超初心者向きモードジャズ講座






■はじめに

 自分が演奏するわけではないジャズ・ファンにとって、わかりにくいのはモードジャズの「モード」というものです。といっても、わからなければモードジャズを楽しめないわけではありません。モードが理解できなくたってモードジャズは充分に楽しめるし、逆にいえばモードが理解できたからといってモードジャズの魅力が理解できるというわけでもありません。とはいえ、そんなことを確信をもって言えるのはモードというものが理解できてこそで、理解できないと何だか気になる……という人も多いんじゃないでしょうか。
 実はぼくもその一人でした。ぼくは別にミュージシャンを目指した経験があるわけではなく、まあ少しくらいは楽器をいじった経験ぐらいはありましたが、わりと早くから音楽は聴いて楽しめばいいと思ってしまったほうなんで、長いあいだモードって何なのかわからないできいていました。それでもモードジャズの魅力的だと感じられたので、それでいいとも思ったのですが、でもやはりわからないと何だか気になるもので、数年前から楽器をいじりはじめました。
 といっても今さらミュージシャンを目指すという気もなく、自分にそんな立派なジャズの演奏ができるようになるとも思わず、ただ、ジャズマンたちが何を考えながら演奏しているのか理解できればいいという程度の気持ちではじめたわけです。
 実際じぶんで演奏を始めてみると、いろいろ発見はあるものです。でも、そのいろいろな点は追々書くことにして、ここではモードというものについて自分なりに説明してみようとおもいます。といっても、ぼくもモードというものが完全に理解できているのかどうかわからないので、間違っている点があったとしても、初心者の書くことということでお許しください。

 ということで、ぼくなりにモードジャズというものを説明してみますが、最初にことわっておきますが、これは初心者に説明するのはすごく面倒くさいもので、たぶん説明されるほうも疲れる、しかも説明されても面白くはなく、その説明を聞いて理解できたからといって、モードジャズの魅力がよく理解できるようになるわけでもなく、つまり、リスナーにとっては知ってもほとんど意味のないものだと思います。だから、モードジャズの魅力を理解したいのだったら、こんな説明を読むより優れたモードジャズそのものを聴くことのほうがよっぽど有効だとおもいます。
 また、これからする説明は、モードジャズを演奏したいとおもっている演奏者に役に立つものでもないです。たんにモードジャズとはどういうものかという点についての説明なんで、まったく実践的なものではないからです。
 だから、読んでも役に立つものとは思えないのですが、けれど以前のぼくのように、わからないと何だか気になるという人もいるでしょう。だから、この先の説明はそんな人だけ読んでください。それで、読んだとしても別にそれで何か得られるものがあるわけではないので、そのつもりで。



■モードジャズとは?

 さて、モードジャズは説明するのがすごく面倒くさいものだと書いたのですが、その度合いは説明される相手がどのていど音楽を理論的に理解しているかによって違います。つまり、和声を完全に理解し、楽譜もすらすら読めるという人なら説明するのも簡単かもしれません。でも、そんな人なら何もこんな文章を読むわけはないと思うので、ここでは読者をごく初心者、たとえばコード進行と聞いたら、ギターかピアノかで「こことこことここを押さえればCのコード……」なんて説明されて、簡単な伴奏ぐらいはしてみたことがあるという程度の人だと想定したいと思います。(たいていの人は、それぐらいの経験はあるものだとおもうし、もしその経験がなかったとしても、近くにいる友達に聞けば、その程度のことは教えてくれる友達は必ずいるとおもうんで)
 さて、ではコードと聞いて「C」とか「Am」とか連想できる人は多いとおもいますが、「スケール」と聞いてどれだけの人が説明できるでしょうか。ここでは一応、初心者というのを、コードを押さえた経験はあるが、「スケール」はわからない人と想定して、「スケール」の説明から入りたいとおもいます。(モードジャズを理解するには、この「スケール」が大事なもので)

 さて「スケール」とは何かというと、音階のことです。つまり「ドレミファソラシド……」のことです。と聞くと「なーんだ、そんなことぐらいならわかる」と思う人は多いでしょうが、では「Cのメジャー・スケールは?」とか「Fのナチュラル・マイナー・スケールは?」と聞かれて即座に弾いてみることはできるでしょうか?
 できるという人はこのへんの説明はとばしてください。
 できないという人に説明してみようとおもいます。

 まず、説明するにはピアノの鍵盤があると一番わかりやすいので、ピアノかキーボードなどが近くにあるという人はそれを見ながら以下の説明を読んでください。ないという人は鍵盤を頭に思い浮かべながら読んでください。
 鍵盤には白いキー(白鍵)と黒いキー(黒鍵)が並んでます。まず黒鍵のほうに注目してください。黒鍵は白鍵のあいだに挟みこまれるようにして並んでますが、かならずあるわけではありません。つまり、2つ並んで1つ空き、3つ並んで1つ空き、また2つ並んで1つ空き……と続いているはずです。
 まずその鍵盤のなかで「C」の音を見てください。わからないという人は、まず2つだけ並んだ黒鍵を見てください。その2つの黒鍵を3つの白鍵が挟み込んでいますが、その3つ並んだ白鍵のうち、左端にあるのが「C」の音です。
 2つだけ並んだ黒鍵は鍵盤上に複数あるはずですが、いずれもその黒鍵の左側にあるのが「C」の音です。つまりそれらはオクターブ上の、あるいは下の「C」ということです。
 そのうちの1つの「C」から次の「C」まで、白黒かまわずに鍵の数を数えていくと、ちょうど13番目に次の「C」がくるはずです。つまりこれは、1オクターブには12の音があり、13番目の音から次のオクターブになるということです。
 さて、「スケール」というのは「ドレミファソラシド……」のことです。つまり「C」のスケールの場合、「C」の音が「ド」となります。次の「ド」はオクターブ上の「C」です。しかし数えてみればわかるとおり、「ド」から「シ」までは7つの音しかなく、8つめがオクターブ上の「C」となってます。つまり「C」から次の「C」まで13の音があるのに、「ドレミファソラシド」では8つの音しかありません。これはどういうことでしょうか?
 答えは簡単で、「ドレミファソラシ」というのは、1オクターブの12の音のなかから7つの音だけを選んだものなのです。つまり、この選ばれた音の列が「C」の「スケール」なのです。
 では「C」のメジャー・スケールを説明してみます。実はこれは説明が実に簡単で、「C」から順に、黒鍵を無視して、白鍵だけを弾いていけば、これが「C」のメジャー・スケールになります。なんでこんなに簡単かというと、ピアノという楽器の鍵盤がそのように作られているからです。つまり、白鍵の間に黒鍵があったりなかったりするのは、「C」から白鍵だけ弾いていくと「C」のメジャー・スケールになるように作られているので、そうなっているのです。鍵盤がそのように作られている点からみてもわかるとおり、「C」のメジャー・スケール(クラシック風に日本語でいえば「ハ長調」)は調性の中心となるものです。
 とにかく「C」から順に右に向かって白鍵だけを弾いていけば「C」のメジャー・スケール(ドレミファソラシド……)になり、このうち「ド」「ミ」「ソ」を同時に弾けばトライアッドという一番基本的なCのコードとなります。
 この「C」のメジャー・スケールのなかで「C」の音を「ルート音」といい、重要な役割をしています。
 というのは、最も基本的なかたちでは、Cメジャー(ハ長調)の音楽は、メロディは「C」の音からはじまり、「C」の音で終わります。実際は「C」を意識しつつ別の音から始まることも多いのですが、その場合でも、つねに意識されている音ということになります。
 つまり、鍵盤上の「C」の音から弾きはじめて、白鍵だけ使ってメロディを弾いていけば、「C」のメジャー・スケールで演奏しているといえるわけです。


 さて、ではこの「C」のメジャー・スケールがどういうものか、みていってみます。
 ピアノという楽器は(説明のために単純化していえば)白鍵黒鍵にかかわらず、右にむかって半音づつ音程が上がっていくように調律されています(実はそうでもないこともあるのですが、説明すると長くなるのでやめておきます)。
 つまり、あいだに黒鍵がない場合、隣り合った白鍵どうしの音程の差は半音、あいだに黒鍵がある場合、白鍵から半音上がって黒鍵、さらに半音上がって次の白鍵となるので、隣り合った白鍵どうしの音程の差は全音となります。
 となると、「C」から順に白鍵のみを弾いていった場合、個々の音のあいだの差は次のようになります。

 ド(全音)レ(全音)ミ(半音)ファ(全音)ソ(全音)ラ(全音)シ(半音)ド

 たぶん多くの人が学校の音楽の授業で習ったことを思い出すんじゃないかとおもうのですが、この「全・全・半・全・全・全・半」というふうに音程をとったスケールが「メジャースケール」、つまり長調の音階です。
 たとえば、今度は「D」のメジャー・スケールを鍵盤上でみてみましょう。
 今度は「D」の音(「C」の音の隣の白鍵)が「ド」になります。その「D(ド)」の音からはじめて、右に向かって「全・全・半・全・全・全・半」と音程をとるようにスケールを弾いていけばいいのです。とすると、「ミ」と「シ」の音は白鍵ではなく、その右側の黒鍵を弾かなくてはならなくなるはずです。それが「D」のメジャー・スケールです。それは「E」でも「F」でも「G」「A」「B」の場合もすべて同じで、その音からはじめて「全・全・半・全・全・全・半」と音程をとれば、メジャー・スケールとなります。

 さて、学校で「全・全・半・全・全・全・半」と長調の音階を習ったことを思い出した方は、たぶん同時に短調の音階も習ったことを思い出したのではないでしょうか。
 長調とちがい音程を「全・半・全・全・半・全・全」ととるのが、ナチュラル・マイナー・スケール(自然短調)の音階です。(と書くと、では「ナチュラル」ではないマイナー・スケールもあるんじゃないかと思う人もいるかとおもいます。実はあるのですが、説明すると長くなるし、この文章の目的とも直接関係がないので、説明ははぶきます)
 例えば「C」のナチュラル・マイナー・スケールなら、「C」の音から始めて、右に向かって「全音・半音・全音・全音・半音・全音・全音」と差をつけながら弾いていけばいいわけです。すると、「ミ」と「ラ」と「シ」は白鍵ではなく、その左側の黒鍵を弾かなければならないはずです。それが「C」のナチュラル・マイナー・スケールです。
 これも「D」でも「E」「F」「G」「A」「B」の場合でもおなじで、その音からはじめて「全・半・全・全・半・全・全」と音程をとっていけばナチュラル・マイナー・スケールとなります。
 なお、メジャー(長調)は楽しく明るいかんじであり、マイナー(短調)は悲しいかんじという説明をきいたことがある人もいるかとおもいますが、これはそうともいえません。例えば「踊りおっどる、なっあ、らー」で有名な「東京音頭」は短調の曲ですが、どう見ても悲しい曲ではありません。長調でも悲しい曲はあります。メジャーとマイナーとはそれぞれ色彩・個性・雰囲気が異なる別の音階というていどに考えておいたほうがいいでしょう。

 さて、では試しに「A」のナチュラル・マイナー・スケールを弾いてみてください。
 A(Cから左に2つめの白鍵)から始めて、「全・半・全・全・半・全・全」と音程をとると、驚いたことに、ぜんぶ白鍵を弾く結果になるのに気づくでしょう。これは最初にみた「C」のメジャー・スケールで使用する音と同じです。つまり、最初知ったときは何だかヘンな気分にもなるのですが、Aのナチュラル・マイナー・スケール(イ短調)とCのメジャー・スケールは使われる音がまったく同じであり、ルート音が違うだけなのです。
 つまり、同じように白鍵だけを弾いても、「C」がルート音ならCのメジャー・スケールとなり、「A」がルート音ならAのナチュラル・マイナー・スケールとなります。
 これは「C」と「A」だけがそうなのではなく、とうぜん「D」のメジャー・スケールと「B」のナチュラル・マイナー・スケールもルート音が違うだけであり、「E」と「C」の場合も、「F」と「D」の場合も同じです。
 つまりこれは、まったく同じ音をつかっても、ルート音が違うだけで、和声やメロディーなどがかなり違った色彩をおびたものになるということを示しています。

 さて、同じように白鍵だけを弾いていても、「C」をルート音にすれば「C」のメジャー・スケールに、「A」をルート音にすればAのナチュラル・マイナー・スケールになることはわかりました。では、たとえば「D」や「E」をルート音にして白鍵だけを弾いていくと、どうなんでしょう。なにか別のスケールになるんでしょうか?
 結論をいってしまうと、かつてはそのようなスケールもありました。しかし西洋ではルネサンスの時代あたり以後、そういったスケールは使われなくなったようです。これがグレゴリオ聖歌いらい教会音楽などで使用された旋法、教会旋法というものです。
 実は「モードジャズ」というのは、コードのかわりにこれらのスケールのみをインプロヴィゼイションに使用したものです。

 このモードの種類をあらわす用語があり、初めて聴くと「何だ!?」と思う言葉なんで紹介しておきます。
 例えばCのメジャー・スケールを想定したばあい、

 一つめのCからはじまるスケールを「イオニアン」
 二つめのDからはじまるスケールを「ドリアン」
 三つめのEからはじまるスケールを「フリジアン」
 四つめのFからはじまるスケールを「リディアン」
 五つめのGからはじまるスケールを「ミクソリディアン」
 六つめのAからはじまるスケールを「エオリアン」

 といいます。これらのスケールのことをモードというのです。
 なんだかややこしい名称ですが、これはすべて、もともとは古代ギリシアの都市国家の名前なんだそうです。なんで音階にそんな名前をつけたのかはわかりません。また、Bからはじまる音階はなぜないのかもわからないのですが、今後の課題とさせてもらいます。
 ともかく、一つの音にたいしてモードは7つあり、1オクターブには12の音がありますから、12×7で84 のモードがあることになります。
 モードジャズとはスケールのみをインプロヴィゼイションに使用するかわり、使用するスケールの種類は従来の長調(メジャー)と短調(マイナー)のみではなく、多彩なスケールを使用しているわけです。

 これらはいずれもルート音が違うだけのスケールですが、CメジャーとAナチュラル・マイナーがルート音が違うだけで性格の異なるスケールであるのとおなじように、それぞれに違った個性・色彩をもったスケールといえます。
 みてみるとわかるとおもいますが、現在いわれているメジャー・スケール(長調)というのは「イオニアン」、マイナー・スケール(短調)というのは「エオリアン」が発展したものとなります。
 つまり西洋ではルネサンス以後、これらのスケールのうち、「イオニアン」が「長調」として残り、「エオリアン」が「短調」として残っただけで、その他は使用されなくなっていたわけです。

 さて、ここまで説明してきたのはいずれも西洋音楽が起源のモードについてです。が、当然のことながら世界じゅうの様々な国の伝統音楽には様々なスケール(音階)が存在します。
 これらのスケールも当然モードジャズには使用できるわけですが(たいていの場合、半音・全音といった音程の差そのものが違うので、西洋起源の楽器では演奏しにくいことも多いのですが)、じっさい使用されているのかどうかはまだよくわかりませんので、今後の課題とさせてもらいます。



■コードからモードへ

 モードと呼ばれるものの正体は上に説明したとおりですが、ではどうしてジャズの演奏がコードからモードへとすすんでいったのかを演奏の側から説明します。

 コード進行というのをよく知っている方は既にご存知でしょうが、コード進行には一定の法則のようなものがあります。つまり、一つのコードから、まったく自由に別のコードに進行するわけではなく、このコードの次にはどのコードになるかはだいたい決まっています。
 たとえば「C」からはじまった場合、その次のコードはだいたい「F」か「G」か「Am」へ進行します。
 その理由はそれぞれのスケールを弾いてみるとわかります。
 つまり、「C」のスケールとは白鍵だけを弾いたものですが、「F」と「G」はどちらも黒鍵を一つしか使用しません。「A」のナチュラル・マイナーはすべて白鍵です。それぞれのスケールで「ドミソ」のコードを弾けば、どれも白鍵だけを弾くことになります。
 つまり、これらのスケールはだいたい同じ音からできていて、ルート音が違うだけなのです。
 このような組み合わせはすべてのコードにたいして存在します。
 ジャズの楽譜をみると、めまぐるしいスピードで複雑なコード進行していたりするので、一見するとこんなもの演奏できるのかとおもったりもするのですが、よく見てみると、同一スケール上でのルート音の変化だけで対応できるコード進行が多いことがわかります。
 こういった場合、ジャズの演奏者はコード進行を見て、こんなふうにコード進行をするなら、この部分はこのスケールで演奏すればいい……と判断してアドリブを演奏をするわけです。
 そうであるなら、複雑なコード進行を指定してそのコード進行に従って演奏するのではなく、同一スケールで演奏できる長い部分を指定して、この部分はこのスケールの音をつかって演奏すればよいと指示すれば、演奏者がもっと自由にインプロヴィゼイションをおこなうことができるのではないか、というアイデアをギル・エヴァンスが思いついたわけです。そのアイデアこそがモードジャズです。
 ということでモードジャズにおいては、細かいコード進行に従うことなく、比較的長い部分を、スケール内の音ならばどれを使ってもいいという、より自由な条件でインプロヴィゼイションを繰り広げることができるのです。

 さて、そうだとすると、モードジャズは複雑なコード進行をおぼえる必要もなく、それに縛られずに自由にアドリブができるということで、コード進行によるアドリブよりもラクに演奏できるんじゃないかという印象を受けます。
 これは、たしかにそういう面もあるのですが、普通、そうでもないようです。
 なぜかというと、コード進行に基づいてアドリブをするというのは、たしかに細かなコード進行に従わなければならないわずらわしさはあるものの、コード進行に従っていさえすれば、わりと簡単に安定した良いアドリブが演奏できるからです。というのは、コード進行には起承転結とでもいうような、一定の展開のパターンがあるのです。
 試しに、楽器が手元にある人は、どの曲でもいいので、コード進行がわかっている曲の、コードによる伴奏だけを弾いてみてください。メインのメロディがなくても、コードを弾いているだけで、曲が始まる感じ、それが続いて盛り上がり、最後は終わるかんじが、感じられるとおもいます。
 つまり、ある音からメロディをはじめた場合、この音でメロディが終わると安定して着地したかんじに終われるなどという、人の感覚に基づく起承転結のようなものがあるのです。
 さらにいえば、このような起承転結の感じというのは、一つの曲だけではなく、その曲を構成する一つ一つのフレーズにもあります。
 いわゆる「AA'BA'」の形式の曲だと、Aメロ、Bメロそれぞれに、フレーズがはじまり感じ、それが続いて盛り上がり、最後は終わる感じがあります。ふつう、曲はそのようなフレーズを何回かくり返すことでできています。つまり、ジャンプしては着地し、またジャンプしては着地することを繰り返しすことによって、地に足のついた安定感のあるメロディをつくりだしているのです。
 コード進行に基づくジャズというは、このようなフレーズの起承転結にそのまま従いつつも、アドリブによって新しいフレーズによる起承転結をつくりだしていく演奏だといえます。したがって原曲のメロディには従わないとしても、原曲のもっていたコード進行の起承転結のようなものは、そのまま生かして演奏できるわけです。
 だから、コード進行に従わなければならないわずらわしさはあったとしても、それに従ってさえいれば、起承転結のある安定したアドリブが演奏できるわけです。
 しかし、コード進行に基づかないモードジャズというのは、このような安定した起承転結に従わない演奏をするということです。それはコード進行がもっていた起承転結による安定感を失うということです。
 つまり、フレーズが始まったら、それが盛り上がって終わる……という着地のしかたはしない。フレーズの終わりで一度着地して、また次のフレーズへとジャンプしていくのではなく、始まったまま、どこかに落ち着くことなく、えんえん続いていく、宙を漂いつづけるような演奏ということになります。
 この一つのフレーズが着地せずに延々と続いていくかんじというのは、クラシックでいうとワーグナーあたりが始めたことのようです。どうも新主流派のモードジャズというのは和声的にいっても、このワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』あたりからドビュッシーなどの印象派の音楽に近いらしいのですが、このへんについてはぼくはまだよくわかってないのでやめておきます。

 さて、ここで疑問が生じます。
 モードジャズはスケールのみに基づいて演奏すればいいわけですが、上で説明したとおり、コード進行に基づいたほうが安定感のあるアドリブがラクに演奏できるという事実があるなら、では、モードジャズにおいても、その基づいているスケール上にコード進行があるかのようなアドリブを演奏するのは、いけないんでしょうか?
 つまり、コード進行の起承転結がないのなら、演奏者が自分で起承転結をつくりつつ即興演奏すればいい。それでもスケール上の音で演奏するのなら、モードジャズとして間違いじゃないじゃないか、とも考えられます。
 さて、これは間違いなのかというと、それも一応スケールに基づいたアドリブには違いないので、間違っているとはいえないようです。事実、モードジャズによる演奏であっても、アドリブがそんなふうになっている場合もあるようです。
 しかし、それはモードジャズの精神に反する演奏というべきでしょう。
 そもそもなんでモードジャズなんてものが始まったのかといえば、べつにコード進行をおぼえるのが面倒だったわけではなく、コード進行に基づいてアドリブをおこなっていると、限られた音のなかから音を選び、同じ起承転結のなかで演奏をしているため、だんだん誰がどんな演奏をしても、どこかで聴いたような演奏にしかならなくなってきてしまったことが理由です。つまりは、ワン・パターンになってきてしまったわけです。
 そこで、そのワン・パターンを回避するための手法として、まずフリージャズが試みられ、さらに、そこまでは先鋭的にならない折衷案的な第三の道としてモードジャズが生まれたわけです。
 もちろん、ワン・パターンでいいじゃないかという人もいるでしょう。でも、そういう人はそもそもモードジャズなどに手を出さず、従来どおりコード進行にもとづいたジャズをやっていればいいのです。
 スケールを使ったモードジャズというのが、そもそもコード進行を否定するために生まれた方法論なのだから、コード進行に基づいたようなアドリブを演奏してしまったら、間違いではないとしても、失敗なわけです。

 おもうに、モードジャズとは即興演奏の方法ではありますが、その方法に従っていればモードジャズになるというものではなく、その方法を使用してどんなモーダルな演奏ができるかは、演奏者に任されているような方法なのではないでしょうか。つまり、モードジャズにすればコード進行によるジャズとは違った演奏ができるというものではないということです。
 そう考えると、『Kind of Blue』のようなほとんどハード・バップと大差ないモードジャズと、新主流派のモードジャズとを聴いたときに感じる大きな差が理解できます。おそらく『Kind of Blue』の時点ではモードジャズというルールで演奏してみたものの、そのルールを積極的に使用することによって新しい音楽・演奏を創造するところまで至ってなかったんじゃないでしょうか。
 ということで、モードジャズを聴いていて、もし起承転結のある地に足のついた安定感のあるアドリブをとってしまっている演奏者がいたとしたら、それはモードジャズができていない演奏者だとおもっていいでしょう。
 対して、起承転結のない、どこまでも宙を漂いっていき、どこにつれていかれるのかわからないアドリブをとっている者が、コード進行を否定したジャズの良い演奏者ということになります。

 私観でいえば、宙を漂うような、どこにつれていかれるのかわからないようなフレージングをするジャズマンといってまず思いつくのは、オーネット・コールマンとウェイン・ショーターです。たぶん、この二人こそがコードを否定したジャズの中心人物とみてまず間違いないでしょう。



07.9.12






『ウェイン・ショーターの部屋』

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