ウェイン・ショーター、アルバム紹介 2000年-現在



   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Wayne Shorter "Alegria"     (Verve)
   ウェイン・ショーター『アレグリア』


01、Sacajawea
02、Serenata
03、Vendiendo Alegria
04、Bachianas Brasileiras No.5
05、Angola
06、Interlude
07、She Moves Through the Fair
08、Orbits
09、12th Century Carol
10、Capricorn II

   Wayne Shorter (ts.ss) Danilo Perez (p-1.3.7.9.10) 
   Brad Mehldau (p-2.5.8) John Patitucci (b)
   Brian Blade (ds-1.2.6.7.8.10) Terri Lyne Carrington (ds-3.5.9) 
   Alex Acuna (per-3.4.5.9) Chris Potter (bcl-5)
   with Woodwinds, Brass, Strings    2003 リリース


 ショーターのまたもやの新境地だ。いや、「新」なのかどうかはわからない。
 前作『Footprints Live!』から約1年ぶりのリリースで、近年のショーターとしては異例のスピードだが、別に本作をすごいスピードで作ったわけではなく、前々から前作と本作の2枚を続けてリリースすることを予定していたのだという。
 内容だが、『High Life』の、オーケストラ+エレクトリック・バンドのリズム・セクション、という組み合わせに対して、オーケストラ+アコースティック・バンドのリズム・セクション、という組み合わせで作られたのが本作である。というと素直な発展形のようにも見えるが、そうでもない。
 もともとショーターはデビュー以来、プレイヤーであると同時に卓越した作曲家として評価されてきた人で、これまでのショーターのソロ・リーダー作の収録曲はショーター作の曲がほとんどを占めていた。しかし今回は全体の半分の5曲がショーター作の曲ではない。それも一般的にジャズで演奏されるスタンダードではなく、どっから見つけてきたのか……と思うような曲ばかりである。また、自作曲も旧曲の再アレンジが多い。
 よくわからないが、作曲と編曲は微妙に違う面のある作業のようで、例えば名編曲者であるギル・エヴァンスは、さほど自作曲は多くない。
 そして本作でのショーターも作曲家ではなく編曲者として自分を位置づけているようだ。しかもその編曲たるや普通ではない。日本盤ライナーノーツの中山ヨウ氏の文章(インタヴュー)を読むと、数十年かけて編曲したという曲が目白押しで、最長50数年かけたという曲まである。まだ十代の頃や、マイルス・バンドにいた頃から編曲を繰り返してきた曲など……。それだけでもとんでもないアルバムというか、ショーターという人がとんでもない人であることがわかる。
 さらにはこの曲は最終的にはオペラになる予定なんだ……とか、ひきつづきの壮大な計画を語り、自分は輪廻転生を信じてるし、生命は永遠のものだと信じてるから急がないでやるんだ……などと言っているショーターを見ると、どうもショーターという人は現代というせちがない時代に属している人ではないような気がしてくる。ゴシック建築の寺院を作るのに平気で数百年かけていたような時代に属している人なんではなかろうか。
 しかし70歳でこんなことを語っているところを考えると、どうしても葛飾北斎の名前が思い浮かぶ。75歳になって、自分が70歳までに描いてきたものはどれも気に入らないといい、あと十年ばかり勉強すればいい絵が描けるようになるだろう……とか言っていたという、あれだ。

 さて、本作の編曲だが、ショーター自身は今度のアルバムはクラシック的になる……と語っていたそうだが、そう言葉どおりでもない。
 ジャズ・プレイヤーとクラシック的なオーケストラとの共演ということでは、ウィントン・マルサリスのウィズ・ストリングスもの(『(邦題:スターダスト)』)が有名だが、本作とは一聴して全然違うのはあきらかだ。つまり本作は、分厚いオーケストラ・サウンドで劇的に音楽を演出し、ロマンティックに聴き手の感情を揺さぶろうとするようなタイプの演奏ではない。
 個人的な印象でいば、本作の場合はクラシックといっても、バロック音楽とか、それ以前のルネサンス期の音楽など、いわゆる「古楽」の印象に近い。

 曲を見ていこう。
 "Sacajawea" はショーターのオリジナル(初出)で18歳の時に見たオペラにインスパイアされて作曲した(ショーターの言葉によれば「私に降りてきた」)曲だそうだ。ざっと50年以上書き続けてきた計算だが、まだ完成ではなく、これはオペラになる予定だという。
 この曲に限らず、ショーターはどうも曲を完成させず、一度は完成させた曲であっても折にふれ手を入れ、創り続けるという創作方法をとる人のようだ。一度完成させたアルバムは聴かないと言っていたマイルスとは対照的で、死ぬまでモナリザを手元において少しづつ手を入れ続けたレオナルド・ダ・ビンチの創作態度に近い。
 曲はいきなりサックスによる調子が外れたような序奏から始まる楽しげな曲調で、ちょっと調子がくるったような感覚がいい。ポイントはたった8分弱のこの曲に数十年かけたわりには作られ過ぎてない点だろう。これは他の曲にもいえるが、おそらくそれだけ時間をかけた作業とは、ある完成度に向けて一直線に作り込んでいく作業ではなく、作っては壊し、作っては壊しを繰り返しながら、より自然なかたちを求めていく作業だったのではないか。編曲の中で各楽器が実に自然に自由に動きまわっていて、編曲が奏者を縛りつけてなく、各奏者がまったく自由に対話的演奏をしているようにさえ聴こえるのだ。
 "Serenata" はクラシカル・ポップスの作曲家のルロイ・アンダーソンの曲で、けっこういろいろな所で取り上げられているらしいが、よくは知らない。これはもうアンサンブルの最初の一音から印象的なバラードで、編曲部分とソロの対比が実に美しい。ずっと聴いていたくなるサウンドだ。
 "Vendiendo Alegria" は60年代半ばのマイルス・バンド時代、マイルスから楽譜を渡された曲だという。マイルスに急がなくてもいいからと言われて編曲をはじめたらしいが、実に40年かかってる。作曲者は Mike Himel / Joso Spralja とあるが何と読むのかわからない。1940年頃に作られた曲だという。これも何度噛みしめても味が出てくるような、自然でいて奥の深い編曲だ。後半にむかってリズム的に盛り上がっていくかんじもいい。
 次の "Bachianas Brasileiras No.5" (ブラジル風バッハ第5番)は本作中唯一祖ショーターの編曲ではなく、プロデューサーでもあるロバート・セイディンの編曲。ブラジルのクラシック系の作曲家がバッハにインスパイアされて作った曲らしい。チェロが大きくフーチャーされていて、クラシック風の渋い演奏になっていて、リズム部分も妙におもしろい。
 続く "Angola" は『The Soothsayer』(65) に入っていた曲だが、トニーのドラムにのってスピーディーな演奏を繰り広げた以前のヴァージョンに比べ、この演奏ではいきなりアクーニャのパーカッションが曲を作りかえてしまう。これも調子が外れたような楽しげな演奏にみえて、後半ではかは迫真の緊張感へと向かう。
 "Interlude" はドラムだけをバックにしたショーターのインプロヴィゼーション。
 "She Moves Through the Fair" はケルトの伝統音楽だそうだが、ショーターはケルト音楽も好みのようだ。たしかに透明で明るい幻想性という点ではとくに『Atlantis』以後のショーターの作風となんとなく共通点もあるような。ここでの演奏はショーターのサックスがつねにリードをとり、それに不思議なバックがつくというスタイル。
 "Orbits" は『Miles Smiles』で初録音された曲だが、まったく新しく作り変えられている。オーケストラによるSF的な感じもする序奏から始まって、中盤にはちょっとフリー的に音を濁したサックス・ソロが聴かれ、後半もどこかフリー的に不定形なリズムで盛り上がっていく。
 "12th Century Carol" はショーターが大学時代に合唱隊に所属した頃歌った曲だそうで、その楽譜が偶然出てきたので10年かけて編曲したのだそうだ。タイトル通り12世紀の聖歌だそうで、作者不詳。12世紀というとゴシック期のノートル・ダム楽派とかの時代。おそらく和音を使った作曲がはじまった頃の曲ではないか。
 打楽器だけをバックにショーターがメロディーを吹き、それに呼応するようにじょじょにシンフォニックになっていくという編曲。個人的にかなり好きだ。
 ラストは "Capricorn II" 。"Capricorn" は『Water Babies』(67) の録音が最初で、後に『Super Nova』(69) に再編曲されて収録された曲だが、もともとは18、9歳の時にオペラにインスパイアされて作曲し、以後折にふれ手を入れてきたのだという。この曲も30分ほどのオペラになる予定であり、本作収録バージョンはそのうちの一部だという。たしかに曲としてのまとまりよりは物語的な広がりを感じさせる。途中で一回終わるし……。はやく全曲版が聴きたい!


04.1.23


『ウェイン・ショーターの部屋』

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  Wayne Shorter & Herbie Hancock "The Duo"



「Disc-1」
01、Aung San Suu Kyi
02、Maiden Voyage
03、Memory of Enchantment

「Disc-2」
04、Manhattan Lorelei
05、Sonrisa
06、Footprints

    Wayne Shorter (ts,ss) Herbie Hancock (p)
    Live at Brugge, Belgium 2004.1.19

 ウェイン・ショーターとハービー・ハンコックのデュオによるライヴを収録したブートCDR。2枚組で収録時間は計89分ほど。音質は準オフィシャル並みといったところか。充分に高音質だが、特にピアノの響きが痩せている気がする。ま、こういったものにそこまで求めるものではないが。
 ご覧のように2004年の演奏なので、『1+1』(97) のツアーのときのものではない。DVD『Shangrila』に収録されたライヴの直前なんで、このときのツアーのものだろう。
 演奏している曲目は『1+1』収録のものが中心だが、時期が違うせいなのか、それともライヴという場のせいなのか、『1+1』とはだいぶ雰囲気が違い、聴きどころも違う気がする。
 『1+1』は緻密に織られた音のテクスチャーというかんじで、集中して音ひとつ聴きのがすことのできないような演奏だった。けれども本作の、まず「Disc-1」はだいぶくだけてリラックスしたようなデュオ演奏だ。
 一曲めの "Aung San Suu Kyi" は『1+1』のバージョンでは一つ一つの音が計算されているかのように置かれていたのに対し、こちらのバージョンはハンコックのピアノが軽快なリズムを弾き鳴らして、そこにサックスがのっていくかんじ。続く "Maiden Voyage" も "Memory of Enchantment" も、「ワインでも片手にソファでお聴きください」なんて言えそうな雰囲気だ。
 もちろんリラックスしたといっても、けっして気の抜けた演奏ではなく、あくまで濃密で純度の高い音楽的対話が繰り広げられている。が、やはり『1+1』よりずっと気楽に聴ける音楽であり、たぶんこんなかんじの演奏が、ふつうのジャズのデュオ演奏にもとめられるものなのかもしれない。
 なお "Maiden Voyage" と "Footprints" の二曲はタイトルだけみるとファン・サービスのための有名曲の演奏のようにみえるが、どちらも原曲がわからないほど変えられている。
 「Disc-2」にうつると、じょじょに演奏の振幅の幅が大きくなっていく気がする。つまり、二人しかいないというのは演奏中に急に話題や向きを変えたりするのにいいようなのだが、"Manhattan Lorelei" ではノスタルジックで楽しげな表情で演奏していたとおもったら、きゅうにハッとするほど美しい表情を見せたり、静かに内省的に演奏していたとおもったら、きゅうに激しく盛り上がったりの幅が大きくなっていく。
 そんなふうに対話的に展開していく演奏のスリリングさが頂点に達するのが続く "Sonrisa" で、ここがこのアルバムの一番の聴きどころだ。静寂に満ちた始まりかただが、ここに至ると各楽器の一つ一つの音が異様な緊張感をもって起立すようになり、じょじょにテンションが上がって厳しく熱い音楽へと高まっていく。
 つづく "Footprints" はクールダウンのような演奏で、アルバムを閉じる。
 『1+1』の完璧な美しさとはまったく別の、リラックスしたノリから怒涛の盛り上がりまで至る、ライヴならではの魅力をもった演奏だ。


07.2.2


『ウェイン・ショーターの部屋』

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  Wayne Shorter "Shangrila"    (Overlord Vision)


01、Smiling Through
02、Meridianne -- A Wood Sylph
03、Memory of Enchantment
04、Vendiendo Alegria
05、Over the Shadow Hill Way
06、Over the Shadow Hill Way

   「01」「06」
   Wayne Shorter (ts,ss) Danilo Perez (p)
   John Patitucci (b) Brian Blade (ds)   2004.1.21

   「02」「03」
   Wayne Shorter (ts,ss) Herbie Hancock (p)  2004.1.22

   「04」「05」
   Wayne Shorter (ts,ss) Danilo Perez (p)
   John Patitucci (b) Brian Blade (ds) 
   Orchestre National de Lyon        2004.1.24-25

 これはブートDVDーRで、収録時間は43分ほど。
 パリで2004年の1月の21-25日に行われた、カルテット、ハンコックとのデュオ、カルテットにオーケストラが付いた編成での、それぞれのライヴからの映像・音源に、インタヴューやちょっとした劇映像も含めて編集したもの。モトはおそらくテレビ番組かなにかだと思う。凝った作りになっていて、カメラワークや全体の構成等、かなり完成度の高い作品になっている。もちろん音質・映像とともにオフィシャル並みであり、問題ない。
 となると不満はないのかというと、当然ファンにとっては大いに不満がある。
 哀しいのは、上記の通り4日間にもわたって、それもさまざまな編成で行われた豪華なライヴを、インタヴューを含めてたった43分に編集してしまうカットの仕方だ。しかも、演奏の途中でインタヴューが重なってきて、曲が途中で中断してしまったりする。
 演奏にしても、インタヴューにしても、それぞれの要素は良いのだから、それぞれ別々に聞かせてもらいたと思う。もちろん、ショーターを知らない人、入門者に現在のショーターの活動をかるく紹介するのなら、適当な時間に見事に編集された本作のあり方は正解なんだろうが。
 しかし、映像、音質、演奏の見事なまでのクオリティーの高さを見るにつけ、そして、おそらくこのクオリティーでライヴ全体が収録され、そのなかから編集されたであろうことを想像すると、ケチケチしないで、へんな編集はしないで、そのまま全部出してほしいと熱望してしまうのはぼくだけではあるまい。
 ライヴ部分のカメラワークの良さなど、他のライヴ映像をはるかに超えるものだし、オーケストラ付きのライヴ演奏なんて他で聴くことができない。ハンコックとのデュオのライヴ盤も他に手に入るわけではない。
 と、不満ばかりを書いてしまったが、それは当然、本作に収録されているそれぞれの要素の内容が素晴らしいからである。


05.11.21


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "Beyound the Sound Barrier"      (Verve)
   ウェイン・ショーター『ビヨンド・ザ・サウンド・バリアー』


01、Smilin' Through
02、As Far as the Eye Can See
03、On Wings of Song
04、Thinker Bell
05、Joy Ryder
06、Over the Shadow Hill Way
07、Adventures Aboard the Golden Mean
08、Beyound the Sound Barrier
09、Zero Gravity     (bonus track)

   Wayne Shorter (ts,ss) Danilo Perez (p)
   John Patitucci (b) Brian Blade (ds)   2002.11〜2004.4

 待ってましたのウェイン・ショーター・カルテットによるオフィシャル盤第2弾だ! 日本盤がボーナス・トラック入りで、これがまた良いのでぜひ日本盤をオススメする。
 さて、このアルバムは上記の通り2002年の11月から2004年の4月までのライヴ音源から編集したものだが、ライヴ盤というより、オリジナル・アルバムをライヴ録音によって制作したという感じのアルバムである。何がいいたいのかというと、ボーナス含めて全9曲中、ショーター作の新曲が4曲、カルテット名義の新曲が1曲、新しく取り上げたスタンダードが2曲あり、以前からのライヴ・レパートリーであるショーターの旧作曲は2曲のみであり、その2曲もオリジナル・バージョンとはほとんど別の曲と思えるほどに変化している。つまり、既発表の曲のライヴ・バージョンを収録したという一般的なライヴ盤ではなく、曲そのものも真新しいものばかりで、これをそのままスタジオ録音すれば普通のオリジナル・アルバムとして通用する内容だ。
 ではなぜライヴ録音となったのか。ウェイン・ショーター・カルテットのようなスタイルの演奏であればスタジオであっても一発録りするしかないわけで、それならばスタジオで録音するよりも、観客を前にしてボルテージの高まっているライヴ音源のなかから良いものをもってきて編集したほうが……と考えたのではないか。じじつ観客の拍手の音などは小さくおさえて、ライヴの臨場感よりは演奏そのものを聴かせるミキシングがされている。
 演奏は『Footprints Live』(01) の頃にはまだ少し片鱗が残っている感もあった、通常のアコースティック・ジャズのスウィング感が完全に払拭され、バンドは異様なリズムで動くゴツゴツした機械のような一体感を見せている。ブレイド、パティトゥッチともショーター・カルテットに入ってから変化した新しい奏法が完全に自分のものになっている感じである。
 タイトルは『音のバリアーの彼方』とでも訳すのだろうか。個人的には「バリアー」と聞くとスペースオペラなどで宇宙船が敵の攻撃を避けるために張る「バリアー」を連想してしまうのだが、どうなんだろう。英語圏の人にはどういうニュアンスに感じるのだろうか?

 さて、収録曲はどの曲とも、曲の途中でどんどん変化し、展開していく曲なので、とても一つのイメージで「こういう曲」とは言い切れない。けれども、ごく触り程度に触れていってみる。
 冒頭の "Smilin' Through" は1918年にアーサー・ペンによって作曲された同名のミュージカルからのナンバーらしく、ということはいわゆる一般的なジャズ・スタンダードに近い出自の曲のはずだが、ぼくはショーター以外のジャズマンがとりあげたのは、たぶん聴いたことがないと思う。(普段、あまりタイトルには気にしないで聴いているし、かなりアレンジしているのだとしたら、同じ曲と気づかない可能性もあるので自信はないが)
 演奏は前半はかなり静かに、ペレスのピアノに先導するかのような叙情的な風景画のような雰囲気が続き、ブレイドのドラムが突然鳴り出して後半に突入。この後半に入ってからのいきなりの躍動感が唖然とさせられるほど
 続く "As Far as the Eye Can See" はショーターによる新作のクレジットだが、"Go" のアドリブから生まれた変型バージョンという感じもする。「眼には見えないほど遠く」というタイトルはアルバム・タイトルと呼応している気がする。個人的にはこのカルテットによる "Go" の演奏はかなり好きで、『Footprints Live』に収録されていたのはかなり短いバージョンだったが、もっといろいろなバージョンをCD化してもらいたいと思う。
 3曲めの "On Wings of Song" は「歌の翼に」の邦題で知られているメンデルスゾーンの曲で、クラシック・ナンバーだ。ショーターとメンデルスゾーンという取り合わせは個人的にはちょっと意外でもあるのだが、親しみやすいメロディと、抽象的で透明感のある演奏との対比がかなりいい。
 続く "Thinker Bell" はカルテット名義の新作というクレジットだが、ごく短く、わりと静かで抽象的な演奏で、たぶん完全なインプロヴィゼーションではないか。
 4、5曲めに『Joy Ryder』(88) からの曲が続くが、どちらも10分を超える長時間の演奏で、アルバム中でも山場となっている。
 "Joy Ryder" のほうは、タイトルを聞かされなければ、同じ曲だと思う人はまずいないのではないか。オリジナルはかなりロック的な迫力のある演奏だったが、ここでの演奏は、楽器どうしの真剣勝負といった感じの気迫のある、ゴツゴツした肌ざわりの、真の意味でジャズ的な意味で緊張感の溢れる演奏だ。終わり方も迫力だね。
 対して "Over the Shadow Hill Way" のほうはオリジナルの面影を残しているが、オリジナルはエレクトリック・バンドによる録音なわけだから、アコースティック・バンドでの演奏はやはりだいぶイメージは違っている。
 この曲はライヴでは定番になっていて、ブートレグを含めるとけっこういろいろなバージョンが聴けるのだが、どれもオリジナルよりいい気がする。オリジナルはアドリブ性が少ないところに、少し不満が残る。このバージョンも当然素晴らしく、オフィシャルでライヴ・バージョンがリリースされたことをよろこびたい。
 そして7〜9曲め、最後に3曲ショーターの新作が続くのだが、この部分はショーター・カルテットの新鮮な魅力に溢れていて素晴らしい。
  "Adventures Aboard the Golden Mean" はどこか典雅な雰囲気も漂うナンバーで、集団即興性が少し薄れ、リズム・セクションをバックにショーターが淀みのないソロをたっぷりと繰り広げる。
 続く表題曲の "Beyound the Sound Barrier" とボーナス・トラックの "Zero Gravity" はダークな緊張感に溢れた曲想で、ここあたり、ショーター・カルテットの真骨頂だろう。
 "Beyound the Sound Barrier" では、このグループではわりと裏方や脇役にまわりがちなのペレスのピアノが、ぐんぐんと前面に踊り出てくる演奏。緊張感をはらんだピアノの響きが凍るように見事。
 "Zero Gravity" は、ちょっと『The All Seeing Eye』(65) の "Mephistopheles" を思い出させるようなギクシャクしたリズムをもった曲で、静かにダークに緊張感をはらんで忍び足ですすんでいく感じがたまらない。どうしてこの曲が日本盤だけのボーナスなんだろう。ま、日本盤を買えばいいだけの話なんだけど。

 さて最後に、ちょっとないものねだり的なのであるが、不満な点をいっておきたい。
 このアルバムは曲中心、まとまりの良さを重視した結果、この時期のショーター・カルテットにしては演奏が小さくまとまってる印象がないでもない。
 例えば、実際にライヴで、あるいはブートレグで聴いたことのある人は御存知だろうが、この時期のショーター・カルテットはだいたいメドレーで長時間切れめなく演奏を続けている。しかし、本作では曲単位で採り上げたため、長時間続くメドレーでの次々に展開し、盛り上がっていく大きな流れが阻害されている。とくにショーター作の新曲はいずれも6分台の演奏と、曲が良いだけに演奏的にちょっと物足りなさも感じる部分がないではない。
 それに、新曲中心だから、演奏し慣れた曲を大きく崩しながら演った時のハチャメチャな大胆さも希薄だ。
 結果、まとまりは良く、完成度は高いのだが、この時期のショーター・カルテットのライヴの迫力はこんなものじゃないぞ……といいたくなる面もないではない。
 それを補完する意味でも、この時期のショーター・カルテットのライヴをそのまま収録した、通常の意味でのライヴ盤も、オフィシャルで出してほしいと思う。
 アルバムにおいて一度発表した曲の演奏も、カルテットによって繰り返し演奏されるなかでどんどん違ったものになり、姿を変えていく様も見せてほしいと思うのだが……。


 さらにもう一言。最近ちょっと気になってきたのが、21世紀に入ってからのショーターのめざましい活躍やショーター・カルテットの見事さを賞賛するのはいいのだが、その返す刀でこれまでのショーターのソロ・ワークを批判的にいったり、最近の数作ばかりをショーターの最高傑作だと賞賛しすぎる批評家の意見がちらほら見えてきた気がする。
 たしかに21世紀に入ってからのショーターの充実ぶりは素晴らしいが、それまでのショーターの活動も決して劣っていたわけではない。とくに『Atlantis』(85) から『High Life』(95) に至るエレクトリック・ショーターを低く評価する批評家というのは、単純にそれらの作品についていけず、理解できてないだけだろう。
 それに、たしかにウェイン・ショーター・カルテットはジャズ史上においても有数の名バンドだと思うが、ソロになって以後のショーターのレギュラー・バンドのなかでズバ抜けているかどうかということは、ショーターのレギュラー・グループによるライヴ・アルバムのリリースが不充分な(オフィシャルでは一枚も出ていない)現在、なんとも言いようがないのが実状ではないか。
 たとえば80年代のマイルスの活動だって、もしライヴ盤が一枚も発掘されることがなく、スタジオ盤だけ聴いて判断していたならば、かなり違った印象のものになっていると思う。現在の状況は85年以後のショーターのバンド・リーダーとしての資質を語るには、あまりに音源が不充分だ。


05.6.26


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   H.Hancock, W.Shorter, D.Holland, B.Blade "The Quartet"   (MegaDisc)


「Disc-1」
01、(Introduction)
02、Sonrisa
03、Pathways
04、Footprints

「Disc-2」
05、Visitor from Nowhere
06、Aung San Suu Kyi
07、Prometheus Unbound
08、Cantaloupe Island
09、Memory of Enchantment

    Wayne Shorter (ts,ss) Herbie Hancock (p)
    Dave Holland (b) Brian Blade (ds)  
          Live at Paris, France  2004.7.3  

 ぼくは有名ミュージシャンが集まって結成された、いわゆるスーパー・バンドというのが必ずしも好きではない。
 そういったスーパー・バンドは、個々のミュージシャンが「自分の音楽」を前面に出し過ぎるとまとまらなくなるので、各メンバーの最大公約数を探ってお茶を濁す……といった結果になることが多い。結果、わりと伝統的・保守的なスタイルの演奏になるのが普通で、ジャズの新しい可能性を切り開くような作品になることは、まず無い。
 ハンコックやマイケル・ブレッカー、ロイ・ハーグローヴ、ジョン・パティトゥッチ、ブライアン・ブレイドによる『Direction in Music』(01) や、チック・コリア、パット・メセニー、デイヴ・ホランドらによる『Like Minds』(97) もその例だろう。もちろん有名ミュージシャンが集まっただけあって、質の高い演奏にはなっていると思うが、それ以上のものではない。これだけのメンバーが集まって、保守的なジャズを演奏すれば、このくらいの演奏ができるだろう……と予想される範囲内のものである。
 しかし、このショーター〜ハンコック〜ホランド〜ブレイドのカルテットは、従来のスーパーバンドにはない革新的で充実した、やって意味のあるスーパーバンドだと思う。
 基礎になっているのはショーター・カルテットで共に活動しているショーターとブレイドだと思う。集団即興によるインプロヴィゼーションの新しい可能性を切り開いているグループだが、そこにショーターとの対話的な演奏の相性の良さではこの上ないパートナーであるハンコックが加わる。そして自己のグループでアコースティック・ジャズの新しい可能性を切り開いているホランドが加わる……という、考えてみればこの上ない組み合わせだ。また、ショーター〜ハンコックのデュオにリズム・セクションが加わったかたちと見ることもできる。曲目は『1+1』(97) の曲が中心だ。
 これはハンコックの『New Standards』(95) や『Direction in Music』(01) などのような保守的なファンへのファン・サービスのようなスーパー・バンドとは骨の髄から違う。これはスーパー・バンドが音楽の最も尖った部分に到達したほんとうに希有な例だと思う。

 さて、このアルバムはこのグループのフランスでのライヴを収録した2枚組のブートCDRで、録音時間は全体で105分ほど。音質はオフィシャル並みの高音質。FM音源らしく、冒頭と各曲の後にアナウンスが入るのがわずらわしいが、演奏にかぶさって話すことはないので、なんならMDに録音してカットして聴くこともできるだろう。
 ただし少し残念なのは、このアルバムではブレイドのドラムがおとなしく聴こえることだ。
 実は個人的にはこのグループのポイントはブレイドだと思っている。ブレイドはショーター・カルテットに入ってから大きく奏法を変化させ、自由で大胆に叩くようになった。ハンコックらの『Direction in Music』では保守的なドラムも叩いていたが、このグループではショーター・カルテットそのままの大胆で野性的な叩き方をしている。
 『東京Jazz 2004』での演奏ではそのブレイドのドラムがもっとガンガン鳴り、演奏全体に刺激と勢いを与えていた。とくにブレイドに煽られてハンコックが燃え上がる様など圧巻だっただけに、ブレイドがおとなしいと、ちょっと寂しい。よく聴いてみると、さほど不調なわけでもないようで、ミキシングの問題なのかもしれない。
 このグループの演奏は、たしかに緊密な集団即興性や、どこまで編曲でどこから即興かわからない演奏の完成度ではたしかにショーター・カルテットのほうに軍配が上がるのだが、各メンバーの個人技の素晴らしさ、野生動物のようなブレイドとそれを安定して受けとめるホランドの相性の良さなど、聴きどころが多く、実にスリリングで素晴らしいグループだと思う。
 それにしても、このグループのアルバムをオフィシャルで出してもらいたいものだ。そのときにはブレイドの音を押し気味でお願いしたい。


04.11.5


(追加)

 このグループによる『東京Jazz 2004』(9月18, 19日)での演奏の全貌をFMで放送してくれたので、エアチャックすることができ、何度も聴き返すことができた。
 一聴してホランドのベースが大きめにミキシングされている気がしたが、オーディオの操作で低音部を増強するのをやめると、ブレイドの迫力あるドラムが前へ出てきて満足。上記ブートレグが個人技を大きくフューチャーしているのに対し、『東京Jazz 2004』での演奏はアンサンブルを中心にしている。そのアンサンブルはより緊密になり、全体的に上記ブートレグより演奏の質は高い気がする。
 聴いていると、このグループのアンサンブルにおいては、ホランドがかなり重要な役割をしているように感じた。ホランドのベースがうねるように演奏の土台の部分をがっちりと押さえ、その波のようなうねりにブレイドのドラムが緊張感を叩き込み、ショーターとハンコックがそれに乗って自由自在に対話する……というスタイルだ。ベースが音楽を全体的にガッチリとおさえているので、他の3人がより自由に動けている気がする。
 曲目は18日が「Sonrisa (Hancock)」〜「Pathways (Holland)」〜「Aung San Suu Kyi (Shorter)」〜「Prometheus Unbound (Shorter)」〜「Footprints (Shorter)」の全57分。19日が「Sonrisa (Hancock) 〜 Visitor from Nowhere (Shorter,Hancock)」〜「Pathways (Holland)」〜「Footprints (Shorter) 」の全41分。ショーターの「Prometheus Unbound」(解き放たれたプロメテウス) という曲は新曲だろうか?
 それにしてもこのグループのCDをオフィシャルで出してもらいたいものだ。『New Standards』とか『Direction in Music』なんかを出すのなら、こっちのほうがはるかに上なのだが。

(余談だが、『東京Jazz 2002』のときも、ショーター・カルテットの演奏の全体をFMで放送してたんだろうか。BSで放送していた分しか録音してないので、やってたなら残念だ。『東京Jazz 2002』でのショーター・カルテットの演奏も、『Footprints Live』(01) での演奏より上だと思っているのだが……)

05.1.10


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   W.Shorter, H.Hancock, D.Holland, B.Blade "Live in Germany"


01、Sonrisa
02、Visitor from Nowhere
03、Pathways
04、Aung San Suu Kyi
05、Prometheus Unbound
06、Cantaloupe Island

    Wayne Shorter (ts,ss) Herbie Hancock (p)
    Dave Holland (b) Brian Blade (ds)    2004.7.4

 これはショーター〜ハンコック〜ホランド〜ブレイド・カルテットのライヴのブートCDRで、先に出ていたフランス(パリ)でのライヴの翌日のドイツでのライヴとなる。一枚もので収録時間は76分ほど。音質はオフィシャル並みの高音質だ。
 前日のパリと比べると30分ほど収録時間が短いことになるが、あちらでは拍手にかぶさってFM放送のものらしいアナウンスが入っていたのが演奏そのものには支障はないにしてもわずらわしい気がしていたのが、こちらはそのようなものが一切無く、純粋に演奏を聴けるところが、まずメリットか。
 演奏そのものに耳を傾けると、パリの翌日ということで、前日と比べてそう変わらないのかと思いきや、おもいのほか印象が違った。一言でいえば、パリでのライヴがメンバーそれぞれの個人技が前面に出た、より静かで内省的な演奏とすれば、こちらはバンドでの緊密なインタープレイ性が前面に出た、よりアクティヴな演奏という気がする。『東京Jazz 2004』で聴いたこのバンドの印象に近いのはこちらのほうだ。
 どちらがいいというわけではなく、どちらもそれぞれの良さがあるので、両方聴く価値があるとおもう。というより、このグループでのライヴの音源があるならどんどん出してほしいところだ。
 どうも、今現在(2005.11.21)出ていないところをみると、このグループでのオフィシャル盤は出してくれなそうな雰囲気もあるので、なおさらだ。それにしても、こんなにスリリングで深いジャズなんて、他にちょっと見あたらないし、ネーム・バリューからいっても充分商品価値はあると思うのだが、なぜオフィシャル盤が出ないのだろう。


05.11.21


『ウェイン・ショーターの部屋』

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