しかし個人的にはそれより印象に残るのは、ドラムス、パーカッションの打楽器パートが一気に充実したことだ。前作での打楽器はロック的な前へ前へと押し出すかんじだったのが、本作では空間を埋め尽くすようなパーカッション群の嵐となる。この波のようにうねり、波飛沫のように散り、ときには嵐のように叩きつけるパーカッション群がこのアルバムの命だろう。
 また、本作からジャコ・パストリアスが部分参加し、ここでは2曲弾いている。

 冒頭の"Black Marcket"(「闇市」だ)。ザヴィヌルが後に語っているところによれば、ザヴィヌルがウェザーリポートで書いた曲のなかで最も気に入っている曲だという。『8:30』(78)におけるライヴ・ヴァージョンが見事で、その後で本作のヴァージョンを聴くとみょうにおとなしい気もしてしまうのだが、このほのぼのとした演奏もそれはそれで味がある。『8:30』ではテナーでブロウしていたショーターが、ここではソプラノで、まるで山の上を飛翔するかのようなかろやかなソロを吹いているのが印象的。
 "Cannon Ball"は「砲弾」というタイトルに似合わずゆるやかな曲。ジャコが参加したナンバーで冒頭からジャコのソロが聴ける。しかし基本的には編曲中心の曲で、各人ともソロはそれほど印象的でない気がする。
 ショーターの物憂いソロから始まって一気にテンポアップする"Gibraltar"。本作中もっとも激しい曲だろうが、中盤から後半にかけて絶妙のポイントでショーターが翳りのあるソロをとり、ガンガン行くだけの曲に印象的な陰翳を与えている。
 以上前半3曲がザヴィヌル作の曲だ。いずれも編曲が前面に出ている曲で、ザヴィヌルが中心になって書かれた曲のようだが、ザヴィヌルが単独で書くとこのような曲にはならない。このへんの曲が出来ていく過程でショーターがどんな役割をしていたのか、興味があるところだ。
 後半はウェザーリポート中のショーター作の曲のなかでもひときわ名高い"Elegant People"から始まる。哀愁をおびた印象的で親しみやすいメロディだが、だからといって鼻歌ではまず歌えないところがショーターらしい。ショーターのソロもたっぷり聴けて、まさに名曲・名演だ。ウェザーリポートに加わった頃のジャコはこの曲に出会って何度も演奏するうちに曲のおもしろさというものを知ったといい、ウェザーリポートを離れた後も自己のバンドで何度も取り上げている。
 "Three Clowns"。ぼくは長い間この曲の意味がわからなかった。ショーター作の曲で、テーマ自体は抽象的で摩訶不思議な魅力があるのだが、アドリブらしいアドリブがないまま、ショーターのリリコンによるテーマの演奏だけで終わってしまう。後のソロ作『Atlantis』(85)収録の"Atlantis"や"Shere Khan, the Tiger"など、エレクトリック楽器を使用しての編曲性を押し出した曲の系列なのかもしれない。
 "Barbary Coast"は、ジャコ参加のファンキー・ナンバー。これは曲というより、ジャコの顔見せ的な演奏。
 ラストはめずらしくアルフォンゾ・ジョンソン作の"Herandnu"。同じパターンがえんえんと繰り返されるテーマは、さほど魅力的ではない。救われるのはショーターが副旋律をつけているから。しかし途中から曲調がかわって、本作中最も気合いの入ったザヴィヌルのソロが炸裂し、終盤にまたショーターが登場……。ちょっと完成度はユルいが演奏的にはおもしろい曲だ。


03.7.16


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Live and Unreleased"    (Columbia)
   ウェザーリポート『ライヴ・アンド・アンリリースド』


Disc-1
01、Freezing Fire
02、Plaza Real
03、Fast City
04、Portrait of Tracy   
05、Elegant People
06、Cucumber Slumber
07、Teen Town
08、Man in the Green Shirt

Disc-2
09、Black Market
10、Where the Moon Goes
11、River People
12、Two Lines
13、Cigano
14、In a Silent Way / Waterfall
15、Night Passage
16、Port of Entry
17、Rumba Mama   
18、Directions / Dr.Honoris Causa

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (syn,keybords)
    Alphonso Johnson (b) Chester Thompson (ds)
    Alex Acuna (per)        1975.11.27 -(01)(06)(08)(13)(18)

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    Jaco Pastorius (b) Alex Acuna (ds)
    Manolo Badrena (per)      1977.9.10   -(07)(09)(17)
                    1977.11.30  -(05)

    Jaco Pastorius (b)       1977.11.30  -(04)

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    J.Pastorius (b) P.Erskine (ds)  1978.11.28 -(11)(14)

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    Jaco Pastorius (b) Peter Erskine (ds)
    Robert Thomas Jr.(per)     1980.7.12  -(03)
                     1980.7.13  -(15)(16)

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
    Victor Bailey (b) Omar Hakim (ds)
    Jose Rossy (per)        1983.6.3   -(02)(10)(12)


 これは凄い。逆にいえば、なんでいままで出さなかったんだと思えるほどの内容のライヴ録音集。2002年になってようやくリリースされた。
 まず驚くのは音質の良さで、オフィシャル並みというより、スタジオ盤より音がいいんじゃないかと思えるほど。75年の録音でもこの音の良さは、当時の機材を考えれば驚異的。新しい録音はさらに音質がいい。
 録音はその75年から83年におよぶライヴ音源からの抜粋。アルバムでいえば『Tales Spinnin'』から『Domino Theory』の頃にあたる。選曲はショーター作の曲、ダークな雰囲気の曲も多くとられ、『8:30』のような極端な偏りがない。

 内訳を見ていくと、まず、75年の11月27日の録音が、実に43分もある。『Tale Spininn'』時代の、LP時代であればアルバム1枚ぶんの分量だ。この部分がすごくいい。ここでのアルフォンゾ・ジョンソンのベースは、これまでリリースされたウェザーリポートのどのアルバムを聴いても、これほど輪郭がはっきりと録音されたものはないと思う。おそらくこの日のライヴはすべてこの音質で録音されているのだろう。ぜひまるごとリリースしてほしいものだ。
 つづく76年の録音はなく、77年は9月10日のライヴと、11月30日のライヴが、計27分ほど収録されている。78年の録音は、計12分と少ない。この年のライヴは『8:30』や『Mythique Weather』でたっぷりと聴けるので、まあこれはこれでいい。80年の録音は計20分。83年は27分だ。
 さて、演奏のほうはどうかというと、全体的に高レベルなのだが、個人的にはかならずしもウェザーリポートの最高の瞬間をとらえてはいないような気もする。ブートレグででたライヴ盤を聴いた経験からすると、なにか、迫力に圧倒されるような「おおっ!」とくるような瞬間が、このアルバム収録の演奏には乏しいような気がするのだ。わかりやすい、だれにも親しめるような演奏を中心に編集したということなんだろうか?

 あと、どうでもいいことだが、メンバーのクレジットが、全曲ショーターが一番最初になっている。ウェザーリポート活動中は中期以後解散までザヴィヌルが最初に来ていたが、解散後の二人のネームヴァリューの変化故だろうか、あるいは解散してみて初めて(わかる人には)ウェザーリポートがザヴィヌルのバンドではなかったことがわかったということだろうか。
 ま、実際、ウェザーリポートがショーター抜きではありえないバンドだったことは解散後のザヴィヌルの作品を聴けばわかることだ。
 そんなことはおいておくことにして、内容へ行こう。

「Disc-1」の1曲め、"Freezing Fire"。この選曲が新鮮で良い。『Tales Spinnin'』収録の曲だが、テンポが速くなって軽快な感じが増している。本作中では最も古い録音だが先述のとおり音質が良く、アルフォンゾ・ジョンソンの怒涛のベース・ランニングが音の輪郭もくっきりと聴ける。ジャコばかりが有名で可哀想だが、やはりこの人も名ベーシストだったとわかる。ショーターのソロは後半に登場。これも生々しいほどの音質で、ショーターのはじけるソロがたっぷりと聴ける。原則的にウェザーリポートはライヴのほうがショーターが思いきり吹いているのでうれしいのだが、ここでもそれが実証された。最初聴いた時、この一曲だけでもCD代をモトをとったと感じた。
 2曲めは今度は一番新しい録音となって、ベイリーがベースの"Plaza Real"。好きな曲で楽しみにしていたが、これはスタジオ版のほうがいいか。テーマ部でキーボードが一音一音置くように弾いていくところが魅力のテーマだが、音がつながってしまっていてガッカリ。しかし冒頭2曲ショーター作の曲という立ち上がりはいい。
 3曲めの"Fast City"で初めてジャコが登場。これは文句なしの演奏だ。テーマの後、ショーターが正面からバリバリ吹いているように見えて、いつのまにか遠い抽象的な場所へと行ってしまう。
 つづいてはジャコのソロで"Portrait of Tracy"。ジャコのファースト・ソロ作に入っていた曲で、ライヴでのジャコのソロ演奏のレパートリーだった曲だ。
 そしてついに"Elegant People"。スタジオ版とはかなり印象が変わっている。哀愁味のある演奏だったのが、ここではテナーで迫力で押していく。こういう演奏もいい。それに始めから終わりまでショーター出ずっぱりで圧巻!
 またアルフォンゾ・ジョンソン時代に戻って"Cucumber Slumber"。もともとジャム・セッションでできた曲だけに、ここでもファンキーなリズムに乗って理屈ヌキのインプロヴィゼーション大会。前曲から引きつづいてのショーターのテナー演奏にほれぼれとする。この時代のファンキーな演奏もやはりいい。リズム隊が最高!
 つづいてジャコの"Teen Town"。『8:30』でもやっていたが、このヴァージョンはむしろスタジオ版に近い。前半ジャコのベースと打楽器隊が飛ばし、ショーターは返事をする役に終始する。セロニアス・モンクのバッキングにも似た味わいか。
「Disc-1」ラストはまたもアルフォンゾ・ジョンソン時代の"Man in the Green Shirt"。『Tales Spinnin'』の冒頭の曲。スタジオ版でもショーターのサックスが軽快に駆け回り、飛び回る曲だったが、このライヴ・ヴァージョンでは意外や静かに神秘的に始まって、どうなるのかと思いきや一気に駆け回る。ここでのショーターのソプラノはスタジオ版以上に飛んでいる。すごく繊細で、神秘的で、大胆だ。

 つづいて「Disc-2」にうつるが、なぜか「Disc-2」の前半はショーターが活躍しない曲が集められている。
 まず "Black Market" 。『8:30』収録の78年のライヴ演奏では後半ドラムのみをバックにショーターがブローするところがクライマックスだったが、この77年の演奏ではそれがない。他の78年録音のライヴ演奏でも『Mythique Weather』(78)での演奏でもそこが聴きどころになっているので、あのドラムだけをバックのブローは78年に入ってから完成されたのかもしれない。まあ、これはこれでいい演奏ではあるのだが、なんとなく寂しい。つづく"Where the Moon Goes"スタジオ版では後半でショーターが全てを変えてしまうような素晴らしいソロをとる曲。12分もやってるんで、もしかしたらと期待したのだが、期待は外れ。長くなったぶんは後半にドラム、パーカッションのソロ・パートがあるせいだった。ショーターの演奏はスタジオ盤でのほうが良かった。
 そしてジャコの"River People"。人気曲だが、この曲は当時のテクノに似たテイストのある曲で、ライヴでやってもさほどおもしろい曲ではない。続く"Two Lines"はリズム隊が大活躍するナンバーだが、なぜかショーターのソロが短い。
 さて、5曲めの"Cigano"からが聴きどころだ。これはショーター作の未発表曲。75年のアルフォンゾ・ジョンソン時代の演奏で、落ち着いたミディアム・テンポの曲。ショーターは手さぐりで吹いているような印象もあるが、味わいもある。"Cigano"とはジプシーのことらしい。
 続いては"In a Silent Way / Waterfall"。ザヴィヌルによるトーン・ポエムのメドレーでジャコ在籍時の演奏。ショーターの美しいソロがたっぷりフューチャーされている。
 つづく"Night Passage"は傑作アルバムの表題曲で冒頭に入っていた曲。しかしぼくはスタジオ版を聴いたかぎりではどこがおもしろいのかわからなく、なんでこんな曲をトップに持ってきたのかわからなかった。本作でのライヴ・ヴァージョンを聴いて初めてこの曲の魅力がわかった。真っ暗な夜のなかを明るい光で照らしながら進んでいく列車のイメージなのだ。ということで、スタジオ版よりずっといいと思う。名演。
 "Port of Entry"はオリジナルよりむしろテンションの低い演奏、といってもケナしてるわけではない。オリジナルも同時期のライヴ音源を使っているのだが、勢いで走らないぶん、本バージョンのほうが音楽的で緊張感もあり、すごくいい。ショーター、ジャコのソロふくめて、オリジナルよりいい。
 "Rumba Mama"は『Heavy Weather』にライヴ音源が入っていたドラム、パーカッションのみの曲。もう一度収録する必要があるか疑問だが、どちらかが好きだったんでしょうねえ。まあ、1分あまりの曲だし。
 ラストは"Directions / Dr.Honoris Causa"のメドレー。アルフォンゾ・ジョンソン時代の演奏だ。これはもう何もいうことはない。名演!
 しかし、アルフォンゾ・ジョンソン時代のライヴ録音はいままで聴く機会がなかったんで、本作が出て大感謝だ。本作中、アルフォンゾ・ジョンソン時代の演奏は外れなしでどれも素晴らしい。まだ、編曲性が前へ出すぎてない頃の録音だからだろうか。どれも緊張感のある素晴らしいソロの応酬が聴ける。

 本作に対する唯一で最大の不満は、こんなにいい状態の録音が残っているなら、2枚組なんてケチケチせずに、もっとドカッと出してほしいことだ。アルフォンゾ・ジョンソン時代、ジャコ時代、ベイリー時代でそれぞれ2枚組を出すというのはどうだろう。なんならボックス・セットでドカッと出すというのはどうだろう。10枚組ぐらいでも買う人は多いはずだ。


03.7.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

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