ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1964年、4月以後


   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Wayne Shorter "Night Dreamer"       (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『ナイト・ドリーマー』


01、Night Dreamer
02、Oriental Folk Song
03、Virgo
04、Virgo (alt.take)
05、Black Nile
06、Charcoal Blues
07、Armageddon

    Lee Morgan (tp) Wayne Shorter (ts)
    McCoy Tyner (p) Reginald Workman (b)
    Elvin Jones (ds)       1964,4,29


 ショーターがメッセンジャーズから離れて初の、そしてブルーノートでの初のソロ作。いわずと知れた名盤だ。本作でショーターの世界は一気に開花し、いきなり完璧ともいえる完成度に仕上がった。
 黒魔術的といわれる不思議で妖しげなサウンドが広がり、心霊写真のようなジャケットともあいまって、なんとも魅惑的な作品になっている。
 また、本作はおそらくショーター初のコンセプト・アルバムでもある。本作のトータル・コンセプトはライナーノーツのショーターの言葉によれば「最期の審判の到来──人間から小さな蟻にいたるまで、生きとし生ける者すべてにやってくる審判の」というもの。
 ぼくは最初はライナーノーツなど読まないで聴いてたんで、けっこう後になってからこれを知り、本作全体を支配する不思議な不安感と終末感の理由がわかって大きく頷いた。
 こういったコンセプト性をもった作品作りというのは、プログレッシブ・ロックや、ジャズ系ではチャールズ・ミンガスやチック・コリアの作品によくあるのだが、そのテーマ性や観念性が音楽の自然さを阻害していまい、わざとらしい失敗作になることも多い。
 しかし、本作をはじめとするショーターのコンセプト・アルバムでは、テーマ性が音楽を阻害することがまったくない。あくまで自然で自由な音楽になっているのが特徴だ。
 あと、本作のライナーノーツのショーターの言葉で興味深かったのは、「マイナー・キーはいつも夜のイメージを帯びているように思える」というもの。
 今だに信じている人の多い『メジャー=楽しげな曲調、マイナー=悲しい曲調』という決まりは、西洋のクラシック音楽でのみ通用しているものであり、正しくはない。
 それは、盆踊りでよく唄われる「東京音頭」がマイナーの曲だという事実を確認するだけでもわかるだろう。誰が見たってあれは悲しい曲ではない。
 ショーターによるマイナー・キーのイメージは上記のとおり。ショーター作の曲にはマイナーの印象的な曲が多いが、あれは夜のイメージだったのだと、これを読んでわかった。

 メンバーはまずコルトレーン・バンドからマッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズ。この二人とはハバードの『Ready for Freddie』(61)以来の共演であり、この64年のコルトレーン・バンドは『Crescent』『至上の愛』とまさに頂点というべき作品を作っていた年である。
 ベースはそのコルトレーン・バンドにも、メッセンジャーズにもいたワークマン。そしてデビュー以来のつきあいのリー・モーガンだ。モーガンは本作では場違いという評もあるが、個人的にはいい味を出していると思う。ギラギラと光を放つモーガンのトランペットと、黒々としたショーターのテナーの対比で、本作の妖しい輝きが増している気がする。

 まず冒頭の"Night Dreamer"。これはショーター的な音楽がよくわかる曲作りになっている。
 はじまりはむしろ静かで、テーマも単純、演奏もおとなしい。しかしその中にも、これから何かが起きそうな期待感と不安感、緊張感がピーンと張りつめている。
 テーマが終わり、ショーターが素晴らしいソロをとり、続いてモーガン、タイナー……とソロが交代されていく。ここまでは定石どおり。しかし、その後でまたショーターにソロが戻り、一度めよりも高いテンションでのアドリブが始まり、エルヴィンのドラムとともに盛り上がっていく。そしてテーマの再現があり、そしてまたショーターのソロが始まる……
 つまりこの曲は後半に至ってどんどんテンションが高まり、最終部で最も盛り上がるような演奏をしている。
 普通ジャズはこういうやり方はしない。テーマ部から第一ソロなど、曲の前半にピークがくる。広義のポピュラー・ミュージックは大抵そうで、だからラジオ等で全曲をかけない場合、曲の前半だけをかけてフェイド・アウトさせることはよくあるが、フェイド・インから曲の後半だけをかけるのことはないだろう。
 一方、物語、映画といったものは、最初のほうは導入部で、だんだんおもしろくなってきて、終わりのほうにクライマックスが来るという作り方をする。どうもショーターはこの物語のような作り方で音楽を構成しようとする傾向がある。
 そのような方法をショーターが自由に駆使するようになるのは、ショーターがジャズの定型を壊した曲構成を始める70年代以後のことだが、本作の時点でもジャズの定型を変則的にするような形で、このような曲構成を行っていたことがわかる。
 2曲目の"Oriental Folk Song"はタイトル通り本作で唯一ショーターのオリジナルではなく、トラディッショナル・ナンバー。しかし、編曲のせいか、ショーター作の"Night Dreamer"の姉妹曲のように聴こえる。これも緊張感をはらんだミディアム・テンポのナンバー。これも素晴らしい。
 ところで、このあたりからショーターは非オリジナル曲をアルバムに入れる場合、ジャズのスタンダード・ナンバーではなく、よく見つけてきたと思うような曲を演るようになる。『The Soothsayer』(65)のシベリウス作の"Valse Triste"など。
 次はバラードの"Virgo"。「乙女座」というタイトル通り、星空を見上げながら聴きたくなる曲だ。それにしても、心憎いほどにこちらの心の琴線に触れてくるメロディだ。
 "Black Nile"はアップテンポのナンバー。本作収録曲の中では"Night Dreamer"と並んで有名で、多くのミュージシャンによって演奏されることの多い曲である。ナイル川に「白ナイル」と「青ナイル」があることからヒントを得て、アフリカン・アメリカンの肌の色である「黒ナイル」を描き出したんだろう。
 続く"Charcoal Blues"(炭色ブルース)はタイトル通りのブルース・ナンバー。緊張感に満ちた本作の中では、ほっと一息といった感じの曲だ。
 そしてラストの"Armageddon"となる。最初の"Night Dreamer"の感じに戻ったミディアム・テンポで、「世界最終戦争」というものものしいタイトルそのままに、本作のクライマックスを形成する。テーマの格好良さでいったら、本作でも随一だろう。まさに本作のラストを飾る曲だ。

 やはり何度繰り返し聴いても傑作という確信が強くなるばかり。聴けばきくほど新しい発見のあるアルバムだ。


03.4.8


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Grachan Moncur III "Some Other Stuff"   (Blue Note)
   グレシャン・モンカー三世『サム・アザー・スタッフ』


01、Gnostic
02、Thandiwa
03、The Twins
04、Nomadic

    Grachan Moncur III (trombone)
    Wayne Shorter (ts) Herbie Hancock (p)
    Cecil McBee (b) Tony Williams (ds)   1964,7,6


 グレシャン・モンカーの名が知られるようになったのはジャッキー・マクリーンとの双頭グループによってだろう。同グループはボビー・ハチャーソン、トニー・ウィリアムズを含む強力なメンバーで、『One Step Byond』(63)を始めとして、ブルーノートにマクリーンのリーダー名義2作、モンカーのリーダー名義1作を録音した後解散した。それに続くモンカーのブルーノート2作めが本作、曲は全曲モンカーのオリジナルである。
 ショーターとモンカーとの出会いは古く、52年、ショーターが19歳の頃まで遡り、大学時代に共演した仲間だったらしい。そんなことでこの共演となったのかもしれない。
 さて、マクリーン=モンカー双頭グループはフリージャズ指向のグループであり、本作も目指しているのはフリー、ショーターとしてはトニー・ウィリアムズの『Spring』(65)と並んで、最もフリーに近づいた演奏といっていいだろう。
 ハンコック、トニーと揃っていると、何となく "いつものメンバー" で、もっとモード寄りの音がするのかと期待してしまうが、もともとトニーはフリー指向の強い人だし、ハンコックは何にでも合わせられる人だ。
 さて、そのモンカーの演奏だが、正直に白状してしまうと、上手いのかヘタなのか、いいのかわるいのか、よくわからない。ねらってやっているんだろうが、なんとも正体がつかめないという印象。作曲に個性があるのは認めるが、正直、モンカーのソロが終わってショーターのソロが始まるとホッとする。
 と、いうことで、やはりショーターのソロを中心に曲を見ていこう。
 冒頭の "Gnostic" でのショーターのソロは、本作中でもかなり大胆なもので、音だけゴロッと投げ出すような吹き方で、リズム・セクションがなかったら音楽に聴こえないような演奏。開き直ったような凄みがあって、個人的にはかなり好きだ。
 つづく"Thandiwa"は、本作のコンセプトからすれば異色作で、わりと親しみやすいメロディをもった曲。この曲だけショーターが先行ソロをとる。本作を聴きはじめて、これは間違って買ってしまったなと思った人は、ここから聴くといいだろう。
 "The Twins" でもショーターがかなりいいソロをとる。4曲しか入ってないことからわかるとおり、本作は1曲あたりの長さが長く、本作も13分弱ある。そのぶん各自のソロ・パートも長く、ショーターのソロもそれだけ長く聴いていられるのが、本作のメリットのような気がする。
 ラストの"Nomadic"はほとんどトニーのドラム・ソロだけの曲。トニーが水を得た魚のように叩きまくっているが、個人的には長時間のドラム・ソロは、少々飽きる。


03.11.14


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   The Individualism of Gil Evans      (Verve)
   『ギル・エヴァンスの個性と発展』


01、Time of the Barracudas (bonus track)
02、The Barbaara Song
03、Las Vegas Tango   
04、Flute Song〜Hotel Me   
05、El Toreador   
06、Proclamation (bonus track)
07、Nothing Like You (bonus track)
08、Concorede (bonus track)   
09、Spoonful (bonus track)   

   「01」「02」
   Frank Pehak (tb) Ray Alonge, Julius Watkins (frh) Bill Barber (tu)
   Wayne Shorter, Al Block, Andy Fitzgerald, George Marge, Bob Tricarico (reeds)
   Bob Maxwell (harp) Gary Peacock (b) Elvin Jones (d)
   Gil Evans (arr, cond)     1964.7.9

   「06」「07」
   Johnny Coles (tp) Frank Pehak (tb) Ray Alonge, Julius Watkins (frh)
   Bill Barber (tu) Wayne Shorter, Al Block, Andy Fitzgerald, George Marge,
   Bob Tricarico (reeds) Bob Maxwell (harp) Kenny Burrell (g)
   Gary Peacock (b) Elvin Jones (d) Gil Evans (arr, cond)   1964.10.29


 ギル・エヴァンスの代表作である。ギル・エヴァンスは編曲者としてのショーターが最も影響を受けたミュージシャンのうちの一人だろう。
 ギル・エヴァンスというと、一般的には50年代にマイルスとコラボレーションした3作品あたりが有名なんだろうが、それはギルにとってむしろ不幸なことに思える。ギルが単なる有能な編曲者ではなく、ジャズ史上卓越した存在になったのは、60年代以後、スコアを崩し、集団即興的な編曲を追求していったことによってではないか。ギルの60年代、70年代、80年代の作品の重要度は50年代の作品をはるかに超えるものだと思う。
 さて、そんな60年代以後の、集団即興指向のギルの最初の完成作といえるのが本作だ。ショーターのギル作品への参加はほとんどこの一作きりだが、その唯一の参加作品が本作であることは、ショーターにとってもギルにとっても絶妙のタイミングだったような気がする。
 ということで本作のコンセプトは、一口でいうと「大編成のオーケストラによる集団即興」というもの。ショーターも70年代に入ると別の方法でこの「集団即興」を追求していくことになる。
 なお、この集団即興という方法自体はギルの発案ではなく、50年代末のオーネット・コールマンの作品まで遡ることができる。

 その「大編成のオーケストラによる集団即興」とは、一口でいうと、音の森のなかにいるようなサウンドだ。一般的な大編成・編曲中心のサウンドが音でできた構造物のように感じられるのに対して、ここでは各楽器が自由に歌いながら、全体としてぼんやりと大きな形になっている。整理整頓されて緊密に組み上げられているのではなく、各演奏者が自由でありながら、ひとつの音楽の塊を構成していくという方法がギルがこのアルバムで追求したものだろう。

 さて本作は全4曲だったところに、CD化にあたりギル本人によって同時期の録音が5曲追加され、演奏時間でいっても倍以上の量になった。
 本作は難解という評もあるようだが、そうは感じなかった。それに追加曲がわかりやすい曲ばかりなんで、全体としてLP時代の本作よりもわかりやすい印象になっていると思う。
 また、5曲追加で良かったのはショーターの参加曲が1曲から4曲に増えたこと。また、追加曲はモトの4曲に比べて編曲の精密さでは落ちるのだが、演奏者のソロをより前面に押し出している。つまり、ショーター参加の追加曲はショーターが前面に出て延々とソロを吹き、その他大勢がバックを固めるというパターンの曲である。そのため、ショーターのソロがたっぷりと聴け、ショーターめあてで買っても損をしないアルバムとなった。

 ショーター参加ナンバー中心に聴いていってみよう。
 本作はギルが3年ぐらいかけて作り上げていった力作で、いくつかのセッションが収められているのだが、まず1曲目と2曲目が同一のセッションで録音されている。ギル自身が冒頭に置いたとおり、このセッションの2曲が本作中の白眉で、ギルの考えるコンセプトが一番はっきりと形になっている部分だ。
 まず1曲目、"Time of the Barracudas"。かるいざわめきに似た序奏につづいて、ショーターのソロが登場する。その後は明るい森の中をただように、幻想的ともいえるショーターのソロが続いていく。この辺、ショーターのリーダー作のような趣だ。この後ケニー・バレルがソロをとって終わる。
 この曲は追加曲だが、なんでこれほどの名演、そして後からギル自身が冒頭に据えたような曲をLP版ではカットしたんだろう。
 2曲目"The Barbaara Song"、森の奥へと踏み込み、鬱蒼とした神秘的な暗い森の中に踏み込んできた感じ。ここからLP版収録曲が4曲並ぶが、ラストの一曲を除くと、だれか一人の演奏者が長いソロを展開するということはない。集団による演奏となる。まさに音の鬱蒼とした森のなかにいるよう。なかでもこの曲がその真骨頂といえる。
 曲の半ばまではギル自身の弾くピアノを中心にすすんでいくが、前面に出てソロを展開するのではなく、森の奥への道案内役をしている感じ。曲の中央あたりにさしかかったときショーター登場。深い森のなかを宙に浮いて、風に揺られてただよう妖精のようだ。
 3〜5曲はショーターが出てこないので軽く説明する。3曲目"Las Vegas Tango"はギルのヒット曲だそうで、たしかに親しみやすいメロディだが、メロディが明確なぶんだけ音の森のような印象は薄れる。4曲目"Flute Song〜Hotel Me"ではリズムを前面に打ち出すが、やはりその分だけ音の森のような印象は薄れる。そしてLPではラストにあたる"El Toreador"はトランペットによる、ほとんど独奏による3分半程度の曲。オーケストラはかるくバックについている程度で、ま、エンディングといったかんじか。
 6曲目以後追加曲が続く。まずショーター参加の2曲。"Proclamation"は神秘的でいいムードなのだが、展開も盛り上がりもなく、曲というより断片という感じ。ま、ショーターのソロはたっぷり聴けるし、雰囲気自体も好きなので良い。
 次ぎが『ソーサラー』のラストのボブ・ドロー入りの演奏で悪名高い"Nothing Like You"。当然期待できないが、今回はショーターがメインでソロを吹く。と、なかなかいいではないか。ソリストが変わるとこうも印象が変わるものか。
 ラスト2曲はショーターは登場しない。"Concorede"。M.J.Q.の名曲だが、この演奏はつまらない。"Spoonful"。ロック・ファンにはクリームの演奏で繰り返し聴いた曲。これはいい。13分におよぶ名演。だが、アルバムのコンセプトからは外れてるような気もしないでもないが。
 





『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "JuJu"        (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『ジュジュ』


01、JuJu
02、Deluge
03、House of Jade
04、Mahjong
05、Yes or No
06、Twelve More Bars to Go   

    Wayne Shorter (ts) McCoy Tyner (p) 
    Reginald Workman (b) Elvin Jones (ds)   1964,8,3


 黒魔術的な雰囲気に包まれた、いわゆる新主流派の代表的傑作が続く。
 前作『Night Dreamer』からリー・モーガンが抜けたワン・ホーン編成。ショーターの作品中、メンバー的にいちばんコルトレーン・カルテットに近づいたアルバムといっていいだろう。
 本作録音の64年といえば、コルトレーン・カルテットは『Crescent』、『至上の愛』といった、いわばカルテットの頂点というべきアルバムを録音した年だ。
 ぼくはショーターがコルトレーンから影響を受けたことは確かだと思うし、共通する要素はいくつも見られるが、ショーターが言われるほどコルトレーンに似ているとは思わない。
 コルトレーンのアドリブの在り方は、例えていうなら、地に足をつけて、何かに向かって一歩一歩着実に進んでいくような、あるいは、追い込んでいくような感じがある。それに比べてショーターのアドリブは、彼の創った神秘的な庭を、浮遊しながら回遊しているようで、何かに向かって真っ直ぐに進んでいくような感じがない。横へ横へとズレていく。
 例えていうならコルトレーンはより求道者的で、ショーターは妖精か仙人のようだ。

 本作の特殊な点は、ショーターがワン・ホーンで吹き荒れているところだろう。ショーターのワン・ホーン作品はこれ以前の『Second Genesis』(60)でも、これ以後の『Etcetera』(65)、『Adam's Apple』(66)でも、レスター・ヤング系の抑えた吹き方をしているものが多い。2管以上の編成ではこういったブロウも聴かれるが、ワン・ホーンでは本作くらいだ。何らかの心境の変化があったのだろうか。
 また本作は『Night Dreamer』と違って、アルバム全体のトータル・コンセプトみたいなものはライナー・ノーツに書かれてないが、「ジュジュ」「大洪水」「翡翠の家」と続く前半のタイトルを見ると、やはりトータル・コンセプトを感じずにはいられない。そのわりに後半の"Yes or No"や"Twelve More Bars to Go"はけっこういい加減に付けた感じのタイトルだが。

 冒頭の表題曲、"JuJu"から見ていこう。「ジュジュ」というと、ブードゥー教関連のことかと思っていたが、ライナー・ノーツを見ると、これはアフリカで古くから伝わる魔術的儀式のことで、そこで歌われる聖歌をイメージしながら作ったという。アフリカの魔術的儀式とはどんなものなのか、そこでどんな歌がうたわれているのかは知らないが、いわゆるキリスト教系の「聖歌」とはまったく別物であるだろうし、じっさいいわゆる「聖歌」の雰囲気ではない。ゴツゴツしたリズムにのった土俗的・魔術的な舞踊のような曲だ。聖歌といっても、黒人の教会で踊りなが歌われるゴズペルをより土俗的にしたようなイメージだろうか。
 本作中でもとくにショーターの激しいブロウが聴ける曲の一つ。マッコイ・タイナーのピアノが不思議な金属的な音をたてて効果的。

 続く"Deluge"(大洪水)は子供の頃教室で聞いた旧約聖書の大洪水の話をイメージしながら書いたという。「大洪水」というと激しい曲調かと連想するが、ミディアム・テンポの比較的おだやかな曲。洪水がやってくる場面ではなく、その後の世界全体が水没した場面のイメージかも知れない。ショーターのソロは静かにはじまるが2分半を過ぎたあたりから魅力的なフレーズが連発し、大好きだ。

 個人的にはこの"Deluge"から"House of Jade"、"Mahjong"と続くあたりが本作で一番好きだ。なんだか遠い場所へ、すうっ……とつれていかれる気がする。しかし、アナログ盤ではそれぞれA面のラスト、B面の冒頭で、続いてはいなかったのだが、そこはCD化による効用だ。
 しかし、"House of Jade"(翡翠の家)とは何なんだろう。何らかの意味がありそうだが。これはショーターの名バラードの一つで、繊細で優雅に循環するメロディ。メロディの原型は奥さんのアイリーンがピアノで弾いたものらしい。
 次の"Mahjong"(麻雀)というのもすごいタイトルだが、遥かな東洋の国といったイメージなんだろうか。ミディアム・テンポの奇妙なリズムにのって、親しみやすい、でもどこか奇妙なメロディが奏でられる。遠い世界を思いながら吹いているようなショーターのおおらかな演奏を楽しみたい。

 続く"Yes or No"はアップテンポのナンバー。人気曲らしく、かつ一説にはコルトレーンが演奏した「夜は千の目を持つ」に似すぎてはいないか……という意見もある曲らしい。似てるかどうかは各人の判断にまかせたいが、少なくともショーターの個性がそれほど強く出ているとは思えない。たぶん『Night Dreamer』の"Black Nile"と同じで、万人向けの曲ということで人気がある曲ではないか。タイトルも無個性だし。
 ここでは"JuJu"とならんで本作中でもとくに激しいショーターのブロウを聴こう。

 ラストは"Twelve More Bars to Go"。タイトルは「12軒のバー」と「12小節(のブルース)」をひっかけたもの。
 ミディアム・テンポの、なんだか行ったり来たりしているような、ちょっとユーモラスな曲調だ。本作のなかではわりとおだやかな、50年代的なくつろぎもかんじさせる演奏だ。


03.7.2


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Miles Davis "Miles in Berlin"           (Columbia)
   マイルス・デイヴィス『マイルス・イン・ベルリン』


01、Milestones
02、Autumn Leaves
03、So What
04、Walkin'
05、The Theme

    Miles Davis (tp) Wayne Shorter (ts)
    Herbie Hancock (p) Ron Carter (b)
    Tony Williams (ds)    1964,9,25


 ついにショーターがマイルス・バンドに入り「黄金クインテット」が誕生する。
 この数年前からマイルスはショーターをバンドに入れたくてしかたなかったらしい。ブレイキーの楽屋に何度となく電話攻勢をかけたり、自分のマネージャーも使って、なりふり構わぬ執拗な引き抜き工作を行い、しまいにはブレイキーが怒り出して泥棒呼ばわりする始末。最終的にはハンコックとトニーが中に入って、ショーターのマイルス・バンド入りが成った。
 本作は、そうしてショーターがマイルス・バンドに入った、ごく初期をとらえたライヴ・アルバムだ。
 さて、当時のマイルス・バンドは、この前年あたりからライヴ盤を5枚連続でリリースしている。ハービー、ロン、トニーの新リズム・セクションが素晴らしく、しかしサックスが決まらず、スタジオ入りする気になれなかったからだろう。
 しかし、ショーターの加入によって、マイルスはこの後すぐにスタジオ入りし、よって本作は一連のライブ・アルバムの最終作となる。

 さて、本作からショーターのマイルス・バンド時代が始まるが、この時代ショーターはバンド内でマイルス以上の影響力を持っていた時期もあった。このショーター在籍時のマイルスのアルバムを見るとき、どこがショーターの個性でどこがマイルスの個性なのかを見やすくするために、ここでこの2人の個性を比べてみよう。
 マイルスに対するショーターの個性の特徴は、一言でいうならクールさとダークさである。つまり氷のような知的なクールさと、暗黒世界のようなダークさだ。
 『クールの誕生』なんてアルバムを出してるんで、けっこう誤解されている向きもあるようなのだが、マイルスの音楽は本来クールでもダークでもない。確かに50年代のハード・バップに比べるとクールな面もあるのだが、それは夜の都会が似合う、夜風のようなクールさ、ダークさであり、ショーターのような氷のようなクールさや暗黒世界のようなダークさはマイルスの音楽には無い。だからこそ大衆的で親しみやすいわけだ。典型的にいえば『'Round About Midnight』(55-6) のクールさ、ダークさがマイルスの個性である。
 そしてマイルスは基本的には意外と熱い音楽を指向している。『クールの誕生』の後もすぐにより熱い音楽へと路線を変え、リー・コニッツやジェリー・マリガンのようにクールジャズを続けることはしなかった。ショーター参加前後を見ても、ショーター参加以前の『Four and More』(64) あたりはけっこう熱い演奏である。
 マイルス・バンドがクールさ、ダークさの頂点を迎えるのはショーター在籍時であり、これはあきらかにショーターの個性である。たとえば『Miles Smiles』(66) あたりはまだマイルスの熱い個性が感じられたが、『Sorcerer』『Nefertiti』(67) になると氷のようにクールでダークな世界が感じられ、ショーターが主導権をとっていることがわかる。それが『キリマンジャロの娘』(68) になると知的なクールさが薄れて熱さが戻ってきており、マイルスが主導権を取り返したことがわかる。
 しかし、独特のダークな雰囲気はショーターがバンドを離れる直前の『Live at The Fillmore East,70』まではマイルス・バンドに充満しており、ショーターが離れた以後のマイルス・バンドはきゅうに健康的で軽快な雰囲気に変わる。このへんを見ると、やはり最後までショーターはマイルス・バンドである程度の影響力を放っていたことが見てとれる。

 本作に話を戻そう。
 1曲目"Milestones"。ショーターはこの初参加作ですでに、マイルス・バンドにピタリと見事なまでにハマっている。なぜ、初共演でこれほどハマるのだろうか。
 それは、当時のショーターとマイルス・バンドの両者が、基本的な部分では同じスタイルの音楽を演奏していたからだろう。
 マイルス・バンドはビル・エヴァンスのコラボレーションの『Kind of Blue』(59)の後、モード・ジャズを断念し、『Someday My Price Will Come』(61)などの、ほのぼのハードバップを演奏していた。そして、63年にハンコック、ロン、トニーからなる新リズム・セクションを得てから、モード手法を再開させる。しかしその時マイルス・バンドが導入したのは、『Kind of Blue』のモードではなかった。
 マイルスがほのぼのハードバップを演奏していた間に、モード・ジャズはショーターとコルトレーンを中心としたグループの中で新展開を遂げ、別物になっていたのである。63年にマイルス・バンドに導入されたのも、この新しいモード・ジャズだった。つまり、この時点ではマイルス・バンドはコルトレーン=ショーターのフォロワーになっていたのである。
 つまり、63年以後のマイルス・バンドはショーターが参加する前からショーター流のモード・ジャズを演奏していたことになり、マイルスが何としてもショーターを自分のバンドに入れたかった理由もここにある。
 つまり、当時のマイルス・バンドはショーターが参加する以前から、ショーターの参加を前提としてリハーサルを行っていたような状態にあった。だから、ショーターが初共演でいきなりハマるのだ。
 次の"Autumn Leaves"はもっとおもしろい。前半、マイルスのソロ部分では、50年代風マイルス・バンドの味をのこす上品でくつろいだ雰囲気の演奏。トニー他バックもルーティン・ワークを淡々とこなしているようである。が、ショーターが吹きはじめると思いきり外しまくって、いきなり別の曲のようになってしまい、と同時に他メンバーの演奏が熱をおびていき、緊張感にあふれた演奏になっていく。バンドが保守的なマイルスより、ショーターを向いているのがはっきりわかる。スタンダード「枯葉」の演奏として成功しているのはマイルス部分だが、バンドがよろこんでいるのはショーター部分だ。
 つづく"So What"、"Walkin'"も、バンドが『Four & More』等より新しい次元に入ってきていることを思わせる演奏だ。

 さて、ここでこの時のマイルス・バンドがどんな状態だったか見てみよう。
 ここに至るまでマイルスの新クインテットはジョージ・コールマンのサックスで続いていたのだが、コールマンとリズム・セクションの3人との音楽的相性が合わずにコールマンが辞め、トニーの誘いで短期間サム・リヴァースが入ったがうまくいかず、そこにショーター登場となる。
 リヴァースはともかく、コールマンとリズム・セクションの3人とはどこが合わなかったんだろうか。
 マイルスの自伝を読むと、コールマンが語っていたという一言に答えは集約されているような気がする。
 当時、マイルスは健康が思わしくなく、マイルス・バンドは時々マイルス抜きのカルテットでステージに上がっていた。そんな時、コールマンは「マイルスがいないと、ハービーとロンとトニーがとんでもなくフリーな演奏をする」とこぼしていたそうである。
 この言葉はおもしろい。
 つまり、この3人、マイルスがいる時はボスに合わせてオーソドックスなスタイルの演奏をしていた。この時はコールマンとも合った。
 しかし、マイルスがいないと、自由に羽がのばせるもんで、3人でやりたい方向のどんどん進んでいった。そうなるとコールマンとは合なくなる。
 つまり、この時点で実は、もうすでにマイルス自身とリズム・セクションの3人との音楽的方向性の間にも分裂がある。3人はマイルスのようなオーソドックスなスタイルではなく、もっと先鋭的な音楽をやりたがっていた。しかし、マイルスがバンドにいる時はマイルスを立てて、オーソドックスなジャズを演奏していたということだ。
 さて、そこに登場するのがショーターだ。本作を聴けばわかるように、ショーターはむしろマイルス以上に、リズム・セクションの3人が本来やりたい方向性と合っていた。
 ということで、黄金クインテットの前半の時期は、どんどん前進しようとする4人と、必死でブレーキをかけ、オーソドックスなスタイルにとどまろうとするマイルスとの間の綱引きのうちに展開されることになる。
 この後マイルスが他の4人に追いつくのは、『Sorcerer』(67)を待たなければならない。


03.3.29


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   Miles Davis "Davisiana"        (Moon)


01、Autumn Leaves
   〜 Yoshua
   〜 The Theme
02、So What
   〜 Milestones
   〜 The Theme

    Miles Davis (tp) Wayne Shorter (ts)
    Herbie Hancock (p) Ron Carter (b)
    Tony Williams (ds)        1964.10.8


 『マイルス・イン・ベルリン』と同じツアーからの、ドイツでのライヴである。ブートレグで全48分ほど。録音はこの時代のブートレグにしてはかなりいいというべきだろう。
 ジャズという音楽に何を求めるか……ということは当然そのリスナーによって違うだろうが、例えば疲れて家に帰ってきて、コーヒーかワインでも飲みながらリラックスして音楽をたのしむ……というスチュエーションに最適な音楽を求めるという人がいるだろう。そのような聴かれ方に最適なジャズ・アルバムとしては、コルトレーンの『バラード』とか、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』とかいった人気盤がある。
 ショーターの場合、むしろそういったものとは無縁なほうだと思うが、それでもメッセンジャーズ時代の『Three Blind Mice, vol.1』(とくにボーナス・トラックとして入っている "Children of the Night" 以外の曲)などは、そのような聴かれ方を前提とした演奏のように思える。
 それで、この日のマイルス・バンドだが、これもかなり、そのような聴かれ方が最適の演奏のように思える。とくに前半がそうだ。つまり、この時期のマイルス・バンドとは思えないほどリラックスした、軽く流したような演奏で、どちらかというとこれより一時代前のマイルス・バンドの演奏の雰囲気に近い。
 トニーはいつものような疾走はせず、手先で軽く叩いている様子で、マイルスも50年代をおもわせるようなおだやかな演奏であり、ショーターはなんだかこの雰囲気に調子がくるうのか、のり気でない演奏。どんな演奏にも合わせられるハンコックはさすがにこの雰囲気にも合わせて快調。ロンも、まあ、とくにこの日が調子がいいというわけではないのだが、トニーが元気がないぶん存在感が増して聴こえる。
 それでも後半になると、とくに "Milestones" ではトニーが走りだし、このグループらしい盛り上がりを見せるが、やはり全体的にショーター入りの黄金クインテットと見ると物足りない。やはり全体を覆うリラックス感を聴くべきアルバムではないか。
 たぶんこのグループとしては本領ではまったくないのだと思うが、まあ、こんな演奏もたまにはあっていいという程度の演奏ということか。本領ではないとはいっても、このメンバーでの演奏なのだから、当然それはそれで悪いわけでもない。


05.4.15


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "Speak No Evil"      (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『スピーク・ノー・イーヴル』


01、Witch Hunt
02、Fee-fi-fo-fum
03、Dance Cadaverous
04、Speak No Evil
05、Infant Eyes
06、Wild Flower

    Freddie Hubbard (tp) Wayne Shorter (ts)
    Herbie Hancock (p) Ron Carter (b)
    Elvin Jones (ds)       1964,12,24


 この時期のショーターの頂点とする人も多い傑作だ。
 本作は「ショーター版、幻想の中世・ルネサンス」といったな内容のコンセプト・アルバムである。
 メンバーは前作からピアノはハンコックに、ベースはロンに代わり、ハバードがトランペットで入り、後のV.S.O.P.クインテットに近いメンバーになっている。エルヴィン・ジョーンズのドラムもずっと抑えた奏法に変わっている。
 そのためか、前作までの黒魔術的といわれたギラギラした雰囲気は薄れ、本作はなにか、深い霧の向こうの不思議な世界というような、幻想的な印象がある。
 本作のコンセプトをショーターはライナーノーツでこう説明している「霧深い風景を思い浮かべたんだ──野性の花々と、奇妙な、ぼんやりした影が見える。伝説や民話がそこで生まれる場所だ。そして魔女の火刑も、そのとき思い浮かべたんだ」
 まるで霊能者が透視でもしているような語り方で、ショーターらしい。
 しかし、例によってショーターのコンセプト・アルバムは、テーマ性が音楽を阻害したり、音楽が内容の説明的になったりすることがまったくなく、あくまで純粋で自由な音楽そのものの魅力に溢れている。

 一曲目、"Witch Hunt"。この曲のオープニングは、何かが向こうから迫ってくるような感じを抱かせる。何かとてつもないものが地平線の向こうからやってくるような。ここはぜひボリュームを上げて聴いてほしい。
 ピーンと張りつめた緊張感をかきたてるのはエルヴィン・ジョーンズの抑えたドラムの力が大きい気がする。そして、テーマ部が終わりソロに入った途端、緊張感から解き放たれて一気に飛翔する展開が好きだ。
 ところでエルヴィン・ジョーンズは本来のコルトレーン・バンドでの演奏では最初から最後まで全力で突っ走るようなドラミングを見せるが、『Night Dreamer』以下3作のショーター作品では、このように抑えたドラミングを見せたり、曲の途中で激しさを増したり、より多彩で劇的に展開するドラミングを見せる。
 おそらくショーターとコルトレーンというそれぞれの演奏者の資質に合わせた叩き方をしてるのだろうが、個人的にはより多彩という意味で、ショーター作品でのエルヴィンのほうがおもしろい気がする。
 ハバートとのコンビネーションは、モーガンとの演奏が強い光と影を作りだしていたのに対して、より近い場所で演奏している感じ。

 つづく"Fee-fi-fo-fum"。このタイトルは童話の『ジャックと豆の木』に出てくる唄からきている。次のような詞だ。

  フィー フィ フォ ファン
  英国人の血の匂いがする
  生きていようが死んでいようが
  おまえの首をちょんぎってやるぞ

 マザーグースの唄でもそうだが、イギリスの童謡にはけっこう残酷な内容が多い。本当はどこの国だってそうなのかもしれないが。
 テーマ部は別の世界にゆっくり落ちていくような気分を感じさせる。無重力に近い落ち方だ。ソロはハバートが先行するが短めで、やはりショーターのソロがおもしろい。なめらかなテーマと黒々とうめくようなショーターのソロが、見事な対称をつくりだす。

 "Dance Cadaverous"。「死体のダンス」
 ショーターはライナーノーツでこう説明している。「教室に掲げられてる博士たちの肖像を思い浮かべたんだ。彼らが死体の上で仕事にかかろうとしているところを……」
 これも霧の中にいるような、幻想的なワルツで、どこか寒々とした寂寥感と優雅さとがある。
 最初にソロをとるハンコックの演奏がいい。音の数を必要最小限まで抑えて、幻想的に踊る死体(?)の光景を描き出す。続くショーターのソロも霧の中から現れては消えるよう。
 そして消え入るようなテーマ再現部に入るが、一貫してハンコックのバッキングが見事な効果をあげている。

 そして表題曲の"Speak No Evil"となる。
 アナログ盤ではB面トップの曲で、わかりやすいテーマであり、B面のオープニングとしてはいいのだが、CDで4曲目に聴くと、前の曲に比べて(親しみやすいぶん)ショーター色が薄い気がしてしまうのは仕方ないか。
 テーマ部ではハンコックのバッキングがいい。あやしげな雰囲気を盛り上げている。ショーターがソロに入る前に一呼吸おくあたりも好きだ。そしてショーターのサックスがじょじょに熱をおびていく様子を聴こう。

 "Infant Eyes"「無垢な瞳」
 ショーター作の曲のなかでも、とくに他のミュージシャンにカヴァーされることの多い名バラード。この曲はハバートが吹かず、ワン・ホーンでの演奏となる。
 これはもう耽美的というか、無重力のなかを漂っているような演奏で、濃密な空気をただただ味わいつくしたい。特にショーターの演奏する部分、これだけテンポを落として吹いても、リズムが濃密につまっている所に注目してもらいたい。とかくリズム感が悪いミュージシャンがあまりテンポの遅いバラードを演奏するとリズムがスカスカになってしまうが、ショーターの場合、どんなに遅い演奏でもリズムがびっしりつまっている。ハンコックもそう。これはこの二人がすごくリズム感のいいミュージシャンということだ。例えばマイルスだとこうはならない。
 この曲のテーマはけっこう単純の美学といったところがあって、2音+4音のモティーフをメロディを変えて4回繰り返すことでテーマになっている。本作のヴァージョンは装飾音が加わっていてわかりにくいかもしれないが、デヴィッド・サンボーンによるカヴァー・ヴァージョンを聴くとよくわかる。(『Songs from Night Before』(96)収録)
 しかし、メロディが独特すぎて単純な気がしないが。

 "Wild Flower"「野性の花」
 あまりにも濃い前曲に対して、すがすがしい開放感を感じさせるラスト・ナンバー。最後は中世も現在も変わらない、咲き乱れる花、いや、この頃の花は品種改良されていない野性の花で、現在見られるものとは違うのかも。

 ところで『Night Dreamer』以来つづいてた、心霊写真のようなジャケット写真とも、本作でお別れになる。
 けっこう気に入っているので、残念。


03.6.29


『ウェイン・ショーターの部屋』

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