60年代後半のジャズの人気凋落とロックの台頭






 1965年に完成したマイルス・バンド、いわゆる黄金クインテットは、マイルス・バンド史上最高のバンドとの評価も受ける一方、当時まったく売れなかったバンドでもあった。それはショーター〜トニーが音楽的リーダーシップをとったために、これまでマイルスがリーダーシップをとっていた頃より音楽内容的に難解だという点もあったろうが、それ以前に60年代後半はジャズというジャンルそのものが人気を失って衰退していっていたという事実も大きいというべきだろう。
 なぜ65年頃からジャズの人気が急激に衰退していったのか。それはちょうどその頃からロックの人気が隆盛を極めたという点が大きいだろう。

 いろいろ意見もあるだろうが、ロックの黄金時代は60年代半ばから70年代半ばまでの10年余りだったと思う。
 それ以前にもチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーなどのロック・スターはいたし、ビートルズは63年にデビューしているが、60年代前半までのロックとは良くも悪くもごく単純で素朴な構成・編曲によるポップ・ソングで、一曲あたりの演奏時間も短いものだった。おそらく多くの人が現在の耳でビートルズのデビューして間もない頃(1963年頃)のヒット曲を聴くと、良くも悪くもロックとしてもひどく単純な音楽に感じるだろう。
 それが変わり始めたのは、65年あたりからではないか。
 ビートルズは様々な楽器の使用やテープの早回し等、スタジオでの音響実験を含めて実験的なサウンド作りを始めて『Rubber Soul』(65) 『Revolver』(66) 『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(67) といったアルバムを作っていく。
 ボブ・ディランが革新的なゴチャゴチャしたサウンドの "Like a Rollin' Stone" のヒットを飛ばし『Highway 61 Revisited』を出すのも65年。そして『Blonde on Blonde』(66) と進んでいく。
 一方、この頃、エリック・クラプトンがヤードバーズで名を上げはじめ、バンドを離れてジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、そしてクリームを結成してバンド・デビューをはたすのは66年だ。このエリック・クラプトンがロック界で最初に楽器演奏者(インプロヴァイザー)としてスターになった人であり、ジャズ的演奏性のロックへの導入の先駆となる。その後にジェフ・ベック、ジミー・ペイジが続く。
 フランク・ザッパがバンド、マザーズ・オブ・インベンションでデビューし、ビーチ・ボーイズが『Pet Sounds』をリリースするのは66年だ。
 この辺りからロックの一曲あたりの演奏時間が長くなっていったように思う。一方でクリームの延々と続くインプロヴィゼーションによる長大化があり、一方でボブ・ディランによって歌詞が複雑で奥深く長いものになっていき、フランク・ザッパのアルバムなど実験的なサウンドを延々と続けていく曲も出てくる。
 そして67年になるとジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ピンク・フロイド、グレイトフル・デッド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドといったミュージシャン/バンドがデビュー。68年にはソフトマシーン、キャラヴァン、そしてレッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック・グループ、ザ・バンドがデビューする。
 斬新なサウンドとインプロヴィゼーションによって曲の長大化は進んでいくが、この頃のロックのサウンドとはサイケデリック・ロックというのか、音響実験的なサウンド作りが流行っていた時代であり、まだ構築的な編曲性は見あたらない。
 ぼくの知っている限りでは、69年にリリースされたキング・クリムゾンの1st アルバム『In The Court Of The Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)』の登場によって、シンフォニックな編曲性・構築的なサウンド作りがロックに持ち込まれてくる。
 この間の急激なロックの変化と発展は驚くべきほどで、現在となってはたった数年間にすべてがおこったとは信じられないほどだ。

 70年代に入るとロックの最先端と部分が分化し、棲み分けられてくる。
 ジャズ的なインプロヴィゼーション性、クラシック的な編曲性を持ち込んで長大化していったロックは「プログレッシヴ・ロック」というサブ・ジャンルでくくられるようになる。ロックの力強さ、迫力を強調した「ハード・ロック」というサブ・ジャンルも生まれる。
 対してロックの主流部分は進みすぎた地点から数歩戻って、ポップ・ソング本来の単純素朴さ、わかりやすさを取り戻す方向へと進み、長々としたインプロヴィゼーションをやめて短く抑えたり、実験的なサウンドをやめて楽器本来の音、あるいはアコースティック楽器の音を効果的にとりいれようとしてくる。といっても全く65年以前に戻るわけではなく、60年代後半の成果をある程度踏まえた上で……とするのが主流で、以前のロックに比べればはるかに複雑な構成・サウンド性・演奏性をもっているものが主流であった。

 70年代の後半に入るとさらに状況が変わってくる。
 プログレッシヴ・ロックのような複雑で長大なロックの人気は70年代後半になると急速に落ちていく。
 対してラモーンズを嚆矢としてパンク・ロックがブームを引き起こし、60年代前半までのロックような構成もしごく単純で演奏も下手で楽器のソロもなく、3分以内で終わるようなロックを目指すようになる。つまりはロックの原点回帰であり、ジャズやクラシックなど様々な要素を持ち込んで進化してきたロックがそれらを全て捨て、もともとのロック本来の単純な魅力へと戻ろうとする動きだろう。
 このような動きがロックの主流部分にも影響を与えていき、大胆な実験をおこなったサウンドや大曲などは時代遅れになっていき、ポップ・ソング本来の単純素朴さ、わかりやすさを取り戻す方向へさらに進んだといえる。
 つまりこの辺で65年から始まったロックの大きな進化のうねりが一つのサイクルを終えたのだと思う。
 ロックが最も生き生きとしていた黄金時代が65年から70年代半ばでの10年間だったというのは、そういう理由だ。

 もちろん、その後もロックは続いていくし、より商業的に洗練されたかたちで、より大きな産業へ育っていったともいえるのだが、おそらくファンがもっともリアリティをもって熱くロックを聴いていたのは、この60〜70年代ではないか。


 ジャズの側から話に戻ると、マイルス・バンドの黄金クインテットが完成し、しかしこれがセールス的にまったくふるわなかったのが65年から。その後もアコースティック・ジャズの人気はどんどん落ちていき、その焦りからロックの要素をとりいれたフュージョンなどが登場していくのが60年代末。
 そしてVSOPクインテットが予想だにしなかった大人気をはくし、以後アコースティック・ジャズの人気が復活してくるのが76年である。
 つまりこの65年から75年までの10年ばかりのあいだが、ジャズがロックにファンを奪われていた時代といってもいいのではないか。それだけこの10年のあいだのロックが日々目を見はるばかりに進化し、次々に新しい可能性を見せて、ファンを魅了していたということだろう。


 また、60年代あたりまで『サード・ストリーム』というサブ・ジャンルがあったが、それはジャズとクラシックを融合させた音楽のことだった。
 つまり、それまではジャズと他の音楽の方法論を融合させて第三の道へ進むとするなら、融合させるべき音楽はクラシックであり、ロックではなかった。60年代前半までのロックは、その方法論を他のジャンルの音楽と融合させるほどの内容をもたない、ごく単純な音楽だったといえる。
 それがロックとジャズとの融合の試みがジャズの側から始まっていくのは67年頃。つまり、ほんの数年でロックが急激に成長したのだと言える。



2005.2.11



『ウェイン・ショーターの部屋』


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